Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:生物学


昨年末、エントロピック重力理論を紹介したが、最近の科学の劇的な進歩に私は驚き、動揺しています。常識は常に古臭くなり、常に新たな知識を更新し続けなければならないと痛切に感じています。

この宇宙を解く鍵はエントロピック重力理論もさることながら、量子論と意識と脳、量子脳理論とも言われる分野が関係してくるかもしれない。常識の世界が崩れ、オカルトと蔑んでいた死後の世界とか心霊や魂が量子論と脳科学が絡み始めているのである。「脳内の構造を担っている「微小器官:マイクロチューブル」に「量子コンピューター」と同様の性質が確認されている。」というもの。

人の意識について革新的な研究を進めている米国の麻酔医医学博士である「スチュアートハメロフ博士」はある日驚くべき事実を発見します。

大動脈が止まり、血液が流れていない患者のモニターをチェックしたところ、脳のニューロンが爆発的に活動している現象を確認した。

細胞内に存在するマイクロチューブルに対して、なんらかの計算機能を担っているのではないか、と興味を持つようになった。そして彼は意識の問題をとくカギが、脳の細胞内での分子レベルまたは超分子レベルでのマイクロチューブルの振る舞いの理解によってもたらされるのではないか、と思うようになる。さらに進み、脳の処理システムは、内部に限定、完結されるものではないという仮説にたどりついたのである。.この彼によって取得されたデータは、既存の学説を根底から覆す可能性を秘めています。

もし、これが脳機能における「外部とのリンク」を示す根拠だと仮定するならば、
数多く報告されている、臨死体験、あの世における出来事を裏付ける根拠にもなり得、今までオカルトとされていた分野は、サイエンスに枠に組み込まれる可能性が出てきた。

ユングが提唱した「集合意識体」をロジカルに説明することも、科学と臨死体験の合致。人間が自らの「脳」について、まるで手に取るように理解できる日は、そう遠くないのかもしれません。

2010/4/18(日) 午後 6:02

量子論
の本を読むと必ずと言ってほどシュレーディンガーの猫の実験から説明が始まる。「シュレーディンガーの猫」とは、量子力学における有名なパラドックスである。

シュレーディンガーの猫

説明はいろいろとあるのだが、「何が謎か」と素人のは解りにくいし、今すぐ観測結果を確認しようがしまいが、「実験装置から出さなければ猫はいずれ死ぬんじゃないか」とかわたしは思ってしまう。そう思って箱を開けた時猫は死んでいる。猫は生きていると思って箱を開けると猫が生きている。そう書き出すとDdogは量子論を理解していないと思うかもしれませんが、量子論の理解がすすむみ量子脳理論が解明されていくに従い生命と意識が宇宙の本質を理解するための鍵」と言う興味深い説が出ています。



進むべき道を決断して、実行に移したその瞬間、ほかの可能性はすべて捨て去られてしまう。しかし「あの時、別の選択をした自分」が生きている世界、それこそがパラレルワールドだ。文字通り天下分け目の決断を下してしまった以上、現実世界とパラレルワールドは今生の別れを遂げることになるはずだ。しかし、驚くことに最新の研究では、現実世界とパラレルワールドは完全に相容れないものではなく、わずかながらもお互いに影響を及ぼし合っているというのだ。

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「パラレルワールドは存在し、相互に影響し合っている」

進学や就職、あるいは結婚など、多くの人が人生のどこかのタイミングで“究極の選択”を行なった体験を持っていると思うが、「もしもあの時に別の選択をしていたら、今どうなっていたのか?」という思いが脳裏をよぎることはないだろうか。つまり、パラレルワールドにいる“違う自分”が今、どんな風に過ごしているのか(生きていれば)という想像だ。

 このアイディアは、クリエイティブな発想の源でもあり、ご存知のように数々のSFやファンタジーの題材になっている。いわゆる「歴史改変SF」や、今年の大ヒットアニメ映画「君の名は。」をはじめ、パラレルワールドが存在することを前提とした世界観のもとで制作された作品は枚挙に暇がない。

 パラレルワールドの概念は1957年、当時プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレットが提唱した「多世界解釈(Many Worlds Interpretation)」が起源だといわれている。しかしながら、これはあくまでも“解釈”であり、パラレルワールドがあると考えたほうが、この世の森羅万象を説明しやすいということである。この現実にいる限りパラレルワールドの存在を証明することもできなければ、たとえパラレルワールドが存在するにせよ、そもそもこの世とは一切関係のない“完全なる別世界”としている。

 しかし2014年、豪・グリフィス大学と米・カリフォルニア大学の合同研究チームが学術誌「Physical Review X」で発表した研究は、「パラレルワールドは存在し、しかも相互に影響し合っている」ことを主張しているのだ。わずかではあるにせよ、この世とパラレルワールドのどこかに接点があり、相互に交流があるというのである。パラレルワールドが存在するばかりでなく、この現実とどこかで“繋がっている”とすれば驚くばかりだが……。


パラレルワールドは重なり合っている?

 合同研究チームのハワード・ワイズマン教授とマイケル・ホール博士は、新たなコンセプトである「相互干渉多世界(Many Interacting Worlds)」を打ち出している。では多世界解釈と、この相互干渉多世界はどこが違うのか?

 新たな概念である相互干渉多世界は量子論に基づいており、多世界解釈とは異なり、「パラレルワールドはこの世と同じ時空に存在している」と考える。つまり現実世界とパラレルワールドは、まるで肩を並べあうように、すぐ隣に存在しているということだ。正確に言えば隣ですらなく、実はまったく同じ時空に同時に存在しているのだ。複数の世界が同じ場所に同時に存在することなど、あり得るのだろうか?

 それを説明するのが、量子論で有名な「シュレーディンガーの猫」という思考実験で説明される「量子的重ね合わせ(Quantum superposition)」状態だ。猛毒である青酸ガスがいつ発生するかわからない箱の中に入れられた不幸な(!?)猫、それが「シュレーディンガーの猫」である。一定の時間が経過した後、箱の中の猫は生きているのか死んでいるのかわからないが、人間が実際に箱を開けて確かめてみれば、その生死が判明する。このプロセスを逆の観点から説明すれば、誰かが箱を開けてみるまでは、この猫は生きてもいるし死んでもいるという生死が共存した状態になっており、この状態こそが「量子的重ね合わせ」なのである。

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画像は「Wikipedia」より                                                               
そして、この現実の世界とパラレルワールドが同じ時空にあり「量子的重ね合わせ」の状態で存在していることを研究チームは指摘しているのである。では、仮に同じ時空に複数の世界が存在していたとして、どうして相互に干渉し合っていると断言できるのか?

■“観察者”がカギを握る

 その説明のカギを握るのは、「シュレーディンガーの猫」が入った箱を開ける“観察者”の存在だ。

 量子論において“観察者”の存在感はきわめて大きい。有名な「2重スリット実験」では、2本のスリット(細長い穴)のある板を遮蔽物にして、壁に向かって電子を放つ実験が行なわれたのだが、どういうわけか波動のような動き見せ、壁に縞模様を作ることが確認された。電子とは、いわば野球のポールのような粒子であり、スリットをくぐり抜けた電子だけが壁に衝突すれば、2本のスリットの形を浮かび上がらせることが想定される。ところが、実験ではなぜか、波動の動きの特徴である縞模様を壁に現出させたのである。

 しかし、ここからが不思議な話で、同じ「2重スリット実験」を“観察者”をそばに置いて行なってみると、それまでの波動の動きを見せなくなり、スリットのシルエットを浮かびあがらせる2本の縦線が壁に描かれたのだ。つまり、観察されることで電子はその“振る舞い”を変えたのである。

ということは、もしも不意に「別の自分」のことが気になった時には、ひょっとするとパラレルワールドの自分がこちらを“観察”しようとしているのかもしれず、また逆に、むしろ積極的に「別の自分」を想像することは、いわばパラレルワールドの自分を“観察”する行為なのかもしれない。そして、これらの“観察”行為によって、この世もパラレルワールドも量子論レベルで“振る舞い”を変え、相互に干渉しあっているのかもしれないのだ。

 そう考えると、別の選択をした自分のことを想像してみたり、音信不通になったり死別した方々のことを時折思い浮かべてみることで、現在の自分に量子論レベルの変化がもたらされるやも……。それが具体的に、どのようなものであるかはケースバイケースだとは思うが、量子論にまつわる話題は、ますます不可解かつ興味深い展開を迎えているようだ。
(文=仲田しんじ)
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超能力を解き明かす最新「量子脳仮説」 MUTube 2015年7月号 #5



エベン・アレグザンダー医師は元々、脳神経外科の権威で死後の意識について否定する立場だった。ところが、急性細菌性髄膜炎という病にかかり、7日間昏睡状態に陥り、自ら臨死体験を体験した。臨死体験を通して、その見解は一転、「死後の世界は幻覚」論を否定しています。
唯物主義の脳神経外科医が臨死現象を体験

そうした現状の中で、2012年10月に世界のトップレベルの医師エベン・アレグザンダー氏が、自らの臨死体験を綴った書籍を出版しました。科学者として第一線で活躍してきた医師が、医学の常識に反する「臨死体験」を現実の体験として公表し、自分が訪れたのは「死後の世界」であると主張したことで、世界中に大きな反響を巻き起こしました。彼の著書は全米で200万部を超えるベストセラーとなり、昨年の10月には日本でも『プルーフ・オブ・ヘブン』というタイトルで邦訳・出版されました(早川書房より)。さらに11月28日には、フジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』でも取り上げられ、話題を集めています。

アレグザンダー氏は、29年間、脳神経外科・神経内科に携わり、アメリカの名門ハーバード・メディカル・スクールで准教授を務めた超一流の脳神経外科医です。これまで200本の論文を執筆し、研究者としても世界中にその名が知れ渡っていました。

彼は長年、医師として働く中で、いったん心臓停止を起こした患者から、「見たこともない美しい場所へ行ってきた」とか「亡くなった親族と会話をした」など、さまざまな不思議な体験を聞かされてきました。しかし、そうした臨死体験や死後の世界について、彼は幻想だと決めつけ、まったく信じてきませんでした。アレグザンダー医師は、著書の中で「私は親切だが疑り深い、骨の髄まで医師の典型というべき人間だった」と自らを振り返っています。科学で証明できるものは受け入れるが、そうでないものは信じないという典型的な唯物主義の医師だった彼が、2008年11月に突然、重度の細菌性髄膜炎を発症し、7日間の昏睡状態に陥りました。そしてその間、彼自身が、これまで決して信じることがなかった「臨死体験」をしたのです。


細菌性髄膜炎とは、脳や髄膜に細菌が感染し、脳が破壊されていくという恐ろしい病気です。成人では1000万人に1人というきわめて稀な病気で、致死率は90%にも達します。昏睡状態が1週間を超えた場合は、回復の見込みがないとされ治療が打ち切られますが、アレグザンダー医師は7日目に奇跡的に覚醒し、まったく後遺症もなく回復しました。これは世界でも初めてのケースです。

これまでの通説「脳内発生説」を否定した画期的な見解

彼は退院後、入院中のスキャン画像や臨床検査や神経学的検査の所見など、すべてのデータを詳細に調べました。すると、昏睡状態にあった7日間、彼の脳機能は完全に停止していたことが判明しました。専門家たちは臨死体験を「死の直前に大量に分泌されるエンドルフィンの働きによる幻覚である」とか「睡眠時に見る夢と同じようなもの」などと考え、脳内現象として説明しようとします。

しかしアレグザンダー医師は、徹底した検証の結果、「自分が体験したのは、理論上ほぼ完璧なかたちでの臨死体験であり、おそらく類例の中でも最も説得力を持つものである」とし、「それ(臨死体験)を幻想だと片づけることが、医学的観点から見て絶対的に不可能である」と結論づけました。脳神経学の専門家である彼が、これまでの科学的な解釈を全面的に否定することになったのです。

さらに、彼に「死後の世界」を確信するに至らせたもう一つの出来事がありました。多くの臨死体験者は、死の淵で親族や友人に出会ったと語っています。しかし彼は、そうした身近な人ではなく見知らぬ女性と出会い、彼女の言葉によって心から慰められたことが最後まで心にひっかかっていました。退院して4か月後、その女性がすでに他界している実の妹であることを知ったのです。彼は、生まれてすぐに現在の父親に引き取られ、実の妹とは一度も会ったことがありませんでした。自分の記憶に存在しない死者と出会うことができる世界――それは「死後の世界」しかないとアレグザンダー医師は確信したのです。

従来の臨死研究が体験談を集め、それらに医学的解釈を加えるという程度のものであったのに対して、彼の臨死体験についての検証は、画期的なものと言えます。脳神経外科医ならではの科学的観点による分析と、脳科学分野の最新研究の知識から導かれた結論は、これまでの「脳内発生説」を完全に打ち砕くことになりました。アレグザンダー医師は、「臨死体験は、脳の物理的な働きから切り離された体験である」という新たな見解をもたらしたのです。さらに彼は、強烈な説得力を持った死者(実の妹)との出会いによって、死後の世界があること、人間は死んでも生き続けることを確信し、それを堂々と公言したのです。
日本でも東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長の矢作直樹氏が2011年「人は死なない」2013年「神(サムシング・グレート)と見えない世界」など、日本で最も権威がある医学博士の立場にある人物が科学としてスピリチュアルの存在を肯定し死後世界の存在を主張しています。


またサイエンスの立場でタイム誌の世界に影響を与える100人にも選ばれた医学博士のロバート・ランザ博士も量子論と意識の奇妙な関係述べています。

イメージ 3画像は「Collective Evolution」より引用
米「タイム」誌の「世界で最も影響力がある100人(2014年度)」にも選ばれた、再生医療の専門家ロバート・ランザ博士が、死後の世界を肯定する発言をしていたことが判明した。
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         ランザ博士「Robert Lanza.com」より引用                             
■量子論と意識の奇妙な関係

米ニュースサイト「Collective Evolution」(1月14日付)によると、ランザ博士は著書「Biocentrism: How Life and Consciousness Are the Keys to Understanding the True Nature of the Universe(生命中心主義:いかに生命と意識が宇宙の本質を理解するための鍵であるか)」において、物質ではなく生命と意識こそ現実理解のための基礎的な要素であると断言、意識は肉体的な死とは別物である上、脳が意識を生み出しているわけではないと主張しているというのだ! 随分と大胆な説であるが、ランザ博士によると、量子力学の「二重スリット実験」を例にとれば、簡単に理解できるという。

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二重スリット実験。観察者有、粒子パターン(上)、観察者無、波パターン(下) 「Daily Mail」より引用


 量子論の世界では、最も基本的な思考原理である矛盾律(AがB、かつ非Bであることはない)が通用しない状態である「量子の重ね合わせ」が長らく世界中の科学者を悩ませてきた。「二重スリット実験」では、2つのスリット(細長い穴)を通った電子が壁に衝突して作る痕跡をもとに電子が波なのか粒子なのか確定されるはずだったが、観察者がいない場合、電子は“波”の性質に見られる干渉縞を作り、観察者がいる場合、“粒子”に見られる痕跡を残すという “非科学的な”事態が生じたことで大問題となる。つまり、電子は「波であり、波じゃない」、「粒子であり、粒子じゃない」という矛盾する性質を抱えていることが判明したのだ。



ここで問題となるのは何より「観察者」の存在だ。物理的世界に直接の影響力を持ちそうもない「観察」という“意識的な”行為が、どういうわけか量子レベルでは大きな影響力を持ってしまっているのである。このことを量子論の生みの親であるマックス・プランクは、「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」と驚きを持って受け入れ、ノーベル物理学者を受賞した理論物理学者ユージン・ウィグナーも「意識に言及することなしに、量子論の法則を定式化することは不可能だった」と語っている。

 もし全宇宙から人間を含めた意識を持つ者が全て絶滅しても、宇宙は存在するだろうか? 常識的に考えれば、一切の生命がいなくなっても物質世界は存在していると思われるが、ランザ博士はそう考えない。なぜなら、二重スリット実験で示されたように、意識が物質世界よりも根源的だと考えるからだ。

■心が物質をつくる

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画像は「Thinkstock」より引用                                                               
この論理に従うと、肉体(物質)と意識の因果関係が逆転する。つまり、意識が現実を生み出しているならば、発生の順番が脳(物質)→意識ではなく、意識→脳(物質)でなければならないため、肉体(物質)が死んでも、意識まで消滅する必要はない。こうして死後の(意識)世界が認められるというわけだ。

 しかし、そうはいっても意識はやはり肉体に宿っている。この揺るがない事実をどう説明したら良いだろうか? ランザ博士によると、肉体と意識が別個のものだとしたら、肉体がアンテナのように意識を受信していると考えることもできるという。

 すると、ロボットや桜餅が意識を受信している可能性もあるのだろうか? ここまでくると、万物に生命が宿っていると考える“汎心論”(panpsychism)や、“アニミズム”に極めて類似してくるが……。

 オカルト的には随分と魅力的な仮説であるが、意識がいかにして物質世界を作り出しているのか、その原理はまだ分かっていない。そもそも科学はおろか、哲学においても「意識とは何か?」という根本的な問いにさえ答えることができていないのが現状である。意外と魂の不滅を認めるキリスト教や、輪廻転生を絶対的事実とするヒンドゥー教などの方が、科学よりもずっと真実に近いのかもしれない。
(編集部)
参考:「Collective Evolution」、「Daily Mail」、ほか
死後、「個の意識」は、ビッグバン以前から宇宙に存在する「膨大な意識」の中に取り込まれていくことになります。これはユングの言う集合意識体」であり、仏教でいうところの、阿頼耶識(アラヤシキ)かもしれません。


我々は死んだらどうなるのか? 我々はどこにいくのか? 人類が古来から探求してきた課題である。肉体とは別に「魂」が存在するという考え方もあるが、なんと昨今、ついに魂の存在が量子力学的に解明されたという情報を入手した。英・ケンブリッジ大学の理論物理学者ロジャー・ペンローズ博士と、米・アリゾナ大学の麻酔科医スチュワート・ハメロフ博士が唱える新説を見てみよう。

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イメージ画像:「Thinkstock」より                                                     
■魂は宇宙につながる量子コンピュータ!?

 ハメロフ博士は、脳死宣告を受けた患者の臓器提供手術の際に、驚くべき光景を目撃したという。

「大動脈が止められ、脳に血液が流れていない患者のモニターをチェックしたところ、脳のニューロンが爆発的に活動していたんです!」(ハメロフ博士)

 ハメロフ博士は、脳の活動と意識との関係性についてペンローズ博士とともに研究を行い、驚くべき結論に至る。なんと「魂とは宇宙につながる量子コンピュータ」だというのだ。脳細胞の中には、マイクロチューブル(微小管)という管状の構造がある。複雑な解説は省略するが、これは細胞骨格の一種で、分子レベルで情報を処理し、細胞をコンピュータのように機能させる役割を果たしていると考えられてきた。ところがハメロフ博士によると、マイクロチューブルは従来考えられてきたコンピュータとは性質が異なる「量子コンピュータ」として脳を機能させているのだという。

 量子コンピュータでは、「量子もつれ」と呼ばれる過程を利用して情報が伝達される。この「量子もつれ」は、2つの粒子が何の媒介もなしに同期して振る舞うという遠隔作用をもたらす。そして実際に、量子テレポーテーションとして数々の実験も行われている。つまり、ある場所でニューロンの活動が起きると、空間的に離れたまったく別の場所でそれに対応した反応が起き、瞬時に情報が伝わっているかもしれないのだ。

 ハメロフ博士は、「脳内の意識が『量子もつれ』によって、広く宇宙全体に存在する可能性もあります」とも述べている。

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イメージ画像:「Thinkstock」より                                                           
■臨死体験の謎も解明!?


 また、この説によって「臨死体験」の謎も解明されるという。ハメロフ氏は、臨死体験と心脳問題の関連性について以下のような説を主張している。

「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっています。心臓が止まると、脳は量子コンピュータとして機能しなくなりますが、マイクロチューブル内に存在する量子情報である意識は破壊されず、宇宙全体に散らばります」
「患者が息を吹き返すと、散らばった量子情報は再び脳内に戻ってきます。そして、白い光を見た、亡くなった家族に会った、体を抜け出したと言うわけです。息を吹き返さなければ、量子情報は肉体から離れたまま、魂として存在する可能性もあります」

 つまり、量子情報が脳内と宇宙空間を行き来するのが臨死体験の本質である、というわけだ。そのため、心臓が止まった患者の脳のニューロンが爆発的に活動していたのだという。


■精神のフィードバックループ


 インディアナ大学の認知科学者ダグラス・ホフスタッター博士も魂の存在を肯定している。ホフスタッター博士によると、

「人間は、まわりの世界をモデル化し、そのイメージで世界をとらえています。たとえばコショウ入れは、ちらっと見ただけで、それがコショウ入れであることを認識します。心の中に、すでにコショウ入れのモデルが存在しているからです」
「私たち人間は、まわりの世界に存在するものだけでなく、自分が何者かという概念まで、心の地図に組み込んでいます。たとえば、自分の肉体的な特徴。ユーモアのセンス。バスケットボールのうまさ。そういったさまざまな要素を反映させて、自分が何者であるかという概念を作り上げるんです」

 ホフスタッター博士は、このような行為を「精神のフィードバックループ」と呼んだ。そしてこれは、人間のみならず、あらゆる生物が行っている。たとえば、ハチは太陽と巣の位置を知っているし、魚たちは入り組んだ海流の中を進み、ゴリラは群れの序列を覚える。たしかに人間以外の生物にも魂があるのだが、博士によると「生物によって魂の大きさの違い」はあるとのことだ。ちなみに、魔女である筆者はクライアントから「ペットとチャネリングしてほしい」と頼まれることも多いが、確かに動物にも魂はあるようだ。しかしそれは、人間より原始的なもので、複雑な情報を伝えるのは難しい印象を持っている。

■人口知能にも魂が宿る!?                                  
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イメージ画像:「Thinkstock」より                                                            
 魂の謎を解明するため、昨今では人工知能(AI)を用いた実験も行われている。ジョージア工科大学の神経工学者スティーブ・ポッター氏によると、

「人工知能が、いずれ意識を持つ可能性があります。人工知能も、環境から情報を受け取り、環境を意識しています。別の生物のニューロンを参考に、さらに複雑なシステムを作り上げれば、人間に近い意識を生み出すことも可能だと思います」
「しかし、私が目指しているのは、人間の意識の完全なコピーです。たとえば、私の意識のコピーを別の肉体に移植したら、会った人が私自身だと思い込んでしまうようなレベルのもの。そんな意識を作り出す方法は、まだ見当もつかない状況です」

 魂を人工的に作り出し、意識をコピーするまでには、もう少し時間がかかりそうだが、この実験が成功したとき、いよいよ魂の正体が解明されるのかもしれない。


 1907年、アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルは、人が死亡する時の質量の変化から魂の重さを21グラムと発表した。この21gとは、果たして量子情報の重さだったのか? 今回紹介した説が正しければ、人間同士のテレパシーやチャネリングはもちろんのこと、UFOコンタクティのようにほかの星に住む生命とのテレパシーも立証できるかもしれない。今後の進展から目が離せない。
量子論と意識と脳は密接な関係があるとサイエンス側が言い始めています。

死や宇宙について哲学することは宗教の専売特許ではなく、知を追及することは人間が持つ知識欲かもしれませんが、人であれば誰もが知りたい最も奥深い大切な事柄だと思います。

人間が持つ「知的欲求」は、払拭できるものではありません。死後や霊魂をカルトとして拒絶するのは大槻教授ぐらいにして、もはやサイエンスの一分野として認識しておくべきではないかと思います。

「知ること」「考えること」、そして「議論すること」は、当ブログの開設趣旨そのものです。今後の科学的見地から量子論と意識と脳の研究が進み「意識の実体」が解明されることに期待します。




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STAP細胞ぱなぜ潰されたのか 小保方晴子『あの日』の真実  目次
ぱじめに  4

