Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:その他文学


ノーベル文学賞が発表された9日、東京都杉並区のブックカフェ「6次元」では村上春樹さんの熱心なファン“ハルキスト”ら約10人が集まり、吉報を待った。午後8時すぎに村上さんが受賞を逃したことを知ると、「あー」というため息がもれ、思わず机に突っ伏す人も。この日は午後5時から集まり、村上作品を語りながら発表を待った。シャンパンの瓶を手に、カウントダウンしながら待ったが、歓喜はお預けとなった。

同店で月に1度開かれる村上作品を読み解く読書会に、5年前から参加している渋谷区の会社員、大高康範さん(45)は「残念ですが、村上作品の文学的な深さが変わるわけではない」。15歳からハルキストを自認する板橋区のフリーター、渡瀬奈央さん(35)も「受賞してほしかったけれど、賞に興味のない村上さん自身はほっとしているかも。でも、いつか絶対受賞する人だし、新作を楽しみに待ちます」と前向きに話した。

店主で村上さん関連の著作もあるナカムラクニオさん(43)は「村上さんは必ずノーベル文学賞を受賞する。同時代にいられることがうれしいし、来年を楽しみにしています」と力を込めた。
私もいわゆる「ハルキスト」の一人である思っています。ブックバーでシャンパン片手に待つほどの熱心な方ではありませんが、ほとんどの作品は読み、そのうち何本かの村上春樹作品書評を当ブログにて書きました。
今年の文学賞に受賞はノーベル物理学賞に日本人が3人受賞した時点で今年も無いと思っておりましたので、ああやっぱりと思った程度です。少しも残念ではありません。あと数年は毎年万年文学賞候補として楽しめるから逆に楽しみが持てて良いような気がします。
2010年初めて候補に挙がった時1Q84ならノーベル文学賞を獲ってもおかしくないと思いましたが、最新作長編(中編)小説の「多崎つくると彼の巡礼の年」は、けして悪くない作品とは思いますが、他の村上作品と比べると物足りなさを感じます。もしかすると次の長編小説作品が受賞時の代表作になると思いますので、次回作は万人が受賞を納得できる作品を書いてほしいものです。次の長編小説が世界的に翻訳された頃、おそらく2020年の東京オリンピックの頃にノーベル文学賞を受賞すればいいではないかと思っている。1968年受賞した川端康成から本当は安倍公房が受賞する予定だったが急逝してしまった為1994年受賞した某左翼作家が受賞するのに26年かかった。となると次は2020年なので、気長に待てば良いのである。よしんば、ノーベル文学賞を受賞することが出来なくとも、三島由紀夫や安倍公房、谷崎潤一郎のように、優れた日本の作家の一人として評価を得ていることで十分である。おそらく100年が過ぎても村上春樹作品は古典として残っているであろう。
ノーベル文学賞は大江健三郎が北欧へ度々出向いてはスウェーデンアカデミーに媚びるような営業行為を繰り返して受賞したように、必ずしも文学的に優れた偉大な作家が受賞するとは限らないWikiによれば1901年第1回の選考の際には、かの文豪トルストイが存命で、有力候補とされていたが選ばれなかった。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、結局、翌年以降も選ばれることは無かったのである。
そもそもノーベル文学賞は世界各地のペン・クラブや大学、文学者などから候補が推薦され 、これをスウェーデン学士院が選考するのだが、日本の文壇の中では村上春樹の評価は芥川賞も与えられなかったように不当に低く評価されている。村上春樹の原点がアメリカ文学(フィッツジェラルドレイモンドチャンドラーレイモンドカ-ヴァー)やロシア文学(カフカドストエフスキー)であったせいもあるが、村上春樹作品は初めから日本の文学の本流ではなかった。本人が意識してそうしたかどうかは不明だが、最近では海外にも読者が居ることを意識した作品作りとなっていると思う。
最近お笑いタレントの太田某のように、村上春樹は流行ものだと批判することで自分の文学性の方が上だと言わんばかりのことを言う人間がいるが、非常に不愉快である。そんな薄っぺらい作品であったのなら何故全世界で熱心な読者がいるのだろう。私は太田某の短編集を書店で手に取ったことがあったが、とても少ない小遣いで買う気にはなれなかった。太田某の村上春樹批判は、売れない漫才師が大物漫才師を批判するようなものだ、批判の理由が流行ものだからでは村上春樹の批評にも批判にもなっていない。
最近のノーベル文学賞傾向として世界的に著名で高齢の文豪が選ばれる傾向が強く、どちらかというと既存の社会に対して批判的な作家に対して贈られるケースが増えてきた。 3.11直後の2011年7月村上春樹はカタルーニャ文学賞で反原発演説を行った。大学時代は全共闘世代でありながらノンポリであると公言していた村上春樹が反体制的な演説を行ったのはひょっとするとノーベル文学賞を意識してのような気がしてならない。
村上春樹の小説は、純文学ではなく、そのテーマは異界の話などSF的なリアルな現代社会の常識を超えているところがある。村上の小説に出てくる若者たちは羨ましいほど簡単にセックスをするし、海辺のカフカの少年は自分の母親と近親相姦をする。また、作品には、随所で美味しそうにビールを飲むシーンや至る所で、まるで喫煙を奨励しているように喫煙シーンがある。
村上春樹の作品にはたばこや不条理な暴力といった不道徳なテーマが数多く取り上げられている村上春樹は時に暴力を人間性の一部であるかのような書き方をしたり、1Q84における不条理な暴力も否定的ではなく肯定的にとらえられ、ともすると美化されているかのように読める。ナチスに過剰反応するヨーロッパ諸国において、不条理な暴力を行ったナチス礼賛論者と受け取られかねないところがある。
スウェーデン学士院が村上作品をどう評価しているかはわからない。残念ながら他国のノーベル文学賞作品を読んだことがないのだが、川端康成や候補に挙がったとされる谷崎純一郎、三島由紀夫、安倍公房、井上靖、井伏鱒二、遠藤周作の作風とは明らかに異なる。三島由紀夫にしても遠藤周作にしても安倍公房、井上靖にしても暴力や不条理なことは山ほど書かれているが、村上作品と異なり教科書的な常識の範囲内にある。
いまのノーベル賞委員会というのは、どうも常識人から構成されているように思える。そうだとしたら、村上春樹氏がノーベル賞を逃し続けている理由が察せられる。

『1Q84 BOOK3<10月ー12月>村上春樹』を読んで キーワードは”ユング”


執筆中
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俳優で、テレビ司会者や書評家としても活躍した児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)氏が16日午後0時28分、胃がんのため、東京都内の病院で死去した。77歳。東京都出身。通夜は20日午後6時、葬儀・告別式は21日午前11時半、東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は妻、北川好子(よしこ)さん。

昭和9年生まれ。学習院大学時代は演劇部で、篠沢秀夫氏(現学習院大学名誉教授)らと活動。卒業後、東宝の新人俳優公募コンテスト「ニューフェース」に合格し、映画俳優として、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」などに出演する。一方で、テレビ俳優としても活躍。「ありがとう」「白い巨塔」「HERO」「トップキャスター」など数々の人気連続ドラマに出演した。

