Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:メンタルヘルス

1月3日夕方突然の腹部肋骨下部の横隔膜を引っ張られるような痛み。
夜間診療がある病院に駆け込み検査・・・X線や触診、血液検査をしたが原因は不明。日中来院してCTかMRIでの検査をしてくださいとのことで、痛み止めの点滴をしてもらい帰宅。
1月4日は正月休み明けの大発会であり会社に出社し翌5日病院に行く。脂肪肝の肝臓が腫れている可能性があるが、診たところそのようではない。わからないから専門医に診てもらってくださいとのことで、専門医がいる1月20日に予約を取って、20日三度目の病院へ行った。その間痛みは感じていないが、喉に違和感を感じている。

CTを撮り、エコー検査、造影剤を入れてののCT。結果、胆嚢に1.5Cmの腫瘍があるとのこと。次、会社の休みをとって出来るだけ早く来てくださいとのこと。ただでさえ忙しいうえ、インフルエンザで休む人が多くトランプ相場、社内検査もちかく、窓際とはいえ日中は結構忙しい。

それでも無理やり2月3日休みをとることにして予約の電話を入れたが3日は専門医の先生が多忙で翌金曜日の10日しかとれないとのこと。10日に休みを取ることにしてMRI検査の予約をとる。

夕方会社の業務中突然スマホに家内から電話がかかる。家内は4年前の秋に大病をし手術をして、その後は順調であったが、昨年末から体がだるいと言っていた。

嫌な予感がしたのだが、病院から緊急連絡があり、家内もMRIを撮ることになったという。つまり再発したかもしれないと・・・・。恐れていたことが突然に着た。私は一言「そうか」とだけ言う。家内には下手な慰めごとを言っても無駄なのだ。遅くなるので夕飯は私に作ってほしいとのことで、承諾。

半分に切ったキャベツと、固くなりかけた焼き豚があり、食べてしまわなくてはいけないと思い。冷静に夕飯は具だくさんのミネストローネを作ることにした。

業務スーパーにてソーセージ200g240円。ドイツ産のスープ用野菜の冷凍食品(芽キャベツ・じゃがいも・ベビーキャロット・エシャロットetc入り)500g148円と角切りトマト缶69円を買う。

家に帰ると付属高校の3年でエスカレーターで進学が決まり、暇を持て余し家にいるはずの娘がいない。習字教室に行っているらしい。玉ねぎなど冷蔵庫の残り野菜一掃でミネストローネに投入。通常習字は7時過ぎに迎えに来るよう電話が掛ってくるのだが、時間になっても娘から電話が無いので、娘のスマホに電話を架ける。

出ない・・・義母の家かと思ってもう一度スマホに電話するもでない・・・メッセージを送る前に義母に電話したのだがいないと言う。母親から連絡でもあってどこか行ったか?

そうこうしていると、水戸の妹より、父が行方不明だと電話が掛ってきた。

実母は痴呆症でデイサービスに通っているのだが、施設の方が母親を家に送り届けると父が居ないと言うのだ。隣の奥さんに父が居たか聞いたが昼過ぎに車で出て行ったきりだという。いつもは雑然としている家の中がいつもよりきれいだと言うのだ。仕方がないので、デイサービスの方は施設に母を連れて戻った。

妹のところに連絡があり、施設に戻った母を妹が引き取りに行って家にいると言うのだ。そしていつもより家の中が異常にきれいだと言うのだ。父は老々介護で疲れ切ったのか?

日教組で元共産党員の唯物史観のバカ親父が最近弱ってきたのは事実だが・・・
介護疲れで失踪?自殺?・・・まさか!母親を殺して警察に出頭するよりはましか?
などど、余計なことを考えてしまう。

正月実家に帰った際、デイサービスではなく介護施設に母を入れるよう説得したのだが、自分が寂しいからと入れるのを拒否しているくせに、言わんこっちゃない!

先日も私からケアマネージャーさんに連絡し、とりあえず週に一~二泊デイケアの施設で過ごすようにしようと相談していたばかりなのだ。

妹は警察に連絡しようかどうしようかと相談の電話だ。とりあえず10時まで待って、帰ってこなければ、それから警察に連絡することにしよう妹と決める。水戸の妹にはこちらのバタバタは言えたものではない。

それにしても、何度も人生で災難に合ってはいるが、一度にこんなに災難が重ねて起きるものかよ!

まあ、長い人生には同じようなことを誰でも度々経験しているかもしれない。

父のことは水戸の叔母や清瀬の叔父に電話するか思い悩んでだが、ちゃっかり父が帰ってくる可能性の方が高いのだろう思い、今のところは電話は架けるべきではないとおもい留まる。

まず、娘から電話が掛ってきた。結局ただ習字教室に行っていたという。単に電話がつながらなかっただけで迎えに来てほしいと言うので迎えに行く。義母から心配して電話。心配した義母には娘が習字教室に居たことを伝えたが、家内や父のことは内緒にした。

まずは落ち着いて夕飯を食べようと。バタバタの間にささっと作ったソーセージ入りのミネストローネと昨日の残り物のチーズハンバーグ・オイルサーディンで娘と夕食を食べる。バタバタしている間充分に煮込んだミネストローネは、とても美味しく仕上がった。

あれ?家内もいつもより帰りが遅いではないか!まさか家内まで世をはかなんで・・・止めてくれ!これ以上私には心配する余裕が残ってはいない。

夕飯が終わり最悪今晩水戸に行くかもしれないと、帰る準備を・・・と、その前に妹に電話を架ける。まだ帰ってないと言う・・・どうしたんだろうかと話しているうちに、今、父が帰宅したと言う。

なぜ遅くなって、母のことを忘れていたのか・・・とりあえず父がなぜ母を放置したのか妹が聞くと言う。妹に任せるしかない。妹は父に何と聞くのだろう?

