軍事評論家の江畑謙介氏が死去
2009.10.12 15:34
http://sankei.jp.msn.com/obituary/091012/obt0910121537000-n1.htm
江畑謙介氏 江畑謙介氏(えばた・けんすけ=軍事評論家)10日、呼吸不全のため死去、60歳。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。平成3年の湾岸戦争開戦時からテレビ解説をつとめたことを契機に、的確な軍事評論で広く知られた。

 上智大学在学中から軍事問題を研究し、専門誌「丸」「ジェーン年鑑」などに論文を掲載。昭和58年から英国の防衛専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」など海外専門誌の日本特派員として活躍した。政府の防衛調達適正化会議議員防衛調達審議会委員も務めた。主著に「新軍事考」など。
【Wikipedia:江畑謙介】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E7%95%91%E8%AC%99%E4%BB%8B
千葉県銚子市生まれ。市立銚子高校を経て、上智大学大学院理工学研究科博士課程修了。

イギリスの防衛専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」日本特派員、通商産業省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員、防衛庁防衛調達適正化会議議員、内閣官房情報セキュリティ専門調査会委員、経済産業省産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会委員、日本国際フォーラム付属「日本予防外交センター」運営委員、外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員などを歴任。

大学在学中に海上自衛隊の一般幹部候補生試験を受けるが、身体検査で不合格となり、大学卒業後は民間企業へ就職する。しかし、本人が望んだ潜水艦関係の部署に配属されなかった為に退社し大学院へ進学。大学院在学中は「丸」、「航空情報」、英「ジェーン年鑑」などの軍事雑誌へ記事を投稿し、その原稿料を学費に充てたという。

一般には、湾岸戦争時のテレビ出演で認知度が広まり、その後もアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争、さらには北朝鮮のミサイル発射、核実験など有事になるたびに、テレビ番組に出演するようになる。なお、民放ではバラエティ番組などで江畑の独特のヘアースタイルを揶揄するなどの行為をされたことで、それに激怒した経緯があり[要出典]、出演する放送メディアはほぼNHKのみに限られていた。

兵器システムについての該博な知識に基づく冷静な戦況分析を得意とし、とりわけ戦術から戦略レベルでの分析に長けている。わずかな使用部品等からその兵器のトータル的な性能を推し量るほどの論評には定評がある。また、軍事面以外の解説を求められることがあっても、自分が知らないことに対しては発言を控え、他の出演者に意見を求めるという謙虚さを持ち合わせていることも評価されている。

2009年10月10日、千葉県内の病院にて呼吸不全のために逝去[1]。享年61(満60歳没)。


軍事評論家の江畑謙介氏が亡くなられた、まだ60歳若すぎる死、残念でならない。
1990年湾岸戦争勃発時NHKの軍事解説に颯爽と登場、私のような軍事オタクに一分の隙も与えない適切な解説、正確な知識、流石にNHKに出演するだけのことがある。欧米の専門誌にも精通しており、兵器のメカニズムも正統派軍事オタクとしては最高峰の知識と分析力を兼ね備えていた。

私は、江畑謙介氏のような生き方をしたかった。私の子供の頃は、軍事評論家といえば、小山内宏氏と相場が決まっていた。1980年代初頭にお亡くなりになっているはずだがTVなどへの出演は知らない。
中学1・2年の頃将来何になりたいと聞かれ、「評論家になりたい」と答えていた時期があった。
しかし、どうやってなったら良いか、周囲の大人達に聞いても、「そんなのなれないよ」といった答えしかなかった。

自衛隊に入って戦闘機パイロットになるには防衛大学に入れば道がひらけるのではと考えたのでしたが、高校1年の時、数学が数Ⅰで挫折した。防衛大学は数Ⅲが必携であった為、私の軍事評論家への夢はあえなく潰れた。

話は、戻りますが、1976年べレンコ中尉がMig25で函館へ亡命した事件あたりから、今は亡き航空ジャーナル社長青木日出男氏が日本を代表する軍事評論家であった。1988年に青木氏がお亡くなりになった後は、日本を代表する軍事評論家は江畑謙介氏であったろう。

現在京TVキー局は、国際紛争が発生すると決まった軍事評論家達が登場してきます。NHKは江畑謙介氏、逆神:神浦元彰は日本テレビ(いい加減、まったくトンチンカンな神浦を外さないと日テレは信用されなくなる)、小川和久氏(TBS)、岡部いさく氏(フジテレビ)、田岡俊次(テレビ朝日)と決まっている。そのほかにメディアに露出する評論家は・松井茂氏、宇垣大成氏、青木謙知氏などがいるが、元航空幕僚長田母神俊雄が露出しだしている。

NHKは今後誰を呼ぶのか?田母神氏では棘がありそうで、主席での出番はなさそうです。
はたして、だれがなるのかが楽しみです。

若すぎる江畑謙介氏の死に黙祷!


