Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:アニメーション

 
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『人類を幸せにする日本 井沢元彦/著(祥伝社)』を読む 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第三章 日本独自の文化が、人類の心を豊かにした
 
世界の子どもたちに夢を与えた、日本のアニメ――108
 
これも説明は要らないだろう。
 
 
 
 
アメリカの外交誌「フォーリンポリシー」は2002年GDP(国内総生産)をもじったGNC(国民総クール)という概念を提起し、アニメや食文化・音楽などを含めた日本のポップカルチャーのクールさ(カツコよさ)が世界的な評価を受けつつあることを指摘しました。この記事が発火点となって、『ワシントン.ポスト』やフランスの『ル・モンド』も「クールジャパン」という言葉を使って、日本のポップカルチャーを高く評価する記事を掲載しました。
 
日本は、トヨタの車やホンダのオートバイといったハードだけでなく、ソフトパワーでもすごいという意昧でクールジャパンが喧伝され、日本のアニメはそのシンポルとなりました。40年におよぶクリエイターたちの努力が、ここに実ったのです。

日本政府は、2003年に知的財産戦略本部を設け、2004年にはコンテンツ法(コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律)を制定して、アニメやマンガなどコンテンツ産業の育成に国を挙げて取り組んでいます。

世界的な評価を受けたアニメやマンガを国策で推進しようというわけですが、官から民へという流れが加速するなかで、これはどうもいただけません。アニメやマンガはあくまでポップカルチャーなのであって、これまでどおり自由闊達な民の力、クリエイターたちの創造カにお任せしたらどうでしょうか。
21世紀は日本の世紀であるべきではないか?いい加減憲法9条と東京裁判史観を捨て去るべきではないか?本来覇権国の文化が世界に伝播するものだ。
政治がポンコツのおかげで外交・経済がボロボロな日本であったが、日本の庶民文化は世界を魅了し続けている。
中国が覇権国になるって?へっ?少なくとも文化ではかなり道のりが遠いだろう。
 

ハリウッドの監督たちの手本となった、世界のクロサワ――113
 
黒澤作品のもうひとつの大きな功績は、現代の映画界をリードする超一流の映画監督たちの映画づくりに多大な影響を与え、映画文化の発展を後押ししたことです。
よく指摘されるのが、『羅生門』での映像のリアリズムです。墨汁入りの水を放水して土砂降りであることを表現したり、俳優にカメラのまわりをグルグル走らせることで緊迫感を出したりと、考えに考え抜いた工夫と手間暇かけた仕込みでリアリティを持った映像に仕上げています。どの作晶にも、このような芸術性の高い映像がふんだんに盛り込まれているため、黒澤を敬愛する欧米の監督たちのなかには、強く印象に残った黒澤作品の場面に似たシーンを創り出そうと試みる人も少なくありません。
スティーブン・スピルバーグの代去作『未知との遭遇』では、砂嵐で何も見えないところからジープが走ってくる場面がありますが、これは黒澤作品『蜘蛛巣城』に刺激されたシーンと見られます。スピルバーグの他の作品にも、『用心棒』や『乱』などに触発されたと見られる場面が散見されます。
ジョージ・ルーカス監督は、その代表作『スター・ウォーズ』に登場するキャラクターを考案する際、黒澤作品『隠し砦の三悪人』からヒントを得たと話していますが、悪の権化ダースベーダのヘルメットは、『七人の侍』に出てくる野武-二の兜を思い出させます。『スター・ウォーズ』のシーンのなかにも、黒澤作品から着想を得たと思われるようなシーンがいくつか見られます。
黒澤作品を敬愛したスピルバーグらは、黒澤監督が晩年に製作した作品のサポートを引き受けました。『影武者」では、ルーカスと『地獄の黙示録』などで有名なフランシス・フォード・コッポラらが外国版プロデューサーに名を連ねました。また、1990年の黒澤作品『夢』でも、スピルバーグ、ルーカス、コッポラがそれぞれ協力し、『タクシードライバー』などを監督したマーティン・スコセッシにいたっては、俳優として出演しています。
1998年、黒澤監督の計報に際し、スピルバーグは深い悲しみを表し、「クロサワはフィルムを使った画家であり、現代における映像のシェークスピアだった」とコメントしました。さすが、スピルバーグです。なぜ黒澤作品が「世界のクロサワ」として評価されたか、その核心をつく追悼の言葉でありました。
黒澤監督は『生きる』や『七人の侍』などの代表作で、映画としてのある種の手本を作りましたが、多くの名監督がその手本を真似し、踏襲しました。黒澤作品は、日本の映画文化のなかでも、世界に影響を与えた特異な部類に入ると言えるかもしれません。
今更ながら、黒澤明の偉大さを感じました・・・
 
