Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:ミュージシャン


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まだ、スターマン・デビッドボウイが亡くなって1年しか経っていないのに、70年代~80年代私の大スターだったJohnWettonが亡くなった。

あぁ・・・まだ10年位は現役でいてくれるかと期待していたのに・・・・
盟友SteveHow(元Yes/AISIA)の方がてっきり先に逝くと思っていたが・・・
まだ逝ってほしくなかった!

英プログレッシブ・ロックバンド「キング・クリムゾン」や「エイジア」などで活躍したロックミュージシャンのジョン・ウェットン氏が1月31日、死去した。67歳だった。ジョン・ウェットン氏の公式ホームページ(HP)などで発表された。公式HPによると、長い間、結腸がんで闘病を続けていたという。1月11日には、医療チームの助言を得て新たな治療を行うため、春からの北米ツアーを欠席すると発表していた。

 1949年、英中部のダービー生まれ。70年代前半に、キング・クリムゾンに加入。ベースやボーカルを担当し、アルバム「太陽と戦慄」「レッド」などの代表作を残した。

 82年には、スティーヴ・ハウ、ジェフ・ダウンズ、カール・パーマーの各氏とエイジアを結成。ファーストアルバム「詠時感~時へのロマン~」が全世界で大ヒットし、その後も話題作を発表して、エイジアを世界の“スーパーグループ”に押し上げた。公式HPによると、エイジアの活動がウェットン氏のキャリアの中で「最大の商業的成功を収めた」としている。

 その後は、ソロでも活動。来日公演では日本語で来場者に語りかけるなど日本でも多くのファンを獲得した。

 ウェットン氏の訃報に接し、カール・パーマー氏と、ジェフ・ダウンズ氏はエイジアの公式HPにコメントを掲載。「世界はまた1人音楽の巨人を失った」(カール・パーマー)「彼の声は、神から与えられたものだった。彼は文字通り“特別”だった」(ジェフ・ダウンズ)などと、盟友の死を悼んだ。

(WEB編集チーム)
Asia - Heat Of The Moment (Fantasia - Live In Tokyo)





私がジョンウェットンを知ったのは1978年高校1年の時に結成された憂国の四士UKの結成であった。当時NHKFMと音楽雑誌レコードのライナーノーツ以外情報源を持たなかった地方の高校生にとって、あまりに衝撃だった!終わったと思っていたプログレッシブロックが復活したのだ・・・一瞬の幻であったが・・・

1.In The Dead Of Night 5:36
2.By The Light Of Day 4:40
3.Presto Vivace And Reprise 3:06
4.Thirty Years 8:02
5.Alaska 4:38
6.Time To Kill 5:00
7.Evermore 8:09
8.Mental Medication 7:24


1980年前後、ロックの主流はセックスピストルズやクラッシュなどパンクやニューウェイブという時期で、プログレ界はELPがLOVE BEACHを出し商業ロックに堕落し、やがてMTVの時代が到来し、プログレは衰退の一途を辿っていた。その最後の一瞬のきらめきがUKでた。

当時、解散した伝説のバンドキングクリムゾンのレッドでボーカルでスターレスを歌っていたあのジョンウェットン!と、元Yesのドラマーでキングクリムゾンに移籍していた天才ドラマー、ビルブラッフォード!ソフトマシーンでギターを弾いていた天才ギタリスト、アランホールワース、当時NHK水戸FMの地元枠の放送時間帯にプログレ特集でかかりまくっていたカーブド・エアのキーボード兼バイオリンのエディジョブソン!NHKFMサウンドストリートDJ渋谷陽一氏の紹介で聴いてしまった。

私はYesでプログレの魔力にとりつかれいたが、憂国の四士の奏でる中毒性の高いサウンドが決定打となり、生涯抜けられないプログレッシブ・ロックの魅力いや、迷宮に迷い込んでしまった。

UKはアルバムを2枚ライブ盤を1枚残し解散したが、1982年ジョンウェットン(bs.vo)が、スティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)、カール・パーマー(ds/元ELP)、ジェフ・ダウンズ(kbd/元バグルス、イエス)を率いてスーパーグループAISIAの結成した時は狂喜した。

