Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

カテゴリ: 聖地巡礼


三日目の朝である、連日のハードな聖地巡礼だが、本日のメインは鞍馬山~貴船~鞍馬山の巡礼登山である。

朝は毎日日の出前に眼が覚める、7時前に食堂へ行ったが用意はされていなかった。

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なぜかガランとしている。
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朝ごはんまで暫く時間があったので町屋を街歩きすることに。
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ホテルの朝の外観である。
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古い町屋に溶け込んでなかなかいい感じである。
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ホテルから100mほどの距離に1晩8時~8時まで350円の駐車場があり車を停めた。

散歩中見かけた高辻通りの
はいい感じでしたが、7:30からの朝ごはんがあるので通り過ぎてしまいました。
そして朝ごはんである。朝ごはんというよりブレックファストである。
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見ての通り、おいしかった。

紫雲山頂法寺六角堂
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京都に5年間住んでいたにもかかわらず、なぜか六角堂を参拝していなかった。
あまりにも近所すぎていつでも行けると思っていたせいもあるが、メジャーなお寺としてはおそらく最後のお寺ではないか?いやもしかしたらまだいくつかあるかもしれません。京都の奥深さは底がしれません。
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室町時代、寛正2年(1461)の飢饉にあたり、人々が集まってくる六角堂の門前で炊き出しがおこなわれました。応仁の乱後、京都は上京と下京に分かれましたが、六角堂は下京の町堂として町衆の信仰を集め、集会所や公民館のような機能も果たすようになります。
また、日本を代表する祭礼の一つ、祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式は、江戸時代末まで六角堂でおこなわれていました。これらのことから、六角堂は京都の中心と認識されるようになりました。
六角堂周辺は、京都の商業の中心地である。

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 平安時代から今も続く京の噂 縁結びの六角柳

平安時代初期、妃になる女性を探していた嵯峨天皇の夢枕に六角堂の如意輪観音が現れ、「六角堂の柳の下を見てみなさい」とのお告げを受けたため、人を遣わしてみると、柳の下には一人の美しい女性が立っており、天皇はただちに妃として迎えました。この話から「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」という噂が広がり、「縁結びの柳」と呼ばれるようになりました。青々と茂った枝が地面すれすれまで伸びる姿から「地ずり柳」とも呼ばれます。

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正面からではわかりにくいが、側面から見るとお堂は六角形だ
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六角堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。

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池坊専応口伝

室町時代後期の16世紀前半、池坊専応がいけばな理論を確立し、一般に『池坊専応口伝』と呼ばれる花伝書を著しました。そこには、単に美しい花を観賞するだけではなく、草木の風興をわきまえ、「よろしき面影」を大切にするという高遠な美意識がつづられ、それが悟りの境地につながるものだと説かれています。この教えは、歴代の家元によって継承され、現在も生き続けています。

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家元道場

境内東部に位置する家元道場は、いけばなにとって神聖な場です。毎年1月5日には初生け式がおこなわれ、全国から集まった門弟たちが、一年間稽古に精進することを誓います。また、4月中旬の「春のいけばな展」と11月中旬の「旧七夕会池坊全国華道展」では、家元をはじめとする作品が並び、内部が公開されます。旧七夕会は、江戸時代に後水尾天皇から開催の許しを賜ったと伝える、由緒ある花展です。
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唐崎社
境内の南東隅にある唐崎社は、六角堂の鎮守です。御祭神の唐崎明神は、「唐崎の松」で有名な琵琶湖畔の唐崎神社(滋賀県大津市)の神様で、比叡山延暦寺とも深い関係があります。かつては明星天子菩薩とも称していました。社殿には、祇園社(八坂神社)と天満宮(北野天満宮)の神様が合祀されています。
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十六羅漢

羅漢とは、仏の教えを護り伝えることのできる優れた僧侶に与えられた名前です。十六というのは、方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。

六角堂の十六羅漢は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践し、いつもにこにこしています。いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあるという教えです。
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へそ石

山門をくぐると、右前方の敷石の中央に、中央にまるい穴があいた六角形の石があります。門前の六角通りにあったものを、明治時代初期に門内へ移したもので、六角堂が京都の中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています。また、平安京造営時、本堂の位置に道を通すために祈ったところ、堂が少し北の現在地へ移動し、もとの位置に石が一つ残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいいます。

鞍馬寺
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ほぼ真北に鞍馬寺へ、参道入り口のおみやげやさんの駐車場へ1日500円でした。
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ここから参道である。
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なめた格好である。
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鞍馬山修養道場
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仁王門(山門)
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仁王門(山門)
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山門を出たケーブルカーに続く参道
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鞍馬寺が運行している寺参詣用のケーブルカー。設置は昭和32年(1957年)

車両は1両、線路は一直線で僅か、200メートルの路線ですが、徒歩で登ると30分、下りで15分かかるそうです。ケーブルカー乗り場は普明殿という建物の中にあり、ケーブルカー車両の乗車人員は少ないためシーズン中は非常に込むそうですが、私たちが乗った回はさほど混んでいませんでした。
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image096つい、美しい景色を撮りがちで、取ってしまうのですが、玉置神社と同じく関西空港が水没したあの巨大な台風21号(2018)は玉置神社を参拝した後 鞍馬寺に参拝しておりました。九十九折参道などあの北山杉の美林は破壊されつくされていました。回復にはあと10年~20年はかかるでしょう。
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巽の弁財天社
学芸・財宝を司る福神、弁財天を祀る。
水琴窟も付設されている。
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中共ウィルスの患禍は、こんなところにも。多くの神社仏閣では参拝前に手を清める手水が、分散した流しっぱなしの水道であったり止めて空になっていたりしましたが、鞍馬寺では生け花の器にしておりました。
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本殿に続く最後の階段
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本殿 宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場。御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。次の丙寅は6年後、2026年(令和8年)です!