将棋は世界一のボードゲーム――118
 
今の将棋は元禄年間の1696年に出版された『諸象戯図式』によると、天文年中(1532年-1555年)に後奈良天皇が日野晴光と伊勢貞孝に命じて、小将棋から醉象の駒を除かせ出来上がったとあるが、真偽のほどは定かではない。
応仁の乱が起きた後、国土は荒廃し、天皇といえども豊かな生活ができませんでした。このため、後奈良天皇は生活の資を得るために、せっせと宸筆(しんぴつ)、つまり直筆による書画を書き、家来に下げ渡して御礼の金品を包ませています。後奈良天皇の書画は数多く出回り、骨董の世界では一昔前まで最も安値の宸筆だったほどです。したがって、後奈良天皇は当然ながら自分を貧乏生活に追い込んだ戦争を憎み、人の戦争嫌いでした。また、当時の貴族たちは、「死穢(しえ)」というケガレに触れるとして「死」も極度に嫌っていました。
とすれば、後奈良天皇をはじめ、戦争や死を厭う貴族たちの風潮が、駒の再使用というルールを生み出し、将棋を戦争ゲームからマネーゲームに転換させた、と考えるのが、番筋の通った考え方ではないでしょうか。
つまり、将棋は中世の貴族文化の精華のひとつであり、戦争や死を厭う風潮を背景に生まれた日本の独創的な文化なのです。そして、世界各地に散らばって行ったチャトランガの末蕎を見るかぎり、将棋が世界一であることは言をさ 俟(ま)たないのです。
 
世界が賞賛する日本の折り紙文化――123
折り紙は日本独自の遊びです。
平安時代(794-1191)において、紙は高級品でした。貴族の間ではその紙を使って贈り物をいかに美しく包装するかが流行し、これが折紙の原点となりました。その後武家や公家ごとに礼法の流派も生まれ、折紙は生活の中に欠かせないものとなりました。その礼法は現在も婚礼や進物ののし・目録などに残り、今も様々な場で使われています。今のような折紙の形は室町時代に形成されたといわれ、その頃からある千羽鶴ややっこさんは「伝承折紙」とよばれています
 
 
 
 
第四章 世界に期待される日本の国際貢献
 
人類を救うためにヒトもカネも出す――130
日本は、人類を幸せにする道具として原子力を利用した――134
核戦争を回避する運動の先頭に立ってきた――139
原子力発電の普及で、エネルギー問題を解決する――145
あなたは原子カ発電に賛成ですか、反対ですか――149
 
第五章 日本が切り拓く披術と未来
 
iPS細胞が、世界の重病患者を救う――158
次世代型ロボットが、生活や福祉をサポートする――163
海水の淡水化で水問題が解決する――167
終章 
まとめとしての日本人論――175
あとがき――181
 
 
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序章:時代の危機に、ヤマト復活
第1章:サブカルチャーの誕生

第2章:ヤマトの作者は誰?

第3章:大切なコトはみなヤマトから学んだ
第4章:ヤマトは軍国主義か?

第5章:西暦2199年、過去への旅
第6章:孤独を脱した古代進が選んだ道
第7章:アニメビジネスの誕生

第8章:続編検証:変節と不変のヤマト魂
第9章:日本人乗組員だけが語れる物語
 
 
 
 
 
 
367ページの大作で、中身も濃く読むのに3日を要してしまいました。
 
宇宙戦艦ヤマトのブームは70年代後半にサブカルチャーブームを芽生えさせ、その後80年代に発生したオタク文化は宇宙戦艦ヤマト無くして語れない。また今でこそ世界に冠たるアニメ産業なるものがこの宇宙戦艦ヤマトブームがあってこそ存在することを論じた本です。いわば「宇宙戦艦ヤマト学」とでも命名してもいいような濃厚な一冊です。
 
 
 
 
地球を救うためなぜ戦艦大和が甦るのか
p17~19
「地球の絶滅まであと●●●日」。あまりに有名なこのフレーズは、最初のテレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(以降『パート1』と表記)で毎回最後に提示される。これはインパクト狙いだけでなく、時代の反映でもあった。

『ヤマト』がはじめて放映された1974四年、日本の実質経済成長率は前年の8%を大きく下回るマイナス1.2%を記録した。2008年の実質経済成長率は前年の1.8%を下回るマイナス3.7%の下げ幅5.5%ダウンだが、戦後上り坂で来た日本にとって1974年の下げ幅9.2%ダウンは今より大きなショックだったに違いない。

この経済の落ち込みは、前年に勃発したオイルショックによるものである。
オイルショックだけでなく、当時の日本は大きな岐路にさしかかっていた。

戦後日本は、池田首相の所得倍増論に代表される、「国富」を充実させるための産業振興策を最優先した。戦後一貫して続いた保守政権は富の分配ではなく、所得の底上げを意図した。その到達点が、田中首相が提唱した列島改造論という日本中を巻き込んだ開発ブームである。

だが開発のひずみは環境破壊、公害病、ゴミ問題という形で現れていた。そして、右肩上がりの景気に取り残された人々、つまりいまふうに言えば格差も歴然として残っていた。

そんな戦後最大の危機の時代に、『ヤマト』は作られた。その企画意図をプロデューサーの西崎義展(故人、2010年11月7日死去)はこう記している。
 
「公害、物価高、オイルショック以後一気にあらわれた産業社会のゆがみ。それは、驚異的な経済成長を遂げた日本の社会構造を、根底からゆり動かすものであった。産業社会の歯車となってしまった人間。精神面での孤立感は、避けようもない事実としてあらわれた。……私たちは、ただの歯車ではない。モノとは次元のちがう『人間』なのだ。人間はどんなことがあっても夢と希望をすててはならない」(『宇宙戦艦ヤマト劇場版』パンフレットより)。
 
