Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:洋楽

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デビッドボウイ死す。J-Waveの成人の日特集を聴いていて突然訃報を聞いた。
ロック界のレジェンドであったのに残念だ。青春時代のロックヒーローズが次々と夜空のスターになってしまい残念です。

デビッド・ボウイさん死去、69歳がん家族に囲まれ
日刊スポーツ 1月11日(月)16時34分配信

 英国の人気ロック歌手デビッド・ボウイさんが10日(日本時間11日)、がんのため死去したと、英BBC放送(電子版)などが報じた。69歳だった。

息子で映画監督のダンカン・ジョーンズ氏が、SNS上で「デビッド・ボウイは今日、18カ月の勇敢ながんとの闘病生活の末、家族に囲まれて安らかな眠りについた」と明かした。

ボウイさんはロンドン出身。エルビス・プレスリーらに影響されて音楽活動を始め、67年にデビューした。映画「2001年宇宙の旅」をモチーフにしたアルバムが大ヒットし、スターダムに上がった。米国、ドイツなど、世界をまたにかけて活動。世界ツアーで7度の来日も果たした。米エスクァイア誌が選ぶ「史上最も洗練された10人のミュージシャン」で1位に輝くなど、世界で名声を残した。

一方で、83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では主演を務め、ビートたけしらと共演するなど、俳優としても活躍する多彩ぶりだった。晩年は病気に苦しめられ、ライブは06年のニューヨーク公演が最後だった。69歳の誕生日だった8日に、最新アルバム「Blackstar」を発売したばかりで、最後の最後まで創作活動を続けていた。
デビッドボウイ(1947年1月8日 - 2016年1月10日)
本名はデビッド・ロバート・ジョーンズ。64年にファーストシングルを発表もしばらく無名だったが、69年に「スペイス・オディティ」が全英チャートでトップ10に入り、人気ミュージシャンとなった。その後も「レッツ・ダンス」などのヒット曲を発表した。

 ロックスターは元来30前後で酒・たばこ・ドラッグにまみれて死ぬ者だと相場が決まっていた。酒や薬にまみれながら、世間に反抗的精神を歌にするのがロックスターであった。
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンは30そこそこで命を絶った。

80年代になる直前1979年12月8日ジョンレノンが暗殺され、1991年11月24日エイズでフレデリー・マーキュリーが死んだ。

それが最近はマドンナがマクロビオティックでアンチェイングにせいを出すなど、ロックスターは禁酒・禁煙、朝はジョギング、夜はジム通い。まるでアスリート並みに禁欲的な生活。ポール・マッカートニーとかミック・ジャガーとかはまるで生きる神のごとく活躍している。2013年ザ・ネクスト・デイ の発表はアルバムタイトルからして、暫く引退していたデビッドボウイが再び現役のロックスターとして、生きていく決意を示したと感じた。デビッドボウイもポールやミックと同じく経路をたどると思っていた。

デビッドボウイは1年半以上の闘病を経て、最後は家族に見守られて亡くなったという。デビッドボウイは70年代のロックスターのように死ぬことができなかかったが、癌を患ってからも最新アルバム「Blackstar」を残した。死ぬ直前まで現役のロッカーであったことに敬服する。真のアーチストであったのだと思う。合掌!ご冥福を祈ります。



1963年生まれのDdogがリアルタイムで最初にデビッドボウイを知ったのが1977年発売のこの曲ワルシャワの幻想である。クイーンのライナーノーツにクイーンが影響を受けたアーチストとしてグラムロックの貴公子デビッドボウイと書いてあったので、知ってはいたが、認識していなかった。確かNHKFMのクロスオーバーイレブンでワルシャワの幻想が架かった時、これがデビッドボウイか!と初めて認識しファンになった曲なのである。

その後この曲はデビッドボウイの中でも特異な曲であると知ったのだが、彼のアート性の高さを感じる曲で、私の中では最も好きな曲である。

ワルシャワの幻想がクロスオーバーイレブンで流れて少し経った頃渋谷陽一のサウンドストリートでデビッドボウイ特集が組まれたと記憶している。そこで紹介された曲の一つがこの曲ヒーローズ。
We can be Heroes, just for one day
We can be us, just for one day
「時の人」ヒーローになって輝ける
今日という日の間だけは・・・・


ベルリンの壁の恋人達の歌だったんですね。


クイーンファンである私にとって大好きな一曲。初めてクーンが他のアーチストとコラボしたのがこの
アンダープレッシャー
オフィシャルビデオが日本の70年代の満員電車だったのが印象的でした。





デビッドボウイを代表する1曲スターマン
"There's a starman waiting in the sky
He'd like to come and meet us

空でスターマンが待ってるんだ
彼はやって来て 僕らに会いたがってる

今頃スターマンと会っているのかもしれない。

アルバムLOWの中の一曲 















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お願い】愛読者の皆様
私(Ddog)は音楽サイトOmps!において音楽記事を書いております。
書き終えて掲載された記事については当ブログに転載して紹介しますが、
Omps!で読んでほしいので(PVポイント稼ぎの為です)、下記URLのクリックを宜しくお願いします。
http://omp-s.com/articles/2116 

【A Young Person's Guide To Progressive rock】ピンク・フロイド(Pink Floyd)原子心母(Atom Heart Mother)