私のCD棚はキングクリムゾン、イエス、ジェネシス、ピンクフロイド、ELP、ソフトマシーンに関連するグループメンバーで埋め尽くされているが、憂国の四士のメンバーのCDは大きなスペースを占めている。

どれをとっても素晴らしく、ジョンウェットンの演奏とボーカルは神が遣わした最高のプログレッシブロックび至宝であった。

プログレにとってはジョン・ウェットンのボーカルは重要無形文化財、人間国宝、いや天然記念物だった!ジョン・ウェットンのボーカル無くしてプログレッシブロックは完全に終わった。

巨星が堕ち いま私の心には星の無い漆黒の闇がただ広がっている・・・


















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今日はフレディ・マーキュリーがHIVにより45歳で急逝して25年目の日である。生きていれば70歳になる。

あの日から25年が過ぎたなんて・・・私の時計は1991年で止まったままだ。訃報を聞いた瞬間も覚えている。確かニュースを聞いたのはあの日早朝家内と鶴見付近を車を運転していた時だった。ラジオから突然の訃報が流れた。

「エッ嘘だろう!」その前日フレディは自身がエイズに罹患していることを告白したというニュースが流れ少なからずの衝撃を受けていたのに、「いま死んだって言った?」、私はラジオのアナウンサーがニュースの原稿を読み間違えたのではないか?と本気で思った。

これでQueenのニューアルバムに針をおとすあのドキドキ感をもう味わえないのかと思うと、ショックでショックで・・・言葉でその時の感情を書くことは難しい。大げさな表現かもしれないが、もし自分が余命宣告を受けたとしたら感じるであろう絶望感と虚脱感とはこのようなものかと思った。

わたしは、ビートルズがメジャーデビューした1963年生まれである。しかし小学1年生の時うにビートルズは解散してしまい、そして、ものごころついた頃ラジオから流れてきたのがキラークイーン(1974)であった。
♪She keeps her Moet et Chandon In her pretty cabinet
♪'Let them eat cake' she says Just like Marie Antoinette
♪A built-in remedy For Kruschev and Kennedy
♪At anytime an invitation You can't decline

♪Caviar and cigarettes Well versed in etiquette Extraordinarily nice

♪She's a Killer Queen Gunpowder, gelatine Dynamite with a laserbeam
♪Guaranteed to blow your mind Anytime

♪recommended at the price Insatiable an appetite Wanna try ?

♪To avoid complications She never kept the same address
♪In conversation She spoke just like a baroness Met a man from China
♪Went down to Geisha Minah Then again incidentally If you're that way inclined

♪Perfume came naturally from Paris For cars she couldn't care less 
Fastidious and precise

♪She's a Killer Queen Gunpowder, gelatine Dynamite with a laserbeam
♪Guaranteed to blow your mind Anytime

♪Drop of a hat she's as willing as Playful as a pussy cat
♪Then momentarily out of action Temporarily out of gas
♪To absolutely drive you wild, wild..She's all out to get you


♪She's a Killer Queen Gunpowder, gelatine Dynamite with a laserbeam
♪Guaranteed to blow your mind Anytime

♪recommended at the price Insatiable an appetite Wanna try ?


すごい!ビートルズとカーペンターズしか洋楽を知らなかった、小学6年生の私の心をたちまち奪い去ってしまった。以来40数年Queenのすべての曲とメロディは私の大脳の奥深く大脳辺縁系に記録されていった。Queenが青春期の音楽体験と重なった私は、なんと幸せな世代であろうか!