読書家としても知られ、NHKの書評番組「週刊ブックレビュー」の司会を務めたり、産経新聞などや雑誌の書評連載もこなしていた。

昭和50年にテレビ朝日系で始まったクイズ番組「パネルクイズ アタック25」の司会を担当。一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりがお茶の間の幅広い年齢層で支持され、30年を超える長寿人気番組に育てた。

俳優・タレントの児玉清さん死去


読書界の淀川長治、読書の伝道師にて偉大なる読書人児玉清さんが亡くなられた。この世から私が尊敬する人物がまた一人鬼籍に入られてしまいました。

NHKの週刊ブックレビューは毎回視ていたわけではありませんが、よく視てました。
本の面白さを余すところ無く語る児玉清さんが語る本の魅力は通販の帝王ジャパネットタカタの高田社長の通販トークより数倍のプレゼン能力を感じます。ちょっと変なたとえでもうしわけありません。でも児玉さんの話をまともに聞くと小遣いがすぐに破綻してしまう点では、出版界の高田社長かもしれません。

私も読書が大好きです。同じく本を愛する私には、児玉さんが本の魅力を語りたくてしょうがないことがわかります、児玉さんは本が愛おしくてしょうがないのです。

(Ddog)にとっては読了した本は自分の分身です。本は脳の外部記憶機能として、また、読了した本の一部を読んだ記憶をとどめる為にブログを書いていますが、児玉さんと同じく「この本が面白い!」と皆さんに伝えたくてしかたがない側面もあります。ある意味で私の師匠かもしれません。
 
児玉さんは本を読むことは呼吸をするぐらい自然な行為として語られます。読書に対する姿勢は、本を読むことそのものが児玉さんの人生であったと思います。そして私も見習いたいと思います。
 
下記URLの動画には児玉清さんのご自宅の書庫が紹介されています。週刊ブックレビューでミレニアム1のブックレビューを扱った動画です。
是非ご覧下さい。

この動画のなかで、児玉さんは「なぜこれほどの本好きに?」との問いに
「僕は結果において意気地なしじゃないかと思うんです、文化発するところにへも行けませんし、虫や蛇も嫌いなので冒険好きだが自分では冒険することができない。
でも本の世界では僕が行けないような処にでも行ける。主人公に心を託せば大変な冒険ができるわけですよね、本によって私の冒険心や好奇心と言ったものを本によって知って補っている。そういった感じで本の虜になっている。」と謙虚に仰っています。

児玉さんが語る本の面白さは、けっして文学論からではなく、読書人としての視点を崩さなかった。批判ではなくここが面白いという賞賛の視点であったと思う。

私はちょっとスノップな言い方で申し訳ありませんが「児玉さんに読書人のありかたを学んだような気がします。」
 
児玉さんを惜しむ声は私ばかりではなく、産経新聞、朝日新聞の一面コラムにて語られています。
2011.5.19 03:20 
「もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」。こんなかっこ良すぎるセリフも、児玉清さんなら許される。16日に、胃がんで77年の生涯を終えた二枚目俳優は、物心ついた頃から本を読まなかった日はないという、芸能界きっての読書家だった。

▼母親の急死で、ドイツ文学の研究者への道をあきらめた。就職先を探していたら、偶然東宝映画ニューフェースに合格する。それから二十数年、40代半ばの児玉さんは俳優として大きな曲がり角にいた。台本を読んでからでないとテレビドラマに出演しない。そんな原則を守っていたら、依頼がほとんど来なくなった。

▼鬱々とした気持ちを紛らせてくれたのも読書だった。とりわけお気に入りの英米ミステリーの翻訳を読み尽くしてしまい、仕方なく原書のハードカバーを入手する。ところが存外楽に読め、翻訳本より喜びが深いことに気づいたという。

▼以来、ひたすら面白い本を追い求め、人に魅力を語っているうちに、翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務めるようになった。平成16年からは、小紙にも海外ミステリーの書評を寄稿している。

▼1回目に取り上げたのが、米国で発売されたばかりの『ダ・ヴィンチ・コード』だった。「予断を許さぬ激しい場面転換に読者の心は●(つか)まれたまま、ジェットコースターライドの切迫感で巻末へと放りこまれる」。日本でもブームに火が付いたのは、薦め上手の児玉さんの力が大きかったはずだ。

▼36年にわたり司会を務めてきたクイズ番組『アタック25』で、最近本に関する問題の正答率が低いことを憂えていた。本離れと電子書籍の普及という激震にあえぐ出版界は、偉大な応援団長を失った。


●=てへんに國
 
 

天声人語 2011年5月19日(木)付

温厚、誠実な好人物にとどまらず、知的でダンディー。中高年がうらやむ「おじさま」の条件を独り占めしていた。77歳で亡くなった俳優の児玉清さんである。実は骨っぽい逸話も多い
▼東宝の新人時代、ロケ先で若手スターからお茶に誘われた。サインをもらいに来た女性が「あなたも」と児玉さんに色紙を差し出すと、スター氏が「こいつは雑魚(ざこ)だよ」。席をけった雑魚、俳優を貫く決意を固めたそうだ
▼ただ、役者の自己陶酔とは無縁だった。テレビで使われる理由を「無味無臭なある種の清潔感、要するにアクの無さ」と自ら解説し、爆弾魔役で取った賞には「やりそうにないやつがやったというのは一度しか効かない」。覚めていた
▼〈さあ、ここからは慎重かつ大胆にお答え下さい〉。36年も司会を務めたクイズ番組。語り口に端正な人間味がにじむ。柔らかな声、共演女優が言う「人を幸せにする笑顔」が、解答者の緊張をほぐした
▼長身にまとった知は自前だった。蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ。さらに随筆、切り絵も。芸能人でも文化人でもなく、一人の親としての痛恨は9年前、36歳の長女を同じ胃がんで失ったことだろう
▼「クイズ番組は人生そのもの」と語った通り、児玉さんも勝ち負けを重ねて領域を広げた。半世紀を超す芸能生活が視聴者に等しく残した印象は、控えめだが親しみ深い中間色だろうか。
25すべてのマスをベージュで埋めて、まな娘に再会する旅に出た。
 
その雑魚と言った俳優はだれれあろうと亡くなっても、新聞の片隅に小さく載る程度であろう。児玉さんは産経と朝日の1面コラムで惜しまれる人物となった。タイムマシンに乗って、児玉さんは雑魚ではなく立派な出世魚ですよとそのサインをもらいに来た女性に言ってあげたいですね。
 
ちなみに、この天声人語での雑魚話はちょっと雑な書き方で意味不明な為、すこし解説した記事を見つけました。
 
2005年に発売された故・児玉清氏の回想録『負けるのは美しく』(集英社)――上品で温厚で知的なイメージのある児玉氏が同書で描いた自画像は意外や意外、コンプレックスにまみれ、敗北に敗北を重ねた負け犬の相貌であった。児玉氏が同書発売当時に語っていた思いを紹介する。(週刊ポスト2005年11月4日号より)
 * * *
 
 そもそも俳優という商売はどこまで行っても後悔の連続で、これという答えがないものですから、と児玉氏はいう。
 
「思えば僕の役者人生は負けばかり。自分で自分が勝ったと思えることなんて、1度としてありませんね。それでも闘っては負け、闘っては負けを繰り返し、敗北感、絶望感に常に打ちひしがれてきた」(児玉氏)
 
