Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:その他人文科学


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世界はなぜ最後には中国・韓国に呆れ日本に怖れるのか――目次

     はじめに 1

 第一章世界は古代から日本に憧れていた    13

     ○孔子も日本に行きたいと望んでいた
     ○古文書(梁職貢図)には「新羅は倭の属国だった」と書かれている
     ○マルコ・ポーロ以前にも世界中にあった「日本=黄金の国」伝説
     ○大航海時代を開いた「ジパングヘの夢」
     ○日本に魅了された戦国時代の宣教師たち
     ○「故郷を捨ててもこの地を選びたい」と記したロドリゴ
     ○日本人の誠実さを記した『日本大王国志』(子供の教育
     ○「中国より日本が優れている」と喝破したシドッチ
     ○日本人に高潔さを見たドイツ人医師
     ○ロシア人捕虜が憧れた徳川日本
     ○初代イギリス公使が賞賛した日本人の能力
     ○中華と日本のあまりの違いに驚嘆したシュリーマン
     ○日本を愛した清朝外交官(黄道憲)
     ○イザベラ・バードの日中韓比較
     ○ミシェル・ルヴォンの日本文明史論
     ○「日本人は善徳や品性を生まれながらに持っている」
     ○西洋人が見た日本人の容貌と性格
     ○西洋人が比較した日本・中国・韓国の美
     ○世界を魅了する日本文学
     ○西洋人の目に映る「日本精神」のすばらしさ

第二章外国が見て感じた朝鮮の悲惨な本質――――83

    ○朝鮮建国は中国人が始祖だった?
    ○西洋においてようやく朝鮮が認識されるのは17世紀
    ○宣教師が伝えた朝鮮半島の惨状
    ○告げ□と裏切りが朝鮮社会の本質と論じたダレ神父
    ○ハゲ山ぽかりたった朝鮮半島
    ○迷信と搾取が蔓延する開国後の朝鮮
    ○バードが見た「死者の国」の死相
    ○アーソン・グレブストの『悲劇の朝鮮』
    ○朝鮮人の「外華内貧」を示した『朝鮮亡滅』

第三章世界が驚いた中国の野蛮と没落 ―――― 139

    ○西洋人の「支那」発見
    ○世界の中国観の移り変わり
    ○マルコ・ポーロ以外の中国見聞
    ○中国人商人の良心のなさを記したクルスの『中国誌』
    ○マテオ・リッチが見た中国人の人間不信
    ○外国文化を受容する日本と拒否する中華
    ○西洋人の中国皇帝に対する異なる評価
    ○奴隷になりたがる中国人
    ○「無官不貪」の伝統文化
    ○西洋人が驚愕した中国人女性の風習
    ○傲慢な中国の内貧ぶりを見た英使節
    ○「儒教が中国の精神的発展を阻害した」
    ○中国人の「醜さ」を見抜いたアーサー・スミス
    ○中国を見誤ったヨーロッパの知性
    ○賛美から侮蔑へ変化する西洋の中国観
    ○人民への圧政こそ中国の原理と論じたモンテスキュー
    ○「嘘つき」の国民性を分析
    ○中国が後進国となった理由を探ったコンドルセ
    ○官僚の腐敗が発展阻害要因と見たアダムースミス
    ○「不変と停滞」を中国の本質としたヘーゲル
    ○「中国人は未来の利益を考える理性がない」と論じたミル
    ○中国には変革のエネルギーがないと評したウェーバー

第四章戦後の日中韓は世界からどう論じられてきたか――――213

    ○戦後の日中韓の比較
    ○ポールーリシャルの日本讃歌
    ○「恥」を語るルース・ベネディクトの『菊と刀』
    ○アメリカきっての日本通から見た戦後日本
    ○中国の時代を予見しながらも日本神道を賛美したトインビー
    ○戦後韓国人の精神を分析した『朝鮮の政治社会』
    ○戦後韓国の繁栄を日本のおかげだと論じた『帝国50年の興亡』
    ○朝鮮半島への日本の貢献を論じた『新朝鮮事情』
    ○日本の教育制度に感嘆したパッシン
    ○現代のイエズス会士が見た日本
    ○日本警察にっいての見方の変化
    ○「21世紀は日本の時代」と予言した米国の未来学者

おわりに 258

本を読むのは楽しい。良い本は全て紹介したいが、全て読んだ本をブログで紹介していては身が持たない。しかし、元中国人の石平氏・元台湾人の黄文雄氏の本は興味を持って読める本が多く、ついついブログで紹介したくなる。

高校生の頃に読んだ上古代史の歴史について書かれたとされる竹内文書について書かれた本「謎の竹内文書」の中に、古代日本にはイエスキリストやモーゼ、孔子がやってきて学んだと書かれていた。まあ、ロマンあふれるファンタジーで、そうであったら良いな~おもしろいと思っても、さすがに真実であると思うことはできませんでした。(ちなみに同じ偽書でも秀真伝:ホマツタエの方が失われた古史・古伝のエッセンスが入っていると思う)

が、三十数年ぶりに、本書を読んで、竹内巨麿によって不幸にも書き加えられた竹内文書の元ネタの一つは中国の日本に関する歴史書が日本を理想郷のように書かれていたことから、日本国内の国学者達が気がついていたことによるような気がします。

p14-15
孔子も日本に行きたいと望んでいた

 世界はなぜ日本に魅了されるのだろうか。

 日本の名が世界で最初に歴史書に登場するのは、いまから1940年近く前の後漢の章帝(在位75~88年)の時代に完成した『前漢書』(班固)の「地理誌」である。そこには、「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国となる。歳時を以て来たり献見すと云ふ」と書かれている。

それ以前にも、中国古代の戦国時代に書かれた『山海経』などに記述があるが、それが日本を指しているのかどうかは判然としない。中国の正史二十四史(清朝の乾隆帝によって定められた中国王朝の正史24書)に日本の名が記述されたのは、この『前漢書』が初めてである。

 この一文の前には、「東夷の天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、設し海に浮かげば、九夷に居らんと欲す。以有るかな」とある。つまり、東夷は性格が柔順であり、孔子は中国では道徳が行われないので、九夷(日本を指すと思われる) へ行きたいと述べていた、というのである。

 これについては、『論語』にも「子、九夷に居らんと欲す」(子草第九)、「子曰く、道行われず、俘(いかだ)に乗りて海に浮かばん」(公冶長第五)などと書かれている。

 司馬遷の『史記』には秦の始白五帝の天下統一直後の紀元前219年に、徐福(徐芾)が童男 童女を率いて 「蓬莱仙島」に不老長寿の仙薬を探し求めたとある。この仙島は日本だと目されており、日本でも類似の伝説を伝えている。

  中国の正史上で、初めて日本に関するまとまった記述があるとされているのが『三国志』 (3世紀末成立)「魏志倭人伝」(通称)である。著者は西晋の陳寿(233~297年)であ り、3世紀末の280~290年に書かれたとされる。邪馬台国の見聞録については「魏志倭 人伝」が初めてである。

  魏志倭人伝の正式な名称は『三国志』「魏書東夷伝倭人条」で、そこには倭国の風土や様子、 邪馬台国までの行程が示されている。さらに、「婦人淫せず、妬忌せず、盗窃せず、静訟少なし」と記述され、窃盗や争い事の少ないことが述べられている。現在の日本もそうだが、当時から特筆されるほど安定した社会だったのだろう。

 『後漢書』(432年完成)には、57年に奴国王が光武帝から冊封(爵位を授ける書状)を受け、「漢委奴国王」の金印を授かったことが書かれている。その後も、『末書』(502年完成)、『南斉書』(502~519年完成)などの正史にも日本の記述がある。

  聖徳太子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な国書を送ったことが記されている『隋書』(656年完成)「東夷伝」にも、「人、頗る恬静にして、争訟稀に盗賊少なし」(物静かで争わず盗人も少なし)、「性質直にして雅風有り」(性格は素直で上品なところがある)、と書かれている。


p23-25 日本に魅了された戦国時代の宣教師たち
日本に魅了された戦国時代の宣教師たち

 ローマカトリック教会に属するイエズス会では、1549年のザビエル来訪から80年まで、「イエズス会士日本通信」という報告書を残している。79年から1626年までの記録は、巡察師アレッサンドロ・バリニャーノの提言によって年報形式に統一されたので、以後は「イエズス会日本年報」と呼ばれるようになった。

 執筆者のひとりであるルイス・フロイスはポルトガルのイエズス会宣教師で、インドやマラッカで布教活動を行った。インドのゴアでは、ザビエルの協力者になっていたアンジロー(前出)に会っている。1563年に来日、長崎で亡くなるまでの35年間、日本で布教を続けた。

 フロイスの著書である『日欧文化比較』は、1946年にヨゼフ・フランツ・シユッテ牧師
によって、スペイン・マドリードの文書館で発見された。日本では、1955年にドイツ語訳を添えて上智大学より刊行。66年に岩波書店から出版され、91年には『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田章雄訳注、岩波書店)の題で文庫化されている。

男性、女性、児童、坊主、寺院、日本人の食事、日本人の武器、馬、病気・医師、書法、家屋、船、’劇など、多岐にわたる文化比較の書だ。

 「われわれは喪に黒色を用いる。日本人は白色を用いる」
 「われわれはすべてのものを手を使って食べている。日本人は男も女も、子供の  時から日本の棒を用いて食べる」  
 「われわれは横に、左から右に古く。彼らは縦に、いつも右から左に古く」
 「われわれの家は石と石灰で造られている。彼らのは木、竹、藁および泥でできている。

 とくにフロイスは日本の子供の聡明さに驚き、それは親のしつけにあると見た。
 「ヨーロッパの子供は青年になってもなお口上ひとつ伝えることができない。日本の予供は十歳でも、それを伝える判断力と賢明さにおいて、五十歳にも見られる」
 「われわれの間では普通、鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多に行なわれない。ただ言葉によって譴責する」

 加えて、フロイスは当時の日本人夫婦の特性についても記している。
 「われわれは夫が前、妻が後ろになって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く」
 「われわれは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける」
 「われわれは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。汚れた大声に従って、夫が妻を離別するのが普通である。日本では、しばしば妻が夫を離別する」

 「われわれは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人(フィダルゴ)たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている」
 封建社会の日本では女性の地位は男性よりも低かったとされているが、これを見ると、まるで現在の日本や欧米諸国を見るかのようで興味深い。当時の日本では、女性の地位も自由度も現在の先進国並みに高かったことがうかがえる。

 こうした比較は、桃山時代の日本と大航海時代後のヨーロッパの文化的差異として体験できる、もっとも対極的なものであっただろう。これはきわめて示唆に富んだ観察報告といえる。

 しかしフロイスの名が有名になったのは、何といっても1583~94年にかけて執筆した大著、『日本史』によるだろう。文章力に優れ、天性の語学の才能があったフロイスが、その才能を買われて日本布教史の執筆を命じられたのだ。現在、平凡社東洋文庫版(柳谷武夫訳)とポルトガル語の原文を翻訳した中央公論礼版(松田毅一・川崎桃大編訳)がある。

 ここには、織田信長や明智光秀の生涯、九州三侯(大友氏、有馬氏、大村氏)の遣欧使節団について、多くの原資料が記されている。また、キリシタンの隆盛から秀吉によるバテレン(宣教師)追放、禁教にいたる激動があますところなく描かれている。日本の記録では確認できない事項も多く、この時代を知るうえで第一級の史料である。


P37 
ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル
 将軍綱吉の前で片言の日本語を話したというケンペルは、言語学にも才能があったらしい。
中国語と日本語にまったく類似性がないことに気づき、そこから、日本人の起源はバビロン種族という大胆な仮説を立てている。これは「日本人は支那人の別種」とする当時の一般的な見解に反するものだった。

 実際、日本語は中国から無数の語彙を取り入れているが、中国語とは文法的に関連性がなく、発音もまったく異なる。わずか2年の滞在で、目先の類似に惑わされず本質の違いに気づいたケンペルはやはり目が鋭い。

 また、ケンペルは日本人の高潔さを賛美し、美術工芸の面では他のすべての国民を凌駕していると述べるとともに、日本の空間には「美」が溢れており、日本の旅館の坪庭が非常に美しいこと、また、アジアのどの地方でも、日本の女性よりよく発育し美しい人はいないと絶賛している。
p41-42ロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴローニン
次もゴロウニンの卓見である。

 「もしこの人口多く聡明で抜け目のない、模倣の上手な、思慮深く勤勉でどんなことでも出来る国民の上に、我がピョートル大帝ほどの偉大な王者が君臨すれば、日本が内蔵している能力と財宝によって、その王者は多年を要せずして、日本を全東洋に君臨する国家に仕上げるであろう」 「日本人や中国人がヨーロッパ人に変身して、今日明日のうちに危険な存在になると主張するつもりはない。しかし、そんなことは絶対ありえないとはいいきれない。遅かれ早かれ、そういう目が来ることだろう」

 当時は明治維新の約半間紀前、日露戦争のI世紀近く前のことである。当時の欧米の知識はまだ貧弱で、アジア人は野蛮な未開人という程度の認識がほとんどだっただろう。日本の底力を世界が知ったのは、日清・日露戦争後のことである。

 まして外交官や商人、旅行者でもない一ロシア人捕虜が2年間で見た世界は、非常に隔絶されていたはずだ。それでもこれはどの先見力があったとは、まさに慧眼といえるのではないだろうか。

p44 初代イギリス公使 ラザフォード・オールコック
また、日本に対して、オールコックは中国と比較して次のように評している。

 「日本人の文明は高度の物質文明であり、あらゆる産業技術は蒸気力や機械の助けによらずに達しうる完成度を見せていると言わねばならない。ほとんど無限にえられる安価な労働力と原料が、多くの点で蒸気力や機械の欠如を補っているのは明らかだ」 「これまで達したよりも高度で優れた文明を受け入れる日本人の能力は、華人も含む他のいかなる東洋の国民より、はるかにすぐれていると思われる」
p45-50
中華と日本のあまりの違いに驚嘆したシュリーマン

 19世紀半ばに清と幕末の日本を旅し、その両国の記録を残しだのが、トロイア遺跡の発掘で有名なハインリッヒーシュリー・マンである。彼は遺跡発掘の6年前である1865年3月に世界旅行へと旅立った。

 そして海路でインド、香港、上海と北上し、1865年4月27日に天津に上陸、北京を経て万里の長城を見学もしている。その後、上海に戻りしばらく逗留し、そこから日本へ向かった。

 日本に1ヵ月ほど滞在した後、今度はサンフランシスコヘ向かったが、その洋上で書き上げたのが『シュリーマン旅行記 清国・日本』(石井和子訳、講談社学術文庫)である。連続して清と日本を見て回っただけに、その比較はきわめて資料的価値が高いだろう。

 まずは、当時の清についてであるが、シュリーマンは官僚腐敗や不潔な町並みをこう評している。

「清国政府は自国の税務業務に外国人官吏を登用せざるを得なかったが、そうするとほどなく税収が大幅に増え、それまでの自国役人の腐敗堕落が明らかになった」

 「私はこれまで世界のあちこちで不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の町は汚れている。しかもに天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。町並みぼそっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている」

 「ほとんどどの通りにも、半ばあるIいは完全に崩れた家が見られる。ごみ屑、残滓、なんでもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷ができている。ところどころに深い穴が口を開けているので、馬に乗っているときはよほど慎重でなければならない」

 現在でも官僚腐敗や大気汚染・水質汚染は、中国の一大特徴として知られているが、シュリーマンが見た中国大陸も、現在と同様のおぞましさがあったことがわかる。 

また、シュリーマンが世界旅行をしていることの意義を中国人は理解できず、川で泳ぐことも無駄なことだと思う中国人気質について、 「どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質である、これは言っておかなくてはならないだろう」
 と、その利己主義ぶりを特筆している。さらに政府の愚民化政策については、以下のように述べる。

 「清国政府は、四億の人民を強化するあらゆる事業を妨げることで、よりよい統治ができると考えているから、蒸気機関を導入すれば労働者階級の生活手段を奪うことになると説明しては、改革に対する人々の憎悪を助長している」

 中国人気質から社会紊乱、政府の愚民化策までほとんど現在の中国と変わらないことに驚くばかりである。

 シュリーマンは万里の長城を訪れた際、その雄大さに感嘆しつつも、
 「いまやこの建造物は、過去の栄華の墓石といったほうがいいかもしれない。それが駆け抜けていく深い谷の底から、また、それが横切って行く雲の只中から、シナ帝国を現在の堕落と衰微にまで既めた政治腐敗と士気喪失に対して、沈黙のうちに抗議をしているのだ」 と論じている。

 その後、シュリーマンは上海から蒸気船北京号に乗り、日本の横浜へと向かった。到着したのは1865年6月1日である。シュリーマンは日本上陸にあたり、以下のように述べている。

 「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである」

 「船頭たちは私を埠頭の一つに下ろすと『テンポー』と言いながら指を四本かぎしてみせた。労賃として四天保銭(十三スー)を請求したのである。これには大いに驚いた。それではぎりぎりの値ではないか。シナの船頭たちは少なくともこの四倍はふっかけてきたし、だから私も、彼らに不平不満はつきものだと考えていたのだ」
 と、いきなり中国大陸との差にカルチャーショックを受けている。

 荷物検査の際にも、中国人官吏との違いについて、以下のように驚いている。
 「(荷物検査を)できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて『ニッポンムスコ』(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男子たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである」

 また、シュリーマンには警護の役人がついたが、その過剰警護ぶりに少々辟易しつつも、役人の精勤ぶりには驚嘆している。
 「彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである」

 町並みや人々の清潔さについても非常に感心しており、以下のように述べている。「家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう」

 「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」
 「大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙びたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた」

 そして日本の工芸品については、「蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している」と評し、「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女達が完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」と絶賛する。

 その他、日本の質素な生活にも触れ、ヨーロッパでは結婚の際にさまざまな調度品や家具類を用意しなければならないために莫大な出費が必要とされ、そのために結婚難が起きているが、必要不可欠だとみなされていたものの大部分が不要であることがわかると語り、正座に慣れ、美しいござを用いることに慣れれば、贅沢な調度品などなくても同じくらい快適に生活できる、とまで述べている。そして、「ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された上地が見られる」 と、日本の安全で安定した社会に感嘆したのである。