第一章 STAP細胞を発見するまで  7

第二章 小保方氏のもっとも幸せな時間  33

第三章 STAP細胞は存在すると言える4つの理由  76

第四章 STAP細胞の何か問題になったのか  94

第五章 問題箇所は本当に問題だったのか  129

第六章 STAP細胞の捏造報道を検証する  173

第七章 早稲田大学の博士論文取り消しは正しかったのか  199

第八章 『あの日』出版の衝撃  212

参考資料  249
本書を読むまでは、STAP細胞があったか無かったか判断を中立の立場でいたつもりであった。私が判断するには、学問的に証明するわけにはいかず、難しかった。
もし本当であれば、常温核融合のように追試が少しづづ成功したニュースが続くはづであったので、その後を見守っていた。

正直「あの日」を立ち読みで読んだとき、メディア批判に意識をとられ、どちらかというとSTAP細胞は無かったかもしれないと思ったのだが、渋谷氏はじめ複数のジャーナリストの方々は海外でSTAP現象の再現とおもわれる論文が発表され、特許が出され始めていることを追い風に、STAP現象があるのではないかと言うことを声を上げ始めた。
P76-77
第三章 STAP細胞は存在すると言える4つの理由

 STAP細胞が存在したことは明らかだ

 STAP細胞は存在するといえる理由を紹介しよう。
 まず、第1の理由は、2014年12月19日に発表された理研による「STAP現象の検証結果」に、「STAP様細胞塊が観測された」とはっきりと書かれていることだ。

 こう書くと、「STAP細胞は確認されなかったと報道されているではないか」とすぐに反論が出てくるが、できなかったのは「STAP幹細胞」「FI幹細胞」と「キメラマウス」である。多能性マーカーを発現するSTAP様細胞塊は、小保方氏の実験でも、丹羽氏らの実験でも確認に成功している。
                               
 しかし、理研もメディアもそのことを無視して「STAP細胞は確認されなかった」と発表し、報道している。本来ならば、「STAP細胞論文に書かれた実験のうち、小保方氏の担当パートである多能性細胞特異的分子マーカーが発現したSTAP様細胞塊までは確認できたが、若山氏が作製したとされるSTAP幹細胞、FI幹細胞およびキメラマウスは、若山氏の実験不参加ということもあって成功しなかった。よって検証チームとしては、STAP細胞の検証実験は失敗したと結論した」と書くべきなのである。

 第2の理由は、理研や若山氏、小保方氏らが放棄したSTAP細胞に関する特許出願が、いまだにハーバード大学付属ブリガムーアンドーウィメンズ病院によって保持されていることだ。国際特許の出願維持には毎年お金がかかる。それでも出願を維持しているということは、ハーバード大学側はまだSTAP細胞の存在を信じているということだろう。ハーバード大学絡みでいえば、アメリカ国防省がバカンティ教授の研究に予算をかけているという報道もある。

 第3の理由は、2015年11月に発表され、ネット上で大騒ぎとなったiMuSCs論文の登場である。小保方氏らが提唱したSTAP細胞そのものとは言えないかもしれないが、明らかにSTAP細胞論文の延長線上にあるものであり、ある意味、STAP細胞/STAP現象の再現実験と言ってもいい論文なのである。若山氏が2月のインタビューで予見したように、STAP細胞論文の発表から2年弱でSTAP細胞の成功を伝える論文が報告されたのである。

 第4の理由は、『あの日』で紹介されている、若山氏や若山研を筆頭に内外の研究者による再現実験の成功例の報告である。それらを見れば、STAP細胞が存在したことは明らかであると思われる。
 以下、それぞれの理由について詳しく見ていくことにしたい。
STAP細胞らしきもの(STAP様細胞)は出来たけれど、 STAP現象の確認には至らなかった(キメラの作成を認めることが出来なかった)というのが理研の結論であり、詳しくマスコミは報告しておらず、小保方バッシングはあまりにも理不尽ではないかと私も思う。

STAP細胞はなぜ潰されたのか ~小保方晴子『あの日』の真実~(渋谷 一郎著)書評【パシフィックモール開発株式会社】投稿者:白鳥泥水 投稿日 2016/4/24

一般読者で、小保方晴子著『あの日』を読んでいる人が、事実関係を中心に理解を整理するのに大変役立つ。自分でノートを作り、理研の報告書や過去の報道など全部目に通す余裕など一般人はないからである。小保方さんに申し訳ないが『あの日』を読んでいなくても、『あの日』の事実関係についてはよくわかる。『あの日』よりわかりやすいかも。『あの日』の科学生物学用語で撃沈した人には特におすすめである。またほぼ同時に進んでネット情報を全く知らない人にもおすすめである。おぞましいくらいである。小保方さん、丹羽氏、なんと若山氏もSTAP細胞がある実験をした報告をしており、若山研研究員のほとんどが、STAP現象の再現を経験している。だからポジティブには「ある」ことを受け入れて何の問題もない。さらに笹井氏や丹羽氏は、ネガティブに、論理的に少なくとも新規な現象としてSTAP細胞があることを否定できないと科学的説明している。これらは比較的よく知られており、だから「ある」のだ。それ以上でも以下でもない。

STAP細胞はなく、ES細胞だというのは遠藤高帆、若山照彦の二大巨匠の初期の拙劣なSTAP否定論を吟味せず、単に「印象操作社会」で、「固定観念」化したものであり、検証に耐えるものではない。

問題はアーティクル(ファーストオーサー小保方氏、ラストオーサー・ヴァカンティ氏、STAP細胞の現象論)の疑義は、画像の取り違え(ネイチャーに修正済み)と、若山氏の指示による図表の操作(裏付けのデータがある)以外、問題がないのでやはり現象はあるのである。

撤回は、単に若山氏が小保方氏のマウスが自分のものではないという一方的主張によるものだが、その主張が否定された後、他の著者の署名入りのネイチャーへの撤回報告書を、若山氏が勝手に書き換え(若山氏のものだったため、支離滅裂な文章になっているそうだ)、何の説明もその後行われなかった。

つまり、撤回はされたが、撤回は必要がなかったということだ。

一般読者がわからないのは、現象論と多能性、STAP細胞とSTAP幹細胞、GFP4マーカー発現とキメラマウス、アーティクルとレターの区別である。それぞれ前者が小保方氏の担当で、後者が若山氏の担当である。さらに強調されてこなかったのは研究室では、監督者が絶対であり、他の研究者はほぼ奴隷に等しいという体制である。なので若山研時代の小保方氏は、主人に対する奴隷の関係にある。主人の幹細胞樹立のため、STAP細胞隗をせっせと作り続けたのが小保方氏である。効率の点で小保方氏に代わるものが出なかったのがいいことか悪いことか知らないが、マンネリ・クローン・マウス実験しかできない若山氏に、ノーベル賞も夢でない材料をもって奴隷がのこのこ転がり込んできたのである。

若山氏の態度の悪さは、小保方氏に批判的な人でもたいてい認めていることである。
どうしてそんなに態度が悪くて平然としていられるかというと、そのような奴隷制度の頂点にいることをほぼ日本の科学者コミュニティ=文科省が公認しているからである。こういう地位は強い。これはコミュニティなのではく、日本の場合官僚制にしか過ぎないのである。

もっとわかりにくいのは、二つの論文のボスはアーティクルがヴァカンティ氏であり、レターが若山氏である。小保方氏は主要な研究員でしかないが、論文の執筆は小保方氏が行っているというからわかりにくい。ヴァカンティ氏はアメリカにおり、若山氏は「英語の読み書きが不自由」だからだ。そして中核のSTAP細胞の現象の発見と実験者は小保方氏であるが、それはヴァカンティ氏の課題の一部として生まれ、若山氏の管理下で、その多能性の証明の傍らで、STAP細胞の作製提供を若山研でやっていたということである。

つまり、プロジェクト全体で、新規で中核的なアイディアと実験は小保方氏のものだが、それに対応する特別な地位があったわけではないのである。

そういうわけで、そのことだけでも小保方さんに対するバッシングが的外れであるのは間違いない。

STAP細胞実験のイメージで言うと、細胞が死ぬ寸前の特異なある条件下で、生き残るものが幹細胞の形で現れるということである。細胞膜の破損、ミトコンドリアのエネルギーとか、ATPのエネルギー補充効果などが関連するとみられている。そういうことを研究するのが「科学」である。

広義の概念として、損傷した細胞から幹細胞(未分化な細胞・多能性や分化の能力は不定)が生まれることは、STAP細胞隣接現象であるといって構わない(この広義の概念のSTAP現象は)。ヴァカンティ研時代、膨大な試行錯誤の中からより効率の高いプロトコルを探求したことが『あの日』で書かれている。植物ではあり、低級動物でもある。高等動物でないのは、遺伝的発達の複雑さの程度が増すからであろう。このメカニズムは実際には、タンパク質などの生成によって細胞の分化が固定される物理化学的メカニズムであるはずである。これを決定論的メカニズムと考えるイデオロギーにとって、細胞生物学の歴史を愚弄するものと、見られたということである。ある種の遺伝子万能崇拝が生物学に蔓延していることを示唆する。最終的に、広くSTAP細胞はES細胞であるかもしれないという結論に導いた桂報告も、遺伝子的決定論に依存している。

ES細胞説はどうなのか?これを渋谷氏は、そもそも若山氏と遠藤佳帆氏の思い込みに端を発するストーリーであり、桂報告書という最終的な報告書でも「曖昧」であるから「わからない」ということだ(最悪、クローンの系統の管理ができてない若山研のマウスのずさんさの問題や、同じ遺伝的背景をもつクローンどうしでSTAP細胞も、ES細胞も作られていてもわからないから、ES細胞と証明されてもSTAP細胞が否定されてはいないとか、重箱の隅をつつくような議論はネットでまだ続いている)。いずれにせよかなり消極的な証明であるし、排他的ではないので、朝日新聞の書評で語られるように、STAP細胞はES細胞だということが科学的に証明されているというのは「誤り」である。そうすることによって朝日新聞の『あの日』の書評が支離滅裂になるのである。STAP細胞の可能性を認めるだけでその支離滅裂さ加減はなくなる。

この本によって明らかになったことは、『あの日』の記述は正確に、各種報告書や記事に批判的に応答しており、文才余りある小保方氏の単なる文芸作品ではなく、事実問題として正しく読めるということである。朝日新聞の書評子などは本書を片手に、もう一度『あの日』を再読すべきである。

さて、この騒動でネットが重大な役割を果たしたかのように思われているが、渋谷は完全にではない、アメリカのPubPeerではポール・ノフラーの、日本の場合は、遠藤高帆や理研内のグループの組織的な事前のリークに基づくものだと推定している。それは肝心のネット査読をするにはあまりに時間が速いからだ。ノフラーの場合は発表から9時間で画像疑惑を指摘している。それは、2014年1月28の記者会見以前に、これらの中核グループのリークと分析が始められていたことを示唆する。そのグループの活動が事件の組織的部分と断定できる。分子生物学会や一部の科学ジャーナリストがネットの匿名情報にお墨付きを与えた。ここまでは悪意がある、集団的計画的な行動だろう。しかし同一の動機かどうかはわからないことを渋谷氏は示唆する。

しかし、その他、安倍政権主導のリケジョブームに対するアンビバレンツ、先端研究機関をめぐる駆け引き、万能細胞の競合グループ、そしてネットと融合した理想的スキャンダル報道を行ったマスコミその他のアドホックな事情がからんで騒動は広がり、最もゲスなレベルでNHKスペシャルの人権蹂躙番組や須田桃子著書大宅賞受賞(渋谷氏は受賞ありきで検証実験・最終報告を待たずに出版を指摘している)となって、世論の求める決着へと促された。

だが地球は回っているのである。

これらの騒音が鳴りやんだ時、存在するのは、死を逃れ生き残ろうとする細胞の最適条件をもとめる小保方さんの原風景であり、騒動を経て『あの日』を問うて、再起を図ろうとする小保方氏の決意であり、それを擁護しようとする渋谷一郎さんの真摯な行動である。これらをすべて支持したい。

2016年4月26日
サイト管理者


STAP論文、海外有力大学が論文で引用
2016年09月10日 06時13分 ビジネスジャーナル


また海外の研究機関で小保方晴子氏筆頭の論文が引用され、再生医療の研究に貢献していることが明らかになった。引用されたのは日本では徹底的に否定された「STAP細胞論文」だ。

 STAP論文は「体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見」として2014年1月29日に独立行政法人(当時)理化学研究所(理研)が発表し、同30日に英科学誌「ネイチャー」に掲載された。しかし、すぐに画像の不備などが見つかり、同年7月2日に取り下げられることを理研が発表した。この論文は、マウスから取り出した体細胞を酸性浴で培養すると、初期化され多能性を持つようになった、とする論旨が示されていた。論文には酸性浴のほか、細胞を初期化するさまざまな刺激方法が書かれており、発表された当時は「世紀の発見」として科学界のみならず、多くの衆目を集めた。

 今回、小保方氏のSTAP論文をリファレンス(参考文献)に上げたのは、米セントルイス・ワシントン大学メディカルスクールの研究者グループで、「ネイチャー」の姉妹版ウェブ媒体「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された「酸性状態の培養でがん細胞をOCT-4へ誘導する事を4つのがん細胞で認めた」という論文。今年6月15日に公開された。

 この論文には、このように実験結果が報告されている。

「Octamer-binding transcription factor 4 (OCT-4) is an important marker of cellular de-differentiation that can be induced by environmental stressors, such as acidity. Here we demonstrate that chronic acidic stress in solid tumors induced OCT-4 expression in fibroblasts and other stromal cells in four tumor models.
(訳:オクタマー結合タンパク質(OCT-4)は、酸のような環境ストレスにより誘導されうる細胞脱分化の重要なマーカーである。ここで私たちは、4つのがん細胞のモデルで、固形腫瘍における慢性的な酸ストレスが繊維芽細胞や他の間質組織細胞でOCT-4を誘導したことを示している)」

 つまり、小保方氏が書いたSTAP細胞論文で示した「物理的ストレスによって体細胞が初期化した」と同じ効果が、がん細胞のストレス実験で確認されたことが報告されている。がん細胞と、がん転移のひとつの原因とされるがん幹細胞の関係に光が当てられる可能性が示唆されたともいえる。今後は、細胞ががんになるメカニズムの解明や、がん細胞の動きを抑制してほかの臓器へ転移することを防ぐ研究が目覚ましい発展を遂げる可能性もある。

 研究の進歩によっては、がんは不治の病ではなくなり、高額のがん治療費は過去のものになるかもしれない。日本の科学界で放逐されたSTAP細胞論文は、海外の研究者の間でがん細胞のように、しぶとく生き残っていた。これはひとえに、小保方氏の研究のユニークさの賜物だ。

●「小保方氏と連絡が取れないのは不幸なこと」

 この論文を速報したSTAP細胞論文問題を追及するブログ「白鳥は鳥にあらず」を運営する元・文部事務官で、社会科学と図書館学の研究者でもある中村公政氏に話を聞いた。中村氏は「世界最大の人道危機」と呼ばれる「スーダン・ダルフール紛争」の人権擁護活動なども行っていた。

――今年に入り、相次いでSTAP細胞論文が追試されたり、研究に引用されたりしています。

中村公政氏(以下、中村) 独ハイデルベルク大学のSTAP細胞の追試を報告した論文と、今回私が紹介したセントルイス・ワシントン大学の論文は、掲載誌への投稿日が同じで、研究の主題も「がん細胞を酸性浴で多能性を確認する」と同じでした。ハイデルベルク大は研究者の予想に反して多能性の確認まで至らず、結果が思わしくなかった。しかし、アクセプト(編注:学術誌に投稿した論文が審査を受けて掲載されること)された論文内で、STAP論文共著者である笹井芳樹博士へ哀悼の意を表し、この研究が笹井氏の遺志を継承するものであることを示しました。ハイデルベルク大はSTAP論文に書かれた方法でがん細胞を使って実験し、その成果をオランダの学術誌に発表しました。

――ハイデルベルク大の論文では、「STAP論文のプロトコル(実験の手順)で試したが、予想に反して論文と同じ結果は出なかった」と報告されました。一方、セントルイス・ワシントン大学は酸性浴でがん細胞を初期化させることに成功しています。内容はSTAP細胞のプロトコルではありませんが、参考文献として引用されています。

中村 セントルイス・ワシントン大学の場合、投稿してから掲載されるまでの期間が大変長く、新実験が行われ論文の修正が行われた可能性があり、そこで小保方さんが3月に立ち上げたサイト「STAP HOPE PAGE」を参照したのではないでしょうか。

――3月10日に公開されたハイデルベルク大の論文よりも、6月15日に公開されたセントルイス・ワシントン大学の論文のほうが、がん細胞を酸性浴で多能性に導くことに成功しています。やはり「STAP HOPE PAGE」の公開が実験に良いヒントを与えた可能性も大いにありますね。

中村 はい、そう思います。そして程度はともかく、OCT-4マーカーの実験に成功しました。

――細胞が多能性を示すと発現するOCT-4マーカーが、がん細胞から確認されたということは、がんが初期化されたことを意味しますね。酸性浴で細胞のがんの記憶を消したということでしょうか。酸性ががんに及ぼす影響や、がんが治療薬にどう反応するかなど、がんを治療する研究にSTAP細胞論文が引用され、実験成功へのヒントになっています。海外と日本とではまったく対応が違います。

中村 小保方さんは「婦人公論」(中央公論新社/6月14日号)に掲載された作家・瀬戸内寂聴さんとの対談で、海外からのオファーがあると堂々と話しました。セントルイス・ワシントン大メディカルスクール(日本の大学院相当)は、日本では無名ですが現役ノーベル医学生理学賞学者を多数擁する名門です。もしも、そこから小保方さんにオファーがあったとしたら、STAP特許の問題が解決するかもしれません。

――セントルイス・ワシントン大の医学部はアメリカでもっとも入学が難しいといわれていますが、再生医療に関係するベンチャー企業とのつながりも深い。

中村 そうです。また、理研特別顧問の相澤慎一氏がSTAP細胞の検証結果を投稿したサイト「F1000Research」に、英ケンブリッジ大学のオースティン・スミス博士からレビューがあり、以下のように記述されています。

「2つのSTAP論文は今では多くのエラーと不正を認めて撤回されているが、撤回通知は諸結果が再現不可能であると明言するのではなく、単に『我々はSTAP-SC現象が本物であるかどうか疑いなく言うことができない』というだけである。そのため、この研究は科学コミュニティへの価値ある貢献である。小保方氏と連絡が取れないのは不幸なことである。彼女が今回の結論に同意したか確認を取れれば望ましかった。しかし、私は彼女が共著者であるいかなる要件もあるとは思わない。なぜなら彼女は相澤博士の明白な指示監督下でその仕事を行ったからである」

●海外で引用され続けるSTAP論文

――このレビューからは、スミス博士が小保方氏の研究に多いに興味を持ったことがうかがえます。

中村 そうですね。この博士は幹細胞の専門家ですから、私は小保方さんがSTAP細胞を研究する道が途絶えたとは思えないのです。海外では5月頃からSTAP細胞論文に関する研究論文発表と特許取得への動きが盛んでした。その頃日本では「婦人公論」の寂聴さんとの対談に登場した小保方さんの姿に興味が集中していました。

――海外ではSTAP細胞論文が引用され、がん細胞治療の研究は進歩していますが、日本で話題になるのは「小保方さんのワンピースが白かった」などといったことばかりです。

中村 遺伝子の操作が不要なストレスの刺激という最先端とはいえない方法で、細胞が多能性を示すことを発見した小保方さんの研究は、それ自体とても重要です。キメラマウスができたかどうかではなく、基礎研究の発展に目を向けるべきなのです。

――ありがとうございました。

 海外では日本で吹き荒れた「噂の域」にすぎない研究者へのネガティブキャンペーンには興味を示さず、論文で報告された研究の概念、発見の価値に科学的意義を求めている。小保方氏の提唱したSTAP細胞の学術的価値に目を向けて、論文を修正する方向にならなかったのは日本の不幸といえる。日本は、自らの同調圧力で取り下げさせたSTAP論文が海外で引用され続けるのを、指をくわえて黙って見ていることしかできないのだろうか。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)


以上の記事を読んでもSTAPはあるように思えてならないが・・・

一方自称専門家の皆さんは以下のブログのように徹底的に否定しています。

「世界三大不正」の1つとも呼ばれる、STAP細胞ねつ造事件の正しい理解を社会に広めることが急務だと思い作成致しました。 現在この件について、科学的見地から正しい説明をしようとする研究者および良心的な方々に対し、STAP細胞(実際には小保方氏の虚構)があるものと思い込んだ人々からの脅迫行為なども行われています。その結果、良心的な研究者がほとんどSTAP細胞について発言できなくなりました。この異常事態を改善し、STAP細胞についての正しい知識を社会に広めるため、このブログを立ち上げました。
3月19日、あるウェブ媒体が「STAP現象、米国研究者Gが発表…小保方晴子氏の研究が正しかったことが証明」という記事を配信し、それに応じて「STAP細胞はやっぱりあった!」、「小保方さんは正しかったことを海外の研究者が証明した」、「STAP現象を否定したマスコミは反省しろ!」などといった発言がソーシャルメディア上に飛び交った。
 
結論からいうと、この記事の主旨は昨年12月12日から数日間、ソーシャルメディア上にあふれた「流言」の繰り返しであり、多くの誤解にもとづくものである(「デマ」と呼ぶ人もいる。流言とデマの区別については後述する)。
など、小保方さんが正しかった論を流言だと徹底的に否定する記事も多く存在する。

依然最終結論は出ていないが、本書を読んで、私はSTAP細胞はあるかもしれない側に傾いている。

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スウェーデンのカロリンスカ研究所は3日、2016年のノーベル医学・生理学賞を、飢餓状態に陥った細胞が自らのタンパク質を食べて栄養源にする自食作用「オートファジー」の仕組みを解明した東京工業大の大隅良典栄誉教授(71)に授与すると発表した。生命活動に欠かせない基本的な現象を明らかにし、医学や生物学の進歩に大きく貢献した功績が評価された。 

 日本のノーベル賞受賞は3年連続で計25人。医学・生理学賞は昨年の大村智氏に続き計4人となった。

 オートファジーはギリシャ語の「オート」(自分)と「ファジー」(食べる)を組み合わせた造語。栄養がなくなった細胞内に、二重膜でタンパク質などを取り囲むオートファゴソームという小胞ができ、分解酵素が入った細胞小器官と融合してタンパク質をアミノ酸に分解し、栄養源として再利用する仕組みを指す。

 この現象が存在することは1950年代から知られていたが、分子レベルでのメカニズムや生理学的な意義は謎だった。

 大隅氏は昭和63(1988)年、酵母でタンパク質などが分解されていく様子を光学顕微鏡で観察することに世界で初めて成功。平成5年にはオートファジーに不可欠な14種類の遺伝子を特定し、働きを次々と解き明かした。

 その後、研究対象を動物細胞に拡大し、オートファジーの仕組みは人間など細胞内に核を持つ生物が共通して持っていることを発見。細胞内に侵入した細菌や不要物の除去など、さまざまな重要な役割を担っていることを突き止めた。

 がんや神経変性疾患など多くの病気の発症に関連することも分かってきており、この分野の研究を急速に発展させた業績は国際的に高く評価されていた。

 授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計800万スウェーデンクローナ(約9500万円)が贈られる。
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http://www.asahi.com/articles/photo/AS20161003004300.html
「自食作用」はがん治療に革新をもたらすか
 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった東京工業大栄誉教授の大隅良典氏(71)が研究してきた「オートファジー(自食作用)」とは何か。

 細胞は飢餓状態の時に細胞内のたんぱく質などを分解し、再利用を図る。こうした「オートファジー(自食作用)」と呼ばれる現象の研究の先駆者が、東京工業大学科学技術創成研究院の大隅良典栄誉教授だ。1992年、酵母でオートファジーの観察に成功。その後、オートファジーはあらゆる動植物の細胞が備える基本的機能であることを示した。研究が進み、病気の発症や老化などの生理機能との関連も明らかになってきている。

<たんぱく質の分解も大事な現象>

 ヒトの体内では、1日に合成されるたんぱく質は約300グラムとされている。これに対し、ヒトが1日に摂取するたんぱく質の量は約80グラム程度だ。この差について、東工大の大隅栄誉教授は「たんぱく質は合成されるのと同じだけ分解されており、体内でバランスが取れている。合成されることと同じぐらい、分解は生物学的に大事な現象だ」と強調する。