日本経済と社会の危機は、このとき広く共有され、そこに警鐘を鳴らす作品は幾つか作られた。たとえば、小松左京のSF小説『日本沈没』(1973年)。ここでは、巨大地震で日本列島が破壊され、沈没するという究極の危機に日本人はどう立ち向かっていくかが描かれた。
 
アニメでは『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)がまずあげられる。地球が一体となって環境危機に当たろうとした時勢を背景に、科学を悪用するギャラクターと正義の科学側のガッチャマンの戦いを描いたものだ。
 
1975年の『宇宙の騎士テッカマン』では、絶望的なまでに進行した地球環境の汚染のため、主人公は第二の地球を探すという、よりストレートなメッセージ性を持つ(実際は太陽系を出たあたりで打ち切りで終わる)。『ヤマト』もまた、一見こうした時流に沿った作品のようにも見える。
 
『ヤマト』究極の疑問に、「地球を救うため、なぜ戦艦大和が甦るのか」がある。単純に考えれば、第二次世界大戦時に海中に没した戦艦の構造物を宇宙船に転用できるはずがない。むしろ、これは作品構造から考えるべきだろう。なぜ、戦艦大和を物語が必要としたのかを。
 
『ヤマト』は古代進を中心とした若者の物語だが、ほかのアニメ作品との大きな違いは、老人にスポットライトが当たっていること。もっとも重要な老人、沖田十三艦長は、 「明日のために今日の屈辱に耐えるんだ」と、決して諦めず、生きて生き抜くことが人間にとって大切であると訴える。彼の言葉は、古代進たち若手だけでなく、物語全体を導く指標となる。
 
一方で、ときに肩の力が入りすぎ、ときにゆるみすぎてしまう若者を横からさりげなくサポートするのが、佐渡酒造、徳川彦左衛門の面々だ。
現代社会は、若さn進歩という思想がおおいつくしている。日進月歩を遥かに超えたスピードの現代ビジネスでは、老練という言葉はいまやほとんど罪悪ですらある。
 
そして『ヤマト』の特長を老練や成熟の大切さだけで片付けられないのが、工場班長(続編では技術班長、技師長とも)、真田志郎の存在である。彼はいわば万能科学者なのだが、自らの存在理由をときに否定する。
 
「機械が人間を殺す。そんなことがあって良いものか。科学は人間の幸せのためにこそあるものであり、人間は科学を超えたものだ」
(『パート1』第一八話)。
 
彼は科学=進歩の否定と言わないまでも、疑念を常に持っている。つまり、『ヤマト』は若さ=進歩=科学の力だけで、地球を救うわけではない。環境汚染は科学がもたらしたのなら、科学を良い方に使えばいいとはならない。むしろ、そうした思想を超えたところに『ヤマト』は根ざしている。戦艦大和、つまり古いものが復権する意味はここにある。
 
これをナショナリズム、軍国主義と捉えたのでは、当時の時代感覚を読み損なうことになるだろう。これが同時代の作品との決定的な違いだ。
・・・・・70年代のスローライフ宣言が意味するもの・・・・
p20~22
1970年代に時代を動かした言葉がある。それは、電通の藤岡和賀夫の手による「ディスカバー・ジャパン」(1970年)。彼が作った広告キャンペーン企画書にはこうある。
「旅は見る旅ではなく、自分を創る旅です。日本を発見し、自分自身を再発見する心の充足です。 『DISCOVER JAPAN』と呼んでみましょう」
(森彰英『「ディスカバー.ジャパン」の時代』交通サービス、2007年)。
 
このころオイルショックだけでなく、「追いつき追い越せ」であくせく働いてきた日本人は、環境汚染という矛盾、そして幾ばくかの空虚感に直面し、ふと立ち止まることの必要に気づき始めた。そんな時代の空気を敏感に読み取り、国鉄(現JR)が打ち出したキャンペーンの、時代に残る名キャッチコピーが「ディスカバー・ジャパン」だった。身近な日本を再発見することは、とりもなおさず、ひそやかなもの、強くないものを見つめ直すことであった。

そしてこのころ、30年ぶりの日本兵の帰還という事件もあった。一九七二年にグアム島で横井庄一伍長が、1974年にはフィリピン・ルバング島で小野田寛郎少尉が発見されたのである。これは戦後、富のみを追い求める日本への過去からの逆襲であったと言える。

このころ、民俗学者・宮本常一の再評価も始まっていた。彼の『忘れられた日本人』(未來社、1960年)は近代化の波の中でも密かに息づいていた古き日本の習俗を集めた本だが、徐々に共感を集め、未來社より1968年から著作集の刊行が始まっている。