本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。写真を撮りたいほど幻想的でしたが、禁止でしたので・・

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狛犬ならぬ「阿吽」の虎は、本尊毘沙門天のお使いである神獣。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによります。五十音が「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、宇宙の全てを包含すると言われています。

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本殿前の六芒星=ダビデの星の前では長蛇の列です。次々人がくるので下の写真は借り物です。

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本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである「尊天」の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっていると、寺の説明です。「尊天」とは千手観音菩薩毘沙門天護法魔王尊の三身が一体になった形而的な崇拝対象の鞍馬寺のご本尊のことです。

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スピリチャル系の説明では鞍馬山の尊天は、月輪の精霊であり愛の象徴「千手観世音菩薩」、太陽の精霊であり光の象徴「毘沙門天王」、大地の霊王であり力の象徴「護法魔王尊」の三身です。もともと鞍馬山は毘沙門天を本尊として祀っていましたが、「毘沙門天も観世音も根本は一体である」という夢のお告げを受け千手観音も併せて祀ることとしました。その後、祀られるようになった護法魔王尊と併せ、現在のような三身一体の本尊を尊天とする形となりました。尊天の真言は「オン バサラ ダルマ キリベイ シラマナヤ ダルマ ハラマソ バミウン ソワカ」これは千手観音、毘沙門天、護法魔王尊三身の合体真言で、通常の法会(説法・供養の集まり)などでは唱えられず、師から弟子に教えを伝えるときや、5月の満月の夜に執り行われる秘儀「ウエサクさい」(五月満月祭)で唱えられるそうです。

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ところで「護法魔王尊は金星からやってきた」という話をきいたことはありませんか?

これは昭和22年(1947年)に鞍馬寺が天台宗から独立したあと広まった考えです。独立後は「鞍馬弘教」という宗派として活動しているようです。

鞍馬弘教には「護法魔王尊はサナト・クマラである」という考えがあります。

サナト・クマラとは「永遠の若者」という意味のインドの神様。ヒンズー教では創造神ブラフマーの息子です。少年の姿のままで一生独身を貫きました。ブラフマーの宇宙創造を手伝ったあとは宇宙をさまよい、ヴィシュヌやクリシュナ、シヴァの神話にも登場します。

神智学の世界ではサナト・クマラは地球の創造主ロゴスから派遣された霊的指導者(マハトマ)とされます。1850万年前に金星からやってきました。人類の進化をサポートしているとされます。

この神智学の考えが「ニューエイジ」の元になっています。ニューエイジとは1960年代以降アメリカで始まった精神(スピリチュアル)世界の流行のことです。ニューエイジではサナト・クマラはアセンテッドマスターとされます。アセンテッド・マスターとは「人の魂を高次元の存在(ハイアーセルフ)に導くためのサポートをする存在」です。

これだけ聞くとわけがわからないかもしれませんが。要するに「人間の修行を助けてくれる指導霊」です。ご利益のある神様ではありません。

鞍馬弘教では「護法魔王尊は650万年前に金星からやってきた」とされ。鞍馬(クラマ)は「クマラ」から変化した言葉とされます。
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中央の三角はてっきりパワーが降りてくる場所か印かと思っていたのですが、
後から知ったので「もはやおすし」ですが、三角は三位一体の尊天を表すものなので、踏んではいけないのだそうです。しっかり踏んでいます。
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この写真は中央の三角から真上を撮った写真です。
どうですか!雲ひとつ無く、宇宙から降りそそぐパワーで満ち溢れている・・・と思えば、満ち溢れています。
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本坊(金剛寿命院)
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奥の院、貴船神社に抜ける西門の入り口である。
昨日大神神社登山でお疲れのSさんにどうしますかと聞くと、行くとのことだったので出発です。
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鞍馬寺、山内コース
山門からケーブルを利用て本殿往復の「安楽の道」から、山門から貴船に至る西門まで歩く「修行の道」まで様々なご参拝の道があります。体力・体調・目的に応じて色々な道をお選び下さい。
鞍馬寺山内案内図
鞍馬寺山内案内図

鞍馬寺山内案内図
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奥の院 参道
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冬柏亭 與謝野晶子書斎
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写真ではよくわかりませんが杉の木立の間から遠くに京都市内が見えます。

清少納言の「枕草子」の遠近の章段に鞍馬山についてふれられています。

【原文】
近うて遠きもの。宮のべの祭。思はぬはらから、親族の仲。
鞍馬のつづらをりといふ道。師走のつごもりの日、睦月のついたちの日のほど。
遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の仲。

【現代語訳】
近くて遠いもの。宮のべの祭。親しくない兄弟姉妹や親族との仲。
鞍馬寺のつづら折りという参道。大晦日から元日までの間。
遠くて近いもの。極楽。舟の旅路。人間関係。
清少納言がいうところの近くて遠いものはつづらおりの参道ことを書いたのだが、都の住人にとって鞍馬寺は近くて遠いものなのかもしれません。

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木の根道
根が地表面でアラベスク模様を描くのは、この辺り一帯の砂岩が、灼熱のマグマの貫入によって硬化したために根が地下に伸びることが出来なかったためできたものです。
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大杉権現社
木の根道の先には大杉権現社がありましたが、砂岩の為
根が浅かったため2018年台風21号の暴風雨の直撃で倒壊していました。
この辺りは、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの高い場所として知られていましたが、杉の茂みが消えたことでパワーを感じることができませんでした。

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不動堂
僧正ガ谷不動堂は、伝教大師(最澄)が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が安置されている堂。

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奥の院
魔王殿」は太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝さ れてきましたた。

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奥の院~西門への道はかなり厳しい
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Sさんはかなりへたってきましたので、先に降りていきました。
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やっとなだらかになったので、S夫妻を待つことに、「おや・・・降りてくる人が少ない」、暫くするとやってきましたが・・・どうやらS夫妻が渋滞の先頭でした。後ろにはぞろぞろと多くの人々がぞろぞろ・・
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本堂を10時に出て、西門に11:30でした。まあSさんのペースに合わせたせいでしたが、帰りはどうなるか・・・
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貴船川をまたぐ橋のところにでます。
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ちょうどお昼時、貴船神社参詣よりもお昼ごはん!・・・・
川床は通常予約制なので、入れないだろうとたかをくくっていましたが・・・
顔の広い元芸子のSさんの知り合いのお店に行くと、OKとのこと昨晩の豪華な夕ご飯に引き続き、二度ほど川床の流しそうめんを頂いたことがあるが、流しそうめん以外初めての川床を経験することができた。
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でも~高いんだよね~、今回の旅行は家内が出すから知らんけど
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麗しの川床!かつて京都に住んでいて遣り残した心のこりの一つでした。
それにしても、風流である、深い緑に明るい赤い提灯、色のバランスが良い。自然を取り込む巧みさは我々日本人の誇りである。
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夏、京都の三条や四条あたり、鴨川沿いの料亭にはずら食事ができるスペース「納涼床」が並びます。日の沈んだ以降は確かに室内よりは涼しげですが、日中食事をする貴船の川床とは似て非なるものです。木陰を流れる水量豊かな渓谷は、道路の温度より数度は低い感じです。「清涼」という言葉がぴったりです。
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メニューが着ました
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月曜だったので6700円ミニ会席を頼んだが本日は祝日なので用意していないとの事。おもわず、裏をめくったが・・・・ドリンクのみでした・・・迷わず「竹コース4つ」。
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ちょっとはしたないのですが、どうしてもやりたいことがあった。