 役者とはそういうものだと人はいうかもしれない。だがその役者に、なりきれなくてもがき、懊悩した日々を児玉氏は本書に綴るのである。学習院大学を卒業後、母の死によって大学院進学を断念し、ひょんなことから受けた東宝ニューフェイスに合格。
 
「翌年の新卒採用までの、ほんの腰かけ程度の気持ちで」
 
 映画界に入り、1961年にデビューを果たしたものの、その後は大部屋生活が続いた。ろくに人として扱われない日々に嫌気がさし、何度もやめようと思ったが、それはロケで訪れた博多の街に、同い年の某スター氏とくりだしたときのこと。ある店でサインを求められたスター氏が、児玉氏にも色紙を差し出した店員にこう言い放ったのだ。
<この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ>――。

<雑魚が雑魚と言われて怒るのもおかしいが><もし、僕がこのまま俳優をやめたら、いつまで経ってもあいつは雑魚だったで終ってしまう><こうなったら意地でも俳優に踏みとどまってギャフンと言わせてやるぞ>

「僕にはどうもそういう生意気なところがあるんだなあ。雑魚は殴られ、罵倒されて当然の現場でも、何かにつけて反発し、バカヤローと襟首を掴まれると、僕の襟首を掴まないでください、なんてことを大監督に平気でいう」

 あの、故・黒澤明監督にも、散々噛みついた。

「当時の黒澤さんは、まさに天皇のごとく君臨していて、僕が現場で腕を組んでいるだけで、腕組むなっと雷が落ちる。理屈も何もなかったな。なのに、怒らせるなよといわれればいわれるほど、僕は“巨匠とはいえ同じ人間じゃないか”と思ってしまうんだなあ(笑い)。
納得いかないことにいちいち食ってかかる、そんな自意識過剰でヘボ役者の僕を、しかし黒澤さんは、アイツがあの気概をあと10年持っていられたら何とかなるかもしれない、といってくれていたらしい。突っ張ってばかりで、でもとにかくしゃかりきだった雑魚の思いを、感じていてくださったんですね」
 児玉さんもやはり「自分は負け犬・雑魚だと思っていた!」おおいに共感いたします。わたくしのハンドルネームDdogには「吠えるだけの負け犬」という意味を込めています。
 