中学に入って男子中学生がQueenファンをカミングアウトするには勇気が要った。
当時の女子達はベーシティーローラーズやロゼッタストーンズ、パットマグリンバンドなどに夢中にで、大半の男子は洋楽に興味がなく、音楽通の兄姉を持つ同級生は、ディープパープルやレッドゼッペリン、クラプトンを聴き、私がQueenが好きだと言うと子供扱いされた。隠れファンは多かったと思うが、ティーンの男子でクイーンファンは極少数派であった。 

私の通っていた中学校では熱狂的なクイーンファンの女子が合唱部に数名いた、
私がQueenファンであると公言していたので、Queenの魅力的なコーラスパートにも魅かれていた私は合唱部に勧誘されてしまった。しかし、Queenファン以外の生徒からすれば、私を今でいうところのLGBT的な目で見ていたと思う。

断言できる、1970年代Queenの黄金期、確かに一部の熱狂的な十代の女の子にはQueenは支持されてはいたが、今日ビートルズと並び称されるほどの伝説のグループとしての地位にはなかった。

レンタルレコード店もまだなかった昭和50年の水戸の中学生にとって唯一の情報源は、AM局のポップな音楽番組とNHKFMが流す限られた番組だけだった。
「軽音楽を貴方に」「サウンドオブポップス」「サウンドストリート」「クロスオーバーイレブン」。TVで洋楽を流れたのがベストヒットUSAもなかった頃は、TVでごく稀にQueenのPVが流れたりすると狂喜乱舞したものだった。

心残りなのは、一度もライブに行っていないのだ・・・日本好きの彼らは歳を取ったらベンチャーズのように毎年日本にやってきて、公演するだろうと思っていたからだ。

世界的にも成功したロックグループであったけれど、日本発の人気で、米国のビルボードでもなかなか上位にランクインできず、初めて1位を取ったのは「Crazy Little Thing Called Love」「Another One Bites the Dust」であった。まさか、世界中がQueenに魅せられるとは思わなかった。

私が社会人となった1986年、カインドオブマジック以降Queenのニュースはあまり聞かなくなった。ある日、日経新聞のHIV薬品関連記事で某有名ロックスターがHIVになったという噂がマーケットで話題になっているという記事が書かれていた。瞬時にもしかしたらフレディだろうと思ったが、的中してしまったのだ。

Queenが伝説のロックグループとしての今の地位を得たのは、むしろ1991年フレディ・マーキュリーの死以降のような気がする。

1991年フレディ・マーキュリーがこの世を去って1992年の映画「Night and the City」でフレディ・マーキュリーがプラターズ名曲グレートプリテンダーをカバーした。

歌詞を読むと、フレディ・マーキュリーの人生そのものだった。
死期が迫っていたフレディのパフォーマンスは自分の魂を乗り移らせた素晴らしい楽曲に仕上がった。その輝きは私の主観だが、元祖のプラターズのパフォーマンスが原石に見えてしまうほどだった。

The Great Pretender
偉大なる詐欺師 訳(Ddog)

Oh yes, I'm the great pretender
Pretending I'm doing well
My need is such
I pretend too much
I'm lonely but no one can tell


あーそうさ、ぼくは偉大な詐欺師さ
うまくやってる振りをしてるだけなのさ
ぼくに必要なのは、大げさなふりをすることさ
僕は孤独で、誰も電話をかけてくれない 

Oh yes, I'm the great pretender
Adrift in a world of my own
I play the game but to my real shame
You've left me to dream all alone

あーそうさ、ぼくは偉大な詐欺師さ
自分の世界の中でさまよってるのさ
嘘をついているのが、本当は恥ずかしいのさ
君は僕から離れ、一人で夢を見るのさ 

Too real is this feeling of make-believe
Too real when I feel what my heart can't conceal


本当の自分ぼくはみせかけだと感じているんだ、
本当のぼくは、心を 隠しきれない時がそう

Oh yes, I'm the great pretender
Just laughing and gay like a clown
I seem to be what I'm not you see
I'm wearing my heart like a crown


あーそうさ、ぼくは偉大な詐欺師さ
笑って、騒ぐピエロのように
君が見ているのは僕ではないと思う
王様のように装っているだけさ

Pretending that you're still around
それでも、ぼくの傍にに居てくれる 

Too real when I feel what my heart can't conceal

本当のぼくは、心を 隠しきれない時がそう

Oh yes, I'm the great pretender
Just laughing and gay like a clown
I seem to be what I'm not you see
I'm wearing my heart like a crown
Pretending that you're...
Pretending that you're still around


