Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:その他文化活動

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土曜日曜は娘が通うやんごとなき私立女子中学高校の文化祭でした。

そこでなんと、初等科に通う愛子様を目撃しました!

体育館で催されたリコーダーアンサンブル部のコンサートで、友達4人とその父兄と思われるご婦人2人、皇宮警察のSP婦警と思われる方2人に教頭先生でサッサッと来て最前列に席に座られました。

家内が気づいて教えてもらわなければ私と義母は気が付きませんでした。

ひょっとしたら雅子さま、皇太子殿下も近くにいらっしゃるのではないかと、私は下品にも辺りを見回しましたが、いらっしゃいませんでした。

愛子さまは、行儀よくリコーダーアンサンブル部の演奏(かなりレベルが高く中高生の演奏とは思えませんでした)鑑賞されておりました。

不思議なのですが、私は少し2列後ろに座っておりましたが、愛子様は皇族の方が発せられるあのやんごとなきオーラを既に発しておられるのです。もちろん気のせいかもしれませんが、光輝いているように見えるのです。

携帯写真を写すことを躊躇させる不思議な力を感じざるを得ませんでした。
もっとも、女子中高の文化祭で自分の子供以外の生徒の写真を撮ると変態と思われてしまいますがね・・・(笑)
※学習院に通わすような父兄の方々には、お宮(皇族の方々を指す隠語)を携帯で写し公表するような不敬な父兄はいらっしゃいません。

愛子様については自閉症ではないかとの報道もありますが、あの生まれ備わった畏怖心を抱かせるオーラがそう思わせているのかもしれません。

わずかにお目にかかっただけで愛子様のすべてがわかるわけはございませんが、自閉症のお子様とは思えませんでした。自閉症の小学4年生のお子様がお友達と学園祭に遊びに来られるのでしょうか?

雅子様とはなれてご自身の意思でお友達と、完全に自由とは言い切れませんが学園祭を自由にたのしまれているご様子でした。

愛子様と雅子様に対して、かなり否定的な報道がされています。仮に自分の娘がアスペルガーの疑いがあったとしたら皆さんどうされますか?可能であれば自分の娘に母親が付きっそうことがそんなに悪い事でしょうか? 

でも、こうやって友達同士で学園祭に遊びに来られるようになっているのです。皆さん雅子様愛子様親子を暖かくみまもろうではないか!




ちなみに9月に行われました体育祭では、紀子様をおめにかかることができました。
高等科2年生の佳子様のご活躍を少しだけ見届けたあと、本部テントで満面の笑みで周囲のかたにご挨拶をして、直ぐにお帰りになられました。

紀子様も皇室の方々が放つオーラを放っておりました。なんと私に向かってもあの神々しい笑みで会釈をされたので、感激のあまり私は体を硬直させてしまいました。
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オバマ大統領のノーベル平和賞受賞
称賛するのも失望するのも早すぎる
2009年10月13日(Tue) Financial Times

バラク・オバマ氏にノーベル平和賞を与えるという奇妙な判断については、多くの意見があるだろう。まずは賞を授与したノーベル賞委員会について、1つ、2つ言いたいことがあるはずだ。

 ただ、決して言えないのは、それが大統領にとって朗報だということだ。
オバマ氏が大統領に就任してから、たった9カ月しか経っていない。異論が噴出した景気刺激策を押し通したことを除くと、これまでに、ほとんど何も達成していない。確かに彼は記憶に残るスピーチをし、観衆の心を動かし、広く尊敬を集めている。今のところ、それだけだ。

委員会は「国際的な外交を強化することに並外れた努力をした」ことを授賞理由に挙げた。確かにオバマ大統領は米国の政策の基調を変えた。それはいいことである。

 だが、政治家がスピーチすることは珍しいことではない。外交問題においては、どんな熱心な信奉者でさえ、大統領が実際に成し遂げた功績はおろか、大変な骨折り仕事や粘り強い努力を例示することはできないだろう。

批判が噴出する中でのノーベル平和賞受賞

米国から見ると、平和賞授与のタイミングには、とりわけ違和感がある。ノーベル賞委員会が賞の授与を決めたのは、折しもオバマ氏が、公約の不履行や言行の不一致について、かつての味方から嘲笑を浴び始めた時だったからだ。