暫くすると今度は家内が帰ってきて、私に悪態をつく。理不尽に私に当るわ当る!心配して損をした。悪態をつくほど元気があれば良し。娘は半泣き・・私は家内の愚痴を聞く・・・・。ブログに書けないあまりに酷い物言い・・・。だが、今度は私も患者様の仲間入りなのだ、妻ばかりが不幸なのではないと思うのだが・・・・
私に悪態をつくことで彼女は自分の心を癒しているのだ・・・世をはかなんで自殺することから比べれば、なんと些細なことだ。

「アンタのは(私の腫瘍)は緊急性がないから呑気なのだ」、「私(家内)は病院から電話が緊急に架かってきたのだよ」「あんたのは大したことはないんだよ!」と・・・。なんだか、自分の病気の件はどうでもよくなってしまった。優先順位は一番最後だ。

「今、一人にして」と家内が言うので・・家内を一人にしてブログを書いている。
明日朝なんと妻に声をかけようか?父に何があったのか?人間年を取るとどこでも多かれ少なかれ同じようなことが起きるのだろう。ただ今日はちょっといろいろ凝縮されて起きただけ。

なにやらすごい一日A Hard Day's Nightだった。だが幸いなことに誰一人死んではいない。ただ勝手に自分が心配しただけだ。たいしたことはない。何が起きても人生は修行なのだ。何事も修行として受け止め受け入れるべきなのだろう。なんとなくそう思える。ちょっとハードな思いをしたが意外に自分は落ち着いている。

Let it be,Let it be,Let it be,Yea!Let it be,
Whisper Words of Wisdom,Let it be!



たださすがに私も一人の人間、それほど強い人間ではない。心を整理するために文章にしてブログの記事にしてみた。不思議と気持が落ち着くものである。

皆様にはどうでもいいことなのだが、ブログに書くことで私は癒しを得ている。

もしここまで読んでいただいたのなら、読んでいただいた方には感謝をしねばならないだろう。

私に降りかかった、色気も教訓などなにもないプライベートな出来事でしたが、駄文にお付き合いいただきまして、たいへんありがとうございます。


<追記>2017.1.28

いい天気だ、早朝妻を散歩に誘うが行かないと言う。娘は朝まで課題の論文を書いている。コーヒーを入れ、ミネストローネを温めトーストを焼く。いつものかわらない土曜日の朝。

家内は相談できるスピルチャルな知り合いに会いに行くと言うので駅まで妻を送る。それが彼女の癒しなのだ。

父に電話をしても都合が悪いと聞こえないふりをするのか、本当に聞こえない場合もある。妹に昨晩のこと、どうであったのか電話を架け顛末を聞いた。

なぜ父が帰ってこなかったか父は理由を言わなかったらしいが、ケロリとしていたという。施設の人が母を置いて帰るだろうと思っていたと言う。「大ごとになって申し訳ない」と珍しく頭を下げたと言う。妹は怒り心頭だったが、父に施設の人達に謝りに行くよう諭しただけで、それ以上は言わなかったと言う。

父はパチンコが好きで北朝鮮に度々お金を貢いでいた。もしかしたら珍しくパチンコが出て閉店までいたのかもしれない・・・それにしてもたまに出ても、今まで母の帰宅時間までには戻っていた。だが、たぶん魔が差した・・・そんなところだろう。

今日も横浜市北部は抜けるような晴天だ!

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It's A Beautiful Day!ありがたいことだ。

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It's a beautiful day
なんと美しい日だ

The sun is shining
太陽が輝いている

I feel good
良い気分だ

And no-one's gonna stop me now, oh yeah
もう誰も僕を止める事はないさ

It's a beautiful day
なんと美しい日だ

I fell good, I fell right
とても良い気分だ どうってことはない

And no-one, no-one's gonna stop me now
誰も僕が(いい日だと思うことを)止める事はないさ

Mama
ママ!

Sometimes I fell so sad, so sad, so bad
ときどき悲しい とても悲しい そしてひどい気持ちにはなるけど

But no-one's gonna stop me now, no-one
でもさ、誰も止めることはできない だれも

It's hopeless - so hopeless to even try
絶望を感じることなんて 無駄なことだってことさ



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ローマ法王が韓国民にお説教?「倫理的に生まれ変わるよう望む」 【ZAKZAK】2014.5.1

韓国の旅客船「セ ウォル号」沈没事故か ら2週間が過ぎた。船 長以下、乗組員や海運 会社の“犯罪的行 為”や、朴槿恵(パ ク・クネ)政権の不手 際が厳しく指摘される なか、ローマ法王の強烈発言が報じられ た。ジャーナリストの室谷克実氏が考察し た。

日本の海運会社から、クズ鉄+アルファ の価格で買った船齢18年の船舶に無理な 改造を重ねた旅客船「セウォル号」という 名の貨客船が沈没した。

規定(実は、それも適切だったか怪しいが)を大幅に超えた積載、それを見過ごし た港湾関係者、コンテナを鉄製器具で固定 しなかった、乗務員たちの「ケンチャナ ヨ」(=まぁいいや)精神。「パリパリ」 (=急げ急げ)文化に従ったのか、危険な 海域での猛スピード航行。

船体が傾いたとの通報から2時間以上も あったのに、「責任者先逃(せんとう=率 先して逃げること)文化」の伝統を体現し た乗務員たち。

そして、沈没してからは「船体から生存 者の声が聞こえた」とウソを述べた偽ダイ バーが現場を混乱させた。家族待機所に届 いた毛布などをくすねた窃盗犯が出現し、 さらには家族代表に「なりすまし」て大活 躍した野党の地方選候補者…。

沈没事故そのものが、「韓国」という腐敗したシステムの中から生まれた人災であり、その後のドタバタはまた、虚偽と声闘 を主軸とする「韓国」という混迷の文化システムの表れではないのか。

そうしたなかで「韓国民が、この事故を 契機に“倫理的に”生まれ変わるよう望む」
と述べた人物がいる。ローマ法王フランシスコだ。

24日(バチカン時間)に、韓国カト リック教会の大田(テジョン)教区長ユ・ フンシク主教と会見した席で、哀悼に意を 表しつつ、上記の通り語ったというのだ。

法王の実際の発言が、どんなニュアンス なのか。あるいは、カトリックの教義に照 らすと、法王発言はどんな意味を持つのか は、残念ながら分からない。

それでも、韓国語を和訳すると「韓国民が、この事故を契機に“倫理的に”生まれ変 わるよう望む」となる法王発言は強烈だ。 取りようによっては、「韓国」というシス テム、「韓国民」という実体に対するトー タル否定だ。