 シュリーマンが感じた日本と中国の違いは、現在では日本を訪れた中国人が自国と比較してよく述べることとほとんど同じだろう。
1.イザベラバードの日本紀行01

p58-60 ミシェルールヴォンの日本文明史論
 ミシェルールヴォンは、パリ大学文科大学の東洋文明史講座を担当した歴史学者である。
1893年に日本の丈部省の招聘で束京帝国大学法科大学の教師となり、99年まで6年半にわたって日本に滞在した。帰国後に「日本文明史」を著している。

 ルヅオンは、3000年来ほとんど変化しない支那や、原始時代のままで外人の好奇心を誘う朝鮮と違い、日本は自発的に社会を不断にあらため、進歩発展して一大国に成長したと説く。

そして、日本文明の特質は東西文明の融和であるという。
 ルヴォンの『日本文明史』によれば、日本は長久の神代を経て、上古に支那文明を採用した。

やがて奈良文化や平安文化に次いで、源平2氏が藤原氏を倒して武断から文治、やがて封建社会になる。16世紀にいたってヨーロッパと交流が始まり、信長・秀吉の両英傑のあとは日本第一の政治家である徳川家康が鎖国を行って200余年の平和を保つ。

 アメリカ使節(黒船)の渡来後、近代日本は1867年の革命で俄然勃興し、泰西(西洋諸国)文化を輸入して中央集権制を敢行する。古代日本が支那の文物を模倣したように、熱心に外来文明を取り入れた……という日本文明史を説いた。歴史学者らしく、その記述はきわめて正確である。

 そこでは、支那はその智力からローマに、優美精粋な日本をギリシヤにたとえ、それを融合させたのが日本文明だと論じている。後世の文明論者トインビーもこれと似た文明観をもつものの、むしろ東洋文明から西洋文明に改宗した背教者と定義しているのとは対照的だ。

 ルヅオンの日本文明史論は、風習から産業社会、法律にいたるまで幅広い。農業は古代エジプト時代と似ているが非常に耕作が進んでおり、田圃はさながら庭園のようだ。工業においても、手工業はヨーロッパ人を驚嘆させたほど精巧だった。

 財産分配については表面上は専制制度のようだが、実際はかなり民主的、一種の任侠的社会主義で数百万人の労働者を保護している。各労働者はつねに自治・独立・自尊の生産行である。

農民生活は族長制度に類似していても、強制されることなく互助精神に富む。赤貧の者は少なく、200余年の鎖国にもかかわらず人民は多福である旨を説く。

 明治当時の神道の教派は12、仏教宗派は100を数え、キリスト教派もおよそ10ある。また、儒学、道徳、進化、哲学について語り、なかでも文学はすこぶる思想が豊富で、西洋の作家に比べ奇抜なところが多い。

和歌や小説、『源氏物語』についても論じているが、ことに美術は日本文明の核だと語り、「芸術の上では日本人は実に天才的だ」と驚嘆している。

 だが日本人は、古代ギリシヤ人のように稀有の性質をもっていても、不幸にして自然を愛しながら自然界を制覇することをついに考慮しなかった。この点を除けば、日本人の素養はゆうにヨーロッパ人に措抗するに足ると説く。そして歴史家たるもの、文明世界のすべてを知るならば日本人の精神的素養を無視すべきでない、と論じたのである。

 「自然とともに生きるとともに生かされている」という日本人の自然との「共生」の思想と、西欧の「自然開発」「人間対自然」という2元的な自然観との違いについて、ルヅオンの『文明論』では顕著に記されている。


p61-64 「日本人は善徳や品性を生まれながらに持っている」
 エドワード・S・モースは1877年に縄文時代の遺跡、大森貝塚を発見・発掘し、縄目模様の土器片(縄文土器)も発見している。日本初の貝塚発見として、教科書にも登場する人物である。

 彼の本業は生物学者・人類学者だ。アメリカの出身で、ボウディン大学動物学教授、ハーバード大学講師を歴任し、1877年に来日。79年まで東京帝国大学の初代動物学教授も務めた。

また、江ノ島に臨海実験所を開設し、日本初の学会である東京生物学会を創立するなど、西洋の近代自然科学を伝えた功労者である。ダーウィンの進化論を日本に紹介したことでも知られる。

 明治時代の日本人やその生活についても造詣が深かった。彼の収集した日本の陶磁器や民具、写真などはモースーコレクションとして残され、当時を知る貴重な資料となっている。日本美術研究家のフェノロサ、ボストン美術館理事となるビゲローもモースの影響を受け、日本美術に魅せられた人のひとりだ。

 モースにはこのほか、『日本の家庭とその周囲』(1855年)、『瞥見・中国とその家庭』(1902年)、日本見聞録『日本その日その日』(1917年)などの著書がある。『日本その日その日』は1877年から数年にわたる日本各地の研究と見聞の備忘録で、数多くの写生図も載っている。3500ページの大著。

 モースの見た日本人像で、私か共感したものをいくつかあげてみよう。
 「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に私は小銭を置いたままにする」「日本人の子供や召使いは……触ってならぬ物には決して手を触れぬ」。こそ泥は絶無でないものの「盗まない」。

 日本人が「盗まない」ことを特筆するのは、モースにかぎらない。今日でも、日本から1歩でも外国に出れば泥棒や強盗だらけなのだから、日本は特殊な国といえる。
 古くは「魏志倭人伝」の邪馬台国についての記述にも「不盗窃」とわざわざ記されている。

 また、『隋書』東夷伝にも「人、頗る恬静にして、争訟罕に、盗賊少し」「性質は直にして、雅風有り」と書かれているのはすでにふれたとおりだ。

 「中華」以外は野蛮人と考える中国にしては好意的な書き方だが、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」といわれ、しかも易姓革命を繰り返して国まで盗む国から見れば、「不盗窃」の国も存在する、というのは特筆に価したのだろう。

 最初の西洋人宣教師として有名なザビエルも、日本について「盗みの悪習を大変憎む」としているほどだ。やはり「日本の常識は世界の非常識」、あるいはその逆というところだろうか。

 また、モースは「この国の子供たちは親切に収り扱われるばかりでなく、他のいずれの川の子供だちよりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少ない」とその生き生きした姿を描き、「世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない」と驚嘆している。

 「驚くことに、また残念ながら、自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしい」

 簡素な衣服、家庭の整理、公衆衛生、自然およびすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情についての思いやりなど、これらの特質は恵まれた階級だけでなく貧しい人も備えている、とモースは書き残している。

 1923年、関東大震災で東京帝国大学の図書館が壊滅したことを知ったモースは、1万2000冊の蔵書を寄贈した。亡くなる2年前のことである。最後まで日本とその文化を愛しつづけた人生であった。





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もくじ
序 章 歴史の大転換期に入った世界 ―――――――― 9
                
     中国、中東、欧州……混乱が広がる世界 11
     アジアに迫る危機と日本の死角 14
     いまこそ日本に求められる覚悟 17

第一章 世界は中国破綻に備えはじめた――――――――  21

     中国経済はどこまで失速するのか 23
     世界を「爆買い」する中国の焦り 27
     「鬼城」だらけの中国経済の脆弱さ 32
     各国で高まる「中国式援助」への不満 35
     八方破れのAIIBが抱える危うさ 37
     AIIBに加わった英独、それぞれの思惑 41
     日米がAIIB加盟を見送ったのは賢明だ 45
     国際通貨入りした人民元が中国崩壊の引き金になる 48
     南沙諸島要塞化のターゲットは日本である 52
     いまの中国のモデルとなったのは台湾だった 57
     「反中国」で団結した台湾が選んだ蔡英文総統 59
     隣の全体主義国家には絶対に警戒を怠ってはならない 62
     全体主義国家の本当の怖さ 66
     総選挙を実施できない中国の弱点を突け 70

第二章 漂流するアメリカの行方 ――――――――  73

     アメリカをますます混乱に陥れたオバマケア 75
     世界の警察官をやめたオバマの失態 77
     なぜアラブの民主化で中東はますます混乱したのか 84
     今後、アメリカが好況を維持できる理由 88
       アメリカの金利引き上げが世界に及ぼす影響 90
     日本は「外国人土地法」を活用せよ 95

第三章 難民・移民問題に翻弄される世界の苦悩 ―――――――― 99

     先住民を滅ぼす「移民」の怖さ 101
     自ら受け入れた難民に頭を抱えるドイツーメルケル首相 104
     ヨーロッパの移民問題における四つの背景 109     
     移民問題は二世、三世の代にも禍根を残す 113
     キリスト教VSイスラム教の確執は今後も続く 117
     日本は移民を受け入れてはいけない 121
     五族協和の「移民国家」満洲国は世界史の例外 123

第四章 「朝日崩壊」から始まった日本の「知的歴史」大転換 ―――― 127

     「笛吹けど踊らず」低ドするメディアの影響力 129
     長谷川煕『崩壊朝日新聞』の破壊力 133
     朝日は本多勝一 『中国の旅』も取り消すべきだ 137
     いかに朝日新聞は”中国べったり”だったか 140     
     「事実を握造してまでも敵を叩く」のが朝日の本質 143
     慰安婦問題だけではない! 誤報で国益を損ない続けてきた罪 149
     戦前も政府中枢に浸透していた朝日の”赤い”思想 151

第五章 世界に向けて歴史の反撃に出る日本 ―――――――― 157


     「日韓合意」の本質は米韓問題・日米問題にある 159
     日韓関係がこじれて損をするのは韓国だけ 164
     「朝日新聞 2万5千人集団訴訟」における私の意見陳述 166
     日本だけが責められるいわれはない 169     
     正しかった「戦後七十年内閣総理大臣談話」 172
     「東条・マッカーサー史観」を世界に広めよ 177
     いちばんの歴史修正主義者はマッカーサー 182
     「歴史修正主義」は本来、悪いことではない 186
     旧満洲の毒ガス弾もスバターン死の行進」も日本の正論を貫け 189
     中国「抗日戦勝七十周年記念式典」の虚構に踊った韓国 194
     国家の正統性に悩む韓国国民 198
     中国・韓国は日本にとって「敵性国家」である 202
     韓国系カルトには警戒を怠るな 205

第六章 改憲と原発復活で日本は磐石となる ―――――――― 209


     「平和安全法制」成立の意義 211
     日本国憲法の正体は”占領政策基本法”である 216
     日本の憲法学者たちを私は絶対に信用しない 218
     アメリカの日本観を変えた朝鮮戦争という「神風」 221
     「憲法改正」はこうした手順で行え 225
     独立自尊のために最も重要なのはエネルギー問題 229
     「もんじゅ」潰しを画策した菅直人・田中委員長の大罪 232
     中国に原子力技術をみすみす譲り渡す愚 237
     原子力エネルギーが切り拓く農業の未来 240

     あとがき 243
もしかしたら、私のブログを読んでいる方は、既に当たり前すぎることを書かれていていますから、目から鱗がおちることが書いてある本ではありません。
朝日・毎日新聞・赤旗以外、絶対に本などは読まないだろうけど、駅前で、参議院選挙の惨敗を東京都知事選で心の穴埋めをしようと騒ぐ民進党や共産党にシンパシーを感じるバカなジジババに是非とも読んでもらいたい本である。

保守を信条とする我々読んでも、まとめてわかり易く書いてある良書であります。

序章 歴史の大転換期に入った世界 P11-18
中国、中東、欧州……混乱が広がる世界

 いま、世界は歴史の大きな転換点にあるように思われます。二〇一五年以来、アジア、中東、欧州などでさまざまな対立や紛争が一気に表面化し、深刻さを増しています。また、世界経済にも暗雲が垂れこめ、全世界同時株安や原油価格の下落、為替などの乱高下が繰り返し起きていることはご承知のとおりです。

 その大きな原因のひとつが、中国の存在です。ここ数年、アメリカの弱体化とともに、国際社会で急速に存在感を増大させてきたのが中国です。最近は良い意味でも悪い意味でも、中国のI挙手一投足が世界に大きな影響を与えるようになっています。

 思いつくまま列挙すれば、南沙諸島(スプラトリー諸島)での岩礁埋め立てと軍事要塞化、経済面では、中国本土からヨーロッパに至る「一帯一路(新シルクロード)」構想のもとAIIB(アジアインフラ投資銀行)を発足させたり、人民元がIMF(国際通貨基金)のSDR(特別引出権)の構成通貨に加わることになったり、インドネシアで日本を押しのけて新幹線を受注したり、あるいは金正恩の核実験やミサイル発射といった暴走を抑えきれずに世界各国からその責任を問われたり……と、事が起こるたびに、その中心には中国がいるといっても過言ではありません。

 二〇一〇年に中国のGDPが日本を抜き去り、世界第二位の経済大国となったわけですから、”世界の二目風の目”となっても不思議はありませんが、一方で、その勢いに陰りが見えているのもまた事実です。

 第一章でも触れますが、二〇一五年六月以降、中国の株式は大暴落を続け、中国政府による必死の株価維持政策によって一時的に下落は収まったように思えたのもつかの間、二〇一六年の年初から再び暴落が始まり、世界に中国経済への不安感が一気に広がりました。

大規模な「資本逃避」(キャピタル。・フライト)が起きているため外貨準備高は激減している、という情報もあります。小さい話では、過剰生産のせいで粗鋼」トンが卵一個の値段にしかならない(!)こともいわれています。各地に「鬼城」ごと呼ばれるゴースト・タウンが出現していることも、減速する中国経済の象徴のようになっています。

 こうした現実を前にして主席・習近ずが焦りを感じていることは確かでしょう。だからこそ、周辺国家の批判を処視して南沙諸島の埋め立てという暴挙を加速させたり、人民元を強引にSDRに押し込んだり、なりふり構わぬ動きを見せているのでしょう。

 これまでであれば、このようなごり押しに対してはアメリカがストップをかけてきました。ところが、そのアメリカのオバマ大統領が二〇一三年九月、シリア問題に言及する中で「アメリカは世界の警察官ではない」などと、口にする必要もないことそいったため、中国を抑えるどころか、地球全体が混乱のうちに叩き込まれてしまいました。

 シリアの内戦は収束する気配も見せないまま、IS(イスラム国)という鬼子(最悪のテロ集団)を生み出してしまったことはご存じのとおりです。そして、このISがらみで北アフリカから中東にかけて人量の難民が発生、その難民たちがドッと押し寄せたEUは混乱のうちに叩き込まれ、フランスのパリでは死者が百三十人、負傷者三百人を超す大規模テロ事件まで起きてしまいました(二〇一五年十一月十三日)。

 また、シリア問題では、ロシア機が領空侵犯したとしてトルコ軍により撃墜されたこと(同年十一月二十四日)に端を発し、両国の関係険悪化を招きました。そうした中東の混乱は、サウジアラビアがシーア派宗教指導者らを処刑したことで二〇一六年一月のサウジアラビアとイランの国交断絶へと拡大しました。

 いずれも、アメリカが「世界の警察官」の役割を放棄したため、抑えがもはやきかなくなってしまったことが大きいのです。

 そのアメリカでは二〇一六年十一月、大統領選挙が行われます。二期務め上げたオバマが大統領の座を去るのは悦ばしいことですが、次期大統領がだれになるのか、現状ではまったく見通しが立っていませんにそれだけでなく、不動産王トランプ氏(共和党)が高い支持を集めているのはよく知られています。「イスラム教徒のアメリカ入国を全面的かつ完全に禁止する」「もし私か勝利したらメキシコ人や移民は帰国することになる。彼らには帰ってもらう、ほんとうに」と叫んでいる、このトリックスター(道化的いたずら者)がもしも当選したら……アメリカはいったい世界に対してどんなことをやってしまうのか? 世界各国が不安をもって選挙戦を見つめているのではないでしょうか。

 ワシントン・ポスト紙も二月二十五目付の社説で、不法移民千百万人を強制送還するという公約について、《スターリン政権やカンボジアのポルーポト政権以来の規模の強制措置だ》と非難したうえで、《いまこそ良心ある共和党指導者がトラップ氏の指名阻止のために、できることをするときだ》と不安を募らせています。

 アジアに迫る危機と日本の死角

 私たちは日本がいま、そうした荒波のなかにいることを覚悟しておかなければなりませんつただでさえ先行き不透明な世界にあって、われわれは中国、韓国、北朝鮮といったあまりありかたくない”隣人”に取り囲まれているから、なおさらです。

 中国はすでに述べたようななりふり構わぬ動きを見せています。

 韓国とは、二〇一五年暮れ、慰安婦問題をめめぐって「日韓合意」をしましたが、さて、われわれはこの問題が「最終的かつ不可逆的に解決される」、とに信じていいものでしょうか?

韓国の指導者たちはこれまで、なにかというと慰安婦問題を蒸し返してきた過去があるだけに予断は許しません。

 そして、「ならず者国家」北朝鮮も二〇一六年に入ってから金正恩が核実験やミサイル発射といった具合に暴走を続けています。この二月七日に発射した長距離弾道ミサイルは 一万二千~一万三千キロの射程距離を持つといいますから、理論上はワシントンまで射程に入ってしまいます。

 二〇一六年の初めにイスラム教スンニ派の盟主サウジアラビアがシーア派の大国イランと国交断絶したことを受け、一部には第三次世界大戦の勃発を危惧する声が上がりましたが、その流れでいえば、金正恩がなにかの拍子に血迷ったら東アジアが戦争の発火点となる危険性もなくはないと覚悟しておくべきでしょう。中東と同様、東アジアにもなにやらキナ臭い空気が立ち込めているのです。

 そうしたなか、二〇一五年九月に「平和安全法制」が成立しました。右に述べたように、わが国を取り巻く環境がこれだけ厳しいわけですから、集団的自衛権を認める「平和安全法制」を成立させることは政府として当然の責務でした。それにもかかわらず、「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)と名乗る若者たちが法案成立に反対して国会前デモを続けていましたが、彼らはいったいなにを考えているのでしょう?