あーそうさ、ぼくは偉大な詐欺師さ
笑って、騒ぐピエロのように
君が見ているのは僕ではないと思う
王様のように装っているだけさ
それでも、ぼくの傍に居て・・・
それでも、ぼくの傍に居てくれる
このグレートプリテンダーがフレディ-マーキュリーの遺言アルバム「メードイン・ヘブン」の構想につながったのではないかと私は思っています。

☆印はこのアルバムで初披露した新曲、★印は既発曲のリメイク。
1.☆イッツ・ア・ビューティフル・デイ - It's a Beautiful Day (Mercury)
  2011年にアルバム『ザ・ゲーム』が再発された際のボーナストラックに1980年4月収録とされるフレディのボーカルとピアノ伴奏による1分半ほどの当曲のデモトラックが"オリジナル・スポンテニアス・アイデア"として収録されている。この時の音源に楽器を追加するなどし2分半ほどの曲に仕上がっている。
2.★メイド・イン・ヘヴン - Made in Heaven (Mercury)
  フレディのソロ・アルバム『Mr.バッド・ガイ』から。演奏はメンバーが差し替え。
3.☆レット・ミー・リヴ - Let Me Live (Queen)
  アルバム『ザ・ワークス』に向けてのセッションでロッド・スチュワートと共に制作された[4]。クイーンのオリジナルアルバムの楽曲で唯一3人がボーカルをリレーしている曲。
4.☆マザー・ラヴ - Mother Love (May,Mercury)
  フレディの生前最後のボーカルトラックと言われる。フレディが最終コーラスまで録りきることができなかったため最終コーラスはブライアンが歌っている。
5.★マイ・ライフ・ハズ・ビーン・セイヴド - My Life Has Been Saved (Deacon)
  アルバム『ザ・ミラクル』時に録音された、シングル「スキャンダル」のカップリングとなった曲。このアルバム収録にあたりアレンジが変更された。
6.★ボーン・トゥ・ラヴ・ユー - I Was Born to Love You (Mercury)
  フレディのソロ・アルバム『Mr.バッド・ガイ』から。演奏はメンバーが差し替え。
7.★ヘヴン・フォー・エヴリワン - Heaven for Everyone (Taylor)
  ロジャーのソロ・プロジェクト・バンドであるザ・クロスのアルバム収録曲で、ゲスト・ボーカルとしてフレディを起用したテイクのボーカル部分を使用。演奏はメンバーによって差し替えたもの。クロスのシングル・バージョンでは、ロジャーが歌っている。
8.★トゥー・マッチ・ラヴ・ウィル・キル・ユー - Too Much Love Will Kill You (May)
  フレディ・マーキュリー追悼コンサートでお披露目され、後にブライアンのソロ・アルバムに収録された曲。このバージョンは、フレディのボーカル・バージョン。
9.☆ユー・ドント・フール・ミー - You Don't Fool Me (Queen)
  プロデューサーのデイヴィッド・リチャーズが残されたフレディのボーカルなどを組み合わせ1つの曲として再構築し3人に提示されたものに演奏やコーラスを付けたといわれる。
10.☆ウインターズ・テイル - A Winter's Tale (Mercury)
  スイス・モントルーのフレディの別荘で書かれた、彼が単独で作曲した最後の曲。
11.☆イッツ・ア・ビューティフル・デイ(リプライズ) - It's a Beautiful Day (Reprise) (Mercury)
隠しトラック
ジャケットの曲目一覧は11曲まで記載されており、12曲目、13曲目はない。
12曲目は「イッツ・ア・ビューティフル・デイ(リプライズ)」の最後の4秒、フレディが"Yeah"と歌う箇所を別トラック扱いとして分割したものである。13曲目は22分以上にも及ぶトラックになっており音楽というよりも音による天国の風景を表現したような作品。プロデューサーのデヴィッド・リチャーズの証言によると『イッツ・ア・ビューティフル・デイ』の編曲をしていて思いついた曲だという。最後はフレディの"Fab !"という言葉で終わる。
この☆印の新収録曲のタイトルと歌詞は遺言、まるで天国からフレディが語りかけているようだった。
1イッツ・ア・ビューティフル・デイは作詞ジョンディーゴン作曲ブライアンメイだが、
It's a beautiful day 
The sun is shining 
I feel good 
And no-one's gonna stop me now, oh yeah 

