Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:伝統芸能

小沢昭一さん83歳で死去 独特な一人語りもう聞けない

俳優でエッセイストの小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため都内の病院で死去した。83歳だった。個性的な脇役として舞台や映画で活躍したが、日本の伝統芸能に興味を持ち、研究の道へ。芸能にまつわる数々の著書を残すと同時に、劇団を主宰するなど幅広い活動で知られた。1973年にスタートしたTBSラジオの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」では、名パーソナリティーとして幅広い層に親しまれた。

40年近い間、ラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で独特な語り口と豊富な話題でリスナーを楽しませ続けてきた小沢さん。その声を聴くことは、もうできなくなってしまった。

所属事務所によると、1998年に前立腺がんが見つかり、定期的に治療を続けていたが、一昨年、頸椎(けいつい)に転移。今年8月に検診を受けた際、体力低下の診断を受けて入院することになった。一時退院したものの、9月13日に再入院すると同時にラジオの休養を発表。が、入院中は売店に自力で歩いて買い物に行けるほど元気だったという。

本人の意向で10月22日に退院。外出なども控えて療養に専念した。11月にはラジオに肉声でのメッセージを寄せるなど復帰に意欲をみせていたが、今月10日未明に容体が急変。妻の英子さんにみとられながら息を引き取った。

マネジャーを務める津島滋人さん(63)は「ラジオは生活の一部だった。休んでから寂しそうだった」という。先週、小沢さんを見舞った際は、ベッドに横になっていたが、津島さんを確認すると「ヨッ」と右手を上げたという。

早大在学中から演劇に目覚めた小沢さんは俳優座養成所に入所。卒業後、すぐ舞台に立ち、俳優としてのキャリアをスタートさせた。その後、映画に活躍の場を広げ、主に日活作品に出演。三枚目の脇役を好演することが多く、川島雄三監督の「幕末太陽傳」、その弟子で大学時代の同級生でもあった今村昌平監督の「にあんちゃん」など、映画史に残る名作に多数、出演した。

俳優として着々と歩んでいた小沢さんに転機が訪れたのは69年。初の著書「私は河原乞食・考」を出版したことだった。以前から興味を持っていた日本古来の芸を研究した成果と、自分の芸観を発表したことで、自らの中に眠っていた伝統芸能への情熱に火がついた。71年にはレコード「日本の放浪芸」シリーズを発売、同年の日本レコード大賞で企画賞を受賞した。

73年には「小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙な一人語りで注目を集め、放送回数が1万回を超す人気番組になった。82年には「劇団しゃぼん玉座」を創設。井上ひさし作品などを全国各地で上演するほか、歌手としてもコンサート活動を行っていた。

芸能のあらゆる分野で精力的な活動を続けていた小沢さん。誰よりも日本の芸能を愛していた人が、静かに逝った。

◆小沢 昭一(おざわ・しょういち)本名・小澤昭一。1929年4月6日、東京都生まれ。51年に初舞台を踏み、映画、舞台で活躍。著書に「ものがたり 芸能と社会」「小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ」など多数。94年に紫綬褒章、2001年に旭日小綬章を受章。04年には愛知・犬山市の「博物館明治村」の村長に就任。「小沢変哲」という俳号の俳人でもあり、永六輔らと「やなぎ句会」を発足している。
私は浪人時代や学生時代そして就職して社用車で営業をしている際もTBSラジオの小沢さんの番組を聴いておりました。小沢さんが高齢でラジオを降番したときいてそろそろとは思っておりましたが、また一人無二の芸を持つ天才が鬼籍にはいられました。本当に残念です。
就職しても地方に転勤しても地元のラジオ局が小沢昭一の小沢昭一的こころ」を放送しておりましたので、たとえFMで音楽番組を聴いていても時間がくれば小沢さんの番組に替えたものです。
小沢さんが週代わりの今週のテーマ(「○○について考える」)と、軽妙な話術で物語る。
宮坂おとうさんなる小沢さんの分身ともいえる架空の人物が、主人公を務める。「昭和ヒトケタ」で働き盛り、あまり出世していない悲哀漂うサラリーマンの設定。
妻の尻に敷かれ子供らに疎んじられる「中年男の悲哀」を基本に、「愚痴を交え、斜に構えた蘊蓄を世事に傾ける番組のスタイルでした。このスタイルは・・・このブログの源流の一つかもしれません。

語っている話はたわいの無いことが多く、中年男性の平凡な日常を語るのですが、小沢さんが語ると芸になってしまうから素晴らしい!この巧妙な語り・・・・名人芸だね・・・しばし懐かしんでください。