韓国のメディアは、「韓国経済」「京郷 新聞」そして国営KBSも素早く伝えた。 しかし、日本語サイトを運用しているメ ジャーな新聞では、「中央日報」が26日 に伝えただけだ。その字数は187字。

「朝鮮日報」「東亜日報」「ハンギョレ新聞」とも、なぜかスルーした。念のため、これらの新聞の韓国語サイトも調べたが、記事はなかった。

日本の新聞もどうやらそろってスルーし たようだ。どこかの新聞が「ローマ法王が ヘイトスピーチ」との大見出しを立てるの ではないかと思っていたのだが…。

韓国の野党は「内閣総辞職」を要求して いたのだが、鄭●(=火へんに共)原 (チョン・ホンウォン)首相が辞意を表明 するや、今度は「無責任な辞任」批判を開 始した。政治の極限対立もまた、韓国の伝統文化だ。 
今回の旅客船「セ ウォル号」沈没事故について、世界中の人々が死んだ犠牲者を悼んでいるが、それ以上にあまりに多くの韓国人の異常な行動の数々、船長はじめ政府、海洋警察、船会社の無責任な行動、沈没事故もさることながら、韓国人と韓国社会の異常性が世界中に広く伝わったような気がします。

ローマ教皇が遂に見るに堪えず「韓国民に、倫理的に生まれ変わることを望む」と発言に至ったのだと思う。

バチカンといえば世界に冠たるインテリジェンス大国で、そしてかなり政治的な国家です。ローマ教皇には二つの立場がある。ひとつは、カトリック教会全体のトップの宗教人、もうひとつは、バチカン市国という小さな国の国家元首である。第二次大戦中も実は日本とバチカンは外交関係をもっていて、それで、バチカンを経由してアメリカと和平交渉をやろうとしていたくらいです。真珠湾攻撃前までは、大日本帝国の反共政策を高く評価しておりました。バチカンは反キリスト教政策をとる国々を世界有数のインテリジェンス能力を駆使し孤立没落させているという噂も絶えない。

現在バチカン市国の元首=ローマ教皇は、日本の国家戦略と立場同じく中国を抑え込もうとしています。中国とバチカンというのは実は国交がなく国交が断絶したままです。今回の異例の発言は、韓国が中国の属国化しようとしていることに不快感を持っているものと考えての発言であったと、考えるべきだと思います。

しかも、韓国にはカトリック系似非新興宗教がはびこり、韓国のキリスト教会の中にもキリストは韓国人であった説を否定しない神父もいるなど、韓国人キリスト教徒は異端であるとバチカンは感じているようだ。キリスト教は伝統的に異端審問と魔女狩りのように異教徒より異端に対して非常に厳しい。


ローマ教皇が、如何に韓国人を悔い改めさせようとしても、反日教育など後天的な倫理観であるなら悔い改めることも出来るが・・・根本的に韓国の国民性は先天的なサイコパス精神病質者)そのものであるから、悔い改めることなど不可能。サイコパスは、死ななきゃ治らない!

どういう者がサイコパスかサイコパスとは何か?のサイトを参照してください。

「サイコパスは」を「韓国人は」と置き換えるとそのまま韓国の国民性にあてはまる。
いや、そのものである。

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それでは、サイコパス韓国人に置き換えた文章にしてみましょう。
韓国人朴槿恵に置き換えても文章として成立します。

(韓国人は)口達者で一見、魅力的 
単純に考えると、良心を持たない韓国人は、周りの人たちから見ても怪しい人物であったり、嫌悪感を持たれる存在なのが普通だと思えるかもしれま せん。

しかし、多くの専門家が挙げる
韓国人の特徴の一つが、口達者で社交的があり、表面的には魅力的に見えるというものです。

韓国人は一見、口達者で社交的があり、魅力的に見える。

捕食者としての性質

サイコパス韓国人)は普通に見える」の項目でも触れていますが、相手を自分にとって都合の良いように利用するには、何よりも まず警戒心を抱かれない事が重要です。

逆に信用され、気に入られることさえ出来れば、その相手を落とし入れるのは簡単な事でしょう。

韓国人はそれを、非常によく知っているのです。

だから彼らは、人に非常に愛想よく、丁寧に接する事ができます。
人に明るく声をかけることも、爽やかな笑顔を浮かべて「ありがとう」と言う ことなど朝飯前。

もちろんそれは本当の良心からではなく一種の演技ですが、善良な人のように”後ろめたさ”を感じたり、迷うことが無い分だけ、役者としては優秀です。

必ずしも全ての
韓国人が口達者で社交的であるとは限りませんが、表面的な好印象がその人の内面を表しているとは限らないということを覚えておき ましょう。

迷いが無い

以前に何かの雑誌のアンケートで、女性が嫌がる男性の性格の一位が「優柔不断」となっていました。

これは何も女性に限ったことでは無いと思いますが、何にでもウジウジ悩んでいて決断を下すのが遅い人物に対して、我々は悪い印象を持つ傾向にありま す。

これに対して
韓国人は、
「こんな事をしたら、後で後悔するんじゃないか?」
「こんな事を言ったら、人にどう思われるだろう?」
と 思い悩んで意思決定や行動が遅れることはありません。

だから彼らに良心が存在しないことを知らない人から見れば、即断。即決・即行動の快活な人物に見えたり、一種のカリスマ性を感じることがあるのかも 知れません。

悪は人をひきつける

人は心理的に、品行方正な人よりも「ちょっとワルな存在」に惹かれる事があります。

ちょっとしたイタズラの計画や、「一緒に授業を抜け出して遊びに行こう」という誘いに胸が踊ってしまったりするのも、人がタブーを破ることに一種の快感を覚えるからだと思います。

また、普通の感覚からは掛け離れているかも知れませんが、連続殺人鬼のような凶悪犯罪者には、熱狂的なファンが出現することがよくあります。

これも人が心のどこかに、悪に惹かれる性質を持っているからだと言えるでしょう。

もちろん個人差は凄くあると思いますが。思慮がない分決断力があるように見える。
思慮がない分決断力が早い分、半導体産業・液晶パネルでは、慎重な日本企業が、財閥のトップダウンによる決断で、日本勢がサムソンやLGに惨敗してしまった。
これは、確かに日本側の欠点ではあったが、日本企業が決断が遅かったのではなく、韓国側がサイコパスの特徴である迷いがないという性質のおかげで、運が良かっただけだったと理解できる。

