Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:哲学


2/22のJ-Waveのジャムザワールドのブレクスルーに出演した芥川賞作家・平野啓一郎氏の番組を聴いて、ものすごく不寛容な平野啓一郎氏の主張に気持ち悪くなって、今日は平野氏を批判しなくては気が収まらなくなった。

20年ほど前、三島由紀夫の再来と騒がれたデビュー作「日蝕」は、大変面白く読ませていただいた。まだ京都大学の学生であったか卒業したばかりの初々しかった平野氏は、いまや40代である。傲慢で鼻持ちならない知識人という上から目線で傲慢な物言い。私はものすごく失望し、怒りを感じてしまった。

結局彼はリベラルという立場から、社会問題はヘイトスピーチをしているよな、非リベラル側の人間が不寛容だから起きると言う、単細胞的視点で社会を視ている。
一番不寛容なのは自分自身だと理解していない。おそらく気が付いていないのだろう。自由業という職業上、注意してくれる良き先輩や大人が周囲に存在しないのであろう。

ネット上では絶滅危惧種のリベラル側の平野は、京大卒の知識人で、いまや三島由紀夫賞選考委員に最年少で就任し、それなりの社会的地位を確保している。平野は、自分がさも公平な神で、私の言うことは間違っていという傲慢な男でる。私は彼に、強い違和感と嫌悪感を抱き、不快な気持ちになった。

まずは、その番組の内容を書き起こしました。一言一句正確には書き起こしていませんが、その点は断っておきます。

ヘイトスピーチ・生活保護バッシング社会が寛容さを失うとどうなるかと言う話題であった。

JAM THE WORLD | J-WAVE | 2017/02/22/水  20:00-22:00 
平野は、森友学園の問題と共謀罪に感心があるとのこと。危機感があると
ヘイトスピーチが酷いと。首相の奥さんが名誉校長となったり、首相の名前をもらった私立小学校が韓国人・中国人に対してヘイトスピーチを行い虐めを行っているのは酷い、寛容さを失っていると。                             
トランプ大統領、悪夢が現実となってきた。そんなに深くはないと・・・
政治と言うのはリベラルから言うと富の再配であってモラルを期待するべきではないが、モラルが低い人間が権力を握ってしまう社会は、社会のモラルが低下すると。その証拠にヘイトクライムの連中が、地下鉄に鍵十字の落書きをして、自分達の主張が認められたのごとく振る舞ってしまう。いったい米国はWWⅡでどこと戦ったのか?市民達が抵抗していることに希望を見出すことができる。権力者がヘイトを利用する政治家はとても怖いですね、警戒すべきですと感想を言う。

ドイツ、オランダ、ヨーロッパでも難民問題について国境を越え不寛容さが広がり、反移民であったり、不寛容さを掲げる政党が支持され、指導者が支持を集めているのか分からないと言う。

何故といってもそれぞれ複数の事情要因があって何故という答えが無い。職がない難民の子供達が居て、未来に希望が持てないでいる厳然たる事実があって。そういう問題が、テロの時代現在化してきた。自分達は割を食っていると反グローバリズムが一つのスローガンになっている。                      
ブレクジットを叫んで、決まった途端に、ポスト・トゥルースだったと言って動揺しているのは喜劇だみたいなことですと平野は嘲笑。

ヘイトスピーチに加担している人達は経済的に不遇な人達だけではない、経済的に豊かな人達も差別的な人達が多い。ヘイトの問題がメディアによって増幅されている、メディアの問題も大きい?

米国を見ても難民を切り捨て排除することが全ての解決方法なのか?疑問と言う。壁を作り切り難民を切り捨てることは正義ではない。                                          
活力を国内で維持することを考えなければならない、人々が生き生きポジティブに活動する為にはどうするかと考えた時、外国から来た人たちの新鮮な発想や考え方が重要だ。共謀罪という法律を通し活動を委縮させるのは。国を富み栄えさせたいなら、マイナスと平野は言う。萎縮という言葉がキーワードだと思うと。

外から入ってくる人たちによって自分達の文化の本質が脅かされる言動がある。そもそも本質とは何だろうと問わなければいうとこから議論の根本が何なのか?と安田は言う。

外から入ってくる人によって、本質が脅かされると言う意見がある。そもそも本質とはどんなふうに存在する何か?と問わなければ何?人に触れることによってそれぞれ違う顔があり人には本質があり考え方がある。本質が脅かされるって言う議論は根本から違えてくるのではないかと安田は言う。

平野は、それぞれ個人(個性?)だとか文化だとか内的にある複数性を認めれば、外のものを受容しても別に自分の今まで好きだった文化だとか、それに関わっている自分の人格自体けして消えることがない、幾つかの自分の人格だとか、文化の多面性をより豊かにリッチになって行くようになると発想できるようになるが、人格だとかアイデンティティを単一にすると、新しいものを受け入れると、それまでの自分が否定されるようになってしまうと、なんか玉突きの玉のように弾き出されてしまうような感覚があるから、やっぱり多様性を受け入れる為には、自分が内的に多様であることを認めると言うことが、大事でそれ自分は強調したい。

内的に多様であるということが鍵である。寛容さを失う社会、それ以外の選択肢を認めるかどうか?

子供の声が騒音だうるさいと言う問題になった。日本国内で寛容さを失っていく。背景に何がある?いろんなフラストレーションがたまっている。プライドが高すぎて、何かちょっとでもプライドが傷つけられるようなことを言われると、頭にくる程度の話がある。人間は他の動物と違い生まれ放って置かれるおかれると簡単に死んでしまうわけですよね。そうとう親が手を掛けたり、社会が守ってあげないと、大きくなれないわけで、当然誰もが子供の頃は大声で騒いでいたし、走り回り人に迷惑をかけていた。人に架けた迷惑を返上したいとか、その時にいろんな人の寛容さに触れていたことを無かったことにしたいといくらいくら思っても、全員が社会の寛容さの恩恵を受けて存在しているという根本的な前提は誰も否定できない。誰も不寛容であることは出来ないはずだ。

安田:当事者性をどう取り戻していくのかで、ある意味で全員が当事者っていうわけですよね。
平野:ベビーカーで電車に乗ったりすることに対しすごく不寛容だったりする時、バッシングが親に向かう、だが子供に向かって、貴方がこのスペースを取っているのはいるのは贅沢だとかね・・こんな大きな邪魔な乗り物乗りやがってって本人に言えるのかって問題ですよね。僕は存在するのに必要なスペースですから存在を否定することはできない。

海外では本人に向かって「シー」と言う。日本はそれがなく親にすごく失礼な言い方で文句を言う傾向がある?一対一の大人どうしでそんな言い方をしないような言い方を子供な問題になった途端に突然言っても良いみたいなことになって、物凄く失礼な言い方で文句言ったりとか・・・

安田:中東では他の親御さんが子供に注意するけど遊んであげたりもする。それって子供に関わる当事者であるという意識を持っているからなのか。

平野:社会の中で一人の人間としてお互いに存在しているという感覚が存在しているという感覚があるんですけど、日本では何か親が責任を果たしていないと、こんな邪魔なベビーカーを乗せて親が申し訳なさそうな顔をしていないとか、なんかそういう話になってしまう。

安田:なんか簡単にカテゴライズして切り捨てていく流れがあるような気がする。



ISに殺されたジャーナリストの安田さんについて。

職業として人として素晴らしかった。

安田:ジャーナリストが犠牲となったISの取材に関して、日本では所謂自己責任論が湧き上がってしまう。
平野:ジャーナリストは職業ですから、その対価を得るのはどんな職業でも当たり前のことですが、一方で社会にとってすごく大きな意味を持っている。ポストトゥルースとか、オルタナティブファクトとか言われている時代に僕たちは正しい情報に基づかないと、民主主義的な国家の中で、正しい国の進路というものを選択できないわけですからその為に彼ら(ジャーナリスト)は命懸けで取材しているわけですから、我々にとってすごく大きな利益になっているはずなのに、どうして捕まって殺されてしまった人が自己責任なのか理解できない。国が悪意を持ってコントロールしているとなると、万全に情報をコントロールした中で、戦争に行って死ななくてもいい人が死ぬとか米国で実際起きている、そうならない為に、ジャーナリストは存在している。

安田:一時情報が乏しくなると、私たちは憶測でしか物を考えるしかなくなってしまう。
大きな力を前にするとコントロールしやすい状況になってしまうかもしれない。そう考えると一次情報を持ち帰って来てくれる人たちの存在はちょと自慢話になるが・・・尊敬すべき

平野:そう尊敬すべきだ。いつも同じ日本人、日本人同士と言うことにものづごく価値観を置く人たちが、いざ日本人がそういう状況になると、自己責任として見捨ててしまう、迷惑かけている、税金の無駄と言ってしまうことにすごく反発を感じる。

安田:そういった不寛容さ、こころが何か「キュー」となってしまうような空気感、先ほど挙げた共謀罪なんかもそうなんですが、それが少しづつ少しづつ進んでいくことによって、希望的な観測ではない、社会がどんな方向に進んでしまうのか考えてしまう。

平野:やっぱり今損得とか政治を語るうえで使われるが、自発的に委縮する社会を作っていくのがすごく嫌ですね、単純に未来を創造していくうえで、多少のことは気にせず快活に、生き生きと活動している世界と言うのが、僕にとって望ましい。そういう状況にする為に何が必要で、何をすべきか考えなきゃいけなくって、やっぱりこうなるかもしれないなーとか、不安からこれは止めておこう、止めておこうというとみんなが萎縮していくと、社会がの活力をどこにもとめるのか?ということになる。なんかそういう暗い時代になってほしくないと思う。

安田:自主的な萎縮みたいな道みたいな道でないものを選びたいと思う。

平野:ユーモアも大事、どんなに頭が良くてもユーモアが無い人とちょっと会話むずかしい。生きていくうえで、ユーモアは大事だし、尊敬の念とかそういうもお金じゃないものが社会を動かしていると思う、対価は少ないけどあの人に頼まれたら、やっぱやらなきゃなと思うことで実はうごいていることで世の中ですごく沢山あると思う、そういう部分がなくなってほんとに合理的にお金だけの部分で動かそうとしたり、法に従うこと、法は守らなくてはいけないが、法に触れてもない段階で萎縮し、活動が減退する社会だと、結局みんな嫌な目にあっていくと思う。

安田:数値に表れないこないあるいみ定規で計れない何かもっと柔らかいものだと思うのですけど、
寛容な部分だったり、柔らかいものを少しづる広げていく為に私たちに何が必要か?

平野;その人の心境になるということが大事である。相手の気持ちがわかるよわかるよと言ってはいけない部分もあるが、それでも「こうーかなー」ってわからないながらも柔らかく想像するってなかで、やっぱりそんなひどいことを言ってはいけないんじゃないかって、ヘイトスピーチをしている人達は言われているみになって考えれば、言っていいわけはない、その子供を連れていかんとか言われても、一番気まずい思いをしているのは親ですから、そういう親に悪口を言ってはいけない、わりと自然に想像を巡らすべきではないかと思う。
皆わかりきっていることとは思いますが・・・

安田:他社への想像力えお絶やさないということが出来ていないからこそ・・
平野:やっぱり人類的な視点に飛躍することが必要だと思う。人類と言う観点から考えるとやっぱりそういうことをやっていいのか立ち返る、それは大きな話になるが、個人的レベル同情とか共感とか超えた所に本当にそういうことをしていいのかという視点は必要だと思う。

安田:人類として問うこれからの思考に大切な点をいただきました。
略)



以上の番組内容でした。現在私は3時間のラジコのタイムフリー枠を越えてしまい、訂正しようにも聴くことができませんので、悪しからずお願いします。

私のブログにたまたま訪問して読む方にとって、有名な芥川賞作家平野啓一郎の意見と無名な一ブロガーDdogでは、比較しようがありません。私が何者かわからないと思うので、自己紹介と、多少思想的立場を表明したいと思います。

自己紹介と思想的立場


Ddogは、某金融機関に勤める窓際の50代サラリーマンです。住宅ローンに追われ、娘は春からエスカレーターでやんごとなき某私立大学に入学、妻は病気を抱え(本日病院で手術をしました。会社は休みを頂きました。)現在金銭的にも精神的にも寛容になる余裕がございません。母親が痴呆症で、しょっちゅう警察の御厄介になり、老々介護の父親もダウン寸前の苦労多き年頃の中年男性です。リアルな社会ではかなり寛容な人間であると評価されていると自負していますが、ネット上では、多少所謂リベラルと呼ばれる人には不寛容な精神状況にあるかも知れません。

私の父親は元日教組で元共産党員の元高校教師です。私は高校まで朝日新聞と赤旗、いはらき新聞を読んで育ちました。高校生の時、当時左翼青年の私は防衛庁の意見広告に応募しましたが、防衛庁の人より偏らず広く世界を見て、本を読み勉強するよう手紙をいただいたことがありました。

大学時代一人暮らしをすると読書に目覚め、朝から晩まで本の虫となり小室直樹先生の著書などを読み進めると、目から鱗で左翼の偽善欺瞞に気がついてしまいました。防衛庁の方の手紙通り、読書により東京裁判史観より覚醒することができました。その後、大学の恩師の従軍経験の話や、実際に戦場へ行った方々の話を聞き、元中野学校出身の方話を聞き、現在の思想に至りました。

現在当ブログのサブタイトル、消極的親米保守の立場で、世界を視ています。
消極的親米保守とは、私の思想を説明する為に私が作った造語です。

保守思想はは大きく分けて親米保守(保守本流)と反米保守(大アジア主義)に二分されます。 現状の国体を考えた場合、日本はけっして米国を敵に回すことだけは避けるべきであり、地政学的にも米国を敵にすることは絶対にしてはいけません。日米同盟こそ現代日本の国体であり堅持すべきと思いますので、親米保守側の立場であります。

しかしながら、過去米国が日本にしてきた非道の歴史を認識したならば、私は親米ポチになることは絶対にできません。米国(WASP)の本質(ウォール街の核心的利益)を理解すれば、まったく無防備で米国に日本の殺生与奪を与えるべきではありません。それゆえ私の思想は消極的親米保守であると定義しています。

日米同盟は対等の立場に立って同盟を堅持すべきであると考えています。ちなみに本ブログをプログレッシブな日々としたのは、当初日本のプログレバンドを紹介する音楽についても書こうとしました。それとともに日々勉強したことを記録し、守旧派ではない改革保守という意味もありプログレッシブな日々と命名しました。残念ながら、日本のプログレッシブバンド紹介は看板倒れ中ですが、コンサバではないプログレッシブ(進歩・前衛)こそ真の保守という思想をもって、本ブログを書いています。

現状日本のリベラル派は日本国憲法を無条件で守る守旧派に成り下がっていると私は思っています。単なる守旧派に徹すると、国益を守れず、国家の基盤を危うくする存在でしかない。守旧派の人々は自己改革することなく戦後日本が悪の権化であると教え込まれた「東京裁判史観」から覚醒することを拒んでいます。多くの賢明な日本国民からその支持を失っている。当然の結果と思う。

先進国の責任のある国として、平和憲法を盾に国際的な責任義務を忌避するのではなく、責任と義務を果たなくてはならないと考えます。どう考えても70年前の世界情勢を前提とした憲法は改正しなくてはいけないと考えています。

憲法を改正し、人類と地球の未来を守る人類の至宝と称えられる、尊敬される国になるべきであるという立場にあると思います。自衛隊が国軍となった後には、極力出てほしくはないが、日本国軍兵士官下士官のある程度の犠牲が出ても、やむを得ないと考えています。もし、有事があれば、若者に代わり、私が最前線に出ても良いのであれば、喜んで応募したいとも思っています。

もし、改憲後靖国神社に祀っていただけるのなら、南スーダンで英霊になることも厭いません。

さて、長々と自己紹介をしてしまいました。ここから平野啓一郎氏の批判です。(笑)

平野啓一郎氏への批判


森友学園について民進党が問題化しようと必死に足掻いているようですが、情報を取集精査中ですので、後日批評したいと思います。蓮舫が森友学園視察に国会を無断欠席していつものブーメランで、はやくも自滅ぎみですので大笑いです。

 あることないこと問題を取り上げても、森友学園に対する世間の関心は、トランプ氏の動向や金正男暗殺事件からすればかなり関心は下ではないか?世界や日本において起きている諸問題に比べ瑣末すぎて、大騒ぎするような問題なのか疑問に思います。

動乱すら起きかねない緊迫した朝鮮半島、南シナ海で激突するかもしれない米中関係、緊迫するアジア情勢からすれば、民進党は政治問題化して党利党略化しようというのが見え見えで、国民の共感を得られるか疑問だ。そこで、リベラル派は危機感を感じ、メディアで騒ごうと下心が見えてしまった。

平野が、番組の開口一番、「私が一番関心あるのが、森友学園と共謀罪」と言われると、最初から「私は政治的に偏っています」と宣言したに等しく、私と思想、思考回路がだいぶ違うと思ってしまい、最初から彼が何を言っても批判的に思ってしまう。

視聴者の多くも私と同じく、開口一番に左翼宣言した途端に、心を閉ざしてしまうではないしょうか?公共の電波では、まずは最近一番関心あるのは、「徳光和夫『日テレ時代10人に6人不倫』- 衝撃発言に坂上忍ら慌てる」ですくらい言っておけば、平野が番組中推奨したユーモアであり、好意がもてたかもしれません。

ヘイトスピーチの定義とは、人種、国籍、思想、宗教、性的指向、性別、障害などに基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱し、さらには他人をそのように扇動する言論等を指すわけであるから、平野氏が選挙で選ばれた他国の大統領とその支持市民を品位と品性に欠けると批判することは、平野氏が嫌悪する不寛容なヘイトスピーチそのものではないのか?平野自身は米国相手なら、言っても良いとでも思っているらしく、自身がヘイトスピーチを行っていると欠片も思っていないようだ。

見方によれば、選挙によって選ばれた大統領を否定する市民達は、民主主義の否定であり、一歩間違えば、銃火器が入手しやすい米国において、彼らはテロリストになりかねず、何が、「抵抗する市民に希望を見出した」だ!アホか?米国が無秩序化し、暴力が選挙を覆せば、自由と民主主義の米国を彼らが批判するトランプ以上に根本的に破壊しかねない。

また、平野は欧米国民が曝されている大量の難民に囲まれた欧米国民の心情をまるで理解しようと思っていない。難民問題は、差別された難民も可哀そうだが、欧州の国民が長い間戦争という祖先の血を大量に流した愚行の末に手に入れた秩序や文化文明を守りたいと言う人々の立場、心情を頭から否定している。後半彼が偉そうに、「その人の心境になるということが大事である。」と言っている。難民がほとんど存在しない日本と云う国で、高みから難民問題に困窮する欧米国民を見下している。京大卒なのにバカで無神経で、自己矛盾にまったく気がつかない平野に反吐を吐きたくなる。

私は、今、平野氏を非難しているが、ヘイトな文章を自分は書いているという自覚している分だけ、私の方が平野よりましだと思う。(笑)

活力を国内で維持することを考えなければならない、人々が生き生きポジティブに活動する為にはどうするかと考えた時、外国から来た人たちの新鮮な発想や考え方が重要だ。共謀罪という法律を通し活動を委縮させるのは。国を富み栄えさせたいなら、マイナスと平野は言う。

平野は多様性(ダイバーシティ)の考え方を番組で話しているが、日本のリベラルが言うはダイバーシティは往々にして韓国人や中国人の主張に同調することだと勘違いしているバカが多い。多様性とは生物学的に生き残る効果的な手段である。

だが、社会のダイバーシティを維持するには、民族が多様性にならなくとも、単一方向からの視点にならず、多方向から見ることさえできれば、外国人を必要以上に入れる必要がないと私は指摘しておこう。ダイバーシティの本質は、国籍でも、性別でも年齢でもなく、「視点のダイバーシティ」である。

平野には自分と違う意見の人間による違う視点を許容しない。同じ日本人でありながら、認めるどころか、むしろ排除している。これはイバーシティが次の活力になると言う己の主張と大きく矛盾しているのではないのか?

平野は社会の活性化は人々を委縮させていけないと言っている。その指摘については否定はしない。その通りだと思う。ただ、彼の話の内容の裏には、朝鮮人や支那人を委縮させるなと言っているように思えてならない。なぜなら実質的なスパイ防止法である「共謀罪」と共にセットで発言している点が問題だ。

反日教育を受けて育ったシナ人や朝鮮人は、日本社会において何かあれば容易にテロリストになりかねない恐れがある。スパイ防止法が無い日本においては、シナや朝鮮と開戦した場合、国内にテロリストを抱えているようなもので、危険極まりない。

彼は、萎縮させない社会が大切だと言いながら、多様性な意見を認めるべきでありながら、満員電車へに迷惑きわまりないベビーカーの持ち込みを批判する人間を不寛容だと言い張る。

満員電車で通勤したことがない人間が言及すべき問題ではない。少なくとも朝の超満員の通勤電車に巨大なベビーカーへ持ち込むことは非常識であり、平野は文句は赤ん坊に言えと番組中言い放ったが、呆れかえった。赤ん坊は自分の意志で乗り込んだのではなく、親の我儘で巨大なベビーカーを持ち込んだのだから、文句を言うのは親である。赤ん坊に文句を言うバカはいない。

少なくとも朝の通勤時間帯に赤ん坊と一緒に電車に乗らなければならない場合は、おんぶか抱っこの紐で子供を抱えるべきであり。そんな親子や、一人で通学する小学生を見つけた場合、黙って体を張って、守ってあげるのが、私に限らず、普通の常識ある日本人男性たちの行動である。彼の言い方だと満員電車で毎日通う人間全てが不寛容であるように私には聞こえる。

電車に限らず、公共の場所で騒ぐガキ達を私たち夫婦は容赦なく叱る。もちろん自分の娘にも厳しくその点は躾けてきた。親に文句を言っても、意味が無い。そのように育てる親には常識が無いのだから、文句を言っても意味が無い。平野に子供がいるかどうかわからないが、勝手に想像するのだが、もしかすると平野に子供がいて、非常識に騒いだ為、誰かに子供ではなく自分に文句を言われたのだと思う。

自分に常識が無いのだから、そんな子供になったのだろう!子供がなく、そんな経験もない、これはDdogの妄想でヘイトであると言われてもしかたがないが、そう思えてしかたがない。

因みにわたしは、子供の頃何度か見ず知らずの大人に何度か怒られたことがあります。理に適っている場合もあるが、まったく理不尽なこともあった。日本人が子供を叱らないと言うのはあまりにも紋切的な言い方だ。



まだまだ



執筆中






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井上陽水は禅宗の高僧と同じような精神的高みに到達しているという視点で斎藤孝先生が読み解いた本である。
いや~深かった・・・人間の成熟とは何か・・・そして読んでいるうちに心が軽くなる、
皆さんにお勧めしたくなる良書です。
TheWord/Prolougue
井上陽水に学ぶ”軽くて深い”大人の道のきわめ方 11

TheWord/Ⅰ
陽水的美学


ビートルズはね、”かねピカ”なんですよ。            36

サングラスと一体化して商品になってる。            39  

ひとえに皆さんのご健康と
  お幸せを願っているわけでして………            43

お笑いが好きでしたし、
一番高尚な仕事だとも思ってるんです。             46

「曾根崎心中」つてすごくいいタイトルだよね。          50

どんなに強くても見苦しい、みっともない人は
感動しないけど、負けても、高いレベルの人格を
感じたりしたときはすごいと思う。                 54

若さというか不完全さがないと、
運はついてこない。手練に、裏ドラはつかない。        58

多くの人が簡単には拍手を送れない。
でも、その魅力に気づいた人は、
逆になかなかそこから抜けられない。              61

天下国家より目先の女っていう歌ですから。          65

甘えていいんだと思った人には怒れる。             70

図を書くんですよ。ははは。
言葉だけだと伝わらないときもありますからね。        73

”向上心がない”のを肯定的に捉えたほうがいい       76

TheWord/Ⅱ
大人の作法

皆さ~ん、お元気ですかあ?
謙虚、謙虚でやってまいりました。                 83

日上の人がそれらしいことを言う
バカバカしさって、あるからね。                   87

大変な目に遭ってる人は大体いいですよね。          90

今日の表現の仕方ってものは、
明日になれば赤面するものなんです。              93 

ワインのように寝かさせてください。                96

所属しないってことは、
ひとりで世の中にいるってことで、
それで幸せかっていうと、そうでもない。              99

もし自分が死んで葬式をやるなら、
井上陽水に弔辞を読んでほしい、と。
……これはうれしかったなあ。                    101

(競馬では)絶対当たらない人も貴重なわけ。
裏を買えば必ず当たるわけだから。 -              105

TheWord/Ⅲ
りきまずに生きるコツ


人生は相撲にたとえれば九勝六敗でいいんだと。        112

♪生まれつき僕たちは 悩み上手に出来ている         115

悩みのある人で、温泉に2回ぐらい入って、
まだ悩んでいる人がいたら見てみたい。             118

自分にとって理想的な詞が、
必ずしもいい商品かどうか、
これはまた別ですからね。                     120

♪逆らってはいけない合わさってもならない          123

僕は意識的というか無意識にというか、
喋らない時間というのをときどき
持ちたいなと思うんです。
全部言葉で埋めたくない。                     125