It's a beautiful day
I feel good, I feel right
And no-one, no-one's gonna stop me now
Mama

Sometimes I feel so sad, so sad, so bad
But no-one's gonna stop me now, no-one
It's hopeless - so hopeless to even try

美しい日だ
太陽が輝いている
気持ち良いぜ
そして 誰も 今の僕を止めようとはしないだろう

美しい日だ
気持ち良い 気分が良いぜ
そして 誰も 誰も 今の僕を止めようとはしないだろう
ママ

時々 とても寂しく とても寂しく感じて 酷く落ち込む
だけど 誰も 今の僕を止めようとはしないだろう 誰も
それは絶望的だ 試みることすらあきらめている
これは私が思うに、フレディが原案を語って、フレディに代わって二人が作ったのではないか?でなければ、HIVで死にゆく親友に歌わせることができるのだろうか?


この曲が1985年ノエビア化粧品のCMに採用された時には嬉しかった・・・
やっと、一部の熱狂的ファンが支持するQueenがお茶の間に降りてきたような気がしてきた。

2011年日清カップヌードルのCMで、コンピューターで合成された声らしいという情報でしたが、ボーカロイド技術はまだそこまで発達していなかったようですね。どうやらGary Mullenという声のそっくりさんが吹き替えている可能性があるとの情報です。
 
日本好きのフレディがヘブンから降りてきてGary Mullen氏に憑依したようにも聞こえます。何年かするとブライアンメイとロジャーテーラーが本当にAIでフレディの声を合成したニューアルバムが出ることもありえるかもしれません。その時にはジョンディーゴンも復帰して1枚作ってほしいなぁ。