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川床は川面から約30㎝。「ああ、気持ちよい」できたらそのまま川面に飛び込んだらもっと気持ちよかろう。

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さあ、料理が運ばれてきました。
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先付と八寸
先付は抹茶風味のゴマ豆腐、クコの実
八寸とは寸(約24cm)四方の木盆に、海の幸や山の旬の幸を盛ったもの。
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向付 刺身ゆば

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焼物 あゆ いままで食べた鮎の中で一番美味しかった。

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炊合せ ですが、そうめんとえびでした。
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蒸し物 はものあんかけ

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天ぷら イワナの天ぷら

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ご飯
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水物
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貴船はとっても狭い道で次々に車がくるから、大変な渋滞となります。
ご飯をたべている間30分ほどまったく動きませんでした。
貴船神社にこの時間帯に行くのは自殺行為です。地元の人達が必至に交通整理してやっと動きました。しかし渋滞に撒き込めれていたのはベンツやBMWなど高級車ばかり、擦りたくないのはわかるが、貴船に車で来ることはどのようになるか・・・知らないならばお気の毒というか情弱です。 
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奥宮に参拝したあと本宮に参拝、けっこ長蛇の列
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S夫妻はここでリタイヤ、とても来た道は戻りたくないとのこと。
一旦叡山電車の貴船口駅まで歩いて戻って鞍馬駅へ向かうとのことでした。
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私達は、来た道を戻ることにしました。なんと、あの険しい奥宮まで10分、本殿までさらに20分、たった30分で戻ってこれました。
ケーブルカーで多少待たされましたが駐車場まで45分で帰ってこれました。
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上賀茂神社に久々に参拝
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松栄堂 京都本店に寄ったところS夫妻のクラウン そこで暫し談笑、次は冬至(12/21月曜)の伊勢神宮にでも行きますか?という話になりましたが、私は今回の定期異動で異動となりましたので、はたして行ける環境かまだわかりません。

5時過ぎに松栄堂の駐車場をでましたが、久々の激しい渋滞を経験しました。
いつものように王将餃子京都東インター店でご飯を食べ、いつものように大津SAでお土産を買い帰路につきました。

7時過ぎ東名は東名横浜町田を先頭に50kmの渋滞!第二東名は新城~岡崎で事故渋滞。久々に東名経由で帰りましたが、途中富士川SAで力尽き、2時間ほど仮眠。自宅に到着したのは午前2時前でした。


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【聖地巡礼】 GoTo聖地巡礼の2日目である。

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AM7:30朝食バイキングである。ナイロン手袋をはめマスク着用!
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私の一の膳

旅館の朝食はなぜに美味しいのか?

旅館の朝食ほど美味しいものはないと思っているが、ビジネスホテルのビュッフェといって、ばかにしてはならない。これが期待を上回る絶品朝食でした・・・素材はごく普通の食材でしたがとにかく美味しかった! なんでだろう?

料理の味は精神的なものに大きく左右されるような気がします。気の合う仲間とバーベキューの味、公園やドライブ途中の車の中、ピクニックで食べるお弁当の美味しさ、といったように同じ料理を食べてもその場の雰囲気で美味く感じます。ラーメン屋さんでも、小汚いけどそれなりの雰囲気があるお店のラーメンはおいしい。高級なフレンチレストランもお店の雰囲気が美味しさの半分じゃないだろうか?

普段とは違った環境が、脳内物質の分泌や呼吸器系統、消化器官などの働きが整えられ、ホルモンバランスや自律神経にもよい影響をもたらされるとのことです。温泉への入浴は、縄跳びと同じくらいの消費カロリーがあります。カロリーを消費してお腹が空けば英語の格言にある”Hunger is the best spice”空腹は最高のスパイスになる。

この日も朝食前朝の5時過ぎから朝風呂に入り、色鮮やかなビュッフェは視覚的にもとてもおいしそうに見えました。そしてとっても美味しく感じました。

料理の「味覚」もさることながら、「視覚」「雰囲気」が料理の美味しさを決めていると言っても決して過言では無いと思います。

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朝食後8:30ロビー集合ですが・・・♪いつも私が待たされた♪

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その間 無料のコーヒーを頂いて待ちます。2~3杯飲んだところで大丈夫です。

ちなみにマックのコーヒーの原価は2.5円だそうです。


なんだかんだで、9時ちょっと前にチェックアウト

大和國一之宮 大神神社

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ホテルから大神神社へは車10分弱 歩いても行ける距離です。

令和2年9月7日より参道整備工事の為、二の鳥居前の駐車場は利用できなくなっていた為踏み切り前の無料駐車場を利用しました。

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神輿の時に着たハンタコと地下白足袋に作務衣で登ります。
ちなみにマスクは赤坂日枝神社コロナ退散祈祷済み まさるマスクです。

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大神神社鳥居 これで3回目の参拝になります。

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本殿
ご祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。大物主大神を三輪山そのものとして、神として鎮まってもらうために、祭られた。元々は本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える形式の我が国最古の神社といわれています。
※国重要文化財の三輪鳥居は新型コロナウイルス感染拡大防止の為、当分の間、拝観中止です。

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私が知る限りは、最古と称している神社は阿蘇熊者の山中にある幣立神宮は15000年前ですが、幣立神社が実際に創建されたのは延喜年間901年 - 923年wiki)だと思われます。
大神神社が記録に登場しているのは少なくとも嘉祥3年(850年)であるが、それよりはるか前にはあったと推定される。伝説等から推定される創建年代は国主命推定年表が正しければ大神神社創建は大国主命の死後発生した国譲り騒乱(西暦45年)前後ではなかろうか?
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祈祷殿前で記念写真だが、どうも家内の水晶ブレスレットの一つが消えたらしい。
どこで消えたかは定かではないが、この写真を撮ったところまではあったらしい。

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登拝道に向かう久すり道 拡大するとまだ家内の腕についていた。
一応探したが、見当たらず、おそらく水晶は大神神社のご神体の一部になりたかったのであろうと皆で納得し、登拝手続きへ。