仕事で目くじら立ててちゃいかんなと。              129

♪いいのよ、ずっとこのまま二人はジャストフィットなんだから133

いまだに余計な力が入りすぎてるということなの旨(笑)。   136

TheWord/Ⅳ
仕事の達人


(作曲も)フスマ貼りと同じで、 一種の仕事にすぎない。   140


100書いて、いいのが一つあるかどうかだから、
いっぱい書くことが大事。                     143

歌を作るときの90パーセントのエネルギーが作詞で、
10パーセントが作曲なんです。                 145

やらざるを得ないという、そんな状態のほうが励める。   148

”御破算で願いましては”をしないといけないと思って。   152

♪探しものは何ですか見つけにくいものですか       156

若かった記憶の1コマは、定食のAセットBセット       159


♪あなたライオン闇におびえて私はとまどうペリカン     162

言いたいことがあっても
それを最後まで言いたくない。
……最後まで言っちゃおしまいよというか。          166

こうあらねば、と
一本筋を通すのは好きじゃないですし、
いろんな音楽をやりたいんですよ。               171

勝てないなと思うのは、
イマジネーション、想像力なんだよね。             175


TheWord/Epilogue
決めつけない生き方 
                     179

あとがき                                188
齢を重ねるごとに上機嫌に軽くなる 陽水ライン
p18-21
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          P17図

一般的に、歳を取るにつれて頑固になったり尊大になったりする人が多いが、不機嫌さを周囲にまき散らして生きていくことは、当人にとっても心地よいことではないはずだ。

 苦虫を噛み潰したような顔つきでデーンと構え、偉そうにしていることが人間の深みのように思っていたらとんだ勘違いで、深みとは、けっして重々しく偉そうに見えることではない。

 むしろ、長い年月の間に蓄積されたものを内に秘めながら、軽やかに、陽気にふるまえる人を、器が大きい、度量があると言うのだ。

 周囲の人のためにも、自分のためにも、「軽くて深い」姿勢こそ望ましい。 私の理想とする「軽くて深い成熟した大人」とは、
 ① 広い視野で物事を見ることができる
 ② 幅広い受容性を持っている
 ③ 深い洞察力を持ちながら、軽やかにふるまえる

 この三つのポイントを押さえた人だ。 陽水さんは、見事にこれに合致する。

「軽い」と「深い」の相関関係

 人間の「重い」とか「軽い」というのは、外に対してどれだけ聞かれた精神を持っているかということだ。閉塞感の強い人は重くなる。開放的な人は軽くなる。

 選択肢を柔軟に見つけられないと、閉塞感が強くなる。そうすると、自分で自分を、重く、暗く、息苦しいほうへと追い込んでいってしまう。

 年齢が行けば行くほど、重く不機嫌になる人は、自己というものが凝り固まって流動性が乏しくなり、他者受容ができなくなり、要するに「頑な」になってしまうのだ。そうなるとますます閉じていってしまう。

 それに対して、歳がいっても軽く上機嫌でいられる人は、外に向かって自分の世界を開き続け、他者からの刺激を受け入れる精神のバネがある人だ。気持ちの中における「自己」の比率が高くないので、自己保身のようなことに一生懸命にならない。それが軽さ、陽気さのかたちで出る。

 一方、人間の「深い」「浅い」はものの見方と連動していて、「深い」見方のできる人は「視野が広い」、「浅い」見方の人は「視野が狭い」といえる。
 そこで、ものの見方が浅い人は視野が狭くて、そのためにある種すごい閉塞感の中で重さに苦しんでしまう。視野が狭いほど、あるいは人生観が浅い状態ほど、閉塞下降ラインを落ちていく。

 最近、私か非常に気になっているのが「これしかない」という発想をする人が増えていることだ。嘆かわしい事件の多くの当事者が、「もう、これしかないと思った」「死ぬしかない」「殺すしかないと思った」などと口走る。思い込みが激しくて、短絡的で、しかも自己保存の気持ちが強い、にもかかわらず視野が狭いので、閉塞の極地へと突き進んでしまう。

 そういう人はどうすれば悲劇を起こさずに済んだのか。自已に捉われる気持ちよりも、他者を受け入れる気持ちを持てればよかった。もっと視野を拡げてみることで、「これしかない」という思い込みでしか考えられない状況から抜け出せればよかった。もっと深いものの見方ができればよかった。

 つまりは、「これしかない」思考から「これもあり、あれもあり」思考へと受容性を拡げていく必要があった。そうすれば本人ももっと気持ちが軽くなり、切羽詰まった息苦しさを感じるような事態を招かなかっただろうと思う。

 「軽くて深い」大人の道をきわめるとは、そういう精神性を養って成熟していこうという考え方だ。

 私は、ものの見方を深めていけるほど、視野を広くできればできるほど、「軽み」に向かっていく傾向があると思っている。

 禅の目指してきたものもそうだった。悟りを啓いて深くなればなるほど、心は軽くなる。一休宗純などまさしくそうだ。

 陽水さんのあの常人ならざる声といい、禅問答のような受け答えといい、瓢々としたさまは、どことなく禅僧のようでもある。違う時代に生まれていたら禅の高僧として活躍していたのではないかという気がする。

 瓢々と生きてしかも深いという曲線を、図(P17、P20)では「陽水ライン」と名づけた。
 深くきわめると軽くなる。浅いから気持ちが重くなる。 「軽くて深い」姿勢こそ、現代をもっと心地よく生き抜く心得になると思う。


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p20図

一休宗純は破戒僧である。一休宗純は仏教という枠を超えた生き方をした伝説の逸話が多い人物である。

親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。この逸話話は私の理想とする大人像だ。

戒律や形式に捉われない人間臭さから、庶民の間で生き仏と慕われた一休和尚
。権力に追従しない自由奔放な生き方は、後世の作家を大いに刺激し、江戸時代には『一休咄(ばなし)』というトンチ話が多数創作された。

優しき良寛和尚も井上陽水と通じる哲学が流れているような気がする。
一休宗純が遺した言葉

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)
花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの
女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ


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p22-27
成熟のきわめ方  自己の中の牛を飼いならすプロセス

 陽水さんも、最初は重かった。非常に知性と見識力のある人なので、当初から、いまの二十歳ぐらいの青年には作れないような歌の世界を構築していたが、閉塞感、開放感という目で見れば、明らかに閉じた世界にいて、重かった。昔はもっと尖っていて、なんとなく一匹狼のような孤高感が強かった。そこから紆余曲折を経ながら、歳とともに軽みを増していった。

 その成熟のプロセスは、自分の中の暴れ牛を飼いならす「十牛図」の道程になぞらえることができる。「十牛図」とは、逃げ出した牛を捜し求め、精神的昇華を遂げていく道程を十枚の絵で描いたもので、中国から伝来し、室町時代以降、禅を知る手引きとして用いられている。

 「牛」は「真の自己」を意味しており、このプロセスはいわば真の自己を見出していく道筋だ。

 これを陽水さんの場合で考えてみよう。

 ① 牛を捜しに行く
 十代の頃、歯科医を継いでほしいという両親の期待に沿うべく、歯学部受験に挑戦して浪人生活をしている時代は、牛を捜している時期。まだ真の自己が何なのか見えていない状態だ。

 ② 牛の足跡を見つける
 真剣に勉強する気になれないまま、三浪目にしてどうも自分は勉強に向いていないようだと自覚し、歌を始める。このあたりから、地元のラジオ局にテープを持ち込み、あれよあれよという間にデビューの道が拓かれる頃までが、牛の足跡を見つける段階だろう。

 ③ 牛の姿を見つける
 ところが、勇躍デビューした「アンドレ・カンドレ」は本人の自信とは裏腹に鳴かず飛ばず。自信の鼻っ柱が折られ、挫折感を味わう。レコード会社のCBSソニーとの契約は打ち切られ、所属していたホリプロのスタッフからは「アンドレ君、君は整理されるかもしれないよ」と言われる。しかし拾う神ありで、ホリドールに移籍、芸名を「井上陽水」にして「人生が二度あれば」で再デビュー。「傘がない」が耳目を集めはじめる。この頃が牛の姿を見つけた時期と言えそうだ。

 ④ 牛をつかまえる

 ⑤ 牛を飼いならす
 牛をつかまえて、飼いならす段階。暴れる自己との葛藤期だ。初期の頃の陽永さんの中には、爆発力を感じさせる世界観があった。代表曲「氷の世界」にしても、ギラギラした感情、自分の中の暴れるもの、噴出するものが非常に出ている。膨れ上かってくるそれが「牛」だ。ピカソも自分の中のエネルギーに手の負えなさみたいなものを闘牛の牛として描いている。
 陽水さんはこの時期に一躍日本のトップに躍り出る。一九七三年のアルバム『氷の世界』が日本初のミリオンセラーになり、三十五週間アルバムチャートの一位にランキングされる。

 この頃のことを「最初はうれしかったけれど、そのうちに何かヘンだぞ」と思うようになったと言っているが、自分の想像をはるかに超えた外部からの評価、それ仁自分はどう向き合っていけばいいのかといった葛藤もあっただろう。

 牛をどうしても御しきれないところがあったのかもしれない。一九七六年、大麻事件を起こして謹慎生活を送る。この事件を通じて自分を見直す作業をしたことで、荒ぶる自己を飼いならすことができるようになったのではないか。翌年にアルバム『white』を出した頃、精神的に一つの転機を迎えたのではないかと私は想像する。

 これ以降、陽水さんの歌から当初のギラギラ感が減って、次第に都会的な大人の雰囲気が見られるようになっていく。炭坑町から出てきた青年が、都会の雰囲気をまとうようになる。「リバーサイドホテル」とか「ジェラシー」のような都会の大人の男と女が繰り広げるあやしい世界へと移っていく。

 ⑥ 牛に乗って家に帰る
 暴れ牛に乗って家に帰る、荒ぶるものをコントロールしてだんだん大人の成熟の世界に入っていく、そういう制御ができるようになっていく時期に該当するかと思う。

 自分の牛と上手に付き合うことができるようになり、自己の感情、欲望というよりはもう少し客観的な視点から、別の広がりを求めるようになる。他のアーティストに楽曲を提供したり、コラボレーションをしたり、テレビに出るようになったり、どんどんと変化を続け、安定した大人ゾーンを確立していく。

 ⑦ 牛を忘れる
 ⑧ すべてを忘れ、「空」となる
 ⑨ 自然だけは変わらない
 ⑩ 悟りを得て、他者を導く

 「十牛図」のプロセスでは、その後牛を連れて家に帰るが、しばらくすると家に牛がいることを忘れてしまう。どういうことかと言うと、真の自己とはおのれのうちにあるものだと気づいて、牛と自分とを分けて捉えなくなる。つまり心とからだが同一化する段階だ(⑦)。

 そのうちに真の自己とは何かといった囚われさえもなくなり、牛も人心いなくなる。何もなくなった「空」の状態だけになる(⑧)。

 人間のいないただ美しい自然の世界だけになり(⑨)、最後は、悟って生まれ変わった牧人が老人となってまた世の中に戻って、子どもと接して何かを伝えるという図で終わる(⑩)。

⑦以降、禅僧であればいよいよ悟りの道へと入っていくのだが、私たちは俗世という現実社会を生きているわけで、欲望が生きる意欲、エネルギーになっている部分もある。枯淡の境地、達観しきった領域に行き着いてしまえばいいというものでもない。

 ⑦から⑩の段階を踏んでは戻りつつ、自己という枠を徐々に拡げて柔軟性を持って他者と溶け込んでいこうとするのが、実社会で成熟度を深めていくイメージとしていいだろう。

 陽水さんで言えば、例えば安全地帯と組んで「ワインレッドの心」を作り、奥田民生さんと組んでPUFFYの「アジアの純真」や「渚にまつわるエトセトラ」を作り、筑紫哲也さんの依頼で「最後のニュース」を作り、藤子不二雄Aさんの依頼で「少年時代」を作る。

 いずれも大ヒットしているが、自分の自発的な意思というよりも、他者からの要求、ニーズに応えていくことで成功する。それは自己を忘れるということに近いと思う。
 曲の作り方自体、自身の感情世界を表現するのでなく、自己から離れたところを映し出した世界観に向かっていく。
 あるいは、『GOLDEN BEST』のようなアルバムを出して、これまでやってきたことを一回まとめ上げてしまう。過去にやってきたことをまとめて、一回チャラにしてみようとする。「御破算で願いましては」をする。「空」にして、新たなものに向かっていく。

 陽水さんの場合でざっと見てみたが、誰でも自分の人生を「十牛図」に照らし合わせて振り返ってみることができる。すると、自分がどのプロセスをどうやって経てきたのかを客観的に眺められる。

 「自己実現より他者実現だ」と私は学生によく言っているのだが、自分の猛牛を飼いならして大人の世界に入っていって落ち着いて、そこから自己実現ではなく、他者性の受容、つまり他者実現をしていくのが正しい大人の道のきわめ方だ。

 大人の成熟は、他者受容の中で深められていく。
 他者を受容するには自分を固持していてはダメだ。柔軟性がなければならない。スタンスを自在に変えられるだけの軽み、軽やかさを持たなければならない。それができるようになると、さらに大人の成熱度を深めていくことができるという仕組みだ。
 複雑さに対応できる許容性の広さが、言ってみれば人間の深さでもある。

ビートルズはね、”かねピカ”なんですよ。

陽水氏のインタビューは時に禅問答のようでもある。インタビューアーが「音楽についての普遍性の高さとは何か?」とのとても抽象的な質問に対し「ビートルズはね、”かねピカ”なんですよ。」と答えている。

”かねピカ”は”きんピカ”を捩(もじ)った造語だと思うが「兼ね合いがぴか一」という意味だが、深い知性と高い認識力があるからこそ一言で答えてしまうのだ。

力があるミュージシャンはつい実験やテクニックに走ってしまう。「このコードにこんなメロディがつけられるか!」という音楽的パズルにはまってしまう。それは万人に受けるものとは限らない。ビートルズは実験的な音楽を続けてきたが、つねにわかり易く美しいメロディを打ち出した大衆性を失わなかった。

だから普遍性が高い音楽は、ビートルズのように実験的音楽パズルの自己満足と万人に響く美し強いメロディの兼ね合いがぴかぴかなので、ビートルズはね、”かねピカ”なんですよ。」という答えがでるのだという。陽水氏は”音楽の普遍性も一言で明快に語ってしまう高い知性”を持っていると斎藤先生は絶賛している。

サングラスと一体化して商品になってる。
外して街を歩いていてもわからないという文脈から出たインタビューの答えなのだが、サングラスを掛けることで人目を避けるが、外すことで気づかれない。
p40-42
井上陽水というブランドイメージの定着に、サングラスは確実に一役買ってきた。風呂に入るときもかけているのではないかと思うほど、イメージとして浸透している。

 サングラスで目を隠していると、何を考えているのかがわかりにくい。謎だらけの意味不明な詞を書く人が、どんな表情で歌つたりしやべったりしているのか見えないことは、訳のわからなさを増幅させる。ますますもって、謎めいた不思議な人と印象づけられてきた。

 サングラスをかけている人は、一般に「こわもて」系の人が多い。夜なのに、あるいは屋内なのにサングラスをかけた人が向こうから歩いてきたら、普通は「関わらないようにしよう」と思う。あちらも「関わるな」という暗黙のメッセージを発している。サングラスは人と距離を置く効果を与える。

 ところが、陽水さんはサングラスをかけたまま、向こうから強烈に表現し続けている。隠しながら人前に出て表現する、そこにギャップがある。
 しかも、サングラスをかけてクールにふるまうならまだわかるが、サングラス姿で「フフフ」とやたらと笑う。陽水さんのビジュアルを見ると、年を追うごとにどんどん笑顔が増えている。サングラスと笑顔というのもミスマッチな取り合わせだ。だが、いまや陽水さんがサングラスをかけて白い歯を見せて笑っていても、私たちは違和感を持たなくなった。

 サングラスで光を避けながら、スポットライトを浴びる。自分を隠しながら、ステージに立つ。人前に出たいのか、出たくないのか。目立ちたいのか、目立ちたくないのか。

 サングラスで距離を置きながら、ユーモアと笑顔と気配りで接する。人を遠ざけたいのか、近づけたいのか。人嫌いなのか人好きなのか。
 おそらく、どちらでもあり、どちらでもないのが井上陽水なのだと思う。陽水さんの中にはどちらの要素もあって、矛盾を抱え込んだ存在としての自分を、サングラスをかけることでバランスを取っているのだ。

 素顔をさらして、直接ストレートに観客と相対するのではなく、サングラスというフィルターを通して向かい合う。サングラスごしに見られる存在であることで、面と向かいながらも間接性が保たれる。サングラスは単なるファッション的小道具ではなく、「間接的な関係性」を維持するための一つの装置なのではないだろうか。

 井上陽水を知らない日本人はほとんどいないだろう。しかし、「顔を知っているか」と言われたら、誰もがサングラスをかけた顔しか知らない。どんな顔をしていて、本当はどんな人なのか、謎めいていてよくわからない。

 二〇〇九年に放映されたNHKの『LIFE』の中で、「得体の知れなさ」について問われた「サングラスかけていますからね。まっとうな人はかけていないでしょう」
 と答えていた。

 歌の世界も、語ることも、そしてルックス的にも、あくまでもわからなさの中に身を置く。杏(よう)としてつかみどころのない存在として、虚実ないまぜの感じを、陽水さんは自らの生き方のスタイルとして体現しているように思う。
サングラスと一体化して認識される人物といえばダグラスマッカーサーから始まって、レイチャールズとかジョンベル―シ―などもそうだが、日本ではタモリだろう。
すいません、某熱烈な浜省ファンのかたより「サングラスの顔って云ったら浜田省吾でしょう~😅」とのご投稿をいただきました。・・・そうですね・・・
タモリがサングラスを掛けているのは諸説ある、失明病気説、シャイ説、などあるが、信憑性が高いのは「タモリの顔に特徴がなく、派手でも、ましていい顔でも何でもないのでつまらないと、たまたま持っていたサングラスを彼にかけさせたのだという」(『広告批評』1981年6月号)説である。だが、サングラスはたまたま持っていたのではなく井上陽水を意識してではないか?井上陽水はタモリと同郷の福岡出身のインテリ、そして二人の会話の間合いは絶妙・・・本書で後述されているが気が合う友人だそうだ。芸人として世に出ようとしたタモリが井上陽水を意識していた可能性は否定できないだろう。




「曾根崎心中」つてすごくいいタイトルだよね。
P50-52
人が心地よく感じる語感の秘密

NHKで放映された『LIFE』という番組の中で、陽水さんが「曾根崎心中」は優れたタイトルだと語っていたのが面白かった。
 「曾根崎」という地名にも、「心中」という男と女の道行きにも、日本人の心を惹きつけるものがある。しかも、「曾根崎(Sonezaki)」と「心中(Sinju)」の語がどちらも「s」の音で始まり、その後に「崎(Zaki)」「(Ju)」いるという濁音が入る。

澄んだ「s」音の後に濁音の「Z」「J」が重ねられたバランス感がよい。印象深くてきれいに覚えられる要素が備わっているというのだ。

「曽根崎心中」をこんなふうに音韻的視点から評価する力法もあるのか、と新鮮だった。

 確かに、「曾根崎心中」という言葉には、日本人ならどこか心引き寄せられるような響きがある。同じように「S」で始まり濁音が入っていても、「静岡心中」や「世田谷心中」では情緒がない。街のイメージもあるが、「六本木心中」は、さすがにいい感じがする。言葉の響き、語感は大事だ。
 陽水さんは、ときに言葉の意味以上に音の響きを大切にするところがある。韻を踏んだり、語呂合わせをしたりして、歌にリズムを持たせる手法をよく使っているが、響きについてはこんなことを語っている。

 「言葉白身の意味もそうだけど、どう響くかってことも大事で。自分でもはっきり分かっているわけじやないんだけど、高い音で伸ばすときは、ウよりもイの方がちょっと良いんじやないかとか、いろいろあるんです。だから多少詞が変になっても、やっぱりイで終わる言葉の方が、聴いてる方は気持ち良いとか」(『weeklyぴあ』一九九九年八月二目号) 高音で伸ばすときは、ウ音よりイ音のほうが気持ちがいい?
 「少年時代」のCDを聴きなおしてみて、恐れ入った。四分音符以上で伸ばす箇所の子音が、みごとなまでにイ音になるように作られている。

 〈夏が過 風あざ 
 
 誰のあこがれ さまよう

 青空
 残された

  私の心は 夏模様

  夢が覚め 夜の中
   
  永冬が 窓を閉じて

  呼かけたままで

  夢はつま 想い出のあとさ
     
  夏まつ 宵かが

  胸の高なり 合わせて
        
  八月は 夢花

  私の心は 夏模様〉


 「少年時代」ではヽ冒頭に登場する〈風あざみ〉について、そんな名前の植物はないとか、こんな言葉は辞書にないとかヽ巷間いろいろ言われている。陽水さんにとっては、その言葉が実際におるかどうかはあまり大した問題ではなくて、歌としてどれだけ人の心に心地よく響きわたるかのはうがはるかに大事だったのだと思う。

 陽水さんは、詞ができないときには、俳句をたしなんでいたお父さんの遺品の「季寄せ(俳句の季語を集めて四季に分類したもの)」を開くこともあるそうだ。自分で俳句をつくることはないというが、響きのいい言葉を探して、俳句感覚で言葉を紡ぎ出すこともあるだろう。

 〈風あざみ〉や〈宵かがり〉〈夢花火〉などの語は、そうやって語感プラス意味を考えながら練り上げられた美しい言葉だと思う。あざみの綿毛が風に吹かれて舞うさまを〈風あざみ〉と称したと考えると、じつに風情のある造語だ。

 私は「少年時代」を『声に出して読みたい日本語』(草思社)のシリーズに収録させてもらったが、一篇の詩として声に出して読んでも非常に気持ちがいい。

井上陽水「少年時代」Yosui Inoue - Shonen Jidai


どんなに強くても見苦しい、みっともない人は
感動しないけど、負けても、高いレベルの人格を
感じたりしたときはすごいと思う。


陽水氏も麻雀を愛する雀士だ。麻雀放浪記の阿佐田哲也氏を敬愛し一緒に卓を囲んだそうだ。

 阿佐田さんは「単純な勝ち負けの結果に捉われない。おのれの利害に一喜一憂しない。危機に陥っても泰然と構え、わくわくするチャンスを目の前にしても浮き足立だない。つねに瓢々として、状況に呑み込まれない精神性――。」陽水さんに刺激を与え、価値観に多大な感化を及ぼしたようだ。

 
「負けたときに、自分の態度をしっかりしておきたいと思うんです。勝つという人よりも、負けたという状況をサラリと受けとめられる人の方がすごく魅力を感じますね」
 なるほど麻雀の師としてだけでなく、「これぞ大人の男の生き方だ」と思うものがあったに違いない。

しかし、麻雀は囲碁や将棋と違い、時として実力が下回るものが運で勝つことがあるから面白いゲームだと私も思う。

若さというか不完全さがないと、運はついてこない。手練に、裏ドラはつかない。 
 p58 練達と運に関する陽水哲学
「阿佐田哲也(色川武大)さんの麻雀について、とても強いのになぜか実力で劣る自分たちに負けることがあったといって、陽水さんはこんな話をしている。
「(阿佐田さんは)ものすごくうまい。だけど、どういうわけか、裏ドラがあまりつかなかった」「つまりさ、練達の土になっちやうと、運が逃げちやうんだよ。経験を積み、合理的にものを考え、クールになって、仕組みが分かって、ものが見えてくると、今度は運が逃げちやう。どこかに、若さというか不完全さがないと、運はついてこない。手練に、裏ドラはつかない」
麻雀を嗜む人間ならわかると思うが、深い言葉だ。

多くの人が簡単には拍手を送れない。
でも、その魅力に気づいた人は、
逆になかなかそこから抜けられない。
不愉快な刺激は癖になる

刺激には誰もが受け入れやすい「快適な刺激」とちょっと不愉快だが癖になる「不愉快な刺激」がある。ポールマッカートニーは「快適な刺激」であって誰もがこれはヒットすると感じる曲が多い。一方ジョンレノンは「えっ?」という違和感があることをいちいちやる。声の出し方、ギターの弾き方、即興力、個性的でバランスがいい。一度その魅力に嵌ると病み付きになる・・・

井上陽水は一人でポールとジョンの二役のセンスを持っていると斎藤先生・・・
確かにそうだが・・・いくらなんでも「井上陽水>ビートルズ」はナイんじゃないかなぁ。

名曲「傘がない」は
天下国家より目先の女っていう歌ですから。

 傘がない   

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちや 君に逢いに行かなくちや
君の町に行かなくちや 雨にぬれ
冷たい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は何も考えられなくなる
それはいい事だろう

テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしやべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちや 君に逢いに行かなくちや
君の家に行かなくちや 雨にぬれ
冷たい雨が 僕の目の中に降る
君の事以外は何もみえなくなる
それはいい事だろう

最初、これ以上沈鬱で暗くて重い歌い出しで「都会では自殺する若者が増えている」
と歌い出して、深いメッセージ性があるような歌だと思わせておいて、今の社会などどうでもいい、俺は彼女に逢いにいてエッチしたいんだ!傘が無くて濡れちまう!という実に軽い歌詞なのだが・・・・
その裏には発表された1972年は1969年安田講堂は既に落ち、1970年安保闘争も終わり、沖縄も返還され、時代はシラケ世代へと変遷していった。

井上陽水が歌った「傘が無い」はまさにシラケ世代を代表するかのような歌であるが、井上陽水からすれば、一つの方向に人々が群れを成して走ることに疑問を持ち、ちょっと距離をおいたところから「でも、本当にそれでいいの?」「こんな見方もあるでしょう?」と陽水は疑問を投げかけるのだ。


執筆中












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■英語に頼らずにすむ知的蓄積

 日本語を母語とする人にとって、科学の分野でノーベル賞を受賞するにはどれぐらいの英語力が必要だろうか。たとえば2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英は、その受賞講演会で「アイキャンノットスピークイングリッシュ」と冒頭で述べて、日本語で講演した。逆に、高い英語力をもった研究者が多い韓国ではなかなかノーベル賞受賞者が生まれず、なぜ日本がこれほど多くの受賞者を生みだせるのかに強い関心が寄せられている。英語がどこまで堪能なのかは、科学の分野で世界的な仕事をなすうえで本質的な問題ではないのだ。

 では何が本質的なのか。本書によれば、それは日本では英語に頼らなくても日本語で科学することができる点にある。じつは、欧米以外の国で、英語に頼らなくても自国語で最先端の科学を学び、研究することができる国はそれほど多くない。江戸末期以降、日本は西洋から近代文明を必死にとりいれ、新しい単語を創出しながら日本語のなかに近代的な知の体系をつくりあげてきた。その蓄積が日本語で科学することを可能にした。さらに本書は、日本語の特性が科学の探求や発展に大いに資したのではないかとも指摘する。もちろんそれを論証することは困難だが、その状況証拠となるような具体例を本書は数多くあげている。

 ことばとは知の活動におけるもっとも基本的な土台である。私たちはことばをつうじて考え、認識する。それは科学の分野でも変わらない。日本の創造的な科学者たちにとって最大の武器は日本語による思考だと本書はいう。たしかにそこでは英語力も必要だろう。しかし、いまの日本のアカデミズムや教育行政ではその最大の武器が忘れられ、英語で論文を書くことばかりが重視される。日本の国際競争力を高めるには英語力をつけるべきだとナイーブに考えてしまう人にこそ読まれるべき重要な本だ。
    ◇
 筑摩選書・1620円/まつお・よしゆき 51年生まれ。元「日経サイエンス」副編集長。『日本の数字』など。
久々に知的好奇心が刺激され、久々に書評を書きたくなる本であった。

この本を手にした時、江戸時代後期から明治時代初期の幕臣、官僚で東大の前身である
蕃書調所における西周」の業績を称える本であろうと思ったが、もっと奥が深い本であった。

西周(1829~1897)は、日本近代の重要な啓蒙思想家・哲学者であり、初めて系統的に西洋哲学と社会科学を日本に紹介した学者であるため、「近代日本の哲学の父」「百科全書式の学者」 「日本近代文化の建設者」 と言われている。英語を漢文の素養を基に「哲学」、「理性」、「主観」、「客観」、「悟性」、「現象」、「実在」、「感覚」、「知覚」、「観念」、「意識」など、大量の造語は今でも漢字文化圏で広く使われており彼の功績は余りある。

母国語=日本語で科学ができる世界でもまれな国
p55-57
 このように、西周などによって、近代四欧の学術用語が、日本語漢語に翻訳されたことは、東アジア文化圏にとって、僥倖であったとしか言いようがないであろう。それはどういうことかというと、現代の私たちは、母国語で科学ができるということ、母国語で心理学や哲学の議論ができるということなのだ。

 このことを大声言言っているのだが、一部を除いて、なかなか理解してもらえずに苦労している。世界中の人は、科学技術の分野において、サイエンス(科学)とかアトム(原了)とかセル(細胞)とか呼んでいるのだが、もし私たちの日平語に原子や細胞という言葉が作られなかったら、同じ英語の言葉を使うしかなかった。もしそうなら、私たちはただの表音記号でしか術語を知らないことになっていたのだ。

 英語が母国語の人であれば、例えばセルというものは「細分化された一区画」だとわかり、セルラーホン(携帯電話)の周波数割当方式も同じイメージだと直観できるであろうが、私たち日本人にはその類推ができないことになる。しかし、細胞であれば、小さな膜に包まれたものという意味だから、おのずとイメージが湧いてくる。宇田川榕庵が一八三三年に「細胞」と翻訳してくれたのだ。

 この地球上で、母国語で科学をしている国は、そう多くはないと思う。欧米言語圏で、例えば科学という言葉に限っても、ラテン語系の「サイエンス」に類似する言葉以外を当てているのは、たぶんドイツ語のヴィッセンシヤフト(Wissenshaft :l知の根幹という意味)だけではないか。それでもドイツ語の科学用語では、多くのラテン語系の言葉をそのまま流用している。

 あとぱ、漢字文化圏つまり、日本と中国とおそらく朝鮮半島の人々だけが、サイエンスとまったく別の表現を採用している。それが「科学」という言葉である。すでに述べたように、この「科学」という言葉を「サイエンス」という概念の漢語訳として採用したのが、十中八九、西周なのだ。断言できないのは、これが確たる証拠だ、というものが残されていないことと、科学という言葉が科挙の学問という別の意味ですでに使われていたらしいからである。

 付け加えておくと、幕末から明治にかけて、西欧の概念を漢語に置き換える際に、すべて新しく造語したわけではなく、すでにあった漢語を別の意味に転用・流用したケースもかなりあったという。


北里柴三郎、高峰譲吉、長岡牛太郎、池田菊苗……
p62-65
 もちろん、今日の中国語では、科学、物理学、天文学、化学、動物学など、科学技術に関する言葉の多くが、日本と共通の言葉として使われている。 一時、中国では、例えば「化学」のようなもともとは中国で作られた言葉でさえ、日本で作られたと認識されていたらしい。少なくとも二〇年ほど前はそうだったという話を、中国で教鞭をとられた経験を持つ日本人数学者に聞いたことがある。

 いずれにしても、ここで謎を解こうとしている「科学」という言葉の普及については、なお「これだ」という明確な証拠は見つかっていない。日清戦争の一〇年後の一九〇四(明治三年)年から○五(明治三八)年、帝政ロシアと日露戦争を戦い、実質上はともかく名目上は勝利しているわけだいちょうどこの二〇年の間に、科学という言葉は、辞書に載っていない言葉から流行作家が普通に使う言葉へと変容した。日本が帝国主義国家を完成させ、外に向かって動き出した日の出の次期に当っているのが興味深い。  

  この時期、日本の科学分野においても、めざましい成果が輩出している。北里柴三郎による破傷風菌の培養(一八八九〈明治二二〉年)、櫻井錠二(一八五八~一九三九)による沸点測定法(一八九三〈明治二六〉年)、高峰譲吉(一八五四~一九二二)によるタカジアスターゼの発見(一八九四〈明治二年〉年)、志賀潔(一八七一~一九五七)による赤痢菌の発見(明治三〇年)、南方熊楠(一八六七~一九四一)の海外での活躍(一八八七〈明治二〇〉~一九〇〇〈明治三三〉年)、長岡半太郎の土星型原子モデル(一九〇三〈明治三六〉年)、池田菊苗(一八六四~一九三六)の旨みの発見(一九〇七〈明治四○〉年)……。これらは、今日の評価レベルで見ても、世界でトップクラスの成果と言ってよい。ということは、まさにこの時期に、日本の科学はすでに世界入射を並べる高い質を持つに至ったのである。

 ところで、言葉にこだわれば、これら日本科学の先人たちは、いったいどの程度、日本語による科学用語を自らのものとしていたのだろうか。

北里柴三郎博士の文章や評論を読むと、大筋において、今日使われている医学用語が使われ、きちんとした合理的で科学的な議論が重ねられていることがわかる。
つまり、研究室においては、今日の日本の科学者回禄、日本語と英語ないしは日本語とドイツ語の二カ国語を使って、科学という知的な営みが進められていたのかもしれないが、少なくとも公式な場では、今日と変わりないレベルで、日本語による科学が展開されていたようだ。

日本人は母国語で科学的思考ができる世界でも稀な国民であり、このことは世界がグローバル化していくなかで、英語が出来ないと不利だという説を覆して余りある。

翻訳など、そのうちAIがやってくれる作業であり、思考のプロセスが母国語である重要性が高まっているのではないか。

それゆえ、ノーベル賞は母国語で科学的思考ができる国の科学者ばかりが受賞するのである。

松尾教授は英語を小学校から教えることをナンセンスだと主張する。これはわたしも同意するところです。

 英語の準公用語化なんて、ナンセンス
p73-75
 英語教育に絞って話を進めよう。いまの九月大学入試の話には、「何かグローバル化か?」という大事な議論があるのだが、それも、たぶん英語と日本語の話を詰めていくと、おのずと議論の俎上に乗ってくると思われる。

 本気で日本の科学をグローバル化しようとするなら、結局のところ、いずれは莫語を準公用語にして、小学校入学時から英語教育を始めようという話になると思われる。日産自動車がゴーン社長のリーダーシップの下に、社内の会議や文書の英語化を実施し、外側から見る限り、ソコソコうまく行っているように見えることが、推進派を勇気づけているのかもしれない。ビジネスは英語でも行ける、というのだ。しかし、設計システム分野で日産と仕事をしている友人の話を聞くと、日産社内の英語公用語にまったく問題がないわけではない。その正否は時間が教えてくれるだろう。

 英語教育に関しては、日本全国の小学校ではすでに、正規な教科ではないものの「外国語活動」として五年生から英語教育が実施されている。文科省は、これを、三年生開始まで前倒ししようとしている。

英語教育の充実自体に異論をはさむつもりはないが、それよりは国語教育、科学教育の充実の方がけるかに先であろう。また、英語教育をそんなに大事に思うのであれば、極端な条件、つまり英語の拳公用語化か何をもたらすのか、少しは考えてみた方がよい。

 こういう話の反証に出して大変に申し訳ないのだが、フィリピンでは公用語はフィリピン語と英語だという。確かに日本に来ているフィリピンの人は英語を自在に話す人が多いように思う。

それならフィリピンはグローバル化しているのか。
 たぶん、している。何か本当の目的かは知らないが外国人が多くフィリピンを訪れ、またフィリピンの人は日本も含め、さますまな国に出稼どないしは移住しているからだ。例えば米国では、フィリピン系アメリカ人は四〇〇万人いるといわれ、アジア系としては中国系に次ぐ多さだそうだ。困ったことに、フィリピンの富裕層が自国を棄てて移住してしまい、社会の発展繁栄に必要な知と財が、自国に供給されないらしい。この傾向はお隣りの国々と似たような話だ。

 フィリピンは確かに国際化ないしはグローバル化しているのであろう。では、こういう形のグローバル化か、はたして人類のめざす理想の形なのであろうか。もちろんそうで言ないと思う。

日本とフィリピンを比較しようとしても、人目や経済規模や社会福祉など、そもそも比較にならないばどの差加ついてしまっているではないか。科学技術においては比較どころの差ではない。

アイデンティティーのないグローバル化など、百害あって一利なしである。

 これを見ても、「英語の準公用語化によって、国際化ないしはグローバル化を達成する」というテーゼが、社会に幸せをもたらすものなのかどうか、理解できるであろう。グローバル化とは、簡単でも正しいものでもないことがわかる。「英語の準公用語化でグローバル化かできる」という理論には、付帯事項がついているのだ。

 そもそも目本の科学界は、毎年、数で言っても世界で第六~七位の科学論文を生み出している。
内容を勘案すればもっと大きな貢献をしている。科学においては、事実上、アジア=日本なのだ。

非常勤講師をしている東京農工大学での感想だが、数年前に比べて、留学生の日不語がとても上手になった。彼らは、日本語で科学する意味とメリットをきちんと理解しはじめているのではないか。

(略)
※このことについては先日読んだ黒川伊保子さんの「日本語はなぜ美しいのか」に母国語取得の最終工程が小学校であり、小学校での英語教育がナンセンスであると同じ事を主張されている、こちらも書評を書こう!
日本語の利点は漢字かな交じりである点だ、ハングルも福沢諭吉らが漢字ハングル併用であったものが、漢字を廃したため元の漢字の読みが同じであれば皆同じ表記となってしまい書き手と読み手で意味を取り違えてしまう。

朝鮮人は自国の歴史もわからず、怒りやすい国民性は自分の意思が相手に伝わらないもどかしさもあるのではないかと私は思う。そして、ノーベル賞を取れない理由は漢字を全廃したハングルにある。

 日本語ローマ字表記論
p106-109

 日本人は、世界で最も多くの文字種を使う国民ではないだろうか。まず漢字がJIS第一水準だけで三〇〇〇文字ある。ひらがなとカタカナで一〇〇文字、それにアルファベットもアラビア数字も時計文字(ローマ数字)なども、けば日常的に使っている。このような現実をみれば、明治期に欧米文化と直面した先人たちの一部が、日本語を口-マ字で表記するように変えてしまえばよい、と考えても仕方ないだろう。

 そもそも、今日の学術用語の基礎の基礎を翻訳した西周でさえが、「洋字をもって国語を書するの論」という短文を 「明六雑誌」の創刊号に書いているくらいなのだ。ただし、西周博士のローマ字表記論というのは、きちんとした日本語を使えるだけの訓練・素養を積んだ上で、つまり漢字やかな交じりの日本語をきちんと読み書きできるようになった上で、それと並行するような形で、ローマ字表記にしたらよい、ということのようだ。

 一〇項目ほどの効用をあげているが、西周の眼目は、七番目の翻訳に便利、八番目の欧米の印刷技術を流用できること、九番目の学術用語を翻訳せずにそのまま使うことあたりにあったらしい。

 ローマ字表記論というのはその後も生き残り、第二次大戦直後などもかなりの勢力を待ったようだ。でも、もちろん、日本語はローマ字表記にはならず、現在のように、さまざまな文字種を使う状態を継続してきた。これは本当に幸いなことだったと思う。もしもローマ字表記などにしてしまったら、今日の韓国や北朝鮮のハングルが直面している厳しい文化状況と、似たようなことになったかもしれないからだ。

 全ハングル化にも長所はあるのだろうが、欠点は、表音文字のため、元の漢字熟語の読みが同じであれば、みんな同し表記となってしまうことだ。これも仕事上の経験だが、例えば漢字なら「新風」「神風」「信風」と書き分けるものもみな「シンンパラム:새바람」という発音の表記になってしまう。だから、著者は「神風」のつもりで書いているのに、読み手は「新風」だと勝手に理解してしまう。こうした行き違いが山ほどあるらしいのだ。

 ましてや、微妙なニュアンスの伝達など望むべくもないと思う。しかも、漢字文化をほぼ棄ててしまったため、あれほど自分たちが大事にし、また誇りに思っている李朝朝鮮について、その歴史古今古丈言を読める人がほとんどいなくなってしまった。歴史が消えたのだ。もちろん、言葉を厳蜜に定義できない状況では、母国語によるまともな科学などできようはずがない。同じことは、ベトナム語のクオックーグー(國語)にも言えるかもしれない。

 日本語ワープロの発明が、問題を解決

 これに比べて、つくづく、日本語は早まったことをしなくてよかったと思う。科学と技術が、問題を解決してくれたからだ。当時、東芝にいた森健一博士(一九三八~)たちを中心に、「日本語ワードプロセッサー」が一九七八年に開発されたのだ。最初は六七〇万円と非常に高価だったが、またたくまに値段は下がっていったっそしていまでは、携帯電話やスマホなどでも普通に目本語が使われるようになっている。すべて森博士たちのおかけだ。

 おそらく、日本語ワープロほど、日本の文字文化に革命を起こした技術はないと思う。もし、「日本文化へ最も貢献した科学技術は何か」と聞かれれば、私ほまちがいなく、「日本語ワープロ」と答えるだろう。異文化を取り入れる許容度が非常に大きく、それゆえに、日本語は、世界で最も多種類の文字を日常的に使う状態となった。そのような私たちが、何の違和感もなく、インターネットや携帯電話やスマホで日本語を使えるのは、すべて、あの森健一博士の日本語ワープロからスタートしているのだ。

 しかも、この日本語ワープロの枝術は、中国の漢字体系はもちろん、さまざまな国の言語の電子化にも流用されていった。その当時、アジアの国々の文字やそのコンピューター処理に関する研究者が、東芝や富士通の研究所に大勢やってきて、共同で研究開発を進めている現場を私は見ている。世界貢献という意味でも、日本語ワープロは、日本人が世界に誇っていい大発明だ。なぜ文化勲章とかノーベル平和賞とかが贈られないのか、不思議なくらいだ。

 日本語というのは、明治初期には、欧米言語に対して一掃のハンディキャップをもっともの、というような捉え方をされていたのかもしれない。だから西周などは、ローマ字表記をしたらどうかと堤案したのであろう。しかし、日本語ワープロの発明で、その危惧はきれいさっぱり、全部解決した。
日本語ワープロの発明はもっと評価されていいと思う。

第六章で湯川博士の中間子の発見と木村資生博士の「分子進化の中立説」という進化論で世界中の生物学者でもっとも有名な博士の例で日本語でなければこの二つの大発見はされなかったであろうという論を書かれている。

中庸か二律背反か
p119
 なぜかは知らないが、私たちのこの国、この社会では、中間ということを素直に認めてしまうのだ。しかし、あちらの国々では、とくにキリスト教が強い影響を与えているのではないかと勝手に憶測しているのだが、少なくとも私たち日本文化ほどに、中間派に対して寛容ではない。右か左か、イエスかノーか、神に愛でられし人々かそうでない人々か、人間か人間以外か。対称つまりシンメトリーな二律背反なのだ。日本人の感覚にとって、これはなかなか厳しい区分ではないだろうか。でも、あちらの人々はそう明確に区分した方が気分よく生きられるらしいのだ。これは日本人には理解できない。少なくとも私はそう思う。
やはり、中庸という考え方は素晴らしいと思う。中庸≠中道=半分で割って真ん中をとる。わかり易く言うと、今の安倍政権は中庸だと思う。マスコミや左翼から見ると安倍政権は右翼で中庸はではないと思うが、ネットウヨや反米右翼から見れば中庸だ。

聖書の精神的束縛とは無縁の日本の科学
p140-143
 話をもう少し本題に戻すと、再生医療のようなテーマと向き合う時、日本の社会でなぜ西欧社会ほど抵抗感を持たないかといえば、要するに聖書の縛りがなく、生命体に素直に向かい合えるからではないだろうか。私はそう感じている。それもあって、次のような疑問を持ったのである。

西欧の人々、特に科学者にとって、受精卵つまりES細胞を研究に使うという行為は、ある種の抵抗感、つまり聖書ないし神への冒涜とか罪の意識が多少なりともあったはずだ。少なくとも日本人よりはそれが大きかったに違いない。そうだとすれば、日本人研究者以上に、IPS細胞のようなES細胞の代わりとなる研究手段の開拓に、一生懸命取り組んでいいはずである。もし日本が逆の文化的土壌を持っていたら、そうしたのではないだろうか。

 それなのに、ある意味で、倫理観が最も反対側にあった日本人、そう山中仲弥博士によって、その深刻な倫理的問題を根本から解決するような仕事がなされた。その当時も今も、日本の幹細胞研究はなかなか充実していて、ES細胞を含めて多くの成果があかっており、そうした中から、山中博士の仕事が生まれたという見方もできるのだ。

 「なぜ日本だったのか」、「なぜアメリカやドイツやフランスではなかったのか」という私の中の問いかけば何年か続いた。その期間は、ちょうど、ネイチャー・ダイジェスト詰の編集長として、毎週毎週、ネイチャー誌に欠かさず目を通すことになった時期だった。ニュース記事の中には、もちろん山中博士の仕事を讃えるものや、その背景にある書き手の意図や意見を感じさせるものも多かっと。そうした多数の記事を通して、西欧社会に住む人々の真の思いが手にれるようにわかってきどのである。

 そして、私なりに出した結論は、やはり、研究ど取り組む時に、ある種の抵抗感を持几ざるをえない状況においては、革命的な発想どか試みどか、あるいは勇気などは生まれにくい、どいうものだっど゜西欧社会の科学は、キリスト教の束縛どいうハンディを負っていどのではないだろうか。

それに対して、山中博士に直接お聞きしてみないどわからないが(お聞きしてもわからないどは思うが)、やはり、例えば西欧文化に縛られど研究者に比べて、抵抗なく素直な形で、真摯に正面からIPS細胞の研究に取り組むこどができどのではないだろうか。

 もう一点、ネイチャー・ダイジェスト誌でいっしょに仕事させていどだいた編集者の宇津木光代さんから、大事なご指摘をいただいどこなぜ日本から画期的な発見が相次ぐのだろうか、どいう議論の中での話である。宇津木さんは、日本の科学が大きな仕事を生かのには、「見どものを信じる力も大きいど思います。関係あるかわかりませんが、キリスト教教育では、目で見どものは本当の姿でないから、それよりも見えないものを信じろど教わりましど」ど言うのだ。なるほど、神様は目に見えない! 私には、なぜか知人・友人・上司・取材先にクリスチャンが多い。

それでも、このような大事な事実を知る機会はなかったし、気もつかなかっど。もちろんこれは 一部でしがないが、まさに私が仮説においてきど概念が証明されどような気分になっどた。

 文化と科学的思考の関係はなお考えていきどたいと思うが、山中博士の仕事は、まさに、西欧社会の根幹にある聖書にどっての危機、つまり、難病治療か受精卵保護かどいう二つの命の選択、厳しい二律背反を回避したのである。

これは間違いのない事実である。私はこのこどを理解した時、いかにIPS細胞の意味が大きいかを悟った。でも、治療の試みくらいの段階を経てから、ノーベル賞授賞になるのだろうど見通していどいしかし、そうではなかった。ノーベル賞は西欧社会の賞だど言われて久しい。二〇一二年の生理学・医学賞は、まさにそのこどを証明しどど思う。科学よりも、たぶん大切なキリスト教的倫理観どいうのがあって、その危機を救済しどのであるから、それはもう別格なのだ。

 そう考えているどき、「ニューズウィーク」の記事に、「ヤマナカの仕事はノーベル倫理学賞でもあるのだ」どいう記事が出ど。その通りだど私は思うし、そういう救済ども言える奥深い仕事が、西欧にどって”地の果て”とも言える日本から生まれたことかこを、心からうれしく思う。福沢諭吉などが明治期に正しく評価した西欧文明へのお返しだ。こういうこどとに対しては、日本人はもっと誇りに思っていいどと思う。

 二〇一三年一一月、山中仲弥教授かローマ教皇庁科学アカデミー会員に選ばれどどいうニュースが流れどが、これはまったく自然な出来事であることは、以上の経緯を知れば納得していただけるど思う。
Cool Japanが言われて久しいが、日本人はキリスト教的な束縛、もちろんイスラムはもとより仏教の戒律もなく、かなり宗教的な自由がありながら、人としての道徳感を持つなんでもありの素晴らしい土壌があるからこそ、日本人ではあたりまえでも外国人にとってとってもCoolに映るのであろう。

 異文化が科学や発想の駆動力
p143-145
 異文化どして日本だけを考えているわけではないので、その点を少し補足しておきたい。ここ数十年の中で、私か最もおもしろいと思った本の一冊に『脳のなかの幽霊』(ラマチャンドランばほか著、山下篤子訳、角川書店)がある。脳という存在が生み出すさますまな不思議を見事に描き出している優れた本だと思ったのだが、特に私か注目したのは、著者についてたった。名前から想像できるように、著者のラマチャンドラン博士(一九五一~)はインドの出身で、この本の内容には、西欧社会などインド文化圏以外で育った人間には、絶対に書けない内容が含まれていた。

それは、インドの宗教的・文化的背景から生まれてくるものだ。
 ラマチヤンドラン博士は、この本の執筆時、カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳神経科学研究所の所長を務めていた。博士は、大学教育と医師になる教育をインドで受けた。たぶん非常に優秀だったのであろう、博士課程の教育は英国のケンブリッジ大学で受けている。そして、職をアメリカで得たのである。ラマチャンドラン博士にとって、インドに生まれ育ったことは、脳に関するユニークな視点を持つことができたという明らかなメリットとなっている。

 ともすれば、西欧社会で学ぶことが科学などの知的競争でメリットになるかのような言われ方をするが、創遣性という観点に立った時は、決してそんなことはない。むしろマイナスの面さえあると言わざるをえない。逆に、しっかりとした異文化の母国を持っていることこそが、創造性豊かな成果を生か源泉となりうるのだ。その例が、山中伸弥博士であり、ラマチャンドラン博士だと私は思う。

 さらに、もう一つ例をあげておく。特に第二次世界大戦の最中から戦後の時間にかけて、アメリカの科学は大きく飛躍した。大戦前のアメリカは、それほど科学の成果をあげていたわけではない。ノーベル賞でいえば、物理学賞七人、化学賞三人、生理学・医学賞七人で、中心はあくまでもヨーロッパにあったのだ。そのアメリカが戦後 、科学の中心になっていくのは、ヒトラーによるユダヤ人追放であった。ヨーロッパの多くの優れた科学者が、アメリカに移住したからである。私は昔、この事実の本質を見ることができなかった。単純に、優秀な科学者がアメリカに移ってきたから、アメリカの科学は繁栄してノーベル賞受賞者加山のように増えた、と考えていたのだ。

 しかし、それは半分正解で半分間違いだ。単に優秀な科学者が集まっただけではなく、さますまな異なる文化を持った人たちだったことが、一番のポイントだったのではないだろうか。原子爆弾開発に深く関わったシラード(一八九八~一九六四)の文章を見ると、英語とはいいながら、奇妙な表現が山ほどあることに驚かされる。ヨーロッパ、特に東欧地域の人々などは、その地方地方の歴史や文化を引きずりながら、アメリカに移ってきたに違いない。そうした背景と、もとからの才能や、新たな厳しい境遇の中から、またそうした人々との間の切磋琢磨、異文化衝突を通じて、知のカオス状態が生まれ、創造的な学問が生まれたのではないだろうか。

なるほど、異文化でいることが、物凄いメリットであるわけだ。
ガラパゴス万歳だ!