プログレッシブ・ロックという言葉の誕生説として有力なのが、当時東芝EMIで担当ディレクターをつとめていた石坂敬一氏が本アルバムの日本盤のタスキに、「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」というコピーが掲げられたのが世界初であるという説です。

ピンク・フロイド(Pink Floyd)原子心母(Atom Heart Mother)

ピンクフロイドの歴史

プログレッシブ・ロックを代表する歴史上最も偉大なロック・バンドの一つであり、”時代を超越する音芸術”を持つロックバンド と称され、商業的にも『狂気』5,000万枚、『ザ・ウォール』は3,000万枚、『炎〜あなたがここにいてほしい』は2,300万枚、総計全世界で2億5千万枚以上のセールスを誇り、プログレのジャンルに関係なく最も成功したバンドの一つである。
1965年、建築学校の同級生であったロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスンの3人は現代音楽に関して論争を交わしたことがきっかけで「シグマ6」というバンドを結成した。旧友のシド・バレットを加えピンク・フロイドに改名1967年、シド・バレット作のシングル「アーノルド・レーン」でデビュー。

第一期: 1967-1968 
シド・バレット  Syd Barrett (guitar, vocals )1946年1月6日~2006年7月7日
ロジャー・ウォーターズ  Roger Waters (bass, vocals )1943年9月6日~ 
リチャード・ライト  Richard Wright (organ, piano,vocals  )1943年7月28日~ 2008年9月15日 
ニック・メイスン  Nick Mason (drums )1944年1月27日~
1967年、ファースト・アルバム『夜明けの口笛吹き』をリリースした。 デビュー当初シド・バレット のワンマンバンドであったが、過度のLSD摂取によってバレットの奇行が目立ち始め、1968年デヴィッド・ギルモアがバレットのサポートメンバーとして加入したが、 結局バレットは重症化して脱退。

第二期: 1968
 シド・バレットロジャー・ウォーターズリチャード・ライトニック・メイスン 
デヴィッド・ギルモア David Gilmour (guitars, vocals )1946年3月6日~
1968年のセカンド・アルバム『神秘』を発表。このなかで初の長尺(約12分)タイトルナンバー「神秘」が収録された。
1969年には映画「モア」のサウンド・トラック『モア』、ライブとスタジオ・レコーディングの2枚組『ウマグマ』を発表。
第三期: 1968-1979
 ロジャー・ウォーターズ(Ba,Vo)、リチャード・ライト(Kye,Vo)、ニック・メイスン(Ds)、デヴィッド・ギルモア(G,Vo)
そして1970年には本記事『原子心母』を発表した。本作は全英1位を記録し、批評家筋からも絶賛されるなど音楽的、商業的に成功を収めた。
本作以降、フロイドはプログレッシブ・ロックを代表するバンドとして認知されるようになる。続く1971年発表の『おせっかい』は、セールス面では前作『原子心母』に及ばなかったがバンドが音楽的に大きく飛躍するきっかけとなった作品である。 
1972年フランス映画『La Vallée』のサウンド・トラック『雲の影』リリース。
そして、1973年3月、コンセプト・アルバム『狂気』が発表される。シングル・ヒットした「マネー」とともに初の全米1位を記録するなど全世界で大ヒットを記録、音楽的にも商業的にも大成功を収める。こうして、ピンク・フロイドは一躍プログレのジャンルを超えてスターダムにのし上がった。

 1975年、2年ぶりの新作となる『炎〜あなたがここにいてほしい』を発表。バンドは次第にロジャー・ウォーターズのイニシアチブが強くなっていく。1977年発表の『アニマルズ』はコンセプトアルバムであるが、全5曲中4曲がウォーターズ単独の書き下ろしであり、ウォーターズがリード・ボーカルを担当した。サウンド面でも、それまでの幻想的な音創りは影を潜め、よりストレートなロック・サウンドとなっていった。
1979年11月、2枚組アルバム『ザ・ウォール』を発表。シングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」とともに大ヒットを記録した。アルバムのコンセプトを具現化した映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』がアラン・パーカー監督の下で制作され、1981年に公開された。この前後からメンバー間の対立が深まり、 ロジャー・ウォーターズ が リチャード・ライト をくびにするなど70年代末はピンクフロイドにとって絶頂期でもあり、揉めた時代でもあった。
第四期: 1980-1985
 ロジャー・ウォーターズ(Ba,Vo)、ニック・メイスン(Ds)、デヴィッド・ギルモア(G,Vo)
1983年発表の『ファイナル・カット』が出る頃には、 メンバーはそれぞれソロ活動を行い、ファイナルカットではデヴィッド・ギルモアとニック・メイスンはレコーディング・セッションには積極的にはかかわらず、ピンク・フロイド名義ではあるが実質的にはウォーターズのソロ作品である。リーダーロジャーウォーターズはバンド解散を意図したが、結局1985年ロジャーウォーターズが脱退となった。
第五期: 1986-1987
 ニック・メイスン(Ds) ,デヴィッド・ギルモア(G,Vo)※リチャード・ライト(Kye,Vo)はゲスト・ミュージシャンとしてアルバム『鬱』に参加
1987年に新生ピンク・フロイドは『』を発表。ピンク・フロイドの復活を印象付けた。
第六期: 1987-2008
 リチャード・ライト(Kye,Vo)ニック・メイスン (Ds)デヴィッド・ギルモア(G,Vo)
1988年ライブアルバム「光〜PERFECT LIVE!」を発表した後活動を休止、1993年秋頃に再始動し、
1994年に『対/TSUI』を発表。収録曲「孤立」はグラミー賞ベスト・ロック・インストゥルメンタル部門を受賞。
1995年『エコーズ〜啓示』ピンク・フロイド最後ツアーの2枚組のライブ・アルバム。
2001年にはベスト・アルバム『エコーズ〜啓示』をリリース。ウォーターズを含めた4人で選曲が行われ、ピンク・フロイドにとって初と言ってもいいベスト盤となった。
2005年チャリティーライブ『LIVE 8』においてロジャー・ウォーターズ・リチャード・ライト・ニック・メイスン・デヴィッド・ギルモアのフルメンバーが共演を果たす。
2008年9月15日、リチャード・ライトが65歳で死去。
第七期: 2008- 
ニック・メイスン  (Ds) デヴィッド・ギルモア (G,Vo) 
2014年11月20年ぶりのニューアルバム『永遠(TOWA)』(原題:THE ENDLESS RIVER)が発売された。  リチャード・ライト の追悼アルバムでもあり約50年のバンドの歴史に別れを告げるラスト・アルバムでもある 。