1960年代後半から活動を開始した唐十郎や寺山修司のアングラ演劇もまた、進歩への強烈な否定が根底にあった。彼らが表現したのは、取り残された日本の原風景であり、土俗の復権であった。

 
「公害や消費の『飽和』感が意識されることによって振り子がもう一度逆転し始め、『伝統的精神』や『田園や村落』がふたたび日本の価値観の中に再編入され始めている」
           (川上宏「飽和期の消費者」、『ブレーン』1972年7月号)。
 
そして、この時代を代表するキャッチコピーがもうひとつある。せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」。1972年に公募で選ばれた交通安全標語だ。

この時代、どこか今と似てはいないだろうか。経済は立ちゆかなくなり、人々の間には大きな格差が生まれ、自殺者は増加一方だ。社会のすべての制度も金属疲労を起こしている。あくせく働き、前へ前へと進んでいくのではなく、足下を見つめ直すこと。最近のスローライフは、まるであのころのキャッチコピーに化粧直しをしたようだ。

戦艦大和が甦り、老人・沖田艦長が「生きて生き抜け」という信念を貫き、若者・古代進が戦うことにためらいを見せる。そうした物語を持つ『宇宙戦艦ヤマト』はあのころの時代意識とシンクロしたからこそ、多くの人の共感を得たように思われる。

そして、かつての危機は消え去ったわけではなく、息を吹き返し、再び私たちの前に姿を現している。いま、私たちは『宇宙戦艦ヤマト』を振り返ったとき、そこになにを『発見』できるだろうか。
・・・・ブラウン管の中の未知の体験・・・・
p29~32
あのころ、『宇宙戦艦ヤマト』が登場した衝撃は、斬新な作品という月並みな言葉では言い表せない。むしろ新しい体験という言い方がふさわしいだろう。
『ヤマト』誕生の1974年を基点にして、戦後直後の29年前、そして36年後の現代を比べると、現代のほうが生活スタイルの変化は大きいかも知れない。

(略)
 
1974年当時の家庭の娯楽はテレビとラジオしかなかった。それも決まった時間にテレビの前に座らないとお目当ての番組に出会えない。その意味では、このころのテレビは映像があるとは言え、アクセス性はラジオとさほど変わらない。ビデオ録画などは、一部の金持ちや趣味人の世界だった。
 
そうした「貧しい」メディア環境の中で登場した『ヤマト』は、当時ちょっとしたショックだった。ブラウン管の中では、想像もできない世界が広がっていたからだ。なにしろ、銀河系を飛び出し、大マゼラン雲(『ヤマト』の中では大マゼラン星雲と呼ばれていたが、実際はこの呼称)まで旅をするのだから。まだ『スター・ウォーズ』がアメリカで公開される三年前のことだ。
 
低視聴率で惨敗した番組が映画として復活したのは、ひとえに逆境でも決して諦めない西崎義展プロデューサーの惰熱のなせるわざだった。一方で、再放送にあるまじき20%台の高視聴率、ファン活動の充実、『OUT』などの雑誌や書籍の記録的売り上げは、大きな追い風ともなった。
 
ファンが作り上げたブームは、一種のムーブメントと言えた。自分が好きなものを行動に表すことで、形になって跳ね返ってくる。いわば参加型のメディアは、はじめての経験だった。これを社会学的に表現すると、消費が社会参加そのものである」(鳥居直隆「日本人の消費生態論」、『ブレーン』1972年7月号)となる。
 
(略)
 オイルショックを脱し日本が再び上り坂に向かう熱気のなか、社会は「世界に誇れる日本」というかたち、つまり自信を欲していた。そこに新しい表現であるアニメという格好の存在が現れたのだ。
 
そして『ヤマト』は一般メディアに注目されるという形で時代に後押しされていく。「産業社会のゆがみ」への疑問をメッセージに込めたという作品の成り立ちからいえば、奇妙な星回りと言えるかもしれない。この数年後、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)がベストセラーになり、文化面ではYMOのワールドツアーの成功が盛んに報道されていく。
 
これまで、『ヤマト』はアニメというジャンルのなかで評価されてきた。しかしそれは、ある意味で片面的だったかも知れない。それはファンである少年少女はともかく、一般からは『ヤマト』はアニメ作品というよりも一般エンタテインメント作のひとつとして評価されたからだ。
(略)
 
 
 
 
 
 
 
 
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YouTubeをサーフィンしていたら先日投稿した

①『「ジオン軍の失敗」 岡嶋裕史 著(アフタヌーン新書)』を読む その1
2009/10/20(火) 午前 2:52 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/30004933.html
②『「ジオン軍の失敗」 岡嶋裕史 著(アフタヌーン新書)』を読む その2
2009/10/20(火) 午後 10:56 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/30015388.html

以上の動画バージョンに相当する投稿を発見、番外編としてUPしました。


③「ジオン軍の失敗」番外編ジオン公国
2009/11/21(土) 午前 10:32 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/30386501.html



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YouTubeをサーフィンしていたら先日投稿した

①『「ジオン軍の失敗」 岡嶋裕史 著(アフタヌーン新書)』を読む その1
2009/10/20(火) 午前 2:52 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/30004933.html
②『「ジオン軍の失敗」 岡嶋裕史 著(アフタヌーン新書)』を読む その2
2009/10/20(火) 午後 10:56 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/30015388.html