 民主党の大部分は以前、ノーベル賞委員会が先週表明したような夢見がちな憧憬をオバマ氏に抱いていた。今、厳しい批判が仲間の民主党議員から噴出している。大統領が支持すると見られている骨抜きにされた医療保険制度改革、アフガニスタン戦争への固執、拷問の訴追に関する優柔不断な姿勢といった諸々の案件に対する批判だ。

 言うまでもなく、大半の共和党議員は、大統領は口先だけだという確信をかつてないほど強めている。彼らにしてみれば、ノーベル賞委員会はただその事実を祝っているにすぎないのである。

 確かに、こうした批判の多くは誤解に基づくものだったり、行き過ぎたりしている。オバマ氏はいくつかミスを犯した。しかし、ノーベル賞委員会が彼の平和への努力に報いるのが早すぎたのと同じように、大統領に失望するのも早すぎる。

注目に値するような成功は、まだ実現可能だ。オバマ氏にとって、そして来年中間選挙を戦う民主党にとって危険なのは、過剰なまでに膨らんだ期待は、成功を失敗に見せる恐れがあるということである。

 内政においても外交政策においても、インスピレーションを抑制し、堅実な実地の作業を増やすことは、米国にとっても大統領にとってもプラスに作用するはずである。ノーベル賞はこの点、何の役にも立たない。

過剰な期待の犠牲

国内では、医療保険改革がそうした成功の1つになるだろう――また、過剰な期待の犠牲になる恐れもある。

 確かに、オバマ氏は当初、プロセスの差配を誤った。そもそも議会に指揮を委ねるべきではなかった。たとえホワイトハウスが法案を書かないにせよ、国民の信望を得るために、しっかり監督する必要があった。

 しかし、オバマ政権は医療保険改革のコストについても不正直だった。

米国人にただで何かを約束すれば、信じてもらえないのは当然である。今でさえ、ホワイトハウスは改革を、「追加コストなし(金持ちは除く)、既存サービスの質の低下なしで、国民皆保険に近い状況を達成できる」ものとして売り込んでいる。

 上院金融委員会は13日、医療改革法案について採択する。いくら欠点があろうとも、この歴史的な措置、あるいはそれに近いような改革は、米国の健康安全保障を大幅に改善するものだ。

 だがリベラル派は、民間医療プランと競合する国営プラン「パブリックオプション」がないため、改革法案に失望している。有権者の多くが属する中間層は、法案が高くつき、複雑だと言って落胆している。そして保守派は、これが民主党の改革案だという理由で失望している。後になってコストを負担する段階が訪れた時には、すべての人が不満を抱くだろう。

 プランはいいものだし、コストも正当なものだ。しかし、オバマ政権は中身を説明し、国にその影響を覚悟させる段階で失態を演じた。

外交政策においては、アフガニスタンがオバマ政権にとって最大の難題であり、また、恐ろしいほどの現実感の欠如が一層著しい問題でもある。

 医療改革と同じように、ホワイトハウスは躊躇した。医療改革と同じように、国の政策について説得力のある訴えをすることができず、どんな政策を取るべきなのかさえ決めかねずにいる。

 医療改革と同じように、望ましい結末と持ち得る手段をすり合わせられずにいる。オバマ氏はこの問題を引き継いだのであって、彼がこの問題を作ったわけではない。

だが、それを言い訳にする時間はもう尽きた。今、大統領はアフガニスタンの任務が何なのか早急に決め、コストを正直に明かし、国の賛同を得なければならない。

 オバマ氏が常に、彼を大統領の座に就けた大きな期待に応えるのに苦労するのは明らかだった。誰よりも、本人がそのことをよく知っている。それゆえ大統領に就任してからの重要な課題は、期待をうまく抑え、厳しい事実と向き合い、選択肢についてもっと現実的な理解を国民に抱かせることだった。

 それはうまくいっていない。そしてノーベル賞委員会の熱愛宣言は、すべてを少しずつ難しくしてしまった。

最善の対応は賞を辞退することだった

実際、オバマ大統領にとって最も賢明な対応は、評論家のミッキー・カウス氏が述べたように、やりたいことを成し遂げる時間がなかったと言って、ノーベル平和賞を辞退することだった。何もしなかったことに対して世界の称賛を受け入れることは、虚栄に見えるし、リスクを伴うことでもある。

 大統領はこの決まりの悪い事態を自分の有利になるよう覆すこともできたが、その機会をみすみす逃した。大統領は「行動への呼びかけ」として賞を受け入れるとし、委員会の選択を非常に謙虚に受け止めると述べた。

 そう、オバマ大統領には謙虚になるべきことがほかにももっとある、と米国人の多くは考えているのである。

オバマの平和賞受賞を聞き、もう、ノーベル平和賞など、レコード大賞程度の権威しかないと思った。

オバマは就任してまだ10ヶ月いったい何の実績があるというのか?何も実績などありゃしない。該当者無しとなぜできなかったのか?