原子Atom心 Heart 母Mother

原題Atom Heart Mother,それをそのまんま直訳して原子心母(^^;)・・・・
プログレッシブ・ロックという言葉の誕生説として有力なのが、当時東芝EMIで担当ディレクターをつとめていた石坂敬一氏が本アルバムの日本盤のタスキに、「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」というコピーが掲げられたのが世界初であるという説です。ちなみに直訳したのも石坂 氏です。
名目上、これが最初のプログレッシブ・ロック となった名盤中の名盤です。
なんといっても印象的なのは、まずその 印象的な乳牛のレコード・ジャケットです。
1970年代を中心にピンク・フロイド、ジェネシス、レッド・ツェッペリンといった数々のアーティストのアルバムカヴァーを手掛けたストーム・ソーガソンとオーブリー・パウエルによるデザイン・チーム「ヒプノシス」によるものだ。主にYesなどのレコード・ジャケットを手掛けたロジャーディーンとともに、レコード・ジャケットを芸術作品としての表現の域にまで高めた先駆者です。この『原子心母』の「牛」のジャケットを提示した際にはレコード会社から難色を示された。特にアルバム・タイトルもアーティスト名も表記されていないことに反対の声が挙がったが、結果的に全英1位を記録したことでその名は一躍有名になりました。
1.原子心母 Atom Heart Mother (23:51) (作曲:David Gilmour, Roger Waters, Richard Wright, Nick Mason & Ron Geesin)
 - a) 父の叫びFather's Shout - b) ミルクたっぷりの乳房Breast Milky - c) マザー・フォアMother Fore - d) むかつくばかりのこやしFunky Dung 
 - e) 喉に気をつけてMind Your Throats Please - f) 再現 Remergence 

2. If (4:24) If (作詞・作曲:Roger Waters)

3. サマー'68 Summer '68 (5:26)(作詞・作曲:Rick Wright)

4.デブでよろよろの太陽 - Fat Old Sun (作詞・作曲:David Gilmour)


5.アランのサイケデリック・ブレックファスト - Alan's Psychedelic Breakfast (作曲:David Gilmour, Roger Waters, Rick Wright & Nick Mason)
- a) ライズ・アンド・シャインRise And Shine - b)サニー・サイド・アップ Sunny Side Up - c)モーニング・グローリー Morning Glory

題名に入っているアランとは、当時バンドのロード・マネージャーだったアラン・スタイルスの事で、メニューの声もアランによるそうです。
Total Time: 51:54
Line-up / Musicians
- David Gilmour / guitars, vocals 
- Nick Mason / drums 
- Roger Waters / bass, vocals 
- Richard Wright / keyboards, vocals 
Aditional musicians:
- Ron Geesin / orchestrations ロン・ギーシンはイギリスの前衛音楽家。
- John Aldiss Choir / vocals

このタイトルの Atom Heart Mother の由来は、 1970年9月「BBCインコンサート」出演の時、 BBCの番組のディレクターがロジャー・ウォーターズに新聞を渡して「この中に良いタイトルがありそうだ」と言ったという。渡された新聞の見出しは『原子力駆動による女性心臓 “Nuclear drive for woman's heart”』で「昨日、ロンドンの国立心臓病院で、原子力電池駆動の心臓ペースメーカーの植込み手術に成功。患者は56歳の女性で数週間で退院予定。従来型の2年で電池交換が必要な化学電池式に比べて、プルトニウム238を用いた原子力電池の心臓ペースメーカーは最低10年間は電池交換不要…。」という医療関係のニュース記事だったそうです。これがもとになって「Atom Heart Mother」というタイトルが決定したということです。 
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2013.11.27 09:02
【ワシントン=青木伸行】米国防総省によると、米軍のB52爆撃機2機が日本時間26日(米東部時間25日夜)、中国が東シナ海上空に設定した防空識別圏内を事前通報なしに飛行した。中国側から2機に対する呼びかけや戦闘機の緊急発進(スクランブル)はなかった。

2機はグアムのアンダーセン空軍基地を離陸し、防空識別圏内に入った。尖閣諸島(沖縄県石垣市)の上空周辺を飛行し、圏内での飛行時間は1時間未満。爆弾などは搭載しておらず、護衛機も伴っていなかった。