 グローバル化か、ローカル化か
p145-147 
最近の、例えば生命科学、ゲノムの話が登場して以降のバイオサイエンスなど、
本当におもしろい話題が少なくなったと思う。毎週ネイチャー誌を見ていて、つくづく思うのだ。アメリカ人のノーベル賞受賞者も、戦後すぐに比べて相対的に減っているだろうし、そもそも、アメリカ発の科学の内容が、本当につまらなくなったと思う。

もちろんここで言う「おもしろさ」は個人的な印象であるが、いま私たちが持っている常識を引っくり返して、その意外性や夢を遠い先まで見通させてくれるような成果のことだ。それがおもしろい科学だと思う。独創的で心をわくわくさせるような話のことである。

 おそらく、アメリカ科学における多様性が少なくなっているのではないか。アジア系の著者の名前が増えて、一見すると多様性は増えているように見えながら、研究成果がおもしろくないのはなぜだろうか。

もっとも、ヨーロッパ発の科学も昔に比べるとおもしろくなく、辛うじて、日本発のテーマに「これは!」というのがあるのが救いとなっているくらいなのだ。

 もしかしたら、今日のグローバル化という流れが、科学を衰退させる方向に働いてしまっているのかもしれない。科学論文はほとんどが英語で書かれてしまうし、まあそれは仕方ないとして
も、ピアレビューという専門家同士の査読制度が、ものの見方や評価基準をますます均一化、画一化させるように作用している。はね上がりを認めないのだ。しかも、このような査読談制度をとるしか、公平なやり方はないという状況なのだから、個性的で独則性の高い成果は、ますます生まれにくくなっているのかもしれない。

 こうした中で、いまの科学界あるいは日本の科学界は、どちらの方向を指向したらよいのだろうか。私は、グローバル化の反対の方向、つまり日本ローカルでよいから、個性的で地域的な発想力を磨き育てる方向に向かうことではないかと思う、英語は通用する程度で十分だと思うし、必要なら、見てチェックしてくれる人間を雇えばよいのだ。それより何より、日本語できちんと考え、論理を構築し、正しい議論を重ね、明快な実験を通して、疑いのない成果を出していくことだ。日本語できちんと科学すること、もっともっと日本語で科学すること、それがいま、最も普遍的で世界に百獣する道だと思う。

 論文誌などにしても、ネイチャー誌やサイエンス誌の役割が没個性化を進めることになっているのだから、もっと小さな専門に特化した科学論文雑誌が登場するべきだし、これまでともすれば軽視されてきた日本語の論文、あるいは日本語の論文誌を充実させることも人事な対策かもしれない。

 ともあれ、日本の科学は、世界の科学を支える何本かの柱であるのは間違いない。それは、ネイチャー誌のフィリップ・キャンベル編集長(一九五一~)が私に打ち明けてくれた話だ。だとするなら、日本の科学は、今日の世界の科学の停滞を打ち破るためにも、もっともっと大胆でわくわくする成果を提供していかねばならない。本当にそのことを世界が期待しているように思えるのだ。

執筆中


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お盆に帰郷したおり水戸芸術館に”鈴木康広展「近所の地球」”を観てきた。観てきたというより体験してきたという言葉が適当であろう。

鈴木康広氏は芸術家・アーチストとして久々に私に革新性という言葉を想い起こさせた。彼は現代芸術の秀才ではなかろうか?天才ではなく秀才である。
天才とは一瞬のひらめきで常人が思いつかない発想に至るが、彼は膨大なノートに
彼のひらめきを書き綴り、そのひらめきを芸術へと昇華させていくアーチストであるように思える。ある種我々も子供の頃もっていたかもしれない自由な発想やひらめきを芸術作品として具体化させているのだが、そういった意味ではまちがいなく天才である。



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遊具の透視法2001
昼間遊んでいる子供たちを撮影したものを、夜のジャングルジムへ投影。
残像を利用した透き通る景色が浮かび上がる。

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無限の池2014

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気球の人2014

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水平線を描くドローイング2002

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日本列島の方位磁石2011

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実際に現在の日本列島の方向が水に浮いた磁石で表示されています。すごい!

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空気の腰掛け2014
座ってみてとても心地よかった。空気の人を鑑賞するにはもってこいだった。

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まばたきの葉2003

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表に開いた目、裏に閉じた目が描いてあって、ひらひら舞い降りると無数のまばたきに見える




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鈴木康広氏の代表作「りんごけん玉」
ですが、けん玉とは重力をあそぶおもちゃであるが故に、赤い球をニュートンが重力を発見するきっかけとなった(と、される)りんごに見立て、木製のリンゴ玉のけん玉をつくった。
ありそうでなかった、アメリカではなぜかけん玉ブーム。
これを全米で売り出せばひと財産できるかも。

新しい「言語」を生み出す 鈴木康広のつくり方

紙の葉っぱの表と裏に、開いた目と閉じた目が描かれており、それが空から舞ってくるとクルクルと回転しまるでまばたきをしているように見える「まばたきの葉」。船が海の上を走っている時に描く波紋が、まるでファスナーで海を開いているように見えたという経験から、ファスナー型の船を造ってしまった「ファスナーの船」。けん玉遊びをしている時に重力と引力を感じる、それをニュートンのリンゴになぞらえた「リンゴのけん玉」......。挙げていけばきりがない、アーティスト・鈴木康広さんの作品は、パッと見は誰もが知っているような事象を、遊びと驚きに満ちた視点で組み換えて、私たちに提示してくれる。ものすごく普通でありながら、人の価値観を揺るがし感動させる「視点」を持つ鈴木さんは、いったいどんなこども時代を過ごしたのだろう。そして、どんなラーニングを受けたのだろうか。
「たぶん、いろいろとものを作り出したのは、幼稚園時代だったと思うんですが、一番大きいのは、家がスーパーマーケットだったことでしょうか。自宅とお店が一体化していて、しかも年中無休。両親はいつも忙しかったので、ほとんど相手にしてもらえませんでした。でも、従業員の人や親戚も店で働いていて、常に家や店に人がいっぱいいて、暇を見つけて遊び相手をしてくれたんです」。
鈴木少年の遊び場は、もっぱらお店の中にある包装台だった。包装紙や段ボール、リボンやハサミ、シール、輪ゴム、材料はすべてそろっている。廃棄となる段ボールなどを集めてきて、包装台の上で、紙や段ボールを使って紙飛行機やボールなどをつくっては、その場にいる大人たちに見せていた。
「安心できるんですよね。みんながいる所でつくるのが好きだった。ちょっとお客さんが途絶えると、親戚のおじさんにボールを投げたりして。すごく面白いおじさんで、僕の相手をしてくれたんです」。
「おじさん」。鈴木康広をつくり上げるうえで、これはキーワードになりそうだ。鈴木少年の兄妹は、姉と妹。ご両親に兄妹が多かったことから、いとこもいっぱいいたそうだが、一番年上であったため、遊び道具を作り出すのは主に鈴木さん。ボールや折り紙の手裏剣などをつくっては、友達やいとこに配っていたという。
「つくるのは" 機能"があるものが好きだった。それは簡単な話で、遊び道具として使えるもの。例えば折り紙も、パンダとかも嫌いじゃないんですが、そこで終わっちゃう気がして。でも手裏剣だったらつくった後に投げて遊べる」。

見えないものを想像する
釣りという遊び

もうひとりのおじさんは鈴木少年を釣りに誘った。少年は毎週の誘いが楽しみで、前日は寝られないほどワクワクしたという。
「釣りってボーッと気長に魚を待っているイメージがあるんですが、そうじゃないんです。あれは気が短い人がやるスポーツ。水の中の見えない魚が、どういう気持ちなのかを考えながら手を替え品を替えて様子をうかがうというか。自分がお腹空いてきたから魚もそろそろお腹空いてきたかなーとか、こどもの頃は真剣に考えていました。浮き釣りが一番繊細な世界なんですが、浮きの動きひとつで魚の振る舞いがわかる。しかもそれが糸を伝って手で敏感に感じ取れる。そういう身体的な感覚もありますね」。
言葉の通じない相手に対し、どう工夫したらコミュニケーションがとれるか、鈴木少年は釣りからたくさんのことを学んでいたようだ。段ボール遊びと釣りともう一つ、鈴木少年を形成するうえで忘れてはならない道具がある、けん玉だ。自身の作品にも活かされている。
「けん玉は中学生の時に出会ったんですが、いまは目が合った時にだけやっています。毎日やり続けると誰でもうまくなるんですが、僕はけん玉をやらない時間がある方が、イメージを広げられて、実際にも成長しているんじゃないかって思っていて。それは別のことにも言えるんですが、やってみようと思える瞬間まで待つ。それがけん玉と目が合う瞬間なんですが、
その瞬間は自分が一番楽しく、いつもの自分以上に集中できる。成長の生まれる瞬間ってこういうものなのかなって」。
鈴木さんはマイペースだ。それは、作品をつくるときだって同じこと。こどもには、それぞれが持っているスピードがある。幸いあまり大人には邪魔されず、自分のペースを守りつつ、やりたいことをサポートできる環境、それが鈴木康広を作り上げてきたのだろうか。

国語と数学ができない
「アート」という言語で対話する

しかし、そんな鈴木少年にも苦手なことがあった。国語と数学だ。
「勉強は苦手でしたね。特に国語と数学。ある意味でコミュニケーションの根本ですよね。国語は言うまでもありませんが、数学も自然の原理を記述する方法です。でも、その2つが小学校の時から苦痛でした。コンプレックスというか、人に何かを伝えたいと思っているのに、伝える術がないというもどかしさが常にあって。だから、僕は得意な絵を描いたり工作をしたりして、人とコミュニケーションをとろうとしたんだと思う。いま、作品をつくっている最中やつくった後にスケッチを描くんですが、それも同じ。作品だけで伝わり切っていない気がすると思って描くわけです。伝えたいから。言語にできないもどかしさみたいなものは、その子ならではの能力を引き出すんだと思います。端から見たら欠点かもしれないけれど、そこには生きる可能性がたくさんある」。
国語と数学が苦手。しかし、絵を描いて相手に伝えたり、道具をつくって誰かに使ってもらったり、人との媒介となる「言語」の可能性をアートは広げてくれたのだ。
そして、鈴木さんは美大に入り、作品づくりの道を歩み続けることになる。美大進学の際にも、ご両親は反対しなかったという。「わがままを許してくれた」と鈴木さんは言うが、そうした周囲の大人たちの大らかさも、彼が生きやすい道への一歩を踏み出す大切な環境だったのだろう。
そして現在、一児の父となった鈴木さん。もうすぐ3歳になろうとする息子には、どのようなラーニングを構想しているのだろうか。
「いやあ、難しいですね。本当に僕は、親からの教育というよりは、環境で育っていて。親戚のおじさんに育ててもらったようなところもあるし。親とべったりなのではなく、親以外の大人とどうやって関わりが生まれるのかを考えていきたいですね。最近ひしと感じていますが、こどもはびっくりするくらいいろんなことがわかってる。言葉に出されることなんて、本当に少し。自分がそこで苦しんだのもありますが、言葉にならない部分を大切に考えてあげられたらと思います」。
鈴木康広展「近所の地球」
開催日:2014年8月2日[土]~ 2014年10月19日[日]
開館時間:9時30分~18時(入場時間は17時30分まで)
休館日:月曜日 *ただし9月15日、10月13日(月・祝)は開館、9月16日、10月14日(火)は休館
入場料:一般800円、団体(20名以上)600円 中学生以下、65歳以上・障害者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料
会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー
住所:茨城県水戸市五軒町 1-6-8 
電話:029-227-8111
主催:公益財団法人水戸市芸術振興財団
会場構成:ワンダーウォール
企画:浅井俊裕(水戸芸術館現代美術センター芸術監督)
https://arttowermito.or.jp/

鈴木康広
1979年静岡県浜松市生まれ。2001年東京造形大学デザイン学科卒業。
日常のふとした発見をモチーフに記憶を呼び起こし共感を生み出す作品を制作。国内外の展覧会をはじめ、パブリック・スペースでのコミッションワーク、大学の研究機関や企業とのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。著書は作品集『まばたきとはばたき』(青幻舎)、『Digital Public Art in Haneda Airport 空気の港テクノロジー×空気で感じる新しい世界』(共著/美術出版社)。
武蔵野美術大学空間演出デザイン学科専任講師、東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室協力研究員。
http://www.mabataki.com/

執筆中














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11 世界一美しい食事――京都 2

http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/dorama/cabinet/bkimg/200x/833/32800135.jpg?_ex=300x300&s=2&r=1僕が知っているなかで一番美しい料理本といえば、豊富な写真で京都の料亭、菊乃井の料理の四季をたどる『KAISEKI』だ〔『菊乃井-風花雪月』村田吉弘、久間昌史著、講談社インターナショナル、2006年刊の英語版〕。著者は菊乃井の主人で料理長でもある村田吉弘氏で、エル・ブジのフェラン・アドリアとノブ・マツヒサが序文を書いている。                                                                                              
この本に載っているレシピは、気が遠くなるほど手聞かかかる114種類もの素材を下ごしらえしておかなければならないものもある。でも、圧倒されるほど美しくて、どれもが季節の食材をみごとに引き立てている。
p146-148
フランスと日本で修業を積んだ村田氏は、このふたつの国の料理をどう比較しているのだろうか? 「僕は、日本とフランスの料理の違いはこういうことやと思います。日本料理では、僕らは食材は神様からの贈り物やと思うて、手を加えすぎんようにします。たとえば大根は、ありのままの姿形が最高やと考えるんです。

僕に言わせれば、フランスのシェフは往々にして素材を変えてしまいたいと思っている。素材に自分ならではの個性を与えようとしています」言い方を換えれば、日本の料理人は神様からいただいたものを調理し、フランスのシェフは自分が神様だと思っているということか。

村田氏は、これと同しことを本にも書いている。「若いときは、あらゆる食材に”味をつける”ことが僕の仕事やと思うてました。でも今では、そのアプローチはおこがましいんやないかとわかってきました。『食材が本来持っている味を引き出す』のが僕らの本当の仕事じやないかと考えるようになりました」

 村田氏は、別の表現もした。僕が聞いた限りでは、そこには日本と欧米の料理の基本的な違いがにじみ出ていた。「オートキュイジーヌでは、異なる素材の風味を込み入ったやり方で加えたり重ねだりします。けど日本では、とりわけ京都では、主に野菜を中心に料理しますが、その目的は、それぞれの素材の、たとえば苦味とか、あまり好まれない風味を抑えるようにして、素材の本質的な味を引き出すことにあります。日本料理は、引き算の料理なんです

 世界が懐石に注目するようになったのは嬉しいことですよね、と僕は言った。                                                 「そうです、ほんまに、とても嬉しいです。世界から深い関心を寄せられる日が来るなんて、思うてもみませんでした。日本の料理は文明が熟成した時代に実にしっくり合うということに、世界の人が気づき始めたんでしょう。非常に多くの素材を使っていますが量は少しずつで、すべての料理をいただいてもちょうど1000キロカロリーほどです。これはぼくのライフワークですよ」村田氏は満面の笑みを浮かべて、深々と椅子にもたれた。

 今、ニューヨークでは懐石の店が大流行ですが、世界を征服できると思いますか? 僕はそう尋ねた。

「可能性はありそうですが、懐石は油脂を使いませんから、ほとんど脂っ気のない料理です。幅広く受け入れてもらうのは、そう簡単ではないでしょう。懐石を理解して、懐石のよさがわかるには、何回も食べて感覚を慣らしていただく必要があります。 

たとえば、初めてトリュフを食べたとき、あの風味をすぐには理解できませんよね。同じように、懐石を初めて食べた人には、あのおいしさはわかりません。調理していない魚が欧米で食べられるようになるまでには、どれはどうまみがあるかを知ってもらうまでには、かなりの年月がかかりました。

今はまだ、欧米の人の味覚からしたら、懐石はとてもとらえにくいものやと思います。たとえばワサビはどうですか。あれは、わかろうとせな、わからん味でしょう。日本人は、パンを好きになるのに努力しました。初めは、あんこなんかを入れて甘くしたんです。フランスパンは日本人にとっては固すぎるので、自分らの味覚に合うように、軟らかくしたんですよ」

 「それに、文化の違いもあります」村田氏は、そう続けた。

「以前、アメリカで和食に招待されたことがあります。焼き鳥、鮨、照り焼きが出てきて、彼らはそれが懐石やというんです! ノー、これは懐石じゃない、と僕は言いました。懐石にはふたつの要素がないといけません。身心の栄養と季節です」

 前の晩に楽しんだ食事では、あの革新的で奇をてらった「モラキュラー・キュイジーヌ」にずいぶん近いと思える料理がいくつかあった。ジョエルー・ロブションなどフランスのシェフが先駆けとなった欧米のマルチコース・スタイルの食事は懐石の影響を受けていることや、モラキュラー・キュイジーヌのシェフたちがそれをさらに極端なところまで推し進めたことも知っているけれど、はたして村田氏は何か類似点があると考えているのだろうかと、僕は思った。

 「フェラン・アドリアはいい友だちですし、もちろん、ここへ来てくれたこともあります。彼は 天才ですよ。でも、僕の考えでは、食べ物はおいしいか、おいしくないか、おもしろいか、おもし ろくないかのどっちかです。他の人が僕の料理を何料理と呼ぼうが、お客さんに喜んでいただく ためならできることは何でもするというのが僕の哲学ですし、アドリアもおんなじ考えやと思います。彼のお客さんが液体窒素を使うと喜ばはるというんやったら、僕も異存はありません。僕が逆立ちした方がええんやったら、そうもします。もっとも、僕は逆立ちはできませんがね」彼は、そう言って笑った。

「あえて言うならば、彼はマイナス270度で天ぷらを揚げるかもしれませんが、僕はやはり、そういう天ぷらよりも本物の天ぷらの方がおいしいと思いますし、味は見た目の驚きに勝ると思うんです。けど、そうは言うても、伝統を受け継いでいくには何かを守らんといけませんが、同時に伝統を破ることかて必要です。僕が料理するのはお客さんのためであって、自分のためでも後世の大のためでもありません。賞賛というものには、興味ありません」

>日本の料理は文明が熟成した時代に実にしっくり合うということに、世界の人が気づき始めたんでしょう。

その国が成熟してくると日本文明・とりわけ日本料理が如何に素晴らしいことか理解されてくるものだと思う。アングロサクソン人は全員味覚障害ではないかというのは、私の偏見であった。英国人であるマイケル・ブース氏がたとえ村田氏とインタビューしても、理解していなければこの文章は書けなかったはずです。

本書は日本人の私にも、懐石料理の哲学について学べる優れた日本料理の本ではないかと思います。




16 奇跡の味噌とはしご酒――大阪 2

p206-213
「おでんにトライしたことがないって、どういうこと?」僕のしがめつ面を的確に読み取ったトニーがそう言った・「おいしいよ・ぜひ食べてみて」おでんというのは、日本風のシチューのようなもので、いろいろな具が入った身体が温まる料理だ。なかに入っているのは、四角く切った豆腐、肉類、ゴボウ、大根、ジャガイモ、フィッシュケーキ〔練り物〕、昆布、ゆで卵などだ。興味深いこんにゃく――粉来状のコンニャクイモの根から作る、味がなくて弾力のある肉っぽいもの――にもお目にかかれる・料理人が手を触れたものは次々とつゆのなかへ入り、最高のおでんは永遠に続くといわれる――桶は絶えず火にかけられていて、日々のつゆに新しいつゆを継ぎ足していくからだ。

料理人がいくつか見つくろってよそってくれた――揚げた豆腐、柔らかなポーク、大根、そして固ゆで卵oおいしい・もっとも、そう感じたのは、この料理にあまり期待していなかったせいかもしれない。

大阪人の気質は親切で寛容だが、よそから来た婿でもそれは同じらしい(トニーはおでんの代金を払うと言ってきかなかった)。大阪人の温かさは、翌日の晩、知人の知人である地元の食通たちに会ってみて、一層はっきりとわかった。彼らが、自分かちのグルメ手帳のなかから選んだおいしい店へ連れていってくれることになっていた。

待ち合わせは、国立文楽劇場の前だ。おそらく40代前半くらいのヒロシはカンゴールの帽子をかぶり、サーファーシャツを着ていた。もうひとりは、ヒロシと同年代の小柄でかわいらしい女性、チアキだ。自己紹介のときはふたりとも日本風に遠慮がちだったが、食べ物の話になったとたん、気後れしたようすはどこかへ消し飛んだ。「大阪大は、ひと晩のうちにいろんなところで食べるのが好きなんです」ヒロシが、いたずらっぽい笑いをちらっと浮かべていった。それは冗談でも何でもなかった。僕らはその夜、半ダースほどの店を回ることになったからだ。しかも、タパスの食べ歩きとはわけが違う。

まずは、衝撃的なお好み焼きだ。その店、千草は汚れて古びていたが、僕らの目の前にある黒い油がこびりついた鉄板で焼き上げてくれた。ヒロシによれば、大阪で一番のお好み焼きということだったが、それは間違いなさそうだった。「大阪では、直接コテで食べるんよ」と、チアキが自分のコテで切り分けながら言った。「ほら、うちらって、せっかちやから」店の人は、その日の晩にワールドカップの日本対イングランド戦があるせいか、しきりにラグビーの話題を振ろうとしていたが、僕はそれよりも、彼がお好み焼きに塗っているソースに興味があった。「シークレット・レシピ」彼はそうささやいて笑った。

はっきりいって、これは健康的な食べ方じやないけれど、日本人は、欧米人と同様にというか、むしろ欧米人を凌ぐほど、食事の楽しみ方を知っている。               
次に寄ったのはだるまという、今や日本中で名を知られる串カツ屋だ。お好み焼きと同じく、この串カツ――肉、魚、野菜などにパン粉をまぶし、串に刺して揚げた料理――にしても、いまだに世界で旋風を巻き起こしていないのはなぜなのか、理解に苦しむ。これも大阪のすばらしいファストフードで、天ぷらや焼き鳥――串カツと形態が似ている――と同様、日本を代表する料理として世界中に広める価値がある。串
カツの衣は独特で、これまた特別な、濃厚で甘みのある黒光りしたソースを、ひと□大の肉、魚、野菜の串にたっぷりつけて食べる。

串カツの秘密はとにかく衣にあって、だるまの場合、ピューレ状にした山芋、小麦粉、卵、水に、11種類のスパイスを特別にブレンドして作る。薄くカリッとした衣に揚がるのが特徴だ――僕らは、ビーフ、エビ、ウズラ卵、チェリートマト、アスパラガス、チキン、ホタテを食べた。串を揚げるのは190度のビーフオイルだ。ソースは共用の容器に入れてカウンターに置いてあり、「No double dipping [二度づけ禁止〕」と英語で書いてある。

ところで、だるまは大阪を象徴する通天閣のすぐそばにあるが――こういう塔も、水族館や観覧車と同じく大都市のシンボル的存在だ――その目立つお隣さんよりもけるかに歴史が古い(創業80年)。僕らはカウンター席に着いたが、小さなオープンキッチンで働くスタッフが身体をかがめたり忙しく動き回ったりするたびに、足元に水が飛んできた。粗末な店かもしれないが、串カツというものを知るのにこれ以上の場所はない。しかも、ウズラ卵とトマトはずば抜けているし、薄くパリッとしていてサンドペーパーをかけたみたいに均一な衣は、□のなかでカリッと割れてとろりとうまい中身と混じり合う。値段は1本50ペンス以下なので、食べすぎると入院する羽目になるというリスクを順に入れておかないと、どこまでも手が出てしまう。