 オートファジーで生体物質が分解される際には、分解対象となる生体物質に「目印」となるたんぱく質が結合する。「オートファゴソーム」と呼ばれる脂質膜の袋がその目印を認識して分解対象の生体物質を包み込み、リソソームや液胞などの分解専門の器官に運び込む。

 オートファジーは、しばしば資源のリサイクルに例えられ、特に飢餓のような状態ではリサイクルが非常に強まる。オートファジーにより、細胞内はきれいな状態が保たれる。細胞内に侵入する細菌を排除する仕組みなどにもオートファジーは関わっている。

 大隅栄誉教授は「分解は受動的な過程ではなく能動的な過程。合成の過程に劣らず、多くの遺伝子が分解の関わっている」と指摘する。オートファジーに関係する遺伝子は「Atg遺伝子」と名付けられ、これまでに18個見つかっている。

 関連遺伝子の判明によりオートファジーの解析は飛躍的に進展した。オートファジーに関連する論文の発表件数は、大隅栄誉教授が研究を本格的に始めた90年代初頭は年10件程度だったが、現在は同約5000件まで拡大している。

 オートファジーの解明が進むことにより期待されるのが、がんや神経疾患などの病気の治療法の開発だ。オートファジーの機能の異常は、神経疾患やがんを引き起こすことが示唆されている。

 例えば、一部の膵臓(すいぞう)がんでは遺伝子の異常などを原因にオートファジーが過剰に働き、がんの発症やがん細胞の増殖につながることが知られている。オートファジーを抑制することによって、がん発症やがん細胞増殖を抑えられる可能性がある。

 また認知症の6割を占めるアルツハイマー病は、神経細胞内に異常なたんぱく質が蓄積することで発症することが知られている。オートファジーの機構の解明によって、異常なたんぱく質の蓄積を防ぐ治療の開発につながることが期待される。

「今回の研究成果はまだ3合目ぐらい」

 直近の研究成果として、大隅栄誉教授は微生物化学研究会の野田展生主席研究員らと共同で、オートファジーの始動に関わるたんぱく質複合体が巨大化する仕組みを出芽酵母で解明。「Atg13」と呼ばれるひも状のたんぱく質が他のたんぱく質をつなぐ役割を果たし、同複合体の巨大化に寄与していることを突き止め、7月に米科学誌に論文発表した。

 出芽酵母では、オートファジーの始動段階でAtg1、同13、同17、同29、同31の5種類のたんぱく質で構成される複合体「Atg1複合体」が形成される。このうちひも状をしたAtg13には、同17と結合する領域が2カ所あることを解明。Atg13と同17の結合を通じて、Atg1複合体が30―50個密集し、直径数十ナノ―100ナノメートル(ナノは10億分の1)程度の巨大複合体を作ることが分かった。

 オートファジーの始動の仕組みの一端が明らかになり、オートファジーを人工的に制御した薬剤の開発につながる可能性がある。大隅栄誉教授はオートファジーの現象解明を登山に例えて「今回の研究成果はまだ3合目ぐらい」と説明。今後について「今回の成果で研究が一気にポンと進むかもしれないし、ものすごく長い3合目になるかもしれない」と、オートファジー機能の全容解明まではまだ道半ばであることを示唆する。
ノーベル賞の直前に発表されるトムソンロイター引用栄誉賞で生理・医学賞が 京都大学 客員教授 本庶 佑氏が選ばれていたので、日本人がノーベル医学生理賞を受賞したと聞いて本庶教授かと思いましたが、大隅教授であった。日本人研究者の層の厚さを感じます。ちなみに大隅教授は2013年のトムソンロイター引用栄誉賞を受賞しております。

2012年のノーベル生理学・医学賞の山中教授は2012年:2010年にトムソンロイター引用栄誉賞を受賞、2014年度ノーベル物理学賞受賞者中村修二は2014年:2005年にトムソンロイター引用栄誉賞を受賞している。

「トムソン・ロイター引用栄誉賞」(ノーベル賞予測)2016年、日本からの受賞者は3名 京都大学 本庶佑氏(医学・生理学)、崇城大学・熊本大学 前田浩氏(化学)、国立がん研究センター 松村保広氏(化学)~
【ロイター】2016年9月21日(日本時間)

米国ペンシルバニア州フィラデルフィア発
*米国時間9月21日0時に発表されたプレスリリースの抄訳です。

世界的な情報サービス企業であるトムソン・ロイター(本社米国ニューヨーク、日本オフィス:東京都港区)は、2016年の「トムソン・ロイター引用栄誉賞」を発表いたしました。2002年より毎年9月の発表が恒例化されている本賞は、学術論文の引用データ分析から、ノーベル賞クラスと目される研究者を選出し、その卓越した研究業績を讃える目的で発表されるものです。15回目となる本年は、日本人研究者3名を含む合計24名が受賞しました。このうちハーバード大学のStuart L. Schreiber氏は2度目の受賞となりました。本賞で二度の受賞を果たしたのは、過去には理化学研究所の十倉好紀氏のみで、異なる研究トピックにおいても非常に卓越した業績が讃えられています。

日本からは、化学分野において2名、医学・生理学分野から1名が選出されました。崇城大学DDS研究所特任教授・熊本大学名誉教授の前田浩氏と、国立がん研究センター先端医療開発センター新薬開発分野分野長の松村保広氏は、ともに「がん治療における高分子薬物の血管透過性・滞留性亢進(EPR)効果の発見」において今回の受賞となりました。また、京都大学客員教授の本庶佑氏は、「プログラム細胞死1 ( PD - 1 )およびその経路の解明により、がん免疫療法の発展に貢献」による受賞となりました。


<医学・生理学> 
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京都大学 客員教授
本庶 佑(Honjo Tasuku)氏
「プログラム細胞死1 ( PD - 1 )およびその経路の解明により、がん免疫療法の発展に貢献」
■ 受賞コメント
『この賞に選ばれましたことは誠に光栄なことと存じます。ありがとうございます。わたしたちの研究がガン治療に役立ち人の命を救えたという事が何よりの喜びです。』
* * * * *

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前田 浩(Hiroshi Maeda)氏<化学>
崇城大学DDS研究所 特任教授
熊本大学 名誉教授
前田 浩(Maeda Hiroshi)氏
「がん治療における高分子薬物の血管透過性・滞留性亢進(EPR)効果の発見」
■ 受賞コメント
『癌に薬剤をピンポイントにターゲッティングするEPR効果発見から30年を経て、それがようやく世界に広く浸透し、この度、トムソン・ロイターによって評価されましたことに対し研究者としてこの上ない喜びを感じております。この受賞により、EPR効果の原理を充分に理解した癌治療法の臨床への応用に広く関心を持っていただけることと思います。このような名誉ある賞を頂けましたことは、今後の研究の励みになります。誠にありがとうございます。』
* * * * *

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松村 保広(Yasuhiro Matsumura)氏<化学>
国立がん研究センター先端医療開発センター新薬開発分野 分野長
松村 保広(Yasuhiro Matsumura)氏
「がん治療における高分子薬物の血管透過性・滞留性亢進(EPR)効果の発見」
■ 受賞コメント
『30年以上前、がんによる血液凝固に端を発する、腫瘍血管透過性亢進により、抗体などの高分子蛋白が腫瘍に集まりやすいというEPR効果を見出して以来、血液凝固系分子抗体を作り、CAST (Cancer Stromal Targeting) 療法を提唱しました。また、種々のがん特異抗体も作りました。今回の受賞を誇りとし、私どもの抗体医薬が患者さんの役に立つことを証明するまで、研究開発に全力を尽くします。』
1989年に設立された。2002年からは毎年の発表が恒例化されている。
同賞は、過去20年以上にわたる学術論文の被引用数に基づいて、各分野の上位0.1パーセントにランクする研究者の中から選ばれる。主なノーベル賞分野における総被引用数とハイインパクト論文(各分野において最も引用されたトップ200論文)の数を調査し、ノーベル委員会が注目すると考えられるカテゴリ(物理学、化学、医学・生理学、経済学)に振り分け、各分野で特に注目すべき研究領域のリーダーと目される候補者が決定される。しかし、その決定のプロセスは単純ではない。同社のデータベースには、化学分野の研究者だけでも約70万人登録されており、候補者にリストアップされる可能性があるのはその内のトップ0.1%だが、それでも700名もおり、そこからノーベル賞の受賞トレンドや受賞者の地域性などを加味して候補者を選別し、それら周辺要因まで含めて決定されていく。
同賞の受賞者は、1993年と1996年を除き、1989年以来、毎年ノーベル賞を受賞している(2008年現在)。2011年ノーベル賞では、該当4分野の受賞者9名すべてが、過去このトムソン・ロイター引用栄誉賞を受けていた。
これまでの受賞者総数278人(2016年9月現在)のうち39人(14.0%)がノーベル賞を受賞している。
全受賞者278人中、日本人受賞者は、生理・医学賞10人物理学賞8人化学賞6人経済学賞1人でした。ちなみに日本人の他の東洋人はゼロでした。勿論ノーベル症患者韓国人はもちろんゼロである。

他の権威ある賞も調べてみた。
フィールズ賞は、若い数学者のすぐれた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことを目的に造られた。日本人受賞者3人小平邦彦広中平祐森重文 アジアではベトナム・イラン各1人
ガウス賞(は、社会の技術的発展と日常生活に対して優れた数学的貢献をなした研究者に贈られる賞。受賞者日本人1人アジア人ゼロ
コール賞代数部門と数論部門の二つがあり、過去6年間に北米の数学誌に掲載された最も優れた論文の中から選ばれる。
代数部門受賞者日本人受賞者2名/コール賞数論部門受賞者日本人受賞者2名
ボルツマン・メダル(物理学) 熱力学統計力学に関連する新しい成果を生み出した物理学者に授与される権威ある賞 日本人2人  
J・J・サクライ賞(物理学) アメリカ物理学会 の賞の中の理論素粒子物理学の貢献に与えられる賞である。1984年に制定された。J・J・サクライ (Jun John Sakurai) こと桜井純 (1933-1982) はアメリカで頭角を現すも早世した日本人理論物理学者で、同賞は桜井の遺族の寄付により設けられた。 日本人6人  
クラフォード賞(天文学等) ノーベル賞が扱わない科学領域を補完する目的がある。分野は、天文学数学地球科学生物科学環境進化の分野)である。 日本人3人  
IEEEマイルストーン(電子技術) IEEE電気電子技術やその関連分野における歴史的偉業に対して認定する賞。1983年に制定され、168件(2016年現在)が認定されているがそのうち日本は29件を占める。その他アジアはインド2件  
ウィリアム・ボウイ・メダル(地質学) アメリカ地球物理学連合(AGU)が地球物理学の基礎分野の優れた業績をあげた学者に贈るである。 日本人4人  
ホロウィッツ賞(生物学) コロンビア大学によって、生物学生化学の分野の基礎研究において、顕著な貢献を行った研究者または研究者のグループに毎年与えられる賞である。日本人1人 
コッホ賞(医学) ドイツ連邦共和国の学問の賞の中で最も高額かつ名声の高い賞であり、医学研究のなかでも主に微生物学・免疫学分野における優れた業績に対して与えられる。 コッホ賞医学研究で新しい発見をした者 日本人8人 コッホ・ゴールドメダルは医学研究において優れた業績の蓄積がある者に対して与えられる。日本人4人
アーベル賞は、顕著な業績をあげた数学者に対して贈られる賞である。
東洋人受賞者0名
フランクリン・メダル(科学等) 個人に贈られる科学技術賞日本人8人   
ガードナー国際賞 医学に関する賞として、最も著名な賞の一つ日本人11名その他東洋人なし。
アルバート・ラスカー基礎医学研究賞 日本人6人台湾1、パキスタン1
ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞 日本人1人 台湾1人インド1人

蛇足ですが中国や韓国人はこういった権威ある賞にも引っかかっていない(笑)

日本人のノーベル賞受賞は3年連続で25人目となる。2000年以降は日本の受賞が続き物理学賞8人、化学賞6人、医学・生理学賞3人と計17人を数える。米国に次ぐ受賞者数は、日本の科学と基礎研究の水準の高さを示すものだ。

短期的な成果や経済への波及効果が重視される傾向にある今の日本の研究環境で、半世紀後の栄誉につながる独創は今後も育まれるだろうか。

 大隅氏のオートファジー研究は、酵母からスタートした。哺乳類などと比べると、実際の医療には直結しにくいが「生命の本質に迫る問題は、大腸菌や酵母で解くことも大事」だという。

 競争は科学技術の進展の原動力になるが、効率だけを考えて研究の裾野が縮小してしまうと、基礎科学は世界を牽引するような独創は生まれなくなるだろう。

 若い研究者や子供たちには高い志を持ってもらいたい。そのためにも、研究現場を「挑戦できる環境」にする必要がある。

相次ぐ快挙を、次の世代にも引き継ぎ、科学技術立国の礎を強固なものにしなければならない。


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生物には必ずオスとメスがいる。そう思われている方が多いだろう。しかし、この常識が通用しない生物は少なくない。生物の世界を見渡せば、メスだけの生物、両性具有の生物、性転換する生物など、性のあり方は実に多様だ。生物の性はどうしてこんなに多様なのだろうか。

■メスだけの世界~フナもタンポポも

 まず、生物の世界で見られる性の多様性を紹介しよう。日本の淡水魚の代表ともいえるフナ、この多くはメスだ。母親が受精を経ずに産卵する。もちろん生まれてくる娘はすべて母親のクローンだ。ドジョウの仲間にもこのような無性生殖が多い。ヘビやトカゲにも見られる。また、植物では身近なタンポポの仲間に、無性生殖が多い。このように、無性生殖は動植物を通じて広く見られる。

 そもそも、生物が増えるためには、オスは必須の存在ではない。娘を2個体産む母親と、息子と娘を1個体ずつ産む母親の競争を考えてみよう。前者(無性生殖型)は世代ごとに倍に増えて行くが、後者(有性生殖型)は増えない。このため、両者が1対1の割合からスタートした場合、わずか10世代で有性生殖型は全体の2%まで減ってしまう。増えるという点では、無性生殖のほうが圧倒的に有利なのだ。

 ではなぜ有性生殖が広く見られるかというと、有性生殖には増殖率が低いというコストを上回るベネフィットがあるからだ。その理由として有力視されている要因は2つある。

 1つは病原体の存在だ。遺伝的に均質な子供を産み続けると、その遺伝子型に適応した病原体が進化する。病原体は世代時間が短い。世代時間というのは、生まれてから子孫をつくるまでの時間であり、人間が約30年ならば、大腸菌は約30分だ。ハイペースで世代交代をするため、宿主に適応する速度も速くなる。このような病原体に対抗する上では、有性生殖によって遺伝的な組み合わせを変えて、子供に多様性を作り出すほうが有利だ。
 第2のベネフィットは、有性生殖によって母親と父親の遺伝子をシャッフルすれば、有害遺伝子の蓄積が避けられることだ。無性生殖を続けていると、有害な(生存力や繁殖力を低下させる)突然変異が蓄積しやすい。

 有性生殖をすれば、遺伝子がシャッフルされる結果、子供の中には有害な変異をたくさん持つ個体から、ほとんど持たない健康な個体まで、バリエーションが生まれる。後者がより高い確率で生き残り、セレクションされた結果、有害遺伝子の蓄積が避けられるのだ。

 病原体と有害遺伝子のどちらの効果が大きいかについてはまだ十分に分かっていないが、おそらくこの両方の効果のために、有性生殖が広く進化していると考えられている。

■両性具有の世界~なぜカタツムリは「恋矢」を刺し合うのか

 有性生殖をする生物の中での性表現も多様だ。カタツムリのように、両性具有の生物も少なくない。両性具有の生物には、出合った相手と必ず交配できるという利点がある。カタツムリは多くの場合、生息密度が低く、個体同士が出合う機会が少ないために、両性具有が進化しているのだろう。

 両性具有ということは、すべての個体がメスでもあり、オスでもある。つまり、雌雄同体だ。したがって、オスどうしの争いや、オス・メス間の駆け引きとは無縁に思われがちだが、カタツムリの生殖はわれわれの想像を上回る争いに満ちている。

 カタツムリの仲間には、「恋矢(れんし)」と呼ばれる鋭利な刃物のような石灰質の器官を持つ種が少なくない。彼・彼女らが交尾をするときには、この「恋矢」(英語ではlove dart)を相手にブスリと刺し合う。
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 東北大学の千葉聡さんらの研究によれば、「恋矢」を刺すことで受精率が高まり、「父親」として残す子供の数が増える。なぜなら、「恋矢」から出る物質が精子の分解を防ぐからだ。
「母親」として子供を産むことは大きなコスト(「父親」よりもエネルギーや栄養をたくさん使う)を伴うので、両性具有のカタツムリはできるだけ「父親」になろうとして、受け取った精子を分解してしまうのだ。この分解に対抗するための武器が「恋矢」である。

両性具有だからとって性の争いから解放されるわけではなく、できるだけ「父親」になろうとする競争があり、その結果「恋矢」を刺し合うという凄絶な争いが進化してしまった。「角だせ、槍だせ、頭だせ」という童謡の歌詞には、実はこの生殖をめぐる争いが描かれているのである。

■花は昆虫との駆け引きを工夫する
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花が咲く植物の多くは、雌雄同株であるだけでなく、1つの花におしべとめしべをつけることが多い。これは、「母親」(種子親)としても、「父親」(花粉親)としても、昆虫を惹きつける必要があるからだ。植物は移動能力がないので、花粉を昆虫に運んでもらって初めて他個体との受精が可能になる。

 昆虫が他個体から花粉を運んできてくれれば、めしべが花粉を受け取って種子をつけ、「母親」になれる。一方で、おしべの花粉を他個体のめしべへと昆虫が届けてくれれば、「父親」になれる。いずれの場合にも、写真のような美しい花びらで、昆虫を惹きつける必要がある。もし雌花(めばな)と雄花(おばな)を別々につければ、花びらという「広告経費」が2倍かかることになる。また、花にやってきた昆虫に対して、「花蜜」という報酬を出すのだが、この報酬も2倍必要になる。

 なお、花粉の運び屋として重要なマルハナバチやミツバチは、 花粉だんご を作って巣に持ち帰る。栄養価の高い花粉は重要な食糧だ。しかし、これは植物にとっては迷惑な話。花粉は動物で言えば精子に相当するものなので、植物としてはできるだけ巣に持ち帰ってほしくない。体表の毛にくっつけて、他の花に運んでくれればそれで良いのだ。

 これに対抗するために、植物は多くの場合、写真のようにおしべをたくさんつける。そして、毎日少しずつおしべを開き、花粉が一度に持ち去られることがないようにしている。このように、花はさまざまな工夫をして、花粉が花から花へと運ばれる機会を増やしている。

■合理的に性転換する生物~人気者のクマノミも

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 同じ個体が年や状況によってその性をスイッチする生物もいる。植物では、マムシグサの例が有名だ。マムシグサの若い個体は、まず雄花をつける。種子生産に比べれば花粉生産はコストがかからないので、若くて小さい個体でも雄花をつけることはできるのだ。

 雄花をつけながら成長し、地下茎に十分な炭水化物の蓄えができると、雌株(めかぶ)に性転換し、種子をつける。しかし、種子生産をした後は地下茎の蓄えが大きく減ってしまうので、再びオスに戻ることが多い。

 動物でも、父親が精子を作るコストに比べれば、母親が子供を産むコストははるかに大きい。このため、小さいときにはオス、大きくなればメスへと性転換をする場合がある。特に魚類で多くの例が知られているが、これは魚類が植物に似て、年齢や餌条件によって体の大きさが大きく変化するからだ。

 例えば、イソギンチャクと共生することで有名なクマノミ類(冒頭の写真)では、1つのイソギンチャク内で最も大きな個体がメス、順位が2位の個体がオスであるが、メスがいなくなると、2位のオスがメスに性転換し、3位だった未成熟個体がオスになる。魚類ではこの順序とは逆に、若い個体がまずメスになり、大きく育つとオスになる場合がある。これはオスが縄張りを持つ場合であり、縄張りを防衛するには、メスが子供を産む以上にコストがかかるのである。

■生物の性はどうしてこんなに多様なのか

 以上で紹介したのは、生物の世界に見られる性の多様性のごく一部である。他にも、温度によって性が決まる生物、オスが2種類いる生物、性を3つ以上持つ生物など、常識外れの生物はたくさんいる。生物の性は、いったいどうしてこんなにも多様なのだろうか。

 このような性の多様性のルーツを探ると、遺伝子をシャッフルするという仕組み(有性生殖)に行きつく。

 単細胞の微生物は二分裂によって増えるが、ときどき2個体が接合して有性生殖をする。このように、単細胞生物では「増殖」(増える行為)と「生殖」(遺伝子をシャッフルして多様性を生み出す行為)は別だった。

 やがて、より複雑な多細胞生物が進化し、生殖を担当する細胞に、大きなもの(卵)と小さなもの(精子)の違いが生じ、卵を産む性(メス)が「増殖」を担当するようになった。この時点で、オスは「増殖」という目的にとっては不要な存在となり、増えることが優先される環境(病原体が少ない荒れ地など)では、オスを作らずメスだけで増える生物が繰り返し進化した。それでも有性生殖が広く見られる背景には、おそらく病原体の存在が深く関わっている。

 このようなメスとオスによる有性生殖の下では、コストをかけて子供を産む性であるメスと、チープな精子を供給する性であるオスとの間に「利害の不一致」がある。この「利害の不一致」が、性の多様性を生み出した重要な駆動因だ。

 この「利害の不一致」の下で進化した動物の生殖行動には、しばしば痛みが伴う。カタツムリの恋矢による刺し合いはその例だ。オスにとっては、メスをいたわるよりも自分の受精確率を高めることの方が重要なのだ。

 われわれ人間の場合、父親は母親に協力して、長期間にわたって子育てを手伝う。これほどオスが子育てを手伝う生物は他に例がない。この点で人間は、オスとメスの「利害の不一致」という有性生殖につきまとう宿命をうまく乗り越えた生物と言えるかもしれない。

 そして人間では、このような長期にわたる母親と父親の協力関係を維持する仕組みとして、痛みではなく、愛や快楽を伴う行動が進化した。幸いなるかな、われわれ人間は、生殖を楽しむことができる、きわめて例外的な生物なのである。
生物進化は、おそるべき創造を成し遂げた。化学物質から生じた生命は、進化を通じてどんなデザイナーにも描き出せない多様で斬新なデザインを生み出し、どんな技術者にも到達できていないエネルギー変換技術と生命機械を創り出し、人工知能ですらかなわない学習能力と知性を生み出した。その根源が生殖行為による増殖とエラーの組み合わせを繰り返したと思う。

人間と言うのは今のところの到達点なのだが、この記事を読んでふと思ったのが、同性愛というのは一種の無性生殖のなごりではないか?ふとそう思った。

もちろん同性愛では子孫を増やせないのだが、同性愛を選択するのは神がそう選択させた。子孫を残す必要が無い固体が選ぶ選択なのだろう。だが自然界では同性愛でも固体を残す設計もした、それが無性生殖なのだろうけど、人間が魚類であった頃の記憶が蘇ったのが同性愛なのか?

