Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:倫理学

私は人間のクズを見た、怒り心頭だ!日本の公務員のほとんど、特に警察関係者がこの日本一憎まれる頑固オヤジと名乗るブロガーと同じ人間性ではないことを祈るばかりだ。

どうも加害者の祖父ではなかったようだが、このクソコメントは日本中から糾弾されてしかるべきだ。ブログ主は過去記事を消去した。この記事が最後になるかもしれないので、コピーをとっておく。


飛んで火に入る夏の虫

ブログを始めてから間もなく二か月になろうとしている。
動機は、退職前に、自らの半生を綴った自叙伝、自叙伝となるとまだ時期尚早だから、それに代わる「回顧録」なるものを自費出版しようと考え、在職中に体験したことを短編でまとめておいた。
しかし、この思いが達成できない中、ある人と会話中にブログを勧められた。
言葉は聞いたが、どのようなシステムになっているのか全くしらない。
芸能人が、自身のブログを開設し、ファンに情報を提供する手段として活用しているらしい程度の知識だけ。
その一方で、社会奉仕の一環として、解決できない難問で困っている人や企業の手助けをしたいと考えで立ち上げたオフィースの存在を多くの人に知っていただく手段(宣伝)がないかと模索し、ホームページの立ち上げも検討した。
この二つの目的を、達成できるかもしれないシステムとして勧められたのがブログである。
ブログは日記コミュニティーであって、実名を明かしているブロガーもおられるが、愉快で楽しいネーミングで登録し、顔を会わせたことがない者同志が、主義、主張を綴り、コメントするなどするインタネット上でのコミニュケーションの場であることから、少し様子を窺いながら参加することにした。
誰に教わることなく、インターネットで勉強し、有料のドメインを取得し、金儲けで利用する意思はないが、インターネットで知ったA8.netにも登録した次第である。
回顧録を綴るには、もう少しブログ世界を体験してから判断することにして、思いつくまま日々の生活の中で感じたことを徒然なるまま掲載してきた。
そして、この二か月間で、このブログが29篇目となる。
この間に、いじめ問題が社会の耳目を集めることとなり、それに関して綴ったところ大きな反響となった。
将来ある尊い人命を軽視しているわけでもなく、いじめが原因で自殺しているのであれば、実に不幸なことであって、これまでから機会あるごとに取り上げれれてきた「いじめ問題」が解決することを願っている。
昨日の捜査幹部との会話でも、こことは話しておいた。
しかし、残念だが、いじめ解決の処方箋となる対策はないだろうと思う。
学校におけるいじめ問題は、今に始まったことでない。これまで幾度となく、問題とされておりながら効果ある対策は取れないで、忘れた頃に発現してくる。
コメントしてきた者の中には、いじめの被害を体験した人、また、若気の至りで、いじめをしたことのある人もいるのではないだろうか。
学校や教職員、教育委員会、警察の責任だけではないだろう。親にも責任があるだろう。
そして、もっと他に根本的に解決しなければならないことがあるだろう。
マスコミに扇動されて、騒いでも何の解決策も得られない。
でも、将来において、いじめはなくならないと考える。
ロボットのように同じ姿、形をしていて、同じ考えの子供であれば、いじめはない。
しかし、神は人間に大きな試練を与えた。
子供だけでなく、人間は「十人十色」全て同じ人はいない。クローン人間ができても同じでないし、人間以外の動物の世界でも同じことである。
暴力的・体力的に強い、弱いの差があり、価値観、能力、育った環境、好き嫌いなどの感情はみんな違う。
こうした者(人間=動物)が学校、会社、地域社会などにおいて、共同生活をする中、必ず、いじめは発生する。
いじめは、中学校だけでない。保育園や小学校、また高校や大学、そして会社や地域においてもいじめはある。
今回、いじめについて綴ったが、異論あるだろうか。
さて、前置きが長くなったがタイトルの話に戻そう。
これからは、また批判を受けるかもしれないが、「飛んで火に入る夏の虫」という言葉がある。
本格的な夏の到来で、昆虫や害虫が飛び交う。
快適な生活をしたい人間にとって、害虫は邪魔だから、昆(害)虫の光に向かって飛ぶ習性を利用して、誘蛾灯などで虫を誘き寄せ退治する。
そこで、今回のいじめ問題における「いじめ」については先に日記に綴ったから重複は避けて、この問題を今の時期(発生後10か月経過)に記事に取り上げたマスコミとマスコミを仕掛けた人物の話である。
もっと、極論を言えばマスコミの特質を知りつくし者が、マスコミを誘い寄せて仕掛けたセオリー・・・・
「蛾の火に赴くが如し」で、愚人は夏の虫、手を出して火傷する。「飛蛾が火に入るが如し」
この、「飛蛾が火に入るが如し」とは、感情の赴くまま、正確な事実をしらないで、いじめとは関係のない人の名前を名指ししたインターネット上での犯罪行為者であるし、爆破予告や殺害予告、刃物や薬液を市役所に送り付ける行為をした者の様子に合致する。
そして、マスコミ取材が過熱し、中学校の生徒を対象として取材活動されているが、高校受験を目指して勉学に励んでいる生徒等、学生に及ぼす影響は計り知れない。
教育員会の責任、学校(教職員)の責任、警察の責任・・・・・擁護もしないし批判もしないが、これらは責任が皆無とはならないだろう。
しかし、よく考え欲しいし、現実を直視してみてはどうだろうか。
教職員に学校で発生するいじめに対して、正面から取組み解決する能力があると思うことが誤りである。
また、発生したいじめを調査して正確に事実を掴むこともできないし、する能力や気力がない。
仮に、いじめ生徒を特定しても、事情聴取できますか。「こら!先公、何の用事や」程度の言葉が返ってきて、教職員は、それ以上何もできない。こんなことは、周知の事実でないのだろうか。

ここで、ノンフィクションかフィクションかの判断は、ブログを読む人にお任せすることにして物語を綴ることにしよう。

湖のある街に、中学校に通う子供を持つ夫婦が住んでいた。
子供は、元気に学校に通学し勉学やスポーツに励んでいると思っていた。
いじめにあっている気配も感じない。(感じていたなら、ゆっくり会話するこtろが望まれた)
ところが、ある日、この最愛の子供は、何の理由か告げないまま自ら命を絶ってしまった。
夫婦は悲しみに明け暮れた。
こどもの自殺の原因を知りたい。
しかし、自ら調査することができないが、いじめが原因しているのではないかと思うようになった。
自ら捜査や調査できない夫婦は、警察訪れたが、具体的な被害事実が明らかでない理由で被害届出は受理できないと断られた。
しかし、子供の自殺原因をしりたい。いじめが原因であるとしか言いようがない。
再度警察を訪れるが、事実が特定できないとの理由で被害届出は受理されなかった。
警察は、被害届出の不受理の理由を説明するだけでなく、被害届出の有無に関係なく、捜査することを告げるなど、夫婦の立場で親切な対応をするべきである。
夫婦は、困り果て、周囲の助言や紹介のもと、然るべき法律関係者の門を叩いた。
当然、この者は、学校(大津市)を相手取っていじめによる自殺として裁判所に損害賠償を訴える方法を教示し、訴訟を提起した。
法律関係者は百戦錬磨・・・・
自ら苦労しなくても、警察の被害届出不受理を逆手にとって警察に捜査させる最良の方法として、マスコミ関係の1社だけに、警察が被害届出を受理しない旨の情報提供した。
少年の両親は、言われるまま藁をもつかむ思いでマスコミの取材に応じクローズアップされた。
一社のみに情報を提供するテクニックは、他社からみて「特ダネを先行された」と慌てふためき取材に走り、結果的には、全社に平等に情報提供するより記事のボリュームが大きくなるのだ。
マスコミの取材合戦である。記者諸君は、火に向かって飛び交う蛾・・・・
少年の親を前面にだし、警察の落ち度を訴え、読者を扇動する。最も安全な報道手段である。(文句が来ない)
この訴訟の損害賠償請求額はしらないが、法曹関係者には、仮に請求額が7000万円としたら、裁判で勝訴すると、概ね850万円から1000万円の報酬が手に入る。敗訴したら報酬は0円である。
汗しないで、飛んで火にいる夏の虫(マスコミ関係者、ブログで熱くなっている者、脅迫状を送りつけて逮捕されている者など、踊らされている蛾は多種に及ぶ。)を冷静に眺めているようでならない。
私が両親なら、最愛の子供の命を7000万円とはしない。両親も言われるまま従っているのだろう。
地球より重い命に値段をつけないが、法曹界とはこんなところである。(徒然物語完結)

暑い夏の夜、哀れな虫を眺めながら、自らが何をなすべきかを考えてみよう。
それまでに、いろいろな忠告に真摯に耳を傾けて、問題の日記は削除することにした。
それは、コメントを頂戴した者の数(最高位で9位、今は22位に後退)もさることながら、頑固親爺の徒然日記を訪問していただいたブロガーの数が6000人となったことも考慮してのことである。
ブログを楽しみ、有効に活用されている人が多いことに安心したし感謝するが、金儲けのためなどに悪用する、また、ブログを批判して熱くなりすぎ勇み足をする人など、心無い人が多いのも事実である。
あるブログには、「ブログのコメントは、ばか、死ね、アホ、お前・・・等が当たり前の世界」と忠告があったが、本当にこんなことでいいのだろうか。
ブログの世界を楽しい、有意義な世界に変えるという難問が解決するよう願っている。
この、被害者の家族に対する誹謗中傷は人間として、日本人として信じられない。
当初加害者の祖父との情報であったが、明確に否定せず被害者家族を侮辱し続けた。投稿者を脅迫し、英雄気取り書き続け、日本中の怒りを買った。加害者の親族との情報もあるが、もはやどうでもいいことだ。

大津警察OBのこの横柄な態度、批判するものを虫に例え、脅迫隠蔽するのは人間として許せない。

そもそも、日本人の怒りを買った7/6(金)の記事はこちらだ、(消去済み魚拓より)

関係のない明石花火大会事故の被害者すらも誹謗中傷し、事件被害者家族を貶めている。彼は警察と教員を擁護した文章を一週間ネット上に曝した。
これは立派な名誉毀損になると思う。

まあ、ブログ主は記事を削除したつもりでも魚拓はすでにとられている。








どうやら、このオヤジ自分に向けた非難を解析したとか自慢していたから今日あたり大津署にでも被害届出も出しにいったんだろう。

ところが、この親爺のブログには本人を特定するものがなく、特定されなければ侮辱罪や名誉毀損にはならず、逆に自殺した被害者家族や明石歩道橋事故被害者達から名誉毀損で訴えられると諌められたのだろう。

そもそも民事不介入であることを警察OBとあろうものが知らないわけがない。
それとも、大津署では殺人を自殺にすり替えるような民事介入、いや犯罪行為を日常的にしていたのであろうか?この馬鹿親爺はどうせ交通事故をもみ消すようなことばかりやっていたのであろう。

噂によれば本物の小網の祖父が名誉毀損および成りすましで訴えるとか?
この親爺、頭が悪いから、おそらく警察で過去の記事は消すようにと言われ、過去記事は削除したが、今日の記事は言われていないといった天然屁理屈で載せたままなのではないだろうか?

頭が悪すぎる!男子中学生並の屁理屈!もうここまで来るとまともな神経の持ち主ではない。

日本中のブロガーがこの頑固親爺にしていることは虐めと同じという人もいます。
違います、これは日本における秩序維持の為の作法であり儀式にすぎません。

世間様の価値観と乖離した行為は社会秩序を乱した者として世間様という正義に処罰されて当然です。


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私の家内が、今回の大津イジメ殺人事件に対し激しく怒っている。普段は私のブログに関心がないくせにブログで糾弾するよう珍しく主張した。
 
家内が2chで検索した事件の内容はあまりに惨く、とても人間と思えぬことが書いてあった。虐めた少年達の人間とは思えない行状に2ch中が激怒している。私もこのことが事実ならイジメ自殺ではなく殺人行為であると感じた。

いじめはいつの時代にもあり、これからもなくならないだろう。
いじめを受けたら自分で火の粉をなんとか振り払わなくてはならない。
だが、子供の場合は振り払えない場合が多い。当然周囲が気づき助けてあげなくてはならない。周囲の大人の人間性が被害者を救えるか否かにかかってくる。

悲しいことに担任教師が、教師として人間として失格だった。どんなに言い訳をしても責任が重い。加害者の一人として数えてもいいだろう。

加害者達の親も責められて当然だ。育て方が間違っていた。親達の血を引いているとか親達のDNAが悪いと世間から攻撃されて当然である。

イジメを受け自殺した少年の気持ちを思えば、私がブログで加害者達や担任教育委員会を批判するのは甘いものである。

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私が思うに、小沢が掲げた「生活第一」のスローガンの発案者の一人 である山口二郎北海道大学教授のゼミ出身の女性市長越智直美が市のトップになったこともこの事件の遠因であったといっても過言ではない。

教育委員会が加害者にも人権があると平気で言い放つ背景には、左翼ゼミ出身のプロ市民の歴代最年少の女性市長 反保守主義的で未熟な人間が組織のトップであったことが、イジメを助長させたと感じる。









wikiより
大津市立中学校で2011年(平成23年)に発生したいじめ自殺事件に絡み、越は2012年(平成24年)3月に、自殺した生徒が通っていた中学校の卒業式に出席した際、小学校3年生や高校1年生の頃に自らが受けていたいじめの体験を語り、その上で、いじめや自殺の再発防止を誓ったが、その後、大津市と加害者と遺族の間で民事裁判となり、その口頭弁論において、自殺した生徒の死といじめの因果関係を否定したことにより、生徒の遺族は市長の行為は「パフォーマンス」だと非難している。


左翼プロ市民に担がれた市長は権力による抑圧を嫌う。故に、そういった自治体の教育委員会は日教組でも左翼的なプロ市民に共感するアホが選ばれる傾向にある。教育現場では体罰厳禁は勿論のこと、悪平等主義の子供を甘やかす指導方法がとられていたことは容易に察しがつく。

下記の馬鹿な画像を見て欲しい。
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大飯原発再稼働に反対し道路を封鎖するプロ市民達、ちんこに跨っている女がもし将来どこかの市長にでもなったら、その市は放射能以上に危険に曝される。何人の子供が自殺するかわからない。正義を振り回す奴にろくな奴はいない。

今回の事件の背景には、日本社会に蔓延る在日特権、特殊人権団体の影がちらつく。怠惰な官僚機構である県警、日教組、人権意識が強すぎる教育委員会、プロ市民に担がれた左翼教授に教育を受けた市長。日本が抱える宿痾(しゅくあ:長い間治らない病気)の標本みたいである。


日本には規範を示す宗教がない。日本仏教には戒律がなく規範を示していない。神道にも経典は無く規範を示す基準の宗教が日本にはなかった。
江戸期以降は論語など四書五経、明治期以降は教育勅語が規範を示していた為日本人は世界でも秩序正しい道徳的な国とされている。

教育勅語がなくなっても日本が秩序を保っているのはゲマインシャフルト(共同体)=世間さまとお天道様が見ているという無意識が働くから、公序良俗に反する事を日本人はあまりしないのである。
3.11で世界から賞賛された日本人の礼儀正しさの裏には世間の目という意識がある。
ゲーム理論では、正直で周囲と協調する者が最終的な勝者となることが多い。
正直に行動し、世間から非難されないように行動するという日本人の行動規範=倫理観は、稲作を始めた縄文末期から連綿とDNAに刷り込まれているのだ。世間様の目というメタファーは自然に発生したものである。

もしかしたら加害者が住む周辺地域はその日本人のDNAが入っていないかもしれません。日本人でも農耕民族ではなかった系統の特別の地域にはそういった倫理観が育たなかった地域集落もあり、近代において差別を受けていた。

故に加害者達は世間に叩かれなければならない。このような悪事を働いた場合世間からの集団リンチに曝される事で日本には秩序が保たれている。

日本のゲマインシャフルト(共同体)は崩壊したが、秩序を乱す者に厳しい罰を加える風習はマスコミやネットで引き継がれている。

私は京都に5年ほど住んでいたが大津市は京都市山科区隣の区であるような感覚であった。よく京都のことを知らない人達が京都人の事を余所者を受け入れない差別主義者と言うけれど、少し違う。京都人が身につけている仕草は、1200年間都であった生活の知恵の塊である。違う階層、人種とは距離を保ち付き合わない。
トラブル回避の最も効果的な術である。

村八分はまだ可愛い方だ、加害少年達がしたことは許されない行為であり、世間から重い処罰を受けるのが日本古来の伝統法コモンローである。

こういった世間による集団リンチこそが日本における秩序の源泉である。
私も、世間様の一人として幼い兄弟たちには気の毒だがバッシングに参加させてもらう。日本における秩序維持の為だ!このネットによるバッシングが今の日本ではイジメの抑止力となるのだ!