負け犬だからこそ、本を読み知識を積み重ね、運よく一番に上り詰めた奴らを上から目から目線で見下してやろうといった、反骨の心理があったのかもしれません。
 
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すべての女は寺山修司を愛する
96-02-28
寺山修司が、東京都杉並区阿佐谷の河北病院で逝ってから、今年は十三年目だ。河北病院には、ぼくも二十五年前、頭を打って入院したことがある(関係なかったですね。すみません。でも考えてみるとあれから趣味も行動もおかしくなったんだな。いや、ますます関係ないや。しっけい、しっけい)。
その寺山の人気が、なかなか高い。ついこの前までも、東京の渋谷で、寺山旋風が吹き荒れていた。
まず、東急百貨店渋谷本店裏のシアター・コクーンでは、寺山の一九七八年の戯曲『身毒丸」が上演された。演出は蜷川幸雄だった。
それから、渋谷公園通りのPARCO劇場では、寺山の一九六七年の戯曲『毛皮のマリー」が、ドイヅ人、H・P・クロスの演出でロングニフンされていた。
どちらの劇場も、すさまじい人気で連日超満員。立ち見のチケットすら、入手困難だった。しかも、客の大方は女性だった。
ならば、なぜ今、女性に寺山か?
もちろん、寺山ワールドの魅力は多面的だ。が、今回評判をよんだ二つの戯曲に限ってみると、寺山の、ある一面が、当世の女性にうけてるんだなってことが、いやでもわかる。
『身毒丸」から見てみよう。これは、弱々しい男の子が、まま母にいじめ抜かれる、悲惨な物語だ。
舞台は金持ちの家。妻が男の子をひとり遺して死んだので、主人は後妻をもらう。彼女には、連れ子の男の子がひとりある。だから、先妻の子さえいなくなれば、彼女の実子が跡取りになれる。
そこで彼女は、先妻の子を呪う。この呪いのおかげで、先妻の子の弱々しい男の子は、ついに体内が毒で満たされ、体は腐り、目も見えなくなる。だから、この男の子の名は身毒丸なのである。
次に『毛皮のマリー』。これもまた、弱々しい男の子の物語だ。
と言っても、こちらの男の子は、身毒丸みたいにいじめられはしない。逆に彼は、養母のマリーさんに溺愛されすぎ、マンションの一室に、ペットのように監禁されている。しかも彼は、知能の発育に問題があるらしく、決して養母のそばを離れられず、自ら監禁状態を受け入れ、一生、自立できな結局、『身毒丸』も『毛皮のマリー」も、体や頭の不自由な、弱々しい男の子の話なのであり、自身マザコンの寺山は、そんな話を作るのが大の得意なのだった。
そして、当世の女性にうける寺山とは、まさにこの、弱々しい男の子にまつわる悲惨なストーリーの書き手としての、寺山なのだろう。
では、なぜ、当世の女性に、そんな寺山の一面がうけるのか?
女性には一般に、母性愛なるものが備わっているらしい。が、今の世の中には、長く独身を通したり、結婚しても子を作らなかったり、とにかく、子供と縁なく、なかなか母性愛を発揮できない女性が、山ほどいる。そんな子供なき女性たちが、山ほどにあり余った母性愛のはけ口を求めはじめたのが、この頃の状況なのではあるまいか?
むろん、母性愛のはけ口には、たくましく力強く、成熟した男性なんかふさわしくない。守ってあげなければ、すぐ死んでしまいそうな、未成熟きわまる男のほうがいい。寺山の描く、体や頭が不白由だったりする男の子たちのような……。
そう思って世間を見回すと、符合することがずいぶんある。
最近、女性に人気のある若手男性タレントには、未成熟で阿呆風の人物がやたら多い。また、わざわざ年下の頼りなげな男を選んで続婚する女性が、やたら増えている・・・。
さあ、しっかり者を自任する貴兄も、明日からは弱々しい阿呆を装おう。そうすれば、あり余る母性が、貴兄の頭上にも降り注ぐであろう!
司馬遼太郎――追悼挫折と失望
96-03-13
歴史小説家、司馬遼太郎と、クラシック畑の作曲家、武満徹が相次いで逝っだ。
二人は共に、戦後を代表する文化人であり、しかも資質の点ではなかなか対照的だったと思う。そこでこのこ人を対にし、二回に分け追悼してみたい。
まず、今週は、司馬のほうから。
かく言うぼくが、初めて接した大人向けの小説は司馬の作品だった。小学四年で読んだ『国盗り物語』がそれである。
以来、司馬文学を愛読してきた。
もっとも中学生のとき、司馬の『北斗の人」を、通学途中の地下鉄で読んでいる最中たまたま貧血を起こし、気絶卒倒してからは、どうも司馬を読むと倒れるような気がして、「もう司馬は卒業だ」というつもりになって、あまり手に取らない時期が、十年以上もあったのだけれど。
その司馬文学の特質は何かとなれば、やはり「明るい」の三文字に尽きるだろう。
この場合の「明るい」とは、ストーリーが楽しいとか陽気とかいう意味ではない。小説全体に明るい照明が行き届いて、子供でも読めるくらい見通しがいいって意味であるてでは、なぜ司馬文学は見通しがいいか?
新聞記者出身の司馬ならではの、文章の平易さのせいもあるだろう。
が、それだけではない。そもそも、司馬の小説の主人公たちが、みな見通しのいい人間なのである。彼らは、国のため、時代のため、白分が何をすべきか、あまりに明快な目的意識を持ち行動する。よって、筋立てもおのずと見通しがよくなるのだ。
たとえば、『竜馬がゆく』の坂本竜馬。司馬は彼を、江戸時代を終わらせ文明開化をもたらすのが日本、にとって最良の選択と信じ、そのために一点の曇りもなく、おのれの行動をプログラムする人として描く。
そんなクリアな構図ゆえ、『竜馬がゆく』は、武田鉄矢ら、いかにもクリアで単純そうな人々の間に、大勢の竜馬フリークを生み出した。
もちろん司馬は、竜馬の如く時代をリードする人物ばかりでなく、時代から捨てられる敗者もよく描いた。『燃えよ剣』の土方歳三、『最後の将軍』の徳川慶喜などがそうだ。
歴史の敗者というと、普通その人間像には、ドロドロした怨念が漂いそうなものである。が、司馬文学の描く敗者は、そうではない。
彼らは大抵、この国をよりよく導くためには白分が負けたほうがいいと自覚していて、どう負けるのがベストかを計算し、予定どおり敗れる。彼ら敗者もまた、目的意識の明快な点では竜馬とかと同じなのだ。
このように、司馬は、歴史をよりよく進めるため、自分のやれることを白覚し、その通りに行動する見通しのよい人間像を描き続けた。
では、なぜ司馬は、そんな人物像に生涯こだわったのか?
その理由も、また明快と思う。
司馬文学は、H本の高度経済成長のはじまりと重なるように、誕生した。そして司馬は、戦後日本の躍進が、ただの勢いに導かれているだけで、時代を大所高所から見通すリーダ
ーを欠いていることに危機感を抱き続けた作家だった。
そこで彼は、今の時代のために何をすべきかを、明蜥に思考するリーダーの出現を待ち望み、そういうタイプの人物の活躍する小説ばかり書いたのだとぼくには思える。
が、この司馬の望みは打ち砕かれたと言えるだろう。日本には司馬の望む人物はついに現れず、結局、政治も経済も停滞へと向かったのだから。
そのせいか、晩年の司馬は、かなり投げやりだった。彼は、TVでも雑誌でも、日本はもう駄目だとしか言わなくなった。
司馬の死は、決して功成り名遂げた者の栄光の死ではなかった。むしろ、挫折と失望の中の死だった。司馬文学には似合わない怨念が、晩年の司馬からは漂いだしてしまっていたのである。救われない。何とも救われない。
武満徹追悼 戦後日本の写し絵
96-03-20
前回の司馬遼太郎追悼の続きとして、今回は武満徹を弔いたい。
武満は、この二月に六十五歳で逝った、クラシック畑の作曲家である。
彼は「世界のタケミツ」とあだ名されたように、欧米でも真に愛された数少ない日本の文化人のひとりだった。その海外での知名度は、三島由紀夫や黒澤明に匹敵する。
武満は、オーケストラやピアノ、そのほかいろんな楽器のために、コンサート用の曲を書いた。また、映画やテレビの劇伴音楽も多く手がけた。
武満の組ん、た映画監督には、窯澤明、成瀬巳喜男、大島渚、篠田正浩らがいる。テレビドラマでは、たとえば吉永小百合の『夢千代日記』が武満の音楽だった。
また、筑紫哲也の三ユース23」のエンディングに、昨年から武満作曲の「翼」って歌が使われている。歌っているのは石川セリだ。
ちなみに、ぼくが武満の名を初めて強く意識したのは、小学生の頃テレビで接した、内藤洋子主演の映画『伊豆の踊子』(一九六七年)の音楽によってだった。そのテーマ曲には、オーケストラに途中突然、琴が加わって主旋律を奏でる。
その感覚が当時のぼくには不思議かつ感動的で、以後、武満の仕事を追っかけるようになった。
では、武溝という作曲家の、結局どこが偉かったのか?
思うに、武満とは、戦後日本の歩み、戦後日本人の心情の変化を、自身の音楽に上手に反映させ続けられた、ほとんど唯一の作曲家だったからこそ偉かったのである。
作曲家、武満のスタートは、昭和二十年代半ばだ。その頃から昭和、二十年代までの武満の音楽の響きには、やせぎすで貧しい雰囲気が漂っていた。
といって、その音楽は決して枯れてはいなかった。むしろ、若さが貧しさの中で身悶えし、必死にあがき思いつめている感じだった。
そんな彼の音楽は、アメリカ占領時代から安保闘争の頃までの、まだまだ物質的に豊かになれず、蕾々としていた日本の若い世代の心情とほぼ正確に対応していた。
次いで昭和四十年前後、武満の作風は新たな段階を迎える。
その音楽は、以前の貧しい気分から解放され、甘美で豊麗でカラフルな響きの世界へと、どんどん突き進みはじめる。
言うまでもなく、その変化のプロセスは日本経済が飛躍的に発展したり、白黒テレビがカラーに切り替わってゆく過程と、これまた見事に対応していた。日本が豊かになるにつれ、武満の音楽も心地よく色づき、満足感でいっぱいになっていったのだ。
というわけで、武満の音楽は、戦後日本の変遷を映し出す、見事な鏡なのだった。いや、武満こそ戦後日本そのものだったと言ってもいい。
ところで、前回の司馬の追悼のとき、ぼくは、司馬と武満を対照的な人物と述べた。けれど、どこが対照的なのか、まだ説明していなかった。
前回に記したように、司馬は、今の時代をこの先どう導くべきか常に冷静に考える人だった。その意味で彼は、同時代を突き放し、遠くから客観的に眺める姿勢を貫くことで名をなした文化人だったのである。
対して、武満は、今回ふれたごとく、司馬とは逆に感受性ばかり研ぎすまし、同時代の空気に密着することで成功した文化人の典型だった。
よって、二人は対照的なのである。
とはいえ、正直な話、あれほど時流に敏感だった武満も、最後はついに時代とずれてしまっていたと思う。
なぜなら、近年の日本には、物質的な豊かさでは覆い隠せない、様々なすさみを示す現象が生じているのに、武満は、このすさみをつかまえきれず、最後まで幸せいっぱいな気分の音楽を書いていたのだから。
武満の仕事を振り返るとき、この点だけがどうにも惜しい。
もっとすさんでほしかったよ。
 
 
 
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 村上春樹は「雨月物語」を愛読しているという。江戸時代の怪異小説としか雨月物語を知らなかったので、ネットで現代語訳の雨月物語があったので、その1篇「白峰」を読んだ。
 
なるほど、村上春樹の源流の一つとして納得します。
 
海辺のカフカとの関係は注目に値します。 
 
 