有性生殖のこと利点を考えると移民はある程度歓迎なのかもしれない。
ただし、遺伝子がシャッフルして強い遺伝子になるのは良いのだが、移民が移民のままで固まったままなら遺伝子シャッフルが起きない。

在日朝鮮人の問題も彼らが日本に溶け込もうとせずある種の特定利益集団を形成していることに問題がある。国籍的に日本人であることに誇りを持ち、人種的な過去の日本人を尊重し日本人として生きていくのであれば受け入れてもいいが、特定の利益集団を形成していることが認められないのである。多様性を尊重するのであれば日本人となるべきなのである。

移民は大量には受け入れるべきではないが、移民が日本社会溶け込み遺伝子がシャッフルになる程度徐々になら受け入れてもいいだろう。






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シリア紛争で喜ぶのは中東のダメ男
プーチンよ悪は米国に学べ 高山正之/著 (新潮社)

カガンボモドキという肉食昆虫がいる。交尾期になるとオスは必死に大きくて美味しそうな獲物を獲り、木の枝にぶらさげてそれを誇示する。

メスが飛んできて何匹かのオスの獲物を比べ、一番の獲物にとまって食べる。 食べている間、そのオスはメスと交尾できる。

貧弱な獲物しか獲れないオスはセックスも子孫もできずに生涯を終える。「生物界ではメスが種族保存に適しかDNAをもつオスを選ぶ権利をもつ」と米生物学者ランディ・ソーンヒルは言った。

だから鳥もライオンもオスが力を誇示し、飾り立ててメスの気を引く。ヒトも同じ。女が男を品定めする形が長い間守られ、人類はいい品種を残してきた。

しかし多数を占めるダメDNAの男たちは己のダメさを自覚しないものだ。彼らは選ばれないことを逆恨みした。
そういうダメ男が知恵を働かせて創ったのが宗教だという説がある。

例えばユダヤ教、経典には人を殺すなとか盗むなとか、当たり前のことがずらずら並ぶ。別に神の口を借りてまでもないだろうに。

そんな当り前の中に唐突に「夫以外の男と通じてはならない(出エジプト記)」「女の髪は男を惑わすからスカーフで包め ”ヨブ記”が入ってくる。

「女は不浄」「女は原罪を負う」と生物学的根拠のない偽りも挟まる。
ヒトは動物と違って倫理がある。女がいいDNAを求めて男を渡り歩くのは倫理に悖(もと)る

女は先天的厄介者だから、神の与えた一夫一婦制に感謝し、不倫を避け男に心から尽せと。
男に都合いい教えはユダヤ教からキリスト教に引き継がれ、ホーソンの『緋文字』が生まれた。

孫宗教のイスラム教ではヨブ記のスカーフがチャドルになり、夫を裏切ってもっといいDNAを探す姦通は石で打ち殺される羽目になった。

ヒンズー教はもっと直截に「夫が浮気をしようが飲んだくれだろうが、妻は夫を神と思って仕えよ」と定める。

かくて多くの男が交尾できるようになったが、代償は大きかった。女は倫理の名の下に浮気の自由を奪われ、悪いDNAは生き残り、人類の進歩は止まった。

キリスト教圏は宗教の愚かさをいち早く悟り、産業革命を迎えたが、ヒンズー圏もイスラム圏も「古い慣習に縛られて停滞した」とイスラムの権威カナン・マキヤ米ブランダイス大教授は分析している。

そのイスラム圏で最初に脱宗教を宣言したのがパーレビ皇帝だった。「イランはアジアの西の日本たれ」と叱咤し、モスクの力を抑え、女性のチャドルを脱がせて「浮気は死刑」を廃した。

ホメイニ師が抵抗すると、欧米はなぜかそっちを支持して皇帝は追放された。今、イランは最も厳しいイスラムのくびきの下にある。

サダム・フセインもパーレビ皇帝に倣って、イスラムを抑えて世俗政権を建てた。
外相にはキリスト教徒のタリク・アジズを就かせ、黒髪をなびかせた女の軍人がバグダッドを闊歩した。

しかし欧米は不満分子のシーア派を煽り、イラク戦争を吹っ掛けてサダムを潰した。シーア派の新政権はすぐ女にチャドルを被せ家の中に閉じ込めた。

リビアのカダフィはイスラムの4人妻制を廃し、女を家から出して学校に通わせた。彼の娘は医者になった。
NATO諸国は 「アラブの春」を支援する口実で600機の戦闘機を動員してカダフィを追い詰め、抵抗勢力に彼を引き渡して殺させた。

リビアの新政権はすぐ4人が制を復活させた。
ムバラク政権も「アラブの春」に倒され、ムスリム同胞団が政権を握った。エジプトの停滞が始まった。
今、キリスト教国家はシリアの非イスラム政権バシヤール・アサドを狙う。

目覚めるのはキリスト教国家だけでいい。 お前らは目覚める必要がないというメッセ-ジなのだろう。

アサドもやがて「アラブの春」によって潰され、イスラム政権が生まれ、中束は停滞社会に戻っていくというのが欧米諸国の読みだ。

中東のダメ男だけにはとてもいい「アラブの春」になる。
(二〇一三年四月一五日号)

有史以前は女尊男卑の時代だった。このことを最初に指摘したのは、スイスの法学者・バッハオーフェンである。バッハオーフェンは、1861年に出版した『母権論』で、ギリシャを中心に、エジプトやインドなどの古代の神話やその他の史料の分析を通して、有史以前に、女性支配(Gynaikokratie)の時代があったという仮説を発表した。
他の地域の先史時代や現在でも文明社会の辺境において女尊男卑の社会が見られる。

人間が自然に対して、そして男が女に対して優位に立ったのは、農業文明の成立が男尊女卑社会の成立と密接にかかわっていることが推測される。

しばしば、農耕社会は母権的で、狩猟社会は父権的だと言う人がいるが、これは逆なのであって、農耕、すなわち処女地に種を植えるというのは、きわめて男性的な行為なのである。

エジプト神話では、男女が平等に作られていること、ナイル川を氾濫するに任せ、これを人為的にコントロールしようとはしなかったことは、古代エジプト文明の時代が、自然と人間、男性原理と女性原理が均衡していた過渡期であることを示している。

文明が進み人類最古の文明の一つシュメール人が書き残した物語から旧約聖書ができた。神は天地を創造し、6日目に自分をかたどって土で人を造った。また、アダムの肋骨から女を造った。男の名はアダム、女の名はイヴ(エヴァ)。

なお、アダム(אָדָם)とはヘブライ語で「土」「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来しており、エバはヘブライ語でハヴァ(חַוָּה)といい「生きる者」または「生命」の意味である。このエバ、エヴァ、或いはイヴ、イブ(英: Eve に由来する)という読みはギリシャ語: Ευά(エウア)に由来する。人類最古の文明を生み出したと言われているシュメル人が書き残した天地創造の物語がヘブライ語に翻訳されたと思われる。

アダムは男性であり、神に似せてあるから神は男性である。イブはアダムの肋骨から作られた。女性は男性の副次的産物という物語が作られたのだ。

先史時代の母なる大地の豊穣を感謝する採集狩猟の母系社会から、男尊女卑の農耕社会へ変化したのは農業による人口の増加による社会変化だということになる。
採集狩猟社会において狩猟で獲れる獲物からのカロリーは実は副次的で、採集による食物からのカロリーの方が高いというのがフィールドワークした驚くべき結果であった。その為狩猟採集社会では実は女性の方が偉かったのである。

農耕社会では男性が狩りに出掛けないので一夫一妻制定着していったと思われる。しかし、数百万年オスは自分の精子をばら撒きたい本能があり、メスは優秀な遺伝子をもつオスの遺伝子を振分けて取得したい本能が働く。その為一夫一婦制が定着しなかった。

農業は集団作業が必要となることが多く、集団を維持するために秩序が必要となった。その秩序を維持する為の物語が神話であり、一神教の宗教へと変化していったのではないかと私は思う。


厳格なイスラム社会でも男も女も生物学的本能には逆らえない。実は今年トルコに旅行した際、他のイスラム圏の国から来たと思しき若い男女のカップルが夜のホテルの庭の暗がりで乳繰り合っている姿を目撃した。彼等も健全な若者なのだ!

イスラム教の社会では不倫は残酷な石打の刑による死刑である。それでもリスクを冒してもセックスをしたいといのは生物として健全な姿なのである。
イスラム圏にも出会い系サイトがあって、男女の営みがある・・・・

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ISISに参加する若者もイスラム教徒である前に健全な人間である。
敬虔なイスラム教徒であるがゆえ、童貞の可能性が高いだろう。社会的に底辺であれば結婚して生物学的欲求不満を解消する機会に恵まれていない。ISISに参加することで童貞から卒業できるかもしれないという不健全なインセンティブが参加動機にあるような気がしてならない。

我々が理想とする自由な社会とは実は自由なセックスができる社会ではないだろうか?フリーセックスと言う意味ではないが、今の日本はある意味で自由な社会かもしれない。

携帯電話やSNSの発達は宗教的戒律を持たない日本は過剰な自由を享受しているかもしれない。老若男女が表面上は秩序を守りつつ、裏で自己責任で自由に交わることができる社会こそ真に自由な社会なのだと思う。

石田純一は「不倫は文化である」と言う名言を残しているが、不倫ができる日本の文化とは実はものすごく自由で健全な社会かも知れない。厳格なイスラム教徒の国サウジアラビアで日本を見習いたいという番組があるというが、日本文化の神髄を知ると、彼らは腰をぬかしてしまうだろう。

そしてこれからもイスラム諸国はこれからも停滞し続けるのだと思う。


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「クモの糸」で日本を資源国に [スパイバー]

クモの糸は軽くて強く,さらに伸縮性に富む“最強の素材”と言われる。
それを人工的に作る方法を編み出そうと挑むベンチャー企業がある。     
実現すれば石油に頼る土業製品の開発が大き<変わる可能性がある。 

正義のヒーロー「スパイダーマン」は、手首からクモの糸を出して素早くビルの間を移動し、敵を追いかける。クモの糸は自在に伸び縮みする上、スパイダーマンがぶら下がっても切れることはないー。こんな映画やアニメの中だけだった世界が実現の一歩手前まで来ている。

 「人エクモの糸」の研究開発に取り組むのは、慶応義塾大学出身の若者2人が2007年に立ち上げたベンチャー企業、スパイバー(本社山形県鶴岡市)だ。社名は「Spider(クモ)」と「Fiber(繊維)」を組み合わせて付けた。
 同社が開発する人エクモの糸は今国内外の注目の的となっている。実現すれば製品の機能向上に大きなインパクトをもたらすからだ。同社の試算によれば、将来、1兆円規模以上の市場を生み出す可能性があるという。

 特長は、「鉄鋼の4倍の強度」と「ナイロンを上回る伸縮性」を併せ持つ点にある。一般にクモの糸と聞くと、人が手で簡単に切れるため、鉄鋼の4倍の強度があるとは考えにくい。しかし直径数マイクロメートル(マイクロは100万分の1)という細い糸でクモの体を支えていることを踏まえれば、強度が高いのもうなずける。これを人工的に作れれば、現在、製品に使われている素材の中でも“最強レベルの新素材”が誕生すると言われる。

 人エクモの糸の特長を生かすことで、幅広い製品の機能向上に貢献できる。例えば、人と接触事故を起こしてもケガを最小限にとどめられる自動車の車体。素材の伸縮性が、衝突時の衝撃を吸収してくれるためだ。高い強度を生かせば、表面がすり減りにくいタイヤも開発できるだろう。自動車の軽量化素材として知られる炭素繊維の代わりに人エクモの糸を使えば、従来品に比べて大幅に軽い自動車を作ることも理論上は可能だ。

 ちなみに同社が開発するのは糸だけではなく、クモの糸と同じ性質を持つプラスチックも含まれる。そのため、自動車以外にも用途が広がる可能性は高い。子供や高齢者でも容易に運べる机やダンスなどの家具、地震があっても破損しにくい建築資材、はたまた破れにくい女性用ストッキングなどだ。

資源の乏しい日本を救う?

 人エクモの糸が注目を集める理由は製品へのインパクトだけではない。資源の乏しい日本を救う技術になると、国内を中心に期待が寄せられている。

 先に挙げた自動車や机、ストッキングなどはどれも、現在は樹脂やナイロンといった石油由来の材料で作られている。実は人エクモの糸の原料は石油ではなく、本物のクモの糸と同じたんぱく質。石油由来の材料を人エクモの糸で代替できれば、日本の多くのメーカーにとって大きなメリットがある。

一つは、石油使用量を減らせること。もう一つは、工業製品の製造コストや輸送コストが石油の価格に振り回されるリスクを減らせることにある。

 「化石燃料資源の乏しい日本の弱みを補える上、機能性樹脂など素材関連の技術を得意とする日本の強みも生かせる」(スパイバーの創業者で取締役兼代表執行役の関山和秀氏)。新素材の開発が、世界における日本の立ち位置を根底から覆す可能性があるのだ。

 ここで、こんな素朴な疑問がわく。クモの糸にこれほどの注目が集まっているのなら、他の研究機関やベンチャー企業でも開発が進んでいるのではないか、という点だ。実際、世界中の研究機関や企業が人エクモの糸の開発に躍起になってきた。だが、スパイバーが成功するまで、誰もクモの糸を生産することができなかった。

 その理由はいくつかある。一つは、クモはカイコのように、家畜とするのが難しいこと。工場で人工的に生産する前に、本物のクモに作ってもらえればそれに越したことはない。しかし、クモは縄張り意識が強いため、同じ場所で飼育できない。一匹一匹を離して飼えばいいのだが、それでは生産効率が悪すぎる。もし家畜化できたとしても、生物が生成する糸はバラつきが大きく、使い物にならないという問題もあった。
 
 次に世界中で取り組まれたのが、クモの糸を生み出す遺伝子を人の手で作り出す方法。その遺伝子を徹生物の中に埋め込み、微生物が増殖するたびに、クモの糸の原料となるたんぱく質が増
える、というやり方だ。「短期間で増殖する」という徹生物の特長を生かす方法だが、これにも難点があった。クモの糸の素材を生み出す遺伝子が、徹生物の増殖段階で壊れやすいという性質を持っていたことだ。

 世界中の科学者が研究に研究を重ねても成功しない人エクモの糸の開発。やがて関係者の間で「クモの糸は生産できない」という見解が常識になりつつあった。          
 そんな中、スパイバーの創業者だけは違った。「常識なんて関係ない。きっと抜け道はあるはず」。慶応義塾大学に在学していた関山氏は、お酒を飲みながら「最強の生物は何か」を友人と話し合ったことをきっかけに、人工クモの糸の開発を構想するようになった。

周囲には「成功するわけがない」と大反対されたが、気にならなかったという。
 とはいえ、たんぱく質は専門外の分野。開発はすべて手探りだった。生産効率を考えれば、微生物を用いるやり方は妥当。そう考えて実験を繰り返したが、失敗の連続だった。そのうち、「詳しくは話せないが、遺伝子の配列とたんぱく質の分子配列、クモの糸素材の製造に向く特殊な微生物を組み合わせる方法を発見したバ関山氏)という。

この発見が、クモの糸の原料となるたんぱく質を培養する突破口となった。

 だが、開発はここで終わらない。原料を用いて糸などを作る量産工程を確立できなければ、製品の素材として使えない。ここでも、壁にぶつかった。

強度と伸縮性を自由に操る

 クモの糸の原料となるたんぱく質は、「フィブロイン」と呼ぶものだ。培養した微生物からフィブロインのみを抽出し、粉末にしてから溶剤で溶かすと、糸の原料ができる。これを、化学繊維と同じ方法で紡糸していけばよい。

 最大の難関は、フィブロインを溶かすのに適した溶剤が存在しない点にあった。試行錯誤の中で使えそうな溶剤を見つけたものの、人に対する毒性が強いという欠点があった。これでは工場の作業者を危険にさらしてしまう。

 ここでも関山氏の「常識を恐れない力」が発揮された。一般にたんぱく質の 溶解には使わないが、別の用途で使 われている溶剤を試してみたところ、 フィブロインがうまく溶けたという。

 この溶剤の発見で、開発は一気に軌道に乗った。

  こうして完成した人エクモの糸は「QMONOS(クモノス)」と名付けられた。現在、研究は生産方法の確立からさらに一歩進み、(遺伝子の配列によって強度や伸縮性を自在に調節できることが分かってきた」関山氏)。つまり、自動車部品や家具のメーカーが望む通りの強度と伸縮性を持つ素材を作れるようになる可能性が出てきたわけだ。

 大量生産に向けた体制も整いつつある。自動車部品メーカーの小島プレス工業と共同で設置を進めていたパイロットラインが2015年5月末、稼働し始める。生産能力は同年5月時点で年1トン。これが計画では年20トンに達する見込みだ。生産能力を増やせればそれだけ、人エクモの糸の採用に興味を持つメーカーに提供するサンプル素材の種類や量も増やせる。用途開発のスピードが上がることが見込まれ、製品への活用にまた一歩近づく。

 関山氏が人エクモの糸を研究開発のテーマに選んだのは、高校1年生のときに抱いた「世の中の大きな課題を解決したい」という思いが強く影響しているという。当時は圭だ人エクモの糸の構想はなかったが、「エネノレギー問題、環境問題、食糧問題のいずれかを解決できれば、世の中がよくなると考えていた」(同氏)。

 今後、QMONOSの大量生産が実現すれば、石油依存という日本の状況は一変するかもしれない。「エネルギーの奪い合いによって世界で勃発している戦争も減らせればうれしい」と、関山氏は真剣な表情で語った。(松浦龍夫)
人工クモ糸による新素材は極めて高い強度があり、ナイロンより高い伸縮性を持つという。低コスト化を進め、自動車用部品、人工血管などの幅広い利用が見込まれている。私の記憶では、私がが子供時代であった昭和40年代半ば頃NHKの子供向けサイエンス番組「四つの眼」で蜘蛛の糸が取り上げられ、「芥川龍之介の蜘蛛の糸の話も実は科学的な根拠があったんだなぁ」と子供心に強烈な印象を残した。クモの糸はどんな繊維よりも遥かに優れた繊維であると強烈な印象を残した。

それが半世紀近く経ってようやく実用化する。

クモの糸の成功はミドリムシ(ユーグレナ)の成功に似ている。

研究者であり企業家、経営者でもあり、有能な営業マンである一人のサイエンティストが人類の文明を根本的変えるかもしれない。ユーグレナの出雲充社長Spiber
(スパイバー)の代表執行役 関山和秀氏は似ている。

もしかしたら30年後スティーブ・ジョブやビル・ゲイツ、マーク・ザッカ―バーグのように語られるかもしれません。





執筆中

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文科系のための自然科学書  

 昭和に自己形成期を過ごした文科系の諸氏には、おそらく似たような経験がおありではなかろうか。

 学校図書館の薄暗い片隅で手にした一冊の岩波文庫。ファラデー著『ロウソクの科学』。その薄さと平易な語り口に惹かれておずおずと読み始める。分かる。そしてたちまち〈科学〉という世界に魅了される。

 ところが現実は甘くない。まずは微分・積分あたりで引っ掛かり、物理では摩擦力の計算に頭を痛めて、やがて〈科学〉は高い壁に隔てられて永遠にその扉を閉ざす……。

 『ロウソクの科学』は1825年からファラデーが英国王立研究所で始めたクリスマス・レクチャー(子供たちのための科学講座)のうちの一つを収めたものだが、これがイギリスという国の凄いところで、その習慣は実に現代にまで引き継がれていて、1991年のクリスマス、ドーキンスが行なった同レクチャーをまとめたのが本書である。

『進化とは何か――ドーキンス博士の特別講義』(リチャード・ドーキンス 著 吉成真由美 訳 早川書房)
 進化とは何か。そのものずばり。すなわち彼がこれまでに世に問うてきたすべてを5回に分けて子供向けに説いているのだから、これが面白くないわけがない。
『ロウソクの科学』のように、いやそれ以上に、ぐんぐん読み進められる。
 そしてそのうちにふと気付く。

 難しいことを噛み砕いて発せられるドーキンスの言葉の何と豊かなことか。巧みな比喩、明晰であるがゆえに深部にまで届く射程距離。

 編・訳者の吉成真由美さんが後書の冒頭にシェイクスピアの『マクベス』の有名な一節「明日、また明日、そしてまた明日が……」を引いているのがよく分かる。この本にはシェイクスピアにも通ずる深い洞察が、平明な表現で随所に凝縮されているのだ。

 そのうちのひとつに「私たちはスポットライトの中で生きている」というのがある。

 宇宙はその誕生から約140億年経っている。つまり1億4000万世紀。気の遠くなる年月だ。

 そして今から6000万世紀経つと太陽は赤色巨星(レッド・ジャイアント)になって地球を飲み込んでしまう。

 
「『現世紀』というのは膨大な時間の流れの中の一スポットライトに過ぎない。その一瞬のスポットライトの前はすべてが死滅した暗闇であり、そのスポットライトの後はすべてが未知の暗闇です。私たちはこのスポットライトの中で生きている」

 それがいかに貴重で幸運なことであるか。進化とは「長い時間の中の幸運の積み重ね」だとドーキンスは言う。「複雑な完成されたように見える存在が、たった一つのステップによって作り出されたのではないことを示す唯一の考え方」だと。

 「シンプルでありながら絶大に効果的な『幸運を積み重ねる』というやり方を、地質学的な長大な時間軸上に引き伸ばすことによって、非常に確率の低いことも可能にしているのです」

 こういう表現は、文科系の頭をよく撹拌し、刺激する。ではその奇跡とも言えるスポットライトの中で、確率の低い幸運をすべての人間と分かち合うにはどうしたらいいか……それを考えるのがモダニズムの本質だったのではないだろうか。

 そしてその意味で、モダニズムはまだ終わってはいない。

 以前「仮面を剥がれたポストモダニズム」というドーキンスのエッセイを読んだことがある(『悪魔に仕える牧師──なぜ科学は「神」を必要としないのか』<早川書房>所収)。

 そこで彼は複雑過ぎて解読不能なポストモダン的言説を、まっとうな思想の欠如を覆い隠しているだけだと両断し、そこに撒き散らされた科学用語がいかにまやかしに満ちているかを激しい怒りをもって指摘する。

 いまやポストモダニズムの流行りが去って世界的な右傾化が始まり、言葉は、いや、人間はどこに向かおうとしているのか。

 本書の元になったレクチャーの原題は“Growing up in the universe" すなわち「宇宙で成長すること」である。

 ドーキンスはその成長を三つ挙げている。

 一つは人間や他の生物が1個の細胞から何兆個にもなって巨大な組織に成長する「個体発生」。

 二つめは惑星上のすべての種や生命体が進化という過程を経て成長していく「系統発生」。

 そして三つめの成長は「宇宙に対する大人の認識を持つ」こと。これはダーウィンに向けた少々愉快な評価「(彼は)飛び抜けて優れた少年ではなかったとしても、飛び抜けて優れた大人だった」にも通ずるのだが、すこぶる意味深い言葉である。

 私たちは果たして、宇宙に対して大人の認識が持てるのか。

 先に挙げた膨大な時間の流れを、ドーキンスは直截的にこう譬える。

 「子供たちに両腕を広げさせて、まず右手の指の先を地球の始まりとし、左手の指先を現在とします。そうすると、右手首から始まってだいたい左手の手首くらいまでは、いろいろなバクテリアが生息している時代、そして恐竜は大体左手の手の平あたりで登場し、人間は左手の爪先くらいになります。そして、人類の文明すなわち本を書いたりというようなことは、爪先をやすりでひとこすりして、爪から落ちた粉の分しかない!」

 その「爪から落ちた粉」の一粒でもあり得ない私たちが、地球に未来永劫禍根を残す原発なぞを稼働して、ただでさえ確率の低い幸運を減じてはいけない。それは「大人」のやることではない。

 ましてや「地球を俯瞰する」ならまだしも「地球儀を俯瞰する」外交と銘打って、人間を破壊する方向へ国の舵を切ってみたりしてはいけない。

 そういう幼児の所作を前にしたとき、文科系の頭脳には次のような本レクチャーの結語が切実に響く。

 「おそらくこの宇宙で唯一私たちだけが、やっと大人になっていくことができるのでしょう」

リチャード・ドーキンス The Selfish Gene』(利己的な遺伝子・『River Out of Eden. 』(遺伝子の川など私のような典型的文系の人間でもたいへんわかり易い遺伝子生物科学の名著を著している。

ロンドンの王立研究所で1825年ファラデーが始めた10代を対象としたクリスマスレクチャーにドーキンス博士は講師として呼ばれ演題「Growing Up in the Universe」という講演が行われた。本書はその5回にわたる1991年の特別講演を再現したものである。

利己的な遺伝子とは我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだという考え方。自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子である。自分たちを構成する要素の一つでしかない遺伝子によって、人間は、ひいてはすべての生物は、生きることを、繁殖することを強いられている…とダーウィン説を補強しているが、実はダーウィン説と主客逆転理論ではないか・・・・。
 ダーウィン説では、個体が遺伝子よりも優先する。個体は、自己に似た個体を子として生むことを目的とし、そのために遺伝子を利用する。
 ドーキンス説では、遺伝子が個体よりも優先する。遺伝子は、自己に似た遺伝子を増やすことを目的とし、そのために個体を利用する。
遺伝子は、自分が生き延びて自己複製するためにDNAプログラムを組む。生物個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする手段にすぎないという、コペルニクス的な価値観の転換を論じている。