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4月に本部職より第一線の営業職となった今でも本は通勤電車のなかでよく読んでいますが、横浜の図書館では最新の良書に出合えません。書評を書く為の読み込む時間もなく最近当ブログでの書評が疎になりがちです。そこで私の本棚から紹介したい本を一冊紹介します。

20世紀を代表する2人の天才の往復書簡です。 アインシュタインは戦争を無くすための方法について自説を述べ、フロイトに見解を問うています。フロイトはそれに対し、精神分析の見地から返信しています。

アインシュタインは第二次世界大戦の足音を敏感に感じていた1932年国際連盟から「人間にとって大事だと思われる問題をとりあげ一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」という要請を受諾した。そしてとりあげた問題は「戦争」そして相手はフロイトだった!

なぜ、本書を紹介するかといえば、1932年は平和主義が台頭しナチの増長を許し戦争の足音が聞こえだした当時の欧州の空気が、中国や北朝鮮の横暴を許しつづける現代の空気に似通っているからだ。アインシュタインはドイツのポツダムからこの書簡を書いて間もなく米国へ亡命した。またフロイトも1938年ウィーンから米国へと亡命する。国家社会主義国家ナチス政権と中国共産党政権が重なってしまうのは私だけであろうか?

アインシュタインからの手紙

前半挨拶等略
p13~19
ナショナリズムに縁がない私のような人間から見れば、戦争の問題を解決する外的な枠組を整えるのは易しいように思えてしまいます。すべての国家が一致協力して、一つの機関を創りあげればよいのです。

この機関に国家間の問題についての立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が生じたときには、この機関に解決を委ねるのです。個々の国に対しては、この機関の定めた法を守るように義務づけるのです。
もし国と国の間に紛争が起きたときには、どんな争いであっても、必ずこの機関に解決を任せ、その決定に全面的にしたがうようにするのです。そして、この決定を実行に移すのに必要な措置を講ずるようにするのです。

ところが、ここですぐに最初の壁に突き当たります。裁判というものは人間が創りあげたものです。とすれば、周囲のものからもろもろの影響や圧力を受けざるを得ません。何かの決定を下しても、その決定を実際に押し通す力が備わっていなければ、法以外のものから大きな影響を受けてしまうのですっ私たちは忘れないようにしなければなりません。法や権利と権力とは分かち難く結びついているのです! 
司法機関には権力が必要なのです・権力――高く掲げる理想に敬意を払うように強いる力――、それを手にいれなければ、司法機関は自らの役割を果たせません。司法機関というものは社会や共同体の名で判決を下しながら、正義を理想的な形で実現しようとしているのです。共同体に権力がなければ、その正義を実現できるはずがないのです。

けれども現状では、このような国際的な機関を設立するのは困難です。
判決に絶対的な権威があり、自らの決定を力尽くで押し通せる国際的な機関、その実現はまだまだおぼつきません。

そうだとしても、ここで一つのことが確認できます。
国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。

他の方法では、国際的な平和を望めないのではないでしょうか。

さて、数世紀もの間、国際平和を実現するためにヽ数多くの人が真剣な努力を傾けてきました。が、その真摯な努力にもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。とすれば、こう考えざるを得ません。

人間の心自体に問題があるのだ。人間の心の中に、平和への努力に抗(アラガ)う種々の力が働いているのだ。そうした悪しき力の中には、誰もが知っているものもあります。

第一に、権力欲。いつの時代でも、国家の指導的な地位にいる者たちは、自分たちの権限が制限されることに強く反対します。それだけではありません。この権力欲を後押しするグループがいるのです。金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄るグループがいるのです。戦争の折に武器を売り、大きな利益を得ようとする人たちが、その典型的な例でしょう。彼らは戦争を自分に都合のよいチャンスとしか見ません。
個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。数は多くありませんが、強固な意志をもった人たちです。

このようなことがわかっても、それだけで戦争の問題を解き明かせるわけではありません。問題の糸口をつかんだにすぎず、新たな問題が浮かび上がってきます。

なぜ少数の人たちが夥(おびただ)しい数の国民を動かし、自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか?(私は職業軍人たちも「一般の国民」の中に数え入れたいと思っています。軍人たちは国民の大切きわまりないものを守るために必死に戦っているのです。考えてみれば、攻撃が大切なものを守る最善の手段になることもありうるのです)

即座に思い浮かぶ答えはこうでしょう。少数の権力者たちが学校やマスコミ、そして宗教的な組織すら手中に収め、その力を駆使することで大多数の国民の心を思うがままに操っている!

しかし、こう答えたところで、すべてが明らかになるわけではありません。すぐに新たな問題が突きつけられます。

国民の多くが学校やマスコミの手で煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていくIこのようなことがどうして起こりうるのだろうか?

答えは一つしか考えられません。人間には本能的な欲求が潜んでいる。
憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!
破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。

これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に影む問題です。この問題が重要なのです。人間の衝動に精通している専門家の手を借り、問題を解き明かさねばならないのです。

ですが、ここで最後の問いが投げかけられることになります。人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?

この点についてご注意申し上げておきたいことがあります。私は何も、いわゆる「教養のない人」の心を導けばそれでよいと主張しているのではありません。 私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか?                                                            彼らは現実を、生の現実を自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。

最後にもう一言述べさせて頂きたいと思います。ここまで私は国家と国家の戦争、国際紛争についてだけ言及してきました。もちろん、人間の攻撃性は様々なところで、様々な姿であらわれるのを十分承知しております(例えば、内戦という形でも攻撃性があらわれるでしょう。事実、かつてはたくさんの宗数的な紛争がありました。現在でも、いろいろな社会的原因から数多くの内戦が勃発しております。また、少数民族が迫害されるときもあります)。しかし、私はあえて国家間の戦争をこの手紙で主題といたしました。国家と国家の争い、残酷きわまりない争い、人間と人間の争いが心)つと心)露骨な形であらわれる争いにの問題に取り組むのが、一番の近道だと思ったのです。戦争を避けるにはどうすればよいのかを見いだすために!

貴方がいろいろな著作の中で、この焦眉の問題に対して様々な答え(直接的な答えや間接的な答え)を呈示なさっているのは、十分知っております。ですが、貴方の最新の知見に昭らして、世界の平和という問題に改めて集中的に取り組んで頂ければ、これほど有り難いことはありません。貴方の言葉がきっかけになり、新しい実り豊かな行動が起こるに違いないのですから。
アインシュタインは戦争をするかわりに国際的な裁判を行い、問題を解決すればよいと考たのです。実際、人間は国内社会において暴力を規制し、代わりに裁判所を設けました。暴力で決着をつけるのではなく、裁判の場で法によって解決すれば理想です。集権的な権力が国際社会に成立しないことには、裁判によって戦争を無くすことはできないと本人もわかってはいても、物理学では天才でも、全てのことに天才ではないわけです。

私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。  「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。

先日NHKでオウム真理教事件のことを取り上げた番組「未解決事件」を放映していました。蟻も殺せなかった高学歴の幹部達が信者の事故死事件からヒトを平気で殺害することができるまでの経緯を紐解いていました。

殺人を正当化する思想「ポア」を植え付けられ暴走するオウムの過程は、戦前のドイツにおいてドイツ市民が第一次世界大戦で荒廃したドイツを立て直したナチスに心酔し、やがて「シオンの議定書」という偽書を根拠に陰謀とか予言、ハルマゲドンといった妄想から一般市民/ヤダヤ人を迫害していく過程と酷似している。

そして現代でも、イスラムのジハードという思想を邪悪な目的に捻じ曲げて無垢の市民が大量に虐殺され続けている。9.11の実行犯達がインテリだったことを思えば納得が出来る。

中国や朝鮮半島の歪んだナショナリズムも非常に危惧すべき状態である。北朝鮮はもちろん、中国・韓国の反日教育/反日思想は大変危険である。一歩間違うと日本人を殺戮する事を正当化しかねない。

半島と中国の優秀なインテリ層ほど誤った歴史を信じきっているので、インテリは日本に武力を行使することを躊躇しない可能性も高い。日本を攻撃する核ミサイルの発射ボタンを躊躇させないのではないかと私は考えるのです。

また、この手紙はまだ悲惨な第二次世界大戦を経験する前に書かれた事を考慮すべきです。悲惨な殺戮戦だった第一次世界大戦を経験したヨーロッパでは今日の日本と同じくこのアインシュタインが考えたような平和主義的考えが台頭していた。

第二次世界大戦はアインシュタインがかつてこの手紙で述べた平和主義が無意味であったことを悟らせた。アインシュタインは後に後悔するのだが、ナチスが核兵器を開発する前にアメリカが核兵器を保有すべきだと考え、アメリカの核開発プロジェクト「マンハッタン計画」に積極的に参画した。そして広島・長崎の一般市民に対し核兵器が使用されたのである。あるいはアインシュタインが協力しなければ第二次世界大戦に核兵器は間に合わなかったかもしれないのである。

第二次世界大戦後米国は戦争犯罪である核兵器による広島・長崎の一般市民を核兵器により虐殺し、戦略爆撃という殺人行為によって日本市民を不当に虐殺した。これは明らかに戦争犯罪であるにもかかわらず、連合国は自らの犯罪を正当化した。その上に日本をありもしない南京虐殺の犯人に仕立て自らを正当化した。

日本を対米報復戦争を行わないように、徹底的に自虐史観である東京裁判史観と憲法第九条を戦後押付日本はそれを受け入れた。枢軸側である日独伊が一方的に侵略戦争を行い残虐行為を行ったと戦後プロパガンダされた。

特に日本のインテリと呼ばれる人達の多くは官僚も含め未だにこの東京裁判史観に洗脳されたままである。そして洗脳から覚醒することを拒んでいる。NHKや大手新聞などマスコミの多くはこの偏った平和主義を金科玉条のごとく信じ続けている。

中国の台頭が甚だしい今日、未だに憲法を改正しようとしない日本の平和憲法が逆に米国のアジア戦略(対中包囲網)の妨げとなっているのはなんとも皮肉でもある。

また、恒久的平和をもたらすであろう国家間の垣根を無くすEU/ユーロの壮大な実験も大失敗となりそうな気配である。

地球という閉じた社会においては国家間の紛争を無くすには先進国の市民が開発途上国の市民との貧富の差を無くす覚悟をしなくては実現しない。

だが私はエゴイストと呼ばれようとこれ以上開発途上国の市民との経済格差を縮めることに耐えられない!20年前の豊かで希望に満ちた日本を取り戻したい! 

できることなら反日教育を受け信じている中国人や韓国人とお付き合いしたくないだけなのだ。私は昔から言いたい事を言う正直者のつもりだ。





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小沢の裁判は小沢への政治資金収支報告書の提出前に「小沢先生に報告し、了承を得た」と述べたとされる元秘書の石川知裕衆院議員の捜査段階の供述調書を証拠不採用と決定された。これで、小沢裁判を左右する共謀があったかなかったかが立証できなくなることが濃厚となった。

秘書との共謀が立証できなければ裁判的には小沢が無罪になる確率は高い。
石川元秘書を取り調べた田代検事とて最初から虚偽の調書を作る気はなかったであろう。だが、シラを切りとおす秘書や小沢に真実を自白させようとした結果、暴走してしまったのだ。もちろん、田代検事の取り調べ方法は違法であり非難され当然だ。証拠不採用となったのはいたしかたないであろう。
 
小沢の裁判で、小沢の態度はまるで「証拠がない」と、お白洲でお奉行様にシラを切る、巨悪の親玉にしか見えないのだ。時代劇であれば、本当はここで突然裁判長が「(諸肌脱いで)おうおう!この背中に咲いた桜吹雪が手前らの悪事をちゃーんとお見通しなんでえ!この背中に咲いた桜吹雪、散らせるモンなら散らしてみろい!」とでも言って「これにて一件落着」なのだが・・・・、勧善懲悪の時代劇を見すぎてしまったせいか、我々は水戸黄門やら遠山の金のようなエンディングにならない現実がもどかしいのだ!
 
誰か小沢に印籠を出し引導をを渡してほしいのだ!それは岩手の有権者の方々にかかっている。
 
岩手の皆さん!実際問題小沢の為に秘書がかってに土地を買うだろうか?キャシュがあるのに融資を受けたり、土地代金の支払いを済ませたのに土地登記を行わず、業者が驚き仮登記を異例にしてもらうなど、どう考えても不自然極まりないのだ。小沢が資金隠ぺい工作をしていたことだけは絶対間違いがないのだ。
小沢の「秘書に任せてあって自分は無罪だ」と言う主張を信じる人間はいるのだろうか?巨悪は許してはならないのだ!

仮に、99%秘書がお膳立てしたとしても、最後には一言報告するのが当然、しないと言い張るのは逆に不自然とは思わないか?99%秘書主導であったとしても、「よきにはからへ」「あっーそう」「ご苦労」ぐらいの一言を言うだろう。元々裁判ではその一言を立証しないといけないのだから有罪を立証するのは極めて難しい。

もし本当に、一言も報告しないのであれば秘書失格である。
「悪党ー小沢一郎に仕えて」は嘘の上塗りの本である。小沢と石川は秘書と政治家と言うよりも、とてもフレンドリーの関係であった印象を与えている。となれば石川議員の主張どおりなのだが、冷静に考えてみよ、裁判中の人間が自分に不利になる事を書くわけがない。
むしろ、そんな本を書くくらいだから余計に怪しいと私は思ってしまう。

だいたい、小沢がその土地に自分がどういう経緯で取得して利用していることを知らないのであれば、「禁治産者」だ!