「この後、まだどこかに行く予定なのかな。もしそうなら、この辺でストップしておくよ」僕はある程度のところで、ヒロシにそう言った。でも、次へ行く予定かあっても、結局やめられなかった。串とビールがいつまでも続いた。店を出たときはもう6時で、とても大勢の人が店の前に行列していた。「何キロも続く列が、毎晩できてますよ」ヒロシがそう言った。フェラン・アドリアも――ストーカーに遭っているみたいに、僕の行くところ行くところで、彼の名前が登場する――

(略)                                              [立ち飲み屋 エノキで、こういった店で道路工事のおっさんも、企業のトップも肩を並べて飲むことを紹介]

次に入った店は、チアキが選んだうどん屋、てんまだった。僕は、このとどめとなる最後の一軒に抵抗した。満腹すぎるくらい満腹で、けろ酔いどころじゃなく酔っていたからだが、でもチアキが僕を説き伏せてくれてよかった。そのチアキのひいきのうどん屋で、天国を味わったからだ。

それは、だし汁のなかにカリガリに揚げた小さな餃子が浮かんでいる、シンプルな料理だった。

話は、だんだん突っ込んだ内容になっていった。「マイケルさん、好きな食べ物は何? 人生最後の食事は何かいいですか?」ヒロシにそう訊かれた。

僕はしばらく考えた。デュカス〔パリの3つ星レストラン、アランーデュカスを初め、世界各地でレストランを経営するシェフ〕やロブションの店の手の込んだ料理にしようか、本場イギリスのローストビーフがいいか? 生ガキ、ロブスター、軽くソテーしたフォアグラも気になるし、日本に来てから食べた忘れられないような料理の数々も、死ぬ前の食事にふさわしい。でも本当のところ、そのときの僕は、このだし汁ほどうまいものはかつて食べたことがないと感じていた。

もぎたての豆のように甘く、しかも海の味わいが複雑に絡まり合い、餃子をかじるとみごとなポークのパンチがネギと香草の刺激と一緒に口のなかに広がる。相当酔っていたとは思うけど、今でもその味は、過去に食べた幾多の料理と同様、鮮明に覚えているほどで、僕は正直にふたりにそう言った。

チアキとヒロシの顔がはころんだ。お世辞じゃないとわかってほしいと願うばかりだ。

このだし汁がどういうふうに作られているのか、僕は知る必要があった。あっけにとられる友人たちを尻目に、立ち上がって、よろめきながらオープンキッチンのなかへ入っていった。日本人はそういうことはしないだろうけれど、たいていの場合、外国人は無知で行儀が悪いという暗黙の了解が、あらゆる立ち入り禁止エリアヘのパスポートになる。僕の質問がどうにか伝わって、昆布だしに加えて煮出す3種類の乾燥させた魚を見せてもらったIそれは、鰹節とイワシとサバの煮干しだった。

この最後のキッチンめぐりで、その日の食べ物屋めぐりは終わった。結局わずか10時間かそこらで、1週間分を食べつくした気がする(OK、撤回する、2日分だ)。その晩、どうやってホテルヘ戻ったのかまったく覚えていないし、あちこちどこを食べ歩いたのかまるで思い出世ないけど、正真正銘の大阪人であるチアキとヒロシが僕に一切支払いをさせなかったことは、ちゃんと覚えている。
大阪B級グルメの外国人レポートとしては超A級です。

水戸生まれのわたし(Ddog)の人生最後の食事を選ぶとしたら、採れたての新米で炊いた炊き立てのご飯とくめ納豆がついた旅館で味わう和食の朝食を選びたい。




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アインシュタインはフロイトに質問します。いまだに戦争を無くせないのは、人間の心に問題があるのではないか?と。そして人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?
フロイトの回答
P27~37
権利と権力の関係から貴方は議論をはじめました。私もここから考察をはじめるのがよいと思います。ですが、私としては「権力」という言葉ではなく、「暴力」というもっとむき出しで厳しい言葉を使いたいと考えます。

権利(法)と暴力、今の人だちなら、このふたつは正反対のもの、対立するものと見なすのではないでしょうか。けれども、権力と暴力は密接に結びついているのです。権力からはすぐに暴力が出てきて、暴力からはすぐに権力が出てくるのです。

では、原始の時代に遡り、両者がどのように結びついたのか眺めてみましょう。そうすれば問題に対する解決も容易に見いだせるのではないでしょうか。話を進める中で、すでに広く知られている事柄や承認されている事柄を新たな発見であるかのように語る箇所もあるかと思いますが、ご容赦下さい。そのように議論を運ぶことで、話がスムーズに展開するのです。

人と人の間の利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。人間も動物なのですから、やはり暴力で決着をつけます。ただ、人間の場合、意見の対立や思想の対立というものも生じます。しかも、きわめて抽象的なレベルで意見が衝突することさえあります。ですから、暴力とは異なる新たな解決策が求められてきます。とはいっても、それは文明が発達してからの話です。

当初、人間が小さな集団を形作っていた頃は、腕力がすべてを決しました。
物が誰に帰属するか。誰の言うことがまかり通るのか。すべては肉体の力によって決まったのです。

しかし程なく、文字通りの腕力や筋肉の力だけでなく、武器が用いられるようになります。強力な武器を手にした者、武器を巧みに使用した者が勝利を収めるのです。ということは、武器が登場したとき、すぐれた頭脳や才知がむき出しの腕力を押しのけはじめたことになります。

けれども、頭脳を使おうとも、戦争で目指されていたことに変わりはありません。戦いの相手を傷つけ、力を麻痺させ、何も要求できない状態に貶(オトシ)めようとしたのです。

では、敵を徹底的に倒すには、どうすればよいでしょうか。暴力を使い、敵が二度と立ち向かってこられないようにすればよいはずです。そう、敵を殺せばよいのです。敵を殺害することには、二つの利点があります。第一に、その敵と再びあいまみえる必要がなくなります。第二に、他の敵への見せしめになります。いや、それだけではありません。敵を殺害すると、本能的な衝動が満足させられるのです(この点については、あとでもう1度立ち返りたいと思います)。

しかし敵を葬ろうとしたとき、新たな考えが浮かび、敵を殺すのをやめるかもしれません。恐怖心を徹底的に植えつけたうえで、敵を生かしておき、何かの労働に使おう! 暴力で敵を殺さず、敵を屈服させるだけで満足するようになるのです。

これこそ、敵に情けをかけることのはじまりにほかなりません。とはいえ、敵を生かしておいた以上、敵がたえず復讐心をたぎらせていると考えざるを得ません。勝利者の身の安全がやや損なわれることになります。

ともあれ、はじめは、力の強い者が支配権を握りました。むき出しの暴力、さもなければ才知に裏打ちされた暴力が支配者を決めたのです。

誰もが知っていることですが、このようなあり方は、社会が発展していくにつれて、少しずつ変わっていきました。暴力による支配から、法(権利)による支配へ変わっていったのです。
しかし、どのようにして法(権利)による支配へ変わっていったのでしょうか? 答えは一つしか考えられません。多くの弱い人間が結集し、一人の権力者の強大な力に対抗したに違いありません。「団結は力なり!」 団結の力で暴力が打ち砕かれたのです。

この団結した人間の力が法(権利)としてあらわれ、一人の人間の暴力に対抗したのです。法(権利)とは、連帯した人間たちの力、共同体の権力にほかならないのです。ただし、この力が暴力であることに変わりはありません。歯向かう人間がいれば、やはり暴力に訴えます。暴力を使って自分の意志を押し通し、自分の目的を追求していくのです。

相違点はただ一つ。一人の人間の暴力ではなく、多数の人間の暴力が幅を効かすだけなのです。

しかし、暴力の支配から新しい法(権利)の支配へ移るにあたってば、人間の心のほうにも新たなものが芽生えていなければなりません。一つの条件が満たされていなければならないのです。多数の人間たちの意見の一致と協力、それが安定したもので、長く続かなければならないのです。

もし多くの人間の協力がつかの間のものにすぎず、一人の権力者を追い払ったあとには、団結心が失われたとしたらどうなるでしょう。何も成し遂げたことにはなりません。他の人間だちより自分の力が優っているそう考える新たな一人の人間が登場し、ふたたび暴力による独裁をはじめるでしょう。際限なくこのパワーゲームが繰り返されていくでしょう。

ですから、法や権利に支えられた共同体を持続的なものにしなければならないのです。幾つもの組織を創設し、社会を有機的なものにする。規則作り反抗が起きて社会を壊さないように先手を打つ。規則、つまり法律を守らせる。法にのっとった暴力を行使できる機関を定める ---- そうしなければならないのです。

共通の利益に支えられたこのような共同体を作ろう。多くの人がそう思うときには、人々の間に感情の結びつきが生まれていなければなりません。団結心です。この感情があるからこそ、共同体は強固な力を持てるのです。

これで、重要なことはすでに言い尽くした感があります。個人の粗暴な暴力が克服されるには、権力が多数の人間の集団へ移行する必要がありますし、この人間集団を一つにつなぎとめるのは、メンバーの間に生まれる感情の絆、一体感なのです。

以下に述べることは、この本質的な点を繰り返し、詳しく説明しただけです。

さて、社会が同じ能力、同じ強さの人間ばかりから成り立っているなら、問題はさして難しくありません。安全な共同生活を営めるようにするために、個々の人間の自由----自分の持てる力を他人への暴力として用いることができる自由----をどの程度まで制限せねばならないのか。社会がそのことを掟(法律)として定めてしまえば、それで問題は解決します。 けれども、個人と社会の掟の間にこのようなバランスの取れた状態が実現するなど、理論の中の話にすぎません。現実の社会の中には、そもそものはじめから、バラバラな能力と バラバラ な力を待った人間たちが住んでいます。男もいれば、女もいます。大人もいれば、子どももいます。戦争や征服が起きれば、勝者と敗者に分かれ、勝者と敗者は主人と奴隷という関係に変わっていきます。

こうなると、社会の法(権利)とは、現実の不平等な力関係を映し出すものになっていきます。法律は支配者たちによって作り出され、支配者に都合のよいものになっていくのです。支配されている人間たちの権利など、あまり考慮されないのです。

すると社会の中には、法を揺るがす(と同時に法を発展させていく)二つの要素があることになります。 一つは、支配者層のメンバーたちの動き。なおも残された制限を突き破り、「法による支配」から「暴力による支配」へ歴史を押し戻そうとします。もう一つは、抑圧された人間たちが絶えず繰り広げていく運動。自分たちの力を増大させ、それを法の中に反映させようとします。支配者たちと異なり、「不平等な法」を「万人に平等な法」に変革しようとするのです。

この第二の方向が強くあらわれるのは、社会の中の力関係が変化していくようなときです。例えば、歴史の変革期です。このようなケースでは、法はしだいに新たな力関係に即したものになっていきます。

しかし多くの場合、力関係の新たな動向を支配者たちは十分に汲み取ろうとしません。そのため、ともすれば反乱や内戦が起きがちであり、「法による支配」が一時的に消え去って、暴力がすべてを決する状態に逆戻りしてしまいます。とはいえ、最後には新たな法秩序が生み出されます。(ちなみに、法のあり方を変えるもう一つの要素があります。社会のメンバーたちの文化です。文化が変われば、法のあり方が変わっていくのです。が、この変化は暴力を介さずに行われるもので、ここでの文脈には相応しくありません。のちの文脈で取り上げるべきテーマです)

そのようなわけですから、「法によって支配される」社会が一度できあがっても、利害の対立が起きれば、暴力が問題を解決するようになってしまうのです。これは避けがたいことです。しかし皆、同じ土地の上で共同生活を営んでいる以上、いつまでもむき出しの暴力の対立を放っておくこともできません。そのため、社会生活が成り立っているところでは、すみやかに問題を収拾しようとする傾向が強くなります。平和的な解決が実現する可能性が高くなるのです。

しかし、人類の歴史に目を向ければ、数限りない争いや対立が生じています。一つの社会と別の社会の対立、一つの社会と複数の社会の対立、大きな単位の集団と小さな単位の集団の対立、都市、地方、部族、民族、国家の間の対立です。これらの対立は、ほとんどの場合、戦争という力比べによって決着をみてきました。

そしてどんな集団でも戦争に参加すれば、強奪か完全な服従のどちらかに行き着いたのです。戦争とは、一方の側か相手を征服することで終わるものなのです。けれども、征服戦争、侵略戦争のすべてを一括し、それに対して統一的な評価を下すような真似はできません。

なるほど、モンゴル人やトルコ人の侵略戦争は災いしかもたらしていません。ですが、「暴力による支配」から「法による支配」への転換を促した戦争もあります。かつてよりも大きな政治的単位を作り上げ、その中では「暴力」を禁じ、法秩序の力で争いの決着をつけるようにしたのです。

ローマ人の行った征服のことを考えてみて下さい。地中海の国々に見事なローマの平和(パックスロマーナ)」をもたらしたではないですか。フランスの国王たちの征服欲を思い出して下さい。フランスを平和的に統一し、フランスという国を栄えさせたではないですか。

とすれば、逆説的に聞こえるかもしれませんが、こう認めねばならないことになります。人々が焦がれてやまない「永遠の平和」を達成するのに、戦争は決して不適切な手段ではないだろう、と。戦争は大きな単位の社会を生み出し、強大な中央集権的な権力を作り上げることができるのです。中央集権的な権力で暴力を管理させ、そのことで新たな戦争を二度と引き起こせないようにできるのです。

しかし、現実には戦争は「永遠の平和」を実現させてはいません。なぜでしょうか。征服によって勝ち得た状態は、長続きしないものだからです。暴力の力で様々な部分や様々な単位を強引に一つにまとめても、それをいつまでもつなぎ止めておくことができず、新たに作り出された大きな統一体も瓦解していくのです。

そればかりではありません。どのような大がかりな征服であれ、これまでのところ世界全体を統一するものではありませんでした。いずれも部分的な統一にすぎず、新しくできあがった大きな単位同士が争うことになり、以前にも増して暴力によって決着をつけようという傾向が出てきたのです。

その結果、どうなったでしょうか。夥しい数の小さな戦争、というより絶え間なく繰り返されてきた小さな戦争は影をひそめ、巨大な戦争が起きるようになりました。以前ほど頻繁に戦火があがるわけではありませんが、ひとたび戦争が勃発すれば、その惨状は凄まじいものとなったのです。
フロイトはここでローマ人の戦争行為が「パクスロマーナ:ローマの平和」をもたらした例をあげています。日本でも徳川家康が戦国時代を勝ち抜き、暴力によって、乱世を終わらせて平和をもたらすことができました。
しかし、過去「永遠の平和」を実現させたことはありません。ローマ帝国でもモンゴル帝国といった大帝国が何度か成立しましたが、いずれも崩壊し、分裂していきました。人類史上最大の帝国であったモンゴルでさえも、ユーラシア大陸の一部を制したに過ぎません。地球全土を「天下統一」した国は無いし、今後ともないでしょう。
結論として、フロイトはアインシュタインの見解に同意するものの、アインシュタインがいうような国際的機関が成立しないことにも同意しています。

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多数の命を救うために1人の命を犠牲にするという、一見正しい判断も、少し状況が変わると正しいとは思えなくなる。思考実験「トロッコ問題」が見せる、人間のパラドックス。

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ある状況下では、1人を犠牲にしてたくさんの人の命を救うことは全く正しいことに思える。一方で、同様の命の救い方が、良心に欠けると感じられる状況もある。道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない。

「興味深いのは、一貫性に欠けていることだ」とハーバード大学の社会心理学者Mahzarin Banaji氏は言う。「われわれは突如としてカント主義的になる場合がある」

このパラドックスを何より明確に示すのが、「トロッコ問題」(トロリー問題)という古典的な思考実験だ。

5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。

多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。

しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。[この問題は「The fat man」と呼ばれるもので、Judith Jarvis Thomsonが提案したトロッコ問題のバリエーション]

この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する、とBanaji氏は述べた。カリフォルニア州パロアルトで10月26日(米国時間)に行なわれた、全米サイエンス・ライティング振興協議会(CASW)の会議でのことだ。[Time誌の記事によると、「5人を救うためでも線路に落とさない」と回答するのは85%にのぼる]

われわれは、1人をトロッコの前に突き落とすことと、トロッコを1人の方へ向かわせることとは、何かが異なるようだと直観的に感じる。しかし、なぜそう感じるのかは、社会心理学でも神経科学でも哲学でも、いまだ解明できていない。

興味深いことに、この問題の登場人物をチンパンジーに置き換えた場合、人間は躊躇なくチンパンジーを線路に投げ落とす選択をするという。

「自分たちとは異なる要素があると、人間は功利主義[善悪は社会全体の効用によって決定されるという立場。最大多数の最大幸福が目標になる]になる。しかし、自分たち自身のためには、カント主義的な原則に従うのだとBanaji氏は述べた。

[カントの義務論は、功利主義と根本的に異なるとされる。つまり、最大多数の最大幸福による止むを得ない犠牲(他の義務を切捨てた事等)自体は善とされない。また、善悪判断に関して、功利主義は目的や結果を評価するのに対し、義務論は意志や動機を評価する。義務論では、どんな場合でも無条件で、「行為の目的」や結果を考慮せず道徳規則に従うという形になる。このような、「もし~ならば~せよ」という形ではない「定言命法」が、カント倫理学の根本的原理]

読者のみなさんはどうお考えだろう? 一見してパラドキシカルな人間の行動は、われわれのモラルの配線が偶発的にショートしたもので、脳が考える倫理にはそもそも恣意的な性質があることを暴露していると解釈すべきなのだろうか? あるいは、行動のなんらかのレベルにおいては、進化論的に理にかなったことなのだろうか?

[Time誌の記事などによると、fMRI(脳スキャン)を使ったトロッコ問題研究がある。「トロッコを側線に導く形で1人を犠牲にして5人を救う」という場合は、前頭前野背外側部(客観的な功利的判断をする場所)の活動が活発になるが、「5人を救うために1人を落とす」ことを考える場合は、前頭皮質中央(感情に関係がある)が活発になる。これらの脳の2つの部位のバランスのもとに最終判断が下されるという(Science 293(5537),2105-8, 2001)。

また、医学界新聞の記事によると、腹内側前前頭葉皮質(VMPC:ventromedial prefrontal cortex)に傷害のある患者は、トロッコ問題に対して常人とは異なった判断を下すことも示されている。VMPCは以前から、同情・羞恥心・罪悪感といった「社会的感情」に関与する領域として知られているが,この領域に傷害がある患者は、例えばトロッコ問題に対して、「多数の命を助けるためには、隣に立っている人を橋から突き落としても構わない」と答える傾向が際立って強いことが明らかにされ、倫理的判断は理性と感情のバランスの下に下されるとする説が一層信憑性を強めることになったという(Nature446(7138),908-11, 2007)]

[日本語版:ガリレオ-高橋朋子/合原弘子]
TPPの問題は感情で判断するような左翼層・ネットウヨ層にとってはただ反対すればいい問題であるが、問題意識を持つ保守層の人間にとっては非常に難しい思考問題である。反米保守層は反対派に躊躇なくなるであろう。問題はわたくしのような保守本流層にとってはこの問題は難問である。

正直なところ私でさえTPP問題についてはサンデル教授の白熱教室でもとりあげられた有名な思考実験「トロッコ問題」のように何が正解なのかはわからない。

登場人物をサルに置き換えるのではなく、突き落とす人間を、ギリシャ人・米国人・日本人・中国人とそれぞれ置き換えて考えてみるのもよいだろう。また線路で作業している人間を少数派農業従事者と多数派都市部サラリーマンと置き換えて思考するのも一興である。

なにもせずただ突っ立っていたのが今までの日本人である。

米国人の99%は高脂肪の食べ物を腹に詰め込み、実際は手が出ない高級品をクレジットカードで購入する。それから、マイナスになった口座をどうにかしようと、睡眠を削りながら働き詰め、結局、不安と憂鬱にさいなまれる。そんな壊れた米国社会が私の理想なわけがない。

米国は社会のコミュニティがくずれ、その結果がリーマンショックの経済危機で、米国は冷戦に勝利した美酒のツケを早々払わされることになった。

リーマンショックで米国人の生き方を考え直し、正常に機能する国を築こうとしていると思える。米国が行おうとしている事は、製造業の復興や輸出による経済の再建を目指している。TPPは米国社会が復興に利用しようとしているのも確かだろう。長期的に米国が復興することを私は同盟国の国民として歓迎する。

私はTPPに条件付で賛成しているが、TPPに反対している人達を軽蔑する傾向にある。米国も復興しようとあがいているのだ!日本も多少の犠牲を払っても米国を復興させることが日本の国益にも繋がるのではないかと考えています。TPPの参加に交渉することで、日米のより強固なWin-Winの関係を構築することができないものではないか?そしてどうせ参加するのであればルール作りからの参加がのぞましい。

TPP反対派はTPPに加わると日本が一方的に損をするだけだと考える。日本だけよけばいいと・・・日本は鎖国し米国とも縁を切れと唱えているようにしか私には聞こえません。

一方的な被害妄想で日米関係を捉え日米関係を悪化させた場合、日本は中華帝国の朝貢国を選択する選択肢しか残っていないことにTPP反対者達は気がついているのか?

日本は51番目の州になるか、日本民族自治区になるのかを選択するかを考えてほしい、私はトロッコのレバーを操作する人間であればどちらも選択したくはないが、しいてえらぶなら国民一人ひとりに良心の欠片がある米国側に付くレバーを操作する。

2歳の子供が車に轢かれても誰も見向きもしない良心の欠片もない中国人と一緒にこの地球で生きていくのはまっぴらゴメンである。

人類の歴史は戦争と言う清算が繰り返されてきた。戦争は有って欲しくはないがやがて行き着くところ70億に増えた人類は正常な神経ではいられなくなるだろう。

だから、私は悩んだ挙句、TPP反対論者を轢き殺すレバー操作の決断をせざるをえない。

さて、この記事についてもTPP反対論の立場であるperseusさんの意見に反論することで以下記事を書かせていただく。

まずは、今回の通貨介入について。今回の介入はまるで無意味であったと私も思います。過去に行った通貨介入はそれなりに意味があったと評価していますが、今回の通貨介入については、perseusさんと同く介入はまるで意味が無いようにも思えます。これは、経済音痴の安住財務大臣に責任の一端はあるのでしょう。ただし、10月31日の政府・日銀による円売り・ドル買い介入で金融市場に放出した7.5─8兆円の円資金について、吸収を見送る「非不胎化」を行う方針を決めましたので、その点は評価できます。

>しかしP4協定では一律7億6500万円以上の公共工事はすべて海外企業にも発注案件を公示しなければならないと書かれています。

日本は7億6500万円~100億円については日本語のみで公表すると交渉すればよいじゃないでしょうか?交渉の余地は十分にあります。加えて日本の公共事業に参加できる労働者をTPP参加国国民とすることも交渉の余地ありではないでしょか?

>リーマンショックで大きな被害を被ったようなハイリスクの商品で運用してもいいとは思いません。

では、日本国債(JGB)が将来にわたって安全とでも思うのですか?私もJGBについては現状では安全と思いますが、今後にわたっても安全であるという保障はありません。いままでがたまたまよかっただけです。例えばかんぽは運用というよりまるで運用していないので、運用の訓練がされていない。このことは将来とても不安なのだという視点がありませんね。貴方の財産もただ郵便局に預けているだけではありませんか?

貴殿は日銀が為替介入した資金を不胎化していると問題にされていますが、私は現在の不兌換紙幣は所詮紙切れであるので、その価値の維持に努める日銀の姿勢を私は評価しているのです。円は今思わぬ形で基軸通貨へと変貌しつつあります。
これはひとえに日銀の政策によるものです。日本の内需は確かにまだまだ大きいが、萎む事も確実です。日本の将来像は輸出立国ではない成熟した債権金融立国であると考えています。もちろん米英の製造業に惨状を見れば、日本の製造技術は日本で継承され続けるべきとも思います。更に未来、今度は円高から円安へと構造転換した場合に備えなくてはなりません。

現在日本が海外に貸し付けているお金(=対外資産の総額)は、実に571兆円に達しています。結果、海外に貸し付けたお金である対外資産(574兆円)が、借り入れた対外負債(330兆円)を約244兆円上回っていることになります。これを更に増やす事を考えればTPPを逆手に取った金融立国を目指せるのではないでしょうか?
どんどん日本の内需に進出しようとする米国の企業を日本政府傘下のファンドが買収しまくるのです。いい暴論でしょ!基軸通貨となった後なら買収資金として今度はお金を刷りまくればいいのである。

私は日本人の優秀さを信じています。TPPによって日本は攻められるだからダメという反対派の議論を聞いていると初めから日本はダメな国と決め付けていて情けなくて情けなくてしょうがありません。

TPP参加と円の基軸通貨政策をセットで行うのです。世界の株主世界の高利貸しとして生きていくのです。日本は金融立国として債権を回収するにあたり、用心棒である米国を利用するのです。そして日本国は憲法を改正し、核兵器は持たないまでも、原子力潜水艦と弾道ミサイルを配備し核配備一歩手前まで準備すべきなのです。

目覚めよ日本人!第二次世界大戦で敗戦国となった日本人が巧みに経済大国になりあがったように、TPPを用い利用することを考えればいいではないか!