爆撃機はその後、アンダーセン基地に帰還した。国防総省は以前から予定されていた飛行訓練としている。

米政府はこれまで、(1)防空識別圏を認めない(2)飛行経路の事前通報や無線の開放など、中国が要求する措置には応じない(3)米国の軍事作戦遂行に一切変更はない-との立場を明確にしている。

爆撃機の飛行は、こうした米国の姿勢と日米同盟の強固さを誇示する明確な示威行動であり、中国を強く牽制(けんせい)するものだ。同時に米軍機が防空識別圏に侵入し飛行した際の中国側の出方を探る狙いもある。
米軍が、沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海上空に防空識別圏を設定した中国を速攻で押さえ込んだ。圏内に、在日米軍の訓練空域や射爆撃場が含まれていたことなどに反発し、爆撃機2機を事前通告なく飛行させ、中国の防空識別圏を無力化させたのだ。中国政府は、今回の措置が日本に照準を絞ったものだと“言い訳”に必死だが、計算が狂ったのは間違いない。韓国や台湾も中国を批判しており、対中包囲網が形成されつつある。 

米国防総省は26日、爆撃機2機が、中国が設定した防空識別圏内を通常の訓練の一環として飛行したことを明らかにした。米メディアによると、2機は核搭載能力を持つB52戦略爆撃機。グアムのアンダーセン空軍基地を離陸し、26日午前9時ごろ識別圏内に入ったという。

これに対し、中国側は、戦闘機によるスクランブル(緊急発進)などの行動を起こさなかった。「中国軍の決意を見くびってはいけない」などと警告していただけに、習近平政権のメンツは丸つぶれといえる。

米国防総省の報道担当者は「同様の航空機の運用を同盟国や友好国と続けていく」と語った。

中国は23日、周辺諸国との事前協議もなく、一方的に防空識別圏を設定した。東アジアの平和を脅かす暴挙だが、当初から、米国の動向には神経質になっていた。
中国国防省の楊宇軍報道官は25日の記者会見で「米国がこの問題で不当な言動を控え、日本の冒険的性質を助長する誤ったシグナルを送らないよう望む」と発言。外務省の秦剛報道官も「米国は釣魚島(尖閣諸島の中国名)の主権問題でどちらの肩も持つべきではない」といい、米国を遠ざけようとした。

中国の軍事支出は毎年2ケタ台の伸びを記録しているが、「現時点では、米軍のプレゼンスに圧倒されている」(日中軍事筋)のが実情だ。

1996年に、台湾総統選に圧力をかけるため、台湾海峡でミサイル演習を行った際には、米軍が2つの空母打撃群を派遣して攻撃を抑止した。99年のNATO(北大西洋条約機構)軍による在ベオグラード中国大使館誤爆でも、中国側は報復に出なかった。

自国が力をつけるまで低姿勢を貫く「韜光養晦(とうこうようかい)外交」を貫く中国にとって、尖閣問題で米国の介入は絶対に避けたかった。ところが、米国の反応は、予想以上に激しいものだった。

ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が非難声明を発表したほか、来日中の米国家安全保障会議(NSC)のメデイロス・アジア上級部長は26日、首相官邸で菅義偉官房長官と会談し、「米国も懸念を共有しており、日米で引き続き緊密に連携していきたい」と語り、日米間で協力していくことを確認した。

この会談と前後して、米爆撃機2機が中国の防空識別圏内を悠々と飛行し、中国軍をけん制したわけだ。

米国が中国の識別圏設定に反発するのは、「中国は力で尖閣周辺を支配しようとして、露骨な侵略に近づいている」(米紙ウォールストリート・ジャーナル・アジア版)からだけではない。
中国の防空識別圏には、戦闘機訓練のために日本政府が在日米軍に提供している「沖縄北部訓練区域」の一部や、航空機による空対地攻撃演習に使われる「赤尾礁射爆撃場」と「黄尾礁射爆撃場」が収まっている。つまり、中国の行為は、米軍の行動をも阻害することを意味する。

2001年4月には、中国南方の南シナ海上で米軍電子偵察機EP3が中国軍機と接触し、中国・海南島に緊急着陸する事件があった。中国の識別圏設定により、こうした偶発的衝突の危険性は格段に高まる。

さらに、日本と韓国、台湾がそれぞれ設定している防空識別圏は、第2次世界大戦後に米軍が設定したものを各国が引き継いだ形になっている。いわば米国がデザインした地域秩序といえる。中国の行為は、これに真っ向から挑戦するもので、米国にとって看過できないというわけだ。

中国はこうした米国の反発を計算ずくで、今回の暴挙に出たのか。

外交評論家の石平氏は「習主席は分かっていなかったはずだ。そうでなければ、6月の米中首脳会談で8時間も会談して、仲良くなろうとした行動と矛盾する」と指摘し、こう続ける。

「人民解放軍に『ここまでやらなければ日本は屈服しない』と進言され、習氏は承認したのではないか。キツネ(=日本)をつついたつもりが、米国という『虎』の尾を踏んでしまった。習氏は『しまった』と思っているはずだ」