考えてみると、若者や女性老人の声を取り上げる芸人は居ても働き盛りの中年男性の心情を理解して代弁してくれた芸人は少ない。その点で小沢昭一さんは中年男性の心情を代弁してくれる無二の存在だったのだとと思います。
心よりご冥福をお祈りします。

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相撲の話をする前に、同じ格闘技であり最盛期からは衰退したプロレス興行について少し話をさせてください。
 
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZCその昔、1970年代全日本プロレスは日曜の夕方に放送され、ジャイアント馬場とアブドラザブッチャーの試合で、毎度流血し学校でもプロレスが話題となっていた。
 
月曜日の昼休み教室で「昨日のブッチャー凄かったな・・・」なんてアブドラザブッチャーの流血と馬場の死闘を再現しながらじゃれていた時に、いきなりS君が「オヤジが、言っていたけど、プロレスは八百長だって知ってたか?」と言う。するとD君が「プロレスなんて八百長に決まってっぺ」と追い討ちをかけた。私と、数人の男子は「八百長で流血すっかよー」とS君とD君に「アっパーぁ」と「馬場チョップ」を喰らわせ、「四の字固め」最後は「電気アンマ」を喰らわせ休み時間は終った・・・・
 
だが、高校・大学と成長するにつれS君とD君の説が正しいことを知るようになった。が・・・時代はアントニオ猪木の新日本プロレスの大ブームや初代タイガーマスクの登場で盛り上がり、皆プロレスは興行としてルールもあればストリーのある見世物なんだと理解して楽しんでいたと思う。また、プロレスの興行の裏でリアルな恩讐ドラマ・人間模様があり、それをリングでぶつけあるガチンコの因縁対決もあり・・の、それはそれで楽しんでいたと思う。
 
それをだ!前田日明の頃からか興行ではなく、総合格闘技UFWへと格闘技スポーツを装うようになり、K-1へと進化した。K-1はそれで素晴らしいのだが、興行としてのプロレスを切捨てた行為は、プロレス興行を分裂させ地上波のTV中継もなくなり、私も興味が薄れ、国民的娯楽から一部マニア向けの興行へと転落したと思っています。
 
前説が長くなってしまいましたが、相撲もプロレスが辿った道を進むのか不安でしかたがない。
 

石原知事「今さら大騒ぎするのは片腹痛い」【MSN産経】

2011.2.4 21:35
大相撲の八百長疑惑について、東京都の石原慎太郎知事は4日の定例会見で、「今さら大騒ぎするのは片腹痛い。私の知っているかぎり相撲はそういうもの。昔から当たり前のこととしてあった」と持論を展開した。
 石原知事は自身の体験談として、土俵から近い席で八百長を目撃した話を披露。相撲が国技とされていることに対しても、「日本の文化の神髄である国技というのはちゃんちゃらおかしい。私はそれ(八百長)を知っていたから横綱審議委員を固辞した。ならなくてよかった」とした。
もっともな意見である。わたしも今更大騒ぎするのはあまりにも子供じみていると思う。相撲は神事でもあり、格闘技でもあり、興行なのだ。
 
例えが多少下品になって申し訳ないが、どんなに人間が高潔な振りを装ったとしても、人間は男女の愛欲の結果子供を産み育てている事実と同じではないか?
 
男女の営みは愛欲リビドーがあってこそ行われ、人類がここに生存し繁栄(繁殖)していることはタブーなのである。
 
相撲の八百長も一種のタブーでいいのではないだろうか?
 
http://wadaphoto.jp/images2/skanamara.jpgちなみに相撲は神事でもあるが、古い神社で御神体が陰茎である神社(川崎の金山神社など)は無数に存在する。諏訪大社の御柱も陰茎を模したものとの説もある。(確か諏訪大社には巨大な陰茎を境内に祭ってあったような記憶があるが定かではない)そういった御神体は男女和合に神の業が存在すると我々の祖先が感じたからであろう。
 
仏教でも真言密教の最高経典は理趣経(葬式でも読まれるとか?)とされるがその内容は、SEXは素晴らしい、あそこをなめることは素晴しい、 男女の触れ合いも素晴しいという内容だ。仏教を知る人の間ではSEXの経典とも言われている。
 
  1. 妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
    慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
    觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
    愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
    一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
    見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
    適悅淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
    愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
    慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
    莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
    意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
    光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
    身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
    色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
    聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
    香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
    味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
 
これこそ「知らぬが仏」かもしれない。
 
 
しかし理趣経は密教ではその最も重要で優れた経文であるとされた秘密呪術である。ちなみに空海と最澄が袂を別った原因は、理趣経を空海が解説した理趣釈経を最澄が貸してくれと空海に頼み断られたことが原因だと言われている。
 