【夕刊フジ特捜班「追跡」--イラク戦争--露出する「あの主役」は…(4)】
http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/2003_04-09/030405_04.html
軍事評論化・江畑謙介 

◇上智大学理工学部卒

イラク戦争の報道で全メディアに軍事評論家が登場するなか、別格の存在感を示しているのが江畑謙介氏(54)だ。91年の湾岸戦争で衝撃的な“デビュー”を飾った江畑氏は、今回もNHKに“拘禁状態”となり、連日、緻密な戦況解説を続けている。膨大な知識とパワーの秘密とは-。

 「あれだけ勉強が続けられるのも好きだからで、本人も『趣味で暮らせて幸せ』と話していた。でも、努力は半端でなく、本当に脱帽します」とは、江畑氏と20年以上親交がある軍事ジャーナリストの宮岡千代道氏。

 49年、千葉県銚子市に生まれた江畑氏は、子供の頃から船が大好きで、木製の模型やプラモデル作りに熱中。造船技術者を目指し、上智大学理工学部機械工学科に進学したが、在学中から軍事雑誌に寄稿し始め、大学院博士課程の学費は原稿料で稼いだという。

 独学で英語も習得、独自取材も始めるなか、軍事関係で世界一の権威を誇る英専門誌「ジェーン・ディフェンス・ウイークリー」の関係者と知り合い、英文での投稿を依頼され、85年には同誌の日本特派員となった。

 そして、91年に湾岸戦争が勃発。軍事評論家としてNHKに初登場し、大きな話題となった。

◇下心のない男

 「彼が評価されるのは一日中、情報収集し、欧米の専門誌も欠かさず目を通して、兵器のメカニズムも正しく理解しているから。また、話を面白おかしくするメディアに迎合せず、知らないことは知らないとハッキリいうから」(宮岡氏)

 湾岸戦争時には、ユーミンが「ガイコツにフライパンを乗せたような風貌で…」と話すなど、あの独特な髪形も知名度アップに“貢献”。江畑氏も「気軽にコンビニで弁当も買えなくなった。僕も湾岸戦争の被害者だ」と嘆いていたとか。

 「普通の人ならアレだけ顔が売れれば、下心も出てくるが、彼にはそれがなく、凄い。民放出演やCMの誘いもあったようだが、『書くことで食べていければいい』と断っていた」(宮内氏)

 こんなエピソードもある。某政治家が安全保障について6回のレクチャーを依頼し、1回目終了後、ウン10万円の謝礼を1回分として手渡したが、「『もう十分』と後の謝礼は受け取らず、『政治家の金銭感覚は一般人とかけ離れている』と憤慨していた」(同)。 

◇スポーツカーで夫人と講演に

 最近は、精力的に著書を発表するほか、内閣官房の情報セキュリティー専門調査会委員を務めるなど幅広く活動しているが、その陰には強力な“援軍”がいた。

 「細身の美人」(同)という裕美子夫人とは、湾岸戦争直後、“遭遇”。当時、OLだった夫人が江畑氏の著書を読み、手紙を書いたことがきっかけとなり、電撃的にゴールインしたという。

 「夫人もマニアが及ばないくらい軍事に詳しく、資料の収集、整理など彼の右腕として手伝っている。コンビニ弁当の生活も変わり、奥さんが健康管理もしている。オシドリ夫婦です」(同)

 江畑氏は新幹線や飛行機で注目されることを嫌い、講演には愛車のスポーツカー「GTO」(三菱)で、「北海道や九州でも、夫婦で仲良く出掛けている」という。

 最近、著書のあとがきには「本書は彼女との共著といっても過言ではない。末尾を借りて、裕美子に感謝の意をささげたい」と必ず記している江畑氏。

 米英軍も仰天する史上最強の軍事タッグといえそうで、その快進撃はまだまだ続きそうだ。