中国の防空識別圏設定をめぐっては、歴史問題などで朴槿恵(パク・クネ)大統領が“対日共闘”を図ろうとしている韓国も、圏内に中韓両国が排他的経済水域(EEZ)内にあると主張している海中岩礁・離於島(中国名・蘇岩礁)が含まれていたため、「中国が一方的に設定したもので、認められない」と反発。尖閣をめぐり、中国が一時、対日共闘を模索した台湾も国防部が遺憾の意を表明している。

まさに、中国の暴挙に対して、日米韓台による包囲網が築かれつつあり、中国は自分で自分の首を絞める結果となりそうだ。
痛快というか愉快というか・・・
米国もやるなぁ・・・・政治に軍事力が絡まないと思っているのは脳天気な日本人だけだろう。相手の力量を見計らっての痛快な一打・・米国にはかなわない。



If you see a faded sign by the side of the road that says
15 miles to the... Love Shack! Love Shack yeah
I'm headin' down the Atlanta highway, lookin' for the love getaway
Heading for the love getaway, love getaway,
I got me a car, it's as big as a whale and we're headin' on down
To the Love Shack
I got me a Chrysler, it seats about 20
So hurry up and bring your jukebox money
The Love Shack is a little old place where we can get together
Love Shack baby, Love Shack bay-bee.
Love baby, that's where it's at, Ooo love baby, that's where it's at
Sign says.. Woo... stay away fools, 'cause love rules at the Love Shack!
Well it's set way back in the middle of a field,
Just a funky old shack and I gotta get back
Glitter on the mattress
Glitter on the highway
Glitter on the front porch
Glitter on the hallway
The Love Shack is a little old place where we can get together
Love Shack baby! Love Shack, that's where it's at!
Huggin' and a kissin', dancin' and a lovin', wearin' next to nothing
Cause it's hot as an oven
The whole shack shimmies! The whole shack shimmies when everybody's
Movin' around and around and around!
Everybody's movin', everybody's groovin' baby!
Folks linin' up outside just to get down
Everybody's movin', everybody's groovin' baby
Funky little shack! Funky little shack!
Hop in my Chrysler, it's as big as a whale and it's about to set sail!
I got me a car, it seats about 20
So hurry up and bring your jukebox money.
Bang bang bang on the door baby! Knock a little louder baby!
Bang bang bang on the door baby! I can't hear you
Your what?... Tin roof, rusted!
Love Shack, baby Love Shack!
Love baby, that's where it's at
Huggin' and a kissin', dancin' and a lovin' at the love shack

If you see an ADIZ(Air Defense Identification Zone) sign by the side of the Island's  that says
15 miles to the... ADIZ Shack! ADIZ Shack yeah
I'm headin' down the SENKAKU, lookin' for the war getaway
Heading for the war getaway, war getaway,
I got me a Carrier(an aircraft carrier), it's as big as a whale and we're headin' on down
To the ADIZ Shack
I got me a Carrier, it's Fighter about 20
So hurry up and bring your Fighter, missile
The Senkaku Island's are a little old place where we can get together
ADIZ  Shack baby, ADIZ Shack bay-bee.
ADIZ baby, that's where it's at, Ooo love baby, that's where it's at
Sign says.. Woo... stay away fools, 'cause power rules at the Senkaku Island's
Well it's set way back in the middle of a sea,
Just  funky old Island's and I gotta get back
Glitter on the military
Glitter on the runway
Glitter on the Fighter
The Senkaku Island's are a little old place where we can get together
ADIZ Shack! ADIZ Shack, that's where we fight!
Hitting and a kickin', diein' and a losing', warrin' next to nothing
Cause it's hot as an oven


Love Shack!のパロディでADIZ(防空識別圏)は掘立小屋
島の脇の看板ADIZ(防空識別圏)を見ると、あと15マイルで壊れたADIZ小屋があると書いてある
それは尖閣諸島の空域で戦いの火ぶたを切ろうとしている
戦争が起こる、戦いが始まろうとしている
戦闘機が20機載る空母を手に入れたぜ!
急いで戦闘機とミサイルをもってこい!
尖閣諸島は海の真ん中に浮かぶ昔からの島


英語のパロディはちょいと難しいので土日で続きはつくります。
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あまりにも、突然のニュースだ。コージー・パウエルの交通事故死、ジョン・レノン、フレディ・マーキュリー、ジョン・ボーナムetc 皆、偉大なロックアーチストの死は突然だ。
 
ゲイリー・ムーアは、日本人好みの泣きのギターの天才だった。名演の数々をゲイリー・ムーアの冥福を祈りながら、とにかく聴いて下さい。泣けます!
 
GaryMoore (ミックス:自動で延々PVが再生されます)
 
Gary Moore - No Reason To Cry (ゲイリームーアミッックス)
 
 
 泣きのギターは何と言ってもこの曲が真っ先に思い浮かぶ・・・
この演奏はロックというよりエレキギターとベースドラムによる室内楽としてクラシックの名演として記憶されてもいいかもしれません。
 
 私が、一番最初にゲイリー・ムーアに痺れたのは、ロックの名盤中の名盤シンリジーの BlackRoseであった。ブライアンダウニーの印象的なドラミングとケルティックなゲイリームーアのギタープレイが絡みフィルリノットのボーカル。ロックのジャンルを越え、芸術的な名盤である。
 
アリバイも印象的な1曲だ・・・ゲイリームーアのシンリジーでのライブ映像は貴重だ。
 
そして、ブラックローズ・・・ゲーリームーアのギターを堪能、いや官能してしまう一曲だ!
 