以上の動画バージョンに相当する投稿を発見、番外編としてUPしました。

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第4章MS-09Rリックドム
<あるセグメントで成功した技術が、別のセグメントで成功するとは限らない>
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「転用」が生み出した失敗である。この時期の公国軍は、素早く大量に戦線に投入できる次世代モビルスーツを渇望していた。しかし、公国軍では応急処置としてのザクⅡの性能向上派生機や、エネルギーCAPシステム搭載機としてのMS-14ゲルググなど、多くのプロジェクトが走っており、新設計の機体を早期に実戦投入することには無理があった。ザクⅡにない能力を持つ次世代機のうち、現実的に宇宙戦に転用可能な機体はドムだけだったが、基礎設計の段階から地上戦のみを考慮した機体属性を宇宙環境へ適合させることは困難だった。
工業製品は一種の生き物である。ある生き物を違う環境に移植しても必ずしも繁殖しないように、別のセグメントに移した工業製品も成功するとは限らない

本書は[~の謎]本や、空想科学読本シリーズとして読めば非常に面白い本であるが、現実のエンジニアに向けてのサジェスションをするには、説得力がまるでない。

あくまでも、架空の物語の架空の武器と架空の戦争の話であって、もともとリアリティが無いにもかかわらず、現実との無理な整合は強弁せざるをえない箇所を生んでしまっている。

例えば著者岡嶋裕史が現実の軍事オタクであるならば、この第4章の前提が些か怪しく感じるはずである。

二式水上戦闘機の活躍を、ご存じないようだ、二式水上戦闘機はゼロ戦にフロートをつけた水上戦闘機で、米英戦闘機と互角に戦うことが出来た。地上用モビルスーツドムを宇宙用に転用したリックドムも同じ話である。また、反対にゼロ戦後継機種「烈風」の開発に失敗した、海軍は、二式水上戦闘機の後継機種「強風」のフローとを外し、紫電一一型を採用した。また更に低翼に再設計した紫電二一型を「紫電改」と呼称し大戦後半大活躍した。

そういった歴史的成功例からすれば、著者岡嶋裕史の説得性は著しく欠けるのである。

第5章MS-14ゲルググ
<投入するタイミングを失した技術は、どんなに優秀でも成功しない>
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技術は常に進歩している鉋すなわち、投入時期か遅れることはそのまま失敗につながる。ゲルググは連邦軍に対して技術開発で遅れていたエネルギーCAPシステムをはじめて搭載したモビルスーツである。公国軍はこれを開発できなかったために、モビルアーマーやニュータイプ部隊などの「モビルスーツの亜種や傍流」を開発する粁余曲折を経てきたと言っても過言ではない。一年戦争中期に大量のゲルググを前線に投入できていれば、怪しげな技術に手を出す必要もなく、カ押しで戦局を勝ち切れたはずである。しかし、現実にゲルググが大量投入されたのは一年戦争最終盤の○〇七九年二一月であり、戦局を覆す好機も、高性能機を駆るに相応しいバイロットも払底していた。
工業製品のスペックは、広義にその投入するタイミング、周辺環境を含めた概念に拡張できる。単体で優秀な数値を誇っても、時期や場所を失った製品は、けして成功しない
あたりまえといえば、あたりまえのの話。WWⅡ世界初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262が1942年実用化段階に近付いた時、戦闘機ではなく、ヒトラーは爆撃機として使えとの命令を出し、結果的に戦闘機としての実戦投入を遅らせるだけの結果となった。もし、Me262がもう少し早く実戦投入され、300機生産できれば、ドイツ防空は制空権は鉄壁であったはずだった。ゲルググの例はその例と比較すべきであったろう。

また、日本帝国海軍が、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦に戦艦大和・武蔵を投入していれば、戦局はかなり違っていたかもしれません。帝国海軍は最後まで艦艇の温存作戦を取り、結局大和を有効な実戦投入をしないまま沖縄特攻に出撃させてしまった事例など、投入するタイミングとは非常に難しいのである。

第6章MSN-03ゴック
<突出したスペックを持つ製品は、極めて運用しにくいものになる>

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用途を正しく把握しなければ、いかに突出した性能といえどもそれを発揮できない。
水中という環境を活用して、従来のモビルスーツという概念の枠に現行技術で無理なくビーム兵器搭載と重装甲を実現したゴッグは、一面では優秀な機体であった。しかし、「水中でできること」に目を奪われすぎた技術者たちは、ゴッグが水陸両用機であることを失念していたかのようである。連邦軍との主会戦戦域には純粋な水中戦を展開する場面はなく、実際に運用されたゴッグはほとんど陸上において会敵一戦闘を行っている。陸上に上がったゴツグはまさに陸に上がった河童であり鈍重な機体は各個撃破の的になった。
ある時代に生産できる工業製品のトータルスペックは、おおむね一定である。何らかのスペックを突出させたい場合、他のスベックが犠牲になることは自明であり、それは一般的に運用性の低下を招く。