三輪山登拝は、「狭井神社」での受付が必要です。
※受付所にて申込用紙を受け取られ、申込用紙(表面)に「住所」・「氏名」・「携帯電話の番号(緊急連絡先)」など必要事項をご記入し、はじめての方は登拝心得のレクチャーを受けます。
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大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖なお山で、禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。

近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可することとなり現在に至っていますが、もちろん三輪山への登拝は「お参り」が主眼であり、観光や一般の登山・ハイキングとは異なることに十分留意し、敬虔な心で入山いただきます。

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怪しいコスプレ登山ではありません、真剣です。

午前10時過ぎ登拝開始です。この時間には既に登拝用杖はなくなっていました。

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お三輪山は標高467mですが標高比して勾配もきついところが多く、往復4kmにすぎませんが、最近は体調不良を起こし消防の出動を要請する事例も多くなっているとのこと。
水は350ccペットボトル1本ではちょっと足らないかもしれません。※個人的感想

S夫妻は姉さん女房、70手前の奥様のペースで途中まで登りましたが、待っていられるのがご負担に感じられたようで、山頂でお待ちしていました。

二人仲睦まじく登る姿は夫婦タヌキのようでした(笑)かなり待って山頂で合流。
何度もリタイヤしかかったようでしたが流石祇園の元芸子、ねっからの負けず嫌いの意地で登ってきました。

下山途中リタイヤしようかとと悩んでいた人達に「あとちょっと」と励ましながら下山してきました。

12:20頃下山。S夫妻を登拝口で待っていると、入山時間が14:00までと思っていた方々が登拝できないことを知り、悲嘆の声をあげていました。

13時頃ご夫妻が下山してきました。ご神水を汲んで、お昼ごはん。
S夫妻のご主人の強い希望で、本場三輪そうめんとなりました。

たまたま人が並んでいなかったので、鳥居から一番近い福神堂

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S後夫妻は冷やしそうめん
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我々はぶっかけそうめん。
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カキ氷 抹茶白玉あんこ 2つ注文しそれぞれシェアしたがとってもおいしかった。

三輪惠比須神社
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由緒
 
三輪の惠比須神社は市場の守護神、言霊の神、託宣を司る神さまとして、多くの人々に親しまれ尊崇されてきています。
日本で最初に開かれた市場は、海石榴市(つばいち)と呼ばれる市で、三輪山の南麓の金屋というところで、初瀬川の川べりに物々交換の市として開かれました。
 時代はおよそ奈良時代以前と考えられていますが、平安時代の女流作家清少納言は『枕草子』に「いちはつばいち」と述べています。

欅のご神木は樹齢約六百年余りとも云われ古より夫婦欅とも云い伝えられています。
良縁を求める方、恋人同士添われないとき、片思いの方などこの欅に触れて願えば思いが達すると伝えられています。
欅の根元にある白石の一つだけ拾い、お賽銭を入れ願い事を一つだけ願います。
かなうそうです。願いがかなったらその白い石をお返しします。

室生龍穴神社
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創祀年代は不詳。

現在の祭神は、高靇神(たかおかみ)だが、拝殿には「善女龍王社」とある。弘法大師が神仙苑に雨乞いを行った際に現れた龍王で、その形像は、雲に乗る竜神の背に立つ唐の官人の姿に描かれ、その左手には宝珠を盛った鉢を持つ。龍そのものではなく、龍を統べる女神。

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我が家に飾ってある高靇神(たかおかみ)のイラスト。

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室生龍穴神社御由緒
祭神 高靇神
配祀 天児屋根命 大山祇命 水波能賣命 須佐之男命 埴山姫命

主神 高靇神は、伊邪那岐大神其御子 迦具土神を斬り給へる時生れませる神にして、 水火を司るの威徳を具へ給ひ、晴雨を調節して 国土民生を安じ給ふ。
蓋し、農を以て国の本とする我国古来の伝統 的民族信仰として旱天に慈雨を祈るの風朝野を 挙げて後を絶たざりし所以にして木津川、淀川の上 流の当地に此大神の鎮まります事深く故なしとせず。 随って古来歴朝朝野の信仰篤く祈雨止雨の奉 幣に預り給ふ事度々にして神階は度々昇敍されて 應和元年正四位下に敍せられ給ふ。延喜の制 貴船丹生等の社と列びその神威赫々たる官幣 の小社に列せられ所謂式内社として近畿一円に 衆庶の信仰篤く以て今日に及べり。
配祀の祭神は古来聚落の叢祀に奉斎せしを 明治末年に合祀せり。
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3回目にして社務所が開いていました!!!幻の龍穴神社の御朱印をいただきました・・・

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龍穴神社奥宮
境内にある案内図があります。龍穴の入り口。

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拝所
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龍穴
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招雨瀑

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右側の招雨瀑に向かって柵があります。その一番端で龍穴と招雨瀑で祈願

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拝所にて祈祷 前回この拝所で瞑想するとクラクラ地震ではないかと思うくらい揺れを感じましたが、今回はなぜか感じませんでした。

前回どなたかがクリスタルボールを叩いておりました。
その時自称クリスタルボール奏者のSさんはものづごく悔しかったようです。
今回リベンジを果たして満足げでした。

京都市内へ

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途中大渋滞でした。途中SAで今晩の夕ご飯を相談、Sさんご推薦の行きつけの懐石レストランへ行くことになりました。
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途中の夕焼けは見事でした
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家内のスマホで写したショットですが、なかなかいい写真が撮れませんでした。
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紫から方向にもよりますが空の表情がかわります。
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本当にきれいな夕焼けでした。
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到着した時は19時を回っておりました。

和食庵さら
 
住 所 〒603-8172 京都市北区小山初音町9
TEL075-496-1155
営業時間 [昼]12時 ~ 14時 [夜]17時30分 ~ 20時(最終入店)
定休日 月曜日 ※祝日の場合は翌日火曜日
座席数 カウンター/7席 テーブル/3卓 お座敷/7~18名
夜は1名様 6,000円(税込)~
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自家製ゆずジュース ゆずの蜂蜜漬けが甘くて美味しい
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先附 季節の取り肴
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ふたを開けると みやび~!
薄味で、季節の素材の美味しさが絶品、えび いくら くり こいも
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吸物 ぐじ なす 木の芽
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ぐじ、とは、アマダイの日本の福井県・京都府における地方名。一般には浜で水揚げされ、背開きにして洗い、塩をふって鮮度が落ちないよう処理したものを指し、京都では高級食材とされています。
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向附 鯛 はまち 鮪
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強肴 蒸し鶏 無花果
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油物 かきもち揚げ ?
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はも しいたけ ピーマン
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焚合 ずいき葛葱煮
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Sさんが 「おっとのごよう」を頼んだので何かとおもえば
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つま ようじ でした。祇園時代にお使いになっていたそうです。
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おつけもの
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御飯
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赤だし ちなみにお茶碗は、おかわり中です。
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水物 梨 葡萄