『イニュエンドウ』 (Innuendo) 1991年2月リリースのアルバム。フレディ・マーキュリー存命時にリリースされた実質的ラストアルバムである。

1980年にリリースされたTheGame以降のアメリカを意識した乾いた音楽から、ヨーロッパ的な湿度を感じるクーン初期の音楽性に回帰した名盤。
※作詞・作曲のクレジットは『クイーン』となっているが、インタビュー等でおおよその作曲者は明らかになっている。ここで挙げる作曲者はWikipedia英語版の『Innuendo』の2006年7月27日版の記事から引用したものである。
1.イニュエンドウ - Innuendo *
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー、ロジャー・テイラー
プログレッシヴ・ロックのバンド、イエスのギタリストであるスティーヴ・ハウがフラメンコギターのソロで参加している。
プロモーションビデオは過去の映像のメンバーの動きをコラージュし、ダ・ヴィンチ風、ピカソ風、ポロック風に加工した作品になっている。
フレディ・マーキュリー追悼コンサートでロバート・プラントが歌ったが、声が出ていない等の理由で、その後発売された、ビデオ、DVDソフトではカットされている。(NHK FMでオンエアされた際には声の出ていないところも含めて放送されている)
曲風はラヴェルのボレロ風リズムと音階で始まり、徐々に盛上る。アコースティックギターのソロが入ると、一旦静かな独唱の中間部を通る、5拍子のフラメンコギターを含めた展開部から、合唱部分を通り、ドラマティックなフラメンコ風ソロと変拍子が入り、提示部のボレロ風メロディーに戻る複雑な構成である。
シングルチャート1位を獲得。
2.狂気への序曲 - I'm Going Slightly Mad *
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー
歌詞は、フレディのもとを学生時代からの友人で舞台俳優であるピーター・ストレイカーが訪れたときにしたお喋りがもとになっている、歌の中で一単語がどうしても気に入らず、朝4時まで悩んだなどの逸話が残されている。
プロモーションビデオはフレディが道化師を演じる大部分がモノクロの映像作品。ペンギンに扮したブライアンとのコスプレと本物のペンギンが共演していたり、ゴリラのぬいぐるみが出てきたりとユーモアに富んだ内容になっている。
3.ヘッドロング - Headlong *
作詞・作曲:ブライアン・メイ
ブライアンが「クイーンの曲として採用してもらえるか半信半疑であったため、後の自分のソロアルバムに使う事も念頭に置いていたが、すんなり採用された」と自身のインタビューで答えている。
プロモーションビデオはスタジオでのカットを主にまとめられている。また、PVではAメロに入る前にCD版になかったフレーズが追加されている。
2013年に再発された当アルバム(リミテッド・エディションと呼ばれる。以下同様に呼称)のボーナストラックにブライアンボーカルの"エンブリオ・ウィズ・ガイド・ボーカル"というバージョン名で収録されている。
4.アイ・キャント・リヴ・ウィズ・ユー - I Can't Live With You
作詞・作曲:ブライアン・メイ
上と同じく、ブライアンが「採用してもらえるか半信半疑であったが、すんなり採用された」と自身のインタビューで答えている。
後のベストアルバム「クイーン・ロックス」にて演奏を差し替えた'97 retakeというバージョンが収録されている。また、リミテッド・エディションのボーナストラックにも同バージョンが収録。
5.ドント・トライ・ソー・ハード - Don't Try So Hard
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー
6.ライド・ザ・ワイルド・ウインド - Ride The Wild Wind
作詞・作曲:ロジャー・テイラー
リミテッド・エディションのボーナストラックにて"アーリーバージョン・ウィズ・ガイド・ボーカル"という名前でロジャーボーカルのトラックが収録されている。
7.神々の民 - All God's People
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー、マイク・モラン
もともとフレディのソロアルバム『バルセロナ』に収録を予定していた『アフリカ・バイ・ナイト』という曲であったが、ボーカルのパートナーであるモンセラート・カバリェに拒否されたために、バンドの曲として録音されたもの。
8.輝ける日々 - These Are The Days Of Our Lives *
作詞・作曲:ロジャー・テイラー
フレディの生前、最後にクイーンとして撮影されたPVがこの曲のものである。フレディの死後に発売されたシングル「ボヘミアン・ラプソディ」のB面に収録された。
フレディ・マーキュリー追悼コンサートではジョージ・マイケルとリサ・スタンスフィールドがデュエットで歌った。
近年のクイーン+ポール・ロジャースのツアーでも演奏されている。ボーカルはロジャー(ドラムは自動演奏)。
9.愛しきデライラ - Delilah
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー
デライラは、当時フレディが飼っていた愛猫の名前である。ギターで猫の鳴き声を出している。
9.ザ・ヒットマン - The Hitman
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー
原案はフレディ中心で、ロジャーも参加して作られたが、ギターで演奏しづらいキーであるという理由で、ブライアンが移調したという。しかしながらブライアンのボーカルによるデモ音源(※)が現存しており(ファーストセクションのみで、ドラムは打ち込みと思われる)[要出典]。セクション別に作曲されたと想像できるが、真偽は分かっていない。[要出典]リフは元祖スラッシュメタル系である。[要出典]
10.ビジュウ- Bijou
作詞・作曲:フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ
旧邦題は「バイマー」「バイユー」。
11.ショウ・マスト・ゴー・オン - The Show Must Go On *
作詞・作曲:ブライアン・メイ、ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー
フレディ・マーキュリー追悼コンサートではエルトン・ジョンが歌った。
モーリス・ベジャール・バレエ団で使われている。


















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歌手:RCサウセション
作詞:GEE2WO・忌野清志郎
作曲:GEE2WO・忌野清志郎

Woo授業をサポッオて~Yeah!
陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ屋上で
たぱこのけむりとても青くてー

内ポケットにいつもトランジスタ・ラジオ
彼女教科書ひろげてるときホットなナンパー
空に溶けてった~
ああこんな気持
うまく言えたことがないないAI

ペイーエリアからりパプールから
このアンテナがキャンチしたナンパー
彼女教科書ひろげてるとき
ホットなメッセージ空に溶けてった~

授業中あくぴしてたら
口がでっかくなっちまった
居眠りぱかりしてたらもう
目が少さくなっちまった
ああこんな気持
うまく言えたことがないない

Ah君の知らないメロディ
聞いたこの無いヒット曲!
Ah君の知らないメロディ
聞いたこの無いヒット曲!