 世界各国で「思想・信条の自由」は認められているわけですから、だれがなにをどう考えようと構いません。しかし、私は狂信・盲信・無思考だけは排します。それらに憑かれた人びとがこれまでイヤというほど害毒を流してきたからです。

 第四章では、中国共産党のナンバー2であった林彪が毛沢東との政争に敗れて客死したとき(一九七一年九月)、中国の恥部を晒すことになると考えて事件を報じなかった朝日新聞の秋岡家栄北京支局長に触れていますが、かつてテレビ朝日の「ニュースステーション」でコメンテーターを務めていた朝日新聞の和田俊という記者もプノンペン支局長時代、ポル・ポトの二百万人人虐殺を否定していたことは有名です。

 イデオロギーに目をくらまされたこうした”犯罪”の最たるものが、朝日新聞が長年にわたって垂れ流してきた「従軍慰安婦」報道です。二〇一四年八月の朝日新聞社自身の手による「慰安婦報道の検証」によって捏造記事の一部は正されましたが、一連の報道が日本および日本人の名誉と誇りを傷つけた事実は消えておりません。そこで私たちは「朝日新聞を糺す国民会議」を組織して「朝日新聞 2万5千人集団訴訟」を行っているわけです。

 他方、朝日の「慰安婦報道の検証」により、これまで日本のインテリ階級を支配してきた「知的歴史」に変化が見えはじめたのも確かなように思えます。げんに、インテリの”朝日離れ”の動きは顕著で、販売部数も激減、社員の給与の引き下げも取り沙汰されて います。

 あと一歩です。戦後日本を蔽ってきた”朝日的なるもの”が凋落していけば、日本の知的光景もずいぶん見通しがよくなってくるはずです。

  いまこそ日本に求められる覚悟

   国際情勢が緊迫の度合いを増しているなか、”朝日的なるもの”の払拭は、日本にとって喫緊の課題とも言えますが、そのためには、日本を貶める「東京裁判史観」の克服が急務です。学界、日教組、さらにはマスコミを蝕んできた東京裁判史観はじつに根強く、戦後七十年たったいまも消えてはいません。

  それを代表するのが、共産党といっしょに「平和安全法制」を「戦争法」と呼び替え、法案に反対した勢力です。たとえば、「安全保障関連法に反対する学者の会」には上野千鶴子(東京大学名誉教授)、内田樹(神戸女学院大名誉教授)、小熊英二(慶礁大教授)、小森陽一 (東大教授)、山口二郎(法政大教授)……といった学者が名を連ね、また梅原猛(哲学者)、大江健三郎(作家)、澤地久枝(作家)……といった人たちが呼びかけ人になっている「九条の会」もこの法案を批判していました。こういう人たちにはもうなにをいってもはじまらないでしょうが、しかし、若い人たちの洗脳を解くには絶好の”特効薬”あります。それは一九五一年(昭和二十六年)五月三日、東京裁判の「法源」ともいうべきマッカーサーがアメリカヒ院の軍事外交合同委員会で行った証言です。これについては第五章で詳述することにします。

 もうひとつ、日本人が克服すべきは「原発アレルギー」です。
 このアレルギー症状は二〇」一年三月の福島第一原子力発電所の事故を受けていっそう強まりました。それをいいことに、当時の首相・菅直人は日本の原発をすべて停止させてしまいました。しかも彼は、首相退陣後も原発が再稼働できないように”悪さ”を仕掛けたといわれています。そのせいで、わが国は本来であれば必要のない石油やLNG(液化天然ガス)を買い続けなければならなくなってしまいました。毎日、百億円(!)のムダ
金を強いられることになったのです。そのため、堅調であった貿易収支が赤字に転落してしまったのは周知のとおりです。

 日本人に固有の原発アレルギーと菅直人の”悪さ”を乗り切らなければ日本のエネルギー問題に光明は見えてきません。そこで私は要らざる原発アレルギーを癒すべく、「放射線の正しい知識を普及する会」に参加し、会長として微力を尽くしています。

 それが功を奏して……と、うぬぼれるつもりは毛頭ありませんが、二〇一五年には九州電力の川内原子力発電所1、2号機が、この一月には関西電力高浜原子力発電所の3号機が再稼働をはじめました。これから四基目、五基目と、原発の再稼働が続けば日本のエネルギー問題はかなり解消されていくでしょう。さらに付け加えれば、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が稼働するようになれば鬼に金棒。中国や韓国ヽ北朝鮮といった好ましからぬ”隣人”だちからの脅威にも対処しやすくなるはずです。

 そんなことを念じながら、本書では私なりの視点から「歴史の大転換期に入った世界」を俯瞰かつ分析してみました。





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東日本大震災の発生後、天皇、皇后両陛下は被災地(岩手、宮城、福島、茨城、千葉各県)を計9回にわたって訪問、被災者への気遣いを示されてきた。未曽有の困難に直面した国民に寄り添うお気持ちは、3年という時間が経過しても、全くお変わりがない。「国民とともに」。両陛下のお姿に、長年にわたって築かれてきた皇室のありようが改めて浮かび上がる。

「ご家族は無事でしたか」「大変でしたね」。両陛下は昨年7月、岩手県陸前高田市の仮設住宅を訪問した際、雨にぬれるのも気にせず、被災者一人一人に丁寧に言葉をかけられた。

両陛下は、折に触れて「被災地を訪ねたいという思いを述べられることがたびたびある」(側近)という。そうしたお気持ちが強く表れていたのが、昨年7月の福島県ご訪問だった。

名産の桃を観賞される「私的ご旅行」という位置づけだったが、復興状況の視察や、東京電力福島第1原発事故の風評被害に悩まされた桃農家に心を砕かれるなど、実質的には被災地訪問といえるものだった。

震災直後、首都圏を中心に実施された計画停電では、お住まいの皇居・御所は対象外だったのに、照明や暖房などの電力を自主的に止める節電を47日間続けられた。国民の苦難をご自身も引き受けようという強いご決意がうかがえる。

陛下は新年に当たってのご感想や、お誕生日に当たっての記者会見で、必ず震災について言及される。側近は「両陛下は、震災を現在進行形のものと常に考えられている」と話す。

11日の政府主催追悼式で、陛下は国民が心を一つにして被災者に寄り添うことの大切さを述べられた。常に被災者の様子を気にかけられている両陛下。今後も被災者を見舞われる機会が検討されるとみられる。
今上陛下におかれましては、3.11について過去ではなく震災を現在進行形のものと考えられているとのこと、誠に頭が下がる思いです。被災地を巡行される陛下のお姿は、先の大帝と重なる部分があり、皇室が日本の精神的支柱であることを人々に強く印象付けていると思います。


あの日私は会社の天井板が堕ちる激しい地震の揺れを体験した。

あれだけ鳴り響いていた会社の電話がピタッと止まった。NHKをつけた15時過ぎ阿武隈川だったか北上川を遡上するヘリコプターからの津波のリアルタイムの映像を観た、逃げ惑う車が次々呑まれていく衝撃的なシーンにTVの前から離れられなくなった。

首都圏の交通はマヒ、金曜日でもあるので徒歩で帰る決意をしました。Googlマップではおよそ40Kmの道のり、すべて歩いて8時間から10時間で自宅に帰れるだろう。そのうち電車も復旧するかもしれないしと・・・・およそ25Km溝の口まで約5~6時間歩いた時、東急電車が動き始め私は何とかその日のうちに帰ることができた。

3.11はあの日あの時どうしたか?誰に聞いてもあの日の出来事は皆それぞれ覚えている。皆忘れられない一日となった。

大地震と大津波による死者・行方不明者は1万8千人を超える。
多くの日本人と同じく私も何気なく続いていた日常生活が、突然断ち切られ、ふと人間が生きているということの意味を考えさせられるようになった。
 3.11で同じような感覚をもった人は多かったと思う。民族として極めて貴重な経験であって、試練の中で体得した思考が、これからの日本人および日本の在り方の根本を支えるものとなっていくような気がする。
竹田恒泰さん曰くあの日を境に日本人が日本人を好きになったのかもしれない。
パニックにならず、助け合い譲り合い、震災直後の津波にのまれた旅館から3日後自衛隊に助けられた老経営者が、また「再建しましょう!」という前向きの言葉・・・
略奪や混乱がほとんど起きなかった秩序正しい日本人を見て、世界中が日本を絶賛した。日本人は世界に誇れる民度をもつことをやっと自覚するきっかけとなった。
また、東日本大震災が発生した結果、東北地域の日本の部品工場が止まっただけで、世界中の物流や生産工場が止まった。世界は日本なしでは生産や経済が回らないことを証明するきっかけとなった。
そして、日本人も世界も、身を粉にして働く公務員や自衛隊や米軍の頼もしい姿に皆感動した。戦後日本の鬼っことして肩身の狭い思いをしてきた自衛隊が、国民の誇りとかわるきっかけとなった。
戦後長く続いてきた日本人の思考の「戦後的なるもの」を打ち砕くだき、戦後の高度経済成長時代に出来上がってしまった、愛国心を持たない日本人の国家観を変えるものになった。
日本という国家のかたちも、中国や韓国・北朝鮮と安全保障の環境の変化の中で大きく変更していかなければならなくなっている。この世の無常という感じに深く襲われていたことも影響したかもしれないが、大震災の惨禍は、普通に生きている人々にも国家とは何か?、自衛隊とは何か?皇室とは何か?そして日本人とは何かを考えさせたに違いない。

よくも悪くも日本の行く末をに対して危機感を持ったと思う。

私が忌み嫌う反原発派の人達もある意味では危機感を持ったのであろう。

だが、彼らの存在こそが福島風評被害の根幹である。原発は嫌だと言う心情が福島県産の農作物を避ける風潮をつくっているのだ。



執筆中
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江戸文化研究の第一人者石川英輔さんの新刊である。
そのなかで目に付いたのが拳というあそびである。

よく時代劇で芸者衆がお客さんと遊んでいるシーンがあるが、わたしの記憶ではたいてい、庄屋(権力)・きつね(妖術)・猟師(鉄砲)の三竦みである藤八拳をやっている気がする。今じゃ単純な遊びであるじゃんけんが、なぜ江戸時代じゃんけんが流行ったのか・・・そのルーツと発展についての興味ある話でした。

心理ゲームだった拳

江戸時代に流行した遊びに「拳」がある。

今では、土佐の箸拳などを例外として、人が手を使って「打つ」ことで勝負を争う遊びにはジャンケンしかない。特殊なのはあるかもしれないが、誰でも知っているのはほかにないだろう。だが、ジャンケンは順番を決めるときにするぐらいで、ジャンケンそのものをゲームとして楽しむことはない。あまり単純すぎて、勝負にテクニックを使う余地が少ないからだ。

ところが、江戸時代に流行した拳は複雑で、高度の心理的かけひきが必要なため、名人と並みの腕前の人が対戦すれば、並みの人ではまったく勝ち目がなかったそうだ。こうなると、少しでも強くなりたいという人がいて当然だから、専門の師匠がいたり、そこへ入門して修業する人も現れた。

芸者衆も、拳好きな客が増えれば自分も打てないと商売にならないから、師匠について習う人が大勢いたそうだ。芸者衆の場合は、負けて「罰杯」を飲まされると体をこわす心配があるから、かなり真剣に稽古したようだ。

中国渡来の本拳
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 日本人が拳を打つようになったのは寛永年間(一六二四~四四)頃からで、長崎の清国人に教わったのが最初だった。二人で向き合ってジャッケンのような動きをしながら、指を一本から五本まで出して勝負を決めるのだが、数が多い方が勝つのではない。手を出すと同時に、両者が出した指の数の合計を予測し、その数を声に出していい合うのだ。

たとえば、自分か三本出しながら「八」といい、相手が五本出しながら「六」といったとすれば、3+5=8だから、自分の勝ち。自分が一本出して「三」といい、相手が三本出しながら「四」といえば、1+3=4だから、相手の勝ち。どちらも合っていなければ引き分けとなる。

これが日本の拳の原形なので、「本拳」と呼んだが、数をいうのに普通の日本語を使わず、清国語まがいの数の呼び方をしてエキゾチックな雰囲気を楽しんだ。ご参考までに、清国語風の呼び方の一例をあげておこう。

1=夕二。 2=リャン。 3=サンナ。4=スウ。 5=ウウ。 6=ロマ。 
7=ハマ。 8=チャマ。 9=キウ。 10=トウライ。 O=ナシ。

三竦み拳

長崎から本挙が各地に広まり、拳の面白さがわかる人が増えると、いつものことながら外国文化の日本化か始まり、拳の遊び方はもともと日本にあった「三竦み拳」に向かった。シャンケンも三竦み拳の一種だが、石は鋏より強く、鋏は紙より強く、紙は石より強いというように、絶対的な強者も弱者もなく、三者ともこわい相手があるので三諌みというのである。

三竦み拳の原形は「虫拳」といって、千年以上前からあったそうだが、人さし指を蛇、親指を蛙、小指を蛞蝓(なめくじ)として打つ。蛇は蛙より強く、蛙は蛞蝓より強く、蛞蝓は蛇より強い三竦み関係で勝負する。なぜか、日本では昔から蛇は蛞蝓が苦手ということになっているのだそうだ。
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 明治時代まで、虫拳はジャンケンと同じように誰でも知っていたがヽなぜか二十世紀に入った頃から忘れられて、ジャンケンだけが残った。

芝居のような虎拳

三竦み拳は、次第に複雑になっていった。

「虎拳」は、和藤内、虎、老母の三竦みである。和藤内は、近松門左衛門の『国性爺合戦』の主人公で、鄭成功という実在の人物をモデルにしているが、虎退治をした豪傑ということになっている。

だから、和藤内は虎より強く、虎は老母より強いが、豪傑の和藤内も老母には勝てないという三竦み関係になっている。

拳といっても、手首から先だけでなく全身で演技するが、屏風の両側に控えた人が、和唐内、虎、老母のいずれかの格好をしながら、三味線の伴奏に合わせて進み出る。

和藤内なら豪傑らしく威張って、虎なら四つ這いになり、老母なら腰を曲げて扇子を杖につく、というように、それぞれが工夫して演技しながら屏風から出る。そこで顔を見合わせてはじめて勝負がわかるという趣向だ。

勝負する当事者以外は、二人の演技を根から見ているので、あらかじめ勝敗は見えているから面白かったと思う。
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 こうなると、ジャンケンや虫拳と違って、一種の芝居をやることになるが、本物の芝居ではないから、演技が下手でもそれなりに面白いはずだ。昭和二十年代の東京でも、花柳界での芸者遊びとして流行ったそうだ。

 狐拳から藤八拳へ

十九世紀から明治時代にかけて大流行したのが、「狐拳」から発展した「藤八拳」である。

狐拳は、庄屋、猟師、狐の三竦みで、庄屋は猟師より強く、猟師は狐より強く、狐は庄屋をだませるので強い。最初のうちは、庄屋は両手を膝についてそっくり返り、猟師は鉄砲を構えるまねし、狐は犬のお座りのようなポーズ、を取るなど、全身で演技したらしいが、次第に簡略化して手の形で打つようになった。
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 さらに三回続けて勝たないと勝ちにならないようにした。

私のように勝負ごとが苦手で勘の悪い者は、いくら説明を読んでも面白さが飲み込めないどころか、ルールもよく飲み込めないので、藤八拳の説明はパスするが、声のかけ方、続けて打つ場合の手の動かし方などに複雑なルールがあって、のめり込むとよほど面白かったらしい。

最盛期には、「拳角力」と呼んで、手には「拳錦」という化粧まわしのような布をつけ、小型の土俵のような台の上で打った。いかにも江戸時代らしい、安上がりなゲームだった。
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勝ち負けを決める必要があるとき、じゃんけんは世界一シンプルで公平な勝ち負けを決定する手段だと思います。

このグーチョキパーのじゃんけんの歴史はそんなに古くはない。江戸の終わりから明治の初めに日本で完成し当時の超大国大英帝国を中心に世界に拡がったようだ。日本の海外発展や柔道など日本武道の世界的普及、日本産のサブカルチャー(漫画、アニメ、コンピュータゲームなど)の隆盛などに伴って急速に世界中に拡がりじゃんけんは、いまやRock-paper-scissorsとして全世界に広がっている。

三竦みの力の均衡という思想は古来日本の知恵である。

三竦みの原点はあるいは諸葛孔明の天下三分の計かもしれないが、古代日本より伝わる三竦みほど、すばらしいパワーバランスはない。

これを日本・中国・アメリカに置き換えようじゃないか!日本はアメリカには勝てないので日本は中国に勝たなければならないのだ!そうでなければパワーバランスは取れないのである。

憲法9条など、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経と同じお題目にすぎない。
世界平和を保つには三竦みを応用したパワーバランスを仕組むべきなのかもしれません。


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慶応大学法学部でいま一番人気のある講義が片山杜秀准教授の政治学です。片山さんといえば、気鋭の音楽評論家、怪物世代のサブカルの達人、戦前の日本の右翼の研究家、とさまざまな顔を持っています。そのどれにも収まりきらない「言論界のゴジラ」の全貌を伝える衝撃的な大冊が遂に出現します。本書は、週刊「SPA!」の片隅に世紀をまたいで連載されたコラムが元になっています。軽快無類、博覧強記、快刀乱麻の筆さばきで、ことの本質を掴み、沈没しかかった日本に喝を入れていきます。評論家や文化人100人分の咀嚼(そしゃく)力、世界と時代を透視するヒントが満載の「知の宝船」で、東京スカイツリーもその破壊力におののいているというのが、もっぱらの噂です。(HH)
 
 
 
 
 
 
 
 

『ゴジラと日の丸 片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全』片山杜秀著【MSN産経】

2011.1.15 07:50
■「失われた20年」の処方箋
 慶応大学法学部でいま一番人気があるのが、片山杜秀(もりひで)准教授の政治学です。『ゴジラと日の丸』のゲラを渡しがてら、三田の山で片山さんの講義を聴いてみました。第一次世界大戦の青島(チンタオ)攻撃で日本軍が、乃木希典(のぎ・まれすけ)の旅順攻撃の時とは比較にならない弾薬を短時日で消費したことの講義でした。リズムのある語り口で朗々と説明していきます。大教室にはふさわしくない話題ではと思っていると、これが近代日本の運命に深く関わっていくことがわかって、お見事なのです。

 片山さんは多羅尾伴内のようにいくつもの顔を持っています。気鋭の音楽評論家であり、怪獣世代のサブカルの達人であり、戦前の右翼思想の研究家でもあります。そして、そのどれにも収まりきれない、いっそ「言論界のゴジラ」と呼んでしまうのが一番ふさわしい「知の巨人」です。