いやー贅沢な時間でした。お会計は二人で14000円ほどでした。
日常の食事よりゼロが一つ多かった・・・自分たちのお金で食べる京懐石は2回目でしたが、Sさん行きつけのお店でしたので大満足でした。20年ほど前に行った際はぼられた感じの酷いものでしたが、今回は出した値段相応のお食事でした。

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どこが四条烏丸なんだよ~高辻通りより一本南の松原通り新町通り上るじゃないか!どちらかというと五条に近いじゃないか!

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過剰に拾い間取りでした

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こじゃれた お茶セット
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恵比須神社近所のお店でS夫妻が買ったいちじくをお裾分けしてもらったのをお部屋でいただきました。
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家内は寝ると言うので夜間外歩きをしたかったが、鍵が一つしかなく、鍵を持ち出すとエアコンが切れてしまい泣く泣く寝ました。


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花窟神社
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9月18日 23:20自宅を愛車にて出発。

23:00に家を出たのだが、財布の中身が2000円ほどしかなかったのだが、気にせず出発した。だが、昨年の夏至夫婦岩日の出~元伊勢日没参拝巡礼のおりもそうだったことが、金を一切私が払わなかった前科持ちだったため、今回は家内に、「今日下してきた、お小遣いまさか財布に入れてきたでしょうね!」私が、「いや・・」と言うと、「そんな料簡だからあんたはダメなのよ、今回は一切出さないからね」と、咎められ、泣く泣く途中引き返し、諭吉さんを補充したので、出発時間が遅くなった。

4連休の前日であるため、第二東名も車が停止するほどの渋滞はなかったが、なかなか制限速度の120km以上で走れる区間がすくなかった。それでも深夜の第二東名は快適でごきげんなドライブでした。SAはどこも深夜にもかかわらずどこも混雑。最初の休憩は毎度の新岡崎SA 7/11のコーヒーがレギュラーしかないのは不満!

第二東名~伊勢湾岸道路~紀勢自動車道路の奥伊勢PAエリアで約1時間ほど仮眠。
5:20
奥伊勢PAエリア出発、午前7時ちょうどに花窟神社(はなのいわやじんじゃ)に到着、途中1時間の仮眠を含めて約8時間走行距離約500km、平均リッター18kmで走行プリウスαの燃料メーターはまだ余裕

早速 聖地巡礼必須アイテム5円玉50枚!を取り出す。

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清浄な参道を抜け
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1枚目の5円玉は 伊弉冊尊(いざなみのみこと)に捧げます。
これは私達の熊野巡礼の恒例行事です。

今月、家内は九州の山鹿市にあるパワースポット君が代で詠われた「巌」ではないかと言われる「不動岩」を見てきたのだが、花窟神社の壁面と同じだったという。



日本書記に「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。

花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。

南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。此の窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。

此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令せられた。

伊弉冊尊の反対側正面には軻遇突智尊(カグツチノミコト)が祭られています。

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『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記されます。カグツチは、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神です。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。その血と肉体からは多くの神々が生まれたとされます。


熊野大社本宮 約50km8時ちょうどに到着

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日本一の大鳥居
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大斎原
8:15本宮脇の駐車場に移動、今回の聖地巡礼を同行する千葉のS夫妻と合流。
S夫妻は家内の友人である。ご主人は千葉県内で会社を経営、Sさんは元京都の祇園甲部の元芸子さんである。強烈な奥様の個性には、毎度楽しませていただいております。今回は我々に内緒で熊野に前泊したとのことでした。
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祭殿内

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これは私の左手でございますが、右手(スマホを持っています)ともども聖地に行ってお参りをするとこうやって強烈に熱く感じるのであります。写真でもうっすら赤くなっていることがおわかりだと思います。
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授与所では、熊野大社特製疫病終息マスクが置いてありました。

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お土産として1つ頂いてまいりました。

1時間ほど滞在し、9:45熊野大社の奥宮玉置神社へ

玉置神社 10:30前に到着

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いつの頃からか、玉置神社は「呼ばれないとたどり着けない」「日本一のパワースポット」などと言われるようになったが、これで3度目の玉置神社である。

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前回玉置神社と天河神社へ参拝に行った際は玉置神社のみでご祈祷を行ったので、今回は天河神社でご祈祷を行う予定でしたので、献酒だけ行いS夫妻のご祈祷にお付き合いをした。

ご祈祷料は一人5千円。ところが、担当宮司さんが強烈な個性の家内を覚えていていていただいたおかげで、S夫妻のご祈祷のはずでしたが、私達もちょっとご祈祷していただきました。

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2018年9月に参拝した際ご祈祷を受け、戸隠神社へ行きなさいとのお言葉を貰い、直ぐに参拝したことも報告した。


インターネットで検索すると、「呼ばれないとたどり着けない」「日本一のパワースポット」などと書かれている、もしそれが本当なら私は神様に気に入られたのかしら?

