「残念」「来年こそ」落胆するハルキスト…村上春樹氏、今年も逃す 【産経】2014.10.9 21:19
ノーベル文学賞が発表された9日、東京都杉並区のブックカフェ「6次元」では村上春樹さんの熱心なファン“ハルキスト”ら約10人が集まり、吉報を待った。午後8時すぎに村上さんが受賞を逃したことを知ると、「あー」というため息がもれ、思わず机に突っ伏す人も。この日は午後5時から集まり、村上作品を語りながら発表を待った。シャンパンの瓶を手に、カウントダウンしながら待ったが、歓喜はお預けとなった。
同店で月に1度開かれる村上作品を読み解く読書会に、5年前から参加している渋谷区の会社員、大高康範さん(45)は「残念ですが、村上作品の文学的な深さが変わるわけではない」。15歳からハルキストを自認する板橋区のフリーター、渡瀬奈央さん(35)も「受賞してほしかったけれど、賞に興味のない村上さん自身はほっとしているかも。でも、いつか絶対受賞する人だし、新作を楽しみに待ちます」と前向きに話した。
店主で村上さん関連の著作もあるナカムラクニオさん(43)は「村上さんは必ずノーベル文学賞を受賞する。同時代にいられることがうれしいし、来年を楽しみにしています」と力を込めた。
私もいわゆる「ハルキスト」の一人である思っています。ブックバーでシャンパン片手に待つほどの熱心な方ではありませんが、ほとんどの作品は読み、そのうち何本かの村上春樹作品書評を当ブログにて書きました。
今年の文学賞に受賞はノーベル物理学賞に日本人が3人受賞した時点で今年も無いと思っておりましたので、ああやっぱりと思った程度です。少しも残念ではありません。あと数年は毎年万年文学賞候補として楽しめるから逆に楽しみが持てて良いような気がします。
2010年初めて候補に挙がった時1Q84ならノーベル文学賞を獲ってもおかしくないと思いましたが、最新作長編(中編)小説の「多崎つくると彼の巡礼の年」は、けして悪くない作品とは思いますが、他の村上作品と比べると物足りなさを感じます。もしかすると次の長編小説作品が受賞時の代表作になると思いますので、次回作は万人が受賞を納得できる作品を書いてほしいものです。次の長編小説が世界的に翻訳された頃、おそらく2020年の東京オリンピックの頃にノーベル文学賞を受賞すればいいではないかと思っている。1968年受賞した川端康成から本当は安倍公房が受賞する予定だったが急逝してしまった為1994年受賞した某左翼作家が受賞するのに26年かかった。となると次は2020年なので、気長に待てば良いのである。よしんば、ノーベル文学賞を受賞することが出来なくとも、三島由紀夫や安倍公房、谷崎潤一郎のように、優れた日本の作家の一人として評価を得ていることで十分である。おそらく100年が過ぎても村上春樹作品は古典として残っているであろう。
ノーベル文学賞は大江健三郎が北欧へ度々出向いてはスウェーデンアカデミーに媚びるような営業行為を繰り返して受賞したように、必ずしも文学的に優れた偉大な作家が受賞するとは限らない。Wikiによれば1901年第1回の選考の際には、かの文豪トルストイが存命で、有力候補とされていたが選ばれなかった。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、結局、翌年以降も選ばれることは無かったのである。
そもそもノーベル文学賞は世界各地のペン・クラブや大学、文学者などから候補が推薦され 、これをスウェーデン学士院が選考するのだが、日本の文壇の中では村上春樹の評価は芥川賞も与えられなかったように不当に低く評価されている。村上春樹の原点がアメリカ文学(フィッツジェラルド・レイモンドチャンドラー・レイモンドカ-ヴァー)やロシア文学(カフカ・ドストエフスキー)であったせいもあるが、村上春樹作品は初めから日本の文学の本流ではなかった。本人が意識してそうしたかどうかは不明だが、最近では海外にも読者が居ることを意識した作品作りとなっていると思う。
最近お笑いタレントの太田某のように、村上春樹は流行ものだと批判することで自分の文学性の方が上だと言わんばかりのことを言う人間がいるが、非常に不愉快である。そんな薄っぺらい作品であったのなら何故全世界で熱心な読者がいるのだろう。私は太田某の短編集を書店で手に取ったことがあったが、とても少ない小遣いで買う気にはなれなかった。太田某の村上春樹批判は、売れない漫才師が大物漫才師を批判するようなものだ、批判の理由が流行ものだからでは村上春樹の批評にも批判にもなっていない。
最近のノーベル文学賞傾向として世界的に著名で高齢の文豪が選ばれる傾向が強く、どちらかというと既存の社会に対して批判的な作家に対して贈られるケースが増えてきた。 3.11直後の2011年7月村上春樹はカタルーニャ文学賞で反原発演説を行った。大学時代は全共闘世代でありながらノンポリであると公言していた村上春樹が反体制的な演説を行ったのはひょっとするとノーベル文学賞を意識してのような気がしてならない。
村上春樹の小説は、純文学ではなく、そのテーマは異界の話などSF的なリアルな現代社会の常識を超えているところがある。村上の小説に出てくる若者たちは羨ましいほど簡単にセックスをするし、海辺のカフカの少年は自分の母親と近親相姦をする。また、作品には、随所で美味しそうにビールを飲むシーンや至る所で、まるで喫煙を奨励しているように喫煙シーンがある。
村上春樹の作品にはたばこや不条理な暴力といった不道徳なテーマが数多く取り上げられている。村上春樹は時に暴力を人間性の一部であるかのような書き方をしたり、1Q84における不条理な暴力も否定的ではなく肯定的にとらえられ、ともすると美化されているかのように読める。ナチスに過剰反応するヨーロッパ諸国において、不条理な暴力を行ったナチス礼賛論者と受け取られかねないところがある。
スウェーデン学士院が村上作品をどう評価しているかはわからない。残念ながら他国のノーベル文学賞作品を読んだことがないのだが、川端康成や候補に挙がったとされる谷崎純一郎、三島由紀夫、安倍公房、井上靖、井伏鱒二、遠藤周作の作風とは明らかに異なる。三島由紀夫にしても遠藤周作にしても安倍公房、井上靖にしても暴力や不条理なことは山ほど書かれているが、村上作品と異なり教科書的な常識の範囲内にある。
いまのノーベル賞委員会というのは、どうも常識人から構成されているように思える。そうだとしたら、村上春樹氏がノーベル賞を逃し続けている理由が察せられる。
『1Q84 BOOK3<10月ー12月>村上春樹』を読んで キーワードは”ユング”
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