もちろんその、第一歩は民主党政権を崩壊させるべきでしょう。




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君は、これまで君の心が
思ったことの集合体


君という存在は、過去に「何を考えたか」によって、その考えたり感
じたりした内容が、ひとつひとつ心に蓄積されミックスされた結果のつ
ぎはぎとして、今、ここに立っている。
すなわち君とは、これまで君の心が思ったことの集合体。

君がイヤなことを思うなら、少しだけイヤな業(カルマ)のエネルギーが心に刻
まれ、そのぶんイヤな君に変化する。
君が優しいことを思うなら、少しだけポジティブな業のエネルギーが
心に刻まれ、そのぶん温かい君に変化する。

こうして人間は、心で思ったとおりのものへと少しずつ変化してゆく。
すべては心が思うことから生まれ、すべては心が思うことによって創
られる。

ゆえにネガティブな心によってイヤな話をしたり、ネガティブな心に
よってイヤな行動をしたりするならば、必ずや苦しみが自分についてく
るだろう。

優しくポジティブな心で話したり行動するなら、必ず安らぎが自分に
ついてくる。
そう、影が君の歩く後ろから必ずついてくるかのごとく。
法句経1、2

善いことを 思ったら、すぐに実行に移す

落ちついた心で何かに打ちこもう、という気持ちがわいてきたなら、
急いでそれを実行に移し、善い業のエネルギーを心に刻んでおくこと。
そうすることで、ネガティブな思考が心を占領しようとするのを防ぐように。
なぜなら、せっかく善いことをしようという心が出てきても、うかう
かしているとすぐに、ネガティブな思考に入れかわってしまうのだから。
たとえば「今日は掃除をしよう」と意気込んでいても、すぐに始めな
いで先に遊びはじめると心が変わり、「やっぱり時間もないし、やIめた」
とネガティブな業を積むはめになるのだから。
法句経116


ネガティブなことを思わない

もし君が、ネガティブな思考にとらわれたり、ネガティブな思考のま
まに話したり行動したならば、そのネガティブな悪業をそれ以上は繰り
返さないようスッパワやめること。
ネガティブな予不ルギーは刺激的でクセになるけれども、それへの中
毒にならぬよう気をつけること。
ネガティブな悪業のエネルギーを心に溜めこんでゆくのは、君の苦し
みを増やすことでしかないのだから。
法句経117

もし、君が業の法則を
知らないままでいたら


君がせっかく眠ろうとしてベッドに入っても、これまで積んできた悪
業のネガティブなエネルギーに支配されると、ネガティブ思考がグルグ
ルと頭の中を駆けめぐって眠れなくなる。そんなイライラした夜はとて
も長く、いつまでも朝がこない。

君が疲れ果てて精神的にまいっていると、目的地まで歩いてゆく道の
りは、果てしなく長いと感じられる。

そして君が、業の法則を知らずに死んでゆき、また生まれ変わりを繰
り返すなら、その苦しみの輪廻転生の道のりは、気が遠くなるほどに長い。
法句経60

自分の内面を見つめることなく
生きていったら


自分の内面を見つめることのない愚か者は、自分を敵のように痛めつ
けながら歩む。悪い業を積んで自滅する結末をいつか迎えるまで、知ら
ず知らずのうちに破滅へ向かって。
法句経66

悪い業(カルマ)

あとになってから「やっぱりやらなきやよかった」と後悔し苦しむな
らば、その行為は悪い業として心に蓄えられる。
その悪業をなしたネガティブなエネルギーが心の中で熟し、やがて苦
しみの報いを泣きながら受けるはめになるのだから。
法句経67

善い業(カルマ)

あとになってから「やっぱりやらなきやよかった」と苦しまずにすむ
なら、その行為は善い業として心に蓄えられる。
その善業をなしたクリアなエネルギーが心の中で熟し、やがて心地よ
き報いを楽しい充実感とともに受けとるのだから。
法句経68

悪業の報いを受けるとき

心の法則を知らない者は、
自分の行った悪い行動・悪い言葉・悪い思考によって
心に悪い業のエネルギーが刻み込まれても気にかけない。
心の法則を知らない者は、
その悪業のエネルギーがたっぷりグツグツ煮られて熟して、
ついにいやな報いを受けるまでのあいだは、
「自分は楽しんでいる。甘い汁を吸っている」と
妄想していられるだろう。

他人に対して生意気な態度をとるという行動をとれば
一瞬、楽しさの錯覚がある。
嫌いな人についてグチの言葉を吐いたり、
嫌いな人に対して「ムカツク」という思考にふけったりするのも、
一瞬は気晴らしになったような錯覚が生じるだろう。

しかしながら悪業のエネルギーがグツグツ煮られて
報いを受けるときには、
愚か者もついに苦しみを味わう羽目になる。
法句経69・119

最低の人とは

行動こ言葉・思考によって、ネガティブなことを言ったり考えたりす
る悪しき業を積みながら、「これが他人にバレないようにごまかそう」
と隠そうとする人こそが、最低の人と呼ばれるにふさわしい。
たとえば、心では「早く帰りたいなあ、この人の話はつまんないなあ」
とイライラ考えて怒りの業を積みながら、表面では笑顔を浮かべて、「あ
なたの話はウィットに富んでいて、おもしろく聴かせていただきました」
なんてごまかすとしたら、内面とうわべの矛盾ゆえに、君の中にストレ
スが溜まる。
そうやって、君はだんだん最低の人になってしまう。
法句経127


悪い業が減らないのは

「あの人はここがよくないのよね」「この人は服のセンスが悪いね」「そ
の人は性格が歪んでるよね」などと、他人の問題点ばかり見ていつもケ
チをつけるとしたなら、さまざまな煩悩エネルギーが蓄積されていくば
かりで、いつまでたってもネガティブな業を減らすことはできないだろ
法句経253

ネガティブ思考を 乗り越えた者の
四つの安心感


ネガティブ思考を乗り越えた君が、
欲望を離れ、怒りと迷いの霧を離れ、
心が美しくなったなら、
次の四つの安心感が君にある。

もし業の報いと輪廻が本当なら、
君が信じようと信じまいと、
死後によい生まれ変わりをするだろう。

もし死んだら終わりで輪廻が嘘だとしても、
今のこの人生でイラつかず苦しまず安らぎがある。

もし悪しき業が苦しみを引きよせるというのが本当なら、
「悪いエネルギーをつくってないから苦しみはやってこないよね」
と安らげる。

もし悪しき業が苦しみを呼ばないにせよ、
「悪い予不ルギーが溜まってないから心がきれいに澄んでいるよ」
と微笑める。
増支部経典

ネガティブな行動・言葉・思考が
不幸な人生をつくる

君がネガティブな行動・ネガティブな言葉・ネガティブな思考をする
のがクセになってしまい、それらを通じて悪い業を心に刻み込んできた
ならば、生きている間から、その業の手不ルギーにより、いつもイライ
ラして不幸な日々を送る。
そのうえやがて死ぬときは、来世においていやな生まれ変わりをする
羽目になるだろう。
「自分は他人に非難されることをたくさんしてきた、バレたらどうしよ
う」とイライラし、死後はいやな生まれ変わりをして、いっそう苦しむ
ことになるだろう。
法句経17


ポジティブな行動・言葉・思考が
幸福な人生をつくる


君がポジティブな行動・ポジティブな言葉・ポジティブな思考を通じ
て善い業を心に刻み込んできたなら、生きている間から、その業のエネ
ルギーによりいつも幸福でいられる。
そのうえやがて死ぬときは、来世において幸福な生圭れとなり、今世
でも来世でも安心して過ごすことになるだろう。
「自分は誰からも後ろ指をさされることはない」と安心でき、死後は善
き生まれ変わりをして、いっそう心配のない生活を送ることになるだろ

法句経18

仏教はあくまでも内面を磨くものであります。
自分の家族や友人会社国家を守る為に苦しみもがく場合は逃避理論にすぎません。
ですから、原始仏教におけるこのブッタの言葉は尊重すべきであっても、人間として文明を維持するには無理があり、ブッタの言葉を理解した上で己の倫理観に照らし合わせるべきだと思う。

その3で紹介した鈴木正三の日々是仏業こそ日本仏教の真髄として、このブッタの言葉を理解すべきと思う。
その4までで紹介したのはこの本の1割にも満ちません。

このブッタの言葉にご興味をもたれた方は是非全編を読んでいただきたいと思います。
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欠乏感の根っこを焼き払う

君が幸福であることができるようにと。
「欲しいよう、足りないよう、もっともっと」
と、君の中でうごめいている
欠乏感(たりなさ)という植物の根っこを掘って、焼き払うこと。
ビーフナ草という植物の根っこから香料を抽出したい人が
ビーフナ草の根っこを掘ろうとするかのごとく、
欠乏感という名の呪われた草の根っこを掘り崩すといい。
苦しみの悪魔がまたもや君をとらえて、
君の心を乱れさせることのないように。
法句経337

渇愛の根っこを掘り崩す

渇愛の荒れ狂った川の流れは、
癌があちこちに転移するのにも似て、
あっちへこっちへ流れていっては、転移する。
満たしたと思えばすぐに、足りなくなる。
その渇愛をごまかしたくて、
「あれが欲しい」
「もっとかっこいい仕事がしたい」
「みんなにもっと尊敬してほしい」
と、わがままという名の植物がどんどん生い茂っては君を苦しめる。
それらの植物が生えたことに、君がはっと気づけたならば、
智慧のスコップでその植物の根っこを掘り崩すように。
法句経340

歪んだ愛情という呪縛

家族や恋人や子飼いの部下など身近な人々に対しては、
愛情があるからこそついつい甘えてしまって、
「私を大事に思ってくれているなら、このくらいはしてくれるはず」
と思い込んでしまう。
けれども、そのわがままな欲求はたいていの場合、
満たされず、憂鬱になる。
このように愛情による執着が強すぎると、
自分のことを大事に思ってくれるかどうか不安になり、恐れが生じる。
すなわち、歪んだ愛情ゆえに、憂鬱さや恐れが生じる。
歪んだ愛情という呪縛から解放されるなら、
もはや君に憂鬱さや恐れは存在しなくなるだろう。
法句経212


鉄の鎖よりも強く
私たちを縛っているもの


たとえ君が鉄の鎖で縛られても、本の拘束具で拘束されても、麻ひも
でグルグル巻きにされても、それらは「強力な呪縛」ではない。
自分の獲いだお金への執着や、買いこんできては増えてゆく物への執
着や、「私の子どもはこうなれ、こうはなるな」「私のパートナーはこう
なれ、こうはなるな」という支配欲への執着。
智慧ある者にとっては、これらのあくことなき執着こそが、「強力な
呪縛」に見える。
その呪縛は、ゆるやかに見せかけて実はぎゅうぎゅうギワギワしつこ
くからみつき、あまりに逃れ難きものゆえに。
これらの呪縛を断ち切った君は、「こうしてほしい」「ああしてほしい」
と求める浅ましさから自由となるだろう。
法句経345、346

自分に与えられているものに幸せを見る

君の手に与えられたものがたとえどんなにわずかでも、君がそこに幸
せを見つけるなら、「足るを知る」充足感で心はきれいに澄んでいく。
そのきれいな心の波は、目に見えない高次の生きものたちを喜ばせて
惹きつけるだろう。
法句経366


「ある」と「ない」に動じない

君の頭に浮かんだ考えや君の持ちものについて
「これは自分のだもん、手放したくないよー」なんて、
君がしがみつかなくなるなら。
褒めてもらえないとか、
愛されてないとか、
約束を守ってもらえないとか、
君が「ない」に対して嘆かないなら。
「ある」にこだわらず、「ない」に嘆かず、
君の心は無敵とばかりにやわらかくなる。
経集950

欲望とは苦なり

心の中にうごめく欲望に向かって、
たとえ世界中のお金をシャワーのように降らせてみても、
欲が満足することはない。
満足するどころか、
快感が生じたのちにだんだん空しくなり、苦しくなる。
苦しくなってムズムズしてくるために、
それを静めるためにさらに何か別のものが欲しくなり、
欲望がうごめきだすだろう。
欲望の実現によって得られる脳内の快感反応は
ほんの一瞬のものにすぎず、
その後は禁断症状のように空しさや不安がやってくる。
欲望とは、苦なり」と体感したならば、
最高の楽しさを「欲しい欲しい」と求める心が静まる。
この「欲しい欲しいと泣き叫ぶ心の寂しさを静めること」をこそ
求めるならば、
君は私の生徒と呼ばれるにふさわしい。
法句経186、187

確かに求めないことは魂の平静の為には素晴らしいことだ。

だが、自分の子供がお腹をすかせヒモジイ思いをしているにもかかわらず求めない事などできようか?この冬を越す為に十分な食料を求める事は悪であるはずがない。

苦労せず食料を確保したいという「欲」という気持ちから農業が始まり、文明が進化していったのだ。空を飛びたいと欲したから人類は飛行機を発明し、星になりたいと宇宙ロケットを開発したのだ。

欲や求めることは人類が人間でいる理由なのだ。何も欲せずにただ、ジャングルでバナナを食べて活きていたなら我々は猿のままだったのだ。

魂の平静を保つ為に 日々仕事に励む者にはブッタの言葉は意義がある。
そして、その言葉も自分の頭で考えてこそ意義がある。

一言一句真理であると暗記し唱える原理主義者は仏教の本質を見誤るだろう。

多くの場合教団とか宗教を職業にしている人間が吐く言葉など偽善欺瞞にすぎないと感じてしまう。父母が檀家の寺の住職の生臭さは異臭を放ち、私の代ではその寺の世話にはならないつもりだ。

もっとも尊い言葉は、日々黙々と労働をして苦労を重ねた人間の言葉だと思う。

日本の仏教はインド仏教いやブッタの言葉とその労働価値観において180度異なる。その代表的な思想家が江戸初期の禅僧 鈴木正三(しょうさん)である。

正三は関が原の戦いでも軍功をたてた元旗本である。42歳のとき出家して禅僧となった。

正三は出家前に儒学を信奉する同僚から「仏法は世法に背く(仏法は隠遁などを奨励して世を良くすることにつながらない)」と言わ れたので、反論として『盲安杖(もうあんじょう)』(盲人の安心のための杖)を著した。

そのなかで仏教(禅宗)の立場から人間とて守るべき 10ヶ条を書いたがこの10ヶ条は正三の思想の基本となっている。

 1.生死を知りて楽しみ有事
 2.己を顧て己を知るべきこと
 3.物毎に他の心に至るべき事
 4.信有りて忠孝を勤べき事
 5.分限を見分て其性々を知るべき事
 6.住る所をはなれて徳有事
 7.己を忘れて己を守るべき事
 8.立ちあがりてひとり慎べき事
 9.心をほろぼして心をそだつべき事
 10.小利をすてて大利に至べき事

出家後次々に「武士日用」「農人日用」「職人日用」「商人日用」を著した。あわせて『四民日用』として出版され、江戸期を通じその思想は広く支持され、近代資本主義の萌芽期であった日本に普及していったのであります。


凡夫は大病人であり、仏は大医王であるから、凡夫は三毒(貪、嗔、迷(愚痴))を知ること、仏道修行とは、このような煩悩、悪徳を除滅するために、我執を去って本来の心(真の正直)を明らかにすることと説いている。

武士は世を治める役人であるから、とくに、勇猛堅固の心を奮い起こし、生死を超越して平常心で勤めを果たすことが仏道修行であると説いている。


農人と生を受けしことは天より授けたまわる世界 養育の役人なり。
さればこの身を一筋に天道に任せたてま つり、かりにも身のためを思わずして、まさに天道の奉公 に農業をなし、五穀を作り出して仏陀神明を祭り、万民の 命をたすけ、虫類などにいたるまで施すべしと大誓願をな して、ひと鍬ひと鍬に、南無阿弥陀仏、なむあみだ仏と唱 え、一鎌一鎌に住して、他念なく農業をなさんには、田畑 も清浄の地となり、五穀も清浄食となって、食する人、煩 悩を消滅するの薬なるべし。

 (農民と生まれたことは、天から任命されて世界を養う役 人となるということである。したがって自分の身を一筋に 天道に任せて、かりそめにも自分の事を考えず、天道への 奉公として農業をなし、五穀を作って仏陀神明を祭り、万 民の命を助け、虫類などに至るまで施しを行おうと大誓願 をなして、一鍬入れる毎に、南無阿弥陀仏と仏を唱え、一 鎌毎に心を入れて、一心に農業に勤しめば、田畑も清浄の 地となり、五穀も清浄の食べ物となって、食べる人の煩悩 を消滅させる薬になる。) 

 「仏行」とは、俗世間を出家した僧侶のみが行う宗教的行事で はなく、一般人が自らの仕事に打ち込む、その日常生活そのも のにあるとしたのである。

〔問〕職人問云(といていふ)、後世菩薩大切の事なりいへども、家業を営に隙(すけき、暇)なし、日夜渡世をかせぐ計なり、何としてか仏果に至るべきや。
〔答〕答云(こたえていふ)、何の事業も皆仏行なり。

鍛冶番匠をはじめとして、諸職人なくしては、世の中は様々な道具を調えることができない。武士なくしては世の中の秩序が保てない。 農民がいなくては食べ物が得られない。商人がいなくては、様   ざまなものを自在に流通させることができない。こうして諸々の職業がお互いに助け合って、世の中が成り立っている、と正三は説いた。


    その身をなげうって、一筋に国土のため万民のためと思
        い入れて、自国のものを他国に移し、他国のものをわが国
        に持ち来りて・・・山々を越えて、身心を責め、大河小
        河を渡って心を清め、漫々たる海上に船をうかぶる時は、
        この身を捨てて念仏し、一生はただ浮世の旅なる事を観じ
        て、一切執着を捨て、欲をはなれ商いせんには、諸天これ
        を守護し、神明利生を施して、得利もすぐれ、福徳充満の
        人となる。
その身を捧げて、一筋に国土のため万民のためと決心して、自国の物産を他国に売り、他国の物産をわが国に買い入れて・・・山々を越えて心身を鍛え、大河小河を渡って心を清め、満々たる海上に船を浮かべる時は、この身を思わずして念仏を唱え、一生はただ浮世の旅である事を悟って、一切の執着を捨て、欲を離れて商いをするには、諸天が商いを守護し、神の明らかな徳で助けてくれるので、利益もあがり、徳の豊かな人になる。

物を右から左に流すだけで利潤を得るなどと、蔑まれていた商人たちの中にも、これを読んで、自ら職業に励むことが、自己を高め、充実した人生への道だと知って、いよいよ事業に励む人も少なくなかったであろう。

商人にとって、商売に精進することが「仏行」であるとすれば、そこから得られる利潤をどう考えるのか? 武家上がりの正三は、剛毅果断にも次のように説いた。

         売買せん人は、まず得利の増すべき心づかいを修行すべ
        し。その心づかいと言うは他の事にあらず。身命を天道に
        なげうって、一筋に正直の道を学ぶべし。

売買をしようとする人は、まず利益を増す心づかいを修業すべきである。その心づかいとはほかでもない。身命を天道に捧げて、一筋に正直の道を学ぶべきである。

商売が「仏行」である以上、まず利益が上がるように心づかいを学ぶべきだと言う。それも人を騙して利益を上げよう、と言うのではなく、「一筋に正直の道」を踏み外さずに利益を増すよう学ぶべきだ、というのである。

士農工商と職業こそ違えど、人はみな心中に仏性を持っているのであり、自らの職業に打ち込むことで、その仏性を開発し、世のため人のために尽くせる、という考え方は、人間はすべて平等である、という近代的な人間観につながっていた。


これは日本の近代資本主義の精神を培っただけでなく、人間が人間らしく生きる知恵が詰っている。わたしはブッダの教えより発展してこの鈴木正三の教えに至った日本の思想を誇りに思う。

ブッタの言葉は 毒にも薬にもなる。知能指数が低い人間が読み盲信すれば毒にしかならない。自分の頭で考えてこそ有益な言葉である事を自覚してほしい。

ブッタの言葉はR25指定かもしらん。

小池先生スイマセン!
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君が聞かれもしないのに
自分についてしゃべるとき


自分がどれだけがんばったかということや、
自分が成し遂げたことや、
自分が有名人と知り合いであることや、
自分の立派そうな職業について質問されてもないのにしやべる人。
君がそんな生意気な人になるのなら、
優れた人々から君は、「浅ましい」と敬遠されるだろう。
経集782

君が思い上がりの罠にかからないなら

君の心がくつろいで静かに安定しているのなら、
「私はこれをしてあげた」「私はこれほどの人物だ」などと、
自分の業績を誇ったりはしないはず。
君がものごとに成功したのちにも、思い上がりの罠にかからないなら、
優れた人々から君は、「心がきれい」と慕われるだろう。

経集783

愚か者が何かを成し遂げると

何がしかのことを成し遂げると、愚か者はすぐに、
「ねえ、私は、こんなことをしたんだよ」と言い、
「尊敬されたい」
「他人をペコペコさせたい」
「チヤホヤしてもらいたい」
と、物欲しさと浅ましさをむき出しにする。
「みんなに私のしたことをわかってほしい」
「みんなに私の言うとおりにしてほしい」
こんな幼稚な物欲しさにまみれつつ、
愚か者の欲望と傲慢さは
ぶくぶくと肥え太ってゆくだろう。

「誰々の」を忘れるハピネス

「この考えは僕のオリジナルさ」
「これはあの人の発案だ。負けたなあ」
フ」れはあいつの意見だ。けなしてやろう」
これら「誰々の」という狭い見方をすると、
君の心は、我他彼此(ガタビシ)と苦しくなる。
「自分の」。「他人の」。
このふたつを君が忘れ去ったなら、
仮に何も持っていなくても、
しあわせな心でいられるだろう。

自分の考えにこだわらない

自分の考えたアイディアにこだわって、
「私の考えは素晴らしい」と君がしつこく言い張るのなら、
必ず他人にいやがられて批判される。
誰かしら少数の人は納得して褒めてくれるにしても、
つきあいにくい人として敬遠される。

経集895

たとえ君の意見が認められたとしても

君が他人の前で自分の意見を言い張った結果として、
たまたま賛成してもらえたとするならば、
君は「ほIら、私は正しいでしょう」と優越感を刺激されるだろう。
うれしくなり興奮することにより、
そのぶんだけ傲慢な性格になってゆく。
経集829

勝ち負けにこだわらない

「引きわけだね」
「私のほうが優れている!」
「私のほうが劣っている……」
この三種類の思考に支配されると、君は相手を言い負かしたくなり、
いいがかりをつける。
たとえば、「あなたが途中で邪魔するから、仕事の手順が狂ったじや
ない」といったぐあいに、論争をふっかけて、安っぽいプライドを守ろ
うとする。
そして、お互い気分が悪くなる。
引きわけ」「勝ち」「負け」など無視して、まったく気にしなくなるな
らば、生意気な態度も言い争いもぱったり消えて、平和が訪れる。
経集841

競わない

争うこと、競争すること、戦うこと。
そこにはハッピーな人などひとりたりともいやしない。
勝利者が得るのは相手からの恨み。
敗北者はストレスでぐったりする。
ゆえに心を鍛えた人は、
勝敗を気にせず、
生意気な優越感もなく、
グジグジした劣等感もなく、
悠々とハッピーに過ごす。
法句経201

相手に合わせて柔軟に話す

マニアックな単語なんかに、こだわらないで話す。
「実存の絶え圭ない揺らぎ性が超越論的に構成された同一性により回収
される必当然性がナンタラカンタラ」
こんな哲学方言を言われても哲学オタク以外は「はあ?」となる。
「このビジネスモデルにおけるソリューションはあなたのモティベー
ションをシステマティックかつエレガントにキャッチアップします」
こんなビジネス方言で圭くしたてられたなら、ビジネスオタク以外は
「はあ?」となる。
「カーヤーにエッカーガタを向けサンマサンカッパでサティしなさい」
こんな仏教方言を言われても仏教オタク以外は「はあ?」となる。
地方方言なんかにこだわらず、人に合わせて柔軟に話すのが麗しい。
中部経典『無部分別経』

論争の誘いに乗らない

自分の考え方にしがみついている人が、「俺様の考えだけが真理であ
り、貴様は決ちがっている」と論争をしかけてくるなら、「なるほど、
そういう考え方もあるのですねえ。あなたがそう考えたくなる気持ちは
わかるような気がします」と言ってヒョイッとかわしてやるとよい。
相手が敵対しようとしてからんできていても、「あいにく、ここには、
自分の考えにしがみついてあなたに敵対するなんていう面倒なことをし
たい人はおりませんので」とばかりに肩すかしを食らわしてみるといい。
このように自分の考えへの執着を捨てるなら、論争にもとづく苦しみ
は消滅する。
経集832

非難でも賞賛でもなく、法則を語る

他人を褒めてプライドを刺激したり、他人を貶してプライドを剌激し
たりすることが、相手の心を混乱させることを知っておくように。
賞賛することも非難することもなく、「こうすれば、こうなるよ」と
法則のみを指摘するとよい。
たとえば瞑想修行をしている人に、「そういう欲望にふけった愚かな
瞑想法だと自分が苦しくなるだけですよ」という言い方をすると、それ
は非難となり相手をイライラさせる。
「あなたは、欲望にふけった愚かな瞑想法をせずに、苦しむことなく正
しい実践のしかたができていますね」という言い方をすると、それは賞
賛となり相手の心をうわつかせる。
そうした非難や賞賛のかわりに君が単に、「欲望にふけらない瞑想を
すれば、苦しむことのない正しい実践になりますね」という言い方をす
れば、シンプルに法則を語ることになる。
それが、相手のためになり君のためにもなるだろう。
中部経典『無謬分別経』

比べるという行為は人間として必要な行為だと思う。
比べるからこそ、人間は頑張り、活きようとするからだ。

そもそも仏教というのはいかに苦しみから逃れられるか?という問いからその思想が始まっている。

自ら働いて社会を発展させるのではなく、自らは働かず、頑張って働いている人の慈悲によって食べ物を得、自らを正当化させる者達の思想でもあるのだ。

では、ここに書いてある言葉を否定するかといえばそうではない。

日々いやな上司、傍若無人なお客、無理難題を言う取引先、そんなストレスだらけの社会で、皆頑張っているからこそ日本経済は成り立っている。

ブッタの言葉は怠け者には言い訳にしかならないが、働く我々にとってこそ、苦しみやストレスを中和する知恵でもある。

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空海と密教美術展を観にいった。密教は一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持するがゆえに密教と言われる。

密教は僧侶向けに複雑化した仏教体系となった。インドで仏教が衰退して言ったのは、インドでの大衆重視のヒンドゥー教の隆盛・拡大という潮流があったのだが、密教がインドの大衆層への普及・浸透ができず、インドでの仏教衰退の原因ともなった。

「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う。

私のブログでも何度か書いた密教経典の一つ、理趣教はSEXを悟りの境地だと教えるのだから、一般大衆向きではないのは、当然の事だろう。

本書はニーチェの言葉の二番煎じ本ではあるが、哲学としての仏教を理解するにあたり、誠に大衆向けにわかりやすく説明していて、密教との対極に存在するかもしれない。仏教衰退期インドにて本書が出版されていたならあるいは、インド仏教は衰退せずにいたかもしれません・・・てことはないか?