我々は遺伝子に操作されているロボットにすぎず、生物個体は無価値だと主張しているのではない。「利己的な遺伝子」は挑発的なタイトルとは裏腹に、いかにして私たちが利的な行動を取るのか論じた本でもある。古典的な経済学や市場原理主義に浸った人からは「非合理的」と呼ばれる行動が、どれほど合理的なものかを明らかにしている。

利他的行為と多くの個性によって構成するダイバーシティ(多様性:多くの個性によって構成すること。形式や種類が多くあるさま。)は、ドーキンスが生んだミーム」という発想になる。その種の遺伝子全体を鑑みれば「この社会の思想や信条は多様であるほどいい」という結論を導くことができる。

だが、私を含め「利己的な遺伝子」は、あまりにも生物個体は遺伝子に操作されているロボットにすないという考え方が新鮮で強烈すぎて、そもそも進化論の補強の為に書かれた「利己的な遺伝子」という言葉が独り歩きしてしまい、その理論をきちんと理解しない、私製利己的な遺伝子論が巷(ちまた)で増殖してしまった。

私も、大学生の時、利己的な遺伝子のさわりを、栗本慎一郎の講演会や明治大学の他学部聴講(授業)などで知り、自分の人生観、いや恋愛観が変わった。遺伝子論から考えると、異性との付き合い方がなんとなく理解でき、様々な疑問が氷解した。なぜ、彼女はなぜ私を必要としなかったのか?その原因は?私には美人に見え、友人には美人に見えないのか?遺伝子が人間を無意識にプログラミングしていることを自分なりに解釈した。人間関係が円滑になり、失恋したときなどは、だいぶ楽になった。竹内久美子氏の1988年浮気人類進化論 きびしい社会といいかげんな社会 1991年そんなバカな!-遺伝子と神についてが出版されると、巷には、竹内流「利己的な遺伝子論」が溢れる結果となってしまった。私も、自己流と竹内久美子流「利己的遺伝子」解釈の洗礼を受けてから、本丸であるドーキンス博士の「利己的な遺伝子」を読んだので、未だに自己流「利己的遺伝子」解釈から脱していないような気がします。

ロンドンの王立研究所のクリスマス講演(本書)は、利己的な遺伝子を生物進化論を核に、自然科学そのものの意味と価値を説いている。おそらく、ドーキンズ博士も巷にあふれる私のような勝手解釈を糺すために講演を引き受けたのではないかという気がしました。 

レクチャーの本題は「宇宙で成長する」。この「成長する」には三つの意味があるという。一つめはあなたや私の成長である「個体発生」。二つめは惑星上のすべての種や生命体が進化の過程を経てゆく「系統発生」。三つめは「宇宙に対する大人の認識を持つということ」。
進化というプロセスを宇宙の始原から説明することによって、目も翼も擬態も脳も、素晴らしいデザインであるが、奇跡など持ち出さなくても説明できるというのが本書だ。
目 次

まえがき 13

第1章宇宙で目を覚ます 21

生命は宇宙の中で「進化」というゆっくりした過程を経て育つ/「エリート(少数精鋭)」 だけが祖先になれる/私たちはスポットライトの中で生きている/ここに生きているのは驚くほどラツキ―なことだ/科学が「日常性」という麻酔を覚ましてくれる/小さな世界に見る進化の驚き/体の中に見る進化の驚き/進化の時間スケール/すべての生命体は一つの祖先から由来している/超自然という認識から抜け出して、科学的な理解力を善う/神秘体験にはまったく何の意味もない

第2章デザインされた物と「デザイノイド」(デザインされたように見える)物体53

自然が作ったシンプルな物と、人がデザインした物/自然に作られた「デザイノイド」物体は、非常に複雑だ/すばらしき「デザイノイド」物体一植物瓶から動物のカモフラージュまで/収斂進化一同じような目的をもった物体は似てくる/自然選択によって、「デザイノイド」物体はデザインされたような形になる/人為選択:キヤベツ、犬、ハト/人為選択のコンピュータモデル/自然選択/自然選択のコンピュータモデル/「デザイノイド」物体は、自然選択によって進化していく/「創造説」を斬る/ダーウィン進化論の最も重要な部分:自然選択の非偶然性(non-ranndom process)/「デザイノイド」物体は、ゆっくりとした進化によって作られる

第3章「不可能な山」に登る 91

進化の途中過程/半分だけ錠にはまる鍵でも、進化上は役に立つ/ランダムにタイプする猿に、シェークスピアの一文が書けるか/進化の時間の中でゆっくりと登る「不可能な山」/遺伝を伴う再生産では、情報がDNAを通して伝わる/単純な眼でも、ないよりは便利/眼の進化は、急速に、何度も起こった/単純な翼は、翼がないより便利/カモフラージュ:環境による選択/ミイデラゴミムシの場合/進化は、長い時間の中の幸運の積み重ね

第4章紫外線の庭 131

人間中心の視点を捨てる/花はハチを利用し、ハチは花を利用する/共生関係と反共生関係/コンピュータウイルスやDNAの自己複製機能/われわれはDNAによって作られた機械であり、その目的はDNAの複製にある/生命の起源/ゾウは巨大な自己複製ロボットだ/指数関数的な成長/生命は基本的にナノテクノロジーの世界だ/社会性昆虫コロニーも、全体が一つになって自己複製する/生物は、DNA言語で書かれた自己複製プログラムを広めるために存在する

第5章「目的」の創造 165

ジガバチの空間認識/われわれはいつもヴァーチャルーリアリティーを見ている/イリューションからわかる脳の仕組み/脳は世界の仮想モデルを構築する/人間の脳の進化/自促型プロセス:持てば持つほどもっと手に入る/人間の脳の巨大化は「自促型共進化」/想像する力:世界をシミュレートする能力/言語とテクノロジーの力/想像力の問題点/言語とテクノロジーの問題点/科学は、われわれが目覚めたこの宇宙について理解することを可能にする

第6章真実を大事にする   吉成真由美インタビュー 197
   
『利己的な遺伝子』から『神は妄想である』まで 197
生物は遺伝子を存続させるための乗り物だ/進化はゆっくりと継続的な過程だ/科学的な真実は美しい/利己的遺伝子は協調的な個体をつくる/『神は妄想である』

進化 210
進化上の長い時間の概念ノダーウィンとウォレス/性選択(sexual selection )/グールドの理論の問題点/男と女/バラの香りのする女性/地球上の生物はすべて親類である/遺伝的決定論

真実を求める 224
アフリカでの少年期/両親/英国の全寮制学校/なぜ人は見かけに左右されるのか/脳と知性/パラダイムシフト/宗教と科学/真実を求める心/現実の世界は美しい

編・訳者あとがき 241

第1章宇宙で目を覚ます
宇宙には無数の地球に似た星が存在するかもしれないが、ほとんどは生物が生存するには適さず無の空間である。そして、人間がこの世に生まれ「色彩に満ち生命にあふれかえっている素晴らしい惑星で目を覚ます」ということは驚くほどラッキーなことである。そう考えると、自分はとてつもなく幸福であると自覚できる。そして自分に降りかかっている悩みなど、些細なことに思えてくる。

p42-44「すべての生命体は一つの祖先から由来しているについては1996年火星の隕石から微生物の痕跡らしきものが発見されたことから、今では正しいかどうかはわからない。

p48-52神秘体験にはまったく何の意味もない」についても合意できない。私の転勤を十数年その直前に4回も言い当てる霊能師のことはどう説明したらいいのだろう?神秘体験や超常現象については量子論的に解釈すれば説明できる可能性があると私は思っています。博士はコイントスを8回連続して当てることは統計的に説明でき超能力ではないと説明している。・・・これはとても納得できる説明になっていないのが不満だ。ただ、私が見たと信じている幽霊については私の脳が作り上げた幻想にすぎないかもしれない。

第2章「デザインされた物と『デザイノイド』(デザインされたように見える)物体」
デザイノイドは、単に物理学的法則に則ってデザインされているように見えるものから、生物の進化のように、長い時間をかけ失敗から『自然選択』によって直接選択されてきた積み重ねた結果であり、人間がデザインすることができない非常に複雑なものまである。だが、人間が意識的に先を読んだ結果、効率よい素晴らしいデザインをする、しかし、鳥や昆虫が巣を効率的に作るのは先を読んでのことではなく、むしろ過去の失敗から「自然選択」によって直接選択されてきた結果にすぎないからです。(P88)
P90
いずれにしても、すべての創造された物、すべてのデザインされた物、あらゆる機械、家、絵画、コンピュータ、飛行機など、われわれがデザインして作ったもの、あるいはほかの生物が作ったものは、「デザイノイド」物体である「脳」というものが生物に出現して初めて可能になり、「デザイノイド」物体は、漸進的な進化という過程を経て初めて実現したのです。
深い・・・

第3章「不可能な山」に登る

P99進化の時間の中でゆっくりと登る「不可能な山」
イメージ 2
(図3‐11)
イメージ 3
(図3‐12)
ではここで、この、漸進的に難問を解決するというやり方を、実際の模型にして見てみましょう。

 これは山です。コぷに可能な山」と呼んでいます(図3‐11)。この頂上に座っているということは、とてもよくデザインされたものと同じような状態にあることを意味する。たとえば非常によく機能する眼のように。また、この山の麓にいるということは、まだよくデザインされていない、環境にうまく適応していない、遠い祖先のような状態にあることを意味しています。

 山のこちら側は絶壁です(図3‐12)。「運だのみの崖」と呼ばれる、切り立った崖になっている。崖の下からこの山の頂上へ跳ね上がることは、ハリケーンによってボーイング七四七機を組み立てようとすること、あるいはたった一度の突然変異で完全な眼ができてしまうということに匹敵します。崖の下から頂上に一足飛びできないのと同じく、不可能なことです。しかしこれだけが「不可能な山」を登る方法ではない。
反対側にまわってみましょう。反対側には、わずかずつ上昇するゆっくりとした傾斜道加あって、時折やや急な上り坂があるものの、地道にこの道をたどっていけば、
途中飛び跳ねる必要もなく、麓から頂上まで登っていくことができる。こちらはゆっくりと一歩一歩進んでいく道です。
「傾斜進化(ramp evolution)」と呼ばれるこのゆっくり登るルートを知らずに、とてもよくデザインされた生き物が頂上にいる崖だけを見たら、それは奇跡の結果に違いないと、おそらく誤解してしまうでしょう。しかし実際には「不可能な山」を登る方法はただ一つ、傾斜進化のゆっくりとした道のりを一歩一歩踏みしめていくよりほかにはないのです。長い時間小さな一つ一つの歩みを重ねていくことで、実に高いところまで登ることが可能になります。

 ここまではまだ比喩の話ですが、実際に生物はどのようにして「不可能な山」を登っていくのでしょう。

 もちろんこの場合、個体かかるわけではない。系統、動物群、種、が登るのであり、しかも進化の永い時間軸の中に登るのです。彼らとその子孫、そのまたその子孫とその子孫というふうに、途方もない数の世代を通じてかっていく。そしてわれわれには、途万もない数の世代を投入する時間、つまり地質学的な永い時間をかけることが十分に可能なのです。

P101-103遺伝を伴う再生産では、情報がDNAを通して伝わる
 この世代から世代への積み重ねというものは、遺伝を伴う再生産が行なわれ、情報が次世代へと確実に伝わっていく場合のみ可能となる。遺伝しない単なる再生産ではダメだということを説明しましょう。

 遺伝のない再生産といえば、火などがその例です。乾いた草が生えている乾燥したサバンナを想像してみましょう。その一部に突然火の千加あがったとする。火の粉が風に飛ばされて転移し、そこでまた新たな火がっく。二つの火は燃え上がり、また火の粉が飛んで、新たにまた火の千加に」がる。これは先ほど飛び火した分の娘火なのかもしれない。これらの火は次々と飛び火して広がっていく。

 どのような火になるかは親火から受け継ぐのではなく、川囲の環境条件によって決まってきます。風の向き、たまとま発大した場所、上の成分、草本の湿度などによって、火の状態が決まってくる。親火から出た火の粉の性質によって次の火の性質が決まるわけではない。火の粉の中には何の情報も入っていません。

 まさにこの点で、ウサギや人間やナナフシは、火と胤ハなります。ウサギや人問には父親と母親がいる点が違う、というわけではない。ナナフシには火と同しように母親しかいない。でも重要な点でナナフシは火とはまったく異なります。火と違ってナナフシには、本当の意味での遺伝があるのです。環境からの影響のほかに、少なくとも色、形、眼などの形質を母親から受け継ぐ。母親から娘へと伝わる情報というものがあるのです。
 では火の粉にはなく、卵には入っているこの謎の情報とは一体何なのか。それはDNA(デオキシリボ核酸)です。驚くべき分子で、その塩基配列の申に、ナナフシやウサギを作り出すほとんどすべての情報が入っています。DNAは世代を下って流れる川のようなもの。DNAの川は私たちを通って、同じ姿のまま未来に向かって流れていく。
 唯一の例外は、時折、本当にたまに、突然変異と呼ばれるランダムな変化が起こることです。この変異のせいで、群れの中に遺伝的変化が生まれ、バリエーションができるゝことで、「自然選択」の余地が出てくる。よい眼や強い足や、その他生存に有利になるような変化を体にもたらし、より優れた相先を作るようなDNAが生き残っていく。したがって、世界は自動的によいDNA、すなわちより生存に適した体を作るDNAで満ちてくることになります。

 これが、なぜ生物がすばらしくうまくこの世界に適応しているか、ということに対するダーウィンの説明です。すなわち祖先からの叡智の積み重ねによるからすばらしいのだと。叡智と言っても、祖先が学習したものではなく、祖先がたまたま幸運にも出会ったもので、ランダムに起こった幸運な突然変異の中小ら選択さ札たのです。
それぞれの世代が受ける幸運はささやかなものだけれど、果てしなく何世代も通して積み重ねられることで、感心するほど素晴らしい結果を生んでいます。
p108-109単純な眼でも、ないよりは便利
ピンホールカメラは、物を見るのにそれほど優れていない。ハッキリした像を映しますが、なにしろ開いている穴が小さいので、ほとんど光加入らないからです。これを解決するには、あの素晴らしい道具、「レンズ」を必要とします。

 オウムガイの眼け、レンズを待った親類のイカやタコの眼に比べて、かなり貧弱になっている。ではなぜオウムガイの眼にはレンズがないのか、なぜレンズを持つように進化しなかったのか。

 たぶんオウムガイは「不可能な山」の途中の小さな峰に上がってしまって、それより先に進めなくなったのでしょう。この山には大きな峰がありますが、その途中にも実にたくさんの小さな峰がある。進化のルールはひたすら登りつづけることですから、オウムガイの祖先が、ある小さな峰の道を登り始めるころは、この峰もその峰も同じように良きそうな道に見えたのでしょう。両方とも上り坂だし。進化には、ある道を行ったら将来レンズが手に入るなどという先見の明はありません。ある程度明るいピンホールカメラ型の眼は、十分にその役割をはたしていますから、その頃は小峰の道がよさそうに見えたのです。

ですからオウムガイは小さな峰の頂上に上り詰めて、そこから抜けだせなくなったのでしょう。抜け出すには峰を下る必要かあるのですが、「不可能な山」は、登ることはできても下ることはできない。
P109-110進化は、長い時間の中の幸運の積み重ね
 複雑な器官を一挙に作り上げるというのは、奇跡に等しい。銀行の金庫のダイヤル錠を、たった一度の操作で開けてしまうのと同しで、不可能です。

 いずれにしてもこの章では、ボーインダ七四七機の話のバリエーションをいろいろ示しました。眼や翼のように複雑で効果的に働くものを、たった一つのステップで作り上げることはできないということです。生命あるいはその一部、器官、動物、複雑さ、完璧さが、何もないところからたった1ステップでできたというような説は、いかなるものも間違いであるはずです。

 進化というのは、ボーイング七四七機の議論に脅かされずにすむ唯一の考え方です。なぜなら、複雑な完成されたように9 える存在が、たった一つのステップによって作り出されたのではないことを示す唯一の考え方が「進化」だからです。奇跡的な「創遺説」こそ、ボーイング七四七機の論議によって吹き飛ばされてしまったのです。なぜなら、奇跡的な「創遣説」というのは、金床のダイヤル錠を一発で開けたり、ごみ処理場で風のひと吹きによって七四七機が組みあがる、ということに等しいのですから。
 「進化」は奇跡というシミが付かずにすんでいます。シンプルでありながら絶大に効果的な「幸運を積み重ねる」というやり方を、地質学的な長大な時間軸上に引き仲ばすことによって、非常に確率の低いことも可能にしているのです。

第4章 紫外線の庭

人間には見えないがハチには紫外線が見える。従って世界を理解するためには人間中心の視点を捨てる必要がある。
p142-144
われわれはDNAによって作られた機械であり、その目的はDNAの複製にある
ウイルスから見れば、私たちは彼らの利益のために、この世に生み出されたということになる。でもこれでは、私たちがそもそもどのようにして存在するにいたったかを説明していない。ですから今一度視点を変えて、コンピュータウイルスのほうを見てみましょう。

 コンピュータウイルスを作るのは実に簡単で、どんな子供でもできます。しかし、もしウイルスの指令を実行する既成のコンピューターがなくて、一からスタートしなければならないとしたらどうか。これは大仕事です。ただ、「私をコピーしろ」と指令を出りたけでは何も起こらない。既成のコンピュータやコピー機がない状況で本当に自己複製しようとするなら、まず「私をコピーする機械を作れ」と言うところから始めなければならない。

 またそれ以前に、「私をコピーする機械を作る部品を作れ」と言わなければならないし、その前に、 「部品を作る材料を作れ」と言わなければならないし、といった具合にどんどんさかのぼっていくことになる。

 この精巧なプログラムを「完全自己複製プログラム」と呼ぶことにしよう。この「完全自に複製プログラム」は、普通のコンピュータよりもっと制御能力が高く、自分白身と同じ機械を複製するために、ものを掴んで組み立てる産業ロボットの手のようなものまで備えている必要があります。

 しかし、それでもまだ十分ではない。ロボットは、自分の手の届く範囲の物しか掴めませんから。
 「完全自己複製プログラム」を動かすには、世界中を回って必要な材料を集めるための足も必要になります。
 ロボットは実際大変役に立つ。放射能を浴びても平気ですから、放射能を帯びた場所や、原子力発電所内部の入間が行けないような場所に行って修理の仕事などをする。
 今想像しているロボットには、主プログラムを制御するコンピュータが備わっていて、その主プログラムは、「プログラムをコピーするだけでなく、コピーに必要な装置もコピーしろ」と、自己複製を目的とした指示を出す。そして産業用の腕と目を備大穴このロボットは、世界中を歩きまわって自分の役目を果たすわけです。

こういう自己複製型ロボットはまだできていません。現代コンピュータの父、ジョンーフォン・ノイマンによって、こういうロボットの理論的な可能性が議論されたことはありますが、まだ実現されるに至っていない。

 しかし、ちょっと待ってください。私としたことが何を言っているのでしょう。それならゾウやカバや私たち人間は一体何なのか。
 ナナフシを、今まで考えてきたようなロボットだと考えてみてください。コンピュータを搭載し、 「世界中を歩きまわれ」 「原材料をピックアップしろ」 「原材料となる植物を食べろ」そして「植物原料をもとにして、ちょうど同じ型の新しいロボットたちを作れ」といった指令を実行しているではないですか。それが終わると今度はまた新しいロボットが、そこら中を歩きまわって、食料を摂取し、ちょうど同じ型の新しいナナフシからを作る。そして毎回繰り返されるこの作業の目的は、この指令プログラムを継承していくことにあります。

 カメレオンも人間もゾウも同じ。これが人間やゾウの本質です。ゾウはDNA言語で書かれたコンピュータープログラムから大きく派生したものなのです。ゾウは自分の自己複製プログラムを備えたロボットで、おそろしく巨大なロボットです。

 私たちのDNAは自分の自「に複製機を作る。私たちは、DNAがひたすら同じDNAのコピーを作るために組み立てられた機械なのです。
ドーキンスは「われわれはDNAによってつくられた機械であり、その目的はDNAの複製にある」と主張する。

第5章『目的』の創造
ジガバチから人間まで脳を持った動物は、すべて脳内にヴァーチャル・リアリティーを構築しながら生きているのだ。

私(Ddog)は機械と違い喜怒哀楽を持っている。それがたとえバーチャルのものであっても、それがなんなのだ!大宇宙の中で自己を自己と認識することが如何に奇跡なのかは第一章でドーキンス自身で述べているではないか?ちょっと反発したくなった。

p194-196
科学は、われわれが目覚めたこの宇宙について理解することを可能にする
 いろいろ理由があると思いますが、今ここで指摘したいのは、テクノロジーによる撹乱のせいではないかということです。自分たちが作ったものや、エンジニアが作ったもの、望遠鏡や顕微鏡や普段使う大工道具など、すべては、必ず目的を持って作られていると私たちは認識しているし、子供たちもそう思いながら育ってきている。しかし目的というのは脳が生み出したものであり、脳は進化によってできたものです。

 目的そのものも、ほかのあらゆるものと同じように進化してきた。この惑星行三〇億年もかけて生命は、「デザイノイド」として成長してきました。一見デザインされたように見えるけれど、まったく (目的を持つという)デザインのコンセプトを持たずに。
そしてついに、唯一私たちの種だけが、意図的に物をデザインすることができるようになり、目的というものを持つことができるようになった。

 目的そのものは、ごく最近この宇宙で生まれ育ったものです。しかし目的そのものも、いったん人間の脳内に誕生すると、今度はそれ自体が、「自説型」スパイラル進化をする、新たなソフトウェアとなる可能性が高いのです。とくに人間の集団が同じ目的のために働くとき、そうなる可能性が高くなる。
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図5-26
 これはNASAの月面着陸機が、月の方面にまさに着陸しようとしている写真です(図5-26)。人間の集団が共通の目的を持つと、いかに素晴らしいことが達成できるかの例です。アメリカ大統領によって月面着陸という集団目的が発表されるや、わずか一〇年足らずでそれが達成された。

 同じように、ヒトゲノム情報の解読も達成されました。科学というもの、すなわち私たちが住んでい宇宙の解明と言うものも、ほとんど尽きることもない可能性を持った集団目的の一つです。

私たちは目分の頭の中に宇宙のモデルを構築することができる。何でも理解すると、そのモデルを脳内に作り上げます。脳内の宇宙モデルは、コンピュータ内の仮想現実(ヴァーチャル・リアリティー)モデルに似ている。

 ヴァーチャルーリアリティーというのは、コンピュータ内の小さな世界ですが、私たちが作る宇宙モデルは、小さな身辺モデルではなく、気宇壮大なものです。その構築は、たくさんの脳の共同杵築であり、作られたモデルは、参加している脳のネットワーク上に分布しています。部分的には本の中々、図書館や図版、そしてコンピュータのデータベース上などに存在している。

 時間が経って、文明が成長していくと、私たちが共有している宇宙モデルも改善されていきます。次第に洗練され、より正確に現実を反映したものになっていく。同時に、私たちの成長に伴って、共有しているモデルも迷信から解放されていき、狭量さや偏狭さから脱していきます。有象無象の幽霊や妖精、霊といったものを脱ぎ捨てて、現実の世界からの情報を常に更新し正確に反映した、より現実的なモデルになっていく。部分同士が相互に補完しあい、私たちやその住む世界がどうなるか、将来に向かって正確な予測を立てることのできる、強力なモデルに。

おそらくこの宇宙で唯一私たちだけが、やっと大人になっていくことができるのでしょう。



執筆中
















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私は水戸の出身で、時々両親の様子を見に水戸に帰ります。

水戸は那珂川や涸沼などでうなぎがとれたので、100年前から続くおいしい鰻の名店がいくつかある。

ぬりや、東條、中川楼、鰻亭・・・
特にぬりや泉町店うな重はお気に入りである。気軽に食べられなくなったが、うな重3500円は値段なりの価値がある。

日本で食べられるウナギのほとんどは、冬から春に川で獲ったシラスウナギを養殖池で大きくする「養殖もの」。だが水産庁によると、シラスウナギの年間漁獲量(推定)は昭和38年の230トン余りをピークに減り続けている。平成15年はまだ24.4トンあったが、昨年は5.2トンにまで激減。価格も1キロ当たり16万円から248万円にまで跳ね上がった。牛丼の吉野家で、うな丼は730円「二枚盛」は1080円、数年前は500円台であったような気がする。