玉置神社は紀元前37年、崇神天皇の時代に悪魔退散のために創建されたと伝えられていて、平安時代より、熊野三山の奥の院とも称されてきた。

深山幽谷の玉置山は「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産にも登録されている。3万平方メートルの玉置神社境内は 永らく聖域として伐採が禁じられていたため、温暖多雨の気候と土壌に恵まれ、樹齢3000年と 言われる神代(じんだい)杉や、常立(とこたち)杉、大(おお)杉などの巨樹を含む杉の巨樹林が成立しました。が、2018年の台風21号の直撃の跡は、2年経っても未だに痛々しい。

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境内にある神代杉は、被害をまぬがれている。樹齢3000年。8メートルを超えるとされる幹の太さ、空に向かって手を広げているような枝ぶりは、太古の時代からこの場所で生きてきた威厳と圧倒的な生命力を感じさせる。

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神代杉

人は3つの点があつまった画像を「人間の顔」だと錯覚してしまう。これをシミュラクラ現象と言い、パレイドリア効果の一種である。杉の木立に沢山の顔が見えるのは
シミュラクラ現象なのでしょう。

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神代杉

平安時代より、玉置神社は修験道の霊場としても栄えた。享保12年(1727)からは、修験道の本山、京都の聖護院が実権を握り、200人もの僧侶が生活していたという。

しかし、慶応4年(1868年)に神仏分離令が公布されると、十津川村でも廃仏毀釈の動きが活発化し、聖護院も玉置神社を手放さざるを得なかった。社務所には聖護院時代の豪奢な襖絵が残されていて、参拝者に有料で公開されている。襖絵はお寺にあるもので、神社にあるのは珍しいそうだ。

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玉置山の頂上を目指した。その途中にあるのが、玉石社。社殿がなく、丸い玉石を礼拝する古代の信仰様式を残していて、玉置神社の基となったと伝えられている。「玉を置く」から玉置神社というわけだ。

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古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、 玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座します。

社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残しています。
玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています。

昔、役(えん)の小角(おずぬ)並びに空海が拝して、如意宝珠を埋めた所といわれ、又丸い玉のような石が置かれてあるところから、玉置の名称が起こったとも伝えられています。

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山頂です。途中けっこう急峻な斜面でした。

この時点で元芸子のSさんは60代後半、何度もギブアップ宣言を出しましたが、「ここでギブアップでしたら明日の大三輪神社参拝は一人でお留守番しますか?」と茶化すと、負けん気で登ってきました。さすが祇園で鍛えられた負けん気は立派です。

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山頂から駐車場への道は尾根づたいでなだらかです。

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標高1000mの駐車場からの絶景 最近近くに空中の村という観光施設ができています。
12:30

天河神社

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玉置神社から天河神社は72km1時間44分ですが、これは深夜の時間帯です。国道168号はだいぶ整備されて直線も多く2時間弱14:20に到着しました。最後の20km弱の県道53号は相変わらずのすれ違い困難な箇所がああり、私の後ろにつけたS夫妻のクラウンは2度ばかり100mバックをするはめになりました。

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さっそく、ご祈祷を申し込んだのですが・・・・なんと要予約制・・・
ご祈祷を受けることはできませんでした。

玉置神社でご祈祷した2時間後に天河神社でご祈祷は節操がないのでよかったかと・・・
我々もご祈祷うぃ受けないつもりが実質ご祈祷だったので、神様は見ていたのでしょう。

また、次回に持越しです。

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家内達が諦めきれずリモートでのご祈祷を申し込むとのことで、その間気になっていた南朝黒木御座所跡へ行ってみた。

南北朝時代には、後醍醐天皇、護良親王、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇が、天川郷を南朝奥吉野の拠点としていた。

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天川を拠点とした南朝方の行宮は、天川村の数か所にあったといわれており、御所の坊もそのひとつである。後醍醐天皇の第3王子、大塔宮護良親王が十津川に逃げ出したとき、豪族竹原八郎が仮宮殿を建ててかくまった御所の跡。

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天河神社に何回来ても心が落ち着く、ご祈祷がなくなったので本殿で暫く瞑想することにしました。

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拝殿へ続く石段。独特の凛とした空気に包まれています。

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中共ウィルス禍のおかげで、ソーシャルディスタンスを保ち順番に参拝できるよう柵が設けられていました。

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天河神社の独特の拝殿スタイルは、なんとも美しい。大きな五十鈴がある拝所から巨大な会談階段が続き、踊り場があって、更に階段があってお社があります。芸能を司る神様「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)※市杵島姫命は辨財天様としても信仰されております。」が鎮座する最上段お社から、奉納する音楽や舞踏を神様に見ていただくような広い舞台があり、夜な夜な様々な芸能が奉納されます。

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巨大な五十鈴を今回は鳴らすことができませんでした。

天井から吊るされた鈴はどう見てもUFOにしかみえません。天河神社は俗に言う「そっち系」とか「スピリチャル系」といったマイルドカルトとでも言う人達の信仰を集める聖地となる理由の一つかもしれません。当社社員でスピリチャル好きのご婦人がいて、私がスピリチャル好きでパワースポット巡りが趣味の一つだと言うと意外だと驚いていました。私が天河神社を含め聖地巡礼に行くと言ったところ、「是非お土産に天河神社の鈴が欲しい」とのことでしたので一つ買いもとめました。

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2800円でしたが・・・まあギリギリ見栄を張れる限界ですかね
(´_` )トホホ 

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参拝後 椅子に座り瞑想をすると、煙にいぶされたような涙があふれ出てきて、境内のなかにいた小一時間涙が止まる事はありませんでした。わたくしの修行が足らない心と体が浄化されたのかもしれません。
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私は、天河神社参拝後橿原神宮にも参拝する。一種のルートとなっている。
Sご夫妻は名前は聞くが参拝したことが無いという。私は是非とも参拝してくださいとお勧めしました。



創建が明治23年であるせいか、平安神宮(創建明治28年)と同じくそっち系スピリチャル系の人達には玉置神社や天河神社ほど人気はありません。圧倒的神々しい伊勢神宮にも劣らないほどの神気を橿原神宮は持っています。大和三山の一つ畝傍山が神宮の背後にどっしりと構え、境内が広く明るいせいか深山幽谷の玉置神社、天河神社とは異なり、伊勢神宮の幽玄さとは対照的な明るい光に満ちたパワーを感じます。
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創建が明治時代とはいえ、ここに神宮が建つ由緒は十分にある。
現存する日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、橿原は日本建国の地と記されています。
天照大神血を引く神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと;後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されたと書かれています。

残念ながら遺構等がこの地より発見されてはいません。しかしながら、神武天皇が初代天皇として、今からおよそ2,600余年前この橿原の地で、今日の日本国の礎となる大和朝廷を興したと記録されているのであるから橿原神宮は日本の原点ともいえるでしょう。

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橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)です。神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)より四代目に当たり、正式には「神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」ですが、神武天皇の皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、統一日本以前の競合国の一つであった出雲政権の大物主命の御娘に当たる方です。

日本の国の成立が「国譲り」すなわち政略結婚による比較的平和裏な統一が為されたとされる傍証のようなものです。

ある意味日本人の思想基盤である十七条の憲法「和をもって貴と為す」の原点がこの神宮にはあり、日本人が持つ和の思想を体現していると私は思います。

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聖徳太子が定めたとされる十七条憲法とは、官僚や貴族に対しての規範を示し、和と仏教を尊ぶ思想で政治を行うことを宣言したものです。背景に神道・儒教・仏教・道教などさまざまな思想や宗教が習合されています。