もし誰かにいやな目に遭わされたら

もし君が敵からいやな目に遭わされて、鬱になったり落ちこんだりす
るのなら、それを見た敵は、「わ-い、ざま-みろ」と笑って喜ぶだろう。
ゆえに「真の損得」を知る人は、どんないやな目に遭わされようとも、
嘆かず平常心を保つ。前と変わらず穏やかなままの、君の優しい表情を
見た敵は「ちぇっ、がっかりだ」と落胆する。
皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は君が怒ら
ず朗らかにしている、たったそれだけのこと。
増支部経典


もし誰かの怒りを  買ってしまったら

怒っているいやな人に対して「ちえっ、そんなに怒らなくてもいいの
に」と、ムカムカ怒りを感じるのなら、君はその怒りによってまさに悪
をなしたことになる。
怒っている人に対して怒りを感じずにすませられることこそ、難敵と
戦ってなんとか勝利することになる。
他人の怒りを前にしたとき君がいち早く気づくべきは、君自身の心ま
で怒りに染まりそうになっていること。それに気づいて落ちつくように。
そうすれば、君にとっても相手にとっても、心の治療を施すことにな

君が相手の怒りをそっと穏やかに受けとめるとき、互いの怒りはやが
て静まり、癒されていくだろう。
相応部経典

もし誰かに悪口を言われたら

もし君が、誰かに悪口を投げられて傷つきそうになったなら、思い起
してみるとよい。この悪口つていうやつは、今に始まったことではなく、
原始時代からず-つと続くものだということを。
静かに黙っている人は、「ムッツリしている」と悪口を言われ、たく
さん話をする人は、「おしゃべりな人ですこと」と非難され、礼節をわ
きまえてしゃべる人すらも、「何か企んでいるんじゃないかしら」など
と悪評を流される。
法句経227

悪口を言われない人はいない

この世のどんな人でも、必ずどこかで誰かの怒りを買っている。
誰かに悪口を言われるのが当たり前。
昔も今もこの先も、未来永劫、それは当たり前の事実なのだから、
悪□なんて涼しく聞き流すのがよい。
法句経228

攻撃には「肩すかし」を もって返す

他人から攻撃されたとき、君もまた攻撃をもって返すなら、君の中の
恨みも相手の中の恨みも静まることなく増幅し合い、無限に連鎖してゆ
くことになる。
攻撃を受けても「まあ、いっか。恨まないま」という肩すかしを投げ
返すなら、互いの恨みは静まり安まる。
これは、永遠の普遍的真理。
法句経5

君も相手も、やがては死んで
ここから消え去る  


誰かと敵対して争いが生じそうになったら、しかと意識してみるとい
い。君も相手もやがては死んで、ここから消えまる、ということを。
君以外の人々は、「自分もやがて死ぬ」という真理をうっかり忘却し
ているけれども、君がこの真理をはっきり意識していれば、怒りも争い
も静まることだろう。
「どのみち、君もやがてここからいなくなる。どのみち、私もやがてこ
こからいなくなる。じやあ、ま・…いつか」と怒りを捨てて、平静さを
取り戻すまうに。
法句経6

相手の悪ではなく、
自分の内側を見よ


他人の 「悪」に気づいても、君がイライラする必要はない。
他人がやらかしてしまったこと、他人がすっぽかしてしまったこと、
そんなものをジロジロ見なくていい。
そのかわりに視線をクタッと君の内側へと反転させて、じっくり見つ
めてみるといい。
「自分は何をやらかしてきて、何をすっぽかしてきたのかな」と。
法句経50

プライドを  すんなり手放す

怒りを、ポイッと捨てること。
「俺様は偉い」
「私は賞賛されるに値する」
「私のセンスは抜群だ」
「僕は大事に扱われて当然だ」

これらの生意気さを君が隠し持つからこそ、そうでない現実に直面す
るたび、怒りが君を支配する。
これらの生意気さに気づいて、それをすんなり手放せるように。
すべての精神的しがらみを乗り越えて、心にも身体にもこだわらず、
何にもしがみつくことがないのなら、もはや君は怒ることも苦しむこと
もなくなるだろう。

法句経221

仲間入りをしてはいけない
最低の人間パート1


すぐにカッカと怒る人。
いつまでも恨みを忘れない人。
自分の欠点を隠そうとする人。
自分を実際より良く見せようと親切を押しつける偽善者。
こういった人々は最低の人間だと知っておき、
その仲間入りをしないように。

仲間入りをしてはいけない
最低の人間パート2

母、父、兄弟姉妹、パートナー、その母や父。
そういった身近で大事な存在に対し
いやな振る舞いをしたり、言葉で傷つけ悩ませる人は
たとえ外面では「いい人」を演じて、
会社や学校では優しく振る舞っていたとしても、
最低の人間だと知っておき、
その仲間入りをしないように。

何か起こっても動揺しない練習

君よ、
もしも君の敵が君をつかまえて、
のこぎりで君の手足を切断しようとするならば、
手にも足にも激痛が走ることだろう。
手からも足からも、
身体的苦痛を送信する神経データが人力されてくるだろうけれども、
その身体の苦痛データに対して心を反応させ、
「イヤだ-」と、心に怒り、すなわち反発心が生まれるならば、
君は私の生徒ではなくなってしまう。
私の生徒であろうとする以上は、
誰に何をされても怒らないように。
次のように練習すること。
「何か起こっても、心が動揺しないように練習しよう。
怒りに駆られてネガティブな言葉を口にしないよう練習しよう。
怒りを発生させず、
いやな相手に対しても優しさと同情心によって接するよう練習しよう。
その相手を、慈悲の念によって満たしてさらに、
すべての生きとし生ける者たちを、
無限の敵意なき慈悲の念によって満たせるよう練習しよう」と。
中部経典『鋸喩経』



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東京電力福島第1原子力発電所の事故後も、耐震性を中心に、日本の原発技術に対する新興国の信頼は揺らいでいない。一部先進国で脱原発の動きが強まるものの、経済成長を支える安定的な電力供給へのニーズを背景に、原発導入を計画する国は拡大している。政府は、東日本大震災後の国内経済の立て直しにもつながる原発輸出戦略を引き続き推進していく考えだ。

「これまで通り連携」

「脱原発に向かっているのは元から原発に懐疑的だった国。多くは日本に期待してくれている」。資源エネルギー庁幹部は、福島第1原発事故後の世界の原発ニーズをこう分析する。

昨年10月に日本と原発建設で合意したベトナムのハイ副首相は5月下旬、東京で海江田万里経済産業相と会談し、「これまで通り日本との連携を進めていく」と表明した。トルコやヨルダンも日本との原発交渉を継続する方針だ。

これらの国が日本に期待するのは、日本の原発がフランス、ロシア、韓国など地震の少ない国の原発に比べ、耐震性などの基準が高いと評価しているからだ。特に、日本と同じ地震国のトルコやヨルダンの信頼は厚い。

増大する需要

新興国には「大量の化石燃料が必要な火力発電だけでは、電力需要に追い付かない」(資源エネルギー庁)事情がある。日本エネルギー経済研究所の村上朋子・原子力グループリーダーは「東欧では、エネルギー源のロシア依存から抜け出そうという安全保障上の理由からも、原発志向が強まっている」と話す。

日本の原発関連企業も、動きを再開した。日立製作所は1日、米ゼネラル・エレクトリック(GE)との合弁会社がリトアニアの原発計画に応札したと公表した。この計画には、東芝も米子会社が応札している。

三菱重工も、平成26年度に原子力事業の受注額を6千億円に拡大するという目標を維持し、今後は全体の6割を海外で稼ぐとしている。

国際的な責任

先進国ではドイツ、イタリア、スイスなどで脱原発の動きが進む。ただ、米国、フランスといった原子力大国や、電力不足に悩む中国やインドは原発推進の姿勢を変えていない。「世界的にみれば安全性を確認しながら原発を利用していく国が圧倒的多数」(村上氏)だ。

日本が原発輸出を控えれば、代わりに中国やロシアの原発が増える。経産省には「安全な原発の普及は日本の国際的な責任」との声もある。しかし、事故後に東電が海外事業を縮小するなど、建設から運転・管理までサポートするソフト面での態勢が整わなくなっており、「原発を初めて導入する国のニーズにどう応えるか」、新たな課題も浮上している。
いきなり本書と関係ないニュースと思われるが、本書の主題は宮崎駿の大きなテーマは共生であることだ。
映画もののけ姫において荻原氏の分析では「人間と自然の共生」だけではなく「漂白民と定住民の共生」「障害者との共生」「男女の共生」の四つが描かれています。
風の谷のナウシカでも「人間と二つの自然(普通の自然と腐海)また、ナウシカや紅の豚、天空の城ラピュタ、ハウルの動く城などでは機械との共生が描かれています。

それならば人類と原子力の共生は可能なのか・・・宮崎駿がどう考えているかまずは下の動画を見て下さい。
(※Yahooブログの皆さん!Google動画もこのブログに貼れました!知りませんでした!)



 
1995年ちょうどオウム事件があった頃にチャゲ&アスカとのコラボで作られた実験映画On Your Mark この解釈をめぐって様々解釈がされています。なかには原発擁護動画を作ったことを謝罪しろと酷い無責任な意見を言うひともいます。

宮崎自身は下記のように言っています。拡大(クリック)してお読み下さい。

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残念ながらOnYourMarkは本書では取り上げていない。宮崎駿の原発に対する微妙な気持ちや葛藤が想像できる。

3.11後スタジオジブリに横断幕が掲げられた。

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あくまでもスタジオジブリは、完全原発を否定しているのではなく、緩やかな希望である。

しかも、汚染土壌を浄化する腐海ならぬひまわりが描かれている。

私だって、他に安定的に電気が供給される方法が確立されたなら
原発の電気ぬきの生活がしたい。
だが、そんなことは現状は非常に厳しい。現実的には原発との共生を探るべきだと私は思うが、宮崎駿やスタジオジブリも同じ事を考えているのではないか?それがこの横断幕ではないだろうか?

本書で人間と機械との共生について書かれた部分も抜粋。
p108~112
いまやわたしたち人間は機械なしで生活することはできなくなりました。いまさらいうまでもありません。現代人は機械と「共」に暮らしているのです。たとえば、家のなかを見渡してみましょう。照明器具をはじめとして数多くの電気製品があります。ガス器具もあるでしょう。ゼンマイ仕掛けの時計もまだ使われています。

そして通勤、通学で利用される電車、自動車、自転車ももちろん機械です。工場に出勤すれば、周囲はほとんど機械ということになります(かくいうわたしもこの原稿をパソコンという機械で作成しています)。

これら機械と〈共生〉するとは、機械を嫌悪し、これを全面的に退けることではありません(かつて産業革命時のイギリスでは、機械に仕事を奪われることを恐れた職人たちが工場の機械を次々に打ち壊す出来事がありました。「ラッダイト運動」です)。また、機械との〈共生〉とは、(映画『モダンタイムス』〈一九三六〉のチャーリーのように)機械に振り回され、機械の奴隷となって人問性を失ってしまうことでもありません。大切なことは、わたしたちが人間らしさを失うことなく機械とうまく付き合ってゆくことです。それが「機械との共生」においてたいへん重要なポイントです。

ナウシカの愛機はメーヴェです。メーヴェにはエンジンがついています。しかし重さはわずか十二キロです。「凧」とよばれることもあります。風の力をうまく利用して飛ぶからです。ナウシカはむやみにエンジンを蒸かしたりはしません。彼女はガンシップをあやつることもできます。足をうまく使って操作することさえできます。そのガンシップは全長八メートルの戦闘攻撃機です。コミック版『風の谷のナウシカ』で、ガンシップについてナウシカは「なんてみにくい船かしら。私はメーヴェのほうが好き。ガンシップは風を斬り裂くけどメーヴェは風にのるのだもか……」(第一巻、三二頁)と語っています。
おそらくは機械といっても、メーヴェまでならよいのです。しかし速度が五百キロにも達するガンシップとなると、もういけません。さらにそれよりサイズの大きいコルベット、バカガラス、ブリッグなどとなると、もってのほかです。これらの巨大な飛行機は、あからさまに「みにく」くデザインされています。

たしかに宮崎駿にはエコロジストの一面があります。しかし「ディープ」なエコロジストではありません。「巨大産業社会」に対して宮崎は嫌悪感をいだいているようです。「僕はテクノロジーは好きじゃありません。仕方なく日本で一番燃費の少ない自動車に乗っていますけれど〔・・・・・・〕。」しかし、機械という機械をすべて憎んだり排除したりしようとしているわけではありません。たとえば、『天空の城ラピュタ』の企画原案には次のように記されていました。

機械がまだ機械の楽しさをもつ時代。科学が必ずしも人間を不幸にするとは定まっていないころ〔・・・・・・〕職工は腕を誇り、〔・・・・・・〕この世界に登場する機械たちは、大量生産の工場製品ではなく、手づくりのあたたかさを持っている。電灯はなく、ランプやガス灯であり、水道のかわりに、豊かな水をあふれさす泉や井戸があり、乗物たちは風がわりな手づくりの発明品揃いである。主人公の少年パズーが乗るオーニソプター(はばたき機)もそのひとつで、ナウシカのメーヴェと比すべき重要なキャラクターになる(宮崎駿『出発点』三九六頁以下)。

結果的に、「オーニソプター(はぱたき機)」は「ナウシカのメーヴェと比すべき重要なキャラクターに」はなりませんでした。しかし当初はそのようなキャラクターとして構想されていたのです。「手づくりのあたたかさ」をもった「発明品」としてイメージされていたのです。

「あたたかさ」をもった愛すべき機械……、「大量生産」品ではなく「手づくり」の一点物の機械…、それは宮崎作品にしばしば登場します。たとえばポルコ・ロッソの愛機サボイアS-21。真っ赤な翼の「きれいな」飛行艇です。この飛行艇については、「たった一艇だけつくられたんだが、あぶなくてとべねえってんで、倉庫で挨をかぶってたのさ」とポルコが語っています。セッティングが「過激」なので「離着水」がとくに難しいらしいです。

しかし、エンジンのほうが「いよいよいかん」とのこと。交換しなければならないのでしょうか。とにかく、西に遠く離れたイタリア内陸部、ミラノのピッコロエ場まで運ばなければなりません。

とりあえずはアジトを飛びたちました。が、やはり不調です。そこでやさしく声をかけてやります。「ミニフノまでもってくれよ、エンジンちゃん。」「いい子だ、ガンバレ、ホレホレ。」機嫌を取ってやると、やや調子を取り戻します。「そうそう、いい子だよ、エンジンちやん。」

ボロボロのオートバイだけどこだわって直し直ししてずっと乗っているとか、そういうのが好きですね。それはある種特別な関係がそこに発生するんですね。すると、僕〔宮崎駿〕の妄想ですけれども、あらゆる機械というのは〔……〕まったくの自己犠牲で動いてくれる。炎天下でエンジンを回していると、このエンジン、よく熱くても我慢しているなと思うことがありますね、時々エンコすることもあるけれど(稲葉振一郎『ナウシカ解読ユートピアの臨界』窓社、一九九六年、二〇六頁)。

宮崎駿は機械に対して擬人化した愛着がある。
では原発も量産された機械ではない。ならば手作りの一品の機械のようだボロボロだが直して使おうと彼は考えているだろうか?

          Future Boy Conan 01 Remnant Island

未来少年コナンに登場する機械文明の象徴インダストリアは実は宇宙発電所の受信装置であり、その副動力エネルギーは原子力発電であった。未来少年コナンではその原発エネルギーをなんとか延命して使おうとする老科学者達の奮闘するシーンがあった。老科学者達は人類の残した文明を次の世代へと継承しようと奮闘するのだが、悪用しようとするレプカ。いかにクリーンエネルギーでも利用する者によって善にも悪になる。

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宇宙発電所からエネルギーを受信する感動的シーン

原子力も「善」にも「悪」にもなる。原子力発電所は本来「善」であったはずだ。
宮崎駿もそう思っていたのだろう。機械(原発)自体は悪ではないはずだ。
原子力以外のエネルギー源があればそれにこしたことはない。未来少年コナンのインダスとリアの描き方が宮崎駿の考え方ではないだろうか?

そして、文明や原子力発電所も滅びたとしても地球はやがて回復する、機械や人類の文明すら地球の一部なのだ・・・それが宮崎駿の機械との共生思想の底流のような気がします。

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イメージ 13.11の東日本大震災は、日本文明を世界に知らしめ、私も日本文明について考えるきっかけとなりました。6回にわたって「強い日本を目指す道」、また3回にわけて「日本文明とは何か」を記事としましたが、今回からは日本文明論でも若干ネガティブな部分についても論じた本を取り上げたいと思います。
 
本書は世間と言うキーワードで日本社会の、日本人の本質を論じています。また、刑法39条と少年法についても、世間=空気や穢れ思想など日本人の本質と絡めて論じられております。
 
私達は自分が世間というメガネを掛けているか否かを認識する事で、よくも悪くも作用する世間という集団的無意識に支配されない自分を見出すことができるのではないかと思いました。
 
 はじめに
(略)
 
統計が明らかにするように、ここ四〇年ぐらいを考えても、日本の治安はまったく悪化していない。

日本の犯罪発生率の低さや治安の良さは、西欧にはない、日本独特の「世間」の存在を考えないと説明がつかない。歴史学者の阿部謹也さんがいうように、日本人は、依然として「世間」にがんじがらめに縛られている。犯罪は、「法」に反する行為であるはるか以前に、「世間がゆるさない」のである。つまり、犯罪者は「世間」から「はずされ」てしまう。日本人は「世間を離れては生きてゆけない」と思っているために、この抑止力は絶対である。

つまり「世間」はもともと、真筆に謝罪する犯罪者を「ゆるす」という包摂的側面と同時に、ケガレとして犯罪者を「はずす」という排除的側面をもっていたのではないか。ようするに「世間」は、「ゆるし」と「はずし」という、ふたつの一見相矛盾するような側面をもともともっていたのではないか。

私は、それが今日、たんにこの排除的側面が、厳罰化という現象として、刑事司法の前景にあらわれたにすぎないと考えている。

たしかに、日本における近年の新自由主義の台頭は、厳罰化に代表されるように、日本社会全体にはかり知れないほどの大きな影響を与えた。しかし「世間」という観点から考えたとき、日本社会が根底において大きく変化しているとは思えない。つまり「世間」の「ゆるし」と「はずし」の構造が、相変わらず社会の根底で、通奏低音のように作動している。

「世間」は解体したのではなく、その意匠を変えているだけではないか。
そしてこの「ゆるし」と「はずし」の構造のなかで、キーワードとなっているのが謝罪である。なにか不祥事がおきたときに、「自分は悪くない」と心のなかでは思っていても、とりあえず大急ぎで謝罪し、「世間」の「ゆるし」を乞わなければならないのは、日本人が「世間」から「はずされる」ことを極端に恐れているからである。
 今回の震災で暴動が起きない日本文明を世界は褒め称えているが、我々はあまり思い上がってはいけない。我々だけが知ればよい事実ではあるが、暴動が起きなかった理由の一つがこの世間の存在である。
 
世間の存在が犯罪を抑止する反面日本人は「世間」にがんじがらめに縛られている。世間の存在は個人という存在を侵食さえしている。
 p14~17
(1)日本に社会は存在しない

 
社会という言葉はだれでも知っているし、「社会に出る」とか「社会人」とか「社会学」とか「社会科」というように、日常的にふつうに使われている。しかし、この社会が日本には存在しないといわれたら、どう思うだろうか?