リアルタイムで高校生だった私の世代にとって、忘れられないメロディである。
清志郎のホットなメッセージは、空に溶けて逝った。

1980年代、雑誌:宝島やビックリハウスではYMOの3人(特に教授こと坂本龍一)、コピーライターの糸井重里と並び忌野清志郎は頻繁に取り上げられ、サブカルチャーの巨星であった。

高校時代私は美術部でした、中学の時には既に懐メロであったが、ラジオで聴いた初期のヒット曲「僕の好きな先生」に触発され、高校へ入ったら美術部に入り美術準備室に入り浸るのも悪くないと思ったのも動機のひとつだったかもしれません。70年代最後の年、その高校の美術準備室での話題は、結成間もないYMOや復活RCサクセションであった。

私にとって、忌野清志郎の名前は、高校浪人大学と青春の輝かしい日々の想い出と常に伴にありました。

あれから30年近くの時が経ったなんて信じられません、みな、つい昨日の出来事のように思います。

清志郎もいい季節に旅立ったものだ・・・・


「生き方の本質がロックだった」 忌野清志郎さんの魅力
http://www.j-cast.com/2009/05/04040624.html
 ロック歌手の忌野清志郎さんが2009年5月2日、がん性リンパ管症のため58歳という若さで亡くなった。まさに「ロックな人生」を生きた忌野さん。同世代だけでなく、20代や30代のミュージシャンやファンも死を悼んだ。その魅力はどこにあったのか。

「凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男」
   ロックバンドRCサクセションのボーカルとして1970年にデビューした。社会的、政治的なメッセージを込めた楽曲も少なくなく、反骨のミュージシャンとして知られた。06年7月に喉頭がんを発症。放射線や抗がん剤での闘病を続け、08年2月には日本武道館で復活ライブを果たしたが、08年7月にがんが左腸骨への転移が見つかり、結局、還らぬ人となった。

   突然の訃報を受け、ネットでは多くのミュージシャンやファンがブログに心境を書き込んだ。音楽雑誌『ロッキング・オン』の発行人の渋谷陽一さんは5月3日に更新したブログで、「何を書いたらいいのか分からない」と書き出した。最近送られてきたファンクラブの会報に、いつも記載されているはずの本人の近況やコメントがなかったことが心配だったという。

「とにかく、いろいろな事が悔しい。凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった」「後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと」
   渋谷さんはこんな思いを書き込み、同じ時代を生きられた幸運を綴った。

サンボマスター山口隆「喪失感でいっぱい」
   ロックバンド「サンボマスター」のボーカル・山口隆さん(33)も同日のブログで、「僕は少年時代から忌野清志郎さんの音楽が大好きだ」と書いている。山口さんにとって、忌野さんはソロになってからの方が身近だったという。

「特に当時テレビドラマの主題歌だった『サラリーマン』という曲は強烈に好きだ」「上京した頃、僕はこの曲をずっと聴いてる事が多かった。思い返すと、自分が上京して親元を離れいよいよ大人に近づいていくことへのぼんやりした不安を、この歌が埋めてくれていたからだと思う」「そして今でもこの曲は僕の中にあるぼんやりした不安を埋めてくれている」
   山口さんはいま、喪失感でいっぱいなのだとこぼす。だが、音楽は残って、色あせない――忌野清志郎さんの音楽は残るんだとも記している。