つまり、八百長はパンツの中身であり、全てをさらけだしてしまえ!と言うのはパンツを下げ脚を広げろといっているのに等しいのではないか?八百長は公然の秘密としておくのが賢いのである。
 
知らぬが仏で、葬式の時に理趣経十七清浄句を読まれても、ありがたいと思っていれば、それはそれでいいが、知ってしまったら今までどおり理趣経十七清浄句なんか読まれようものならとんでもないということになる。

やくみつる氏「もう観念するしか」 【MSN産経】

漫画家のやくみつる氏の話
 「これほどの物証が出た以上、もう観念するしかない。八百長の話は以前からあり、見ていて『おやっ』と思う取組もあったが、ファンはそれもひっくるめて楽しんでいた。相撲には興行という側面もあるから、それ(八百長)をいうのはやぼという気持ちだった。だが、不祥事が相次ぐ中、もはやうやむやにはできない。今回名前の出た一部の力士に限らず、さかのぼって調査を進め、認めるべきは認めなければ、相撲は今後、スポーツとしてみてもらえなくなる。国技の看板も守れない」
やく・みつる氏の相撲愛は私よりも深く、私が批判するべきこともないのだが、相撲を国技とする前提でやく氏の相撲論は成り立っていると常々思っています。
 
 
日本国内において一般的には、相撲を国技と見なす風潮が存在するが、正しくは日本国内に正式な国技はない。 過去及び現在においても、その時代を担った政権に相撲を正式な国技と認定した記録や省令は存在しない。
国技が相撲であるという考えが広まることになった起源は、1909年(明治42年)に両国に初めて相撲常設館が完成した際、それが「国技館」と命名されたことであるとされている。これは3代尾車親方(大関:大戸平廣吉)が命名委員会(会長:板垣退助)に提案し、了承されたものであるが、それは6月2日に行われた開館式で作家の江見水蔭が執筆した披露文に「相撲節は国技である。」という内容が書かれていた事に由来したものである。
また財団法人大日本相撲協会が財団法人日本相撲協会に改称する際に監督官庁である文部省(当時)に提出した寄附行為の第3条にも「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し…」と明記されて省令認可されている。(昭和41年文部省令第6号)
ただしここで述べられている「国技」はあくまで「相撲道」全体であり、興行としての大相撲を特定して宣言しているものではないことに注意が必要である。
興行としての大相撲は、同寄附行為の次条で法人の行う事業として9つ挙げられているうちの一つ、「力士の相撲競技の公開実施」の部分に過ぎない。
(略)
平成22年4月19日、東京地裁(渡辺弘裁判長)は元露鵬及び元白露山の両名が解雇無効を訴え地位確認を求めて提起した訴訟の判決において、他のスポーツと比較しての処分が重過ぎるとの主張を「国技たる相撲を他のスポーツと比較することは適切でない」として退けた。【wikiより】
 
相撲の国技説は相撲協会の自称であって、テレビのコメンテーター達が、国技である相撲に八百長はあってはならぬことと軽薄なコメントを並べ立てるのには少々怒りすら感じる。
 
今後相撲を重要無形文化財とみなし格式高く保存するのか、大衆娯楽として財団法人資格を取り消ししたうえで存続させるのか、それとも消えてなくなってもいいのか?
決断しなくてならなくなったが、今まで通り大衆娯楽としての存続が難しくなってしまったような気がします。
相撲を文化として存続させるには、やはりなんらかの、改革はやむを得ないと思うが、相撲文化の存続が危うくなる財団法の取り消しは避けるべきと思う。

杉山邦博氏「泣きたい」 【MSN産経】

元NHKアナウンサーで東京相撲記者クラブ会友の杉山邦博氏の話
 「不祥事は数々あったが、今回は次元が違う。過去の『無気力相撲』問題と異なり、個人名まで明らかになってしまった。大相撲の存立に関わる問題で、憤りを超え、泣きたい思いだ。野球賭博に関わった力士の名前も再び挙がっている。ゲーム感覚で土俵に臨んでおり、伝承文化の担い手という意識はかけらも感じられない。協会の対応が甘かったといわれてもやむを得ない。春場所は目前だ。厳正かつスピーディーに対応しなければならない」
 この相撲原理主義者杉山邦博氏は相撲を愛するがゆえとは思うが、迷惑な存在である。必ずクラスに1人や2人はこういった真面目で融通が利かない奴がいた。
 
NHKのアナウンサーとして相撲の表面しか中継してこなかったのか・・・
いかにもNHKらしい、東京裁判史観を遵守する集団には本質を見極める眼を持ち得ないとつくづく思う。