 











 
 p78~82
そして『海辺のカフカ』のインタビューで、『雨月物語』が好きゆえに主人公の僕が高松に行くのですか、ときいたのは、この『雨月物語』のことが『海辺のカフカ』の中に何度か出てくるからである。例えば、ケンタッキーフライドチキンの前に立つ白いスーツ姿の人形、カーネル・サンダーズがそのまま『海辺のカフカ』に登場。「我今仮に化をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれぱ人と異なる慮あり」 などと言う。これは『雨月物語』の「貧福論」に登場する変な”お金の神様”のようなものが話す言葉の引用だ。「今私は仮に人間のかたちをしてここに現れているが、神でもない仏でもない。もともと感情のないものであるから、人間とは違う心の動きを持っている」との意味。
 
つまりカーネル.サンダーズは「仮に人間のかたち」をした幽霊や岩化けのようなもの。『雨月物語』はお化けばかりが登場する物語だが、そのカ-ネル・サンダーズもまさに『雨月物語』に出てくるような異界的存在なのだ。そのカーネル・サンダーズは女を紹介するポン引きであり、登場人物のホシノさんはこの幽霊のようなものとの出会いに驚くこともない。平気で楽しく話している。
 
「現実と非現実が『雨月』の中でぴたりと接していて、その接点を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来入ってることじゃないかと思うんです」
 
『海辺のカフカ』でインタビューした際に『雨月物語』の魅力を村上はそう語った。「現実と非現実がぴたりと接している」ことはそのまま村上作品の特徴だが、現実と非現実の接点を超えることに、それほどの違和感を持たなかった日本人の特徴について、「それをいわゆる近代小説というのが、自然主義リアリズムということで、近代的自我というものの独立に向けてむりやり引っぱがしちゃったわけです」と言う。
 
そういう文学的な状況に対して、「『雨月物語』は、漱石以降のいわゆる近代的自我みたいなものが中心に座った日本の文学以前の物語ですよね。そういう物語性、『ナラティブ』という感じに近い文学の成り立ち方みたいなものに、すごく惹かれるんです。あそこには、自我の影みたいなのはあまりない。あったとしても、それは物語の一部として取り込まれてしまっているものだし。自我を中心に物事を表現するというよりは、物語そのものとして、有機的に自我を内部に取り込んで表現するというところにすごく惹かれるんじゃないかな」と語っていたのだ。近代以前に日本人にあった物語の力・明治以前にあった物語の力に惹かれると村上は言う。そのような物語一では、自我を中心的に表現せずに、自我は物語の内部に取り込まれて表現されているのだが、それもまた村上作品の特徴だ。
 
現実と非現実の結節点
『海辺のカフカ』は十五歳の少年「僕」の話と初老のナカタさん・トラック運転手の星野青年のコンビの話が交互に展開する物語。紹介したように、僕は「なぜか、高松に向かう」のだが、ナカタさん・星野青年の組も高松に向かう。ナカタさん・星野青年の組が上巻の最後に登場するのは第22章だが、その章の最後は二人が橋を越えて、四国に行く場面。その章はホシノさんの「これから一緒に四国に行こう」という言葉で終わっている。
 
大正期にベストセラーとなった高群逸枝『娘巡礼記』を読んでも、四国八十八ヵ所の霊場巡りは霊の飛び交う世界。そして巡礼の姿は死出の旅姿だ。映画化された板東眞砂子『死国』という霊場巡りの小説もあるが、「四国」とは「死国」に近い世界である。
 
その「これから一緒に四国に行こう」というホシノさんの言葉の次のぺージ、第23章は「その夜、僕は幽霊を見る」という言葉で書き出されている。そこで「僕」は、自分が高松でたどり着いた甲村記念図書館の責任者をしている佐伯さんが十五歳だった時の幽霊をちぎり見るし、この上巻の最後にも『雨月物語』の「菊花の約」の話が登場するのであるつまり『海辺のカフカ』では、そんな「生」と「死」の世界、「現実」と「非現実」の世界の結節点に『雨月物語』が出てくる。そして村上が「現実と非現実が『雨月』の中でぴたりと接していて、その接点を超えることに人はそれほどの違和感を持たない」と言うように、接点の超え方は、現実世界から非現実世界の方向に超えることだけではない。星野青年がポン引きであるカーネル・サンダーズの導きで、つまり幽霊のような者の導きで、素晴らしい女に出会って、性の世界を楽しんでいる。この女の存在が現実なのか、非現実なのか不明のまま、読者も物語の世界を楽しんでしまう。つまり現実から非現実へ、そして非現実から現実へと両方を自由に結ぶ結節点に『海辺のカフカ』の『雨月物語』はあるのである。
それなら現実と非現実の両側を自由に往還できれば、それで十分だろうか。村上はそれだけでは十分ではないとも考えているのである。
雨月物語の知識がなければ海辺のカフカを読み解けない・・・・
自分は読書好きを自負しているが、雨月物語(先ほど読了)など古典を読んでいないことに気づかされる。
 
ここ数年古典を初めて読んだり読み返しているがすべて明治後半以降だが、その数は新刊本を読む傍らなので遅々と進まない・・・恥じ入るばかりです。
 
私は2年ほど四国は愛媛県に仕事の関係で住んでおりました。
東京で「ソロモン王の秘宝が剣山に埋まっている」などと日猶同祖論の本を読むと、そんな馬鹿なありえないと思うのが普通の反応だが、山深い大歩危小歩危を抜け剣山に着てみると、確かに埋まっているような気になります。
 
切実な記憶の力
その「記憶」というものについて、村上春樹は「午後の最後の芝生」の冒頭近くでこんなふうに書いている。
「記億というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている。
僕は小説を書きはじめてからそれを切実に実感するようになった」ここで村上は「記憶」という言葉とともに「切実」という言葉を使っているが、ここにいた「記憶」が喚起されている。これは「午後の最後の芝生」の「僕」と同じ心の働きだが、ここにも「切実な記憶の力」によって、成長した僕が表現されているのだ。
この成長の力によって、僕は現実の世界に帰ることができるのである。
成長小説
そして「切実な記憶の力」についての村上春樹の関心は、近作まで一貫して続いている。例えば二〇〇四年刊行の長篇『アフターダーク』には「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな」という言葉が記されている。
 
 
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その1からだいぶ時間があいてしまいましたが、「村上春樹を読みつくす」のその2です。
 