今や日本人は世界のウナギの7割を消費しているという。ニホンウナギがIUCN(国際自然保護連合)の「絶滅危惧種」に指定され、困ったことになった。IUCNのレッドリストには法的拘束力はなく、うなぎが禁漁になるなどただちに業界に大きな影響が及ぶものではない。だが、ワシントン条約はこのレッドリストを保護対象の野生動物を決める際に参考としており、今後、ニホンウナギが規制の対象になる可能性がある。

うなぎの美味しさは、外国人になるべく教えない方がいいような気がしてきた。捕獲をとがめられたクジラといい枯渇が危ぶまれるクロマグロといい、食文化の灯が揺れるかもしれない。

すしや鮪のように、世界中にわざわざ宣伝する必用はない。世界中の人が鰻の美味しい食べ方を知るのは時間の問題であろう。世界的なごちそうにやがてなるであろう、世界中からうなぎがいなくなってしまうかもしれない。

今夏の土用の丑の日は7月29日。今年、久々にシラスウナギの漁獲高が回復しているらしいのだが、養殖ウナギの飼育には約半年の期間が必要で、「土用の丑」にウナギが安く出回るかは微妙な状況だそうだ。

 また、ウナギの生態については今も謎が多く、今回漁獲量が回復した理由も不明という。
 ウナギを安価に安定供給するには、卵から育てる完全養殖が不可欠。国内では試験段階は成功したが、大量養殖の実現に向けては、まだ低い稚魚の生存率に加え、人件費・電気代などの高コスト問題…と、難問がいくつも立ちはだかる。
 農林水産省は26年度予算で、シラスウナギの養殖技術の実証試験に2億5千万円を計上、26年度初めにも試験を委託する企業などの公募を始める。
 シラスウナギの取引規制に対して有効なのは完全養殖だが、その量産化はまだ道半ば。また、シラスウナギに育てるまでの飼育代など、これまでの天然のシラスウナギから養殖するのと比べてコスト高になるのが課題だ。

「安いうな丼」の時代は、まだ遠い未来のようだ。

 ウナギはとらえどころのない生き物だ。古代から現代に至るまで人類に謎をかけ続けているのかもしれない。

近年、ヨーロッパウナギもアメリカウナギも激減し、ニホンウナギも国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定された。

どうしてウナギたちは減ったのか。理由はいくつも推定されている。地球温暖化とそれに伴う海流の変化、河川環境の劣化などのほかに、乱獲・過食も有力な原因だ。

ウナギの資源回復への近道は彼らを食べないことだろう。南方のマリアナ海嶺まで行って産卵する親ウナギが増えれば黒潮に乗って戻ってくるシラスウナギ(稚魚)も増加する。

今シーズン、シラスウナギの採捕量は上向いたが、福島事故による影響で捕獲を免れ、海に下った親ウナギが多くなった結果ということも可能性として浮かぶ。


もうひとつの資源回復の有力な手立ては養殖だ。

今でも鹿児島県や愛知県などで養殖されているではないかと思うかもしれないが、そのスタートに使われる全長5センチほどのシラスウナギは天然物だ。

資源回復につながる養殖は、卵の人工孵化(ふか)から始めるものでなくては効果が乏しい。

川で生まれ海で育つサケの場合は種苗生産に成功しているが、海で生まれ川で育つウナギの場合はこれが極めて難しい。

人工孵化の研究は1960年ごろから始まり、成功したのは73年。次には餌の壁に阻まれ、解決までに約30年を要する大仕事となった。

孵化したウナギの子は、柳の葉に似た姿の幼生だ。この幼生にアブラツノザメの卵黄を与えることで、シラスウナギにまで育てられるようになったのは2002年のことだった。


そして今年、ウナギ養殖の総本山ともいえる水産総合研究センター増養殖研究所で、シラスウナギの大量生産につながる飼育技術の革新があった。

孵化した柳葉幼生を経てシラスウナギに至るまでの半年以上を大型水槽で飼育できるようになったのだ。

同研究所の南伊豆庁舎(静岡県)の千リットル水槽で飼育にあたる増田賢嗣主任研究員によると、これまでウナギの幼生は、洗面器の形をした10リットルの透明水槽を多数設置することで育てられていた。

不透明な水槽や大型水槽で飼うことには技術の壁があり、不可能とされていたのだが、形状などを工夫することで千リットル水槽が使えるようになったのだ。

10リットル水槽のシステムでは人手を要し、約600匹が飼育可能な量の上限だったが、新装置では省力化もできてもう1桁多く飼える。増田さんは、さらに1桁上げることを目指しているという。百匹単位の生産から万匹単位への増産だ。

気になる大型水槽の形や仕組みだが、「その件は一切お答えできません」と丁寧に、しかし、しっかり断られた。

外国にまねられて不利益をこうむることがないよう、来年6月の特許公開までは、秘中の秘の扱いだ。洋の東西を問わず人気の高いウナギは、高度な食の戦略資源の顔を持つ。


ニホンウナギの産卵場を探す研究も近年、一大成果を挙げたところだが、1930年代からの調査が積み上げられた結果の発見だった。ウナギの産卵生態はアリストテレス以来、2千年を超える謎だった。

産卵生態も種苗生産も、短期成果主義が幅を利かしていたら育たなかった研究だ。

事業化レベルでの種苗の大量生産には、特殊なアブラツノザメの卵黄より、もっと一般的な餌料が必要だが、魚粉を使った餌で育てる研究も着実に進んでいるという

IUCNのレッドリストの次には、ワシントン条約による種苗の国際取引制限が待っている。人工種苗による養殖業の確立を急がないと、ウナギは高根の花になる宿命だ。

養殖物より天然物を礼賛する人が多い。だが、その当否はどうだろう。湖沼などで10年ほども過ごした天然ウナギは生物濃縮で、好ましからざる物質も体内に蓄えているはずだ。

価値観の転換も天然種苗の回復を通じて、ウナギの保護に貢献する。「サンマは目黒に、ウナギは養殖に限る」という新作落語が待ち遠しい。(長辻象平)





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Living on My Own 一人で生きていくことは寂しすぎる。ヒトにはパートナーが必用です。ヒトは男と女が求め求められ生きているのです。そこには遺伝子をばらまきたい浮気性の男と優秀な遺伝子を得て優秀な子を残したい女の葛藤がある。この葛藤は、有史以来試行錯誤を繰り返してきた。それが人の歴史である。


1976年にイギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスが、『The Selfish Gene』(利己的な遺伝子)という名著を書いた。 生物は遺伝子によって利用される「乗り物」に過ぎないと書いたとおり、遺伝子にとってみれば、全遺伝情報を子どもに伝えた方がうれしいわけですから、本来なら、細胞分裂のような単性生殖の方が有利である。 

生殖とは、一つのものを二つに分けるプロセス(減数分裂)と、性という二つのものを一つにまとめるプロセス(交配)から成り立っています。 これは、手間のかかる方法であるというわけです。 加えて、有性生殖による遺伝子組み換えは、良いことばかりではありません。 悪いことも同時に起こるのです。 良い組み換えが起こるか、悪い組み換えが起こるのかはまったくのランダムです。 母親は単性生殖によって得られる利益を放棄してまで、そうする理由は、遺伝子を再編成することによって優秀な遺伝子を子孫に残そうとします。これは神が企んだ仕組みだと思う。

そして、有性生殖を起こさせるために、神は、 セックスは楽しいものだと遺伝子にプログラミングしたようだ。

4.セックスはなぜ楽しいか?

セックスとは本来、非常に高いコストを伴うものなのだ。もちろん、女性を誘うのに食事を奢って、プレゼントを渡し、ホテルを予約して、という話ではない。エネルギーもいるし、時間もかかるし、怪我や死に直面する危険も高い。なのにヒトのオスもメスもセックスに夢中で、繁殖を伴わないセックスを好む。
p112-115
われわれヒトは、排卵が隠蔽され、いつでもセックスができて、遊戯としてこれを行なう。それは動物の世界ではきわめて珍しいことだ。

しかし、それもその上うに進化してきた帰結にすぎない。ウシのような鈍い動物でもメスは自分の排卵を知っているのに、自意識というユニークな特色をもつホモサピエンスの女性が自分の排卵に無意識であるというのは、なんとも矛盾した話だ。ヒトの女性のように賢くて自意識のあるメスから排卵を隠すのは、なにか特別な理由かおるはずだ。その特別ななにかはいずれ解明されるだろうが、科学者はそれが予想以上に難しいことを痛感している。

なぜほかの大部分の動物が意識的に交尾の労力を惜しむかには、単純な理由かおる。
セックスはいろいろな意味で高くつくものなのだ。エネルギーもいるし、時間もかかるし、怪我や死に直面する危険も高い。なぜ愛するものを不必要に愛すべきではないのか、その理由をいくつかあげてみよう。

一 精子の生産はオスの生存にとって充分に大きなコストである。たとえば精子生産を減少させるように突然変異した嬬虫は、普通の嬬虫よりも長生きする。

二 交尾には時間がかかる。その時間があれば餌を探すことができるだろう。

三 合体している雌雄は、捕食者や敵に不意を襲われて殺される危険を抱えている。

四 高齢の個体は、交尾が過度な負担となって死ぬことがある。フランスの皇帝ナポレオン三世は性文中に発作に襲われたし、アメリカの副大統領をつとめたネルソンーロックフェラーは性交中に死亡した。

五 発情期のメスをめぐってオス同士が争った結果、オスばかりかしばしばメスにまで重傷を負わせてしまう。

六 つがい相手以外との交尾の現場を見つかってしまう危険は、多くの動物種に共通で、もちろんヒトも例外ではない(どころかその代表格である)。

このような不利益があるので、ばかの動物だちと同じく能率のよいセックスをするなら、われわれは大きな利益を得るはずだ。われわれの無用とも思えるセックスには、はたしてそれを埋め合わせるだけのどのような利点かおるのだろうか?

科学者たちはここでヒトのもう一つの風変わりな側面に着目する。ヒトの乳幼児はひとりではなにもできないため、何年ものあいだ親の世話を必要とするという特徴だ。

ほとんどの哺乳類の子は、乳離れをするとすぐに自分で食べる物を調達しはじめる。そしてまもなく、完全に自立するようになる。したがって、ほとんどの哺乳類のメスは父親の助けがなくても子を育てられるし、実際にそうしている。父親は交尾の相手としかみなされていないのだ。ところがヒトの場合だと、食物の獲得には複雑なテクノロジーが必要で、よちよち歩きの赤ん坊の器用さや知恵だけではどうにもならない。

その結果として、ヒトの子供は乳離れしてからも、少なくとも10年はだれかに食べ物を運んできてもらわなければならない。そしてその仕事は、片親でやるより両親でやったほうがはるかに楽なのだ。今日でさえ、夫のいない母親がだれの助けもなく子供を育てるのは難しい。ましてやヒトが狩猟採集生活をしていた先史時代には至難のわざだった。

遠い昔の石器時代に、排卵中の女性がいましがた受精したとする。ここで彼女は一つの問題に直面する。ほかの哺乳類の種なら、受精させたオスはすぐに立ち去って、別の排卵中のメスを探して受精させようとするだろう。ところがこの洞窟暮らしの女にとっては、男がいなくなってしまえば生まれてくる子が飢えと子殺しの危険にさらされることになる。女はどうすれば男をとどまらせておけるだろう?

女はすばらしい答を考えだした。排卵のあとでも性的に受け入れ可能な状態にしておくことだ! 男を満足させつづけるために、男が望むときにいつでも性交できるようにしておけばよい!

そうすれば、男は新しい性交相手を探しに行く必要もなく、いつも近くにいて、うまくいけば狩りの獲物の肉を分けてもくれるだろう。つまり遊戯としてのセックスは、ヒトの男女を結びあわせ、協力して無力な子の世話にあたらせるための〈接着剤〉としての機能をもっているのではないか。これはもともと人類学者が支持していた説で、信憑性もかなり高いと思われていた。

しかし、動物の行動についてさらに多くのことがわかってくるにつれ、この「家族のつながりを強めるためのセックス」という説では、多くの疑問が解決されずに残ってしまうことがはっきりしてきた。チンパンジー、とくにボノボは、われわれ人間よりも頻繁に交尾する(毎日数回はする)。にもかかわらず彼らは乱婚で、つがいの絆を維持していない。反対に、多くの哺乳類のオスは、そうした性的賄賂をもらわなくとも妻や子のもとにとどまっている。たとえばテナガザルは、たいてい生涯を通じて一夫一妻をとっているが、何年も交尾をせずに過ごす。以下略
われわれヒトのカップルは、ほかのカップルとともに大きな集団のなかで暮らし、お互いに経済的に協力し合わねばならない。父親と母親はお互いに協力して何年間も無力な子供を育てていかなければならないが、往々にしてすぐそばにいる別の繁殖可能な異性が誘いをかけてくるのである。不倫によって、両親が協力して子供を育てるという体制も崩壊してしまう。

なんらかの理由で、われわれは排卵を隠し、いつでも性交ができるように進化してきた。そしてその結果、結婚、共同子育て、姦通の誘感という、ヒト独自の組み合わせが生まれた。一見矛盾するとも思えるこの組み合わせは、どのように結びついているのだろうか?

 このパラドックスがようやく認識されると、科学者たちは次々と対立する諸説を打ち
だしてきた。ただし、それぞれの説は、提唱者の性別を反映している傾向がある。たとえば、男性科学者の提唱する「売春説」というのがある。狩りをしてきた男から肉をもらう代償として、女が性的恩恵を与えるように進化したという説だ。別の男性科学者の説には、「妻の不義による優秀遺伝子獲得説」というのもある。

排卵の隠ぺいについて諸説のうち著者は「マイホームパパ説」「たくさんの父親説」を支持している。
「マイホームパパ説」は、排卵の隠蔽が進化したのは、一夫一妻を促進し、男を家にとどまらせ、そして男に妻の産んだ子供の父親が自分だという確信を強めさせる意義があったからだと主張している。

「たくさんの父親説」のほうは、ヒトの祖先がまだ乱婚とかハーレムで暮らしていた頃、オスは、自分の遺伝子を受け継いでない子どもを女が産むと、子殺しをした。排卵の隠蔽が進化したのは、女にたくさんの性交相手を得させて、その結果多くの男たちに子供の父親が自分かもしれないと思い込ませることによって、子殺しを避ける知恵としての排卵日隠蔽説。

しかし、どちらの相矛盾した説は、どちらもありそうでどちらとも説明がつかない。

しかし、自分の子供を、自分の子供と確信できない父親の子殺しから守る必要が出てきた種は、一夫一妻制に切り替わっていった。
一夫一妻制では、子供が自分の子供であるという確信が強まり、父親の子殺しから子を守ることができる。これが「マイホームパパ説」である。

つまり、どちらの説も正しく、そのとき子孫を残すために有利なほうの理由により、
排卵の隠蔽の機能は変化しながら残っていったわけである。

複雑な過程を経て、現在の人間のシステムに進化してきた。 しかし、人間のように「セックスを楽しむ」という理由はなんだろうか。

排卵の隠蔽の機能を進化させると、今度はそれを利用して、優秀な男を選び、誘惑したり脅したりしながら男を家にとどまらせ、自分の生んだ子にたくさんの保護や世話を与えさせた。

進化の過程において、ある形質が結果的に別の機能を果たすようになるということはけして珍しいことではない。この「機能の進化の利用」こそが「快楽としてのセックス」だといえる。

楽しみのためにセックスするのは次回、排卵周期の受精不可能な時期にとっておいて、ともかく永続する一夫一妻関係がどんなに安心なものかを満喫していただきたい。そんなときに、あなたの至福が、実は逆説的なことに、ひとえにあなたの生理的特徴によってもたらされているのだと考えてみていただきたい。この生理的な特徴があなたの遠い祖先を、ハーレム社会ではやる気を失わせ、乱婚社会では全員の共有する性交相手のところをつぎつぎとまわるように特徴付けたのだ。皮肉なことに、そんな哀れな祖先たちは、排卵の起こっているわずかな期間にしかセックスをしなかった。そして感動もないまま、受精させようという生物学的命令を義務的に果たすしかなかった。なんとしてでもひたすらに迅速に結果を出す必要があったため、あなたのように楽しんでいる暇はなかったのである。

5.男は何の役にたつのか

狩りから稲作へ / レキシ (歌詞あり)

一万年前に農業が起こる以前のすべての人間社会は、狩猟採集社会で、男女の経済的役割はきれいに分化している。男は大型動物の狩猟に時間を費やし、女は植物性食物と小動物の採集、および子どもの世話に多くの時間を費やすのが決まりで、人類学者の伝統的な見方では、家族全体の利益をもたらす健全で協力的な戦略であると考えられてきた。

つまり、肉の供給が男の伝統的な役割だったというわけ。しかし、狩猟の目的が家族に肉を持ち帰ることであるならば、男たちは確実に最大量の肉が手にはいる狩猟戦略を追求するはずだし、獲物は妻子に持ち帰るはずだがが、狩猟生活から定住まもないニューギニアやスマトラのアチェでの狩猟の実態について研究報告では、驚くべき結果が出た。

狩猟というのは、毎日獲物が捕れるわけではないから、手ぶらで帰る日も当然あるわけだが、ユタ大学のクリステーンホークス教授が一日あたりのカロリー獲得量になおして計算してみると、小動物や植物採集だけに頼っている女性の一日あたり獲得量を大幅に下回っているのである。
さらに驚くことに、たまに捕れた獲物を、妻子のために持ち帰るのではなく、その場に居合わせた人間たちに分け与えている。
つまり、夫がつかまえた獲物の肉は、妻や子どもの胃袋の中には入っていない。
p162-165
こうして、アチエの大物狙いの狩りには、なにより妻や子供の利益に寄与するという気高い動機があることを証明しようとした私の五つの試みは、ことごとく失敗した。
ここで、クリスティンーホークスが不快な事実を教えてくれた。アチエの男性は狩りによって、胃に入る食べ物以外にも大きな(妻や子供のためにはならない)利益を得ているという事実である。

まず言っておかなければならないが、アチエのあいだでも他の部族と同様、婚外性交は珍しいことではない。数十人のアチエの女性たちに、彼女たちの六六大の子供について、父親である可能性のある男性(受胎時期のセックスパートナー)の名前を尋ねたところ、子供一人あたり二・一人の名前があがった。二八人のアチエの男性のサンプルのなかから、女性たちは恋人として下手な狩人より優秀な狩人の名をあげ、子供の父親の可能性がある男性としても、優秀な狩人の名もあげる人が多かった。

姦通の生物学的な重要性を理解するために、繁殖における男女の利益の根本的な不均衡について第二章で述べたことを思い出してみよう。女性は複数のセックスパートナーをもっても、それが直接、繁殖数を高めるわけではない。いったん一人の男性によって受胎すると、少なくとも九ヵ月間は別の男性とセックスしても妊娠せず、狩猟採集生活では少なくとも数年間は授乳によって月経が停止する。ところが男性は、それまでずっと貞節を守っていたとしても、たった数分間の姦通で自分の子供の数を増やせるのだ。

では、ホークスが「扶養型」と「誇示型」と名付けた二つの狩猟戦略をとる男性の繁殖成功度を比較してみよう。扶養型はヤシデンプンやネズミなど、そこそこ高い成果を確実にもたらす食物を求める。誇示型は大型動物を求め、たまに大当たりがあっても、残りのたいていの日の収穫はゼロなので、平均した食物獲得量は少ない。妻や子供にもち帰る食物の平均値では扶養型が最も高いが、他人に与えるほどの余剰食物を獲得することは決してない。誇示型は妻や子供にもち帰る食料は平均すると少ないが、たまに大量の肉を手に入れると、他人に分け与える。

言うまでもなく、女性が自分の遺伝的利益を測る規準が大人に育て上げることのできる子供の数だとすれば、それはいかに多くの食料を子供たちに与えられるかによって決まるので、したがって彼女は扶養型と結婚したほうがよい。しかし、隣人に誇示型の男性がいるとさらに都合がよいことになる。彼との姦通によるセックスと引き換えに、自分と子供のために余分の肉をもらえるからだ。部族自体もたまの大収穫を分けてくれる誇示型を好む。

男性が自分の遺伝的利益を上昇させられるかどうかについて、誇示型には不利な点も有利な点もある。利点の一つは、姦通によって余分な子供をつくれることである。また、姦通以外の利点もいくつかあり、たとえば部族内での特権を享受できる。

部族の人びとは肉をくれる彼を隣人にしたがり、お礼として娘を彼の妻に差しだすこともある。同じ理由で、誇示型の子供たちは特別扱いされる傾向がある。誇示型の不利な点は、妻や子供にもち帰る食料が平均すると少ないことで、それは、彼の実子が無事に大人まで成長する可能性が低くなることを意味する。

彼が浮気をする一方で、妻も同じことをするかもしれない。すると彼女の子供のなかに占める彼の実子の割合は低くなる。扶養型のように少数の子供の確実な父親であるより、誇示型のように多くの子供の不確実な父親であるほうがよいのだろうか?