もし、小沢の主張をそのまま信じるという日本人がいたら馬鹿か工作員であろう。
政治家としての倫理、政治資金規制法の精神、いや一人の人間として間違っている。

禁治産者は政治を行ってはならない。例え小沢が無罪を勝ち取ったとしても、所詮裁判で勝ったに過ぎない。

真実を語らぬ小沢など政治家として信用が出来るわけがなく、政治家として失格である。

この裁判が終われば長かった小沢が軸となった政界再編、政局は終わるであろう。
小沢時代は終わり、橋下と言う新たな軸を中心に動き出す予感だ。

小沢はもはや二軍キャンプからスタートするかつての四番打者と同じだ、もはや引退しか残された道はない。まあ、引退試合は民主党の解体につながる大量脱党になるのか?最後のご奉公をしてもらおう。


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(略)

 その一方で、ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。

 彼らの多くは、知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです。

 特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めているように見えます。

 彼らは、企業社会やアルバイト先で、会社人間としての振る舞いや低俗なオヤジギャグに会話を合わせることに耐えられません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じている人たちです。

 「食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある」

 大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めています。

 彼らには生活能力がなく、結局は親がかりです。

 しかしながら、自分がやりたくもないことを、社会をまるでわかっていないような頭の悪い人たちと一緒にやりたくない。劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋な理想主義者たちなのです。

 そんな彼らが原発問題にのめり込んでいます。そして、「神」として崇拝しているのが、いま反原発で最も注目されている小出裕章氏です。     
 
 
私たちは何気なく原発問題と表現していますが、この問題にはすべての学問領域を網羅する壮大な体系が存在しています。物理学的な側面、工学、建築学などの要素。原発をめぐる政治、環境問題。これまでの原発を取り巻く歴史、文学など、一つの小宇宙と言ってもいいと思います。

ネットですべてが完結するという錯覚

現実社会との接点を持つことは避けられない


私たち精神科医は、逃避する彼らと現実との接点を作ることに腐心してきました。

しかしいま、それはインターネット社会の発達によって困難になっています。彼らの知識欲や他人と交信したいという欲求は、すべてネット上で満たされるようになってしまったからです。

彼らはいま、フィクションの世界ではなく現実の世界に起こった原発問題にこころを奪われています。とはいえ、彼らが行動するのはあくまでもネットの世界に限定されてしまいます。熱狂する彼らがネット上で喧々囂々の議論をしても、現実に起こっている原発問題は何も解決しません。むしろ現実世界とネット上の世界に大きな乖離が生じてしまっているように思えてならないのです。

「こういう人たちは、ネットで生活を成り立たせ、ネットで人とコミュニケーションを取ればいいのではないか」

実際に働きに出なくても、インターネットによるFX取引で父親より稼ぐ人も出てきています。私もそんなネットだけの生活が成り立つのではないかと考えた時期もありました。しかし、ホリエモンの収監の様子をテレビで見て、ネット上のバーチャルな世界が発達しても、限界があることをつくづく感じました。

ネット世界の象徴でもあるホリエモンも、現実に身体を拘束される刑務所行きという事態は避けられませんでした。時代が変わっても「ネットで服役」ということは起こり得ないのです。

彼らが原発問題に熱狂して、彼らが何かを変えられるとしても、ネットの中の一つの小さなトレンドに過ぎません。現実に動いている体制には、大きな影響を与えることはできないのです。現実社会との接点こそ、ネット全盛の時代にあっても、ないがしろにできない大切なことではないでしょうか。

小出氏が世間の注目を浴びるようになったことで、奇しくもネットの社会に引きこもった人たちの存在を再発見することになりました。これらの人の力を、いまの社会はうまく活用できていない現実が浮き彫りになったのです。
鬱病と現代社会について詳しい精神科医の香山リカさんも、反原発にのめり込む人達=社会に適応できない引きこもりやニートの人達を精神科医の立場で批判されています。
 
その1から
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そしてオタクや引きこもり・ニートの教祖の一人でもある宮崎駿もオタクや引きこもり・ニートを批判しているのであります。
ゲームを捨てよ、山や海へ行こう
p165
これまで〈共生〉をめぐってさまざまな角度から議論を重ねてきました。その結果、宮崎作品においては〈共生〉を尊重するのが望ましい人間だということがますますはっきりしてきました。その〈共生〉ですが、まずは「人間と自然の共生」、そしてまた「多民族・多文化の共生」、「障害者との共生」、「男女の共生」、さらには老若の共生、機械との共生、死者との共生が指し示されています。

だから、まず自然に親しみましょう。インドアというよりもむしろアウトドアでなければなりません。積極的に、山に行きましょう。海に行きましょう。川にも行きましょう。森や林のなかに入ってみましょう。湖のほとりもいいでしょう。(略)
p167
ひきこもっていないで、外に出て自然の風にふれてみましょう。風の流れを肌で感じましょう。メーヴェに乗るナウシカのように。ほうきにまたがるキキのように。キキのように雨に降られるのもけっして悪い経験ではありません。

p171-175 
「耳栓」をしたまま電車に乗ってはいませんか。車内ではオーディオプレーヤーで音楽ばかり聴いていませんか。液晶画面ばかりを見つめてゲームにふけってはいませんか。それではオープンとはいえません。開かれているとはいえません。周囲の世界をシャットアウトしています。

むしろ望ましいのは、開かれていることです。そして五感をとぎすますことです。自分の周囲をよく観察することです、耳をすますことです、ふれることです、味わうことです、そして鼻をきかすことです。

さもなければ、ナウシカのように「風をよむ」ことが可能でしょうか。ナウシカのように、「胸」の「ドキドキ」だけで、ユパや王蟲の気配を遠く離れたところから察知することができるでしょうか。アシタカのように、「来る!!」とタタラ場へのサンの襲撃を感知することができるでしょうか。はるか彼方からハイハーバーへと押し寄せようとしている大津波をラナやコナンのように予知することができるでしょうか。
 
しかし、現代の日本では、リアルな物を見たり、ふれたり、聞いたり、味わったり、かいだりする経験がますます乏しくなっているようです。朝から晩までオフィスに閉じこもっている大人だけでなく子どもも……。
 
木にぶら下がったとたん、「あっ、これ折れそうだからヤバイ」と思うことは、どこで覚えたんだろうって記憶にないですよね。「ここを踏んだら沈むぞ」とか、「ここはぬかってるから踏まないほうがいいな」というのは、いつの間にか覚えることですよね。それは幼児期に、たくさんの実際の現実と触れながら、失敗もしながら覚えたことなんです。それを近頃はやってないんじゃないか(『出発点』二四頁)。
 
なぜ「近頃はやってない」のでしょうか。その原因を宮崎は的確に指摘しています。
 
実際に子どもたちを取り巻いている環境は、私たちのアニメーションを含め、バーチャルなものだらけです。テレビもゲームもそれからメールもケータイもあるいはマンガも、つまり私たちがやっている仕事で子どもたちから力を奪いとっているのだと思います(二〇〇八年十一月二十日、日本外国特派員協会における講演より)。

「バーチャルなもの」が多すぎるのです。そのため、リアルな物を、あまり見ることなく聞くこともなく、ふれることもなく、味わうこともなく、かぐこともなくなってしまいました。
それが五感を鈍くさせているのです。リアルな人問とのコミュニケーションもますます乏しくなって、リアルな人間と真正面から向き合ってどのように言葉を交わしたらよいのか、相手に対してどのように振る舞ってよいのかが分からなくなっています。アッカンベーされたくらいで傷ついてはいけません。サツキのようにアッカンベーで返してやればよいのです。
 
それにしても、「私たちがやっている仕事〔つまりアニメーシヨン制作〕で子どもたちから力を奪いとっている」という言い回しは強烈です。強烈な自己批判です。いえいえ、もっと強烈な表現がありました。
 
僕らの仕事もそうなんですけども、アニメーションとか、ゲームとか、いろんなことを言いながら金を稼ぐために子供たちを相手にしている商売を、法的に規制するしかないと思うんです(『出発点』一五頁)。
 
「法的に規制するしかない」というのはいささか極端するかもしれません。まるで自分で自分の首を絞めようとしているかのようです。
 
ビデオを一万本集めてて、食事はカロリーメイトを食べていれば平気という青少年に会ったり、あるいは稼ぎのほとんどをビデオに注ぎこんでいるというような、バランス感覚のない人間たちに出会うと、ぽくは彼らに「おまえ、バカだ」というよりも、それを育てた環境に、つまり日本の社会のありようのなかに問題があるんじゃないか、そうとしかいいようがないんです(同、三五五頁)。
 
宮崎はここでいわゆる「オタク」を批判しています。家族や友人、知人と〈共食〉することもなく、ひたすらバーチャルな世界にひたっているオタクを批判しています。けれども、たんなる批判に終わってはいません。オタクに「おまえ、バカだ」といって済ませてはいません。批判だけではなんの解決にもなりませんから。むしろ大切なのはその後の部分です。

「育てた環境に、つまり日本の社会のありようのなかに問題がある」という部分です。結局、子どもが育つ環境をよくしてやらなければならないのです。子どもたちが液晶画面ぱかり見続けるのではなく、リアルな山川草木をしっかりと見たり、さわったり、かいだりできる、またリアルな老若男女としっかりと接することができる、そのような機会を十分につくってあげることが大切なのです。ひとりでテレビばかり見ていないで、ゲームばかりしていないで、友だちと木登りをしたり、泥んこ遊びをしたり、ときには取っ組み合いをしたりしながら、心と身体を成長させることができる場を設けてあげることです。

だからこそ、宮崎は仕事場の近くに保育園をつくりました。かなりユニークな保育園です。建物は、あえて「バリアフリーの正反対」一〈温室育ち〉の反対)にして、さまざまな物を見たり、さわったりできるように設計されたとのことです(二〇〇八年四月開園)。


ということだ。
電力会社の社員、および全企業労働者の諸君!我々は現場で汗を流し、いやな上司に怒られ、数字の消化に追われ、クレーマーと戦い、どんなお客様にも笑顔で接している。目標を達成する為血の汗をかいているのだ。
現実から逃避し親に寄生して生きているような奴らから何と言われようと気にする事はない。自分達の意見はそれなりに価値があるものだ!
我々こそ国を憂い、日本を支えているのだ!ニートや引きこもりの連中から政府の犬とか東電を擁護するのかとか汚い言葉で罵られようと関係ない!
反原発に入れ込むニート達に気兼ねせず堂々と自分の意見を言うべきであると思う。
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ネットを検索すると原発を肯定する意見に対して、単細胞的に政府の犬とか東電を庇うのかといった言論を封殺するような言葉を多く見かける。少しでも原発を肯定するような意見を載せると、正義の味方気取りの方々より意見を頂く。
 
原発を肯定する意見に対し理性でなく感情で封殺しようという動きがある。これは非常に危険な動きだと私は感じます。先日投稿された方との議論で私が追い込むと  「バカを相手にした私がバカだった。(苦笑)」と書き込まれる始末。
 
意見が一方に偏ってしまう傾向にあるのは日本の数少ない欠点の一つだ。
一方に偏っている場合反対意見を感情で封殺しようとする傾向がある。
 
反原発側の方の意見の多くは政府や東電の発表数値は偽装で、大手マスコミは政府側の意見を大本営発表よろしくそのまま載せていると主張しています。
 
そういった意見の根拠となるのが個人(素人)のガイガーカウンターで計測した放射線量が政府発表の数値と異なり政府発表は信用できないとの意見だ。
 
正義の味方達気取りでまったくものを考えず、思いつきでものを言う感情的な人達(まるで小さな菅直人のようだ)の意見を粉砕する痛快な記事が週刊ポストに載っていました。以下は記事抜粋
 
※「べクレル」と「シーべルト」……「ベクレル」とは、物質が1秒間に何個の放射線を出すかを表わす単位。「シーベルト」は、人体が放射線によって受ける影響を表わす単位、具体的には、放射線の種類によって影響が違うことを考慮し、例えばアルファ線本はべ一タ線20本と同等にみなす、といった補正をして数値化する.また、同じべ一タ線1本でも、線源からの距離など様々な条件によってエネルギー量が異なるので、それらも測定しなければ正しい値は求められない。GM管が測定している「放射線量」が正しかったとしても、それだけで「シーベルト」を求めることはできないのである。
 
 

”煽り派”の大誤報、大騒ぎに踊らされるな

ガイガーカウンターでは被曝量は測れない    知ってましたか?

国民の信頼を失った菅政権が居座ることで、、政府・東電は信用できない。を合言葉に、ますますデマや風評、そして不安が広がっている。”煽り派メディア”はガイガーカウンター片手に被災地や東京部内を走り回り、「高い値が出た」「ここが危ない」と大騒ぎだ。しかし、相変わらず無知と不勉強が多すぎる。彼らはガイガーカウンターでは「シーベルト」など測れないことを知っているのだろうか?

(略)

煽り派。の議論は減茶苦茶なのだが、もう1つの大いなる誤解は、彼らが”政府発表より信頼できる”と崇めたてまつる「ガイガーカウンター」にある。

外国製の粗悪品とボッタクリが横行

ガイガーカウンターとは何かを知っている一般国民は多くないだろう。スパイ映画などで「放射能を測る概械」として登場するイメージくらいだろうか。が、せめて「ここが危険だ」と騒ぐ団体やメディアは、その仕組みと特性、限界を知る義務があるはずだ。
専門用語では、「ガイガー=ミュラー計数管」と呼ぶ(以下、GM管)。発明者
の名を冠した放射線測定器の一種で、最も一般的なものは、管の中に希ガスの一種であるアルゴンを密封し、そこに一定の電圧をかけ、ガラス窓から管に電離放射線が飛び込んでくると生じる電流を計測して放射線量を測定している。封入するガスや窓の材質が異なるものもあるが、原理は同じだ、まず知っておくべきは、GM管が検知できるのは、「放射線の数」だけということだ。

ニュースで使われる用語でいえば、「ベクレル」は測れるが、「シーベルト」は測れない。「cpm(カウント・パー・ミニット)」という単位で表示するカウンターも多いが、これも「ベクレル」と同じく「線量」を表わす。

「私が見たカウンターはシーベルト表示だった」という人もいるだろうが、これは「測定値」ではたく「推計値」にすぎない。

ガイガーカウンターなどの放射線測定器の校正(計測のずれを把握、補正すること)と販売の大手、千代田テクノルの担当者が説明する。

 
「GM管が計測しているのは放射線の『数』であり、『シーベルト』はわかりません。 計測値から対象物の『ベクレル』を推計するのがせいぜいです。震災後は一定の計算式を用いて『シーベルト』を推計している機器が出回っていますが、GM管はそもそも生活空間の被曝量を測る機器でも、原発事故による放射能拡散を測る機器でもなく、推計値は正確とはいえません」

もう1つ、GM管について知っておくべきは、測れる放射線の種類である。
代表的な放射線には「アルファ線」「ベータ線」「ガンマ線」「エックス線」「中性子線」があるが、このうちGM管が検出するのは主にベータ線だ。エックス線、ガンマ線も検出可能だが、ベータ線に比べて管を透過して検知されないものが非常に多く、べータ線が多い環境(原発事故で拡散した放射性物質からは多くのべータ線が出ている)では、測定値の「誤差」程度にしか検出できない(ただしガンマ線、エックス線だけの環境ならば線量の推計が可能になる)。

また、べータ線でもエネルギーの小さなものは検知できない,アルファ線はガ一フス窓を通過できないので検出できない。中性子線は電離能がないので検出できない。これらの弱点を克服するため、窓にマイカ(雲母)を使ったものや、管内にホウ素をコーティンクしたものなどもあるが、壊れやすい、高価であるなどの理由で、ほとんど市販されていない。

(略)放射線の「量」だけでは人体への影響(=シーベルト)は特定できない。放射線の「種類」と「エネルギー」が不可欠だが、GM管にそれらを測る能カはない。

人体への影響をより正確に調べるには、スペクトロメトリーと呼ばれる定性・定量分析が必要になる。それができる「シンチレーション検出器」や「ゲルマニウム半導体検出器」といった機器もあるが、数十万~数千万円と高価で、動作環境にも制限がある。