本書は村上春樹フリークであればもちろんのこと、まったく村上春樹の作品のベースが無い人にも村上春樹の作品が見えてくる。
 
小山氏は本当によく村上作品を読みつくしている。 
 


言葉への強い不信
p22~23
『ノルウェイの森』の僕は、運動を指導した学生たちの発しを言葉と行動の無関係さ、無責任さに、独り深く静かに怒る。何の自省もなく、新しい事態に追随する人間を見て、そこにある「言葉」への強い不信感を抱くのだ。
そして僕は授業出欠の点呼に返事をしないと決める。名が呼ばれ、僕は沈黙する。教室に居心地の悪い空気が流れ、誰も僕に話しかけなくなる。僕も話しかけない。
この「沈黙」に村上春樹独自の闘いの開始が表明されている。
『ノルウェイの森』に登場する学生運動のリーダーたちの言葉は、自分の中から出てきた言葉ではなかった。外側の空気や思想に自分の言葉や身を預けて、自分を包む周りの状況が変化すると、新しく変化した言葉の状況に何の自省もないまま、また動いていってしまうよう塗言葉だった。自分の生と言葉が切実につながっていない人たちの言葉。そういう一貫性のない言葉に対する強い否の気持ちが「僕」にはある。それが、大学の授業出欠の点呼の際に、名を呼ばれても、僕は沈黙し、誰も僕に話しかけなくなっても、僕も話しかけないという態度の表明として表れている。
ここに村上春樹独特の「言葉」への感覚がある。いま流通している「言葉」への強い不信だ。この、いま在る「言葉」への不信も、村上作品を貫く大きな特徴なのである。
その例はいくつも挙げることができるが、まず例えばデピュー作『風の歌を聴け』に僕の子供時代のことが出てくる章がある。そのころの「僕はひどく無口な少年」だった。心配した両親が知り合いの精神科医の家へ連れていくのだが、この精神科医は「文明とは伝達である」と考える人で、「もし何かを表現で書ないなら、それは存在しないのも同じだ」と言う。だから「君は『為腹が空いています。』と一言しゃべればいい」。そうすればクッキーをあげる。でも「君が何も言わないとクッキーは無どと言うのだ。
これを実際に村上春樹にあったことと考える必要はないだろう。注目すべきは、無口な僕が医師から「君はしゃべりたくない。しかし若腹は空いた。そこで君は言葉を使わずにそれを表現したい。ゼスチュア・ゲームだ。やってごらん」と言われることだ。
「言葉を使わずに表現したい」。その考えの中に、村上の「言葉」への強い不信と、「言葉」の再構築への意志が、作家として出発した時点で既に表明されているのである。
何が正義か分からない時代
p52~53
もう一つ紹介してみよう。それは村上春樹がオウム真理教の信者による地下鉄サリン事件の被害者たちへのインタビューをもとに書いた『アンダーグラウンド』(1997年)の中で、最も有名な場面。事件で重度の障害を受けて病院に入院している当時31歳の明石志津子さんに会いに行くところだ。
村上が、元気になったら旅行に行きたいと言う明石さんに「どこに行きたいですか」と訊くと「いいうにいあん」と答える。「いいうにいあん」とはディズニーランドのこと。
そのように明石さんが答える少し前に、村上の頼みで明石さんが村上の手を握る場面がある。その時の彼女の指の力は予想していたよりもずっと強いものだった。
「そこにははっきりとしたひとつの意志のようなものが感じられる。それは明らかに何かを求めている。といっても、おそらくは私に向かって求めているわけではない。私の向こうにある『別のもの』に向かって求めているのだ。でもその『別のもの』はぐるっとまわって・私のところに戻ってくるはずのものだ。わかりにくい説明で申し訳ないのだが、ふとそういう気がした」と村上は記している。
村上自身が「わかりにくい説明」と言っているのだが、ここにも「すべてはブーメランのように自分自身の手もとに戻ってくる」世界をいま生きているという村上の世界認識が表明されていると言っていいだろう。
さて、この「すべてはブーメランのように自分自身の手もとに戻ってくるという年代」「『別のもの』はぐるっとまわって、私のところに戻ってくるはず」という世界とは、どのような世界であるのか。それは「何が正義で、何が正義じゃないかちゃんとわかっていた」世界ではなく、「何が正義かなんて誰にもわからん」世界である。
牧村によれば、「大昔」には「何が正義で、何が正義じゃないかちゃんとわかっていた」。だが、その「大昔」とは、おそらく一九六九年までの時代という意味だろう。それから模索の一九七〇年代を経て、「何が正義かなんて誰にもわからん」時代の中を自分が生きていることをしっかり認識して在るのが村上作品の主人公たちである。
それは正邪、善悪が簡単には分けることができない時代。善悪が互いに他方を含み合うような時代。それは現代に繋がる時代定。そのような時代の中を、人はどう生き延びて、新しい価値観というものをどう確立していくのか。だから村上は一九八○年代にこだわるのだろう。
「目じるしのない悪夢」p58~62
この事件のオウム真理教の信者たちは教祖・麻原彰晃にすべての心を預けて、教祖の命ずるままにサリンをまいた。普通に考えれば、彼ら「加害者」は絶対的な悪であり、何も知らず事件に巻き込まれた「被害者」たちは善良なるものである。

『アンダーグラウンド』の巻末には「目じるしのない悪夢」という長いあとがきが付いているが、そこにも「この事件を報道するにあたってのマスメディアの基本姿勢は、〈被害者=無垢なるもの=正義〉という『こちら側』と、〈加害者=汚されたもの=悪〉という『あちら側』を対立させることだった」との一文がある。これはマスメディアをはじめとする社会の、この事件に対する受け止め方を要約したものだろう。だが村上春樹は、それはちょっと違うのではないかと言っているのである。
『アンダーグラウンド』を短時問で読破したためかもしれないが、こんな証言に次々と出合っていったことが印象深く私の記憶に残っている。

「とても苦しかったです。咳も出るし、なにしろ息苦しかった」「席に座ってすぐに酸のようなにおいを感じたんです」「それは刺激的なにおいではなくて、ちょっと甘い感じのする、何かが腐ったみたいなにおいでした。(中略)でもまあ座れるんだから多少臭くてもいいやという感じで、そのまま座席に座りました」
そんな異臭がしても地下鉄から降りずにいる人たちが多いのである。

異臭がしても、なぜ降りないのか。それは、「とにかく会社に行かなくてはならない、今日じゅうにやらなくてはならない仕事」があるからだ。私もその地下鉄に乗り合わせていれば、その人たちと同様に異臭を我慢していたかもしれない。たまたま座れれば、よりその可能性が高いだろう。座ったまま、できれば早く会社に着きたいからだ。

その地下鉄の延長線上にある会社や組織に至れば、安心する何かがある。その会社や組織や国家に自分の大切な魂を預けて、我々も生きてはいないだろうか?

「目じるしのない悪夢」で「こちら側」=一般市民の論理とシステムと、「あちら側」=オウム真理教の論理とシステムとは「一種の合わせ鏡的な像を共有していたのではないか」

と村上春樹は書いている。合わせ鏡の世界では、オウム真理教の「あちら側」の奥に市民社会の「こちら側」が見え、さらにその奥にオウム真理教の世界が見える。つまり両側は無縁ではなく、よく似ているということだ。

日本社会とは、自らの大切な心や魂を自分以外のほかのものに預けて生きる社会ではないのか。その点で加害者と被害者は似たものを持っているのではないだろうか。

「あちら側」の麻原彰晃という人物の心に自分の魂を預けてオウム真理教の信者はつらい修行に励む。でも会社や国家というものに身を預けて、毎日の満員電車を我慢して、異臭に耐ええ、電車に乗っている「こちら側」の我々にもどこか修行僧の趣がある。

両者はどこかで繋がっていないだろうか。オウム真理教の信者の犯罪と、我々は無関係ではないのだ。『アンダーグラウンド』は、そのように迫ってくる作品なのである。
 
日本を問い直すノンフィクション
 
ここに村上春樹独特の思考法がある。生の世界と死の世界。この二つの世界は、実は対極的なものではなく、日本人の場合、生と死が非常に近くにある。石を投げれば、石はワープしてブーメランのように自分に返ってくる。自分は向こう側の世界を含んでいるし、向こう側の世界に自分は含まれているのだ。この後に「こちら側」と「あちら側」は合わせ鏡的という考えを置いてみれば、そこに通底する思考を受け取ることができるだろう。
 