第7章MSN-04アッガイ
<「使う人のいない」製品はなぜできあがるのか>

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廉価版にこそ、深い設計思想が必要である。そこを疎かにすると、「使う人がいない製品」ができあがってしまう。
アッガイは、ジリ貧に陥った公国軍の地球派遣軍が現地で開発したモビルスーツである。多くは破壊されたMS-06ザクnのパーツなどを流用して作製されている。そのため、MSM-04という正規ナンバーを持つ機体でありながら、火力、運動性、防御のすべての点で一線機と比して見劣りがする。乙の機体を運用するのであれぱ、S-06Vザクタンクに見られるように、兵姑、工兵等の後方支援機とするべきだつたと考えられる。リサイクル思想、廉価版思想は時に後方にいる開発担当者にインスピレーションを与えるが、現場レベルで有用となることは稀である。
工業製品にとって低コストは魅力的な訴求要因だが第一選択する要素にはありえない

第8章MSN-07ズコック
<仕様はどこかで決断しなくてはいけない>

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技術者には、時に決断も必要である。
MSN-03アッガイを受けて開発されたズゴックは、戦訓のフィードバックに真撃に対応した設計がなされた。戦場を、つまり現場を見て開発が行われることは、一般的にものづくりの現場に正に作用するものである。しかし、それも程度問題であり、現場の声を聞きすぎた開発は、プロジエクト全体の進捗遅延と、近視眼的な要件定義のリスクを内包する。ズゴックもまた戦機を逃し、量産機でありながら少数生産に終わる道を歩んだ。高性能機も常に数的劣勢におかれ、不利な戦いを余儀なくされた。スゴックの戦いぶりは、連邦高官のこの発言に要約されよう。「とはいっても、ジャブロー全体を攻撃するのには少なすぎる」
ベストプラクティスとして語られる事例にも、実は失敗の要素をはらんでいたり、失敗そのものであることがある。どの視野、どのスパンでものを見るかで、成功と失敗はだまし絵のように容易に逆転する。
ゴック・アッガイ・ズコックの関係は、帝国海軍の特2式大艇・特3式大艇・特4式大艇の水陸両用戦車を髣髴させる。水陸両用の用兵思想はよかったのだが、結果としてその性能を発揮することなく、少数の生産でさしたる戦果を上げられなかった事例に相当するであろう。著者岡嶋氏は、ガンダムと過去の実際の戦争記録を比較考察して、本書を書くべきではなかったろうか?そうすれば、私も、面白いが批判するといった斯様な記事も書かなかったとおもう、残念でならない。

第9章MAN-05グアブロ
<モビルアーマーの存在意義を問う>

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確かに長大な航続距離を持つグラブロをもってすれぱ、モビルスーツのアウトレンジからホワイトベース隊を捕捉することが可能であった。しかし、モビルアーマー全般に言えることであるが、グアブロは突出した性能を持つ反面、突出した欠点を持つ機体でもあった。9章ではいくつかの欠点を議論するが、この戦闘で敗者となったのは水中でしか稼働できない機体属性であった。グラブロは、この点をしばしぱ指摘されるMSM-03ゴッグよりも極端な性格付けの機体で、ブーンの乗機はピーム兵器の非搭載と相まって、強力な潜水艦といって差し支えないほどだった。RX.78,2ガンダムのパイロツト、アムロ・レイは即座にこの弱点を知覚し対応した。
制約がないことは善であると捉えられかちである。しかし、多くのケースにおいて縛りのない設計は、むしろ目的と用途を曖昧にする。
まあ、これは岡嶋氏の問題ではなく原作:矢立肇氏・富野由悠季氏のセンスの問題で、斯様な水中兵器は元々不要、岡嶋氏の指摘も的を得ていないと言えなくもないが、そもそもアニメなのだから、これが現実の世界では作るはずもない兵器を批判してもはじまらない。

第10章MA-08ビグザム
<ビグザム量産の暁には本当にジオンは勝てたのか>

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転用に際し妥協した点が、決定的な弱点となった。
ソロモン会戦におけるビグ.ザムは不幸な実戦機だったと言える。もともと拠点制圧兵器としての属性を与えられ、しかもその拠点とは地上に存在するジャブローであったのだ。宇宙空間での運用に転じた機体には、多くの改修とそれに倍する妥協が詰め込まれたであろう直その中でも最も大きな妥協点が連続稼働時間であったことが、ビグ.ザムの不幸を決定的にした。一五分程度しか戦えない機体は、搭乗者に死の覚悟を要求した。
製品は使いたいときに使えてこそ、その能力を発揮する。贅を尽くしたデコレーション・マシンも動かなければただのゴミである。あえて言おう屑である。
だから、これはアニメ上の世界の話なのだから、大真面目で議論すべき問題ではない。しゃれで書いている本としてのアプローチがほしかった。

私が思うにこれは、ドイツ第三帝国のキングタイガー戦車の比喩ではないだろうか?M4シャーマン戦車を蹴散らし、圧倒的な火力であったが結局は実戦は兵器固体の性能ではなく、トータルな統合したパワーを有するものが勝利を収めるといった歴史の流れの中でビクザムを語ればよかったと思う。