ちなみに”煽り派”が「嘘だ」と断罪する行政のモニタリングポストなどはシンテレーション式で、少なくとも素人がGM管で測った値よりは信用できる。
 
「6月15日に始めた都内各地の測定では、1回30秒間を5回繰り返して行ない、平均値を出」ています。測定器はシンテレーション式で、GM管では測れないエネルギー量を測っています。価格ですか?70万円以上しました」
(東京都健康安全研究センター)
 
なお、人体被曝で間題になるのはベータ線よりガンマ線である(透過力が強いため)。GM管のなかにはベ-タ線を遮断してガンマ線だけを測る設定にできる機器もあり、そうした設定ならぱ「シーベルト」の推計値もある程度意味がある。
ただし、設定を間違えてべータ線をカウントしたまま「シーベルト」に換算すると見当外れの高い値が出るケースがある。市民団体などが公表している数値のなかには、そうした測り方の間違ったものもある。

メディアはもちろん、主婦までが秋葉原やインターネットでガイガーカウンターを買い漁ったため、価格は高騰し、時ならぬ”ブーム”に目をつけた悪質な業者らは、普段は2万~3万円で売る安価品を7万~8万とふっかけたり、国産品がなくなると中国製、ロシア製などを大量に輸入したりしている。が、なかには粗悪品も多い。
 
「2万円程度でアルファ線から何から測れて『シーべルト』までわかるという中国製のGM管の仕様を見ましたが、私どもの常識をはるかに超える高スペックですね(苦笑)」(前出の千代田テクノル)
 
GM管の特性も知らない者たちが、しかも粗悪品の怪しい数値を振りかざして「政府発表より高い値が出た」と騒ぐことがいかに現実離れしているか、わかっていただけるだろう。
 
空間線量を測る機器ではない
 
また、もともとGM管には使用による劣化や、構造的な弱点がある目ガスを密封した構造であることから、少しでも漏れれぱ数値は狂うし、漏れなくとも検知能力は次第に低下していく。構造や仕組みが似ている蛍光灯を連想してもらうとわかりやすい。
 
使ううちに内部のガスや放電回路が劣化し、暗<なり、チラつきが起き、明るさが安定しなくなって、最後は点かなくなる。GM管にも同じようなことが起きるのである。だから千代田テクノルのような会社が定期的に校正することが重要になる。
 
正直なメーカーは、販売する際に「定期的に校正を受けてください」と呼びかけている。
 
また、市販品はスイッチを入れれば数秒で測定値が表示されるが、本当に正しい線量を測るためには専門知識と技術が必要である。
 
しかも、GM管の特性から、自然放射線量とあまり変わらない程度の空間線量を測ることには向かない。
 
何十年も放射線測定に携わる技術者は、「報道を見ていて、測り間違った数値が騒ぎを起こしていることを憂慮していた」と前置きし、しかし「実名で話したいが、たとえ事実を語っても”政府の犬”とか”東電をかばうのか”と批判されるから」という理由で、匿名を条件にこう語った。
 
「GM管は放射線の種類を特定できませんから、自然放射線なのか、原発由来の放射線なのかは区別できません。
 
しかも、GM管が検出する自然放射線には、岩石や地質から発する大地放射線が多く、これは測定器の置き方や地面からの距離によって数値がかなり変わるし、地中浅くに岩盤があったりすればすぐに高い値が出ます。
 
GM管で空間線量を測って『ここが高い』と騒ぐ人は、こういう基本的な知識がないのでしょう
 
私はそれが原発事故によるものとは思えないケースがかなり多く報道されていると感じています」
 
放射線測定器を製造する日立アロカメディカルも、「GM管は放射性物質が付
着しているかどうかを調べるもので、空間線量を測るための機器ではない。空間線量を測りたければシンチレーション検出器が必要」
と注意を促す。
 
とはいえ、不正確なGM管であっても「周辺より10倍も高い値」が出ればやは
り危険なのではないか。
 
「私の経験では、同じ地域でも10倍程度の差は普段からありますし、市民団体などの公表数値は、ベータ線を遮断しないなど測り間違いど思われるものが多い。
そもそもGM管の細かい数値は正確ではない。”自然線量の○倍程度。というくらいの精度ヒ考えるべきで、『○・○○マイクロシーベルト/時の値が出た』といった表現には違和感があります」(前出の技術者)
 
世界中で盛んに核実験が行なわれた60~70年代、日本をはじめ北半球各国では食品の放射能汚染が今の日本よりはるかに深刻だった。
 
当時、日本でも多くのGM管が用いられて放射能検査が行なわれたが、当時その仕事に携わった通産省OBは、こう振り返る。
 
「安価なGM管では、機器の違いや測り方で全く異なる値が出ることも多く、現場の結論として”数値の特定は難しい。というのが実感だった。ただ、安全第一の考えで多くの食品を”推定クロ”で廃棄した。もったいないと思ったし、今の食品汚染などそれに比ベても大した数値ではなく、過剰反応する状況ではない
 
この話からわかるように、GM管は「空間線量」が苦手でも、多量の放射性物質が付着した食物や、排水によって放射能が濃縮された汚泥などの危険度を調べることには威力を発揮する。
 
正しい目的で正しく使えば有効なものも、無知な者が危機を煽るために用いれば、害にしかならない。
いま必要なのは、やみくもな測定より正しい知識である。
まして”煽り派”は、放射能をバラ撒いた東電以上に国を悪くしている。
 
 
私は個人の意見ほどいい加減なものはないと思っている。私の意見も実にいい加減なものだ。なぜなら個人は自由なので意見をチェックする者が存在しないからだ。マスコミは、意見の信憑性について裏をとる労力をかるが、個人は言いぱなしだ。私もつい暴走しがちになる。
 
原発推進肯定派であった私は、3.11後は原発慎重派に意見が後退している。
※慎重になった理由は原発がテロもしくは軍事目標となった場合の脆弱性

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わたくしは、村上春樹氏の作り出す物語の愛読者でファンであります。村上春樹氏を尊敬し現代日本文学の輝く星だと思っております。
 
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イメージ 2しかし、最新の物語「カタルーニャ国際賞スピーチ」は「村上かるた うさぎおいしーフランス人 」以上の駄作でしかありませんでした。

受賞の演説はカッコいいし、倫理的にはごもっともな内容で反論する私を畏怖させます。だが、私はあえて反論します。「春樹君違います!」

Ddogは原発事故が起きても未だに原発を擁護するのかと非難されると思いますが、原発は危ないしできれば無いほうがいいという意見には異論はありません。できるだけグリーンエネルギーの実用化をすべきです。でも明日にも止めろといった類の集団ヒステリーのような意見には断固反対です。

村上春樹氏が現実を見据え、できるだけはやく脱原発に向かうべきと言うのであれば拍手を贈ったかも知れない。だが村上氏ご自身で認識されているように、彼の考え方は「非現実的な夢想家」であって生きる現実に苦闘する現実社会の側に意見を言うべきではなかった。

村上氏の倫理や規範は村上氏の作品の言葉を借りればあっち側の論理であってあっち側が現実社会にとやかく意見を言うべきではないと思うのです。まして、日本人の代表であるがごとくの意見の述べ方には些か不愉快な気持ちにされる。

村上春樹氏は所詮他の団塊の世代人達と同じく東京裁判史観を倫理観の基準としてしまった洗脳被害者の意見にすぎないのであります。

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 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
 
 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
 
 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
 
 
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村上氏の被害者であり加害者の意見は村上春樹氏を含めた団塊の世代が受けた東京裁判史観に基づいた歴史観であり、米国の国益にかなった倫理観なのです。
 
私は反米主義者ではなくどちらかといえば米国の立場を理解している保守主義者(消極的親米保守)です。そして政府や東電となんら特殊な関係はありません。
 
広島長崎の原爆投下や東京大空襲は明らかに戦時国際法違反です。南京大虐殺などは東京裁判における原爆投下を正当化するためプロパガンダにすぎないことを未だに村上春樹氏は理解していない。原爆で犠牲になった市民は、3.11の被災者同様まったくの被害者であって加害者ではない。
 
物語の語り部にすぎない村上春樹氏はGHQによって語られた物語に影響を受けている無想家いや夢想家にすぎない。
 
またなぜ、原発と原爆を同じレベルで語らなくてはならないのか私には理解できない。原爆と原発とを一緒くたにすることはナンセンスであり、誤解を招くと思う。
 
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6.11の反原発デモの写真らしいのですが、こういった単細胞いや癌細胞の人達が反原発を主張している限り、原発と原爆を一緒くたにすると反原発運動は胡散臭が漂ってしまいます。(三度の飯より嫁が好きさんのブログより)
 
今回の福島原発でも、もう少し東京電力と国が配慮していれば1000年に一度の事故は防げた可能性がある。100年に一度の想定を外れた想定外のことが起きても中越地震の柏崎原発や女川原発は事故は防げたではないか?でも効率化を重視して1000年に一度を防げなかった。
 
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では100万年に一度のことが起きたら防げないのか・・・どこで線を引くかは効率化のせいなのだろうか?村上春樹氏は所詮夢想家なのだ。
 
人間社会には誰かがいやなことをしなければ社会が成り立たないのだ。
 
村上春樹氏はその物語の中で様々な料理を紹介しているが、村上春樹氏の好物といえばまっさきに思い浮かぶのはウィンナーシュニッツェル(ビーフカツレツ)である。
 
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でも、春樹氏が食するビーフは誰かが屠殺した牛を食べているのだ。
村上春樹氏が神戸のウィンナーシュニッツェルーが美味しいとそのエッセーに書いているが、殺された牛と、その牛を毎日屠殺する人がいることを気遣ってはいない。
 
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村上春樹氏が電気をふんだんに使ったシティーライフを孤独だとか魂とか異界と人間の関わりを描いておきながら一度たりともその電気がどのように作られているか語った文章を読んだ事がない。
 
ところがある日突然、日本ではめったにメディアに露出しないのに、外国で日本の原発や日本人が今まで原発を許してきたと批判し始める・・・・・
 
それは、ビーフカツレツを愛していたはずの村上春樹氏がある日突然肉食を批判しベジタリアンになって人間は肉を食べてはならないと説法するうなものだと思えてならない。
 
ある日突然世界的作家が貴方の携わっている職業を非難したら・・・・そう考えると村上春樹氏の原発批判が正義なのか私は疑問だ。
 
だれかが、嫌な仕事をしている。誰かが電気を作って供給している。その電気を作り出すエネルギーを確保する為に人間は戦争をしてきた。
 
太平洋戦争はABCD包囲網により対日資産の凍結と石油輸出の全面禁止が行われた結果ハルノートがを突きつけられて日本がパールハーバーを襲撃したのだ。

Pearl Harbor music video

今原発が無くなれば現状の世界では残念ながら石油やLNGしかエネルギー源は無いのだ。グリーンエネルギーはまだエネルギーの主要な担い手になれない。それを、
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
 
正義の立場で正義の鉄槌を加える村上春樹氏の言う論理のすり替えの意味することが私には理解できない。
 
人間は他の動植物を殺して食べなければ生きていけないように、原子力を利用する事が倫理と規範の敗北なのだろうか?

 
もっと早く太陽熱や太陽電池パネル・風力水力地熱を利用すべきだとの主張も、石油や原子力のエネルギーコストに近づいてきたのは漸く最近のことだ。石油と原子力の電力抜きに文明は発達できなかったのだ。
 
日本は戦後の焼け野原から「効率」を求めて生きてきたから、飢餓に怯えるような国にならず、経済大国になれたのではないか?我々は簡単に「効率」を捨てることができるのだろうか?
 
「効率」を追求し文明を発達させた人類が地球上に二酸化炭素を吐き出すことを防ぐ為原発にしたことが罪悪なのだったのか?
 
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水力は、三峡ダムの例を見ればあきらかなように、古い街や文化遺産を破壊しているのだ。日本でも脱ダムだと叫ぶ環境グループがいる。風力ですら低周波騒音公害を引き起こしている。エネルギーを得るにはそれなりの犠牲が伴うものだ。

人間は牛を食べようが魚を食べようがベジタリアンですら他の生物を殺して食べているのだ。それと同じように人間が生きていくにはエネルギーを必要としている。
エネルギーを希求し効率を追求することは悪ではない。

日本のエネルギー政策も中東で紛争が激化し石油が止まった場合を考え原子力発電を整備してきたのであり、利権の為という意見は単細胞すぎる。

また今後新興国のエネルギー需要を満たす為に中国製や韓国製ロシア製の危険な原子炉が世界に増えるくらいなら、日本製の原発のほうが安心だと私は考えます。
日本はグリーンエネルギーの最先端技術とともに原子力発電技術を世界に提供する義務があると私は思います。
 
原発事故を怯えた一般市民が原発反対を単細胞のように叫ぶことは、単細胞生物が刺激を回避しようと何も考えず単に逃げ回るように自然なことだ。単細胞な人達が本能的に原発反対を叫ぶのは正常な反応だ。

だが、村上春樹氏にはもう少し思慮深い言葉が欲しかった。


 
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核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

理由は簡単です。「効率」です。

原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

「大統領、私の両手は血にまみれています」

トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
私は村上春樹氏の作品の大半を読み感動し、村上春樹氏を尊敬しています。

だからといって、村上春樹氏と人格は異なり、意見も異なります。
非現実的な夢想家としての村上春樹氏の意見は尊重するつもりです。

非現実的な夢想家の意見としたならば当然の意見です。

ですが、厳しい浮世で暮す我々と印税で気楽に暮せる非現実的な夢想家とは意見が違って当然です。

すこし、村上春樹氏の意見に反論したいと思います。







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原文を載せていた毎日新聞のURLはもはや存在しません。

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文

9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

「非現実的な夢想家として」

僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

どうしてか?

桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

どうしてこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てると思います。

しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。





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 p56~60
国家をどう捉えるか

ガンディーは、このような観点を「国家」の存在に対しても投影していた側面があります。

ガンディーはインドをイギリスの植民地支配から解放し、一つの国として独立させることを目指していました。

しかし、ここで困ったことが起こります。なぜならば、国家はどうしても暴力装置であるという側面を否定できないからです。
ガンデイーの思想は「非暴力」でありながら、インドの独立を要求していました。
インドを、主権をもった国家にしたいという思いを強く持っていました。しかし、国家は紛うことなき暴力装置です。

主権国家体制において、国家は暴力を合法的に占有することのできる組織です。我々一般人が暴力を振るうことは、もちろん非合法です。人に暴力を加えたりすると、それは基本的に法を犯し淀ことになり、罰則の対象となります。しかし、国家権力は暴力を合法的に用いることができます。例えば警察は、合法的な暴力を行使しています。違法行為を行った個人を強制的に逮捕し、場合によっては警棒や銃を使って暴力を振るいます。

国家は合法的に暴力を行使する装置です。とすると、インドを国家として独立させることは、非暴力の否定になるのではないかという疑問が、当然のことながら湧いてきます。
 
ガンディーはこれをどう考えたのでしょうか?おそらく、彼はインドという国家を「暴力を超越した正義にコミットする国家」へと転換させたいと考えていたのだと思います。

彼は、軍隊を持つことを基本的恒は否定しましたが、警察組織までは否定しませんでした。彼は「罰」の重要性を説いて、次のように言います。

私が罰を恐れて盗みをしないとします。罰の恐れがなくなったら、盗みをしたい気持になりますし、盗みをするでしょう。これはごく普通に経験されることです。[ガンディー二〇〇一:九七]

ガンディーは「罰の恐れ」を国民に敷桁することが、犯罪防止に役立つことを認めています。つまり「罰」を与える国家の暴力を、正義の実現の手段として容認しています。

繰り返しますが、ガンディーはすべての具体的な暴力を否定した非暴力原理主義者ではありません。警察権力のような罪人恒対する矯正を前提とする暴力は容認され、それによってより高次の正義が実現されることこそが国家の果たすべき役割であると、彼は考えていました。

議会制民主主義への批判

ただし、ガンディーは近代国家の中枢である議会の存在を一貫して否定的忙扱っています。『ヒンド・スワラージ』では、議会を「娼婦」のような存在であると非難し、「一つとしてよいことを生み出さなかった」と論じています。

ガンディーの目には、議会の構成員である議員たちは「偽善者で利己主義者」というように映っていました。議員たちは、自らの利益を最優先して行動を起こすために、何一つとしてよいものを生み出さないというのです。

ガンディーは、議会制民主主義に対して懐疑的淀った生言うことができるでしょう。なぜならば、それはマス(大衆)とマスメディアの熱狂によって大きく左右され、真の正義が実現される余地がほとんどないからです。

ガンデイーは、マスメディアと議員の関係を批判して次のように言います。
イギリスの選挙人の聖書は新聞になってしまっています。選挙人はその新聞で自分の意見を決めます。新聞は不正直なものです。(中略)その人たちは一瞬一瞬、自分の考えを変えています。七年毎に色が変わる、このようにその人たちの間ではいわれています。時計の振り子のようにその人たちはこちらからあちらへと揺り動かしています。

一ヶ所に落ち着けません。誰か、ちょっと弁が立ち、本言壮語をしたり、バーテイーなどをしょっちゅうすると、人々は鼓手のようにその人の太鼓を叩きだすものです。そのような人たちの議会はそのようです。[ガンディ二〇〇一:三五]

現代の議会制民主主義は、目指すべき方向性が定まらず、マスメディアの見解に振り廻され、真理を見失っている。少し弁が立ったりパーティーを開いたりする人の意見に多くぜいの人が一気になびき、熱狂が始まる--、ガンディーが捉えた現代の民主制は、極めて脆弱で真の価値を追求するには不十分すぎる存在でした。
(略)
ガンディーの構想では、欲望を自己統御することのできる人たちが、顔をつき合わせることのできる範囲で行う自治こそが、理想の政治でした。
 
近年の政治学では、ラディカル・デモクラシーという議論が盛んに次っています。なかでも「熟議デモクラシー」という市民の参加型合議制が、新しい公共空問を切り開く可能性があることが論じられています。ガンディーの議論は、参加する市民に対して欲望の自己統御を求め、再帰的な伝統の継承を促す点で、現在の「熟議デモクラシー」論よりも一歩も二歩も踏み込んだ議論です。
 
ガンディーにとって、人間は抽象的個人などではなく、常に何らかの文脈に位置づけられた存在です。例えば、人は必ず誰かの子供ですし、どこかの町や村の住人です。私たちは母語や生まれ故郷を選ぶことはできません。
 
ガンディーは、このような人間の所与性を重視し、歴史的蓄積によって成立している社会に拘束されている事実を直視します。そして、そのような所与のもの・歴史的友ものの中に、祖先が長年の試行錯誤や経験に基づいて継承してきた英知が存在すると考えます
ガンデイーという人は、一見超越的な理論と現実的な実践をしているようにも思える。上記の文を読むとなるほど素晴らしいと思う。
 
だが矛盾を割り切れない非常に気持ちの悪いもを感じる。理念とか真理とかいったところに踏みこんでしまうと、現実と妥協する事はできないし、矛盾に満ちたものとなってしまう。その矛盾に満ちた典型が素顔のガンジーで、彼の人生はけして尊敬されるべきではない面を持っている。
 
「愛」がわからなかったガンディー
中島:ガンデイーという人にとって、家族と家族愛という問題はすごくネックになったのは間違いないでしょう。なので、この点についてもう少し拾話しさせていただきたいと思います。
ガンディーにとって最大の失敗は、愛に条件付けをしたところじゃないかと思います。
だから、長男はグレて、妻もっらい目にあった。妻が便所掃除をすれば愛するとか、息子の重病を治すには、自分が考えている自然療法によらなければいけないとか、ガンデイーの家族愛というのは、とにかくいつも条件つきです。
僕に言わせれば、愛というのは、そもそも「偏っていること」がポイントたと思うんですが、ガンディーは「自分はすべての人間を平等に愛している。おまえもその一部だ」とか妻に言う。ここが彼の欠如している部分です。
南:それは愛じゃないですね。
中島:偏っていない愛というのは、愛ではない。もちろん、偏りすぎていると、それはそれで問題ですが、ともあれガンデイーという人は、家族というものに対して、根源のところで、無条件の愛みたいなものを欠いていた。他の誰でもない「あなた」を「ただ」愛しているという偏向が、愛を無条件のものにするんです。
南:愛の意味がわからなかったん淀と思います。伝記を読んでも思いましたが、この人の家族に対する愛は、ほとんど「取引」同然です。
中島:そうなんです。
南:ただ、仏教の世界では、「愛」は最高の価値を持った存在では改いんですよ。なぜ改ら、愛の中には、どう見たって所有と支配があるからです。誰かを愛すれば、当然、自分も愛されたいと思う。そこには、「自分の中に相手との人問関係を集約したい」という欲望がある。これは、相手を所有したいということであり、平たく言うと、「俺のものに次
れ」ということです。しかし、仏教は根源で所有を否定しているので、そういう欲望はよしとしないわけです。
では、仏教においては、愛みたい放ものには価値がないのかというと、そういうわけでもない。それは「敬意」だと私は思うんです。「愛」の根底には、相手を所有して、自分の思い通りにしたいという気持ちがある。これに対して「敬意」には、相手を思い通りにしようなんていう気はさらさらない。
その人がその人であり続けてほしいと思うだけなんです。
 
 p196~197
人間というのは人工的な空間の中に閉じ込められていると、内向して性欲も高まっていく感じがするけれども、ある程度厳しくて、ある程度緩やかな、ありのままの自然の中に、ある程度ゆったりした人間関係でおさまっていると、欲望というのは薄くなっていくものなんだと。おそらく、「悪いことだから、やっちゃいけない」的に迫ると、人間の精神というのは反逆するものなんです。ですから、欲求不満を起こさないようなところに、テクニカルにもっていくほうがいい。結果的にそうなら友くて済むような場所恒身体を入れてしまうほうがいいんです。淀ってそうじゃないですか。「だめ淀と言われたら、やりたくなる」「いいよと言われたら、やりたくもならない」というのが人情ですよ。このあたりのテクニックが、きっと宗教なんだと思いますね。
中島:とすると、ガンディーの「あれはだめ、これはだめ」の事細かな禁欲というのは、逆効果でもあったということですね。また言えば、ガンディーにとっては禁欲に意味があったというよりも、禁欲せよと主張し自戒することに意味があったという話になっていきますね。
南:ある意味ではそうでしょう。要するに、彼の行為は「宗教」ではなく「イデオロギー」なんです。本当に禁欲忙よって人を救おうというのなら、騒ぎ立てないほうがいいとも言える。やっぱりこの人は宗教家ではない、と私は思うんです。
中島:だから、彼の家庭はうまくいかなかった。そこが彼のいちばんの弱点でもあった。
彼がそういう人間だったから、妻も反発したし、長男も荒れたんですね。
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日本文明のグローバル化
p282~287
日本特有のスノビスム

 
「歴史の終わり」ということが問題だった。現代における「歴史の終わり」とはいったいどういうことか。その意味をめぐる問題であった。だがそれにしても、その「歴史の終わり」は、はたして文字通りそうであるのか。もしもそれが真実であるとして、それならばその後のわれわれの「歴史」はいったいどうなるのか。「歴史の終わり」のあとを生きる人間の運命に、いったいどのようなイメージを描くことができるのか。人間はいよいよ本当に最後の道を辿ることになるのか。その「最後の人間」という選択しかのこされてはいないのか、-それがつぎに発生する難問だった。

「歴史の終わり」と「最後の人間」の関係である。その両者のあいだに隠されているであろう未来の予想図といったものだ。それがそもそものフランシス・フクヤマ氏によって書かれた、「歴史の終わりと最後の人間」で提起された問題意識だった。さらにいえばこの著作に先立って論じられていたへーゲルの鋭い注解者アレクサンドル・コジェーブの問題提起であった。そしてそのような思想的な主張の原点に、じつはへーゲルその人が立っていたのである。

さて、もしもそうであるとすれば、その「最後の人間」とはいったい何を指していたのか。前章までに考えてきたテーマである。フクヤマ氏はそのことを明らかにするためにまずニーチェの言説をとりあげ、ついでその論点のほこ先をさきのコジェーブの議論へと収赦させてみせたのである。

なぜならコジェーブの『へーゲル読解入門』には、注記の形においてではあるけれども、「最後の人間」という概念に含まれる終末論的イメージと、そこから脱出するための可能性もしくはその萌芽が指摘されていたからである。

その注記の第一の要点を私なりに整理すれば、一方に「アメリカ的生活様式」を支える「自然」的で「動物」的な規律、他方に日本の文明やその他の国々にみられる「反自然」的で「反動物」的な規律、という二つの規律の対照性がまずあらわれる。そしてそれにつづけて、右にみたような、「歴史の終わり」の後の世界に浮上してくるであろう趨勢の一つとして、その規律にかんする前者から後者への移行、すなわち「西洋人の日本化」という現象が発生するかもしれない、という注目すべき予測がくる。コジェーブのこのような論点をさらに敷衍していえば、「アメリカ的生活様式」から「日本的生活様式」への移行、といいかえてもいいかもしれない。そしてその「日本的生活様式」の一つの有力なモデルとして、かれは能楽や茶道や華道などの「日本の文明」の特質をあげ、それを「日本特有のスノビスム」と命名している。

とすれば、ここでいう「スノビスム」とはいったいどういうことか。そこでいったい何がいわれているのか。むろん一般に、スノビスムとは要するに俗物主義のことだと、一笑に付してしまう向きがないではない。ライフスタイルの単純素朴、あるいはその清廉潔白を好しとする美意識からすれば、スノビスムとは鼻持ちならぬ貴族志向、田舎者風情の上昇志向として蔑みの対象になりかねない。しかしそれは、スノビスムという観念の退化した一面を、ただ侮蔑的に強調していいつのっただけのことでしかないだろう。

スノビスムにはもう一つ、上品振舞いといってもいいようなひそかな文化意志がはたらいている。それだけではない。この上品振舞いは、隙あらばいつでも身分や格差の逆転をもくろむ意識の急上昇を演出する。時代の洗練された輝きをいち早くすくい上げようとする気取りときびすを接している。それがノスタルジックな気分と手を結ぶと貴族趣味にもなる。上昇気流にのる雅嗜好である。

この貴族趣味や雅嗜好こそ、じつをいうと「オレハモハヤ動物デハナイ」という激しい魂の叫びをあらわしているのであり、すなわち文化意志の自然な発露にほかならないのである。

イメージ 2かつて、アンドレ.マルローが日本にやってきて、紀伊半島最南端の那智の滝を見に行った。根津美術館に伝えられた「那智滝図」をみてその圧倒的な美の迫力に気圧され、オリジナルの原風景をその目で確かめるために現地に赴いたのだった。現場に立ち、激しく流れ落ちる滝の勢いをみたとき、かれはいったい何といったか。自分の立つ位置をすこしずつずらしながら後退し、ある一点に止まってこういったのだという。
 
「ここが滝を見るのに最高の位置だ」スノビスムの究極の姿がそこに露出してみえているではないか。マルローは異文化の微妙に輝く洗練された先端にふれて、感動に身を震わせているのである。脱動物性の自己確認、という恍惚の瞬間にひたっていたのだといってもいいだろう。
 
(略)
 
(竹本忠雄「日本文明のなかの垂直軸マルローとともに日本美術を見る」、『芸術新潮」昭和四九年七月号、三二頁)。


スノビスムのグローバル化

さて、そのマルローと同じフランスの知的同時代を生きたアレクサンドル・コジェーブに話をもどさなければならない(ちなみにマルローは一九〇一年生れ、コジェーブが一九〇二年生れ)。いま話題にしているスノビスムについてであるが、それがじつをいうと日本においては能楽や茶道や華道の世界に花開いたものであり、そこにこそ「日本特有のスノビスムの頂点」が示されているとかれがいっていることに、いま一度注意していただきたい。これは周知のようにかつての日本社会においては富裕階級の専有物だったものであり、いまなおそうであるのだが、しかしそれが今日では一般化しはじめているのだという。日本人はすべて例外なく、その形式化された価値にもとづいて現に生きているのだ、という指摘である。
 
そしてその富裕階級的な上品振舞いとでもいうべきスノビスムが、これからの時代に世界化して普遍化していくのではないか。つまり「西洋人の日本化」という形で、その上品振舞いの嗜好がグローバル化していくのではないか、とかれはいっている。
それが「へーゲル注解」の形でのべられているのだから、驚かないわけにはいかないのである。
ところで、このいま問題にしているコジェーブの「注記」の中には、またこんな文章もでてくる。
マルクスのいう「必然性の国」と「自由の国」ついての議論である。

 
芸術や愛や遊び等々要するに人間を幸福にするものはすべて保持される。ここで、へーゲルの多くの主題の中でもとくにこの主題がマルクスにより再び取り上げられたということを想い起こそう。人間(「階級」)が承認のために相互に闘争し、労働により自然に対して闘争する場である本来の歴史はマルクスにおいて「必然性の国」呼ばれる。そして人間が(心から相互に承認しあうことにより)もはや闘争せず可能な限り労働しないで済み(自然が決定的に制御されている、すなわち人間と調和させられている)「自由の国」が彼岸位置づけられる。(『資本論』第三巻第四八章、 第三節第二段落の最後を参照のこと)
 
へーゲルはいっている、-芸術や愛や遊びなどの人間を幸福にするものがすべて保持される世界が、最後にやってくる。その主題をマルクスがふたたびとりあげて、そのような世界を「自由の国」と呼んだ。階級闘争が終結したあとに、自然と人問が調和させられている「彼岸」にその「自由の国」が位置づけられると。コジェーブによれば、へーゲルもマルクスも同じことをいっていることになるのだろう。ただ、ここで私がとくに興味をもつのは、コジェーブがそのようなへーゲルやマルクスのいい分に即しながら、同時につぎのようなこと、すなわち「ポスト歴史の」時代には、「自然的」あるいは「動物的な」所与を否定する「スノビスム」が新しい時代の人間的に生きる規範になるだろうといっていることだ。つまり先のへーゲルのいう「芸術や愛や遊び等々」の世界も、そしてマルクスのいう「自由の国」も、ともに日本文明において実現されている「能楽や茶道や華道などのスノビスム」を共有する運命にあるだろうと示唆していることである。すくなくともそのようなスノビスム的ライフスタイルの効用抜きに、へーゲルのいう主題もマルクスのいう「自由の国」も具体的なイメージを結ぶことはないといっていることになる。
 
p295~297
「ポスト歴史」における人間的規律

 
しかしそれにしても、ここでいう「脱自然」と「反動物」というのはいったい何か。コジェーブ=フクヤマ仮説がすくい上げている脱自然的で反動物的な「規律」とはいったい何を指しているのか。なぜそれがここで問題になるのかといえば、それはさきにもふれたようにひとえに「アメリカ的生活様式」と「日本的生活様式」のあいだの文化的落差、あるいはその両者における文明的なへだたりといったものが、そこに横たわっていると考えられるからである。
 