「目じるしのない悪夢」によれば、村上は選挙キャンペーンの光景で、初めてオウム真理教という存在を知った時に「思わず目をそらせてしまった」という。そこに「名状しがたい嫌悪感」や「理解を超えた不気味さ」を感じたゆえに、その時に深く考えずに、「自分とは関係のないもの」として記憶の外に追いやってしまったというのだ。
 
そして村上は地下鉄サリン事件に接して、自分はあの時、なぜ「思わず目をそらせてしまった」のかを考える。その問いに対する答えが「それはオウム真理教という、『ものごと』が実は、私にとってまったくの他人事ではなかったからではないか」というものだったのだ。
 
そして「あちら側」の謎を解明するための鍵は、ひょっとして「こちら側」のエリアの地面の下に隠されているのではあるまいか、と考えていったのだ。
 
「我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実というフェイズから排除し続けている、自分自身の内なる影の部分(アンダーグラウンド)ではないか。私たちがこの地下鉄サリン事件に関して心のどこかで味わい続けている『後味の悪さ』は、実はそこから音もなく湧き出ているものではないのだろうか?」
以上のようなことを「目じるしのない悪夢」で、村上春樹は記している。「あちら側」の謎を解明するために「こちら側」の、つまり自分自身の地下を掘っていくということ。他者と繋がるために自分の中へ深く潜るというのも、村上らしい方法だ。このノンフィクションが『アンダーグラウンド』と名付けられているのも、地下で起きた事件というだけでなく、「こちら側」のエリアの地面の下に隠されているものを探るため、自分自身の内なる影の部分(アンダーグラウンド)を考えることによって、事件を起こした「あちら側」の謎について探るという意味も含んでいるのである。
つまりこの作品は悲惨な事件の被害者の声を単に多く集めたというものではなく、その取材を通して、日本とは何か、日本人とは何かを追求した作品なのである。
 私はこのアンダーグラウンドもさることながら、アンダーグランドの続編「約束された場所で―underground 2 (文春文庫)」をより興味をもって読みました。なぜか、小山氏は、「約束された場所で」の言及が少なかった。約束された場所で」はあちら側の人間・・地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の信者、元信者8人に村上春樹自身がインタビューした本で、生い立ち、家族関係、入信前の状況、入信後のオウムでの役割、事件後の状況が描かれていました。巻末に当時日本を代表する著名な心理学者故河合隼雄 教授との対談もある。
 
村上春樹氏の最新作、1Q84はまさにこの2冊なくして成立しなかったかもしれません。
 
その3へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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小山鉄郎(こやまてつろう)
1949年群馬県生まれ。一橋大学卒。73年、共同通信社入社。川崎、横浜支局、社会部を経て、84年から文化部で文芸o、生活偏などを担当。現在、同社須集委員兼論説委員。著書に『文学者追跡』(文藝春秋)、『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい」(共同通信社、文庫版は新潮文)〕、「白川静さんと遊ぶ漠字百熟語」(PHP新書)など。
 
 
 
 
 
村上の長篇は基本的に日本を舞台にして.書かれているが、つまりそれは日本とは何か、日本人とは何かを迫究し続けているからなのである。そして、このように日本にこだわる村上春樹の作品が、いま世界中で多<の人に読まれている。村上書樹とは、どんな作家なのか。なぜいま世界て読まれているのか。それらについてデビュー作『風の歌を聴け』以降、『1Q84』までのすべての長編に触れながら、考察してみたのが本書てある。本文よリ
ご多分にもれず、私も村上春樹ファンを自認しており、村上作品はほぼ全部読み、
雑誌に掲載されたものを除く作品のほぼ全部本棚にある。
 
村上春樹を読みつくす”タイトルに違わない村上春樹作品を読み込み読み込んだ末の分析である。本書を読むと村上作品のあそびそ心やその奥深さ象徴する意味などを余すことなく解析してくれる。「なるほどそうだったのか!」本書を読み終わり、もう一度すべての村上春樹作品を『風の歌を聴け』以降読み返したくならざるを得なくなる作品だ。 最高の村上春樹サブテキストといえよう。
 
いままで、多くの村上春樹の批評文をおよび解析本が出版されてますが、本書ほど面白く「なるほど」と思った本は無かった。村上春樹ファンにとっては掛け値なしで最高に面白い一冊です。
 
「生」と「死」の近い距離
p13
その『ノルウェイの森』の装丁をよく見てみると、上巻は全体の赤の中に題名と著者名だけが緑で印刷されており、逆に下巻は緑の中に題名と著者名だけが赤となっている。村上が言う「反転」とはこのことである。同作には、たった一ヵ所だけゴチック体で印刷されている言葉があって、それは「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」というもの。装丁は、おそらくこの言葉の反映だろう。
血のような赤は「生」の象徴。同作品にはビートルズの「ノルウェイの森」が好きな「直子」という女性が出てくるが、直子は森の奥で自殺してしまう。森の色である緑は「死」の象徴だ。つまり上巻の装丁を見てみれば「死(緑)は生(赤)の中にその一部として存在している」。ゴチック体で記された言葉自体が、そのまま装丁となっているのである。
その延長線上に下巻の装丁を見てみれば「生(赤)は死(緑)の中にその一部として存在している」ということになる。このように死の世界が生の世界のすぐ近くにある。生と死の世界がとても近い。それがデビュー作から、村上作品を貫く大きな特徴である。
また『ノルウェイの森』には生命力あふれる「緑」という女性が登場する。「死」の象徴である森の色が「生」の象徴のような女性の名となっているのだ。
だから緑を「生」の色とする読み手もいるようだ。
 
「象の消滅」と日本
p28~30
村上春樹作品にはたくさんの動物や動物の名前の付いた人が登場する。 
『風の歌を聴け』の僕は動物好きで生物学専攻の学生だし、僕の友人の名は「鼠」だ。 
『羊をめぐる冒険』には「羊男」が登場。『海辺のカフカ』のナカタさんは猫と話せる人だし、題名のカフカは作家フランツ・カフカの名でもあるが、チェコ語でカラスのことだ。 
作中には「カラスと呼ばれる少年」が出てくるし、本の装丁にはフランツ・カフカの父が経営していたヘルマン・カフカ商会の商標であるカラスの図柄も使われている。 
「動物がよく出てきますね」と村上春樹に質問したこともあるが、その時は「動物のことって好きなんですよ。だから文章が詰まっちゃうと、必ず動物を出すんです」と笑いながら答えていた。その「動物」とは、村上作品にとって、どんな意味を持っているのか。このことについて、ここで考えてみたい。 
村上の短篇に、老いた象と老飼育係が、ある日、忽然と姿を消してしまう「象の消滅」という作品がある。村上は滞米中にアメリカの大学の日本文学科のあるクラスで、この「象の消滅」をテキストに使っていて、それゆえに学生たちと、この短篇をめぐって議論となったことがあるようだ。学生たちはこの作品は「場所が日本でなくても成立する話である。そこには『日本でなくてはならないこと』というのはほとんど何もない。あなたの日本人の小説家としての位置はどのようなものであるのか」と村上に言う。 
それに対して村上が「それではあなたがたは僕の小説を読んで、それが日本の小説でないと思ったのか?もし僕がアメリカ人の名前を使って書いていたとしたら、あなたがたはそれをアメリカの小説として認識するのか?」と逆に質問して、議論するうちに、学生たちもこの小説にはアメリカではあり得ない点があることを認めたという。そんなことを『村上春樹全作品』(一九九〇~二〇〇三年)の月報で村上が紹介している。
 
