
神戸国際ギャング
【菅原文太さん死去】健さんに続き… 男がほれた激しく熱い演技 【産経】2014.12.1 15:45
飢えた野獣のような演技で一世を風靡(ふうび)した俳優の菅原文太さんが81年の生涯を閉じた。男がほれるアウトローをリアリティーたっぷりに演じ、広く大衆に愛された。先月10日には、やはり日本を代表する俳優の高倉健さんが亡くなったばかり。相次ぐ名優の訃報に、映画ファンや関係者の間に驚きと悲しみが広がった。
広島やくざ抗争の実態をつづった元暴力団組長の獄中手記を映画化した「仁義なき戦い」シリーズで、東映の任侠(にんきょう)・やくざ路線の看板スターとなった。それ以前の東映は鶴田浩二さんや高倉さんら、時代劇の流れをくむ任侠映画が主流だったが、菅原さんの活力ある“与太者”を主人公にした実録タッチが主流になっていく。
「仁義なき戦い」が上映されたのは昭和48年。当時は全国の大学や高校で学生運動が盛んだった。「仁義なき戦い」はエネルギッシュなチンピラたちの群像劇で、菅原さんが演じた広能昌三(ひろの・しょうぞう)は欲望をギラギラと燃え立たせながら、幹部、組長と、上り詰めていく。そんなアナーキーな映画は、喧噪(けんそう)の時代に熱狂的に受け入れられた。
ど派手な電飾で飾り立てたトラックに乗った男たちを描いた娯楽ロードムービー「トラック野郎」シリーズの「星桃次郎」も当たり役だ。
シリーズは10本製作され、松竹の「男はつらいよ」シリーズと並ぶヒット作となった。星桃次郎は粗暴でおっちょこちょい、そして女好きというキャラクター。だが、「仁義なき戦い」の野獣のようなエネルギーという点で共通する。
任侠映画で一時代を築いた菅原さんと高倉さん。我慢に我慢を重ね、最後に怒りを爆発させる男を演じた高倉さんに対し、狂犬のようにむき出しの怒りをぶちまけた菅原さん。ともに時代が求める男の美学を体現した硬骨の役者だった。 (櫛田寿宏)
昭和の男がまた鬼籍に入ってしまった。自分が子供時代銀幕の大スターだった俳優達が次々と鬼籍に入り、時代の流れ時の流れを感じざるを得ません。

俳優の菅原文太さん死去、81歳 「仁義なき戦い」「トラック野郎」
【産経】2014.12.1 14:20
「仁義なき戦い」シリーズなどのやくざ映画で一世を風靡(ふうび)した俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが死去したことが1日、分かった。81歳だった。
昭和8年、仙台市生まれ。早稲田大に入学したが中退後、ファッションモデルとして活躍した。31年、東宝「哀愁の街に霧が降る」の学生役で映画を初体験。33年に「白線秘密地帯」の端役で俳優として、本格的な映画デビューを果たした。
42年、任侠(にんきょう)やくざ映画の全盛期にあった東映へ移籍し、その第1作が「網走番外地・吹雪の闘争」。その後、「現代やくざ」「関東テキヤ一家」シリーズの主役を務めるなど、“無鉄砲な与太者”という新しいスタイルの魅力をつくり上げた。
48年の広島やくざ抗争の実態を描いた「仁義なき戦い」では、やくざの広能昌三を演じ、実録タッチの現代劇として大ヒット。東映は“実録路線”としてシリーズ化(全5作)し、翌49年からの「新仁義なき戦い」シリーズも3作続いた。その後も「トラック野郎」シリーズ(全10作)がヒットした。
60年前後からは「青春の門」(56年)、「映画女優」(62年)などで重厚な脇役として印象深い演技も披露。テレビでは、NHK大河ドラマ「獅子の時代」(55年)などに主演。舞台も「K2」(58、59年)、「スティング」(平成2、3年)などに主演した。
平成10年に東京から岐阜県清見村(現高山市)へ夫人とともに移住。俳優業だけではなく、農業問題や政治にも関心を示し、全国を飛び回っていた。21年には山梨県で農業を始め、当時、俳優業は「半分、引退した」と話していた。
任侠映画で一時代を築いた菅原さんと高倉さん。我慢に我慢を重ね、最後に怒りを爆発させる男を演じた高倉さんに対し、狂犬のようにむき出しの怒りをぶちまけた菅原さん。ともに時代が求める男の美学を体現した硬骨の役者だった。
菅原文太さんは40代までは無鉄砲な与太者を演じていたが、50を過ぎたころから、健さん同様、成熟した男、ダンディを感じさせる俳優であった。
私は菅原文太の仕事で最も好きだったのが、ゲド戦記のハイタカの声であった。映画は意外に評価されていないのだが、私は好きな映画の一つだ。千と千尋の神隠しの釜爺役もよかったが、ゲド=ハイタカの男の渋さは菅原文太だからこそ出るのだと思った。本当に貴重な俳優/声優を失ってしまった。

人は老い、命は受け継がれ、そして消えていく。人間が生まれた時からの宿命である。日本では、命の儚さが無常としてとらえています。
日本人は、厳しい無常を見据えた上で、優しく美しく人生を無常と捉え、儚く美しい者としてきました。人生は常ならず、世の中は常ならず、すべてのものは常ならず。栄えるものも、驕れるものも、力を持った者もすべては滅び行くのです。この世はまるで春の世の夢のごとし。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の世の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
祇園精舎は、古代インドの舎衛城郊外にあった仏教の寺院のことです。沙羅双樹の花は、釈尊入滅のとき、いっせいに色を変えたと言われています。この文章は、日本人の無常観を表現したものの中でもいろは歌とともに日本人血肉となっていると思います。
いろはにほへと ちりぬるを (色は匂へど 散りぬるを) <諸行無常>
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
わかよたれそ つねならむ (我が世誰そ 常ならむ) <是生滅法>
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて) <生滅滅已>
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
あさきゆめみし ゑひもせすん (浅き夢見し 酔いもせず) <寂滅為楽>
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
日本人にとって無常は落胆のみをもたらすものではありません。なぜなら、人生や世の中は常では無いけれども、それを見据えて諦観し、その上で無常を無常ながらに生きる覚悟を決めているから美しいのです。高倉健さんや菅原文太さんがスクリーンで魅せた男達は、人生の無常を無常であるが故に美しく生きる覚悟を決めた男を演じつづけました。また、二人とも実生活でも、懸命に潔く生きていたように感じます。高倉健さんや菅原文太さんのスクリーンや実生活での生き方や死に方は、日本人の心を捉えて揺さぶるような気がします。
高倉健さんと菅原文太さんの冥途への旅の無事を心から祈ります。