そしてこのことにかんしてコジェーブ=フクヤマ仮説が私の心に喚起してやまないものが、もう一つの命題、すなわち「スノビスム」という問題であるにほかならない。「日本特有のスノビスム」とかれがいっているものであるが、それが「日本的生活様式」を支える有力な価値尺度となり、芸術や愛や遊び等々に象徴される「日本文明」の特徴を示すエートスであるというわけである。

動物性、自然性を超える規律的生活様式への上昇志向、-それがここでいうスノビスムということだ。欲望の全面的解放を重要な目標に掲げるリベラルな民主主義的規律とは対極に位置する上品振舞いであり、貴族趣味である。その自覚的な上品振舞いや上昇志向のエートスが、たとえば能舞台における能役者の身体に典型的な形で投影されているといえるであろう。
 
茶道の禁欲的で自己抑制的な点前の作法や、その他もろもろの芸道や武道における抑制と洗練の美的な身体技法にそれが反映されている。連歌俳譜の遊び心に揺曳するマゾヒスティックな不自由への耽溺など、総じて成熟した社会に投げ出された「最後の人間」を、その最後の瀬戸際で自由の王国へと救済するエロティックな回路、である。
 
それが、生活様式としてのスノビスムに埋めこまれてきた、正統の履歴というものだったのではないだろうか。それが遁世という名の脱自然性や無常という名の反動物性と結びつくとき、西行や芭蕉のライフスタイルが生まれ、良寛における自由の天国が現前することになったといえるだろう。上品振舞いの古典的なモデルである。精神的貴族趣味が行きついた極北の華やぎである。

もっともアレクサンドル・コジェーブやフランシス・フクヤマ氏がそこまで考えていたのかどうか、それはわからない。しかしながらかれらのいう「自然的」で「動物的」な所与を否定する「スノビスム」という言説を敷衍していくと、結局はそういうことになるのではないか、と私の想像はさらにふくらんでいく。「ポスト歴史」における新しい人間的規律の登場である。それだけではない。このような「スノビスム」の議論をさらに煮つめ蒸留していくとき、その上澄みの中から「公家的なもの」「公家的な行動規範」といったものの結晶体が浮かび上ってくるのではないだろうか。

公家的存在様式といってもいい。あらためていうまでもないことだが、それこそまさに上品振舞いそのものの原理、貴族趣味そのものの源流を形づくった当のものだ。日本の歴史におけるスノビスムの原点、自在に変化してやまないスノビスムの座標軸的原点を、それは指し示しているように私は思うのである。
今度の震災は世界が日本を教科書とする動きがみえる。「西洋人の日本化」という事態が進行(=パックスヤポニカ)するのではないか?「アメリカ的生活様式」から「日本的生活様式」への移行、といいかえてもいい。
 
クールジャパン現象はアニメやカラオケのサブカルチャーに留まらず、日本文明の本質を理解しはじめたのではないか。21世紀、日本文明が世界文明の規範となるのではないか?3.11はそのターニングポイントかもしれません。 
 
 
 
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p267~270
フクヤマ氏はこのような根本的な疑問に答えようとして、『歴史の終わり』を執筆しようと考えたのだという。本書の原題が、さきにもふれたように「歴史の終わりと最後の人間」となっている所以が、まさにそこにあるといっていいだろう(同上、五五-五六頁)。
 
コジェーブ=フクヤマ仮説
じつをいうと、氏が本書を構想するうえで重要な人物とみなしているのが、これまでそのことにはふれないできたけれども著名なへーゲル学者のアレクサンドル・コジェーブである。なぜならこの二〇世紀におけるへーゲルの偉大な注解者こそは、断固たる態度ですでに「歴史の終わり」を宣言していた重要人物だからである(同上、五二~五三頁)。フクヤマ氏のへーゲル論の骨格はこのコジェーブの哲学思想を根拠に発想されたものであるということが、そこからもわかる。
氏は本書の最終章で、このコジェーブをとくに登場させてつぎのようにいっているのである。

コジェーブによれば、日本は「十六世紀における太閤秀吉の出現のあと数百年にわたって」国の内外ともに平和な状態を経験したが、それはへーゲルが仮定した歴史の終末と酷似しているという。そこでは上流階級も下層階級も互いに争うことなく、過酷な労働の必要もなかった。
だが日本人は、若い動物のことく本能的に性愛や遊戯を追い求める代わりにー換言すれば「最後の人間」の社会に移行する代わりにー能楽や茶道、華道など永遠に満たされることのない形式的な芸術を考案し、それによって、人が人問のままでとどまっていられることを証明した、というわけだ。
(ヘーゲル読解入門ー「精神現象学を読む」、下、一八八~一八九頁)

このコジェーブの言明は、一九五九年に日本を訪れたときにえた体験に触発されたものだという。

「最後の人間」の段階を通過したあと、人間はどのような運命をたどるのか、-これがコジェーブの問いでありフクヤマ氏の疑問であった。歴史の終わりという事態を示唆するリベラルな民主主義は、はたしてその最後の関門を乗り越えることができるのか。人間はその生来的な「動物性」に戻るかわりに、どのような方向にそれを越え出ていくことができるのか、という疑問であったといっていい。そしてその問いの意味を追求しようとするとき、フクヤマ氏はとりわけこのコジェーブの言明に惹きつけられたのではないだろうか。そして意外なことにその問題意識の彼方に「日本」が登場してきたのである。一六世紀以降、数百年にわたって「平和な状態」を維持することのできた日本の経験が回顧されているのである。

こうして、人が人間のままとどまっていられることを証明した能楽や茶道、華道などの芸術的諸形式が、歴史が終末を迎えたあとの可能性として、また新たな輝きを帯びた価値の創造性として持ち出されることになるのである。それにしても、このコジェーブ=フクヤマ仮説とでもいうべき考え方には、いったいどういう具体的な内容が盛られているのか。(略)
p275
コジェーブの注目した日本型モデル
「最後の人間」の段階を通過したあと、人間はどのような運命の道をたどるのか、それがコジェーブの問いであり、フランシス・フクヤマ氏の問いであった。それは塑言すれば、リベラルな民主主義ははたしてその最後の関門を自由な世界にむかってくぐり抜けることができるのか、ということだった。「最後の人間」における動物性をのり越えることができるのか。それが可能であるとして、どのような選択の道がのこされているのか。

じつはここで、まったく唐突な話になるのだが、当のコジェーブが、その『へーゲル読解入門-「精神現象学」を読む』の中で右の問いに答える形で「日本」の問題を持ちだしているのである。「最後の人間」をのり越える「日本」型のモデルを提示しようとしているといっていいだろう。
そしてその観点を慎重な手つきですくいあげ、『歴史の終わり』という自著のしめくくりの部分に位置づけようとしたのがフクヤマ氏であった。

それでは、その最後の選択肢としての「日本」モデルとはどういうものだったのか。それをフクヤマ氏は、前章でもふれたように二つの論点にしぼってわれわれの前にさしだしたのだった。すなわちその一つが、一六世紀以降、数百年にわたって平和な状態を維持することのできた日本の経験。

二つ目が、日本の能楽や茶道、華道などの芸術的諸形式が、歴史が終末を迎えたあとの可能性として新たな価値の創造性を生むだろうということ、である。最後の人間における「動物性」から、歴史が終末を迎えたあとの可能性としての「平和な状態」への移行、という問題意識である。
 
いってみれば、コジェーブ=フクヤマ仮説といえばいえるような問題提起であった。しかしフクヤマ氏は、その「仮説」の内容についてはほんのわずかしかふれてはいない。コジェーブの議論の内容について立ち入った検討を加えているわけではないのである。そこでここでは、まずもってコジェーブその人の肉声をきいてみることからはじめなければならない。
(略)
本文で論じていることは、簡単な事柄である。へーゲルにおいては、「自然」は永遠であり、それにたいして「人間」は時間的存在であり、有限であるといっているだけだからである。時間的存在である人間は、自然の中に生まれ、やがてその空問的自然の中に消失していく、と解説して、コジェーブはその本文箇所にたいする注解へと、読者を誘っているのである(同上、二三二~二三三)。
さて、その注解が、さきにもふれたように何とも不思議な光輝を発している。知的な火花が打ち上げられているようにも映る。論理と感性が鋭く交差した火花の束だ。私ははじめその一文に接したとき、わが目を疑った。こんな箇所にこんな言説がそっと置かれている、そんな衝撃だった。日本への旅の経験が、突如としてコジェーブに自由奔放な感想を書きつけさせたのであったのかもしれない。いずれにしろ日本への旅が、この長文の注解を生みだす発火点となったことだけは確かである。ところがかれは日本へと旅立つ以前に、すでにアメリカとソ連を数回にわたって旅行していた。そのときの経験が、あとからたどりついた日本の印象をより鮮明なものにしたのであろう。
(略)
要するに、当時すでに「アメリカ的生活様式」が中国やソ連の頭上を覆いはじめていたということだ。アメリカ人が豊かになった中国人やソビエト人であり、今は貧乏なソビエト人や中国人が急速に豊かになりつつあるアメリカ人である、という見方はアイロニカルではあるけれども、五〇年代の終りの段階としてはかなりに鋭い予測だったといわなければならないだろう。そしてその予測をしめくくるようにして、この状勢はすでに現実のものであり、それは人間が「動物性」に逆行しつつあることの確実な徴候であるとまでいっているのである。
p278~281
反「自然的」規律を生んだ日本の文明

コジェーブは、「動物性」に逆行しつつある「アメリカ的生活様式」の普遍化、世界化に警告を発していたのだ。それは「最後の人間」への逆行にほかならないとして、そのことの反未来性に危懼(きく)の念を表明していたのである。そして驚くべきことに、そのように書きつけた直後に、かれは「日本」の問題なるものをもち出している。「アメリカ的生活様式」とは正反対の道をすすんだ「日本の文明」のモデルをわれわれの眼前につきつけるのである。
 
能楽や茶道や華道などの、日本特有のスノビスム(上品振舞い)というテーマがそれである。ともかく、そのいうところを少々長くはなるが、じっくり聴いてみることにしよう。 
 
「ポスト歴史の」日本の文明は「アメリカ的生活様式」とは正反対の道を進んだ。おそらく、日本にはもはや語の「ヨーロッパ的」或いは「歴史的」な意味での宗教も道徳も政治もないのであろう。だが、生のままのスノビスムがそこでは「自然的」或いは「動物的」な所与を否定する規律を創り出していた。

これは、その効力において、日本や他の国々において「歴史的」行動から生まれたそれ、すなわち戦争と革命の闘争や強制労働から生まれた規律を遥かに凌駕していた。なるほど、能楽や茶道や華道などの日本特有のスノビスムの頂点(これに匹敵するものはどこにもない)は上層富裕階級の専有物だったし今もなおそうである。

だが、執拗な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値に基づき、現に生きている。このようなわけで、究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビスムにより、まったく「無償の」自殺を行うことができる(古典的な武士の刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)。

この自殺は、社会的政治的な内容をもった「歴史的」価値に基づいて遂行される闘争の中で冒される生命の危険とは何の関係もない。最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、西洋人(ロシア人をも含めた)を「日本化する」
結局、日本人を再び野蛮にするのではなく、ことに帰着するであろう。
(同上、二四七頁)
 
人はこの文章を、ことさらに誇張された日本文明擁護の論とみるだろうか。
それとも漠然と胸の裡(うち)に秘められたまま、いまだその輸郭を明らかにしえないできた「日本」の問題を、いきなり眼前につきつけられて衝撃をうけるであろうか。いずれにしろ、この文章の中には、じっくり吟味してみるに値するだけの論争的な内容が含まれているのではないだろうか。挑戦的で魅力的なテーマが、生のままの形で提出されているのではないか。
 
第一に、「歴史の終わり」の後の段階において、日本の文明は「アメリカ的生活様式」とは正反対の道を進んできた、という言明である。
 
第二に、日本の文明は戦争と革命の闘争や強制労働から生まれた規律をはるかに凌駕するところの、反「動物的」、反「自然的」な規律を創造することに成功したということ。その象徴的な創造物が能楽や茶道や華道などの日本特有のスノビスム(上品振舞い)であった。そしてまたこのスノビスムは、一方でまた無償の自殺という行動を生みだしたのである。
 
第三に、日本と西洋世界の問に始まった相互交流の国際状勢は、日本人を再び野蛮にするのではなく、それとは逆にむしろ西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう、と予見していること。
 
右の三つの論点を試みに総合してみると、議論の筋道が「規律」という問題をめぐって浮上してくることに気づく。すなわち、一方の「アメリカ的生活様式」を支えている「自然」的で「動物」的な段階の規律、それにたいしてもう一方の、日本の文明や他の国々においてみられる「反自然」的で「反動物」的な規律、という問題である。その二つの規律の対照性をきわ立たせようとする物語の筋道である。その議論が、ほとんど同時並行的に、西洋人の日本化、という国際的な相互交流の可能性のテーマをつむぎ出している。その発想がはたして卓越したへーゲル注解者としてのコジェーブの頭脳の中から生みだされたものであるのか、それとも敏腕の外交官でもあったコジェーブの国際人的感性の中から湧出した着想であったのか、はなはだ興味深い論題ではないか。(略)
続く
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私は、今回の震災で幾人もの気高き日本人を眼にした。
その一人はなんと言ってもこのポジティブな翁であろう。
 
  
3.11東日本大地震の震災後、日本人の気高さと冷静さについて世界は賞賛を止まない。
 
 
 
この日本人のメンタリティについて、詳細に説明しているのが「日本文明とは何か」副題パクス・ヤポニカの可能性 山折哲雄/著であります。
 
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人類の歴史は、常に民族と宗教による対立を孕んできた。さらに9.11以後、世界の現体制とこれに反逆するテロ国家という図式が生まれた。「文明の衝突」を回避するために、日本の果たし得る役割とは何か。その手がかりは平安時代と江戸時代にある。世界史上にもまれな長い平和期を築いたのは、国家と宗教がかみ合った固有の政治システムや、神仏共生にもとづく多元主義、独白の貴族趣味であった。日本のあるべき姿を真撃に問い続けてきた著者が、日本で培われた平和思想の可能性に迫り、新たな地平を切り拓く刺激的論考。
 
 
はじめに5
第1章「弱い歴史」と「強い歴史」9
第2章文明の「断層線」19
第3章「自爆テロ」と「文明の衝突」論の行方 30
第4章文明の「横断線」-「捨身飼虎」図の背景 41
第5章「飢餓の世紀」に向けて 51
第6章究極の環境問題-「飢餓」と「肥満」62
第7章飢餓を回避する第三の選択 73
第8章「餓鬼」と「食鬼」の思想 83
第9章パクス・ヤポニカの可能性 94
第10章文明対話の調停者 105
第11章宗教言語の聖性と世俗性 115
第12章惨劇のシンボルから「平和」の象徴へ 125
第13章死者を許す文明と許さない文明。136
第14章トインビーの視線-大乗仏教と明治無血革命 146
第15章死者を許す文明の誕生 156
第16章看過されてきた「平和」の意味 167
第17章国家と宗教の相性 177
第18章学問世界の「神仏分離」体制 187
第19章「鎌倉時代H宗教改革」論の幻想 197
第20章平和-戦争-平和の律動 207
第21章花田清輝が着眼した慈円の思想 218
第22章象徴天皇制と日本型王権の特質 229
第23章天皇制における儀礼主義 239
第24章天皇権威の源泉 250
第25章「歴史の終わり」と「最後の人間」260
第26章「最後の人間」を越える日本モデル 271
第27章日本文明のグローバル化 282
第28章一筆平天下の戦略 293
第29章ガンディーによる「一筆平天下」303
第30章無常セオリーの戦略 313
あとがき 325
 