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十七条憲法の第一条の原文は次の通りです。

「一曰。以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨亦少達者、是以、或不順君父乍違于隣里。然、上和下睦諧於論事則事理自通、何事不成。」『日本書紀』第二十二巻 推古天皇十二年より抜粋

「以和為貴」は孔子の『論語』にある「以和爲貴、無忤爲宗。」「和を貴しと為す さかふること無きを宗とせよ」という言葉からの引用であるという説もあります。

「和を貴しと為す」を強調し「無忤爲宗:さかふること無きを宗とせよ」を隠していると曰わう輩がいますが、「以和爲貴、無忤爲宗。」の解釈は「和をなによりも大切なものとして、争わないようにしなさい」という意味として表現されることが一般的であり、多くの日本人はそう解釈しています。

十七条憲法の十七条目の冒頭に書かれている「夫事不可獨斷、必與衆宜論」の意味が「大事なことは一人で決めず、みんなで議論して決めなさい」という意味であるから、「和をもって尊しとなす」は和を大切にしなさいというだけの意味ではなく、わだかまりなく話し合うことことが尊いことだ、という意味であって、「
無忤爲宗」は話し合って決めたことを破るものではない、法律を守りなさいと解釈すべきだと私は思います。

長山稲荷

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橿原神宮の末社ですが、橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地にお祀りされており、橿原神宮の御造営・御鎮座を御加護したとされ、開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛の御神徳を持つ霊験あらたかな稲荷社です。もちろん会社を経営されているSご夫妻にとって外すことのできない参拝スポットでした。

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GoTo聖地巡礼の第一日目のお宿はビジネスホテルですが、ホテルルートイン桜井駅前です。中共ウイルス患禍騒ぎが始まったばかりの2020年1月31日に開業した新しいホテルです。

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通常料金11700円~のところGoToトラベルキャンペーン価格6700円!朝食駐車場付きです!

今回の【
聖地巡礼】ツアー名 GoTo聖地巡礼はもちろんこのGoToトラベルキャンペーンからいただきました。

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フロント(公式HPより)
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大浴場(公式HPより)
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私達の泊まったお部屋です。
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なぜ桜井市内を選んだかといえば翌日の大三輪神社登山に備えてです。
ただ・・・最高のホテルサービスと朝食だったのですが・・・

夕飯は居酒屋で胃をお清めをしようと考えたのですが、桜井駅前にはお清めするお店の選択肢が少なかった。

夕飯を食べに車ででかければ、不自由はないのですが・・・胃のお清めとなると車は使えませんでした。

結局お清め場所は地元の鳥を扱う居酒屋大和農場 千鳥にしました。

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Sご夫妻との羽目を外したバカ話、久しぶりに楽しいお酒を飲めました。
家内と飲んだのも久しぶりでした。

最後の〆に食べた塩ラーメンは、鳥の出汁が利いていて、けっこうおいしゅうございました。


ちなみに、部屋に戻って横になった直後意識は途切れ爆睡です。

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2020年9月18日の朝焼けは見事でした
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 一刻一刻変化する朝焼けを見ているだけでも素晴らしい。DSC_3510
深紫~ピンク~黄金に空の色は変りました
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ふと南の空上空の雲を見るとことらは得もいえぬ色に染まっていました。
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日の出です。

2020年の中共ウィルス禍は日々の生活において自分の意思で自粛生活をしていますが、家内は派遣の3年の満期がきて直ぐに、今月九州へ聖地巡礼を行い、10月にもGoToを使いまくってまた九州へ行く、わたくしは昨年の出雲巡礼以降箱根と靖国神社に参拝しただけで、私も政府のGoToトラベルキャンペーンに乗りました!

今晩9/18 23:00 自家用車にて出発予定

9/19 7時花窟神社、8時熊野大社本宮集合~玉置神社~天河神社~奈良県桜井市ルートインホテル泊2人で駐車場朝食バイキング付きで7400円 

9/20 大神神社登山~龍穴神社 巡礼 京都街宿四条烏丸泊 朝食付き2人で7700円

9/21 六角堂~鞍馬寺~貴船神社~鞍馬寺~上賀茂神社

9/22早朝 横浜着の予定です。

ちなみに、家内は九州で私が教えたパワースポットの不動岩へ友人と行ってきたそうで、悔しくてしかたありません。


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君が世は、千代に八千代に、さざれ石の巌(いわお)となりて、苔の生すまで

この巨大なさざれ石はまさに巌、君が代は日本列島の生い立ちの歌と言われているが、不動岩は、君が代が地質学的に正しい証明のような存在です。

日本列島ができるはるか昔、3~4億年以上も前の古生代の「変斑糲(へんはんれい)岩」が永い年月をかけて崩れて海に流され、海水に洗われ小石や砂(さざれ石)の礫(れき)になり
海底に積み重なって強い圧力を受けて、礫岩(れきがん)の岩盤となり、
その岩盤の周囲が削り取られて今の奇岩・不動岩になったのです。
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      晴れた夏至の日 夫婦岩より富士山頂から昇る太陽

夏至の日、伊勢二見浦の夫婦岩の間より見える富士山の山頂より日の出が昇り、元伊勢神宮がある京都府大江町(現:福知山市)にある聖なる山、日室ヶ嶽山頂に夕日は沈みます。日室ヶ嶽は日本のピラミッドの一つではないかと言われており、正式には禁足の地とされています。

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夫婦岩からの日の出を拝み、伊勢神宮の外宮、内宮を正式参拝し、日室ヶ嶽山頂に沈むの夕日を拝めば何やら恐ろしいパワーがいただけるのではないかと思い込み、夏至の日この遥拝計画を実行してまいりました。

非常に残念なことに、二見浦は梅雨前線の厚い雲に阻まれ、日の出を拝むことはできませんでした。
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奈良 長谷寺

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11月4日埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の金鳳山平林禅寺へ初めて参拝してきました。

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茅葺屋根の堂々たる総門。山号扁額「金鳳山」、門柱に「臨済宗平林寺専門道場」と掲げてあり、普通のお寺ではない雰囲気が漂っています。


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禅宗の修行寺で、修行道場として僧堂が設置されていますが、広大な境内の林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されています。