その答は次のいくつかの数字によって変わってくる。扶養型の妻が余分に育てられる実子の数がどれくらいか、扶養型の妻の子供のうち父親の違う子供の割合はどれくらいか、そして誇示型の子供が特別扱いを受けることで、生き残るチャンスがどれくらい増えるのか。これらの数値は部族ごとの生態学的条件によって異なるはずだ。ホークスはアチエについて数値を推定し、アチエと条件の似た多くの部族で、扶養型よりも誇示型のほうが自分の遺伝子をより多くの子供に伝えることができるだろうと結論した。

従来言われてきたようなベーコン説ではなく、これこそが大物狙いの狩りの本当の理由なのだろう。すなわち、アチエの男たちは家族のためより自分のために狩りをするのだ。

そういうわけで、男性は狩猟、女性は採集という分業によって核家族を単位とする共同利益が効率的に増加し、それによって労働力は集団の利益のためR適材適所秤配置される、というのは事実に反する。そうではなくて、狩猟採集の生活様式には、古典的な利害の衝突が見られる。第二章で述べたように、男性の遺伝的利益にとって最善のことは、必ずしも女性の遺伝的利益にとって最善となるわけでなく、逆もまた然りである。

配偶者同士は利害を共にすることも、利害が対立することもある。女性は扶養型の男性と結婚するのが望ましいが、男性にとっては扶養型になるのが最も望ましいわけではない。
Bring home the bacon 生活の資を稼ぐ
「男は狩り、女は採集という分業によって家族全体の利益が最大化し、集団全体でみても労働力が適材適所に配置されていた」という伝説は幻想だったわけです・・・
男の狩りは浮気の為の力を誇示する道具に過ぎない・・・深いなぁ・・



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神奈川県厚木市下荻野のアパート一室で斎藤理玖(りく)ちゃん=当時(5)=とみられる男児の白骨遺体が見つかった事件で、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された父親でトラック運転手の斎藤幸裕容疑者(36)=同市愛甲=が、「(妻とは別に)彼女とつき合うようになり、養育よりも彼女の方に(気持ちが)傾くようになった」と供述していることが2日、県警への取材で分かった。

捜査関係者によると、斎藤容疑者は妻が家を出ていった平成17年ごろからこの女性と交際を開始。その後、週1、2回程度しか家に帰らなくなり、理玖ちゃんの世話を怠るようになったという。理玖ちゃんは18年10月ごろから19年1月ごろに死亡したとみられるが、女性は「(アパートに)行ったことはなく、全然知らなかった」と話している。

1日のアパートの家宅捜索では、パンやおにぎりの食べ残し、窓の目張りに用いたとみられる粘着テープなど2トントラック2台分のごみを押収。2日の司法解剖の結果、遺体の推定年齢は4~6歳程度で、性別や死因は不明だった。骨折や刃物による損傷などはみられず、19年ごろに死亡したと推定された。

また、理玖ちゃんが厚木児童相談所に迷子で保護された16年10月、県警厚木署員がアパートを訪問し、理玖ちゃんの家族と面会した記録が残っていたという。

県は2日、厚木市教委や厚木児童相談所の対応を検証するため、第三者委員会を設置した。
2010年夏大阪で発生した幼児遺棄事件と同じまた、一人の親として耐えられない事件がまた起きてしまった。 2幼児遺棄事件に思う【2010.8.11】
立派な殺人事件であり、我が子を絶望と暗闇のなかで、もっとも残酷な殺し方をしたこの男親は極刑に処すべきである。それと、周囲がもう少しなんとか救うことができなかったのか・・・とても残念である。

しかしながら、生物学的にオスが育児に参加することは極限られた種と人間くらいなもので、人間のオスも、基本育児に参加したくはない。他所のメスと次々と種付けをしたがるものである。ほとんどの哺乳動物のオスは、交尾が済んでしまえば子供にも子供の母親にも一切かかわりをもたない。
http://image1.cosp.jp/images/comm/3/3393/7414/31832_1t.gifほかのメスを見つけて交尾することに忙しいからである。また、哺乳類にかぎらず動物全般に言えることだが、オスは子育てをするにしてもメスほど深くはかかわらないのである。
故に厚木の事件は適切な表現ではないが、生物学的には起きえる事件である。ただ斎藤幸裕容疑者は人間ではなくただの獣(けだもの)ということになる。          POPEE the ぱフォーマー

一方で、生物学的親でもない男性が別れた妻の子供と父子関係を認めろと言う裁判を起こしているが、この男性には申し訳ないが、訴えている男親の主張に私は同情できないし、納得できない。男は女との関係修復の手段として子供をダシにしていると思う。一旦壊れた男女の仲はそう易々と元にもどらないことを理解していない。
DNA型鑑定で血縁関係がないことが明らかになった場合に法律上の父子関係を取り消せるかが争われた2訴訟で、上告審の弁論が9日、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)で開かれた。夫側は「自分の子供として愛情をもって養育してきた。父子関係を取り消した下級審には重大な誤りがある」と主張。母側は「すでに生物学上の父と暮らしており、子の利益の視点に立って検討すべきだ」として、上告棄却を求めた。

同小法廷は判決期日を来月17日に指定。2審の結論見直しに必要な弁論が開かれたため、鑑定結果などを根拠に父子関係を取り消した1、2審判決が見直される可能性がある。

弁論が開かれたのは関西と北海道の2訴訟。いずれも母が子の代理人となり、夫との父子関係が存在しないことの確認を求めている。子の出生時、母と夫は婚姻していたが、DNA型鑑定の結果、別の男性との生物学上の父子関係が「99・99%」とされた。

一方、民法772条は「妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定する」(嫡出推定)と定めている。

関西の訴訟で夫側代理人は「生物学上の父と暮らしていることなどは、事後的な事情」と指摘。「これを理由に父子関係を取り消せば、妻が意のままに父子関係を否定できることになり、法律上の父子関係がいつまでも不安定な状態に置かれる」と主張した。

母側代理人は、父子関係を取り消さなければ「子にとって不本意でも、真実の父でない者の子として拘束されることになるなど、子の利益を著しく損なうおそれがある」と訴えた。

関西の訴訟で1審大阪家裁は「鑑定結果は究極の嫡出推定を覆す事実」と指摘。2審大阪高裁も子が生物学上の父を「お父さん」と呼んでいることなどから、嫡出推定が及ばないケースと判断した。北海道の訴訟で1審旭川家裁は鑑定結果から「夫との間に生物学的親子関係は存在しないことは明らか」とし、2審札幌高裁も支持した。
生物学的に言ってオスが育児をすることは極めて限られた種に限られ、人間のオスは極めて稀な種の一つである。オスの育児という生物学的視点で二つの事件を考察すると、二つの事件のが違って見えると思います。。
先日サイエンスマスターシリーズの欠巻であった「セックスはなぜ楽しいか? ジャレド・ダイアモンド/著」を古本市で見つけ購入した。大当たり・・・一気読みでした。皆様にご紹介したいと思います。ちなみに人間のオスは極めて稀な種の一つであるということは本書に書いてあります。
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性交を楽しむ新しい知恵を授けるものでもなければ、生理痛や更年期障害の症状を和らげるヒントを与えるものでもない。人間の「性」の問題を進化生物学の「視点」から解明していこうという本である。
どの動物も、性のあり方がその社会のあり方を決定づけている。ゴリラはハーレムを作り、水鳥の多くは夫婦で子育てをする。ではヒトは―?ヒトは隠れてセックスをし、セックスそのものを楽しむ。ヒトの性は動物と比べればあまりにも奇妙に見える。この奇妙な性のあり方が、人間らしい社会を形作ってきたのではないだろうか。ヒトの性はどのように進化してきたのか、第一人者が挑むセックスの進化論。
http://storage.kanshin.com/free/img_31/313670/k2035560671.jpg著者ジャレド・メイスン・ダイアモンド(Jared Mason Diamond, 1937年9月10日 - )氏は、米国の進化生物学者、生理学者、生物地理学者、ノンフィクション作家。現在、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教授。あの「銃・病原菌・鉄」の著者。「銃・病原菌・鉄」は1998年度のピューリッツァー賞(一般ノンフィクション部門)、1998年コスモス国際賞を受賞した。
近著として、マヤ文明など、文明が消滅した原因を考察し、未来への警鐘を鳴らした「文明崩壊」がある。福島原発事故後の2012年1月の朝日新聞のインタビュー記事で、「温暖化のほうが深刻、原発を手放すな」と、原発肯定の姿勢を取ったことで有名である。
ジャレド教授によると、他の動物と比べて、ヒトの性の営みは相当変わっているらしい。地球上に約4300種いる哺乳動物のうちほとんどは、核家族をつくらず、大人のオスとメスがつがいになって共に子供を育てるという方法を取らない。哺乳類のうち多くは、オスもっメスも少なくとも子育てのあいだは単独で生活する。オスとメスが出会うのは交尾のときだけで、オスは子育てをしない。オスが子供やつかの間の配偶者に与えるのは精子だけである。また、一般的に社会生活をする哺乳動物は、群れのメンバーの見ている前で交尾を行う
動物とちがう、ヒトの性的特徴
 ほとんどのヒトの社会におけるほとんどの男女はヽ長期にわたってペア関係を維持し『結婚』)、社会の他のメンバーはその関係を相互義務をともなった契約とみなす。夫婦は繰り返し性交するが、セックスの相手はおもにヽもしくは必 ずその配偶者である。
 夫婦は性的なパートナーであるばかりでなく、両者のあいだに生まれた子供を共同で育てるパートナーでもある。特筆すべき点は、男性も女性と同様、ごく普通に子供の世話をするということだ。
 男性と女性(たち)は夫婦になる(もしくはときにハーレムをつくる)が、(テナガザルのように)排他的なテリトリーに二人きりで暮らしたり、ほかの夫婦からテリトリーを守ったりはしない。そうではなくて、社会の一員として生活し、ほかの夫婦と経済的に協力し合い、テリトリーを共有し合う。
四 夫婦はふつう二人きりで内密に性交し、ほかの人間がその場にいることをひ どく嫌がる。
五 ヒトの場合、排卵は隠されており、それを宣伝するようなシグナルは現われない。すなわち、性交のパートナーにとっても、また女性自身にとっても、排卵日前後の受胎可能な短い時期を検知するのは困難である。また女性が男性を受け入れる受容期は受胎可能なときだけではなく、月経サイクルのほとんど、あるいは全範囲におよぶ。
そのためヒトのセックスはたいていの場合、妊娠するには不適切な時期に行なわれている。つまり、ヒトは受精のためではなく、もっぱら楽しむために性交するのである。
六 四十~五十代を過ぎた女性はだれもが閉経を迎え、繁殖能力が完全に停止する。一般に、男性ではこうした現象は起こらない。人によってはいろいろな年代で性的能力に関するさまざまな問題を抱えるかもしれないが、男性がある世代に集中して不妊になったり、みながいっせいに能力を失ったりすることはない。
これらの特徴はほとんどヒト独自の性生活のスタイルであり、一部的におなじようなスタイルを示す生物はいるものの、ヒトと同じ生物は他には見当たらない。
例えば、セックス後もペアを維持し、両者間に生まれた子供は共同で育てるということに関しても、カマキリやある種のクモはセックス中にメスがオスを食べることでオスが自分の子孫を残す確率を高めたり(メスにエネルギー負担が大きくかかる生殖を、自分を食べてもらうことで助ける)、多くの哺乳類では生まれた子供が確かに自分の子供だと認識する手立てのないオスは、セックス後すぐにいなくなるか、メスの妊娠がわかった時点でいなくなるということが多かったりと、ヒトの常識では倫理的にありえないということのほうが他の生物では常識だったりする、むしろ、ヒトのセックスのほうがアブノーマルである。
2男と女のいさかい
恋愛問題の永遠のテーマに、「なぜ、男はセックスするとサッと熱が冷めて女を捨てようとし、女はセックスした途端、男に情が移って結婚を迫ろうとするのか」というのがあって、ほとんどの恋愛相談は、結局、ここに問題の根っこがあるんじゃないかと思えるくらいなんだけど、このパターンだった。男性にとっては嬉しいことに、男のヤリ逃げは生物学的に正しいふるまいだということが証明できる。
男女がセックスするのは、子孫を残すためである。男女とも、一個でも多くの遺伝子を残そうとする。
オスは出来るだけ沢山の精子をまき散らそうとするし、メスは出来るだけ優れた遺伝子のみを得ようとする。メスは一定期間子育てに手をとられ餌をとれない為、オスに養ってもらう必然性がある。養う可能性がない男の遺伝子は拒否するのが普通である。
メスがオスを引き留める手段としてヒトのセックスは娯楽として進化していった可能性が高い。性行為を娯楽とすることで、メスを養うインセンティブをオスに与えたわけである。
また、本能のままメスからメスへ渡り歩いて、好きに精子を振りまくオスの行動を黙認していると、社会全体で見た時の利益が最大にならないので群れの掟ができる。進化するとそれは法律とか慣習になる。
文明の進化とともに厳しくなるばかり、最近はDNA鑑定とかが出てきたから、ヤリ逃げできる確率は限りなく低い・・・近年の若者が、草食男子になる理由も納得できる。
パートナーと子どもを見捨てて、新しい子どもをつくりたいという欲望は、メスにも等しくあって、メスも、オスが子育てを全うしてくれるという見極めがついたら、新しいパートナーを探して、家を出てしまう可能性は十分ある。
普通は、そうはならない、なぜか?答えは、わずかしか投資しなかった場合より、多大な投資を行った場合のほうが途中で撤退しにくいからである。
すでに大金を投資した事業からは、撤退しにくい。もう、誰もほしがってないのが明白なのに、決まったことだからと、不要な公共事業を粛々と続ける自治体と同じ理由で、ヒトの社会のセックスは成り立っている。
オスは、一瞬の射精がすべてだけど、メスは、10ヶ月の妊娠期間を含め、多大な犠牲を払って子どもを産む。我が子を、見捨てるわけにはいかない、なぜなら、メスはこの子が100%自分の遺伝子を受け継いでるって確信できるからだ。しかし、オスはその点、根拠が薄弱で、もしかしたら他のオスの子かもしれないリスクがある。
世界的に見ると、父系よりな母系社会が多いというのも、母系だったら、他のタネかもしれないという根本的な疑念を抱かず、子育てに専念できる。
この子、誰の子?というのが、人類の永遠のテーマだったことが、ここから読み取れる。セックスが済んだら、すたこらさっさと逃げ出して、別のメスとセックスし、自分がセックスした女性のうち誰かが自分の子を宿し、援助なしで子育てをまっとうしてくれることを期待するというのは、オスの本能。
だから、女としては、セックスするからには、ヤリ逃げされても泣かない覚悟は必要。
3男はなぜ授乳しないのか
近年、男女同権が叫ばれ、男性の育児参加を当然というフェミニスト達には辟易する。私はフェミニストに言われなくとも子育てには積極的であるが、なぜフェミニストに辟易するかといえば、根本的に男女は同じではなく進化論的に役割分担されているという事実につきあたる。
鳥の場合はは「ハト乳」として知られるよう、オスもメスも授乳できる種もある。
タツノオトシゴはオスが妊娠する。ヒトのオスでも生理学的には授乳は可能だ。
ホルモン投与など医学的な方法でもそうだし、飢餓状態からの回復時に胸が発達するということもあるようだ。
アンドロギュヌス(両性具有)
外見上は普通の女性よりも女性らしいが、子宮も卵管も上部膣もなく、膣は5cmで途切れている。初潮が起きないため医者に行き、そのときはじめて気づく。
なんと《彼》はY染色体を持った男性であり、精巣を持つが、ペニスはない。
しかし外見上はどう見ても女だし、本人も自分を女だと思っている。
こういう例はファッションモデルに多いらしい。
性差というのは思う以上に曖昧なのだ。
また、授乳の契機として妊娠が知られるが、別に妊娠しなくても授乳はできる。
「乳頭に繰り返し機械的な刺激を与えるだけで、乳汁分泌が起こる」(!)
ヒトのオスは一般的には授乳しない。生物学的にオスも母乳(父乳?)は出る。オスが子の世話をしないのならともかく、ヒトは男も普通に子の世話をするが、生物学的に授乳が可能でもなぜオスは授乳しないのかその意味を考えたい。
簡単にいうと「進化的拘束」が大きいらしい。
つまり、鳥類においてはオスもメスも普通にこの世話をするが、哺乳類では稀だ。
ならば授乳できる必要はない。子を世話するにしても縄張りパトロールという任務もある。雄ライオンはハイエナから我が子を守り、他のオスに群れを乗っ取られればわが子はそのオスに子殺しされてしまう。

ヒトにおいては男も授乳できる方が効率的かもしれないが、そのように進化するには数十万年という時間がかかる。
p99-100
哺乳類はずっと進化的拘束をうけながらも独自の繁殖戦略を遂行してきた。同じように、これまで見てきたとおり、たとえオスの乳汁分泌が生理学的に可能だとしても、そしてそれには数回の突然変異が起こればいいだけだとしても、やはり進化のうえで哺乳類のメスは乳汁分泌に関してオスに大きく水をあけている。
生理学的にはオスもメスも乳汁分泌をする能力かおるにもかかわらず、その能力を完成させるような淘汰はメスに働いた。
何千万年ものあいだ、乳をつくるように自然淘汰を受けてきたのは、オスではなくメスなのだ。これまでさまざまな例をあげてオスの乳汁分泌が生理学的に可能であることを実証してきたが、ウシ、ヤギ、イヌ、テンジクネズミ、ダヤクオオコウモリ、いずれの種をみても、オスの乳汁分泌の量はやはりメスにくらべてずっと少ないのである。
ホルモン投与など医学的な処置で男も普通に授乳する時代が来るやも。ただし、生理学的な障害よりも心理的な障害の方が大きいだろう。わたしも故にフェミニストどもが言う、男女同権に違和感を感じるのである。
p104
生理学上の障害ならまちがいなく打破できる。しかし、そこには心理的な障害もあるのだ。男性は伝統的に授乳を女性の役割とみなしてきており、自分の子に授乳する最初の男性はまちがいなくほかの男だちから嘲笑されるだろう。 

だが実際には、人間はすでに繁殖に関して新しいことをどんどん取り入れている。それは数十年前まで、馬鹿げた考えとして一笑に付されていたことなのだ。たとえば性交をともなわない体外受精であり、五十歳を超えた女性の受精であり、胎児を母親ではない女性の子宮で育てることであり、一キログラムの未熟児をハイテク保育器を使って生き延びさせることである。 

いまやわれわれは、進化の拘束によって組みこまれてきたメスの乳汁分泌が、生理学的にはなんら拘束を受けていないことを知っている。それは同時に心理学的にも拘束を受けないものだとわかるだろう。おそらくヒトという種の最大の特色は、進化に対抗する選択ができるという能力にある。これはほかの動物にはないものだ。                                       
人類のほとんどは、自ら選んで殺人やレイプや大量殺戮を放棄している。しかし
こうした行為はほかの動物の世界では遺伝子を後世に伝える有効手段として当たり前のことだし、人間社会でも以前はよく見られたことなのである。       
オスの乳汁分泌も、いずれは進化に対抗する選択の一つになるであろうか?


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 STAP細胞の論文問題で理化学研究所の調査委員会が8日、記者会見し、小保方晴子研究ユニットリーダー(30)の不服申し立てに対し、「データの加工で、結果が真正でないものとなった。改竄(かいざん)と捏造という不正は明らか」と、再調査を不要とした判断の理由を説明した。理研は同日、懲戒委員会を設置した。小保方氏や理研発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の笹井芳樹副センター長らの処分を決めるほか、所属長らの管理責任も問う。

調査委は、弁護士の渡部惇委員長らが会見。STAP細胞が存在するかどうかの検証実験に関連して、渡部氏は「STAP細胞の有無と関わりなく、研究に不正が認められた。科学的問題とは切り離して考えた」と説明した。

理研の規定によると、研究不正が認定された場合は諭旨退職か懲戒解雇の処分が原則だが、場合によってはそれより軽い処分もあり得る。
理化学研究所(理研)とは愚かな組織なのか・・・

理化学研究所は、小保方さんに対する不正認定を行い、STAP細胞の研究論文問題を再調査しないと決めてしまった。

はたしてそれでいいのか?自分だ撒いた種をあそこまで非難する裏があるのではないかと勘繰ってしまいます。

なによりも呆れかえったのは、調査委員会の面々の論文も継ぎはぎだらけの論文を書いていて、小保方さんだけあそこまで責められるのはいかがなものか?そもそも身内をあそこまで叩き切ってしまうということは、今まで自分達が無能でしたと認めることに気がついていないとしか思えない。

理研調査委員2氏の論文にも疑義 msn産経2014.5.1 19:00

再調査すれば不正に至った経緯がさらに明確になった可能性もある。同時に、調査が不十分だという批判もかわせたはずだ。結論を不必要に早く下し過ぎだろう。

 理研の調査委員会は結果を覆すようなデータはないなどとして、再調査する必要はないと判断したようだ。実験ノートはポエムだと断じている・・・

 再調査すべきかどうかの審査過程で、新事実が明らかになった。小保方さんは2012年4月問題となっているネイチャー掲載のSTAP論文の前に、論文を投稿し拒否されたが、7月には似た内容で米科学誌サイエンスにも投稿していた。


なぜ、サイエンスの時世紀の大発見騒がれなかったのか不思議でならない。
しかも、サイエンスの読者から、切り貼りした部分を発見され違いを見分けられるよう、線を入れるべきだと指摘されていた。それなのに再び今年1月のネイチャーに同様の画像を載せた。理研が不正行為と判断したのも無理はない。

 小保方さんの代理人は実験ノートの一部も公開した。そこには極めて大ざっぱな実験項目しか記載されておらず、実験条件や詳細な生データは見あたらない。

いざノートの内容が報じられると、ツイッターでは専門家からの疑問の声やツッコミが相次いだ。ワシントン大学生物学部教授の鳥居啓子氏は、「絵日記のような実験ノートにびっくり。理科の観察日誌?」と驚きを露わにした。サイエンスライターの片瀬久美子氏も「2冊の実験ノートを見た時の調査委員に対する脱力効果も如何ばかりであったろうか…」、科学ライターの内村直之氏も「ものすごい破壊力である。理研は持ちこたえられるだろうか」とつぶやいた。               
マウス絵ページ、日付や作成方法分からず                       
注目を集めているページの1つが、上部に「テラトーマ(編注:奇形腫)解析について」と書かれたノート75ページのコピーだ。マウスの絵が描かれているのだが、その下には「大量移植」「No.2が一番大きな~」「薄切の後、染色」といった、曖昧な表現や情報不足の記述が目立つ。一般の人たちからの反響も大きく「2冊の他のページはどうなっているんだろう?」「実験ノートってあんなざっくりとした記述でいいものなの?」などと疑問の声が相次いでいる。

この75ページについては、理研の調査委員会が8日に発表した報告書でも「テラトーマがどのような細胞と方法を用いて作製されたかについては記載されていない」と指摘し、小保方氏の主張を退けている。また、このページには日付が書かれていないために、小保方氏が言う日付に実験が行われたかどうかも確認できないとしている。

理研では通常、実験ノートのすべてのページに第三者が署名する仕組みになっている。
カーボン紙と二重にして、書いた内容のコピーがすべて残るようにしている研究グループもあるのに、小保方さんの研究ノートは証拠を残す研究ノートではなくメモ用のノート程度にしか見えない。徹底的に調べれば、小保方さんは不利になるかもしれない。


不服申し立てが出されてから後、明らかになった内容のほとんどは、小保方さんにとって、不正認定を覆すどころか、疑惑を増す内容だ。もしかしたらそもそもSTAP細胞が存在せず、ES細胞(胚性幹細胞)を詐称したかもしれない、わたしもそのように思えてきた。

だいたいそんなノーベル賞級の論文発表前に実験ノートを検証する基本的動作がないこと自体組織として信じられない。今回の失態の実態を明らかにすることは今後の防止策を考えるうえでも意味はあるかもしれないが、小保方さんを断罪するより自らをもっと反省すべきと私は思う。

STAP論文の細胞画像が別の実験のものを流用したものだと知っていながら、それを上司の笹井博士が黙殺した可能性がある。にもかかわらず、笹井博士は論文にその画像を入れる作業そのものにはかかわっていなかったので「共犯」ではなく、不正はなかったとの理研側の言い訳は酷すぎる。不正の実態を隠蔽する行為をしていても共犯ではないと説明するようなものだ。もしそうなら理研は組織ではなく烏合の衆だということになる。笹井博士は不正に直接手を染めていないという結論は組織防衛であることは明白だ。

そもそも STAP細胞はあるのかないのか?世間的に抱く最大の疑問にまるで理研は答えていない。もしSTAP細胞が本当に存在していたらどうなってしまうのか?