言葉の力の消滅 

さて村上空言う、このアメリカではあり得ない日本的な部分とはどんなところだろうか。それは例えば、こんなところだ。同作には、象が町に来た時、行われた式典についての記述があるのだが、その式典で小学生の代表が「象さん、元気に長生きして下さい」という作文を読み上げる。つまり人が象に語りかけているのだ。人と動物との会話が可能なのだ。どこかで日本人はそう考えているのである。
村上自身「日本人の読者ならそんなことはとくに不思議だとは思わないだろう。しかしアメリカ人はそれを不思議であると思う。そんなことはありえないと思う。何故小学生が象に向かって作文を読み上げなくてはならないのか?」と記している。

我々にとって、象に話しかけることは不思議なことではなかった。「桃太郎」では人と犬、猿、キジが平気で会話している。言葉ならざる言葉で、動物たちと話してきたのだ。
それを「不合理だ」として、子ども向けの童話の世界に閉じ込めてしまったのが、近代以降の日本社会である。「象の消滅」の老飼育係が象に「何事かを曝きかけるだけで」象は「人語を理解する」かのように行動した。「象の消滅」の最後、その象と老飼育係が忽然として消えてしまう様子が語られる。その両者の消滅は近代以前の日本人にあっを言葉の力の消滅を表しているのだろう。
学生時代に「七〇年闘争みたいなものに対して深い絶望感」を持ち、「今そこにある言語に対する不信感みたいなもの」を抱いた村上春樹は、彼らが使う言葉の失敗はどこからきているのかを考え続けてきた。
著者と村上春樹は同年代で共に70年闘争を経験した世代である。
 
私が属する新人類世代でも、言葉に対する不信感や、物質や人間への不信感はについて全共闘世代と同じく有している。ただ、全共闘世代が戦中世代昭和一桁世代に対し抱く不信感を、全共闘世代より下のゼネレーションは全共闘世代に対し有している。
 
村上春樹を好む世代が全共闘世代ではなく、それより下の世代であるか私は本書を読み理解した。村上春樹自身が同じ全共闘世代の薄っぺらい思想や、人間的不信感を募らす行動をする同世代に対し強い不信感があったからであった。
 
私(Ddog)が民主党およびその支持者に対する不信感は、村上春樹が抱く同世代への不信感と共感するものであったのだ。 
 
新しい価値を再情築する文学
p42~45
村上に取材する際、文学の話ばかりの質問になっても話にふくらみがないので、2008年春にインタビューした機会に「フリーターや二ートが増えてきた今の社会をどう思いますか?」と、現代の若い人の生き方についても聞いてみた。
少し意外に感じる読者もいるかもしれないが、村上はこういう社会的なことについて考え、熱心に答える人である。その答えは次のようなものだった。
「今の社会というのは少しばらけてきているのではないかと思う。僕らの若いころに比べればね。会社とかのシステムに対する懐疑は強くなってきている」。村上は、そう語った後、「フリーターや二ートの中でうまくいく人は一握りだと思うが、でもその一握りの人が社会をある程度リードしていけば随分と変わってくるのじゃないか」と加えた。
フリーターらの増加に肯定的な側面を見る発言を聞きながら、実に村上春樹らしいと思った。理由は若い人の動きを支持しているからではない。
ばらけている中から新しい価値を生み出していくこと。それが村上文学のテーマであるからだ。ばらけているということは、別塗言葉で言えば、並列的であるということだ。さらに言えば、系統的に、体系的に一つに束ねられてはいないということだ。
村上は学園闘争の時、社会に「ノー」を唱えた世代の人。私も村上と同年生まれだが、この団塊の世代と呼ばれる人たちは、その後、会社システムなど系統的な世界にのみこまれていってしまった。その深い絶望感から出発したのが村上の文学だ。
しかも村上は、その一つに束ねる結び目をほどいて、ただバラバラに並列的に置けばいいと考えているわけではない。この年下の世代に対する菱言もよく見てみると「ばらけたもの」の中から「うまくいく人は一握りだと思うが、でもその一握りの人が社会をある程度リードしていけば随分と変わってくるのじゃないか」と語っている。
村上春樹の目指しているのは、今の世にあるものをいったんバラレルに、並列的にばらけた世界に置き、そこから新しい価値を再構築していこうという文学なのだ。
 
原点を訪ねる
『海辺のカフカ』は四国・高松にある甲村記念図書館に登場人物たちが結集する物語でもあるので、同作でインタビューした時にも当然、図書館についての話になった。その時、村上は「図書館は何か一種の異界みたいな感じが僕にとってはするんです」と語った。
だから『世界の終りとハードボイルド・ワンダ土フンド』での取材時に、図書館について語った「世界が隔絶されている」場所とは、つまり「異界」のことなのだろう。
「異界」をめぐることで、また「隔絶された世界」を体験することで、生きる力を主人公が見つけてゆくのが村上春樹の文学。そんな村上作品にとって、図書館とはバラバラに置き直し左言葉や価値観を再び構築し直す所、つまり「物語」が生まれる所なのである。
この章の最後に現実的な話を少し加えて岩きたい。それは『風の歌を聴け』に出てくる図書館と動物園の話だ。『風の歌を聴け』の中に僕が車で街をめぐる場面があって、そこに「古い図書館」と「猿の檻のある公園」が出てくる。
「猿の檻のある公園」は僕と友人の鼠が出会う場面にも登場。朝の四時過ぎに鼠のフイアット600に乗り合わせていて、酔っぱらい運転の末に景気よく公園の垣根を突き破る場面だ。『風の歌を聴け』に出てくる古い図書館のほうは、昔の芦屋市立図書館の本館、現在の芦屋市立図書館打出分室だ。この図書館には村上春樹もよく通ったようだ。『海辺のカフカ』に出てくる図書館の名が甲村記念図書館というものなので、神戸近くには「六甲」や「甲山」という地名もあるし、「甲村」とはこの芦屋市立図書館打出分室のことではないかと想って、図書館を訪れたことがある。小さな図書館だが石造りの歴史的建造物で、非常に立派な建物ながら今も普通に使われていて、楽しい数時間を過どした。
そして分かったのだが(もちろん地元の人には当たり前だが)、その図書館に隣接して「猿の檻のある公園」があった。本当に小さな動物園というか、動物がいる檻やケージが併設された公園で、でもかつていた猿は死んでしまい檻の中は空っぽだった。
村上春樹の図書館好き、動物園好きというのは、この場所が原点なのだろう。図書館と猿の檻のある公園は、見方を変えれば並列的に存在していた。
 
 

<推薦>
お友達登録をしていただいている海山ヒロさん、メッセージをいただく電子小説作家都環咲耶子さんの小説も、もしよければ・・・読まれてみてください。
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