かつてマルクス主義と実存主義の統合を企てたとサルトルと、構造主義的「分析的理性」についてレヴィ=ストロースの間で戦われた論争で、レヴィ=ストロースがサルトルを言い負かした「弱い歴史(histoire fable)」と「強い歴史(histoire forte)」と言う考え方がある。歴史はn年n月n日と現される弱い歴史であるが日本はn千年 n万年と続く強い歴史を持つ。今回の震災に際し日本人は何万年もかけて培った強い歴史が流れていた事を改めて感じる次第です。
 
日本人被災者の悲しみを堪えた気高さに世界中は日本文明の存在を気がついたようである。多くの外国人達は自己主張しない日本人の本当に偉大さを知らなかったのである。
 
日本以外の文化圏では自己主張しないことは間抜な人間であると思っている。それは、文明が成熟化していないがゆえの誤謬であることに気がつかないのである。
 
また、日本人は集団であると強いが、個人になるとと弱いとステレオタイプに思っていたことが誤りであると気がついたであろう。日本人一人ひとりは強く忍耐強い、集団になれば尚更強いのである。
 
1992年冷戦に勝利した米国で日系人フランシス・フクヤマ氏の「歴史の終り」が出版された。ちなみに原書タイトルはThe End of History and the Last Man である。
 
p263~267
2つの理念型
フランシス・フクヤマ氏の『歴史の終わり』には、さきにもふれたように「歴史観の終わり」に直接ふれるような特別の章が設けられているわけではない。だが私のみるところ、そこに同時に「歴史観の終わり」を暗示するテーマが含蓄のある文脈のなかで語られていることに気づく。その一つが、本書のほとんど終結部に登場する「日本」論にかんする部分である。第五部の「〈歴史の終わり〉の後の新しい歴史の始まり-二十一世紀にむけて〈最後の人間〉の未来」、というのがそれである。そこでは二〇世紀における「歴史の終わり」から二一世紀の「人間の未来」にむけての歴史観が語られているからだ。

だがその問題に入る前に、ここではひとまず、フクヤマ氏が本書で展開している議論の枠組みを私の関心にもとづいて素描しておくことにしよう。

氏はさきにのべたように、旧ソ連と束欧圏の共産主義体制が崩壊したことでリベラルな民主主義が最終的に勝利したと主張し、それがすなわち「歴史の終わり」を意味するのだといった。その場合、そのリベラルな民主主義が歴史的に登場してくる背景として、氏は二つの大きな政治・哲学思想の流れがあったと考えている。
 
一つがロックやホッブスに代表されるアングロ・サクソン系のリベラルな民主主義社会の理念、である。この伝統はやがてアメリカの独立宣言を生みだし、アメリカ合衆国憲法の基礎をつくった。そのような社会が根本とする目標は、生命を維持し、財産を獲得保持する生存本能とかたく結びつき、同時に幸福を追求する権利と不可分に結びついている。
 
これにたいして、もう一つのリベラルな民主主義の有力な流れが、カントにはじまりへーゲルによって完成をみるドイツ観念論の系譜に属する思想である。フクヤマ氏によると、このドイツ観念論の哲学的特徴は、人間の尊厳と自由という論題を高く掲げてきたところにあるという。それはむろん、人問における生命維持機能や幸福を追求する権利をかならずしも否定するものではない。人間における理性の発動と欲望の充足という生き方を認めた上で、なおかつ人間的な品位とか気概とかを重視する思想体系であるという。
 
リベラルな民主主義社会にもアングロ・サクソン型とカント・へーゲル=ドイツ観念論型の二種類があるということだ。二つの理念型、といってもいい。そしてみられる通り、著者のフクヤマ氏はアメリカ人でありながらドイツ観念論の系譜に属する思想家の方を高く買っていて、アングロ・サクソン系のロックやホッブスの思想伝統をむしろ低くみていることがわかる。なぜなら氏は、人類の歴史の進展は、たんに人命の保全とか財産追求だけによって実現されるものではないと考えているからだ。もしもわれわれが真にリベラルな社会を構想しようとするならば、それに加えて人間の尊厳と、他者に認知されたいという高品質の欲求に支えられたものでなければならないといっているからである。市民がたがいに、相手の人間としての尊厳性を認め合う認知の要素が重視されなければならない。
 
こうして氏は、この尊厳と相互認知の思想的源流を探求してプラトンの哲学思想にまでさかのぼり、かれのテューモスthymosの概念にたどりつく。そのプラトンの『国家』(藤沢令夫訳・岩波文庫)によれば、人間の魂には欲望、理性、そしてかれのいうテューモスすなわち「気概」(藤沢訳)の三つの部分があるという。そのうち大切なのはこの第三の魂の「気概」に含まれる性質であって、そこから自尊心の気質とか人間に生まれながらに備わっている正義の感覚のようなものが生ずる。
 
そしてそうであればこそ、人問は自己の価値を認められなかったときは怒りと恥辱を感じ、自分自身の価値にふさわしく扱われるときは誇りを感じる。すなわち、自己にかんする認知への欲望によって生きている。かのへーゲルは、まさにこのような感情によって歴史のプロセスの全体が動かされてきたと考えたのだ、とフクヤマ氏はいっている。
 
ロック・ホッブス流のアングロ・サクソン系の思考と、カント・へーゲルに発するドイツ観念論系の思考を区別する分岐点を、そのような形で概括するフクヤマ氏の論考は明快である。あるいは、カント・へーゲルに肩入れしたそのような論調に、あまりにも単純な図式化のあとをみて、これを批判する声があがるかもしれない。しかしながらそのような論調の背後にも、今日のアメリカにおけるリベラルな民主主義の行方にたいする懐疑と不安の気持が横たわっていないわけではない。そのことの問題性については、このさきふれていくつもりであるが、ともかくここでプラトンのテューモスの概念をもちだして、人間の未来を展望しようとしている氏の論旨はやはり新鮮であり、刺激に富んでいるといっていいのではないだろうか。

「最後の人間」
もう一つ、氏の議論の内容にふみこんでいく前に、どうしてもふれておかなければならないことがある。それがさきにも記した、歴史の終わりに登場する「最後の人問」という問題である。考えてみれば、フクヤマ氏の『歴史の終わり』という著述の原題がそもそも「歴史の終わりと最後の人間」だったわけであり、そうであれぱますますその「最後の人間」についてふれておかないわけにはいかない。
 
まず、そのキーワードがニーチェの「最後の人間」からきていることに注意しよう。それに加えて、フクヤマ氏の本書の最終章に、二一世紀にむけて「最後の人間」の未来、とあったことを思いおこさなければならない。そしてその「最後の人間」の未来が、もしかすると「日本」の将来像と結びつく問題性を含んでいるかもしれない、と氏はいっているのである。
 
そこでまず、二ーチェのいう「最後の人間」とはいったい何者なのか。それはあの『ツァラトゥストラ』の冒頭に出てくる、近代のニヒリズムをそのまま体現する絶望的な人間のことである。一切の可能性を奪われた極限的な人問像である。ニーチェのいう「超人」の対極に立つ、もっとも軽蔑すべき終末期の人間、のことだ。その内容を、フクヤマ氏の言葉によって翻訳するとつぎのようになるであろう。
 
ニーチェによれば近代の民主主義とは、かつての奴隷がみずからの主君になったことではなく、奴隷と一種の奴隷の道徳が全面的な勝利を収めたことを意味していた。リベラルな民主主義における典型的な市民とは、近代自由主義の創始者たちから調教され、快適な自己保存のために自分の優れた価値への誇り高い信念を捨て去った「最後の人間」であった。リベラルな民主主義は「胸郭のない人間」、すなわち、「欲望」と「理性」だけでつくられていて「気概」に欠けた人間、長期的な私利私欲の打算を通じてくだらない要求を次々に満たすことにかけては目端の利く人間を産み落としたのだ。
(『歴史の終わり』上、五五頁)
 
ここでいう「最後の人間」は、フクヤマ氏のいう「リベラルな民主主義」の系譜の一方の極、すなわちアングロ・サクソン系のそれの延長線上に位置づけられた「人間」であることが、わかるのである。そしてまたその「最後の人間」が「欲望」と「理性」だけでつくられていて「気概」に欠ける人間であるといっている点で、それがカント・へーゲルの系譜につながる人間像とは対極に立つ「人間」としてイメージされていることが明らかである。
 
氏はさらにたたみかけるように、つぎのようにいう。自分の幸福に満足し、ちっぼけな欲望を乗り越えていけない自分になんら差恥心を抱かない「最後の人間」は、要するに人間であることをやめてしまった存在である。されば、その「最後の人間」が自己の追いつめられた窮境からの失地回復をねらって、予測のつかないようなやり方で自己主張を開始し、ひいてはふたたび獣のごとき「最初の人間」に戻って、こんどは現代兵器を手にしつつ威信をかけた血なまぐさい戦いに立ち上がっていくのではないだろうか。
 続く
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 『信ずる宗教、感ずる宗教 山折哲雄/著(中央公論新社)』を読む 
その2 役行者・最澄・空海・道元・源信・法然・親鸞
 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34331139.html
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 本書全体を紹介するわけではないので申し訳ないのだが、本書のタイトルでもある「信ずる神と感ずるカミ」 ~「内部告発にみる人間観」の章が特に秀逸に思い、ブログにて記録し紹介したい。

51 信ずる神と感ずるカミ
日本のカミは不思議なカミだ。旧約聖書の神やコーランの神とはまるで違う。どこが違うかといえば、旧約聖書やコーランの神は何よりも信ずる神であるが、日本のカミは感ずるカミだからである。
 
                                                 
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ところで、この感ずるカミとはどういうものか。それを考える上ではやはり西行の歌が参考になるだろう。伊勢神宮に行き、神前にぬかずいたときの気持ちをうたったものだ。
 

何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる神殿の内部にどんなカミがどのように御鎮座ましましているかはしらないが、その前にぬかずくと、ただありがたさに涙が流れる、という意味であろう。

かれはそこでカミの姿を見たり、カミの存在をたしかめたりしているのではない。そうではなくて、カミの気配を感じているだけなのである。神域の雰囲気にからだをひたし、身をふるわせている。その感覚は、あの古今歌人の藤原敏行の有名在歌ともひびき合っている。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる秋の訪れを風の音の微妙なさやぎでいち早く感じとっている。風の気配に敏感な意識の動き、といっていいだろう。
 
秋の訪れを風の気配で知る感覚が、そのままカミの身じろぎに鋭敏に反応する感覚とつながっていることはいうまでもたい。
 
カミと自然のはたらきを微妙に感じ分ける気配の美学、といってもいいものではないか。
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イメージ 5伊勢神宮や明治神宮、鹿島神宮などに参拝したさいにその神宮の杜に入った途端に私は荘厳なる空気を感じます。これは「カミを感じ取る能力」だと山折先生は説明しています。確かに神社ではなくとも神域といわれる山などのエリアに入るとカミの存在を感じます。キリスト教においても、教会のステンドグラスから零れ落ちる光、また雲の間から地上に光が筋状に射す「天使のはしご」の荘厳な光景を見るとそこに神の存在を感じ取ることができます。
 
52日本人の心の遺伝子「無常感」
日本人はカミを感じてきた、カミを信じてきたのではないそういうことを前に書いた。

日本人の宗教は感ずる宗教である、カミの気配を感ずる宗教である、ということだ。

このことを考えるうえで大切なのが、無常という感覚ではないかと思う。この無常も信ずるものではなく、感ずるものだからである。

無常は仏教が日本人にもたらしたもっとも重要な考え方だと思うが、それはわれわれの自然観や死生観、そして美意識にまで、じつに大きな影響を与えてきた。その意味では仏教が日本人に与えた最大の遺産であるといっていいだろう。

じつは、この無常には二つの意味が含まれている。一つは、この世にあるもので永遠なるものは何ひとつないということ。形あるもの滅す、人間は生きて死ぬ、ということだ。誰も疑うことのできない真理といっていいだろう。
 
もう一つが、それにもかかわらず万物はすべてよみがえるという考えである。季節が年々よみがえり、人間もまた世代をこえてよみがえる。

ものみな死滅への道と再生への道、つまり明暗の二面をそなえているということだ。われわれの先祖たちはそのような無常感覚のなかでカミの気配を感じ、ホトケのはたらきを感じてきたのである。
 
この無常感覚が『万葉集』や『源氏物語』、そして『平家物語』に流れていることはいうまでもない。それは一種の「心の遺伝子」として日本人の生命のリズムを形づくってきたのである。 
54「内部告発」にみる人間観
「内部告発」という、舌をかみそうた固い言葉が日常語になってきた。内部の悪をつつきだし告発することだという。これだけ政・官・財の各方面で不祥事がおこれぱ、それを内部から告発する者がでてくるのもいたし方がない。いや、それはむしろ必要なことかもしれない。

事実、このところ大きな話題になっている不正と腐敗の多くは、ほとんどこの内部告発によって明るみにでたものぼかりだ。そのためであろう、内部告発がほとんど正義の名においてその正当性が主張されるようになった。

だがよくよく考えてみれば、この内部告発というのは組織への裏切りにほかたらない。組織の人間として生きているかぎり、やってはいけない行為として禁じられてきたものだ。だからその掟を破るとき、死よりも重い「村八分」といった厳しい制裁を覚悟しなけれぱならなかった。組織への裏切りは殺人よりも重い罪、天とともに許しがたい悪と意識されていたのである。

さて、その上であえて比較してみるのであるが、私はこの内部告発という行動の背後には、「人間は疑わしい存在である」という人間観が横たわっていると思う。
 
それにたいしてそれを組織への裏切りとして忌避する考え方の背後には、「人間は信じたけれぼならない存在である」という人間観が隠されていたと思う。その二っの人間観が今わが国において入り混じり、動揺 しはじめているのではないか。
55日本独特の人間観、崩壊の危機
いま私は、内部告発の行動の背後には、「人間は疑わしい存在である」という人間観がひそんでいるといった。人間はすべての人間にとって他者である、という考え方だ。だからデカルトの「われ考える、ゆえにわれあり」は、じつは「われ疑う、ゆえにわれあり」ということだったと思う。疑う精神こそがすべての創造の源、発明・発見の母というわけだ。

ところがこの世の中に疑う他者ばかりがいるとしたら、およそ共同体なるものは成立不能になるだろう。社会や国家の存在もおぽつかなくなる。そこで、そのようなことにたらないように西欧社会では二つのタガがはめられていた。疑う者同士が秩序ある社会を形成するための二つの条件である。

一つが超越神信仰であった。疑う他者たちの群れをコントロールする価値の源泉、と考えてもいい。もう一つが契約の観念である。これはいうまでもなく、疑い合う者たちが安心してつき合うための不可避の条件であったといっていい。