 この本を読み進めると、片山さんの体内には4つの暦があることがわかります。昭和平成という年号、西暦は当然として、さらに紀元二千六百年(昭和15年)を基点とした「もうひとつの日本」と、ノストラダムスの大予言を小学生で知って戦慄した世代らしく1999年を節目とする視点です。世代の刻印を帯びながら、大日本帝国も日本国も見据えることができる頭脳がとうとう出現しました。
 このコラム集はもともと扶桑社の週刊誌『SPA!』に世紀を跨(また)いで連載されました。バブル崩壊以降の「失われた20年」の淀(よど)みきった日本をこれほど鮮やかに分析し、処方箋を書いた本はおそらくないでしょう。
 
SPAのコラムは毎回面白かったが、SPA自体を最近読まなくなったせいか片山准教授のコラムに遠ざかっていた。
改めてこの600P弱の書籍として読むとその圧倒的な「知」に敬服してしまう。
Ddogと片山准教授は奇しくも同い年である、本コラムを読み進めると、私がなぜただのサラリーマンに甘んじているか思い知らされてしまう。
圧倒的に知の蓄積が段違いに違うのだ・・・・私は素直に敗北を認め、少しでも片山准教授に近づけるよう日々精進せねばと思う次第です。
 
"怒れる若者たち"が日本を破壊する 日本は小沢一郎の"調理場"か?
94-11-16
日本新党が、結党以来、初の党大会で、はやくも解散を宣言した。党代表、細川護煕日く「日本の、ベルリンの壁。ともいうべき五五年体制を崩壊させ、つとめを果たしたので解散する」とのこと。

なるほど、日本新党は五五年体制を壊した。が、彼らはその後、日本をどうしたいか、まるで考えていなかった。ヴィジョンがなかった。おかげで、もともと、いい加減な国だった日本は、ますますメチャクチャになった。だからぼくは、日本新党とは日本破壊党だったと言いたい。

もちろん、日本破壊党と呼ばれるべきなのは、日本新党だけじゃない。小沢一郎らの新生党も同じだ。小沢の著作『日本改造計画』を読んだけれど、そこには、五五年体制にとって代わるだけのヴィジョンがあるとは思われない。
今度、日本新党や新生党などの人々は、大同団結して新・新党を作るという。では、この新・新党にこそ、新しい日本建設のためのヴィジヨンの提示を期待できるか?答えは否だ。細川や小沢は、どこまでいっても単なる壊し屋にすぎないと、ぼくは思う。その理由は簡単。細川や小沢は、ズバリ「怒れる若者たち」の世代に属しているのだもの。

では、「怒れる若者たち」とは何者なのか?彼らは、一九五〇年代後半のイギリスに初めて登場し、六〇年代の日本にも波及した。この若者たちを特徴づけるのは、既存の社会秩序や政治体制を打破したいのだが、といって、それに代わるどんなヴィジョンも持ちえない点だ。

彼らの世代は、革命により世界をつくり変えるなんて類の物語を、その前までの世代のようには信じられない。つまり、信念に乏しく、ヴィジョンに欠ける。が、その後の世代のように、世界を壊すなんて面倒だと、まだシラケてはいない。
やはり、既存の秩序は壊されるべきなのだ。よって「怒れる若者たち」は、破壊はしたがるが、その後の責任をとれぬ人々、単なる壊し屋になるほかはない。破壊衝動だけが横溢した世代なのだ。
 
イギリスにおける、こんな「怒れる若者たち」の存在は、たとえばA・ウェスカーの戯曲『調理場』一九五九年)により、世界に示された。その主人公の「怒れる若者」は、「おまえはどうしたいんだ?何が欲しいんだ?」との問いかけに一切答えられず、ただ自らの生きる世界を、徹底的に破壊する。
 
この『調理場』は、六三年には日本初演され、青年層の共感を呼んで、以後、日本にも「怒れる若者たち」の時代がおとずれる。そのシンポルとなったのは、たとえば原田芳雄、岸田森、高橋幸治、高橋長英、草野大悟ら、一様に暗い情熱をたたえた、当時の青年俳優たちだった。
 
そして、歳月が経過し、「怒れる若者たち」の世代は、ついに政界の頂点に上りつめた。何しろ、小沢一郎は原田芳雄の二歳年下、細川護熈は故岸田森の一歳年上だったりするのである。彼らは案の定、その先のヴィジョンのないまま、日本を破壊した。いや、これからも破壊するだろう。今後、彼らが何をしでかすか?日本はどこまで壊れるのか?それが心底こわい。
片山氏の危惧は不幸にも実現してしまった。94年当時私は小沢に期待していた。
憲法9条と東京裁判史観にどっぷり浸かる日本を普通の国へと誘ってくれるのではないか?田中角栄の意思を継ぐのは小沢だろうと期待していた。小沢は私のような保守派の人間の期待を裏切った。単なる権力闘争に勝利することにしか興味を持たない男だったのである。なるほどその理由は『細川や小沢は、ズバリ「怒れる若者たち」の世代に属している』そうであったのか!
 
 
戦後の年の数え方 95-01-18
一九九五年になった。人は今年を戦後五十年と呼ぶ。が、本当にそうか?・
ためしに、『広辞苑』から「戦後」の項目を引こう。そこにはこうある。

「戦後=戦争の終ったあと。特に第二次大戦の終ったあと」ふむ。なら、第二次大戦終結は一九四五年ゆえ、今年は戦後五十年に違いないらしい。
(略)

ここに『経世瑣言(けいせいさげん)』なる本がある。著者は昭和を代表する石翼人、安岡正篤。内容は時事間題エッセイ集で、その目次を見ると、収録諸文章の書かれた年代により、戦前編、戦後編に割ってある。

ならば皆さん、この本は、長年書きためた文章をまとめ、戦争終結後に出版したと思うだろう。ところが、この本、戦争たけなわの一九四四年に出ているんですね。
えっ、それは何かの間違いだろって?いいえ、実は戦後な全言葉には『広辞苑』の記載と別の意味もあるのだ。「戦争の始まったあと、特に『支那事変』の始まったあと」という惨昧.が、その意味での戦後という言葉は、安岡にかぎらず、けっこう広く使われていた。だから戦争中は既に戦後であった1その意味での戦後五十年はとうの昔に過ぎ去っていたのだ。どうだ、参ったか!

しかし、ここで次の如き疑問が湧かないだろうか。戦争の始まったあとを戦後と呼んだ安岡らは、戦争の終わったあとをどう呼ぶつもりだったのか。

当時の志のある日本人は、大東亜戦争とは此界の植民地化を図る欧米を倒し、世界を真の正義で建て直す戦争と信じていた。というか、そう信じたかった。が、その道は遠い。戦いは無限に続くだろう。だから、太平洋戦争は永久戦争になる。よって、この戦争に始まりはあっても終わりはない。ゆえに、戦争の終わったあとという意味での戦後なんて、とりあえずは不要だったのだ。

思うにこのとき、日本人は偉かったのだろう。むろん、戦争中の日本人は、アジア各地で正義の名に恥じる蛮行を働いた。その罪、反省しきれはしない。が、それを承知で一言う。

そのときの日本人の少なくとも一部には、永久に正義を貫徹せんとする不屈の志があった。今みたいに、暖昧で、優柔不断ではなく、世界からなめられはしなかった。
が、この志は見事くじけた。それをくじいたのは、端的には原爆の投下という世界史的な大ショックである。すべてを瞬間に打ち砕く原爆が、日本人の永久の闘争意思すらも去勢したのだ。

以来、去勢された日本人は当然腑抜けとなり、『広辞苑』に出ている意味での戦後がだらしなく始まって、それは今日まで、のんべんだらりと続いている。
 
ここで改めて問おう。今年は戦後五十年か?・それはその通り。が、いつまでも、腑抜けの子の年を数えていても仕方がない。それより我々は、永久に理想に突き進む、不屈の志に満ちていた子の年のほうを数えるべきだ。そして、志のかけらもない、今の日本を見つめなおす契機とすべきだ。
だから、今年を戦後五十年とは呼びたくない。
 戦後五十年目でもお涙頂戴?――『きけ、わだつみの声』と『ひめゆりの塔』
95-06-14
日本映画界が敗戦五十年を記念し、戦争の時代を回顧すべ、送り出す映画は、めばしいところでは次の二つのリメーク作品だけらしい。すなわち巨匠、黒澤明門下、出目昌伸監督の『きけ、わだつみの声』と、左翼ヒューマニスト、神山征一郎監督の『ひめゆりの塔』である。
 
 
(略)

当時の日本の若者を戦争の被害者として位置づけ、彼らがわけもわからぬまま歴史の歯車に巻き込去れ、とっても哀れに死んでゆくって調子の、お涙頂戴風のストーリーを仕立てている。

確かに学徒出陣や女子看護部隊の物語は、長く語り継がれるべき悲劇だし、それが、その時々を代表する若手俳優たちによって繰り返しリメークされ、戦争を知らない若い客層に新鮮な伝わり方をするのは意義深い。
が、敗戦五十年に、その手の映画しかできないとなると、これは問題だ。
映画とは大画面、大スケールで、圧倒的にパワフルに歴史の大きな流れを描ける、依然として唯一のメディアなのだ。

そして次に、太平洋戦争がなぜ起き、どんな推移をたどったのかが学校教育でロクに教えられず、多くの国民が戦争の全体像を知らずにいるとの、明白な現実がある。

ならば、結論は決まっている。今年、日本映画界は、太平洋戦争の全体像を、正面から描く、歴史大作を作らねばならなかっのだ、アジアを代表して白人世界に挑戦した英雄国家、かつ、アジア民衆をいじめ抜いた極悪非道国家こうした二つの顔を持った怪しげな国、大日本帝国の真実を、巨視的につかまえ、国民の前に、これが歴史だと大見得きって示すことのできる、大戦争映画が登場すべきだったのだ。

繰り返し述べよう。かわいそうな被害者として、わけもわからず死んでゆく若者たちを描くお涙頂戴映画なんて、正直、どうでもいいのである。大切なのは、天皇、政治家、右翼に軍人…、訳のわかった偉そうな大人たちが、白人への挑戦者、かつアジアに対する加害者として大暴れする映画なのだ。そういう大作を作ってこそ、映画というメディアの独白性を、胸を張って主張できたのだ。

 
ところが実際、出てくるのは『きけ、わだつみの声」と『ひめゆりの塔」だけ。実に嘆かわしい。かくして日本映画界は、敗戦五十年にあたって、自らに課せられていたはずの、戦争大作映画を国民に提供する責任を放棄した。予算がないのか、やる気がないのか知らないが、いい加減にしろよ!
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先日、ユーストリームで自分の自殺を中継した若者がいた。
 
自殺を煽る書き込みがあったと新聞では非難しているが、責任はすべて死んだ青年にあり、書き込んだ人間は煽ったのではなくむしろ、当人の魂と積極的に会話してあげて、結果は本人の魂が選択したと考えるべきです。
 



人間は死を決意した時「いったい自分が生きてきたのは何の為だったのか?」「死ねばどうなるのか?」「死後の世界はあるのか?」そういった「魂の痛みを感じていたのであろう」
 
私は書き込みを読んだわけではないが、掲示板は迷える病んだ魂を、死の決断をさせることで、むしろ救ったのではないか?とも思う。宗教も共同体が無い日本では、魂が病んだまま生き続けても救われる可能性が薄い。むしろ過酷なことかもしれません。最後にネットで自殺を中継することで、死しても残る自分の存在(魂)を証明したかったのではなかろうか?多くの人に自分の存在を認識してもらい、彼の魂はある意味で救われたのかもしれません。
 
新興宗教にでも縋れば命は救われたかもしれないだろうが、その魂が本当に救われたかはわからない。日本人的現実主義的価値観の持ち主であれば、新興宗教に縋るくらいなら潔い死を選ぶのも選択肢であろう。
 
話が横道にそれてしまいました。「現代霊性論」第一章から
p12
かつてエマニュエル・レヴィナス(1906~1995)が「神についての現象学」は可能かと問うたときの問題意識と通じるものだろうと私は思います。私たちは神を見ることができません。神の声を聴くこともできません。けれども、神があたかも臨在しているかのように、自分のすぐ近くにいて、自分の一挙手一投足の倫理的意味を絶えず見つめているかのように思考し、判断し、行動する人々は私たちの周囲に何億人(もつとかもしれません)と存在します。そして、彼らの判断や行動の規矩となっている「神」が構造的な同一性を維持して繰り返し再帰するものであるならば、私たちはその神がどのように人間たちに影響を及ぼしているのかについての経験知を学的に体系化することができるはずです。
私たちの世界の政治指導者の多くは深い信仰を持っています。そして、彼らの政治的決断にはしばしばその信仰が決定的な影響を及ぼしています。「神は私のこのふるまいをどうご覧になるだろう」という内省を伴いながら政治的決断を下す人がおり、その決断が私たちの世界の実状を具体的に変容させることがあるとすれば、国際政治もまた「霊的現象」の一力テゴリーとして考察することが可能ではないかと私は思います。
 我が家の”座敷わらし”さんも存在すると思えば、存在するだろうし、「そんなもの居るか?」と思えば存在しないのであろう。
 
ただ、私個人的には、我々が現在住むこの4次元宇宙には多次元が畳み込まれているとの最新の宇宙論からすれば、霊魂と呼ばれる電気的信号が別な次元に畳み込まれて時々我々の4次元空間と交差することだってあるかもしれない。そういった科学的現象を心霊現象と呼ぶのではないかとも思っています。
 
しかしながら、このお二人は、。賢明な選択ではありますが、俗に言う幽霊の存在を肯定するほど度胸がないようです。そのかわり、WHOの権威を借り以下のことを書いてあります。
 
15
“Health is a dymmic state of complete physical,mental,spiritual and social well-being and not mercly the absene of disease or infirmity”
「健康とは、完全な肉体的、精神的、霊的及び社会的福祉の活力ある状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」

WHOの委員会でこのように「健康の定義」がなされたんですね。それまでWHOは、「肉体と精神の健康一ということを大きなテーマにしていたんですが、人間は肉体と精神が健康であれば幸せかと言うと、そうじゃないだろう、WHOは人間の幸せを考える機関なのだから、もつとスピリチュアルな、霊的な問題をも取り上げよう、と。つまり、人間が幸せであるという状態は、肉体的にも精神的にも霊的にも健康であると考えよう、という話にな
ったんですね。まあ、しかしこれ、残念ながら、1999年のWHA(世界保健総会)という、WHOの最高意思決定機関で否決されまして……。
これは釈先生の言でしたが、残念ながら ではなく、霊とは依然科学で証明されてない存在なのですから、当然否定すべきと思います。WHAは正しい。
 
日本の祖霊信仰について
 
平安時代末期卜部兼友曰く「この世界この空間には、霊性が満ち満ちておる。虚空がすなわち神であり、それが霊性。この霊性というものを守るのが神道である」 (p17~18)日本の近代まで「死んだ霊は、大いなる全体へと還る」という考え方が一般的であった。神道でもちゃんと祖先を祭ると「祖霊」となり、家を存続させる理由であったという。なるほど、日本は中国や朝鮮と異なり、生物学的嫡子に拘らず、婿養子や養子を取り家を存続される理由を理解した。
 
日本特有の生死観
人が死んだ当初は荒(新)御魂(あらみたま)その後お祀りすることで和御魂(にぎみたま)、穏やかな霊魂となり、33年から50年かけてついには祖霊となる。(p22)
 
ちなみに祀られない霊は鬼になったり魑魅魍魎(ちみもうりょう)となってしまうと考えられた。
 
第二章 名前は呪い
p36~37
釈:こうして私が、「現代霊性論」という名前の講義を、これからどういう手順で話を進めようかなあと考える。もうこの時点で、内田先生の「呪い」にかかってるんですね。「名前を与えられる」というのは、規定づけられる、縛られる、ってことですから。宗教学的に言うと、「名前は呪術の機能を持つ」ということになります。

岡野玲子さんの『陰陽師』ってマンガがあるでしょ。そこに「名はシュである」と出てきます。「シュ」というのは「咒」と書くんですが、これ、「呪」の異体字なんです。名前を与えられるという行為は、無記性のところに「何か縛りを与える」ということです。すなわちそれは「呪い」になるんですdほら、あの宮崎駿アニメの『千と千尋の神隠し』だって、主人公の女の子が「千尋」という名前を奪われて、「千」っていう名前をつけられるでしょ。
あれはもう、呪いをかけられている象徴的なシーンですよね。自分の名前を思い出すまで、魔女の湯婆婆の呪いは解けない苗お伽噺とか昔話でも、名前を知られると負けるとか、名前を呼ばれて返事したら死ぬとか、壷の中に吸い込まれるとかあります。
内田:『西遊記』にもありますね。
釈:そうです。名前の呪術性を表す話はたくさんあります。たとえば、その辺の何でもない田舎の道に「ロマンチック街道」つてつけたら、みんなデートして歩きだしたりするでしょ。大阪ミナミにある「アメリカ村」なんかもそうです。私がまだ子どもの時分は、ふつうの住宅地に小学校があったりして、お店もまばらな場所でした。ところが最初に「アメリカ村」と呼びだした人たちの頭がよかったんでしょうねむ「アメリカ村」と名づけたら、それらしい店がたくさん集まってきた。「アメリカ村」に本格的な日本割烹の店を出そうというヤツはあんまりいてないわけです。名前にあった「縛り」がかけられていくんですね。
日本でも明治維新以降、国民はみんな名字と名前をつけられますけど、これはつまり、一個人一という縛りがなかったら近代は成立しないということです口十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて誕生した「国民国家一は、個人という縛りがあって初めて成立します。だから、日本が近代国家を目指したときに、最初に政府は何をやったかというと、名前をつけさせたわけですね。だいたい個人を特定できなかったら、徴税も徴兵もできないわけです。
全員が名字と名前を名乗ることによつて、近代の呪縛が始まったわけですね。
釈教授が名前の呪術性について
岡野玲子さんの『陰陽師』を例にだしてp36で説明しているにもかかわらず、今度はp47で内田が今度は自分の説の補強に『陰陽師』を使った・・・・なんだろうね内田先生は・・・別の例をだせばいいのに・・
p47
釈:「名前は呪い」ですからね。
内田:そう、「名前は呪い」。岡野玲子さんの『陰陽師』にも出てくるように、相手の固有名を知ることができれば、呪いにかけて生殺与奪の権を握ることができる。