第11章MSN-02ジオング
<フラッグシップモデルは作るべきか>

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製品に「政治」を持ち込むと、失敗につながることがある。フラッグシップ機として生産されたジオングは、その戦闘要件とは別に政治要件も満たさなければならない機体であった。サイコミュ搭載、オールレンジ攻撃機という仕様からは、モビルアーマーとしての開発が最適であったと考えられるが、政治的な
判断からモビルスーツの形状が選択され、通常の二倍の大きさを持つ機体となった。かせまた、技術的には可能であった無線サイコミュの搭載も見送られ、い<つかの棚をはめられた状態で連邦のRX-78-2ガンダムと対時しなければならなかった。
政治がなければ、そもそも工業製品は存在し難い。しかし、開発のプロセスに政治を在させることは排除しなければならない。政治は失敗作を育むグレートマザーである。
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ファーストガンダムを愛する日本人中年男性にとって、非常に楽しい知的エンターテイメント本でした。
217ページを1時間ちょっとで読みきってしまいました。

岡嶋裕史氏は著者紹介によれば
1972(昭和47〕年、東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。富士総合研究所勤務を経て、現在、関東学院大学経済学部准教授。専門は電子政府、Webサーピス、分散ネットワーク、セキュリティマネジメントに関する研究。著書に『構造化するウェブ』(講談社プルーバックス)、『数式を使わないデータマイニング人門』(光文社新書)、『ウチのシステムはなぜ使えない』(光文社新書)
など多数
裏表紙より
失敗する製品か世に出てしまうのはなぜか?エンジニアはもちろん、広く製品開発に携わる人間ならば誰しも直面するその論点を、『機動戦±ガンダム』から学ぶ画期的書籍です。現役エンジニア層にとっては、歴史よりも定石よりもリアリティを感じることができる題材で、「失敗する製品」を生み出さないための叡智を得よう。立てよ!エンジニアよ!

確かにその通りだが、ちょっとおいこら、尾も白いが、そりゃダメでしょう。

ご存知かもしれませんが、エンターテイメント本として、『ウルトラマン研究序説』(1991年)は、若手学者25人による「ウルトラマン」考察本が書かれ、『ウルトラマン』をリアルタイムで視聴した当時30歳前後の世代を中心に40万部(文庫本序文による)のベストセラーとなり、謎本ブームの先駆けとなった本があった。

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ウルトラマンや怪獣が暴れたことによる被害総額・経済波及効果や、ウルトラマン(ハヤタ隊員)の民事上の賠償責任、怪獣の人権、科学特捜隊のコンピュータシステムなど、架空のウルトラマン世界を実在世界と同様に学術的に論じていることから大きな話題となった。その後、空想科学読本シリーズや、エヴァンゲリオンの研究本としてこのジャンルは発展し大成功した。このジャンル私は大ファンである。

面白いがこれは問題ありです。

一番著者である岡嶋准教授が気がついていないようだ。アカデミズムに席を置かれる方が書いてはいけない。ご自身が分析してきた数々の業績を一気に無価値化させてしまう危険がある。また、コンサルティング業の方も同じである。偉そうなご高説がすべて虚構の上に成り立っていることを暴露することと同じだ。プレゼンがいかに空疎な話でしかないか、この本が面白ければ面白いほで、そのことを証明するようなもの、非常に危険な本である。

この本の元ネタのもう一つの源流は名著中公文庫「失敗の本質」
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ではないだろうか?日本軍はなぜ敗戦したかその失敗の分析研究。皆様もご一読しておく本であると思います。

また、上記本の延長線上にある下記本は、技術戦としての側面から第二次世界大戦を分析した。こちらも可能であれば読んで面白い本でございます。

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しかしいずれもノンフィクションであり、実際にあった歴史的事例による技術論的失敗の検証した本である。

ところが、ジオン軍の失敗はSFフィクションとノンフィクションを無節操に合体させてしまった本である。

ガンダムの世界観はリアルで、この本を一読すると、納得してしまうのだが、所詮フィクションなのだ!
それを、今日のエンジニアリングの問題点として、テキスト化するなど言語道断!
アカデミズムの世界の人間が書くべき本ではない。書くときはペンネームを用いるべきである。

また、多くの読者はシャレだと思ってよむであろうが、いないとは思うが、この本が語るサジェスチョンを真に受ける技術者がいたら、その技術者を雇っている企業は不幸だ。

また、だから、経営コンサルタントの話は、机上の空論にすぎないと指摘されても、何等反論が出来ない。

第1章MS06FザクⅡ
<技術においては「寿命の長さ」は必ずしもいいことではない。>

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これは、当に前対戦におけるゼロ戦やメッサーシュミットBf109のことではないだろうか?ザクⅡを当てはめ優秀なマシーンが優秀すぎる場合に起こりうる弊害の説明を試みたのであろうと思う。