元コロシアムのドラマー、ジョン・ハイズマンとギタリストのゲイリー・ムーアが中心となり1974年に結成。音楽的にはフュージョンを指向していたが、ゲイリー・ムーア、キーボード奏者にレインボーのドン・エイリー、ベース・ギター奏者にホワイトスネイクのニール・マーレイという、後にハードロック・シーンで活躍するミュージシャンが参加していたこともあり、ハードロック色が濃いジャズフュージョンバンドだった。
 
 
こちらも名盤中の名盤だ!Greg Lake & Gary Mooreのデュオだ。
グレッグ・レイクのボーカルとゲイリー・ムーアのギターがこれほどまでに調和したサウンドを醸し出し、私は大好きだ。 
 
ゲイリー・ムーア(Robert William Gary Moore1952年4月4日 - 2011年2月6日)はスキッドロウでプロデビューし、コロシアムⅡでのジャズギター、シンリジー加入以降のハードロックギタリスト、またブルース・ギターでも天才だった・・・スーパーギタリストの一人であり、その逝去は世界的損失である。
 
元シン・リジィのブライアン・ダウニー(Dr)は、「本当にショックだ。ゲイリーとは、彼がPLATFORM THREEに在籍していた1967年以来の知り合いで、それからはずっと素晴らしい友人だった。シン・リジィを離れてから、2006年にもう一度彼と共演できて、とても嬉しかった。ゲイリーはいつも私やファンの心の中にいるだろう。彼が逝ってしまったなんて信じられないよ」と、メッセージしている。

2008年10月にリリースされたオリジナルアルバム『BAD FOR YOU BABY』がゲイリー・ムーアの遺作となってしまった。豪腕と繊細さを併せ持ち、天才的なひらめきと超人的なテクニックで、ストラトもレスポールも極上の音色で泣かせ続けた至宝のギタリストが、次なるステージに旅立ってしまった。合掌。
 
また、シン・リジィでゲイリーとギター・コンビを組み、現在もシン・リジィに在籍するスコット・ゴーハム(g)は、「『BLACK ROSE』時代、シン・リジィでゲイリーと一緒にプレイできたのは、私にとって素晴らしい経験となった。彼は偉大なプレイヤーであり、偉大な人間だったんだ。彼がいなくなると寂しくなるよ」と語っています。
 
彼を“ロック界の人間国宝”と呼んだのは、日本の音楽評論家、伊藤政則氏。力強いピッキングによる“泣きのギター”で知られる北アイルランド出身のギタリスト、ゲイリー・ムーアが6日朝、58歳で急死した。
 休暇先のスペイン。コスタ・デル・ソルの高級ホテルで、就寝中に息を引き取ったという。
 「ロックスターにありがちな(薬物などの)ケースではない。強健だった」と関係者は語るが昨年4月の来日では、かなり太っていた。
 公演を見た中年ロックファン(42)が明かす。「シン・リジィ時代のハードロックを期待したが、最近はブルースに傾倒していた。それでもギターソロの場面になると鬼の形相で速弾きを見せ、会場は感動に包まれた。ステージを走り回っていたころと違い、かなり貫禄が出て巨体だったのは事実です」
 21年ぶりの来日について、ゲイリーは夕刊フジに、こう答えていた。
 「何度も行くチャンスはあったと思うんだけど、うまく話がまとまらなくてね。最後に日本に行ったとき具合が悪くて死にそうに辛かった記憶が、僕を日本から遠ざけてたのかもしれないな」
 さよならを言いにきたのだろうか。
ゲイリームーアのギタープレイ&音楽

ブルースロックの泣きギターと言えばゲイリームーアです。彼のギタープレイからはフレーズ単位で哀愁を誘います。特にバラード系の曲の出来はほんと素晴らしいです。メロディを先に作って後からコードを付けた様な違和感のないギターソロがコード空間へ溶け込んでいきます。弾いているときの表情からも感情を込めているのがわかりますが、ギタープレイからはシンプルなメロディに感情によって付いた装飾音の数々が香りとして残ります。音の消え際も悲しいです。

ゲイリームーアのギターソロやテクニック

ビブラートを響かせるときに、演歌のこぶしに似た揺れのあるビブラートを付けています。ザックワイルドのようなワイドで激しい速い揺れというほどではありませんが、ビブラートのツボを押さえたしっかりした揺れです。直線の揺れではなく曲線ですね。哀愁さを出すには曲線の揺れが必須なのかもしれません。それとアーミングでのビブラートとも上手く使い分けて表情を出しています。哀愁さとは別に勢いを感じさせるパワフルなソロを弾ける一面もあります。
 
 
哀愁のギタリスト ゲーリー・ムーアよさようなら!ありがとう!
 