固有名を呼ぶのを憚るというのは、任侠の世界もそうなんです。「これは清水の」「おう黒駒の」「大前田のお貸元」なんて呼び合うでしょう。清水次郎長の本名は「山本長五郎」っていうんですけれど、それは任侠の世界では誰も口にすることが許されない。呼ぶときは「清水のお貸元」というふうに地名職名で迂回的に名指す。「おう勝蔵」「なんだ長五郎」と言ったら、いきなり斬り合いですよ。
釈:そうなんですか。
内田:知らないけど(笑)。映画で見てるだけですからね。でも、呼び名が個人を特定可能なところまで狭くすると、関係が抜き差しならないものになるのはどこでも一緒でしょ。
ちょっといいかげんだなぁ・・・
葬式をやらないはは許されない
p58~60
たとえば今でも、親が死んだときに「オレは霊なんて信じないから、葬式やんないよ」という人はいないわけです。というのは、日本社会では葬式をやらなければ、「君は親が死んだのに葬式を出さないのか」「墓にも埋めないのか」と、杜会生活が営めないくらいの圧力を受けるから。「現実主義」的に霊的生活を否定すると、「現実」に生きていけないという事実がある。だとすれば、この「現実主義」なるものは、あまり「現実」に対応していないと
いうことになる。

釈:死者儀礼に関しては、信仰よりも先にありますからね。かつての日本に宥けるそのあたりの文化を知るのにちょうどいい事例があります。小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)の『肯大の場合』という小説です。これは日本人の宗教観を考察するのにも非常に示唆に富む話です。

あるところに、お大という家族に死に別れた娘が、一人で暮らしていた。彼女は食べていくために女性宣教師の助手となり、クリスチャンになるんです。それで宣教師は彼女に、「仏壇・位牌・過去帳などを捨てるように」と指示します。お大はそれに従って、泣きながら先祖や両親や弟の位牌・過去帳を川に流してしまいます。しかしお大がクリスチャンになったり、宣教師の助手になっても、何の批判もしなかった村人たちが、この行為を厳しくとがめます。「汚れた畜生」「犬猫以下の人間」と罵倒し、みんなが無視するようになります。

お大は宣教師から解雇された後、誰からも援助が受けられず女郎屋へ行くのですが、そこの主人に、「うちの商売はね、とてもじゃないが、人様の前でえばって言える商売じゃないさ。けどね、こんな商売でも、おまえさんのようなことをした女は、うちじゃ引き受けられないんだよ。おまえさんのような人を家で出したら、お客さんは一人も来て下さらなくなるからね」と言い放たれ、お大は松江にいられなくなり、大阪の苦界へと消えていきます。
これは実際に松江で起こった事件を題材にしています。この『お大の場合』という事例は、日本人の「個人の信仰は認めるが、先祖を祀るという共有行為様式からはずれた者は人間としての文脈をも放棄することとなる」という霊性観を表している主言えるでしょう。ハーンは的確に日本の宗教土壊を見通していたと思いますね。
つい100年前までの日本には、宗教的戒律などは無いに等しいが、規範が存在していた。
明治時代に、江戸時代まで続いた規範から、日清日露戦争の戦勝によって天皇を中心とした擬似家族制へその規範を遷移することに成功したのだが、大東亜戦争において敗戦を喫し天皇を頂点とした擬似家族制は否定された。結果、日本は無規範社会となった。
 
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p79~81
幻想を叩いて、目本を沈滞させた日経キャンペーン
成果主義を批判してきた高橋伸夫氏の議論とは、実はきわめて常識的なものだった。
『誤解を恐れずに塑言すれば、単純な「賃金による動機づけ」は科学的根拠のない迷信である。この迷信の呪縛から抜け出さないかぎり、本当のことは見えてこない。望ましい動機づけの話と望ましい賃金制度の語は、本来は別次元の話である』(『虚妄の成果主義』)

誰が見ても能力がある社員や、誰が見ても成果の上がらない社員は評価上それほど問題ではない。問題はグレーゾーンの社員なのだ。では、日本の企業で行われてきた動機づけは何だったのだろうか。高橋氏は次のように述べている。

「日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだということである。仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルでもあった」
 
こうして見てくると、「三種の神器」といわれる日本の特質を不況の原因として攻撃するのも、馬鹿げたシャドウ・ボクシングのようなものだった。いや、シャドウ・ボクシングならば身体を引き締め、筋力を強化することが可能だ。「三種の神器」をめぐる見当違いの過大評価と過剰攻撃は、日本経済の良質な現場主義すらも毀損させ、さらには「日本的」への執働な攻撃が、国民の気力をも減退させてしまった。
 
奇妙な議論は、企業会計についても行われてきた。ことに「時価会計」は歴史的にみて必然であるかのように論じられているが、アメリカは二年にそれまでの時価会計を放棄し、93年になるまで取得原価会計を採ってきた。しかも、時価会計は金融商品の一部に適用されていたにすぎない。そして、2008年秋にリーマン・ショックが起こるや、アメリカは世界を巻き込んで時価会計基準の緩和に乗りだすことになる。
 
時価会計はそのときどきの資産を計るのには有効でも、激しい経済変動期には経済を混乱させ不正を生み出す危険性をもつ。会計制度には状況的な判断がつねに必要だ。別に日本が特殊だから、取得原価主義を採ってきたのではないのだ。
 
また、「日本的経営」の代替案として日本経済新聞社が称揚してきた「アメリカ型コーポレート・ガバナンス」も、エンロンおよびワールドコム事件で疑問視されるにいたった。取締役会と経営執行部を分離するのがアメリカ型の素晴らしい成果だと喧伝してきたが、蓋をあけてみると取締役会会長と経営最高責任者は8割以上の企業において同一人物であり、経営の暴走を制御することになっていた社外取締役も、その多くが会長兼経営最高責任者の友人ないしは仲間だった。
 
このような現実が次々と明らかになっても、日本経済新聞社の各紙は成果主義時価会計アメリカ型コーポレート・ガバナンスの推奨キャンペーンをやめようとしなかった。
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC 成果主義の理念は理解できるが、ただ事実・結果として成果主義が日本を徹底的に破壊したと言って過言ではない。
 
日本においては規範(善悪の判断基準)を示す宗教が無く、村社会や擬似家族性である天皇制、そして教育勅語も無くなった日本にとって、規範を示す基準は、機能集団である企業社会が規範を維持していた。ところが、成果主義は日本における社会共同体の代りであった企業共同体を破壊し、単なる給料を貰う場所にしてしまったのだ。
 
自分の居場所を無くすということは、無規範=アノミー社会へと陥り、日本の社会が崩壊してしまったのです。後を絶たない幼児虐待、マツダ工場内暴走事件などの通り魔事件、秋葉原通り魔事件などなど、日本がアノミー社会であるがゆえの事件と言っても過言ではない。(なお中国は日本よりも徹底したアノミー社会である)
  
成果主義を導入しようとした時点で、現場では問題アリと声が上がっていた。成果主義の問題点は、極端に平等を尊ぶ日本には納得できる評価が不可能な成果主義は日本社会では機能しないのだ。
 
日経新聞はビジネスマンたるもの読んで当たり前、そしてまともなビジネスマンなら誰でも日経新聞に対して批評や異論の一つや二つは常に持っている。
 
ところが日経のキャンペーンに洗脳され成果主義導入のニューマ(空気)が出来上がっていったのだ。一旦出来上がると、これに反抗できる日本人は誰一人いない。
 
営業成績のように、一見結果が明らかになるものでも、例えば夕張支店と、港区白金台支店の営業マンを同じ土俵で評価するのですら、日本人は不公平を感じる、ましてルーティーンワークをしている人間を成果主義で評価するのは著しく難しい。
 
成果主義が導入されると、企業社会は公平な判断基準が無い為に、極端にイエスマンを増殖させ日本の企業活力が低下させていったのだ。(ちなみに、私は、イエスマンの対極にある為・・・・)日本企業の駄目な点は異論を封じ込めるのがチームワークだと勘違いし、上司の能力だと思い込んでいる無能な人間が多いことだろう。
 
日本経済を失速させた元凶は三種の神器(年功序列・終身雇用・企業内組合)ではなく、成果主義による企業の擬似家族性の崩壊であったと私は確信している。
 
成果主義に続き、日経新聞は日米構造協議、自動車協議、保険協議、NTTの接続料引き下げ問題、金融ビックバン、国債会計基準や、アメリカ型コーポレートガバナンスの導入に対する積極的な役割を果したのだ。
 
90年代日経新聞の教義は規制緩和=正義と成って行ったのである。日本の不況の原因=旧弊な日本の社会構造⇒構造改革/規制緩和=外圧を利用した構造改革=グローバルスタンダードの導入=米国の国家戦略といった構造になっていったのである。
 
 
奇妙な「年次改革要望書」の無視p142~144
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4166603760.jpgこうした対米姿勢のなかでも、あまりにも不白然なのが「年次改革要望書」の徹底した無視だろう。ノンフィクシヨン作家の関岡氏が2004年に『拒否できない日本』(文春新書)を刊行して以来、この「要望書」はアメリカが日本に要求する改革の概要と、同国の長期的な日本改造計両を把握する文書として人口に膾炙(かいしゃ)するようになった。

ところが、日本経済新聞系の媒体(日経四紙と日経地方経済面、日経プラスワン、日経マガジン)に「年次改革要望書」という言葉はたった一回しか登場していない。

しかも、この唯一の例も、2006年10月5日付の日本経済新聞夕刊のコラム「十字路」に外部の著者が書いた文章なのである。

周知のように「年次改革要望書」は93年の日米包括経済協議における合意に基づき、翌年から日米が互いに取り交わすようになった文書だが、その高圧的萎勢と実現の度合いからいって、アメリカ側から呆側に渡されたものが、事実上・日本への改革要求リストとなっていることは関岡氏が指摘してきた通りである。
もちろん「年次改革要望書」に書かれたことが、そのまますぐに実現するわけではないし、また、この要望書に日本を改造するような魔力が宿っているというのでもない。

しかし、この文書が、アメリカによる日本改造の進展度を測る文書として読めることは、まちがいないことだろう。

関岡氏の著作はロングセラーとなって、「年次改革要望書」はいまやアメリカの対米経済政策と日本の構造改革との関係を論じるさいのキーワードとなっている。それなのに、日本経済新聞がここまで頑なに言及しないというのは、いったいどのような理由によるものだろうか。

私は一部の安っぽい陰謀論者のように、「年次改革要望書」という言葉はアメリカの圧力でタブーとなっているなどという説は信じないし、事実、関岡氏が著作を刊行する以前にも、少なからざる媒体が「年次改革要望書」に言及しているのである。

残るのは、田中角栄金脈についてマスコミが、立花隆氏によってクローズアップされるまで新聞が取り上げようとせず、それ以後も立花氏の功績を距めたように、関岡氏の業績を無視したいからという理由だけだろう。

しかし、田中金脈については、すぐに共通認識事項となったことを思えば、日本経済新聞の「年次改革要望書」への徹底した無視はあまりにも異常というしかない。この要望書は、実は日本経済新聞の構造改革報道における「虎の巻」として重宝されていたせいではないのかと私には思えてしまう。
私は、陰謀論という考え方は大嫌いである。これは多くの日本の知識人達も同じであると思う。なぜならば、陰謀論者が語る陰謀論とは、我々の人智を超えた手の届かないところで行われる人間(=日本人)には出来ない芸当だといった意味が含まれているからだ。さらに、欧米の都市伝説に近い情報を真実だと思い込む愚かで無知な陰謀論者を知識層は軽蔑し無視する。
 
私は岩波文庫を読まないナンチャって知識層なので、こういった陰謀論トンデモ本を実は多量に読み込んでいる。だからからこそ、陰謀論者を馬鹿にするのだ。
 
陰謀論者が唱える、フリーメーソン・イルテミナ・300人委員会・シオン議定書」などのイカガワシイ陰謀の類と同じにされることが耐えられない為、陰謀という言葉を忌諱してしまう。
 
日本以外のまともな国は、国家戦略というものを持っている。その戦略というものはインテリジェンス活動も含め常に行われている。外交や政治的駆け引きを行い、国際政治の荒波を越える行為は当たり前の活動である。陰謀論者の陰謀と国家戦略=広義の陰謀は別物である。
 
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4532164753.jpgジョセフ・S・ナイJr博士はその著書の中で、、徹底して「他人に自分のしたいことをさせる」ためのイデオロギー戦略=ソフトパワーの事を述べています。ソフトパワーとは強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力であると言っています。
 
米国は、日本に構造改革すると、日本が景気がよくなるという、情報戦略を行ったに過ぎません。ある種のインテリジェンスですが、こういったものは戦略であって、陰謀ではない。ただ、日本にはその防御手段を持っていなかっただけで、日本が愚かなだけである。
そして、日経新聞は、米国のソフトパワー戦略の先棒を担がされてしまったのだ。
 
これが意図的であるならば、国家反逆罪に相当する。
 
本書はこのあと、IT革命キャンペーンの幻想と中国への熱狂を批判しています。にそして日経新聞の読み方、エピローグとして、民営化した郵便局がその当初の意図とは反対に、国債の保有比率が上がっていることなで、もう盛りだくさんの内容です。 是非ここから先は本書を手にとってお読み下さい。
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“日本最大の経済メディア”の錯誤
発行部数が300万を超す日本経済新聞はサラリーマンにとって欠かせない情報源であり、経済を中心とした出来事の分析や解説の手引きともなっている。では「バブル」や「IT革命」「グローバリズム」「中国経済」「成果主義」「構造改革」「リーマン・ショック」などの論争的なテーマについて、日本経済新聞はどのように報道してきたのだろうか。近年の紙面を綿密にたどり、迷走する論調とその背景を検証する。
 
 
p40~50
〈慎重な検査を重ね、病巣をいかに注意深く取り除くか。体全体に与える影響についての複数のシナリオを描き、もっともリスクの少ない方策を描かなければならないたぐいの事態だったのに、日銀は一直線に引き締めに走った。案の定、度重なる金融引き締めの副作用が噴出し始めた。それでも、日銀はなかなか政策の軸足を変えられなかった。バブル退治はそれほど日銀にとって大事だったのだ。80年代後半の「長すぎた金融緩和」がバブルを生む一因になったことへの悔悟。経済のプロを自認する集団が予想外の事態に遭遇し、冷静な判断力を失ったのだろうか〉
 
では、経済報道のプロである日本経済新聞は当時どのように論じていたのか。まず、89年5月20日に日銀が公定歩合引き上げを発表した翌日の社説である。

〈日銀は9年ぶりで公定歩合を引き上げることを決めた。引き上げ幅は0.75%とやや大幅。物価が上がり始め、円安・ドル高が進行する中では、日銀としては避けられない選択だった〉

この時点で、日本経済新聞は、公定歩合を引き上げることには〈避けられない選択〉として肯定的である。次に、公定歩合が5%を超えた90年3月20日の翌日の社説を見てみよう。

〈日銀は20日、公定歩合を1%引き上げ、年5.25%とした。これで日本も高金利時代を迎えることになる。今回の第四次利上げは、円安が進行し物価上昇の懸念が強まるなかでは避けられない選択だった〉 ここでも〈避けられない選択〉として、是認する姿勢を見せている。

そして、6%となった同年8月20日の翌日の社説は く日銀は第五次の公定歩合引き上げを実施した。これで公定歩合は六%と第二次石油危機以来の高水準になった。今回の利上げは、中東情勢の緊迫に伴って急上昇していた市場金利との差を埋めるもので、市場実勢追随の色合いが濃い〉というものだった。

かろうじて〈市場実勢追随の色合い〉とは述べているが、利上げを批判している様子はまるでない、それどころか、この利上げが国内経済の後退につながるなどとは、少しも考えていないのだ。日本経済新聞が心配なのはなによりも国際経済、とりわけアメリカ連邦準備制度理事会への影響なのである。同社説は続ける。
〈しかし、ここで考えなければならないのは、その国際的な影響である。米国景気の減速と原油価格上昇に伴うインフレ懸念で、米連邦準備理事会(FRB)はジレンマに陥っている。…(国内の)インフレ懸念を払拭するのは大事だが、少なくとも利上げ競争の先頭に立つのは避けるべきだ。いまの金融情勢からみれば「たかが公定歩合」かもしれないが、国際協調の原点に戻れば「されど公定歩合」なのである〉
驚くべきことに日本経済新聞は、バブル崩壊による急速な景気落ち込みが懸念されるこの時期に、心配なのは国内ではなくてアメリカ経済だと述べていた。ここに至っても、日本経済にはまだまだ楽観的だつたのだ。これでは、とても三重野を批判することなどできないだろう。
 
バブル潰しは金融だけでは足りないと主張
 
さらに、7章は「寓話になった土地神話」だが、ここでも「総量規制」と「地価税」が失策だったと論じて、そこからいささか牽強付会に教訓を引き出している。
 
まず、『犯意なき過ち』を読んでみよう。80年代の地価高騰はついに〈東京圏のマンション価格はサラリーマンの平均年収の8.9倍に達し、地価上昇を歓迎する声は小さくなる。持つ者と持たざる者の不公平に対する不満が渦巻き〉、90年4月には〈こんな空気に押され、〃劇薬〃とされた総量規制の導人はあっさりと決まり、むしろ遅すぎたと受け止められた〉。ところが〈その後、それまでの地価上昇分を帳消しにする下落が待ち受け、さらに大きく落ち込む事態〉になってしまった。
しかも、総量規制では十分でないとみた政府・与党からは税制を強化する案が急浮上し、大蔵省は「地価税」を新設し、また自治省は固定資産税の評価額を上げることで、土地の売買を押さえ込もうとした。そのため、〈企業や国民は2年後の94年から、国税である地価税と地方税である固定資産税のダブル増税に直面〉。すでに景気後退にあった日本経済をさらに冷え込ませることになった、というのが本書の描く当時の構図である。
〈政府税調の土地税制小委員長を務めた現一橋大学長の石弘光は「地価税は土地神話を壊すための恒久税のつもりだった。ところが財界などは地価高騰を抑える火消し役に過ぎないと考えていた」と同床異夢ぶりを打ち明ける。
 