新座市民にとっては超有名なお寺かもしれませんが、私はその存在を知りませんでした。

義母が俳句の会で訪れる予定だったそうでしたが、あいにく通院の為俳句の会を欠席したそうです。ところが、行った方々の評判がとても素晴らしかったとのことで、私達夫婦も、行ってみたいと思い、おともすることになりました。  

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調べてみると江戸時代の江戸観光ガイド江戸名所旧跡図絵にも平林寺として載っている由緒正しき古刹でした。

江戸地誌。著者は斎藤長秋・莞斎・月岑(げつしん)の父子三代。挿絵は長谷川雪旦。1834年(天保5),36年須原屋茂兵衛・伊八刊。大本7巻20冊。江戸府内にとどまらず,北は大宮,西は日野,東は船橋辺に至るまで筆を及ぼし,名所旧跡,社寺仏閣などの沿革と現況を,実地踏査にもとづき記述,雪旦の描く詩情豊かな挿図とともに史料的価値が高く,幕末期の江戸風俗を知るうえに欠くことのできぬ一史料となっている。斎藤月岑【小池 章太郎】          平林寺大門 
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所在地:埼玉県新座市野火止3-1-1
問合先:048-477-1449/新座市観光プラザ
料金 大人500円、小学生200円
時間 9時~16時30分(最終入場16時)
ちなみに総門前に広めの民間駐車場があり1日500円です。
ただ、紅葉シーズンはすぐに満車になりそうです。

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桜に関しては、東京と京都では名所は東京は京都と同じ、いやちょっとだけ勝ると思いますが、こと真っ赤な
もみじの名所となると・・・・東京はとても京都にかないません。高尾山、六義園、小石川後楽園、昭和記念公園などあることはありますが、京都の東福寺や永観堂、常寂光寺のような圧倒的なもみじの名所は東京近郊にはないかと思っておりましたが、ありました。平林寺は圧倒的な数のもみじが植わっていました。
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平林寺は、雑木林を含む境内林は、総面積13万坪(東京ドーム約9個分)と、私が行く前に想像していた広さを大幅に裏切る広大な敷地でした。お寺と言うより、森林公園です。
しかも、境内林は、かつての武蔵野の雑木林の趣をとどめる貴重な文化財として、雑木林としては国内唯一の国指定天然記念物となっています。

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今年は紅葉が早いので、ひょっとするとと思って行ってきたのですが、残念ながら、まだ見頃には2-3週間はやかった。でも、このもみじが真っ赤に染まったのなら、なんと圧倒的なのだろう!

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まだ、紅葉のシーズンではなかったせいか、午前9時の開門に合わせて行ったせいか、境内にはまだほとんど人はいませんでした。中国人観光客にはまだあまり知られていないせいか、静寂で凛とした空気が漂っていました。

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「凌霄閣」(りょうしょうかく)

山門は、築350年の風格を湛える平林寺のシンボルです。江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に、現在の地に移築されました。

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山門をくぐると端正かつ威厳ある佇まいの仏殿と樹齢500年の高野槇が私達を出迎えます。

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仏殿 茅葺の屋根は、禅宗のお寺には質素で、とてもよく合います。 
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本尊は釈迦如来坐像、脇侍は迦葉尊者と阿難尊者。扁額は江戸中期の書家三井親和(みついしんな)の揮毫だそうです。

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戴渓堂(たいけいどう)
独立性易(どくりゅうしょうえき)の坐像と独立の念持仏の観音像が安置されています。
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鐘楼

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入り口付近の楓は色つきはじめています。

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平林寺堀
玉川上水から分水した野火止用水の一部。平林寺周辺の緑道も、用水に沿って整備されています。

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京都のお寺のように真っ赤になるのか心配でしたが、ネットで検索すると真っ赤な紅葉で埋まる境内が写っておりました。

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秋晴れの朝の日差しがまぶしかった。

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片割れ地蔵
片割れ地蔵の脇を抜けると平林寺境内林(雑木林)の入り口です。

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平林寺境内林は、山門付近に比べ2-3週間遅く紅葉するとのこと。

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池がありお堂が見えました。

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放生池
池の島には橋がなく、弁天様が祭ってあるのかよくわかりませんでした。

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池には、紅葉と見まごう錦鯉が泳いでおりました。

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野火止用水

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高野山か京都のお寺みたい
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知恵伊豆こと松平伊豆守信綱墓地
徳川家康の家臣大河内久綱の長男として武蔵国に生まれた信綱は、幼少より偉才を発揮し、第3代将軍家光に仕えて老中に登り詰めました。その後、第4代将軍家綱の幕府老中も務め、幕藩体制の完成に大きく貢献します。幕政下では島原の乱鎮圧、明暦の大火処理、また川越藩主として玉川上水、野火止用水の開削事業も行いました。
先見の明ある優れた手腕の数々は「知恵伊豆(ちえいず)」と称えられ、多くの逸話を残しています。

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大河内松平家廟所
大河内松平家は、第3代将軍徳川家光、第4代将軍徳川家綱に老中として仕えた松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)が興した一族。3,000坪の墓域に160基余りの墓石を配する、全国有数の廟所です
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本堂裏

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このアングルは、嵐山近辺で見る風景に近い

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本堂
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「平林禅寺」江戸初期の文人石川丈山(いしかわじょうざん)による揮毫です

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僧堂門
僧堂門から先は修行道場区域につき、立ち入りできないと後で知りました。
開いていたので知らずに中へ入ってしまいました。
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江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれる。寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結とされている。乱のきっかけは圧政・重税であったが、乱勃発後にはキリスト教が一揆のよりどころとされた。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。
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幕府討伐軍側は総勢13万近くの軍を動員。死傷者数は諸説あるが、『島原記』には死者1130・負傷者6960とある。
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もみじ山の広場


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ここのもみじはあでやかではなかった。

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もみじ山の小路にあった巣箱

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日の当たる場所のもみじは真っ赤だった。

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もみじやまを一周したあとは矢印の正規ルートへ

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武蔵野の面影なのだろうか。

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野火止塚
かつては一面の平野だったこの地に、野火を見張るための小高い土盛りが数多く点在していたといいます。地名の由来でもあります。

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野火止め塚と業平塚の付近は赤松が見事でした。

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業平塚は本当に藤原の業平が馬を止めて休んだというのはだいぶ怪しい。
むさし野にかたり伝えし業平のその名を忍ぶ露の古塚

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