(韓国人は)非常によく嘘をつく 
自分自身を偉大な人物や同情すべき「可愛そうな人」に見せるために韓国人が使う技の一つが嘘をつくことです。

韓国人が非常によく嘘をつくのは、自分のした事が結果的にどういう事態を招くかということに恐ろしく鈍感で、しかも他人を操りたいという衝動が強いからであると考えられます。

韓国人は自分自身を偉大な人物や同情すべき「可愛そうな人」に見せるために嘘をつく

後先を考えない嘘

誰でも体裁を保ったり、見栄をはったり、事を荒立てないようにするために多少の嘘をつくことはあるでしょう。

しかし、我々は通常、
韓国人のように平気で大胆に、堂々と嘘をつく人間に出会う事はほとんどありません。

例えば、初めて会った人物が、「私は内科医をしています」と言えば、疑うことから始めるという人は少ないのではないかと思います。

もちろん、明らかに身なりがみすぼらしいとか、医療用語の基礎も知らないというのであれば話は別です。

しかし、相手がそこそこ知的な外見を持っていて、会話の中に「それらしさ」を感じたら、わざわざ「ウソなんじゃないか?」とは考えないはずです。

常識的に考えれば、そんな嘘をついて後でバレれば恥をかくだけですし、どう考えてもデメリットの方が明らかですから、動機の上でも理不尽な行動です。

しかし、
韓国人は目先の退屈しのぎや、自分が優位に立つことを優先して、迷わず嘘をつくという行動をとります。

そして少なくとも本性を知られるまでの一定の期間は、自分を魅力的な人物に見せようとするわけです。

本人すらそれを信じているように見える

善良な人なら、嘘をついた時に罪悪感を感じたり、バレたときのことを想像してビクビクしたり、自分自身を恥ずかしく思うという気持ちが沸いて来るでしょう。

そして、そういう気持ちが言動にぎこちなさを与え、他人から嘘を見破られることに繋がります。

しかし、
韓国人は嘘がバレることを普通の人のように恐れたり、自分を恥じたりすることがありません。

これによって
韓国人は嘘をついている韓国人自信がそれを信じ込んでいるかのごとく、まるで熟練した役者のように見事な演技力を発揮することができるのです。

この巧みな嘘によって、
韓国人は素人だけでなく、カウンセラーや心理学者などの専門家すら騙し、操ることがあると言われているほどです。
これはまったくその通りサイコパス=韓国人説の強力な理由ですね。
日本人からすると韓国人はなぜバレル嘘を平気でつくのか理解できないが、韓国人はサイコパス(精神障害気質)であるのならば韓国人の虚言理由の解になると思います。

(韓国人は)同情を引こうとする 
一口に韓国人といってもその行動パターンには個人差がありますが、韓国人が他人を利用するためによく使う手段の一つが「可哀相な人のふり」をする事です。

良心を持たない人たち」の中でも著者のマーサ・スタウト氏が「空涙は
サイコパス韓国人)の得意技」と言及されていました。

韓国人は同情を引くことで、自分の立場を保とうとする。

同情が追求を許さない

善良な心を持っている多くの人達は、「この人は可哀相だ」と感じた相手に対して同情し、その人に何か悪いところがあったとしても、強く追求することをためらうようになります。

そしてその同情を引くために、涙は強力な武器になるでしょう。

学校や職場などで、何かミスをしたりルールを守らなかった人が注意されるシーンを思い返して(あるいは想像して)みて下さい。

注意されている人がムスッとしていたり反抗的な態度を取っているうちは誰もがその人を攻めていても、その人が泣き出した途端に状況は一変するという光景は珍しくありません。

「あ、いや、分かればいいんだよ。今度からは気をつけて・・・」と”審判の場”がお開きになったり、場合によっては「あそこまで言わなくても・・・」と注意をしている人の方が加害者と見なされてしまったりすることはよくあるのではないでしょうか?

韓国人は人が涙に同情的であることを、とてもよく知っています。

だから、嘘がバレそうになったとき、自分の悪事が明らかになってその責任が追求された時などには、ひたすら空涙を流してその場を切り抜けようとするのです。

韓国人が最も欲しがるもの?

ある文献の中では、
サイコパス韓国人)の性質をよく表したエピソードの一つとしてこんな話が紹介されていました。

囚人として暮らしている
サイコパス韓国人)に、
「今、最も欲しい物は何だい?」
と尋ねたら、その
サイコパス韓国人)は、
「同情だね。人に哀れんでもらうようになりたいよ」
と答えたというのです。

韓国人たちは、良心をもつ人々自分に抱く同情をとことん利用しようと考えています。

特にヒモとして暮らしたり、生活を家族に依存するタイプの寄生虫型
韓国人などは、(日本人)の同情無しには生きていけない存在とも言えるかも知れません。

連続殺人鬼テッド・バンディーが、怪我をしている訳でもないのに松葉杖を持ち歩いて、手助けをしようとする被害者に近づいたという話は有名です。

「困っている人を見ると放っておけない」というタイプの人は、相手が本当に同情すべきかどうかを見極めないと、後々後悔することになるかも知れません。
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この写真一枚でほとんど説明すできますね。ロンドン五輪フェンシングで泣いて判定を覆そうとした韓国の申アラム選手。
年老いた高級売春婦だった慰安婦が嘘をついて同情を得ようとする行動は理解できる。


韓国人は単に愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面において感情が希薄で表面的であるという特徴を持っています。

心理学者のJ・H・ジョンズ氏とH・Cクウェイ氏は
サイコパス韓国人)を「言葉は知っているがその響きを知らない」と表現しました。

サイコパス韓国人)は単に愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面において感情が希薄で表面的

台詞のような言葉

人の言葉というのは、心ろの深い部分にある感情と、それをコントロールする理性の両方によって紡ぎ出されるものです。

しかし
韓国人の場合は愛情や良心、そしてそれによって生まれる他人との絆というようなものを本質的には理解することが出来ません。

韓国人が人間社会で正体を隠して生きていくためには
「この場面ではこの言葉が適当」
という風に、善良な人達の行動を真似て話すしかありません。
つまり、役者が演技をするのと同じようなものです。