アンコール!アンコール!アンコール!
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1970年4月10日、ポール・マッカートニーはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表ビートルが解散し、60年代は終わった。
1980年12月8日、ニューヨークのダコタハウス前でジョン・レノンが暗殺されたジョンレノンが暗殺され70年代は終わった。
1981年5月11日 脳腫瘍を患いアメリカ合衆国フロリダ州の病院で死去。36歳
1991年11月24日、クイーンのヴォーカリストとして絶大な人気を誇ったフレディー・マーキュリーが45歳で、この世を去った。
2009年6月25日午後、ロサンゼルス市内の病院でマイケルジャクソン死去、一つの時代の終焉である。

晩年は裁判などで話題 マイケル・ジャクソンさん死去
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090626AT1G2601126062009.html
 【ニューヨーク=中前博之】25日、搬送先の病院で死亡が確認された米歌手マイケル・ジャクソンさん(50)の晩年は、スーパースターの転落を絵に描いたような軌跡をたどった。

 切れのいいダンスと独特の甲高い歌声で世界を熱狂させたアルバム「スリラー」の発売から27年。90年代以降はメディアへの露出を避け、マスクを常用するなど奇行が目立つように。2003年には子供への性的虐待罪に問われ、05年に無罪評決を勝ち取ったものの、多額の負債を抱えた。(26日 18:09) 

マイケルの死は日経新聞でも取り上げられた。※ただし日経らしいあまりにも酷い記事である。

マイケル記録的売り上げ、配信チャート独占
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090627-OYT1T00483.htm
6月27日13時9分配信 読売新聞
 【ロサンゼルス=飯田達人】米国ではマイケル・ジャクソンさんのCDやDVDが記録的な売り上げを示しており、自らの「死」によって、かつてのスーパースターの地位を取り戻した形となっている。

 USAトゥデー紙などによると、ネット書店大手「アマゾン」の役員は26日、「全体のCD売り上げの60%をマイケル作品が占めている。死後、あっという間に在庫がなくなったので、(発売元の)ソニーに生産を急ぐよう求めた」と語った。アルバム売り上げベスト10をマイケル作品が独占しているという。

 米アップルの有料音楽配信サイト「iTunes(アイチューンズ)」でも、アルバムのダウンロード数ベスト10のうち9作品を占めた。

 米通信大手「AT&T」の携帯メール交信量は、死亡直後に過去最高を記録。また、ネットオークション大手「イーベイ」によると、マイケルさんの関連商品の値段は、平均約30%上昇したという。 最終更新:6月27日13時9分


「ストレスが死を招いた」親友ユリ・ゲラー氏が語る
スーパースター証明するために必死
http://www.zakzak.co.jp/gei/200906/g2009062709_all.html
 マイケルの死の原因について、スプーン曲げで知られる親友の“超能力者”、ユリ・ゲラー氏(62)が発言した。ロンドンで7月に予定されていた復活公演を目前に抱えていたストレスが死を招いたという内容で、マイケル同様に世間から奇異な目で見られがちな立場から冷静に分析をしている。

 ゲラー氏は英BBCラジオに対し、子供への性的虐待疑惑で経歴に傷がついたマイケルは、自らが依然スーパースターであることを世界に示すため、必死になっていたと証言した。

 50回に及ぶロンドン公演について、ゲラー氏は「ただ、ぞっとするほどの長さだ」とし、マイケルが「自分はナンバーワンだ、自分はまだマイケル・ジャクソンだ、今も『スリラー』を届けられるんだということを世界に証明したいと思っていた」と説明。

 「ロンドン公演への期待とストレス、不安は巨大だった。それが彼の心臓を止めた」と分析した。

 ゲラー氏はマイケルの死を「夢だと思いたい」と嘆き、「彼が間違ったことをしたとき、怒鳴りつけたこともあった。あんなに近くにいた友人がいなくなり、去ってしまったことが信じられない」と話した。

 それにしても、親友の死は予知できなかったのだろうか…。

ロックスターは死して伝説となる宿命をやどすものである。

ジャニスジョップリン、ジミヘンドリックス、早すぎる天才の死、ボブ・マーリー、ジョン・レノン、フレディ・マーキュリー・・・何故もっと長く生き、我々に神からの贈り物をもっと沢山届けて欲しかった・・・

マイケル・ジャクソン、は生前から King of popとしてすでに、生き仏として伝説の主人公であった。彼の芸術は衝撃的でもあり、プログレを愛する私でさえpopsでありながら、常に先進的前衛な手法は尊敬に値しました。

シングル「スリラー」のビデオ・クリップは、「ブルース・ブラザース」などで有名な映画監督のジョン・ランディスが監督し、制作費には80万ドルという巨費が投じられ、80年代小林克也ベストヒットUSAで初めてオンエアを観た衝撃は忘れられません。

全9曲のアルバム「スリラー」からは、全米チャートのベスト10になんと7曲がランク・インし、グラミー賞では、史上最高の8部門での受賞という快挙は、音楽の堕落だと嘆いたものでしたが、ビデオクリップと音楽の融合は商業化された当時がすでにこのマイケルのビデオクリップが絶頂期であったかもしれない。これ以降マイケルもビデオクリップもスリラーを越えられなかったのはなんとも皮肉る。

実は昨日、会社の年休取得キャンペーンで休みを取り、家族で東京ディズニーランドへ車で向かおうと、車のエンジンをかけ、J-Waveにスイッチが入った途端飛び込んだニュースでした。

マイケル・ジャクソンといえば、ディズニー・ランドを1人で借り切ったなんて言う話しは、彼にとっては、掃いて捨てる逸話の一つにしかすぎませんが、自宅を遊園地にしてしまったスーパースターの衝撃の死のニュースを聴くタイミングとしては、なんとも皮肉なものでした。