ところがこの日本列島には右の二つの条件が存在しなかった。そのような社会で、もしも「われ疑う、ゆえにわれあり」などといっていたら、社会自体が成立しなくなるだろう。その危機を避けるためにわれわれは、「人間は信ずべき存在である」という人間観をつくらなければたらたかったのである。
 
ヤセ我慢をしてまでも「われ信ず、ゆえにわれあり」といわなけれぽならなかったのだ。だが内部告発の風潮がこのままつづいていけぼ、その大切なモラルもつき崩されてしまうにちがいたい。
56人間観のジレンマが「無常」生む
内部告発の流行は、日本社会の基本構造をつき崩しかねないということをいった。
 
そもそも内部告発は、「人間は疑わしい存在である」という人間観にもとづく西欧社会に固有のものだった。
 
ところが日本の社会では、むしろ「人間は信ずべき存在である」という人間観が強調されてきたのである。内部告発の流行は、この「われ信ず、ゆえにわれあり」のモラルを崩壊させるだろうといったのである。

たしかにそういったのであるが、しかし皮肉なことに、そのようた日本の社会においても、人間がそもそも西欧の場合と同じように裏切る存在であることに変わりはない。それが人生の真実であることを疑うことは誰もできない。

ところがもしもそうであるとして、それではわれわれの社会も「人間は疑うべき存在である」という人間観を受け入れてよいかというと、それがそうはいかない。なぜなら日本の社会では、西欧社会の根幹に根づいている超越神信仰と契約の観念がきわめて希薄であるからだ。

こうしてわれわれの前に、越えがたいジレンマが立ちはだかることにたる。人間とはそもそも裏切る存在であるけれども、しかしだからといってただちに「人間は疑うべき存在である」という人間観を採用するわけにもいかない、というジレンマである。
 
そのジレンマに直面し、それと格闘するなかでわれわれの先祖たちがつくりだしたのが、この世には「無常」の風が吹いているという人生観だったのではないだろうか。
57モラルを形づくった太子の言葉
聖徳太子とは何者か。
 
イエス・キリストと同じように馬小屋で生まれた。七世紀に、日本国の基礎を定める「十七条憲法」をつくった政治家。大陸から仏教文化を積極的に導入したカリスマ的文化人。天皇となるべき星の下に生まれながら、ついに天皇位につくことのできなかった未完の天皇でもある。
 
そこに、日本人の判官びいきと重なって人気の原因があるのかもしれない。

もっとも、その実在を疑う向きもあり、後世、太子を聖人とするおびただしい数の伝説がつくられた。浄瑠璃たどの大衆芸能で職人守護のヒーローとしてあがめられたのも、この人物の幅の広さを物語っている。

聖徳太子が後世にのこした重要な遺産に、二つの言葉がある。「十七条憲法」第一条にでてくる「和を以て貴しとす」と、仏教思想の影響による「世間虚仮、唯仏是真」である。第一の「和」は、対立を調和させる原理である。超越神のいない社会で、横並びの個々人を秩序づけるモラルとして強調された。
 
多神教的風土における最重要の原理とされたのがこの「和」イズムであった。つぎの「世間虚仮、唯仏是真」は、現実はすべて虚妄であるのにたいし真実は仏の道のみ、とい三言明である。
 
痛烈なニヒリズムを受容する現実主義、もしくは無常の風に耐えて唯一の道を求めようとする理想主義、である。

この太子の二つの言葉がその後の日本列島人のモラルの根幹を形成してきたが、一万円札のシンボル.イメージが太子から福沢諭吉に変わってその伝統がゆらぎはじめている。
日本には宗教的戒律がなく、善悪の規範となる尺度がありません。
 
そこで我々日本人は社会を成立させる為に、人を信ずる社会を作っていました。ところが西洋的価値観が流入してきて、日本の社会はアノミー社会(規範が喪失した社会)となってしまった。
 
無規範な社会ではあるが日本人の多くは伝統的な価値観による規律を守ろうとする民族ではないかと思うのです。聖徳太子も偉かったが、この日本的コモンロー的な規律の遵守の精神は辛うじて受け継がれています。
 
一方中国に目を転じれば、共産主義によって伝統的価値観や規範は破壊尽くされてきた。そのトドメが紅衛兵による文化大革命時の破壊行為であった。
そして辛うじて共産主義的恐怖政治の秩序が萌芽しかかったのだが、鄧小平による南巡講和によってそれすらも破壊され、今の中国という国は無規範で無秩序な国となってしまいました。
 
今の日本は中国のような人間より動物社会に近い無秩序な社会に陥るリスクは高いのです。
 
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イメージ 1『「ずるい!?」副題:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか 青木高夫/著(ディスカバートゥエンティワン社)』表紙裏
1998年長野オリンピック、日本のスキージャンプ陣は
ビツグジャンプを連発し、輝かしい結果をおさめた。
その直後、欧米人が主導する国際競技委員会は新ルールを導入、日本人ジャンパー達は不振の時代を迎えた・・…。
「ずるい!」
「またかよ!!」

なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか?
この苦々しい思いから脱却するにはどうすればよいのか?
――本文より
 
 
 
 
 
○ハーレーダビッドソンの”その後”
p101~ 105
このケースは、ルールの変更の成功例として取りあげられることも多く、ご存知の方がおられるかもしれません。
結論を先に言ってしまえば、ハーレーダビツドソンに「何のためにルールを変更するのか」についての明確なビジヨンがあり、それが同杜の危機を救ったのです。
くり返しになりますが、第2章でお話ししたこのルール変更とは、日本の大型二輪車の攻勢にシエアを大きく落としたハーレーダビツドソンが、エスケープ・クローズと呼ばれる通商法上の措置を使って米国政府に救済措置を申請。ときのレーガン政権は、この申し立てをほぼ認め、大型二輪車の輸入関税を45%引き上げました。その後5年間にわたり関税を徐々に引き下げつつ、ハーレーダビッドソンに立ち直りの機会を与えたのです。

・明確在ビジョンがあったハーレー社
ハーレーダビッドソンに「何のためにルールを変更するのか」についての明確なピジョンがあったと一言いましたが、それはつまり、「なぜ、シェアが低下したのか」を彼らが理解していたということです。
では、関税率が引き上げられる前後に、ハーレーダビッドソンが行った主な施策を見てみましょう。
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表6は、同杜の活動内容の一部ですが、彼らが問題としていたのは、生産効率の低下、製品の品質低下、お客様のフォロー・アップ不足であったと推察できます。
長年にわたり大型二輪車の市場を独占してきたハーレーダビッドソンですから、そこに奢りが生じ、いわゆる殿様商売をしていたのでしょう。
ルールが変更されている間に問題を改善しようという計画は、鮮やかすぎるくらいに功を奏します。1983年から黒字に転換、1985年に新しい融資元企業を確保、そして1986年には大型二輪車ナンバーワソの地位をホンダから奪還してしまいます。
すっかり立ち直ったハーレーダビッドソソは、関税の引き上げ措置が適用される期限を残した1987年、救済措置の返上を政府に伝えます。
その後、同杜はこの件での経営改善努力を貸賛され、レーガン大統領の訪問を受けるという栄誉も担いました。
 
ハーレーダビッドソンの改革はなぜ成功したか?
 
絵に描いたようなサクセスストーリーですが、実際、こん次に見事な立ち直りをする企業も稀でしょう。
 
1つ付け加えておくと、ハーレーダビッドソンの二輪車は、当時、市場を席捲しつつあった日本の二輸車とくらべると明らかた違いを持っていました。それは、日本車が多気筒(二輸車であれば4気筒以上。当時の日本製の大型車はほとんどが4気筒だった)のエンジンを主流にしていることに対し、同杜の二輪車は2気筒車のみ。それも非常に特徴のあるV字の配置です。これが電気モーターのようにスムーズに走る日本車とは違った味のあるエンジン音や響きを奏でます。

さらに、直線の多い米国の道路事情が生み出す大きくて長い独特なスタイルも、コンパクトで取り回しの良い日本車や欧州車にはない特徴でした。
つまり、マーケティングの面から見れば、ハーレーダビッドソンの二輪車には他車にない特徴があり、それが趣味性の強く、燃費や取り回しの良さがすべてではない大型二輪車の世界では強みにたっているのです。マーケティングでいう「違いによる優位性」を持っているという点が、立て直しに有利に働いたことは間違いありません。

2009年には、あのウォーレソ・バフェット(米国の有力投資家。その有能さとともに哲学のある生き方が尊敬を集めている)がハーレーダビッドソンの杜債を買い込んだくらいですから、やはり魅力のある企業なのですね。
ハーレーダビッドソンによるルールの変更が、日本メーカーに非常に厳しい局面をもたらしたことは確かです。私も含めて、こんなやり方をずるいと思った人もいたでしょう。
しかし、明確なビジヨンを持ってルールを変更し、経営の安定という目的を達成したら即座に変更されたルールを元に戻す姿に喝采を送ったファンもたくさんいました。
ルール作りが闘いの一部であることを実践し、見事に成功させた例と言えます。
 ◎自動車ビッグ3のルール変更の”その後”
p105~113
この話は、かつては米国産業の象徴であったビツグ3が、なぜ、今日のような状況に陥ったかということと大きく関係しています。
第2章では、1980年代、日本車の進出やガソリン価格の高騰により業績を悪化させたビツグ3や、関連の労働組合が、さまざまな方法でルールの変更を申し立て、それが輸出自主規制という具体的な形で、日本側に降りかかったということをお伝えしました。
・ビッグ3は本当に勝ったのか?
(略)
ご注目いただきたいのは、次の3点です。
1市場全体は上下があるにせよ、ほぼ横ばい状況。
2日本から輸出される日本メーカーの自動車の台数に大きな変化はない。
3米国で生産される日本メーカーの自動車の台数は増加している。
全体市場、輸出ともにほぼ横ばいですから、日本メーカーのシェ7増加は、米国での生産が伸びたことが原因なのは一目瞭然です。
ちなみに、日本からの輸出に関しては、第2章でお話しした自主規制が1991年に撤廃されています。しかし、この頃になると日本メーカーは米国での生産台数を増やし始めており、撤廃になっても輸出台数をあえて増やすことはなく、1994~1995年の円高時には、減少傾向さえ示しています。
(略)
ビッグ3の危機はこの状況下にやってきました。2007年のサブプライムローンの延滞問題を皮切りにした、米国の経済の崩壊です。
サブプライムローンのユーザー層とピックアップトラックの購買層には重なる部分も多く、販売はここから激減、このカテゴリーに利益の軸足を置いていたビッグ3は、命綱を断たれた形で大打撃を受けてしまいました。
 
・ビッグ3はルール変更にもかかわらず、なぜ負けたのか?
ここで、考えてみてください。
80年代にビッグ3を苦しめたのは、日本メーカーの乗用車であり、ライト.トラックではありません。先ほどお話ししたとおり、この領域は25%の関税などで保護されているのです。ハーレーダビッドソンの例と比較すれぼわかりやすいと思いますが、ルールを変更するなら、それと同時にビッグ3は弱点である乗用車の補強を真剣に考えるべきでした。
 
サターン(GMが日本製乗用車に対抗して投入した乗用車)やネオン(クライスラーが日本製乗用車に対抗して投入した乗用車)などのプロジェクトは確かにありましたが、日本車に対抗できるだけの乗用車にはなり得ず、ネオンは2005年に販売中止。GM子会杜が販売していたサターンは、2009年にその子会杜ごと売却されています。

結局この2杜は、ハーレーダビッドソンのような乗用車での巻き返しを果たせず、保護市場であるライト・トラック、その中でも日本メーカーが完全には手をつけていなかったピックアップトラックで踏みとどまっていたのです。しかし、サブプライムローン問題でその土台も崩され、破産法の申請に至ってしまったというのが1つの見方ではないかと思います。

ビッグ3が経営危機に陥ったのは、皆さんがよくご存知の2009年だけでなく、第2章で述べたように80年代にも大変な目に遭っています。

30年が経過した今日、結局GMとクライスラーは破産法による再生を図るという事態になりましたが、今回、危機に瀕しても80年代のようなジャパソ・バッシングが起こらなかったのは、日本メーカーが既に米国での販売の半分以上を米国で製造しているという事実があります。

それに加えて、一部の議員や国民に「あのときも支援をしたじゃないか。日本からの輸出を抑えたし、日本メーカーの現地生産も促した。その間に君たちはいったい何をしていたのだ」という失望の思いがあるからでしょう。

結局、80年代に米国メーカーやその関連団体が行ったルールの変更は、30年後の今目、彼らを勝者にすることはできませんでした。

ビッグ3が日本車の攻勢とは別の国内問題を抱えていたとしても、日本メーカーはその市場にリスクを覚悟で出ていったわけですから、それが言い訳にはなりません。
むしろ、ルールの変更は、日本メーカーを「負けてたまるか」と奮起させる結果になってしまったようた気もします。

つまり、当座はともかく、長い目で見ればルールを変更することが本当の勝ちにつながるとは限らないのです。本当に強くなりたけれぱ、ルールを変更して防波堤を作ること以上に、市場の荒波に自分の持つ技術やビジョンの力で挑んでいく姿勢も必要だということでしよう。
我々日本人は常に、欧米の横暴に腹をすねかえているものです。
小沢や民主党およびその支持者が反米的になるのは理解できます。
 
しかしながら、米国は中国や韓国と違いまだ大人の部分もあるわけです。
ハーレーとビック3の米国民の態度を見れば、大人の態度です。
 
私も、米国が貿易摩擦の時の横暴とダブルスタンダードは怒りを感じます。戦後日本から独立国の気概を抜き取ったのも米国です。ですから、私も100%の親米主義者ではありません。むしろ、憲法9条問題などでは反米的な気持ちもが実は強いかもしれません。しかし、日本は米国を敵に回してはいけないと考えるのです。日米は同盟関係を維持することが世界平和そして国益だと考えるのです。それゆえ消極的親米主義者と自称しています。
 
しかし、困った日本の隣人達の中国や韓国ロシアから比べれば米国は大人です。
反米主義の考え方も全面否定しませんが、このルール変更に関する欧米的な考え方を理解できたら、反米的な考えは少し考え直すべきです。
 
それに、本書に書いてある事実を読めば、欧米による横暴がユダヤの陰謀とかイルテミナ・世界政府などと騒ぐことが、いかにくだらないかわかると思うのです。
 
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC私のブログの愛読者の方にはいないとは思いますが、もし貴方が、いまだに、副島隆彦やベンジャミンフルフォード、リチャード輿水などのような生活の糧として陰謀論をでっち上げ商売にしている奴らの本に影響され、陰謀論に少しでも影響を受けているのなら、この本を一度読めばいい。ビジネスの最前線に立っている人物のリアルな経済の話を知れば、その歪んだ世界観は矯正されることでしょう。
 
◎ルールを守る行動美学は変える必要はない
p160
正々堂々とルールを守り、潔く闘うという従来の日本人の考え方は、国際的にも評価の高いプリンシプルです。
サムライという、このプリンシプルを純度高く備えた日本人が、欧米列強からかつては畏怖され、未だにある種の尊敬を勝ち得ているのは、その表れでしょう。この考え方を改める必要はないのです。
その考え方を堅持したうえで、ルール作りには積極的に参画していくことが大切です。
そのために、欧米列強相手のプレゼンテーションが必要なら、お弁当を作るように制約を設け、要点を絞ったうえで、自身のスタンスを思いきり主張してください。
自国、自社に有利なルールを作ろうとする相手は、土俵の上に引きずり出してしまえば良いのです。
その1


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