だから
韓国人が発する
「可愛い」「愛おしい」「愛してる」「心が張り裂けそうだ」「緊張で口の中がカラカラだ」という感情を表す言葉は、本当の感情を伴わない表面的なものです。

彼らが本当にその感覚を味わってそれを言葉にしているのではなく、周りの人を観察することによって得た経験から言葉を選んでいるに過ぎません。

これらは完全な嘘とは少し意味が違うかも知れませんが、少なくともその言葉の内容から本人の考えている事や、行動を理解する裏付けにならないことは確かです。

人も物も同じ


生まれながらの悪魔?」のページでは、
韓国人の脳が人の感情に訴えかけるような言葉に対しても、無機質な言葉と同じようにしか反応しない特徴があるということを書きました。

そして全てを無機質に感じるという特徴は、単に言葉の上の問題ではなく、
韓国人の思考全体に対して言えることです。

例えば家族や恋人、友人という存在も彼らにとっては服や車や時計などと同じ。
多少の執着を持つことはあっても、それ以上の感情を持つことはありません。

考えてみれば、
韓国人には愛情が無いのですから、思いやりを持つことなどあるわけが無いのです。

だから
韓国人は自分が執着している相手、例えば異性や家族などに強く執着しているように見えても、ちょっとしたことで簡単に興味を失い、関心を持たなくなります。

外見を気に入っている異性の顔に傷やニキビなどが出来たり、生活を支えてくれていた身内がその援助を打ち切ったりすれば、
韓国人にとってその人たちは「動かなくなった時計」や「走らなくなった車」と同じくらいの価値しか無いからです
これはちょっと当てはまらないかも。韓国人はべたべたとした情は深そうに見える。
だが韓国人の心の奥底はわからない、実は愛情が薄いのかもしれない。

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たとえばこの写真だ、19歳の韓国人男性モデル、ホ・ジェヒョク氏が事故直後の17日午前0時過ぎ、画像共有サイト「Instagram」上に黒い服を着て浴槽の中に仰向けに潜水する画像を「おもしろい遊び」というコメント付きで掲載したと紹介。
さすがの韓国人からも非難が殺到して、ようやく削除された。

こういった無神経な情緒、信じがたい行状を繰り返す韓国人というのは、私が唯一認める韓国人の長所、「情が厚い」というのは誤解で、「感情が浅く、思いやりが無い」というサイコパスの特徴まで合致しているかもしれません。


韓国人は言葉と行動が全く噛み合わず、普通の人から見ると信じられないくらい無責任な印象を受けます。

また、社会的・道徳的なルールを無視したり、さらに積極的にそれらを破るということを子供の頃から繰り返し行うというのも、
韓国人の典型的な行動パターンです。

韓国人は社会的・道徳的なルールを無視し、さらに積極的にそれらを破るということを子供の頃から繰り返し行う

責任感のベースになるもの

責任感とは何か?ということを言葉で定義するなら、
「他人にや組織に対しての義務を果たそうとすること。」
と言うことが出来るでしょう。

そしてそれをどれだけ重要なものと考えるかは、自尊心、自己イメージの実現というようなものが鍵になってくると思います。

責任感というものは自分と他者、あるいは自分と社会との結び付きという概念があって始めて生まれるものだからです。

それでは逆に、他人や自分が所属している組織を価値のないものだと思っていて、しかも自分自身が「どのような存在であるか」ということに全く注意を払っていなかったとしたらどうでしょうか。

韓国人は、正にそういう存在と言えます。

だから当然、彼らは自分の欲望に対して実に正直に、いわゆる「公共の利益」など眼中に無いかのような生き方をすることになるわけです。

子供の頃から問題行動を繰り返す

人は成長するにつれて色々な欲望を持つようになりますが、同時に理性も成長することで、行動にブレーキがきくようになってきます。

子供の頃に虐待を受けたりすると、人格形成に問題が起こって低い年齢から犯罪に走る傾向にあることが知られていますが、それでも問題が環境にあったのだとすれば、それが改善されれば更正の余地はあるでしょう。

ところがサイコパスの場合は、欲望の成長がそのまま反社会的行動に結びつくことが極めて多く、子供の頃から問題行動を繰り返すという特徴があります。
これは説明不要だろう、旅客船「セ ウォル号」沈没事故を見れば如何に韓国人が 無責任なのか世界中に知れわたった。

(韓国人は)衝動的に行動する 
韓国人が用意周到に悪事をはたらく事が無いわけではありませんが、一方でとても衝動的・刹那的に行動することが多いという特徴を持っています。

人が衝動的に行動する時の心の動きと、
韓国人がなぜそのような行動に走りがちなのか、ということについて考えてみましょう。

韓国人は衝動的・刹那的に行動することが多いという特徴を持つ

衝動的な行動とは

人は誰でも、心の中に衝動を持っています。

目の前に美味しそうな食べ物があれば口に入れたいと思うし、魅力的な異性が居れば触れたいと思う、そして眠ければ横になりたいと思い、気に入らない人物が居れば殴ってやりたいと思ったりもするでしょう。