佐藤栄作の非核三原則でケチがつき、韓国唯一のノーベル賞受賞者 金大中が受賞した時点で、この賞には権威も意義も地に堕ちているが、今回のオバマ受賞で、もう誰もノーベル平和賞に権威も意義を見出さなくなるのではないか?そう思うのは私に限ったことではないだろう。

2000年 金大中(韓国)
2001年 国際連合、コフィー・アナン(国連事務総長)
2002年 ジミー・カーター(アメリカ)
2003年 シーリーン・エバーディー(イランの弁護士で、人権活動家、民主運動家)
2004年 ワンガリ・マータイ (ケニア:もったいないの女性環境保護活動家。)
2005年 国際原子力機関 、ムハンマド・エルバラダイ(エジプト)
2006年 グラミン銀行、ムハマド・ユヌス(バングラデシュ)
2007年 気候変動に関する政府間パネル、アル・ゴア(アメリカ)
2008年 マルティ・アハティサーリ(フィンランド)
2009年 バラク・オバマ(アメリカ)

2000年以降、私が思うに、このうちノーベル平和賞にふさわしいのは、シーリーン・エバーディー氏(イランの弁護士で、人権活動家、民主運動家) と、 ワンガリ・マータイ氏 (ケニア:もったいないの女性環境保護活動家。) グラミン銀行、ムハマド・ユヌス氏(貧者の銀行)ぐらいであろう。

アルゴアもそう、コフィー・アナン、ジミーカーターなども問題外、金大中と、オバマの受賞は反吐が出そうだ!

「なぜ、オバマなのか」選考を行うノルウェーのノーベル賞委員会では、プラント当時西ドイツ首相、78年に共同受賞したエジブト大統領のアンワル・サダトとイスラエル首相のメナヘムーペギンやゴルバチョフの場合のように、現在進行中の政治的取り組みを「後押しする」ために現職の国家首脳にノーベル平和賞を授与する、国連を重視するオバマの政治姿勢自体が評価すべきものだということだ。

実にぱかげていると言わざるを得ない。オバマは、ゴルバチョフやブラントと違い、まだ何も実績がないのだ。しいて言えば、核のない世界の実現、まだ演説しただけで、いったいオバマは実績らしい実績など何もない。

将来の平和推進活動実績を前借し、政治家を後押しするためのノーベル平和貨授与という理由はいかがなものか?そういう発想は、骨を折って好ましい結果を生み出す努力をしなくても、「世界が平和でありますように」とあちらこちらに貼り付けている、世界救世教も受賞してしまうだろう。
世界が平和になりますようにと書いた、憲法第九条のように、意味なく善意を抱いているというだけのでご賞を与えるようなものだ。

アメリカ大統領の仕事は、無責任な善意だけ持つ個人と同じ信条で、不幸な人々に同情を示すだけでは、この役職は務まらない。アメリカ大統領は、軍の最高司令官としてアメリカ軍を率い、議会と緊密に話し合い、その同意を取り付けることを通じて、時には多くの人命が失われるような決断をしなくてはならない。戦争や平和や安全保障などの重大な問題を解決するには善意は障害でしかない。


オバマが揺らぐ米国のプレゼンスを維持しつつ、世界の平和を主導して保つには、アメリカの経済力や外交力や軍事力をちらつかせることが不可欠。ところがノーベル賞委員会は、この現実を直視することを拒んでいる。

現職大統領が現実に功績を拳げないうちに称賛を浴ぴるのは好ましくない。まだ勝利を収めていないぱかりか、出場すらしていないレースで賞をもらうようなまねをすれぱ、受賞は逆効果だと思う。

オバマが馬鹿でなければ、辞退を申し出るか、よほど謙虚に振る舞わないと、オバマの2期目はないであろう。オバマにとっては非常に逆効果な受賞であった。
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