二〇年ほど前に初めて「世間」論を提起したのは、阿部謹也さんである。この阿部さんの問題提起が衝撃的であったのは、societyの翻訳語である「社会」が、明治以降、言葉はともかく、現在でも日本には実在しないと喝破したことである。
 
つまりヨーロッパでは、八○〇年ほど前に、都市化とキリスト教の「告解」の浸透により、individualたる個人が生まれ、個人の集合体としての社会が形成された。
 
しかし日本では、とくにキリスト教の「告解」にあたる歴史的経験がなかったために、individualの翻訳語である「個人」もまた、言葉はともかく、現在でも実在しない。そのために、これまでに個人の集合体である社会も生まれなかった。

そのかわりに万葉の時代から連綿と存在してきたのが、「世間」であった問題なのは、日本は明治以降西欧諸国から文物を輸入し、近代化をおこなってきたのだが、そうした西欧の文物の根底にあったのが個人であり、社会であったことである。土台としての個人や社会の輸入に失敗したために、その上に構築されたさまざまな制度や学問といった建造物も、土台のない空中楼閣になってしまっていることである。

じつは、「法」や「権利」という概念もまた、個人や社会を前提としているために、個人や社会が存在しない日本の「世間」においては、それらの概念がさっぱりリアリテイをもたないということになってしまったのだ。

法律家にいわせれば、これは西欧に比べて日本が「遅れている」ことになり、早く西欧に追いつかなければならない由々しき事態であることになる。しかしこれは、「進んでいる」「遅れている」というような単純な問題ではない。西欧に追いつければよいという問題ではないのだ。

ところで「世間」を英語に訳せといわれたら、どう答えるだろうか?
もちろんsocietyではないし、worldでも、communityでもない。訳せない以上、英語圏には「世間」は存在しないと考えるしかない。つまり、「世間」は現在でも、少なくとも英語圏においては存在しない人的関係のあり方である。日本人は「社会を離れては生きてゆけない」とは考えないが、「世間を離れては生きてゆけない」と固く信じている。つまり、「世間」を「はずれ」ては生きてゆけないと考えている。
 
それは次章で詳しく説明するように、〈世間―内―存在〉、つまり「世間」のウチ側が、日本人にとって「存在論的安心」が得られるような場所となっているからである。
 
逆に「世間」のソト側の〈世間―外―存在〉であるかぎり、「世間」の庇護を受けることはできないから、「存在論的不安」のなかにたたき込まれる。そこでは、「ゆるし」や義理・人情といった原理が作動せず、「法」や「権利」という概念しか存在しない。つまりT・ホッブズのいうような、「万人の万人にたいする敵対」の場所となっている。

日本人は「世間」の内部から「はずれ」ないために、この「存在論的不安」をもたらすような場所に追い出されないように、つねに細心の注意を払っている。よく考えるとかなり馬鹿げた努力ともいえるのだが、それは、人生における最大の問題であるといってもいいくらいなのだ。しかも「世間」は、社会と異なって、明文化はされていないが、暗黙の、しかもきわめて細かいルールからできあがっている。このルールを守らないかぎり、「世間」の一員とはみなされないのだ。

ここでは簡単に、阿部さんの議論を参考にしながら、日本入が「世間」のなかでゼッタイ守らなければならない、主要なルールを四つあげておこう。
 
(2)「お返し」がなにより大切なのだ

第一の「世間」のルールは、「贈与・互酬の関係」である。

メールがきたときに、返信するまでなんとなく心理的に負担に感じるのは、じつは「お返し」しなければいけないという「世間」のルールがあるためである。モノではないがメールも、一種の「贈答品」として「お返し」の対象となるからだ。

「お返し」で一番わかりやすいのは、お中元・お歳暮である。夏のお中元、冬のお歳暮のシーズンになると、デバートにずらっと商品が並ぶ。ここ一〇年で派遣など非正規労働がかなり一般化し、上司と部下の関係がかなり希薄になってきている今でも、お中元・お歳暮がなくなったという話は聞かない。お中元・お歳暮はフメツなのだ。

この贈答関係においてもっとも大事な点は、「お返し」の場合にだいたい同じ金額・グレードのものが要求されるということだ。もらった品にたいして、あまりに安いものは失礼だが、高いものも、かえって失礼にあたる。つまり、きわめて細かいルールがあるということだ。
(略)
日本では「お返し」がちゃんとできない人間は、低く評価され、「世間」からはつまはじきされることになる。一九九八年以降、日本では自殺者が三万人をこえ、その後二一年連続で高止まりしているが、先進産業国のうちでもこの自殺者の多さは、「世間」の存在を考えないと説明がつかない。
 
つまり、病気(うつ病など)を除けば、自殺する最大の理由は経済的な問題である。会社をリストラでクビになったり、倒産や破産をしたりすれば借金が「お返し」できない。借金返済ができないことは、法律上はたかだか契約違反の問題にすぎないのだが、日本では「贈与・互酬の関係」を守れない人間だという評価になる。
 
日本人は「世間を離れては生きてゆけない」と固く信じているから、「世間」から「はずされ」たら、蒸発するか死ぬしかなくなる。これが、日本において経済不況によって自殺者が極端に増えた理由である。
 
(3)なぜ年齢にこだわるのか

第二の「世間」のルールは、「身分制」である。
最近よく聞く言葉に、「アラフォー」というのがある。アラウンドフォーティ、つまり大体四〇才の意味である。「アラ還」というのもあるらしい。アラウンド還暦。つまり六〇才の還暦に近い、という意味である。

だからなんなんだ、と、アラ還の私なんかは、これを聞くたびにキレそうになる。だが、このように、日本の「世間」では生理的な年齢に異常にこだわる人が多い。それは、「世間」が年齢に基づく強固な「身分制」からできあがっているからだ。

阿部さんはこれを「長幼の序」といっているが、先輩/後輩、長男/次男/三男などといういい方は、「世間」には年齢によってはっきりと序列ができあがっていることを意味する。

英語圏だと先輩/後輩といういい方はふつうしないし、家族のなかの呼び方は、シスターとブラザーだけで、そこには順番や序列はない。

日本語だと二人称が「きみ」「あなた」「お前」「てめえ」「なんじ」など、数限りなくあるが、英語だとYOUだけである。英語だと相手が大統領だろうが、友達だろうが、YOUでよい。しかし日本ではそうはいかない。このことは、「世間」においては相手の「身分」に応じて、二人称を無意識に、瞬時につかい分けていることを意味する。

日本語や英語という言葉が重要なのは、言葉は他者とのコミュニケーションの手設であるばかりではなく、モノを考え、自己表現する上で不可欠のものだからだ。言葉をつかうことによって、私たちは無意識にそれに縛られている。しかしあえて意識しないかぎり、このことには気づかない。

だから日本では、相手の「身分」がわからない状態が一番困る。仕事をする上で名刺交換が欠かせないのは、初めて会ったときに、社長であるか、部長であるか、課長であるか・ヒラの社員であるか、相手の肩書によって「身分」を確認する必要があるからだ。

日本人にとって肩書なしの関係は、ある意味不安な関係でもある。それは、日本人は、「世間」のなかに肩書があり、自分が「世間」に「身分」として組み込まれているということのなかに、「存在論的安心」をみいだすからである。日本人は自分が〈世間―内―存在〉であるかぎりにおいて、「存在論的安心」をもつことができる。
(略)
第四章でのべるように、ここ一〇年ぐらいの間に日本は本格的な「格差社会」に入ったといわれるが、もともとあった「世間」の「身分制」が、格差の拡大によって、ますますロコツにあらわれるようになっている。その結果、「世間」がもともともっていた、隣の人間にたいする「妬み」の意識が肥大化しているのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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高度成長の最中、多くの国民は経済成長著しく明るい未来が約束されていると信じて止まないなかった。大阪では「人類の進歩と調和」をテーマとした万国博覧会が成功裏に閉幕した直後、昭和45年11月25日市ヶ谷の自衛隊のバルコニーにて、やがて日本が今日の日本のようにかくも落ちぶれてしまうことを憂い、三島由紀夫は檄を飛ばした。
   
 
 
 
 
没後40年三島由紀夫の思想と行動の意義は、漸く日本人の心に静かに浸透し、理解されつつある。特に、北朝鮮による拉致事件の露見、ミサイル核開発行動を目の当たりにし、更に反日教育中国の台頭・尖閣島沖事件は、戦後惰眠を貪り続けた我々日本人は40年前に決起した三島の行動を見直すべき時が来たのではないだろうか?
 
「憂国」とは何か? 愛なきところには憂いはない。 自己を、家族肉親を、国を、世界を、人類を愛し、その危機を予感する時、憂いは生れる。

我々は日本を愛し、日本
の危機を憂うる。ただし、この危機に対処するためには、この国の伝統と精神を深く知り、その美しき精神を受け継がなくてはならないと思う。
 
日本人にとっては、日本という国は生きた伝統と皇統を持つ生きた統一体である。日本は近代から現代にかけ世界的な人類の進歩と歴史に貢献してきた。日本人が地球や人類に貢献してきたのは日本の伝統精神のおかげではないかと思うのであります。
 
日本の伝統・道徳・教育・思想・風俗は東京裁判史観・憲法9条を教条的に守ると叫ぶ護憲勢力など社会主義的リベラルな政治家・マスコミによってひたすら亡国への、路を辿ってしまったのである。
 
40年以上前にこの日本の嘆かわしい未来を見ぬいていて、日本を愛するが故に日本を憂うる.三島由紀夫の「憂国の思想と行動」が生れたのであろう。
三島の憂国の構神は、捨身と献身は日本の誇るべき伝統である。三島は生前、「自分の行動は2~300年後でなければ理解されないだろう」と書いていたが、平成23年三島の憂国の精神は既に眩しい。
 
本書は、三島由紀夫が何を憂い、三島没後 楯の会の母体となった日本学生同盟・民族派学生運動・重遠社の関係者の方々がいかに三島の精神を保ち40年間何を考えてきたかを知る貴重な資料である。
 
戦後知識人は何から逃げたのか 宮崎正弘
p249~254
戦後知識人が逃げたものとは大恋愛小説、古典、日本精神である。
その替わりに作家らが追ったのはサスペンス、セックス、殺人トリック、社会派、都市犯罪、マネーゲーム、猟奇、失われた世代である。文壇に『豊饒の海』の本格評論が少ないのも宜(むべ)なるかな。怖くて評論できないか、理解不能か?

そこには恋愛の成立しないロボット社会、情緒が乏しく、ゲーム感覚としての人生があり、文学のテーマたる『死』が遠景になり、日常生活の隣には長寿、医療福祉があった。日本はすでに三島が予言したように「日本ではない」、「ニュートラルな」「無機的な」国家に転落していた。

GHQによる日本精神の壊滅と去勢、洗脳。男は女になり、女は男になり、生存本能に乏しく、少子化現象をうんだ。

「死」から逃亡した現代の日本人には特攻の精神が分からず、したがって三島の『英霊の聲』はおそらく一番読まれない作品だろう。

日本人には明日、死ぬかもしれないという戦争状態がないために、ぎりぎりの瞬間という人生の燃焼がなく、大恋愛も遠くへ去り、日々の生活にも大事な緊張を失い、ハングリー精神を欠落させ、精神を萎えさせている。そんな若者はまっすぐな、純粋な、まっしぐらな考え方に惹かれない。いつも歪んで、斜に構えて社会を見ている。

戦後の過保護的なまでの生命保険とか、福祉、失業保険、生活保護は明らかに制度的に日本人を堕落させた。四川省大地震で肉親を失っても翌日からもりもり食べる中国人と比較して、どちらに生命力があるか一目瞭然だろう。
こうして「立ちすくむ日本」「劣化する日本人」が形成されてきた。
独立国家の原則とは自主憲法、自主防衛、領土保全、そして独自の教育である。国家の自立要素である。

主権とは国家の決定を自分で行う権利である。

GHQと左翼が呼応した結果、精神、歴史教育、国語が乱れ、武士道、道徳、歴史観(地誌を含み)などがアメリカ化し、「戦後レジューム」礼賛体制となる。その典型は朝日新聞、これにさからった安倍晋三政権は戦後レジューム翼賛勢力によって横倒しにされた。

フェミニズムヘの誤解は男女共同参画法を成立させ、かの勢力はつぎに外国人参政権、移民一千万人受け入れ計画という、とんでもないたくらみを抱く。国技は外国人が担い、非伝統的なサッカーや音楽も無国籍化し、浄瑠璃、長唄、清元は顧みられず、歌舞伎は一部のマニアックなファンのみとなって国家予算でかろうじて生き延びる。

三島がスポーツ新聞の腕章を借りて毎日のように見学に通ったという東京五輸までは、ナショナリズムの高揚があった。

旧軍の精神訓謡も、特攻の遺産も戦後しばらくは日本に残っていた。それゆえGHQが去ると、乃木希典大将、明治天皇、日清日露戦争の映画がどっと出た。教育も戦前の教育を受けた人が教壇に立って、立ち居振る舞いで道徳を教えた一時期があった。しかし、経済発展は一方において地域から伝統的な農業儀式を消滅させ、伝統は顧みられず人間関係はドライになった。

工業化、都市化は伝統的な日本の農耕文明的コミュニティを損壊し、ムラの祭りを嬢小化し、都会の殺風景な人間関係、ぎすぎすした隣人関係を生んだ。
そして日本全体が本質の議論を避けた。戦後知識人は三島由紀夫から逃げたのだ。

いまの日本の安保論議に欠けるのは、基本的に外国の軍隊がなぜ主権国家のなかにいるのか?徴兵制が復活せず、北朝鮮の国家的犯罪である拉致に無力なのは何故かという根本の議論がないことだ。
 
改憲論議に欠けるものは、そもそも二千六百年の長い歴史を誇る我が国に成文憲法が必要か、聖徳太子の十七条憲法に復帰すれば良いのではないかという歴史の視野をもった議論である。現行憲法は国際法違反、無効宣言で済む。領土論議にしても軍事力を行使して奪回しない限り領土は戻らない。
そうした軍事の視点がない。
 
歴史教育も、国語の乱れもしかり。三鳥は戦後日本人が逃げたものを逆に追った。それが『文化防衡論』、『反革命宣言』、『葉隠入門』、『撤』、そして『革命哲学としての陽明学』という一連の作品群であり、文学的には輪廻転生と仏教哲学、無の境地を描く『豊饒の海』である。
三島は文学論として古今集へ還れ生言い残した。
 
武士の名誉
 
三島由紀夫は生前に幾つかの予言的を言辞を残したが、ここでは三つの「予言」を取り上げる。

第一は「軍人の栄誉」である。
最近も田母神俊雄元空幕長が「日本が侵略国家といわれるのは言いがかりだ」と懸賞論文を書いて特賞を獲得したら、たちまち退官を余儀なくされた。

三島は「栄誉の絆でつなげ菊と刀」と書き残した。名誉を認められなければ軍人は本分を発揮できず、国のために死地に赴くことは出来ない。いまの日本の白衛隊はサラリーマン化しており、とても国際基準でいうところの軍隊とは言えない。

そればかりか戦争が勃発する危険性を想定しておらず、海外派兵となると尻込みする隊員がでる始末だ。予備役に登録する退役白衡官が驚くほど少なくなっている。

シビリアン.コントロールについても政府が人事にまで容唆することを意味しておらず、率直に言って日本の軍隊は国際的基準の「軍隊」ではない。これらの根本問題を等閑視しているからだ。
 
第二は「日本が日本でなくなる日」の到来である。
サンケイ新聞の昭和四十五年七月七日付け夕刊に、さりげなく三島は遺書代わりのエッセイを書きのこした。
 
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」
(「私の中の二十五年――果たし得ていない約束」)。
 
その日はついにやってきた。
まるで日本精神を理解しない政治家、ジャーナリスト、文化人。彼らの移しい劣化を見よ。日本はアジアの優等生どころかマレーシアやインドネシアの指導者から「もっとしっかりしろ、いっまで反省ばかりしているのか」と叱唯される体たらくだ。日米同盟はいつしか形骸化して、ワシントンは東京の頭越しに北京との関係を重視するようになった。つまり、「日米関係は米中関係の従属関数」(田久保忠衛氏一に陥落しているのだ。

第三は「東大を動物園にしろ」と昭和四十四年新春に三島は『文嚢春秋』に書いたが、それをしなかったツケが回っている。

すなわち三島が比瞼したのは日本の最高のエリートとされる東大法学部卒業生-周恩来が批判的に表現した「法匪」-が、日本の官界をリードし、支配し、法律が日本を非日本化したのである。

法律さえつくれば改革は完成という面妖な発想は、エリート意識が突き出て、すべてを法律の制定でコト足れりとする考え方だ。

経済政策にしてもアメリカ流のヴィジョンとデザイン重視、現場の声はすこしも反映されていない。

改憲は横に置かれ、核武装論はその是非を問う論争さえが封じ込められ、軍は名誉を回復されず、モラルは地に落ち、倫理は希薄となり、倫理無き資本主義、市場原理優先主義が暴走し、M&A、ヘッジファンド、デリバティブが日本の資本市場をついに根底的に壊した。2008年のリーマンブラザーズ、AIGなどの決壊はウォール街の自由市場原則主義が倒壊した事を意味し、明日の日本が立
ち直れるか、どうかの象徴的出来事となった。まさに三島の予言通りではないか。
 
三島由紀夫の『英霊の聲』にある有名な一節
 
 
掛けまくもあやに畏(かしこ)き すめらみ ことに伏して奏(まお)さく
今、四海必ずしも波穏やかならねど、日の本のやまとの国は 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の世をば現じ 
御仁徳の下、平和は世にみちみち 
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交わし 
利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ 
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、邪まなる戦のみ陰にはびこり 
夫婦朋友も信ずる能わず 
いつわりの人間主義をたつきの糧となし偽善の団欒は世をおおい力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、若人らは咽喉元をしめつけられつつ 
怠惰と麻薬と闘争に 
かつまた望みなき小志の道へ 
羊のごとく歩みを揃え、快楽もその実を失い、信義もその力を喪い、魂は悉く腐蝕せられ 
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をぱ、道徳の名の下に天下にひろげ 
真実はおおいかくされ、真情は病み、道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく なべてに痴呆の笑いは浸潤し 
魂の死は行人の額に透かし見られ、よろこびも悲しみも須臾(しゅゆ)にして去 
清純は商われ、淫蕩は衰え、ただ金よ金よと思いめぐらせば 
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、世に背く者は背く者の流派に、生かしこげの安住の宿りを営み、世に時めく者は自己満足の いぎたなき鼻孔をふくらませ、ふたたび衰えたる美は天下を風靡し 
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、大ビルは建てども大義は崩壊し 
その窓々は欲求不満の螢光燈に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモッグに曇り感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、烈しきもの、雄々しき魂は地を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み 
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。
かかる日に、などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし・・・・
 
三島の嘆きの根本には天皇陛下による人間宣言が強く影響している。
三島を語るときに遺作となった「豊穣の海」4部作とこの「英霊の聲」は参考になると思う。
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イメージ 1
 二ーチェの激しい善人批判の
真の矛先は---。
▼善人は児分の弱さを止当化する
▼善人はすぐ弱い者いじめをする
▼善人は群れをなして権カを握る
▼善人は自分と異質なものを排除する
▼善人は同情されたいから同情する
▼公認の被差別者は善人になりえない
 
 
 
 
善人は群れをなして権力を握る
p122~123
善良で弱い者は、たえず胸に不平を抱いている。しかし、その不平を少しでも身の危険のあるところで発散させることはない。積もり積もる不平もまた絶対安全な場所においてのみ表出するのだ。
しかも、彼は同じように弱い輩を見つけて不平を共有しようとする。こうして、彼は、絶対に自分の弱さを変えようとはしないので、しかも自分だけが取り残されることは恐ろしいので、自分と同じように弱い者の共同体を作ろうとする。弱さの被害者同盟を作ろうと企むのだ。
そのためには、単に団結してもダメである。なにせ自分たちは弱いのだから。そのことを悟り、彼らは自分たちこそ「正しい」という武器を手にする。自分たちは弱いから正しい。弱いから善なのだ。こうして、正しくて善い弱者を見殺しにしないこと、配慮し尊重することにこそ、全道徳の基礎があるという信念にたどり着く。
こうした人種を、二ーチェは豚や羊や牛などと同様の「畜群(Herde)」と呼ぶ。
あまりにも長いあいだ、世人は彼ら〔小さい人々〕の言行を是認してきた。そこで、ついには彼らに権力までも与える結果となったのだいまや小さい人々は教える「小さい人々が善と呼ぶものだけが善なのだ」と。
(『ツァラトゥストラ』第四部「最も醜い人間」)
善人“畜群による執念深いカヘの意志とその支配形態を、二ーチェは長々と描き出す。
畜群の本能は、中間のものと中位のものとを、最高であってこのうえなく価個あるものと評価するが、これは、多数者が住みついている場所であり、多数者がこの場所に住みつくやり方である。(『権力への意志』)

善人は弱いことを自覚しているからこそ、最も卑劣で姑息なやり方で権力を求める。つまり、彼らは「数」に訴えるのである。一人ひとりは弱いが、結束すれぱ、団結すれば、山をも動かし、巨悪をも打ち倒すことができよう。
 
(略)
 
善人は公正を求め法律を遵守する

弱い者には、誰か強い者の保護が必要である。それが個人のレベルで求められなくなった近代以降においては、弱いものを保護する制度が必要である。
弱い者を守り、その弱さを責めたてない制度、弱くても生きていける制度、弱い者を見捨てない制度、弱い者に温かい目を注ぐ制度が必要である。
強い者がその強さを誇示することなく、その強さで弱い者を虐げることなく、むしろ自分の強さを「悪」とみなす制度、弱い者はこうした制度を「公正」であると考える。

強い者は強いのだから、弱い者のことを考慮しなければならない。弱い者は弱いのだから自分のことで精一杯である。これでいいのだ。強い者が弱い者のことを考慮するのは、強い者の義務なのだ。その義務を怠ったものを、追及し、詰問し、社会から葬り去ってもいいのだ、「公正(gerecht)」という言葉は「復讐(gracht)
」という言葉と響き合っている。「公正」を求める弱者は強者に復讐したいのだ。強者を臭いドブの中に叩き込んで、自分たちと同じ汚い輩に改造したいのだ。
しかも、弱者は独特の賢明さと鈍感さを併せ持っているので、そういう意図を自分自身から隠す術も心得ている。彼らにあらためて聞けば、そんなことは「夢にも思わない」と答えるであろう。

弱い者は弱い者特有の権力を振りかざす。見えにくい特有の暴力を行使するのだ。つまりタチの悪いことに、自分が権力を持っているなととは夢にも思わないままに、絶大な権力を振り回す。しかも、さらにタチの悪いことに、そうしながら、自分は「公正だ」と思い込んでいる。
善意のあるところ、それと同じだけの弱さを私は見る。正義と同情のあるところ、それと同じだけの弱さを。
彼らは相互に円満で、正直で、親切である。さながら砂粒と砂粒とが互いに円満で、正直で、親切であるように。
(『ツァラトゥストラ」第三部「小さくする徳について」)
(略)
だが、私はきみたちにこう忠告する、私の友たちよ。処罰しようとする衝動が強人であるようないっさいの者たちを信用するな!これは劣悪な種族と血統の徒輩である。彼らの顔つきには死刑執行人の、また探偵の気配が現われている。みずからの正義について多弁を弄するいっさいの者たちを信用するな!まことに、彼らの魂には蜜が欠けているというだけのことではないのだ。
そして、彼らが自分自身を「善にして義なる者たち」と称するとき、忘れるな、パリサイの徒たるべく、彼らに欠けているのはただ権力だけであることを!
(『ツァラトゥストラ」第二部「タラントゥラどもについて」)
「処罰しようとする衝動が強大である」人とは、既存の捷を絶対視する人であり、そのルール違反者に対して不寛容な人である。しかも「正義」の名のもとにおいて。およそ地上のすべての卑劣なこと、醜悪なこと、凶暴的なことは「正義」の名のもとに行われてきた。いかに合理的であっても、理知的であっても、説得的であっても、愛情に満ちていても、自分を一方的に「正義」の側において、それ以外の者を非難し迫害する者は信用してはならない。
「みずからの正義について多弁を弄するいっさいの者たちを信用するな!」と二ーチェは叫ぶ。
 
 ニーチェは神を否定したのであるから、中世キリスト教から生まれ出でた民主主義を否定しても驚きはしない。中世キリスト教から生まれた双子の片割れである資本主義と共に、21世紀初頭の現在民主主義も行き詰っている。
 
 
「タラントゥラ」という毒蜘蛛ども
p133
こういう「幻想的平等主義」を教え込んだ張本人がいる。それは、自分は穴に隠れてこそこそ大衆を操作している卑劣きわまりない毒蜘蛛たちである。
「われわれに対して等しくないすべての者に復讐を誹謗を加えよう」-タラントゥラたちは心を合わせてこう言う。「そして『平等への意志」これこそ将来道徳の名に代わるへきものだ。権力をもつ一切の者に対して、われわれはわれわれの叫び声を上げよう!」
(『ツァラトゥストラ』第二部「タラントゥラどもについて」)
弱者=善人も努力次第で夢は実現される、正直に働き続ければ少なくとも人並みに生きられるという大嘘を教え込み、そのことによって彼ら頭の単純な善人どもの脳みそをかき回し嫉妬を掻き立てる。
自分がこんなに努力しても(これも疑わしいが)いっこうに生活は楽にならず、金は貯まらず、老後は不安であり、これはどうしたことかと真剣に悩む輩を輩出させるのだ。
こういう大衆操作を裏でやってのけるのは「タラントゥラ」という名の踊る毒蜘蛛である。
大衆の嫉妬心や復讐心を煽り立て、その燃え盛る憎悪を巧みに利用して、「平等、平等!」と叫びながら、この毒蜘蛛は踊り続ける。
「タラントゥラ」とは誰であろう?すべてのジャーナリスト、テレビに出て意見を述べるすべての者、いやいまとなってはすべての政治家、すべての官僚、すべての企業家、すべての教育者である。
すなわち、公の席で何かを語る者は、いまやすべて「タラントゥラ」なのだ。それほどの嘘ゲームを、いつまでもせっせと考案して、膨大な数の犠牲者が坤き声を上げているのに、一点の嫌悪感も持たないのは不思議というほかない。
諸君、平等の説教者たちよ!してみれば、権力にありつかない独裁者的狂気が、諸君の中から「平等」を求めて叫んでいるのだ。諸君の深く秘められた独裁者的情欲が、こうした道徳的な言葉の仮面を被っているのだ!・・…・この説教者たちはいかにも感激に駆られている者というふうだ。しかし、彼らを興奮させているのは、純真な感情ではなくて復讐の念なのだ。また、彼らが緻密で冷静になるなら、それは精神がそうさせるのではなくて、彼らの嫉妬が緻密で冷静にさせるのである。
(『ツァラトゥストラ』第二部「タラントゥラどもについて」)
テレビこそ諸悪の根源である。何も考えない(いわゆる)バカでもわかる仕掛けが、(いわゆる)バカに合わせた企画がひしめき合っている。
中でも、「コメンテーター」と自称する者は、お笑い芸人、落語家、漫画家、スポーツ選手、歌手、写真家、外食産業社長など、あっと驚くほどの無教養大集団。その一人ひとりが真顔で、地球温暖化や政権交代や少年犯罪について「コメントする」のだから、あきれ果ててしまう。
余談だが昨日のNHKの日米安保50年もそんなリベラルな人間が製作したせいか、アメリカのジャパンハンド達が日本を嵌めて日米同盟に無理やり引き込んだかを如何にも公正な立場で番組にしましたという姿勢に怒りを感じた。
 
正義の美名が大きいほど信用できない。日米のリベラルと呼ばれる日米両民主党の議員達オバマや菅・鳩山・小沢・仙谷etc、NHK・朝日新聞etcが叫ぶ正義を私が一切信用できない。そんな時代であるからこそ、無限の欲望の塊である人間の行動科学を冷徹に観察したニーチェが今日再評価されているのは時代の必然性のような気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
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