しかし、そういう衝動は心の奥底で生まれるだけで、その殆どは理性というフィルターにブロックされて、実際の言動に現れるのはごく一部であるのが普通です。

韓国人が理性を全く持たないという訳ではありませんが、善意を持つ普通の人々と比較すると、自分の行動の結果を思い描く能力が十分ではありません。

また、相手を思いやったり、社会的なルールを守るべきというような考え方は、そもそも
韓国人の思考回路には存在しません。

結果として彼らは、その時々の衝動に流されて行動することがとても多くなります。

退屈に耐えられない

韓国人が衝動的に行動するもう一つの要因は、彼らが「退屈」というものを心の中で処理するのが非常に苦手だという事です。

人は大人になって精神面が成熟してくると、退屈というものに耐性が出来てきます。

長い待ち時間などに対してはそれなりに苦痛を感じる事もありますが、少なくとも赤ん坊や幼児のようにグズったり、小さな子供のように暴れたりすることは無いでしょう。

一方、自分の感情を上手く処理できない子供にとっては、退屈は非常に大きなストレスになります。

そして実は
韓国人も、小さな子供と同様に、退屈を上手く処理できないという特徴をもっているのです。

この性質も、彼らを衝動的な行動に駆り立てる原因の一つになっていると考えられます。
これも、韓国人特有の火病(ファビョン) そのものですね。



誰かが社会的なルールやモラルに反することをしていることを知ったとき、それを追求し、断罪したいと考えるのはとても自然なことです。


また、誰もが見てみぬ振りをすれば悪事が横行することにもなりかねませんので、秩序を保つ意味でも必要なことと言えるでしょう。

ただし、
韓国人は心理的に追い詰められると、逆ギレしてその牙をあなたに向けることがあるかも知れません。

サイコパスは心理的に追い詰められると、逆ギレしてその牙を相手に向けることがある

韓国人の行動パターン

韓国人の心の回路には、自分を反省し、過去の行為を悔いるという仕組みは組み込まれていません。

従って、自分の行為を追求されたときは、まず可能であればその責任を誰かに転嫁したり、知らない振りをしたり無視するという行動を取ります。

しかし、それが通用しないようなところまで追い込まれると、恐らく2つの行動のうちからどちらかを選択することになるでしょう。

一つめはいわゆる「泣き落とし」。
これは別の記事にも書いたように、
韓国人の特技の一つです。

そしてもう一つが「逆ギレ」。
相手を上手くコントロールすることが出来ないのなら、残る手段としてその相手を叩きのめすことによって、自分の立場を守ろうとするわけです。

もちろん
韓国人でない人でも追い詰められれば逆ギレすることはあり得ますが、問題はサイコパスが衝動的でしかも良心を全く持たないということです。

彼らの「逆ギレ」は非合法な脅しや暴力、場合によっては相手を殺すということに結びつく可能性すらあります。

悪事を追求する場合は慎重に

そもそも、相手がどんな人であれ、個人を必要以上に追求することは遺恨を残し、後々の人間関係のトラブルの種となる可能性があります。

そう考えると、他人の行為を追求したり断罪したりする場合は、逆恨みを買うような状況を作ることを避け、特に自分や周りの人たちにとって何の利益にもならない問題については、出来るだけ関わらないようにするのが得策かもしれません。
はい、これも説明不要ですね。


この記事は、韓国人の気質がサイコパスそのものであると気がついたから書いたに過ぎない。
これを人種差別と言うのであれば、日本人は韓国人のことを永遠に正しく認識できないと思う。

お隣さんがサイコパスであるという事実を知ったうえで、引っ越す訳にいかない場合、極力接触を避けることが、唯一の防御方法であると思う。

日韓関係に友好は不要だ、韓国との国交謝絶こそ日本がとるべき正しい政策である。



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iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った日本人研究者らによる「世界初の成果」に疑義が生じた。

日本時間の12日午前。森口尚史氏は滞在先のニューヨークのホテルで、テレビ局など報道各社に囲まれていた。

「(移植手術に)立ち会いました」「(移植を)証明する書類は、日本に帰ったら家にありますので」

臨床研究の「成果」を強調する一方、移植手術時に米国にいたことを確認するために旅券を見せてほしいと問われ、言葉を詰まらせる姿がテレビで何度も放映された。

森口氏は1993年に東京医科歯科大を卒業し、看護師の資格を取得。同大学院で保健学修士を取得した後、医療系の財団法人や、東大先端科学技術研究センター、東大病院を転々とした。医師ではなく、肩書は常勤・非常勤、客員・特任などとめまぐるしく変わった。

センターにいた99~2010年のうち、常勤だったのは知的財産法が専門の特任助教授の4年間だけ。最後の1年間は雇用関係がない無給の交流研究員だった。当時の同僚は「森口さんは医療統計の専門家。実験している姿は見たことがない」。

今回、臨床研究の共同研究者として名前を使われていたのも、センターの同僚だった。井原茂男特任教授は「森口氏は一生懸命でいつも新しいことを追求するタイプ。彼の口から何も聞いていないので、早く説明してほしい」と苦笑いを浮かべた。

東大病院では、形成・美容外科の実験を手伝う非常勤の技術補佐員から、現在は常勤の「特任研究員」。特定の研究のために雇われる研究員で、研究代表者の権限だけで決められる。森口氏の場合は形成・美容外科の助教が決め、同科の上司たちは「森口氏の存在を知らない」としていた。東大病院広報は「現在、特任研究員が何人いるか不明」という。

千葉県市川市の住宅街にあるアパート。森口氏は家賃6万円あまり、築数十年の1Kに十数年来、1人で暮らしているという。大家の70代女性は「もしウソをついていたなら、なぜすぐ分かるようなことをしたんだろう」といぶかった。

数年前には「東大教授になりました」と聞いていた。えらい先生でもこんなところに住むんだ、と不思議に思った。そして、今回の騒動。「何かウソをつく必要があったのか。いろいろ考えると心が痛みます」
大滝詠一                        Ddog

幸せな結末                     とんだ結末                                      
作詞:多幸福                    作詞:Ddog
作曲:大瀧詠一                   作曲:大瀧詠一                                         
髪をほどいた君の仕草が             
インタビューした君の仕草が    
泣いているようで胸が騒ぐよ           
嘘っぽいようで胸が騒ぐよ
振り返るのは終わりにしよう            
嘘をつくのは終わりにしよう
他の誰でもなく今夜君は僕のもの        
他の誰でもなく今夜君は笑いもの
さみしい気持ち隠して微笑う            
さみしい気持ち隠して微笑う
強がる君から目が離せない            
強がる君から目が離せない
昨日じゃなくて明日じゃなくて           
昨日じゃなくて明日じゃなくて
帰したくないから今夜君は僕のもの    
嘘つきたくないから今夜君は笑いもの
踊り出す街に二人の今を              
騒ぎ出す街に偽の成果を
探し続けてはしゃいだあの日            
世界初とはしゃいだあの日
さよなら言うよ虚ろな恋に              
さよなら言うよ嘘つきの君に
いつまでも離さない                 
いつまでものさばらせない     今夜君は僕のもの                  今夜君は笑いもの