地価税は九八年に税率ゼロ%となり、事実上廃止された。歴史に残るはずのヶ恒久””税は十年ももたずに消えた。「一生懸命バブルを消せば本体の経済はしっかりしていると思っていた。本体がこれほど腐っていたとは気付かなかった」。石の誤算は当時の関係者に共通している〉

しかし、この「誤算」も当時の日本経済新聞の主張に完全に当てはまる。90年4月4日付の社説は、次のように主張していたのではないのか。

〈地価高騰を支える二大元凶は金融と税制だった。金融については大蔵省が4月から不動産業向け融資を総融資の伸び率以下に抑える総量規制に踏み切ったのに加え、四次にわたる公定歩合の引き上げで超低金利時代に終止符を打ち、状況は変化しつつある。問題は税制である〉

劇薬であるはずの総量規制も支持し、急激な公定歩合の引き上げも賛成だった。さらに税制についても、同社説は次のように論じている。

〈政府税制調査会もようやく土地税制の見直しに向けて論議を始めようとしている。土地問題に対する税制の役割は補完的というのがこれまでの税調の一貫した流れだった。だが、異常な地価高騰にストップをかけるには税制を主役として活用しなければならない〉

これで、どうして大蔵省や日銀および政府税制調査会の「過ち」を指摘し、その「過ち」の経緯を偉そうにとくとくと解説できるのだろうか。
 
アリバイ的な自紙への言及
 
おそらく、こうした指摘に対して「犯意なき過ち」の取材班は、「そんなことはない、我々は日本経済新聞についても過ちは指摘している」というかもしれない。しかし、日本経済新聞についての言及は全体でたった三カ所。しかも、これまで見てきたような決定的な「過ち」とはいえないような点について、他紙と共に触れられているだけなのだ。
まず、3章の「幻想の債権大国」で、東京が国際金融センターになるとマスコミが予測したというくだりで、次のように述べている。

〈マスコミも新聞が「東京国際金融センターへの道」(1985年9月21日付朝日新聞)「国際金融センターになる東京」(1986年11月25日付読売新聞)、「オフショア市場創設の目標は何か」(85年4月4日付日本経済新聞)という見出しの社説を相次いで掲載。ビル建設ラッシュにわく国際都市トーキョーはテレビのニュースなどでも繰り返し焦点が当てられた〉

また、7章の「寓話になった土地神語」では、総量規制が解除されたときにマスコミがどのように反応したかについて次のように述べている。

〈それから一年半。日銀の金融引き締めも進み、一定の効果を上げたLとして、大蔵省は91年末に総量規制の解除を決めた。だが、多くの人は地価が再び上昇する恐れを抱き続け、土地神語を返上しようとはしなかった。一「解除に不安が残らないわけではない」(日本経済新聞)、「総量規制の解除はまだ早い」(朝日新聞)、「寝た子を起こさないために」(読売新聞)……。主な新聞の論調は地価の再騰貴に依然、懸念を示していた〉
 
(略)
 
歴史を書き換えているのは誰か

この『犯意なき過ち』は、〈犯意がなかったから過ちが許されるというのでは、バブルの教訓は生かされない〉などと健気なことをいっているが、実は「朝日新聞や読売新聞や毎日新聞も日本経済新聞と同じだった」 「あなたたちだって、私たちと同じだった」と繰り返し述べることで、読者を日本経済新聞と同じレベルに置き、「だから、仕方がなかったのですよ」と癒してくれる。本書は実は「経済癒し本」なのだ。と同時に、日本経済新聞を〈だれもが〉や〈だれにも〉の「だれ」と同じレベルに立たせることでかつての誤った報遺の責任を問う姿勢は暖昧になり、いつのまにか拡散してしまう。
ほかでもない、日本経済新聞が奇妙なのは、こうした最も重大な経済マスコミとしての責任問題に触れることなく、「みんなが」とか「ほとんどの人が」と述べて一般大衆と自らを同じ平面に置き、経済報道を専門としていたはずの自社の責任を、何食わぬ顔をして回避してしまっていることなのである
 
あきれたことに『犯意なき過ち』は、5章でこんなふうに大蔵省と日銀の「犯意ある過ち」を批判している。
〈「善意」であれ「悪意」であれ、大蔵省と日銀の責任は取り返しがつかないほど重い。責任の所在を覆い隠したまま、当時の振る舞いを「悪意はなかった」と総括するのは「悪意ある歴史の書き換え」と後世から指弾されるかもしれない〉
しかし、何食わぬ顔で「歴史の書き換え」を行っていたのは、実は日本経済新聞社ではないのか。『犯意なき過ち』を一読しただけで、そのことは十分に浮かび上がってくる。
こうした同紙の体質が、80年代のバブルを煽り、そして90年代の落ち込みを加速させてきたのではないか。そして、2007年に世界金融恐慌の兆候があったときにも見逃しておきながら、何食わぬ顔でその後の政府や日銀の無策を批判していたのではないのか。その疑いは濃厚だと言わねばならない。
以上、第一章でしたが、日経新聞の無責任体質を検証したもので、記憶を元に丹念に縮刷版を読み込まれたのだと思います。
 
第二章では、80年代までは、日本的経営が、世界を席捲すると日経新聞の記事を引用し、日経が日本的経営を如何に評価していたかを例にしたうえで、バブル崩壊が誰の目にも明らかになった93年1月頃より、日本的経営の三種の神器”年功序列”、”終身雇用”、”企業内組合”を徹底的に批判しはじめたか暴露した。
 
日本経済の没落原因をこの三種の神器に元凶を求め、”成果主義”の導入キャンペーンを日経新聞は煽った。
 
 
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目次
プロローグ 日本経済新聞狂騒の二十年
第1章 歴史を書き換えたのは誰か
第2章 日本的経営の称賛から攻撃へ
第3章 グローバル・スタンダード万歳
第4章 アメリカ経済政策の代理店
第5章 社説と編集委員の葛藤と協調
第6章 IT革命キャンペーンの幻想
第7章 世界の工場=中国への熱狂
第8章 日本経済新聞の「正しい」読み方
エピローグ 日本経済新聞の「官から民へ」幻想 
 
第1章 歴史を書き換えたのは誰かでは、私(Ddog)も記憶している1999年12月~2000年7月にかけての特集記事『検証バブル 犯意無き過ち』を検証し、日経新聞がバブルの発生と崩壊をどう報道し、日経新聞の社会の木鐸として機能していたかを東谷氏が鋭く検証した。
p33~40
まず、この『犯意なき過ち』に記されている事例から見てみよう。1章は「宮沢喜一の15年」と名付けられた章で、バブル発生時に大蔵大臣であり、バブル崩壊のどん底期に総理大臣をつとめ、バブル後遺症が現れた金融危機のさい再び大蔵大臣だった宮沢喜一の「過ち」を検証する部分である。

この部分は客観報道を装ってはいるが、宮沢の決断力のなさや無責任さが自ずから露呈するように記述されてあり、連載中でもいちばん注目され、また単行本になってからも最も読み応えのある章となっている。
この章で日本経済新聞が糾弾しているのは、第一に、宮沢が最初の蔵相時代(86~88年)に、アメリカの政策に翻弄されて結局は円高を阻止することができず、円高不況を回避するため金融緩和と財政出動を続けることになったという点だ。

〈この金融・財政両面からの刺激策がバブルの主因のひとつと指摘される。宮沢は86年7月に蔵相に就任、円高阻止の協力を取り付ける見返りとして米国に公定歩合引き下げを事実上約束したこともあるほか、財政出動も指示し、この時期の政策運営に深くかかわった〉
 
第二に指摘するのは、宮沢が総理の座にあった92年(在任は91~93年)に、不良債権が巨大化していることを知っていながら、財界や大蔵省の支持を得られずに「公的援助」つまり公的資金の注入をあきらめたことである。『犯意なき過ち』は次のように宮沢の言動を記載している。
 
宮沢はそれ以上動こうとしなかった。99年11月の国会で「一国の首相であれば公的資金の投入を決断できたのではないか」と問われ、自責の念も込めつつ「当時、一応株価のピンチは逃れたわけです。またメスを入れようというところまでできなかった」と答えている。
 
問われるのは政治家としての弱さか。反対を押し切ってでも国民に危機を知らせ、抜本策を打ち出すべきだつたのか。ほかに手はなかったのか:…・。今も宮沢は考える。その宮沢の口からこんな言葉が漏れた。「やはり(危機を)言えなかったということですね」〉
 
私も宮沢元蔵相および元総理の責任は大きいと考えている。そしてまた知恵袋としては一流かもしれないが、いざとなると断固たる決断が出来ず、やたらに評論家的な発言ばかりが目立つこの政治家を、危機の時代に繰り返し政治と経済のトップに頂いた日本は不幸だったと思う。

しかし、日本経済新聞にここまで宮沢の判断を批判する資格はあるのだろうか。ここまで言うからには、宮沢が失策を重ねていたとき、日本経済新聞は先を見通した対案を提示していたのでなくてはならない。
少なくとも宮沢の政策に対して懐疑を示していなければならないだろう。もし、そうでなければ、まず自らの不明を認めたうえで、宮沢の責任を糾弾するというのが筋のはずである。
 
円高を是認し景気対策を支持
 
ところが、そんな「筋」はこの二つの問題に関するかぎり、まったく期待できないということが、当時の日本経済新聞の記事を振り返ればすぐに判明してしまう。ここに提示されている二つの問題を扱った、同時期の日本経済新聞の社説を見てみよう。
まず、第一の「円高阻止と金融緩和」について、まだ宮沢蔵相の在任中だった88年7月2日付の同紙社説は次のように論じていた。
日本の状況は、総裁(澄田智日銀)の言う通りだろう。日本の対外黒字不均衡は縮小の方向に向かい始めてはいるが、まだその黒字の絶対水準は高い。まだまだ続く長い調整過程で、円高基調は必要な条件でもある。……幸い、わが国の場合、物価は依然安定している。安い輸入品をもっと買うことによりインフレを予防する余地もある。金融政策の運営でも、各国以上に、ゆとりがある。当面、対外協調を最優先した金融政策のカジとりに徹していい
 
日本経済新聞にとっても、アメリカの要求に従うかたちで実現した円高基調は〈必要な条件〉と映じており、〈対外協調を最優先した金融政策〉を少しも疑問視することはなかったのである。
 
さらに、88年9月22日付の社説でも、次のように述べている。

〈国内にインフレの心配はない。内需主導型の景気拡大が企業収益の増大をもたらし、それに伴う税収増加で財政の体力も回復しつつある。総需要は超過しておらず、貯蓄超過が続いているから、低金利政策も維持可能である〉
このように、日本経済新聞の社説は宮沢が遂行することになった円高を是認し、低金利を持続し、内需主導型の景気拡大を認めていた。金融綴和と財政出動を批判するどころか、何の疑いもなく支持し、場合によれば積極的に推奨すらしていた。なんのことはない、日本経済新聞はそのころ宮沢とほとんど変わらないスタンスをとっていたのである。それでどうして、当時の宮沢を非難することができるのだろうか。
 
不良債権問題を軽視した日経
 
同じことは、九二年の不良債権問題に対する姿勢についてもいえる。この問題についても、日本経済新聞が宮沢と異なる方針を打ち出して、誠心誠意からの批判をしたとはとてもいえない。
 
もちろん、92年8月4日の同紙社説のように、銀行の不良債権問題を指摘する記事があることはあった。

〈日本型経済システムの矛盾は、担保割れの不動産を抱える金融機関に凝縮している。地価の実勢を不動産の収益性に基づく理論価格にサヤ寄せすれば、巨額のキャピタルロスが生じるが、その穴をだれがどう埋めるのか。公的資金を投入せざるをえないなら、救う金融機関と清算させる金融機関の線引きも欠かせない〉
 
ところが、その不良債権処理を進めるため、白艮党から出てきた不動産買い敢り機構案に対しては頭から否定的だった。次は、同紙8月29日の社説だ。
 
〈担保不動産の買い上げ機関構想の扱いはよほど慎重でなければならない。不良債権の規模が明示され、銀行が徹底した自已努力をしないかぎり、公的資金の注入などの支援策に国民的理解は得られないだろう。資産デフレヘの対応は、株式評価損の償却計上を先送りするといった緊急避難より結局は、マクロの景気テコ入れ策を軸にするのが筋である。株価が本格的な回復軌道に戻るには、やはり景気が立ち上がり、企業業績に明るさが出てくるのを待つしかない〉
 
何のことはない、日本経済新聞は不良債権の処理より、景気テコ入れのほうが先だといっていたのだ。さらには、92年8月30日に宮沢首相が自民党軽井沢セミナーで「必要なら公的援助をすることにやぶさかでない」と発言したときにも、日本経済新聞は財界や大蔵省と同様に、この案に冷ややかであり、同年11月30日の社説では冷淡に次のように述べている。

〈根底には、銀行不倒神語を築いた大蔵行政への依存がある。また株などの含み益は課税されず、銀行は益出しに頼って有税償却にしりごみした。
地価.株価の急落でその前提が狂った。不動産関連債権は担保割れに直面し、株も評価損が発生した。調整弁だった含み益は、吐き出すどころか温存せねばならなくなった。
しかし開けた穴はどこかが埋めざるを得ない。公的資金の投入は論外とされた。不動産担保付き債権買い取り会社がそうである。、バブルの戦犯ψの銀行がフローの稼ぎ(業務純益)を回して償却を急ぎ、引当金を積み増すのは、けだし当然だろう。
問題はその財源と償却の進展度合いである。銀行は本当に身銭を切っているだろうか。
過去最高の業務純益も実は、利下げで金融当局に「稼がせてもらった」ものである〉

細かいことをいえば、この時点で円本経済新聞は、銀行の不良債権処理が業務純益で可能だと見ていた。ところが、翌年5月31日の社説では〈銀行の償却原資確保にかかつている。原資には、本業の稼ぎである業務純益(フロ-)をあてるか、広義の純資産(ストツク)を取り崩すしかない〉と、償却の原資が「純資産」にまで拡大している。

しかし、それでもなお、後に公的資金を認め宮沢を批判する特集を掲載する日本経済新聞は、当時、「公的資金の導入」に、まったく積極的ではなかったのだ。同社説は断じている。
 
〈償却の重圧に金融機関が悲鳴をあげても、大蔵省は公的資金導入には依然慎重である。「銀行を国営化するような救済は、市場の信頼を失墜させ、コストが合わない」と見ているからだ。だとすれば、弱い環は何らかの形で整理するしかない〉
 
日本で最大の経済マスコミ日本経済新聞社の議論は、この当時、何人かの経済評論家たちが語気を荒げて論じていた「だめな銀行は潰せ」「銀行も他の会社と同じ私企業に過ぎない」という暴論と、何ら変わりなかったのである。
 
経済政策の「後知恵」総合商社
ここまで見てきただけでも、あまりの責任回避ぶりが目立ち、この『犯意なき過ち』という本は、実は読者の記憶が持続しないことを見込んだトリック本といわれても、仕方ないシロモノではないのだろうか。
 
80年代後半にあれほどの金融緩和をしなければよかったとか、92年の時点で公的資金を導入して不良債権処理をしておけばここまで悪くならなかったというような、98年ころには通説となった「後知恵」を、細かな道具立てを使って紹介し、その経緯を歴史的記述によって紹介しただけで、〈あきらめる前になすべきこと〉が見事に指摘されたことになるのだろうか。
 
しかし、当時、日本経済新聞自身がどのように論じていたかを、少しでも思い出すことができれば、とてもこのリポートを素直な気持ちで読むことなどできない。もう少し、当時の日本経済新聞がどう述べていたかを思い出すことにしよう。

同書の5章は「日銀『鬼平」の誤算」。平成の鬼平と佐高信氏が称賛した(そして、後に取り下げた)三重野日銀総裁の判断ミスについて扱っている。
 
簡単に概要を述べておけば、三重野総裁は、地価高騰のため〈不公平感の高まりはもはや限界に達しつつあった〉世論の追い風を受けて、〈89年5月からわずか1年3カ月の問に五回の利上げに踏み切り、2.5%だった公定歩合は6%台に乗った〉。

そのためバブルを潰したのはいいが、あまり急速に金融を引き締めたために、日本経済は不況に転落。〈「インフレなき持続的成長のために政策の一貫性を最も大事にした」という三重野。だが、最近になって「通貨の伸びを重視した姿勢を生かしきれなかった」とも述懐している〉という話である。
 
 
その3へ続きますが、日経新聞は日銀や政府政策を犯意無きとしているが、犯意は大有りの確信犯であったのなら、日経新聞社はそのインサイダーではないか?
 