TDLでマイケル・ジャクソン追悼の為キャプテンEOを再上映を是非計画して欲しいものだ。

90年代以降生き仏マイケルジャクソンは、音楽ではなく、裁判やその奇行についての醜聞しか耳にしなかったのは非常に悲しかった。だが不思議と、世界中の音楽を愛する人達はそんな彼を生きる伝説として認め愛していた。

自分自身をヒーローにしたおとぎ話の世界を作り上げたと言った方がよいような気がします。その伝説の数々は、かつてのビートルズがやってのけたことに匹敵するスケールの偉業と言って良いかもしれません。

しかし、マイケルは、世界中に自分の私生活のゴシップを半ば意図的に流していたような気もしますが、彼の本当の世界はしっかりと閉じられていて、外部の者の侵入をけして許さないようにも見えました。

我々はその閉ざされた塀越しにマイケルジャクソンのファンタジーワールドの外周を眺めただけなのかもしれません。マイケルの心はの中はけして人前に曝さずにいたと思います。

マイケルにとって、彼の生きる世界は最も居心地の良い場所であり、彼はその世界を作り出していたと思うのです。そう、エンターテイメントのステージの延長線が彼のファンタジーワールドだったのかもしれません!

そして、世俗との関わりは、マイケルにとって苦痛以外の何物でもなかったのかもしれません。



私は、マイケルではスリラーやビートイットよりもこの「Heal The World」が最も好きです。ジョンレノンのイマジンに通じるマイケルの魂がこの曲ではないかと思います。

今は、生前癒されことが無かったマイケルの孤独な魂が永遠に癒される事を祈りつつ黙祷を捧げます。

追記
ジャクソン5時代わずか11・12才のマイケルジャクソンは既にプロの顔つきをしていたのがとても印象的でした。

Jackson Five - ABC
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01.トワイス・ザーマン・アイ・ワズ
02.デスティニー
03.グリーン・ライツ・アンド・プルー・スカイズ
04.レイヴン
05.マイ・ライフ・イズイン・ユア・八ンズ
06.セックス、パワー&マネー
07.アンナズ・キッス
08.アンダー・ザ・スカイ
09.ドント・ゴー・アウト・トゥナイト
10.ネヴァー・ソート・アイド・シー・ユー・アゲイン
11.リヴ・アナザー・デイ
12.ピース・イン・アワ・タイム

ジョン・ウェットン(Vo,B)
デイヴ・キルミンスター〔G〕
ジェフ・夕'ウンズ(Key)
ピート・ライリー(Ds)
ヒュー・マクドウェル(Cero)

幾多の名演を創出した本物のみが成し得る、未来永劫色褪せぬシンフォニー!!
現代プログレッシヴ・ロックの至宝が、3作目にして最高傑作を解き放つ!!
ブリテイッシュ.ロック界の重鎮ジョン・ウェットンと.エイジアの盟友ジェフ・ダウンスによる「ウェットン/ダウンズ」、メロデイアス・フロンティア移籍簾一弾作品!!プロクレッシヴ・ロックのエッセンスを存分に織り込んだ古典を死守しながらも、ポップセンスに溢れる新たな世界を拓き続ける破らこそ、真に出プログレッシヴ・と呼ぶに相応しい!!

ちょと帯には文句をつけたいが、この帯にひっかかって買ってしまいましたよ!
しかし、「古典を死守しながらも、ポップセンスに溢れる新たな世界を拓き続ける・・・」
第一作iCON第二作ICONⅡ:RUBICONの荘厳なアルバムと比べるとPOPであることには間違いない。6曲目は.「セックス、パワー&マネー」ですからね・・・荘厳さが減ってもいたしかたない。
しかし、元ELOのチェロ奏者ヒュー・マクドウェルがチェロを奏でるとたちまち幽玄なウェットン/ダウンズの世界が広がる。特に4曲目のレイヴン5曲目のマイ・ライフ・イズイン・ユア・ハンズ8曲目アンダースカイなどはその代表的な曲だ

正直なところ、昨年25年ぶりにリリースされたオリジナルASIAの25年ぶりのニューアルバム「フェニックス」には失望させられた。その原因はICONの1作目2作目ICONⅡ(RUBICON)があまりに崇高で素晴らしすぎたからであったからでもある。
期待が大きすぎたせいもあったかもしれないが、「フェニックス」は試聴機に小一時間ほど粘った挙句に中古になってからで十分の結論を出して見送った。

よもやICON3が出るとは思わなかったので、私にとっても僥倖であった。

アルバムのオープニングを飾るのが「トワイス・ザーマン・アイ・ワズ」である。オリジナルASIAのGOにでも入っていそうな一曲であった。

2曲目のデスティニーは謡い出しが「ママー♪」でQueenのボフェミアンラプソディかと一瞬思わせどうなるのだろうかと思わせたが、内省的奥深い作品に仕上がっている

3曲目グリーン・ライツ・アンド・プルー・スカイズで、1.2曲目で感じた違和感が吹き飛んで、ウェットン=ダウンズ節である。

4曲の女性ヴォーカルはアン・マリー・ヘルダー。ウェールズのポップ・フォーク・トラッド・グループ=カルナータカ/KARNATAKAでの活動した女性ボーカルで、ウェットンのヴォーカルとの絡みが良く、もう数曲彼女の声を聴きたかった。

まだ書きかけです・・・

PS金曜深夜出発で、高速道路1000円の経済対策に貢献すべく、京都へ遊びに行きますので土日の更新はありません。
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