あまりにも万能だったザ言に固執したかゆえに、次世代兵器への対応が遅れた。
どんなにマイナーチエンジを繰り返そうとも、旧世代機は旧世代機でしかなかったのである。
一年戦争後半~末期に至っても、公国軍においてMS-06ザクⅡの占めるポジションは大きかつた。後継機が満足に育たなかったことか理由としてあげられるが、ザクⅡの存在が後継機への健全な移行を阻害したとも言える。ザクⅡはその巨大すぎる武勲ゆえに、兵器として劣勢に立たされてからも、何らかの形で開発と生産か進められた。万能機としてのザクⅡの特性も、こうししたマイナーチエンジによく応えたが、大戦後半の視点で見れば結局は前世代の技術であり、度重なる延命措置も戦局を覆すには至らなかった。

万能機が本当に万能であるケースは極めてまれである。万能機はともすれば、工業製品としてクリティカルな要素を犠牲にしている。また、成功体験が長期的な失敗を誘発することはままある。

話は脱線するが、先日NHKの一部売国奴の歴史改竄番組にて、ゼロ戦がいかに欠陥であったか、力説していたが、大笑いだった。ゼロ戦が欠陥なのではなく、当時日本が本気で米国との戦争を準備していなかった結果であろうと思っています。零戦が当時の世界の中で、世界最強の戦闘機であったことは、紛れも無い事実です。米国はゼロ戦の秘密を手に入れる為ありとあらゆる手を使った。中国やアリューシャン列島に不時着した零戦をアメリカが入手し、徹底分析するまではゼロ戦は無敵を誇った。
http://ksa.axisz.jp/Tosho-24TV.htm

地球連邦軍とジオン公国との国力装備の図式は、大東亜戦争開戦当時の日本と米国の力関係と工業力の差を髣髴させる。ザクⅡはゼロ戦に例えられたのであろう。我々がザクに愛着があるのは、どこかゼロ戦的魅力があるからであろう。

開戦当初圧倒的な高性能戦闘能力であったのが、工業力で劣り混乱し、迷走する新型モビルスーツ開発、まるで、大東亜戦争当時の日本(特に海軍)を岡嶋氏は比喩しているのであろう。

第2章MS-06R高機動ザクシリーズ
<技術規格を増やすのは善か悪か>

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戦争という巨大な消費機構の中で、生産ラインを増やすことの罪は大きい。この機体の罪はMS-09Rリック・ドム、MS-14ゲルググなどの次期主カモビルスーツがすてに生産体制に入っていた時期に開発工程が進められていたことにある。公国軍のモビルスーツ開発は生産ラインを増やしすぎ、絶対的な戦力量を低下させてしまった、ことにその主な暇疵(かし)を認めることができる。
一つにはマ・クベ少佐(当時)の統合開発計画により、MSのパーツの流用率が高まつたことが原因であろうが、だとすれぱ統合開発計画は技術者に安易な流用への安心感を与えてしまったデメリツトのほうが大きかったと考えられる。
複数の規格を競争させる戦略は、勢がある規格に定まって以降は、一般的に技術の発展に寄与する。しかし、時代の趨勢がある企画に定まって以降は、そこに収斂(しゅうれん)させるメカニズムが必要である。

岡嶋氏はまだ若く、軍事知識不足は致し方ないであろう。日本軍敗退の大きな原因は規格の乱立不統一も上げられる。例えば38式小銃は6.5mmであるが戦争直前99式小銃7.7mmを採用してしまいその補給に日本軍は苦労したのである。部品のパーツが統一されたメリットは大きい事を考えた時、ジオン公国の戦略は正しかったかもしれない。あくまで架空の物語の敗因分析など、クソの役にもたたない!

第3章MS-07グフ
<進化しすぎた技術は、環境変化で絶滅する。>

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地上戦に特化して戦闘能力高めたグフは、デリケートに戦域を選ぶ機体になつてしまった。地上のなかでも得意とするフィールドは高原地帯や砂漠地帯であり、それ以外の戦域では旧型機であるザクの性能諸元を大幅に上回ることはなかった、とくに、公国軍が地球派遣軍の最終戦略目標として執勘に攻略を企図していたジャブローが湿地帯であつたこととの齟齬(そご)は、ジャブロー会戦において大きな意味を持つた。グフが大量投入された会戦は限られているが、その主要会戦であるジャブローにおいて、グフは目立った戦果をあげることができなかった。
工業製品は環境に適用しきらず、未完の要素を残しておく事が重要である。未熟さとは進化する余地の別名である。

ご教訓のほうは的を得ている。例えば1975年に就役した米海軍のスプールアンス級駆逐艦は当初排水量7800tの排水量で、3000tクラスの兵器と同等の武器しか搭載せず、なんて無駄な駆逐艦であろうと思ったものだったが、イージスシステム、トマホーク巡航ミサイル・VLS次々に新しい機能兵器を搭載していき、現在の米海軍巡洋艦タイコンデロガ級イージスミサイル巡洋艦9590tへと進化したが、基本構造は変化がない。確かにスプールアンス級→キッド級→タイコンデロガ級と進化していった図式はザクシリーズにも当てはまるのである。
その流れで考えると、MS-07グフを非難する著者の意図はまるで不明である。
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