行間を丹念に読んでいくと、編集責任者の意図と、記者の僅かでも警告を発しておきたい遠まわしの表現が入り混じっているようにも読めることががる。
 
日経新聞の証券面のコラム「大機小機」はそんな良心を感じることもある。
また、日経新聞は、経済指標だけ読めばいいと言っても、記事を読まない偏屈な人間もいない。
 
朝、東急田園都市線で、新聞を読んでいる人間の8~9割は日経である。朝日を読んでいるオヤジはというといかにも公務員ぽいオヤジだったりする。悲しいかな日本にはファイナンシャルタイムズやエコノミストのような高級経済誌は無く、皆昔から信じていないと言いつつ、多くの日本のビジネスマンの思考を左右しているといって過言ではない。
 
日経新聞で一番信用できないのが社説で、次に信用できないのが為替展望である。日経新聞は私にとって貴重な情報源だ、なぜなら日経新聞の為替見通しの逆をいけば8割がた勝てる。
 
 
 
 
 
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http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZCまた、いやな事件が起きてしまった。
生まれたばかりのわが子を残し、犠牲となった方は、本当に気の毒でならない。まだ物心がつかないうちに父を亡くした娘さんも、不幸な事件を引き起こした男のご両親も、皆、気の毒でならない。
 
秋葉原の連続通り魔事件といい、昨今多発しているこのような厭世の連鎖ともいえる事件が次々に起こる。また同じく鬼畜の親が子を虐待し殺す事件も後を絶たない。現代の日本社会は病んでいるのだろう。
 
 
政治が悪い、中国や朝鮮、米国が悪い、ユダヤの陰謀だ!憲法が悪い、教育が悪い、日教組、共産党、創価学会池田大作、新興宗教、警察、ヤクザ・小沢一郎・小泉純一郎・・・皆、自分以外の誰かのせいにしたがる。かくいう私も民主党が悪い、9条が悪いと絶叫していますが・・・だが幸いな事に、日本は自由なことが言える。
 
私は秋葉原通り魔事件について「秋葉原通り魔事件に思う。フラット化した世界 」という文章に纏めさせてさせていただいた。日本が閉塞化している原因の一つは、世界がフラット化して、世界中が均等な競争をし初めたことに自覚していないからではないか?日本人は中国人やインド人と同じグランドで同じ競争する覚悟と自覚があるか?と問わせていただいた。
 
今、日本人が置かれた立場はある意味で不幸なのかもしれないが、私自身は日本人であることに強く誇りと自信を持ち、日本人である幸せを感じています。自分はとにかく幸せであると感じるようにしています。
 
幸せとは何かと考えたとき、心の持ちよう、考え方がすべてではないかと考えています。
 
今日私の上司がたまたま使い古されたビジネスのたとえ話「アフリカで靴を売る」をしていた。おそらくこの話は、大聖堂の石工の話とセットでビジネスマンへの訓話の古典中の古典だ。(私の耳にはタコができています)
二人の商社マンがアフリカへ靴を売りに行った。
一人は会社へこう報告した。
「アフリカではみんな裸足です。残念ながら、有望な市場はありません。」
もう一人はこう報告した。
「アフリカではみんな裸足です。市場は無限大です!直ぐに靴を送ってください」
 
ヤン・カールソンの「真実の瞬間」
ある日、一人の旅行者がバルセロナのサグラダ・ファミリアを訪れた。
辺りを歩いていると、道端で一人の石工が石を削っていた。
好奇心旺盛な旅行者は、その石工に声をかけた。
「あなたは、いったい何をしているんですか?」
するとその石工は、迷惑そうな顔をしながら腹立たしげにこう言った。
「見て分かんねぇのかよ。この糞いまいましい石を削ってんじゃねえか! じゃまだから、とっとと向こうに行ってくれ。」
慌ててその場を離れ、しばらく歩いていると、別の石工が同じように石を削っていた。
その旅行者は、懲りずに先ほどと同じ質問をしてみた。
「あなたは、いったい何をしているんですか?」
するとその石工は、晴れやかな顔をして誇らしげにこう答えた。
「よくぞ聞いてくれました。私は今、世界で一番美しい大聖堂の基礎を 作っているんですよ!」
 
この二つの古典話は、まさに心のもちよう、生きてく目的とは何か、幸せとは何かを教えてくれるものです。
 
心の持ちようによって、人は幸せになれたり、不幸せにもなるのです。民主党の悪口になるが、鳩山が5月に幸福度を数値にして指数化すると聞いた時、あきれ返って心の底から、「鳩山と民主党は馬鹿」と思った。
 
国民の幸福など測ろうとしても、もそもそも幸せは測れないもの。国民総生産は生産物を市場価格に換算して足し合わせる。ところが幸福は人それぞれ、市場価格などで換算できず足し算できない。
 
幸福度を測って「自民党時代より幸福度が増しました!」とでも言いたいのだろうか?必要なのは数値化された幸福度ではなく哲学だと思うのです。
 
そもそも、幸福というのは定義できないものではないでしょうか。これこれの条件が満たされることが幸福だとか、こういう状態にあるとき人は自分を幸せだと感じるなどと言えるようなものではない。さらに乱暴な言い方をしてしまえば、幸福や不幸なんてものは世の中には存在しない。ただ人間がそういう言葉をつくり、ある状態に対して評価をしているだけだと思うのです。

自分の置かれている状況に対する本人の評価が低ければ、別の人にとっては幸福だと感じる状況でも不幸に思える。そのときどきの心理状態によって、一人の人間が同じ状況を不幸だと感じたり、幸せだと思ったりすることもあります。何を幸せと感じ、何を不幸と感じるかも、人によって異なるはずです。
 
幸福について誰かがした定義や尺度、まして数値などあるはずがない。これが幸せ指数ですと提示されても、素直に受け入れる人はいるのだろうか?

幸福とはこういうものだと考えた途端、その定義と自分の状態とを引き比べ何かしらのマイナスを見つけてしまう傾向が私たち人間にはあるのですから。
ゆえに、幸福を定義したり、数値化するなど絶対にすべきではない。
 
政府がしようとしていることは、日本は他国に比べ、餓死者が少ないとか、文盲率が少ないとか、戦死者の数、テロに巻き込まれた人の数、強盗に遭わない確率、長生きであるとか、水道から直接水を飲めるとか・・・・
我々が当たり前と思っていることが、どんなに幸せなことか気づかせようとしているのかもしれません。
 
たしかに、平均寿命が42歳(2010年)と世界一短いジンバブエや紛争の続くアフガニスタンのような国々の国民に比べたら、日本人はとてつもなく幸せかもしれない。
 
確かにそうなのだけれど、厭世的な事件が多発するのはやはり日本に不幸が蔓延しているからだろう。自分を他人と比べ、不幸な人間だと定義してしまう人間が多いこの国はある意味で、ジンバブエやアフガンより不幸な国であります。
 
人間は一人では生きていけない生き物であり、劣等感や不遇感、孤独感は、多かれ少なかれ誰もが抱くものです。そういったマイナスの心理を癒すものが宗教であり、友人家族、地域共同体という規範を伴う集団であった。ところが日本には規範をともなう宗教がない。
 
戦前は、天皇を中心とした擬似家族による心の救いや、教育勅語という宗教に代わる規範があった。擬似宗教というべき天皇制は終戦と共に破壊されいまは辛うじて天皇家だけ残った。また村社会という地域共同体も崩壊、それにかわって発達した企業社会という擬似共同体も、成果主義や会社は株主のものという考え方が蔓延し、共同体的性格が崩壊した。日本では不幸を癒す装置としての共同体はそこここで崩壊してしまった。
 
共同体を失い、孤独を感じ、不安が渦巻いていたところに、今度は世界規模の経済危機が追い打ちをかけ、みんな自分のことだけで精いっぱい。心のゆとりが失われて、ますます自己中心的になり、社会全体がギスギスしています。
 
一億総中流という幻想は打ち砕かれ、格差が広がり固定化していく。今はつらくてもやがてよくなる、がんばればそれなりに報われると信じるのが日に日に難しくなっている。

国民の大多数が貧しかった時代と違い、不遇な自分のすぐ身近にとびきり豊かで幸せそうに見える誰かがいる。あふれるモノと情報に欲望を刺激され、自分に欠けているものを絶えず意識させられる……。私たちが今生きている社会は、劣等感や不遇感、孤独感は気持ちを増幅させやすいのでしょう。

そんな社会で日々を送っていれば、何かでつまずき心なえたとき、それを乗り越えられずに飲み込まれてしまう危険が誰にでもあるのだと思います。いや、それどころかマツダの元派遣社員のように不幸増幅装置の一部となって、我と我が身だけでなく周囲の人々まで不幸にしてやろうと思うこともありうるのです。
 
私の大学生時代1980年代に「ネクラ」という言葉が流行しました。80年代の日本では明るく前向きで社交的であることが当然とされる社会でした。悩んでいる姿を見せたり、人生について議論したりするのは、「暗い」「重い」「ダサい」というイメージが浸透していき、友達同士でも「明るく元気」を装って表面的な部分でつき合う人が多かったような気がします。
 
幸いな事に私の場合は、当時ブームになったニューアカデニズムに興味を持ち、そういった話ができる友人やサークルに恵まれ、哲学や人生論を戦い合わせることができた。大学が神保町の古書店街にあったせいで、哲学書や歴史書を読み漁ったことが今日、けしてすべてに恵まれてはいないが、それでも自分を幸せだと感じることができる自分に到達できたと思っています。
 
1980年代、ニューアカデニズムと同時にポジティブ・シンキングやプラス思考をすすめる「ビックトモロウ」などという雑誌が発刊された。私はいやらしいことに、そんな雑誌を読む奴らを、高みから見下げ馬鹿にしていた。怪しいセミナー系の本が次々に出版され、他者に対し装うだけでなく、自分自身に対しても常に明るく前向きであることを強いる傾向は、今もかわらない。
 
「アフリカで靴を売る」のたとえ話のように前向きに考えるのは大事なことです。が、悩むというプロセスを抜きにしたプラス思考は、自分の弱さやダメな部分から目をそらすことにつながりかねません。
 
さまざまな気晴らしの手段があふれている現代においてはなおさらでしょう。大いに悩み、まず自分の弱さや能力の限界を知って、それを認めてこそ、「では、どうしたら変えていけるだろうか」と考えることができるようになると私は考えます。
 
人に相談して助けてもらったり、哲学や人生論のような本を読んだりしてもわからない人間が、怪しいセミナーや怪しい新興宗教に嵌ってしまう。
  
問題の本質からずれずに悩み抜くことが大事なのですが、これが難しい。ただ悩めばいいというわけではありませんし、本を読んだからと言って誰もが解決できるものでもない。
 
今の日本では人生が思うようにならないとき、私たちは、その責任を押しつけられる対象を探してしまう傾向があるように思います。
 
普段から何か問題が起きたとき、その遠因と近因を多角的、客観的に分析し、今の自分にできる対策は何かと考える習慣のあらば、自分の不幸を誰かのせいにはしなくなると思います。
 
自分の能力の限界や内面の問題を認めれば、自尊心が傷つきます。問題を直視し、改善すべく努力するのはつらい作業ですし、その努力がなかなか実らなければ、さらに傷つく。

それを無意識のうちに避けようとして、自分以外の誰かや今さら自分では変えようのない何かのせいにしてしまうのでしょう。残念ながら、今の日本人は概して自分の頭で考え抜くという作業が苦手です。しかも、現代社会のありようが、私たちから「考える」という習慣を奪いつつある、「考えない」が習慣化しているように思えるのです。
 
 
かつて私は、ある経済事件に巻き込まれ、小説さなが自分自身の命が危険に曝されたことがありました。そういうことを経験すると、次の苦悩が来襲しても、自分自身のかつての苦悩を材料に比較すると、蚊にでも刺された程度にしか感じなくなります。
 
だが、事件後も厳しい経済環境の中、過大なノルマに悩み、日に百回死にたいと思うような日々を経験してきました。その都度、会社を辞めることもなく、自殺する事も無く、悩むことから逃げてはいませんでした。
 
もっと苦しかった日々を思い出し、無心で本を開き、ただただ小説から哲学書、料理の本まで読み漁ることをしました。私は、萬巻の書を通して自分を知り、成長したつもりになっています。
 
悩むことから逃げていれば、その自負心を持つ機会は永遠に失われていたかもしれません。今でも悩みは少なからず抱えています。ただ、少なからずの自負心が、上手くバランスを支えているような気もします。 そして、自分自身の考え方を、不幸せモードから、幸せモードに転化するよう心がけていると思います。
 
よく、”悩みがなさそうで羨ましい”といわれることがあります。私をバカにしているのではなく、生身の私は悩みから縁遠い人間のように思われているようです。私からすればまったく失礼でけしからんが・・・そう思われることは、勲章のように感じます。
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ネットは「偏った意見」を強化するか:研究結果【wiredvision】

2010年5月13日
Nate Anderson
『PC房』と呼ばれる韓国のインターネットカフェ。画像はWikimedia
私は先頃、「リベラルな人間として生きるには」という本を紹介するリリースを見た。それによると、「Fox NewsでなくMSNBCを見て」「ソーラー発電ができるバックパックでノートパソコンを充電し」「社会に役立つような投資」をすることが大切なようだ。「同じような志向性を持つ人にはどこで会えるか」というアドバイスも書いてあった。
私が関心を持ったのは、メディアとのつき合い方に関する意見だ。別の意見を持つ人々が作りだすニュースを見ない、というこの方針は、インターネットでは特に問題になると懸念されている。ネットでは誰もが自分の意見を公開しやすく、自分が完全に賛成できる視点を誰もが探すことができるため、そういった内容ばかりを見るようになりやすい、と懸念されているのだ。
インターネットは先入観を疑わせるのではなく強化するだけだというこの考え方は、学術分野でも以前から言われている。2001年にはシカゴ大学のCass Sunstein法学教授(現在オバマ政権の法律顧問)が、『インターネットは民主主義の敵か』[邦訳毎日新聞社刊、2003年]という書籍で、この問題を採り上げている。
たしかに、かつて人々は、それぞれの町に地元の新聞が1紙あり、テレビの3大ネットワークからは「中道的」な夜のニュース報道を見るような環境にあった。そういった時代にあっては、「過激な視点」は、1つ見つけ出すのも困難だった。しかし現在は、マウスのクリックだけでこれができる。
しかし、シカゴ大学の研究者2名はこのほど、インターネットによって、賛同できる意見が簡単に見つかるようになった一方で、多様な情報源から情報を得るコストも大幅に小さくなったと述べる新しい論文を発表した。
インターネット上の「イデオロギーによる分離」をこれまでで最も詳細に分析したというこの論文では、人々がネット上で実際にニュースや政治的意見をどのように得ているのか調べるため、ニュースサイトの訪問者のイデオロギー構成に関する情報を収集し、このデータを米comScore社のウェブ統計と組み合わせた。
ネット上のニュース消費は、批判者が恐れているほど分離してはいない、というのが研究チームの結論だった。「平均的な保守派が触れる情報と、平均的なリベラル派が触れる情報のずれ」を示す「分離指数(isolation index)」は、インターネットの場合は7.5ポイント。この数字は、中道的で当たり障りのないものになりがちなテレビ放送(1.8ポイント)よりはかなり高い。また、雑誌(2.9ポイント)、ケーブルテレビ(3.3ポイント)、地方紙(4.1ポイント)を上回っている。しかし、分離指数が最も高いのは全国紙(10.4ポイント)だ。
実のところ、インターネットを完全に排除したとすると、全体のイデオロギー上の分離は減少する(4.9ポイントから3.8ポイントだが)。とはいえ、リベラルなウェブ利用者と保守的なウェブ利用者のずれはそれほど大きくはないし、「インターネットの利用は過激な先入見の反響室にしかならない」というこの世の終わり的なシナリオのようにならないことは明確だという。「触れる情報が極端であるようなニュース消費者は稀だ」と、論文では述べられている。
たしかに、インターネットにはあらゆる種類の過激な党派的内容がある。しかし研究では、これらの素材の多くが、政治的なブログ、ニュース・アグリゲーター、および活動家サイトにとっての「ロングテール」だと結論されている。政治ニュース・ジャンキーにとってはこうしたサイトは重要かもしれないが、「オンライン消費のシェアとしては非常に小さい」というのだ。
さらに、そのようなサイトの訪問者も、多くの場合は複数の場所、複数の情報源からニュースを得ている。論文によると、たとえば「『rushlimbaugh.com』や『glennbeck.com』といった非常に保守的なサイトの訪問者は、標準的なオンライン読者と比べて、[リベラルとされる]『nytimes.com』を訪問していることが多い。また、『thinkprogress.org』や『moveon.org』といった非常にリベラルなサイトの訪問者は、標準的なオンライン読者と比べて、[保守的とされる]『foxnews.com』を訪問していることが多い」という。
もちろんこうした研究から、読者の心がどのように動いているかを理解できるわけではない。リベラル派がfoxnews.comを訪問し、foxnews.comが言うところの「公平でバランスが取れた」報道にただ憤慨しているということは十分に考えられる。また、政治的見解が異なる2人は、同じ記事を読んでも、その内容や意味について大きく異なった結論に行き着くかもしれない。
盧武鉉時代嫌韓サイトや「enjoy Korea」は盛り上がった。韓国人達の歴史的無知、そのかたくなさ、現実を認めない傲慢な態度、民族性や韓国の偏向反日教育に元凶があると考えてきたが、どうもそれだけではなさそうな気がしてきた。
 
インターネットによって、賛同できる意見が簡単に見つかるようになって、同じ意見の人間が、ネット上で意気投合する機会が増加した。賛同者達は少数グループの意見がネット全体の意見であり、普遍の真実であるかの錯覚に陥る傾向に陥りやすい。これを「ネットの罠」と呼んで差し支えないであろう。
 
その典型的な例が韓国人達の今は亡き「enjoy Korea」の投稿態度であったのだろう。近代史や日韓問題を自分達の妄想の世界で都合よく解釈し、けして己の非を認めようとしないのは、民族性もさることながらネット社会における構造的問題かもしれません。
 
日本においても、ネット世論といった一概的なネットの世論は存在しないが、サイトごとの世論は存在しているようだ。
 
たとえば、2ch。2chを隅々チェックすることは不可能なので、個人的感想にすぎないが、スレッドによって多少左右の傾き加減が異なるが、概ね反民主的保守陣営である。アメリカでいえばFOXニュース視聴者に相当するかもしれない。2ch自体ネットの小宇宙と考えれば、私が覗くスレッドはすでに偏っているかもしれないが・・・
 
一方民主党を支持しているような連中は、毎度たとえて申し訳ないが、阿修羅掲示板の政治板などのマイナー板に多数生息している。阿修羅掲示板政治板を開くと、支持率が20%以下になった鳩山の支持率は マスコミの捏造だと・・・あきれ返るというより哀れむべき投稿をする人間が多数存在する。彼らの世界観は、自分の意見と同じくする民主党支持者のブログやホームページしか読まないのだから、そのような狭い世界観で世界を俯瞰していると錯覚しているのだ。
 
しかも、たちの悪いことに実際世論というものは情報操作によって操作されているものなのだが、情報の素材も確認せず、自分に都合が悪い情報を情報操作認定するようにしかみえない。
 
だが、いちいち報道の裏を個人が確認することは不可能だ。彼らは自分たちの都合が悪いことは目をつぶり、自分たちの偏った意見こそ正統だと思い込んでいるのである。
 
ニュースや報道は鵜呑みにしてはいけないが、報道から伝わる客観的事実が何なのかを見抜き、自分なりに情報を再構成して真実を探さなくてはならない。すべての人が真実を自分なりに再構成する能力があるとは限らないが、真実を見抜こうと努力しているジャーナリストをわれわれは探せばよい。
 
私は、ジャーナリストではなく、一介のブロガーにすぎません。ただ一応左右両方のネットの世論はウォッチしているつもりです。私は、消極的親米保守主義者ですので、私の視点は公正中立(そんなものはもともとない)ではありません。消極的親米保守主義者の視点からこのブログを書いています。
 
私のブログを閲覧いただいているROM専の方が多数であると思います。ネットでは一方の意見に偏った「はだかの王様」になりやすいと思っています。私の意見の他に反対側の意見も是非広く読んでください。広く知った上で判断したうえで、Ddogの意見を読んでみようと思っていただけるのなら、これ以上幸福なことはありません。
 
 
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3DCGアニメFireballは、主人公のドロッセルお嬢様と忠実な執事ゲデヒトニスのお屋敷内での掛け合いの会話により構成されている3Dアニメ漫才とでもいえる作品だ。

漫才やコントに慣れ親しんだ我々が持つ日本文化の基礎、特に「間」の理解が無ければ本当に面白いと理解できないはずだが、外人達はこの可笑しさが本当にわかるのか・・・?