走り出す街で二人の明日              
騒ぎ出す街で自分の明日
夢に描いて見つけた夜明け             
夢に描いて見つけた夜明け
あふれる思い押えきれない             
尊敬されたい思い押えきれない
幸せな結末きっと見つける             
とんだ結末きっと見つける
今なら言える素直になれる             
今なら言える偽医者になれる
いつまでも愛してる                 
 いつまでも駄目なやつ
今夜君は僕のもの                  
今夜君は笑いもの
今夜君は僕のもの                  
今夜君は笑いもの
今夜君は僕のもの                  
今夜君は笑いもの

Baby you're mine                   
Baka you're Liar
Baby you're mine                                         
Baka you're Liar
Baby you're mine                                         
Baka you're Liar
Baby you're mine                                         
Baka you're Liar

とんだ結末、悲しい話だね・・・
平気で嘘をつく虚言癖の人・・・沢山遭いましたね・・・、妄想が強く、嘘と真が混濁してそれが修正されず嘘に嘘を重ねる・・・。一番酷かったのが、皇族と名乗る保険代理店兼中古車ディーラーの親父、伊勢の大富豪を名乗る奥多摩の小金持ち・・・
明らかに嘘とわかる嘘を平気でつく・・・皆強い劣等感を抱えてましたね・・・
 こういう心理を醸成した背景については、強い劣等感と(ウソをついても発覚しづらかったいままでの)環境が関係している。
両親に高いお金を払ってもらって東京医科歯科大学を卒業しても医師免許に合格できなかった・・・
彼はその劣等感から平気で嘘をつく人間になってしまったのだろう・・・
それにしても最初によく調べず記事にした読売新聞の責任は大きい!
折角のips細胞でノーベル賞を受賞した山中教授の業績に泥を塗る行為・・・    
森口尚史の行動は朝鮮人っぽいなぁ・・・ネットでも森口は、在日韓国・朝鮮人ではないかとの憶測が出ていますね・・・
朝鮮人は民族としてコンプレックスの塊だ。

これが朝鮮であれば、国をあげて嘘を庇ったかもしれない。でも、日本では嘘を許さない。これは文化の違いではなく、文明の違いなのだ!
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イメージ 1
昨年だったか一昨年であったか?カツマーVsカヤマー論争があったかと思う。
 
勝間和代Vs香山リカの女性生き方の論争であったかと思います。
 
『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)の帯に書かれた「〈勝間和代〉を目指さない」の大きな文字
 
勝間和代さんは若いビジネスウーマン・ビジネスマンのカリスマである。皆様の周囲にはかならず、カツマー信者のカン違い女が一人や二人はいると思います。
 
勝間的な努力至上主義的生き方は多くの脱落者を生み、そのボロボロになった人を救う精神科医の香山リカさん。
3.11以降香山リカ的生き方がむしろ注目されているようにも思います。
 
もちろん、勝間的な努力が美しいという生き方を否定するものではないが、誰しもが勝者となれないのが世の中と云うもの。カツマー的生き方をしてきた人間こそ香山リカ先生にお世話になる価値があるかもしれません。
 
私もカツマーの本は読みますが、いまひとつ信者になれません。が、香山リカさんの本は二十数年読み続けています。そして、リカ先生に癒され続けています。
本書も60数ページの薄い本であるが、自分を信頼して生きていくことも大切さを説くリカ先生のエッセンスは十分に詰っています。
 
p16~20
「まさか私がこんな目に遭うなんて!」

 
でも、そういう考え方には限界があるのです。診察室にやってきて、自分が巻き込まれた困難や苦しさについてお話をされる方たちは、みんな口をそろえて同じ言葉を発します。

その言葉とは、「まさか私が1」です。「まさか私が」、「とても想像できなかった」、「私がまさかこんな目に遭うとは」、「まさか私の家族がこうなるとは」、「まさか私が付き合っていた人が、こんなひどい人だとは」、「まさか私の会社が突然なくなってしまうとは」、「まさか私が、いま住んでいる家を追い出されてホームレスになってしまうとは」……まったく考えなかった。

そういう人のなかで、「いや、やつぱりそうなりました。私は昔から自分の人生がこうなると思っていたんですよ」なんていう人は、まず見たことがありません。

みなさん、自分は普通だと思っているのです。世間並みの生き方をして、世間並みの努力をしていれば、そんなにものすごく幸せな状況でなくても、まあそこそこの人生をおくれるもんだとばつかり思っていた。それなのに、こんなことが待っていたとは、予想できなかったという話をされるのです。

ですから、私もそういう話を聞いていると怖くなってしまうのです。予想できないことが誰の身にも起きるということは、それが私に起きたって不思議ではないというふうに、つい考えてしまいます。ですから、考えないようにしていても、これは限界があるわけです。考えないようにしていても、トラブルや病気が起きてしまう。

アンチエイジングの心理

しかし、いちばんはつきりしているのは、考えないようにしても、人問は年をとってきて、病気になったり、からだの調子を壊したりする。これはどんなに否定しようとしても否定できない事実です。

さきほど、不安定になればなるほど、逆に不安の問題を考えないようにしようとする人々が増えるという話をしましたけれども、実は最近は、人間は年をとるんだということさえ考えないようにしたいという人たちがいるようです。
 
みなさんもときどきテレビなどでご覧になることもあるかもしれませんが、最近、医者のなかでアンチエイジングなどという若返り医療をやっている人たちが非常に増えてきています。
 
あるいは、若返り健康法が増えてきました。女性雑誌などでも、四〇代以ヒの方が読む雑誌では「四〇は女の現役」、「五〇代でも恋愛をしましょう」、「六〇代で、ますます可愛い」などという特集が組まれたりして、年齢が上がってもまだ女性として輝いているんだ、現役だ、恋愛を楽しんでいる、という主張がさかんに言われるようになっています。
 
もちろん、年齢を重ねても、おしゃれを楽しんだり恋愛を楽しんだり、いろいろな趣味を楽しんだりすることは素晴らしいことです。何歳になっても自信をもって、外に出て明るい洋服を着て、買い物に行ったりして楽しめばいいと思います。
 