デーブ氏「何とも皮肉…テクノロジーにやられた」【MSN産経】

2011.2.3 21:50
 
デーブ・スペクター氏(放送プロデューサー)
 「大相撲の八百長は、江戸時代から疑われていたこと。それが携帯電話のメールのやり取りで発覚した。現代のテクノロジーにやられたといえる。何とも皮肉だ。メールならば消去するなど、証拠隠滅する方法はいくらでもあっただろうに…。
 今回の騒動は日本相撲協会にとって、ある意味でプラスに働く可能性はある。ファンはこれまで八百長疑惑が晴れないモヤモヤの気持ちで、取組を見ていたはず。ここまで証拠がそろった以上、協会は改革をせざるを得なくなるはずだ。
 放駒理事長は会見で過去の八百長疑惑を否定したが、すぐに認めてしまえばこれまで隠蔽していたと思われてしまう。力士全員がグルになってやっていたわけではないという気持ちもあるのでは…。
 ここ数年、相撲界はトラブルだらけだった。この日は、そのターニングポイントになるはずだ。そもそも『八百長』という言葉は、英語で表現できない微妙なニュアンスがある。大相撲が真剣勝負に生まれ変わるチャンスととらえてほしい」
八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
以後相撲界では事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。
 
八百長とは相撲用語であったのである。八百長と相撲は昔から因縁が浅からぬ事を理解してこの問題は議論すべきではないだろうか?
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焦点を合わせて見えぬ星ひとつ



落語家の円楽さんが、お亡くなりになった。

昨日のブログで、円楽さんのことを書こうと思ったのだが、書けなかった。

円楽さんといえば、麻雀の逸話は忘れられません。私は落語家としての円楽さんも好きだったが、雀士としての円楽さんを尊敬していた。

麻雀にぼろ負けし早朝ランニングとパンツ一丁で自宅まで走って家まで帰った話は、ウソかネタかはわからないが、ありえる話。麻雀にストイックに打ち込めば、あたり前のことだ。しかも、明るく早朝マラソンのふりをして帰ったというから天晴れだ。

雀士の心得として極当たり前、「負けたらケツの毛まで抜かれる」また、そのくらいの厳しさがなければ麻雀には勝てない!

師匠が落語にも己に厳しかったことは、麻雀を嗜むものとして、凄くよくわかります。
雀士は己に厳しいが、卓を囲み己をぶつけ合う真剣勝負はまた楽しいものである。私は麻雀そのものより卓を囲む行為自体が好きだ。

麻雀は何が楽しいかといえば、運の流れを掴めば、格上の者にも勝てることだ。もちろん、経験と能力が上の者の底知れぬ強さは神業と思える時もある。

雀鬼「桜井章一」は20年間無敗を豪語するが、それは大会とか、1晩トータルでの話し。手積み時代に積み込み等のいかさま芸が出来た時代ならまだしも、全自動卓であれば、いかに天才でも運がなけれが、和がることはできない。

囲碁や将棋は実力差があると格下の者が格上に勝つことは絶望的だが、麻雀はいかに実力差があっても半荘1回では格下の者がトップをとることもありえる136個の牌をめぐる格闘技である。一牌一牌相手の手の内、場の捨て牌を見ながら、一牌一牌奢らず真剣に考え、時にはひらめきも必要。無駄が多い方が負ける。また、麻雀はこれは勝てないと感じたときには大負けしない策を打たないといけない。

円楽さんはそんな麻雀に落語の奥義を感じていたのかもしれません。いかに名人天才といえども、油断は禁物である、生のお客さんを相手に高座に座れば、お客の反応は違ってくるのは必然。芸人は場の流れ雰囲気を読む能力に優れていないと大成できません。麻雀も芸人も場の流れ、運の流れを読むのが大切。円楽師匠はこの能力に長けていたと思います。

いち早くTVに自分の芸人としての活路をみいだした。笑点も一時降板した際には一切の番組から降り、落語の芸の道を極めるための精進もした。個人の利害と関係なく若手育成の必要性を説き、寄席若竹を作った。今日のミニ寄席ブームの走りといえよう。麻雀といっしょで、若竹も駄目だと思えば見切り、閉めるのも早かった。落語協会分裂騒動も今は懐かしい。

落語は何度か新宿末広亭と1度だけ国立演芸場へ足を運んだが、円楽師匠の生の高座は一度も拝んだ事はなかった。とても追悼文など書ける資格はないが、笑点全盛期を体験した一TVの前の子供であった私にとっては、また一つ今年大切なものを失った思いがする。

麻雀は相場師にとっても、修行すべき道であると私は思います。ただ、私の持論は[麻雀で運を使い果たすと相場に勝てない。]ですので、運を使い果たしたくなく、今は気が合う友人としか打ちません。
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