かつて、英会話学校へ通っていた頃、私の英語力の限界を思い知らされた授業があった。American Jokeである。ぜんぜん笑えないのだ、講師のアメリカ人は涙を流しながら笑っているのだが、何故可笑しいかとんと理解が出来ない。意味は理解し、ふざけた状態であることも理解できるのだが、笑えない。

外人が日本人はジョークを解さない人種だと誤認しているようだが、大きな勘違いは、日本人と笑いの壺が異なるのだ。コメディ映画を映画館で観ていると外人が何でここで笑うの?というタイミングで一人爆笑していたりする。笑いとは、言語ではなく文化の蓄積なのだ。

ディズニージャパンが製作したこの3Dアニメはおそらく日本人向けだが、日本アニメファン=日本文化に関心を持つ人種が字幕をつけてYouTubeにUPしたようだ。驚く事に奴らはこのシュールな笑いを理解しているようだ! YouTubeへジャンプして英文のコメントも読まれたし!奴らの多くはどうやらこの日本的な微妙な間の掛け合いによる可笑しさを笑いを解かっているようだ!どうやら日本文化の世界への浸透は本物である。

外人さんが訳したと思われる字幕を読むと、これがまた日本人の私にとってこれまた面白い。
1話2分弱ですが、是非全13話お付き合い下さい。


第1話において、ドロッセルお嬢様が「イルカを愛でてよし、食べてよし」と言い切っちゃいましたが、"That's right,It's okay to admire and okay to eat."と訳してますが・・・反捕鯨団体からの抗議は大丈夫なんでしょうかネー?


第2話
例えるなら、食事中にやにわ咳き込み、ご飯粒が鼻の方にに入り込み、鼻のほうから出そうと努力するものの、忘れた頃に出てくるのは決まって口の方からでございます。
For example,it's like when you try not to cough when eating,and a pebble of rice in your nose.
No matter hard you try to make it come out of yournose, it always comes out of your mouth.


Fireball - Episode 03
飛行ユニットはflying gear おしゃれユニットをfashionable gear と訳している。辞書を引くとギアgear =歯車や自転車や車のギアで、ユニットunit=集団・班・構成単位である。私なら間違いなくflying unit・fashionable unitと訳していたろうが、この訳者unitではなくgearを選択している。
ユニットもギアも日本語として本来の英語の意味から離れた言葉となりつつあるようだ。


Fireball - Episode 04
パジャマパーティは理解したようだが、さすがに芋煮会は理解できずに、Imonika!であった。
どうしてだろうか、私は少々安堵した気持ちになった。芋煮会まで、外人さんに理解されたくは無いという微妙な真理が日本人、いえ、私の心のどこかに隠されているのだろうか?


Fireball - Episode 05
「どっこいしょ!」は”Voila!”、これはいいが、「すいませんチャッカリしていました」が"Sorry, I calculatingly..."妙訳である。
「その頭の高さたるやザ・ジ・ズ・ゼ・ゾがズ・ザ・ジ・ゼ・ゾになるしまつ」をどう訳すのか・・・
"Due to its hight,the head becomes zajizuzezo,zuzajizezo"さすがに、注釈がついた。
Note:”zajizuzezo”is”z”line in the alphabet.


Fireball - Episode 06
あははは、「あるいは、湯あたり」を"Or maybe my bath was too long"と訳している。ちゃんと「湯あたり」の意味は理解しているようだ、英語は言い回しが重要なのが良くわかる。「湯あたり」に相当する単語が無くとも、英語は言い回しでカバーするのだと理解できる。簡単な単語をつなぎ合わせることで、意味を通じさせる事ができる柔軟な言語なのだ、英語が普及する理由も解かったような気がします。よく金髪の女性が泡立ったバスタブで長湯をする姿を昔の映画で見かけるのだが、あれはぬる湯で「湯あたり」には程遠い。やはり40度以上の温泉では無い限り湯あたりにはならないから、「湯あたり」に相当する単語は生まれていないのだろう。ちなみに私は湯温は42・3度以上ではないと嫌だ。たまに日帰り温泉で38・9度のふざけた処がある、風邪を引いてしまう。家の湯温は45度です。


Fireball - Episode 07
若者の挨拶言葉で「チェーッス!ドロちゃん!」は"Wazzup,Lil'Dro!"なるほど、Wazzupはチェースか!
それにしても、”Dro is like just so funny I like totally can't contain...”と、”Darn gal's gone and said it!”は日本語の若者言葉の方が何を言っているのか逆に理解できなかった・・・。若者言葉より英語の方が理解できるとは・・・・。「人類との共存は無理ね!」
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Fireball - Episode 08
「ポチ」は"Spot"「たま」は”Fido”翻訳者とは偉いものだ、翻訳とは両文化に通じないとできるものではない。


[DATS Fireball - 09 [XviD]]
アニメの蝶はたぶんインドネシア原産の”ヘリボシアオネアゲハ”がモデルであろう。
蝶の習性は不思議なもので、周囲に擬態したり、毒を持つ種類は毒々しい色使いに進化する。
しかるに、何故、”ヘリボシアオネアゲハ”は斯様な宝石のようなトルコブルーの色を持つに至ったか?
進化論では推し量れない謎である・・・。このエピソード及びこの物語の底流には進化論や生物学的ロボット論が観察できる。そのことに気をつけて入れてこのエピソードを哲学的に観ると、象徴としての蝶の奥の深さに感心してしまった。ファイアーボールの製作者達は天才である。


[DATS Fireball - 10 [XviD]]
これは明らかにアメリカ人向けのネタだが、笑えた。大爆笑である。

日本でもこの20年ほどでハロウィンもポピュラーとはなったが、いまひとつクリスマスほどの定着率は低い。復活祭イースター、感謝祭などは、商業化しようとする動きすらない。クリスマスやクリスマスツリーが日本で普及したのには、クリスマスツリーは七夕の笹飾り、サンタクロースは大黒様の福の神信仰の文化的土着の習慣があった為であると思う。

仏教や儒教が日本で定着したが、一神教であるキリスト教やイスラム教が日本に受け入れられないのと同じく、ハロウィンは商業的に定着させようという多大な努力の割りに、いまひとつ定着していない。これは日本に受け入れる文化的素地が無いか少ない事が原因であると思います。

しいて言えば、秋田のナマハゲ祭りか、節分の豆まきに相当するが、豆は蒔く物で、お菓子を集めるハロウィンとは対極にある、ナマハゲ祭りも子供が大人に襲われるので、子供が大人を脅かすハロウィンとは対極にある。このことが日本で今一つハロウィンが盛り上がらない理由なのではないか?などと考えてしまいます。

もう一段、このアニメを通し日本文化の世界への普及を逆に考察すれば、日本の文化も世界で受け入れられるためには、日本文化を受け入れる文化的素地が広く世界にあるか否かでもあるかもしれません。


Fireball (English Sub) - Episode 11
アメリカでも日本でもエアロビインストラクターの笑顔は・・・いい例えだ、元エアロビインストラクターの秋田美人でナイスバディな、珍田さんは元気だろうか?あの笑顔はたまらなかった。再婚されたと聞いたが47・8才の珍田さんか・・・今も美人だろうが、やっぱ想い出だけにしておこう。

娘はバレエ教室に通っているのだが、教室の所属某Mバレエ団の公演に教室の児童が出演させてもらった時の練習を見学したのだが、そのときには、「笑顔」これが厳しく躾けられていた。ここは北朝鮮か!と思えるくらい引きつった笑顔の練習をさせられていた。

なるほど、エアロビもバレエの伝統の流れを汲む西洋舞踏の一派であるのだ、エアロビのインストラクターの笑顔は私に気があるのではない・・・なるほど納得。


最も有名はアメリカンジョークの鉄板ネタ
Qどうして、ニワトリは道を横切ったの?
A:反対側に行くためさ。
貴方は笑えます? このジョークの面白おかしさが、「もう、それ以外はないだろう」という事実そのものだから可笑しいのだそうだ。日本で言えば、「隣の家に垣根ができたね」、「へーぃ」みたいなものでしょう。「ふとんが吹っ飛んだ!」と同じく外人に可笑しい理由は伝える事は困難だ。

このエピソード12はアメリカンジョークなのだろう、私には笑えない。話の構成はからするとアメリカンジョークぽい、アメリカ人達はこのエピソードを観て腸がよじれるほど笑うのだろう・・・笑いとは複雑で高度な感情表現なのだ・・・。


フロイトの研究に「ジョークとその無意識に対する影響」というものがある。 笑いは人間の脳に対して特殊な機能を持つと述べている。彼によれば、ジョークと笑いは脳が無意味を学ぶメカニズムと関係するとのこと。同じジョークを 繰り返し聞くとあまり面白くなくなるのはこの学習のためである。人間の感情における笑いとはある種の優越感の表れの側面があると私は思うのだが、思いがけないハプニングや展開、無意識に思っていたことを表現する事でも、面白とわたしは思うのです。タブーや固定観念を覆す面白さが、このファイアーボールにはちりばめられています。
しかし、このストリーは明らかに日本文化の知識や俗説を理解せねば私は面白さが伝わらないと思うのだが、漫画やアニメの普及は21世紀世界の文化に計り知れない大きな影響力を及ぼす。

あと10年もたつと相撲界のように、少年ジャンプやモーニングでフランス人やアメリカ人の漫画家がもっと多く活躍しているかもしれない。

20世紀においてハリウッド映画に代表される米国こそ文化大国でもあった。文化は国力のバロメーターでもあるのだ。金融危機と伴にハリウッドの凋落も米国の終焉を連想させる一要素のような気がする。
21世紀初頭の世界を席捲する日本の漫画アニメ、大衆文化はジャパンクールと呼ばれ、21世紀はジャポニズムがジャポニズムではなく、日本の大衆文化が普遍的価値として世界に普及定着する可能性は高い。

逆説的な考えではあるが、日本の未来はけっして暗いものではなく、誇るべき未来が有ると私は確信しております。このFireBallを英語字幕で観ると、そんなような気がしてなりません。

※このレスを執筆しようと思ったのは、【誤訳御免!】の<「アニメは本当に日本国外で人気があるの?」外国人達による証言>http://goyaku.seesaa.net/article/119585962.htmlでこのFireBallを発見したからです。その下の外人さん達の日本のアニメに対するコメントは必見です。


日本アニメ vs ハリウッド part 1/6
これも1~6までありますが、ご興味あればお勧めです。
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09年初場所、横綱朝青龍が復活の優勝を遂げた。初場所前引退の可能性!とかスポーツ紙に書かれ、品性が無いので私個人的には大嫌いなTVキャスター小倉智昭(偽善的反日的発言が多すぎるので顔も見たくない)が、「星が買えればいいのに」とまで発言して、本人も悔しかったのだろう。「朝青龍が帰ってまいりました」との万感が詰まった叫びに、私は素直に「おかえりなさい」と声をかけてやりたい。

横綱の品格の問題が取りざたされ、歴代横綱の美談と比べ、朝青龍は品格が無い、相撲道ではなくSUMOUだと、酷評する評論家もいる。例えば、ビデオ判定導入前、世紀の誤審と騒がれた、大鵬が45連勝で止まった試合、NHKのビデオを観た大鵬が、刺し違えられるような相撲を取った自分に非があると言ってのけた美談など、当時でも美談であったものを、朝青龍に期待するのも酷だろう。憎まれるほどの強さを兼ね備えた、完全なヒール役を演ずるだけで、今の相撲界に横綱は貴重な存在だと思う。

外国人横綱は曙・武蔵丸に次3人目ではあるが、日本の伝統的興業格闘スポーツのメーンイベンターが外国人に頼らなくてはならない現状において、異国の地で精進を重ね最高位に上り詰め、その地位を維持しているだけで十分に美談ではないか?曙・武蔵丸は本人と周囲の人間が賢かった、日本人の相撲に対する情念を理解していたのだろうと思う。また、先輩大関小錦のアドバイスもあったのだろう、常に意図して控えめに振舞っていた。特に武蔵丸の10勝5敗は計算性を感じたものでした。

曙・武蔵丸は、ハワイのヒーローではあったが、朝青龍のような国民的英雄として甘やかされなかった点も横綱としての品格を保てた理由の一つであったかもしれない。

巡業を休みながら自国でサッカーのイベントに出場したニュースを聞いた時には私も確かに、「舐められたものだ」とも思いました。しかし、今思うと、モンゴルにとっては日本で大成功を収めた自国の英雄である朝青龍が、本国でイベントに出場して欲しい要望や、頼まれた朝青龍の立場、モンゴル人の価値観を日本人は、まるで尊重していなかったのではないか?日本人都合の非難ではなかったのではないかと思います。

横綱の品格などという曖昧なモラルは、日本人的道徳および価値観が基準であって、いわばコモンロー、不成文憲法みたいなものである。日本人ではない横綱に、この日本人の無意識の規範を理解するには、相当難しいだろうと思う。横綱というものは、ただの格闘技のチャンピョンではなく、一種の宗教的司祭の役割にを果たしている。興業的見地から、朝青龍を横綱としたのは、我々日本人の都合ではなかったのだろうか? 外国人横綱に宗教的司祭が勤まっていないと、目くじらを立てるのは、逆に我々日本人が不寛容ではないか?

日本文化の特徴の一つは、海外より次々に文化・文物・人物を取り入れて、それを次々に取捨選択しながら消化し、日本的なものに作り変え、自分たちのものとしてきたことにあります。外国人力士達の姿立ち振る舞いを見ていると、十分力士として、日本文化になじみ、日本文化の一翼を担ってっている、まさに、日本文化の真髄を見ているような気がします。十分成功していると思っています。

朝青龍関に関して、やくみつるさんなど、厳しく当たる人達もいて、私はそういった方達の不満も理解できます。そのフラストレーションの根源は、日本文化、日本的精神ゆえに、朝青龍関にフラストレーションを溜めているのだと思います。

日本文化は、文字(ひらがな、カタカナ)にしても、文化芸術、刀剣などの例でもそうですが、何事においても、日本的にアレンジして、終わることのない改善を行い、オリジナルをはるかに凌ぐものへと究めていくところが最大の強みだと思います。

日本の文化の特徴は日本人の精神構造と深く関係していると思います。日本では、自己を絶対的なものとはせず、企業や社会などその機能集団において、自分の演ずる役割を考え設定し、その与えられた役割を極めていくことが美徳とされます。また、日本人は他人から見えないからといって手を抜くことは、役割の否定、すなわち、自己否定になります。
それゆえ、横綱は機能集団のトップとして求められるものは、その人の人格とは一切関係なく、非常に神に近い崇高な精神が求められてしまいます。

日本では、相撲に限らず個々人が自己の役割を精緻化する結果、世界でもユニークかつ優れたものができるといえます。改善は精緻化して行き、最も精神的な究極が、何々道といった、一つの求道精神が培われる特徴があるかと思います。モンゴルにおいて、モンゴル相撲は格闘技として発達はしたが、求道精神の精緻である武道へと発展したとは聞いていない。朝青龍も横綱だからといってその精神性を理解する事は容易でないはずだ。

日本人は「場の空気」KY「「空気が読めない」などと、場の空気(ニューマ)が重要視されます。
いわゆる、「場の空気を読む」といったものですね。そして、その「場」に属する個人は、まず「場」における自己の相対的な役割、位置を考え、役割を実行しなければなりません。日本では、誰かが役割と自我の同一化ができないと、空気を読むことができないと、非難され、空気が読めないと、その集団での居場所を失う恐れがあります。また、役割を自我を同一化できない機能集団は、旨く機能していない集団になってしまうおそれがあります。そのため、日本では空気を読めない人間を弾劾する傾向があります。朝青龍もまさにこのKY空気が読めないケースかもしれません。

最後に、面白い話を見つけました。日本人の祖先は、一説には古代イスラエルの消えた10支族だとかシュメール人の血も混じっている話があります。私は日ユ同祖論肯定派です。例えば神社の神の祭り方、神輿は、古代イスラエルの宗教施設、幕屋と、契約書の柩の関係とよく似ています。狛犬、鳥居、山伏の頭巾など古代ユダヤの風習そのもの、伊勢神宮にダビデの星がカゴメ紋として残るなど、日ユ同祖論は否定できないのではないかと思っています。2700年前に古代イスラエルが滅び、2600年前に建国した日本の古神道に古代イスラエルの足跡を数多く見ることもできます。

相撲も実は古代イスラエルにもその原型を見ることができます。ユダヤ人三代目の父祖ヤコブが、兄との確執から放浪し、放浪の末に故郷へ戻る時、天使と相撲に似た力比べをします。夜明け前ヤコブは天使に勝った。天使は祝福の意味で、ヤコブの名をイスラエルと改名した故事があります。イスラエルの民が神から選ばれたという「選民思想」のひとつの逸話であります。ヘブライ語で「スモー」「シュモー」は「彼の名前」という意味である。イスラエルの神事も清めに塩を撒くとのことです。

イメージ 2

http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2009/hatsubasho/1.html
追伸:ただ、細木数子との関係だけは、ちょっと横綱は考え直した方がいいだろう。ヒール朝青龍と女親分細木数子のは似たもの同士かもしれない。写真では顔がそっくり、前世では姉弟かもしらん?だが見ていて気持ち悪い。
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