   20代、30代のユーザーが多いインターネットのブログやソーシャルブックマークでも、忌野さんの死は大きな話題となった。「はてなブックマーク」では各メディアの記事にたくさんのブックマークがつき、哀悼コメントが捧げられた。ブログで多く語られているキーワードを紹介するサイト「kizasi.jp」でも、ランキング上位に忌野さん関連のワードが並び、SNS「mixi」のキーワードランキングも1位だった。mixiユーザーの日記には、

「あんなカッコイイ人が!ロックンローラーが!清志郎さんが!すごい素敵な人やったなぁ 」
「もう一度生きた清志郎さんの歌声を聴きたかったですが残念です」
「あぁ...死んでしまった...CDを聴きながらいろんなことが思い出されて涙が止まりません... 」
といったコメントが多数書き込まれ、忌野さんの代表曲『雨上がりの夜空に』『ヒッピーに捧ぐ』のYouTube動画を貼り付けている人も見られた。

「その死さえメッセージではないかと思う」
   なぜ忌野清志郎さんの死がこれほど語られるのか。ミュージシャンやファンを惹きつけたのは、その生き様だ。忌野さんの魅力について、同世代の音楽評論家・加藤普さん(60)は次のように語る。

「彼の音楽は単なるエンターテインメントではなく、自分の意志・生き方の表明だった。清志郎さんは自分の意志に正直に生きた人だと思います。自分が正しいと思ったことをやる。これはおかしいじゃないかと思うことを言える。破滅的なロックと言うよりは、体制の批判者だったんですね。恰好だけではなく、真剣に生きているということそれ自体が本質的にロックだったんです。そのために、無条件に信頼されたのではないでしょうか」
   さらに、忌野さんの死がもつ意味について、加藤さんはこう話した。

「闘病もそうですが、彼はいつも生に対して、真剣に向きあってきた。真面目だった。だから、私はその死さえメッセージではないかと思うのです。我々はそれを引き受けなくてはならないと思います」

渋谷陽一氏がコメントが載っていたので、このニュースソースを使わせていただきました。

私の音楽生活のベースとなったのも渋谷陽一氏の選曲したNHKFMのサウンドストリートだった。(そしてその後のクロスオーバー11)主にサウンドストリートとクロスオーバー11をエアチェックしたテープは500本以上押入れに眠っているだろうか?いま思えば残念なことだが、当時テープ代がもったいなくて、気に入った楽曲のみしか残していない。

洋楽を崇拝していた私は、フォークだ?、ニューミュージックだ?そんなのが好きな連中はは、黒柳徹子と久米宏司会のザ・ベストテンでも視てればいいんだと、傲慢にも日本語の唱にはほとんど触手が動きませんでした。

ビートルズから始まり、Queenやツェッペリン、ディープパープル、Yes,キングクリムゾン、ピンクフロイド、ジェネシス、マイクオールドフィールド・・・etc錚々たる巨匠達を崇拝するのに精一杯で、とても日本語のロックまでカバーできるキャパシティはありませんでした。

YMOが世界的評価を受け出した頃、渋谷陽一氏の番組でオンエアされた日本語ロック特集でも取り上げられたのが、日本のミュージシャンに関心を持ち出すきっかけであったと思う。高校の美術準備室でタバコの匂いと絵の具の匂いに紛れたU先生が「はっぴーえんど」や「ティンパンアレー」日本のロックの黎明期を語り、そして今は、YMOとRCサクセションが凄いという話で盛り上がった。U先生が美術教師になったのも、「僕の好きな先生」に触発されてのことという・・・

高校の美術部には他に部室があった。学ランを着ながら唱っていた雨上がりの夜空「こんな夜にお前に乗れないなんて♪こんな夜に発射できないなんて♪」は、リビドーを募らせたなぁ。早く大学生になり童貞を捨ててやるんだと、美大ではなく6大学(のうち5つの大学を)を目指したあの頃、そして、いけないルージュマジックは大学のサークルのBOXで聴いていた・・・


大学時代大人の男となった私は、反原発に走った清志郎に共感を覚えなくなってしまった・・・

しかし、今は、清志郎氏に心から黙祷を捧げる。
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