けれども、そうやって年齢にかかわらずに楽しんだりする部分もあれば、身体的なことなど、年齢にさからえないという部分もありますよね。にもかかわらず、少しでも身体のどこかに老い、いわゆる加齢の兆候が現れると、もうパニック状態になって、「しわをとってください」、「たるんできた皮膚をどうにかしてください」と言ってやってくる。
 
(略)
 
もちろん、からだを若々しく保つということはよいことなのですが、でも限界はあります。どうしてもさからえない年齢の積み重ねというものがあるわけです。でも、それを認めようとしない。「私はまだまだ大丈夫だ」、「脳を鍛えれば若返るんだ」、「いろんな方法を使えば見た目も若返ることはできるんだ」という、何千年も前のクレオパトラや楊貴妃が追い求めていたような、不老不死を求めるようなことも最近みられます。
 
たぶん、こういう人たちが出てきているというのは、若返り医療の技術が進んできたからというわけではなく、もっと心理的な何かがあると思います。
 
それはつまり、私たちの社会や生活のなかに、とても見たくない、考えたくないということが増えてきた。逆にどこかで明日は我が身かもしれない、私もそういう弱い立場になるかもしれないということに、直観的に、みんなうすうす気づいている。だからこそ、それを否定するために、むしろパニックのように、若返りたい、、元気になりたい、まだまだ現役として仕事や恋愛をエンジョイしたいというような反応が出てきているような気がします。
 
つまり、現実を受け入れられない。受け入れてしまったら、自分はとても怖い。いまの社会はそうなってしまったら最後、助からない。誰も助けてくれない。いわゆる負け組、弱い人ということで切り捨てられ、見捨てられてしまう……。「それはあなたの自己責任でしょ」と、これまで自分が人に言っていな言葉を、そのまま言われるような立場になつてしまうということを、どこかでうすうす気づいているわけです。だから、年齢を否定したり、若返りに必死になったりして、とにかく私にはそんなひどいことは起きないという最後の虚しい抵抗をする人たちが、いま、増えているのだと思います。
p26~29
回復していく心
 
そういうなかで、社会の雰囲気に追いつめられて、自分のことしか見えなくなる。そうすると他人を排除して、「あの人は自己責任でああなったんだ。私だけは大丈夫」と、そういう人を見ないようにしたりする。自分だけを守るような、そんな社会の雰囲気が生まれてくるので、それをなんとかしないといけない。

また、もうひとつ、私たち個人のレベルで、大事なことがあります。ただでさえ、生きているだけで自信がなくなってしまう、そういういまの社会のなかで、なんとか私たちはこれでいいんだ、他人を押しのけるのではなく、私自身の生き方でいいじゃないかと自分に言い聞かせる。これもまた、いまの時代を生きていくうえで大事なことではないかと思うのです。

おどおどびくびくして、遅れてしまうんではないか、蹴落とされてしまうんではないか、私の選択は間違っていたんじゃないか、そんなふうに人の目を気にして生きていくのではなくて、もっと、これでいいんだ、私のやっていることは間違いではないんだというふうに、ひとりひとり、自分を信頼して生きていくことも大切なのではないかと思います。

最初に申し上げましたように、人生ってままならない、思いもかけないようなアクシデントやトラブルの連続です。しかしながら、同時に、でも、たいていのことは、たとえば、精神科に来てもらえれば、ソーシャルワーカーの人とか、精神科医とかが、時間をかけて、知恵を出し合って、いつしょに考えれば、問題は解決していく。病気は回復していく。あるいは、生活が困窮してしまっても、知恵を出し合って、社会のサービスを使って、助けてくれる人を見つけることもできるということです。
 
(略)
 
これは年齢に関係ありません。六〇代、七〇代、八○代の方が傷つかれると、もうこんなお年でこんなひどい経験をしたら絶望的だとつい思ってしまうのですが、でもその方たちが、またその後の人生のなかでそれを受け止めて、きちんと向き合って、プラスに変えていって、また新してあく自分の人生を組み立てていくという姿にも何度も出逢ってきました。
 
そうすると、心のなかの回復力は何歳になってもあることがわかります。自分をしっかり信じて、時間をかけて、解決の糸口があるんだということを信じてもらいたいと思います。
 
明日は我が身、だれもが、苦しい立場に追い込まれることがあるかもしれない。でも目を背けたり、他人のせいだと思って対応しようとしていてもどうにもならない。
 
だれにでも、そういうことが起こりうるのが人生なんだから、そしてそういうことが起きたらお互い様なんだから、といって助け合っていかないと何も始まらないような時代なんだと思います。
 
そういうなかで、自分に備わっているあたりまえの感覚、あたりまえの感情、自分の心のなかにある底力を信じて、ちょっとしたことで自分を否定したり、自分が間違っていたのかしらと思ったり、パニックになったりせずに、腰をすえて、どっしりと落ち着いて、生きていけたらいいなと思います。
 
 
 
 
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皆様も懐かしいでしょう。そして初めてフルで聞かれた方も多いでしょう。子供の頃楽しい日曜日が終わり、月曜日から学校だ!と思い知らされるのは、日曜洋画劇場のこのエンディングテーマでしたね。

日曜洋画劇場といえば、映画解説者の淀川長治さんが映画の冒頭と終了後の解説を担当し、「さよなら、さよなら、さよなら」の名文句は今でも頭にこびりついています。1998年11月15日放送分まで淀川さん生涯現役のまま89歳でお亡くなりになるまでこの曲は使われ続けていました。そのエンディングテーマ、は、ずっとラフマニノフの曲だとばかり思っていたのですが、数年前にネットで調べ:So in Loveモートン・グールド楽団コール・ポーター作曲グールド編曲・ピアノ・指揮。1951年アルバム「Curtain Time」(米コロムビア ML 4451)に収録。とは知っていましたが、CD化されたのも知らず、4月にYouTubeで「degibo」さんがUPしてくれたおかげで初めてフルで聞けるようになりました。

それでは、きららさんのリクエスト水曜ロードショウのOPテーマです。

水曜ロードショーのテーマ曲 『水曜日の夜、Wednesday Night 』
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