こうなってくると、あろうがなかろうが、世間的には小保方さんだけをトカゲのしっぽ切りにした印象がつよくなる。もし、再調査が実施された場合、結論は50日以内と定められている。その程度、結論が遅れてもそれほど不都合はないだろう。最終的に小保方さんが不正があったと結論付けるより、再調査した方が説得力が増し、理研は世論も味方につけられたのではないか。

急ぐ理由があるとすれば、優れた研究者を高給で優遇できる「特定国立研究開発法人」への指定問題だったろうが、世界最高水準の研究を目指す「特定国立研究開発法人」に理化学研究所を指定する法案について、今国会への提出を見送ることになってしまった。当然のことだろう。

理化学研究所とはかの渋沢栄一 高峰譲吉らが1917年(大正6年)に創設した物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研究まで行う国内唯一の自然科学系総合研究所である。鈴木梅太郎寺田寅彦中谷宇吉郎長岡半太郎嵯峨根遼吉池田菊苗本多光太郎湯川秀樹朝永振一郎仁科芳雄菊池正士など多くの優秀な科学者を輩出した日本の基礎科学研究の本丸だ。

22世紀に日本が先進国の地位を保っていられるか否かは科学技術の振興にかかっている、その日本の屋台骨を支える理化学研究所のドタバタをみせつけられると、気が重くなってしまう。理研はSTAP論文が作成された過程についてさらに詳しく調べ、不正防止策に役立てることを検討している。ただ、どこまで徹底して調査するか、記者会見での説明は曖昧だった。日本の未来を支えるのは科学研究への投資である、その期待の星の一つである理研が組織としてのていを成してなかった事実はショックであり、利権に対し失望した。今回の事件を契機に本当に科学技術を支える組織になることを期待したい。

STAP in the name of love! 2014/4/2(水) 午後 11:51 


【追記】
一部で、STAP細胞は存在するが、巨大利権を理研に独占させないために、捏造疑惑を書け小保方氏を嵌めたとの噂がある。




笹井教授の自殺はとても怪しい。実験室冷蔵庫に空のES細胞が入っていた容器が発見されたのは不自然である。

STAP細胞の真相について今のところ黒白を判断できない。
真相が明らかになるのはもしかしたら5年~10年後かもしれない。

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STOP!をSTAPに置き換えるとちょっと笑える・・・というより・・・考えさせられる。


Here we go!
いくぜ
Stop!                      
STAP!
In the name of love             
In the name of RIKEN
やめて 愛の名において           
STAP(細胞) 理研の名において
Before you break my heart        
Before you break my heart
私を傷つける前に              
私を傷つける前に
Think it over                 
Think it over
よく考えて                   
よく考えて

I wear tight clothing             
I wear Kappougi Apron
High-heeled shoes              Pink&Yellow lab
タイトな服とハイヒール           割烹着を着て ピンクと黄色の研究室で   
It doesn't mean                
It doesn't mean
That I'm a prostitute, no, no        
That I'm a prostitute, no, no
でも私は娼婦じゃない            
でも私は娼婦じゃない
I like rap music                  
I like  Moomin
Wear hip-hop clothes                           Wear  Vivienne  Westwood   

ラップ好きでヒップホップ系                    ムーミンとヴィヴィアンウエストウッド好き
That doesn't mean              
That doesn't mean
That I'm out selling dope, no, no, no    
That I'm out selling dope, no, no, no
でもヤクの売人じゃない           
でもヤクの売人じゃない
(Ah, ah, ah...)                  
(Ah, ah, ah...)
(Ba-ba-ba, ba-ba-ba, ba-ba-ba...)     
(Ba-ba-ba, ba-ba-ba, ba-ba-ba...)
Before you can read me           
Before you can read me
You've got learn how to see me       You've got learn how to see me 
I said                                                  
I said
人を見る目を育ててよ                           
人を見る目を育ててよ

Stop!
In the name of love
やめて 愛してるなら
Before you break my heart
私を傷つける前に
(Think it over)
よく考えて
Free your mind
And the rest will follow
心を解き放てば大丈夫
(Think it over)
Be color-blind
Don't be so shallow
肌の色にとらわれず

I've known of your
Your secluded nights               
Your secluded paper
あなたの浮気は知ってるわ        あなたの論文スキャンダルは知ってるは
I've even seen her
Maybe once or twice
彼女を見かけたこともある
But it's a sweet expression
彼女の甘えた表情が―
Worth more than my love and affection
私の愛より大事なの?
(Ah, ah, ah...)
(Ba-ba-ba, ba-ba-ba, ba-ba-ba...)
Before you can read me
You've got learn how to see me
I said
人を見る目を育ててよ

Stop!
In the name of love
やめて 愛してるなら
Before you break my heart
(Before you break my heart)
私を傷つける前に
(Think it over)
Free your mind and the rest will follow
(Oh, oh)
自分らしくいれば大丈夫
Be color-blind don't be so shallow
(Before you break my heart)
肌の色にとらわれず

Stop! In the name of love
(Free your mind)
やめて 愛の名において
心を解き放て
(Stop!)
Oh, free your mind
自分らしく
(Ah, ah, ah...)
(Ba-ba-ba, ba-ba-ba, ba-ba-ba...)
Before you can read me
You've got learn how to see me
I said
人を見る目を育ててよ

Stop!
In the name of love
やめて 愛してるなら
Before you break my heart
(Before you break my heart)
私を傷つけないで
(Free your mind)
Stop!
In the name of love
(Stop! stop!)
Before you break my heart
Oh, think it over

Free Your Mind
And the rest will stop!
ストップ!


香港中文大学の李嘉豪教授は、STAP細胞の作製手法をオープンプラットフォームで検証しているが、このほど正しい手法を特定できた可能性があると発表した。

TEXT BY LIAT CLARK
PHOTO BY SHUTTERSTOCK
TRANSLATION BY MAYUMI HIRAI, HIROKO GOHARA/GALILEO

WIRED NEWS (UK)

イメージ 1

luchschen / Shutterstock.com

多能性幹細胞を簡単に作製する方法を示した画期的な論文に不正疑惑が出てから数週間経つが、香港中文大学(The Chinese University of Hong Kong)の李嘉豪教授は、正しい手法を特定できた可能性があると考えている。

同大学で幹細胞研究のチーフを務める李氏は、3月にWIRED UKに対し、1月29日付けで『Nature』誌に発表され、現在問題となっている研究論文を初めて読んだときの興奮について語った(英文記事)。

この研究で提示されたSTAP細胞(刺激惹起性多機能獲得細胞)が衝撃的だったのは、胚性幹細胞と同様に、パーキンソン病のような病気の治療に利用できる可能性がある幹細胞を作製する簡単な方法が示されたからだ。つまり、酸に浸すなどの過度のストレスを与えることにより、成長した動物の提供者(この研究ではマウスだが)自身の血液や皮膚の細胞を初期化(リ・プログラミング)するというのだ。

不正疑惑を受けて、この実験の正当性に関する調査に乗り出していた理化学研究所は4月1日、実験に使用されたDNA断片の結果や画像などを小保方晴子ユニットリーダーが改ざんしたのは事実だと発表した。

一方、論文共同執筆者であるハーヴァード大学医学大学院のチャールズ・ヴァカンティ教授は3月20日、STAP細胞の手法の別のプロトコル(実験手順)をオンラインで公開している。

背中にヒトの耳が生えているかのように見える実験用マウス「耳ネズミ」で有名なヴァカンティ氏は、自分の明らかにした方法は、「研究する細胞の種類にかかわらず、実験室でSTAP細胞を作製する有効なプロトコル」だとわかったと述べている。

ヴァカンティ氏の方法は、『Nature』誌に発表された元論文で述べられている、酸に浸す処理と研和処理(ピペットを使って細胞に圧力を加えてストレスを与えること)のふたつの手法を組み合わせたものだ。ヴァカンティ氏は研和処理について、元論文よりも力を加え、長い期間(第1週目は1日に2回)実施すると説明している。

一方、李氏は、自分の実験結果(現在公開されている手法ではSTAP細胞は作製されないとするもの)を『Nature』に提出し、3月24日に同誌から掲載を拒否されていたが、同氏はその後、ヴァカンティ氏の手法の応用に取りかかった。李氏は自らのすべての実験プロセスを、オープンソース・プラットフォーム「ResearchGate」において、リアルタイムで公開し、ほかの研究者からのレヴューも即座に対応している。

香港中文大学の李嘉豪教授は、STAP細胞の作製手法をオープンプラットフォームで検証しているが、このほど正しい手法を特定できた可能性があると発表した。

多能性幹細胞を簡単に作製する方法を示した画期的な論文に不正疑惑が出てから数週間経つが、香港中文大学(The Chinese University of Hong Kong)の李嘉豪教授は、正しい手法を特定できた可能性があると考えている。

同大学で幹細胞研究のチーフを務める李氏は、3月にWIRED UKに対し、1月29日付けで『Nature』誌に発表され、現在問題となっている研究論文を初めて読んだときの興奮について語った(英文記事)。

この研究で提示されたSTAP細胞(刺激惹起性多機能獲得細胞)が衝撃的だったのは、胚性幹細胞と同様に、パーキンソン病のような病気の治療に利用できる可能性がある幹細胞を作製する簡単な方法が示されたからだ。つまり、酸に浸すなどの過度のストレスを与えることにより、成長した動物の提供者(この研究ではマウスだが)自身の血液や皮膚の細胞を初期化(リ・プログラミング)するというのだ。

不正疑惑を受けて、この実験の正当性に関する調査に乗り出していた理化学研究所は4月1日、実験に使用されたDNA断片の結果や画像などを小保方晴子ユニットリーダーが改ざんしたのは事実だと発表した。

一方、論文共同執筆者であるハーヴァード大学医学大学院のチャールズ・ヴァカンティ教授は3月20日、STAP細胞の手法の別のプロトコル(実験手順)をオンラインで公開している。

背中にヒトの耳が生えているかのように見える実験用マウス「耳ネズミ」で有名なヴァカンティ氏は、自分の明らかにした方法は、「研究する細胞の種類にかかわらず、実験室でSTAP細胞を作製する有効なプロトコル」だとわかったと述べている。

ヴァカンティ氏の方法は、『Nature』誌に発表された元論文で述べられている、酸に浸す処理と研和処理(ピペットを使って細胞に圧力を加えてストレスを与えること)のふたつの手法を組み合わせたものだ。ヴァカンティ氏は研和処理について、元論文よりも力を加え、長い期間(第1週目は1日に2回)実施すると説明している。

一方、李氏は、自分の実験結果(現在公開されている手法ではSTAP細胞は作製されないとするもの)を『Nature』に提出し、3月24日に同誌から掲載を拒否されていたが、同氏はその後、ヴァカンティ氏の手法の応用に取りかかった。李氏は自らのすべての実験プロセスを、オープンソース・プラットフォーム「ResearchGate」において、リアルタイムで公開し、ほかの研究者からのレヴューも即座に対応している。


TEXT BY LIAT CLARK
PHOTO BY SHUTTERSTOCK
TRANSLATION BY MAYUMI HIRAI, HIROKO GOHARA/GALILEO

WIRED NEWS (UK)

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Image: Kenneth Lee
李氏が公開した3日目のグラフ。なお、ほかの研究者から「エイプリルフールだろう」というコメントがあったが、李氏は本物だと述べている。Image:Kenneth Lee


李氏は実験開始後ほどなくして、実験で使われた肺繊維芽細胞のなかに、過剰なストレスによって急死するものがあることを発見した。

李氏は3月28日付けで次のように書いている。「われわれは、細胞の数が50%減少したと推定した。『Nature』に発表された元の論文では、このような細胞数の減少は2日目に報告されており、われわれの現在の実験と一致する。3日目は非常に重要だ。この日にSTAP細胞のOct4-GFPの発現が報告されているからだ」(Oct4-GFPの出現は、幹細胞が作製されつつあることを示すとされる。Oct4は未分化胚性幹細胞の自己複製に密接に関与しているヒトのタンパク質のひとつで、緑色蛍光タンパク質GFPを利用して、未分化細胞のマーカーとして頻用される)。

「われわれの培養物のなかで、細胞数がさらに大きく減少したことがわかれば、その一部を採取して、直接定量PCR分析(幹細胞のスクリーニング手法)にかけるつもりだ」と李氏は述べている。

4月1日、「衝撃的」な定量PCRの結果が、グラフとともに公開された。「3日目の対照培養物と、STAP培養物の定量PCRの結果は衝撃的で驚いた」と李氏は述べている。「言葉が出ないほどの驚きだ!」

李氏はこの結果から、STAP細胞の作製に重要であったのは、酸に浸すことではなく、研和(微細なガラス管に細胞と溶液の混合物を通すことで、細胞の塊のサイズを小さくする工程)による極度のストレスである可能性があると推論している。

もちろん、李氏の研究は、ひとつの研究チームによる1回の取り組みに過ぎない。また、理研自身による結果の発表を待つ必要があることも間違いない。


実験や論文が杜撰でも、STAP細胞が存在したとなれば話はべつだろう。

その場合小保方さんの立場はどうなる?
ドクターの資格は剥奪されるのか?
理研の利権はどうなってしまうのか?
小保方称賛からバッシングしたマスコミは今度はどうするのか?

もっと早く再現実験が出来れば問題が起きなかったが・・・・この再現実験すらエープリルフールのネタという意見もある。事実追加報道が少なすぎる!

もしかしたら、小保方論文のように再現実験にも疑惑があるのかもしてない。

STAP細胞の作製に重要であったのは、酸に浸すことではなく、研和(微細なガラス管に細胞と溶液の混合物を通すことで、細胞の塊のサイズを小さくする工程)による極度のストレスである可能性があると推論している。

再現実験に成功したこの李教授は小保方論文とは少しだけ違うので、STAP細胞の利権を得る可能性がある。

日本はひょっとすると小保方バッシングで、自ら国益を損なった可能性がある。

STAP細胞があるのかないのか?我々素人はただ見守るしかありません。

できれば それでもSTAP細胞は存在するという結果になってほしい。




 
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矢作直樹(やはぎ・なおき)
東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長。 
1981年、金沢大学医学部卒業。その後、麻酔科を皮切りに救急・集中治療、外科、内科、手術部などを経験。1999年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻および工学部精密機械工学科教授。2001年より現職。 
2011年、初めての著書『人は死なない』(バジリコ)が7万部を超えるベストセラーとなり、話題となる。

この2月、ニューヨークの国連本部総会議場で、ブーク・イェレミッチ国連総会議長らの主催によって、「宗教間の調和を通じた平和の文化のための結束」というユニークなイベントが行われた。この催しを通じて発信されたのは、あらゆる宗教には愛や慈悲などの普遍的な価値観があり、世界平和の構築に重要な役割を演じる-そんなメッセージである。

≪病癒やす効果の解明始まる≫

「世界平和の祈り」の運動を率いる西園寺昌美氏は、「宗教の違いを超えて魂をつなぐ祈りのハーモニー」と題して演説した。「人々の思いが闘争、差別、宗教対立に現れている限り、この世界に真の平和は訪れない。どの宗教にも平和の祈りがあり、それぞれ異なったメロディーを持ちつつも一つに合わされ、至高なハーモニーを織り成すことができる」

祈るだけでは平和は訪れないといわれるが、違いを超えて一つになって祈る姿を世界に広げていくことで、真の世界平和に一歩ずつ近づけるのではないか。

「祈り」は宗教が生まれる前から人類が続けている営みである。その祈りに病気を癒やし、心身の健康を保つ大きな力が秘められていることが最近、科学的に解明されつつある。従来の西洋医学を補うものとして、東洋医学などの伝統医学が治療に及ぼす影響に関する研究がハーバード大学、コロンビア大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)などの大学で活発化している。
この新分野で世界をリードする米国国立補完代替医療センターの報告では、「祈り」は最も人気のある補完・代替医療である。

興味深い実験結果がある。アメリカ西海岸の病院で、重い心臓病患者393人を対象に、快癒の祈りを行って、祈らなかったグループと比較したところ、祈られた患者たちは祈られなかった患者たちよりも、人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少なかった。この病院に近い所からの祈りも、遠い東海岸からの祈りも同様に効果があったという。このほか、祈りが効果的に働いた病気としては、高血圧、心臓病、不眠症、不妊症、がん、エイズ、鬱病、リウマチなどが挙げられている。

≪遺伝子のスイッチに関係か≫

しかし、この種の研究は実験条件の設定が難しく、祈りに治療効果が本当にあるかどうかについては、医学界ではまだ賛否両論あるところだ。ただ、祈りの効果に関する科学的研究が多数登場していることは注目に値する。

科学は、たとえすべてを明らかにすることはできなくても、その研究成果を人類のために役立てることができる。これまでも人類はそうしてきた。今まで宗教の側にあった祈りという行為が、科学の光を当てられることによって、全人類に有用なものとして再認識されだしたのではないか。

日本語の「いのり」という言葉の語源は「生宣り(いのり)」だと解釈されている。「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)の「のり」と同じで、宣言を意味している。だから、「いのり」は生命の宣言なのである。

人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けている。そのように苦しいとき、人は「自分はめげずに頑張って生きるぞ」と宣言する、それが祈り(生宣り)である。そうした「生命の宣言」をすると、祈る人の遺伝子も活性化して、いきいきと暮らしていけるようになると考えられる。実際、私は「祈りが遺伝子スイッチのオンとオフに関係する」という仮説を、2002年に提唱している。

まごころを込めて深く祈ることが、祈る人、祈られる人の遺伝子のスイッチを入れ、その思いが天に通じたときに祈りはかなえられる、と私は思っている。

≪思いもよらない力を秘める≫

時あたかも、世界平和のための祈りと治療における祈りの効果を描いた映画、「祈り~サムシンググレートとの対話~」が、上映中である。この映画は世界各地の映画祭で賞を取り、国際的な評価を得ている。祈りを含めた意識が人間に与える影響を科学的に解明しようというもので、科学者、医学者、ジャーナリストらが登場して、祈りの力を新しい視点からとらえようとしている。「見る者の魂の奥から感動を湧き上がらせる力がある」とは、ある医科大学教授の同映画評である。
祈りは、自らの願望や懇願のためだけにあるのではない。感謝や愛、思いやり、従順、誠意、畏敬のためにも、人は祈ることができる。祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良いものを芽生えさせてそれを培うことにある。例えば、希望の祈りとは、その希望の芽を祈りとともにだんだん大きく育てることである。

個人の祈りや願いが天に通じるとき、心が落ち着き、心の中に中心軸ができて、ブレない生き方ができるようになる。このことを人間は太古から直感していたのだろう。人は無力だから祈るのではなく、祈りに思いもよらない力があるから祈るのだと思う。



たいへん面白い本でした。
日本の緊急救命医療の最前線の医師と、遺伝子学者が科学ではまだ解析できていない、魂、死後の世界,神の存在について、対談した本です。
私は、科学としてスピリチュアルの存在を肯定します。

宗教は人間が神の名前を語って解釈した神を冒涜するものだと考えています。
教祖と呼ばれる人達は定期的に霊能師の方に見てもらっています。統計的に考えても、言い当てる確率はインチキではとても考えられません。現代の科学では解明はできていないが、なにかが存在していると感じます。

はじめに――「現場感」を大事にしたい(矢作直樹)第一章:神の存在
第二章:魂と遺伝子をめぐる論争
第三章:「お迎え現象」を科学する
第四章:見えない世界が医療に入る日
第五章:人間はどこに向かうのか?
おわりに――いかに生きるかとは、以下に死ぬか(村上和雄)

「はじめに」で矢作氏は、ブログ『人は死なない』で紹介した本で、医療現場における多様な日常、心の問題、さらには霊魂の存在まで幅広く触れたと述べています。現役の東大医学部教授が「見えない世界」について書いたということで大きな話題を呼んだ同書ですが、矢作氏にとっては「観測気球」の意味があったそうです。これくらいの内容で、はたしてどれくらい世間で反応があるのかという意味での観測気球でした。


結果として、全国の幅広い年代、職業の読者から多くの手紙が届いたそうです。大切な人を亡くした人たちから、いくらかでも心が慰められたというものと、自身のそれまで人に言えなかった霊的体験について話してくれるものとが半々でした。メディア関係者によく尋ねられるという“学内バッシング”などは特になかったそうです。ある人に「10年前なら、反応が違ったでしょう」と言われたとのこと。矢作氏自身もそれを認めながら、これは「時代が変わろうとしている」ことの現われなのかなと思うそうです。そして、それは2011年3月11日に起きた東日本大震災のせいではないかといいます。3・11以来、日本人の意識は明らかに変わったというのです。

第一章「神の存在」において、矢作氏は自身の宗教についての考えを以下のように明確に示しています。

「私自身、すべての宗教は同根であると理解しています。
山に登る際、色々なルートでの登り方がありますが、宗教はまさにそれと同じだと思います。頂上、つまり根源的な存在である「摂理」はたったひとつだけれど、そこに至る方法、これが色々なルートの登山道であり、要するにさまざまな宗教・宗派を指すのですが、方法論が違うというそれだけの話です」
矢作氏の発言を受けて、村上和雄氏も次のように述べています。
「要は登り方がちょっとだけ違うために、時間を経るなかで、ちょっとした違いがとんでもない違いへと誤解されてしまったようです。よく考えれば、違いはないことがわかるのに、それが見えないし、わからない。宗教は人を癒すために作られたのに、今では人を壊すための装置になっています」
これは、いわゆる「万教同根」とか「万教帰一」といった考え方です。
大本教の出口王仁三郎などに代表される宗教思想ですね。
わたし自身も、以前からこの考え方に共感しています。



また、第二章「魂と遺伝子をめぐる論争」で、村上氏は「魂」「生命」「死」について次のように持論を展開します。
「私が魂の存在に惹かれるのは、身体の想像を絶する入れ替わりの仕組みを知り、考察したからです。細胞は毎日、ものすごい勢いで入れ替わっています。では、それらの細胞はどこから来ているのか?
その組成や発生の順番をひも解くと、細胞は私たちの毎日食べる食事から成り立つことがわかります。食物からさまざまな細胞ができるわけです。地球の無機物を植物が摂取し、それを動物が摂取し、さらに人間が摂取しています。
つまり、私たちが体に持っている元素は、すべて地球の元素です。では、地球の元素はどこから来ているのかと言えば、もちろん宇宙から来ています。自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、実は私たちの体はすべて借りもの、要するに“レンタル”なのです。レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。これが『死ぬ』ということです。貸し主は地球、宇宙、そして神です」



第三章「『お迎え現象』を科学する」では、村上氏は「今の日本人は、死をもっとも恐れている民族のひとつだそうです」と述べます。
そして、京都大学大学院のカール・ベッカー教授(人間・環境学研究科)と対談した際に、ベッカー教授が「最近の日本人は死というものを見たくない、できるだけ避けて恐れる」と語ったことを明かしています。
日本人が世界で最も死を恐れているというのは、わたしも同感です。なにしろ、日本人はヒトが亡くなったら「不幸があった」と言うのですから。死は万人に訪れるものですから、日本ではすべての人が最後には必ず不幸になるわけです。
わたしは、これほど馬鹿な話はないと思っています。



村上氏も、むやみに死を恐れるのではいけないとして、次のように述べます。
「死という問題を解決しなければ、人間は幸せになれません。魂が永遠の命みたいなものであり、肉体的な命はなくなるけれども魂はずっと続く。そう考えると、死がそれほど恐いものではないと理解でき、少し不自由だけれども肉体というものを伴って現世に滞在し、時期が来れば元いた場所に帰って行くという仕組みが腑に落ちます。すると死は、そもそも問題視されるものではないとわかります。だから、少しチクッと言わせていただくと、巷で人気のアンチエイジングはムダなのです。エイジング、つまり加齢という自然法則には勝てません。アンチエイジングは、きわめて不自然です。なぜ、アンチなのかが理解できません。むしろ『見事に死ぬ』『どう老いるか』を論じるほうが、健康的です」
わたしは、この村上氏の意見に全面的に賛成です。



ここで、第三章のタイトルにもなっている「お迎え現象」について説明しましょう。
岡部健(東北大学医学部臨床教授、医療法人爽秋会理事長、2012年9月死去)という在宅緩和医療の第一人者が、医療スタッフや研究者の協力のもとで、10年以上、患者さんの家族にアンケート調査を行なってきたそうです。
そのテーマは、なんと「お迎え現象」というものでした。
これは、亡くなる前の人が、死に臨み、先に逝った両親や祖父母などの身内や友人の姿を目撃する現象です。周囲の人間には見えません。
岡部教授の調査によれば、42%の方が何らかのお迎え現象を体験し、体験者の52%がすでに亡くなった家族や知人を見たり、感じたといいます。中には、光や仏といった存在との遭遇も報告されています」



この調査は、文部科学省の研究助成金を得て実施されたそうです。
こうしたテーマに国の助成金がつくのは、きわめて珍しいことでした。
さらに、矢作氏は次のように述べています。
「岡部先生はそれまで、少しでも延命治療をすることが患者さんにとって良いと思っていたが、がん患者さんたちとの多くの交流を通して、次第にそれは患者さんの求めていることではない、それよりも豊かに死んでいくことを望んでいると知り、愕然とされたそうです。そこから在宅緩和ケアという領域に進出され、その道の第一人者になられました。ちなみに、岡部先生がいらっしゃった宮城県内でも、仙台市は在宅看取り率が政令指定都市で第1位だそうです」



第四章「見えない世界が医療に入る日」では、「手をつなぐことには、特別な意味がある」というくだりが印象的でした。矢作氏は次のように述べています。
「古来、手をつなぐという行為には特別な意味があります。相手と自分の意思疎通、相手と自分のエネルギー交換という意味です。免疫力が上がるとも言われます。生死の境にいる患者さんのそばにいる近親者に『手を握ってあげてください』と言いますが、これには重要な意味があるのです。『手当て』と言うとオカルトな連想をされる方がいらっしゃいますが、そうではありません。
お母さんたちが、子どもの痛がる箇所に自然に手を当ててさすりますね。あれは『ハンドヒーリング』の一種です。誰かに教えられなくても、人は手からエネルギーが出ていることを本能で知っています」



第五章「人間はどこに向かうのか?」では、「なぜ、人は『祈る』のか?」というテーマが興味深かったです。「宗教」について、村上氏は述べます。
「ブッダもキリストもムハンマドも本物の能力者であり、宗教者だと思いますが、年月が経つにつれて、各教団は教祖や開祖の考えとは違う方向へ進みました。『自分の教団こそ正しい』となるのです。
人類が創造した宗教というカルチャーは、1000年、2000年、あるいは3000年という時間のなかで、その時代の人間たちが自分のグループの維持や発展のために都合よく改変されていきました。それが今、色々な部分で綻びが出始めた結果、日本でも10年ほど前からスピリチュアルブームが起きました。
特定の宗教に所属せずとも、各自が心で祈れば、神(内在神)とつながることができるというのがスピリチュアリズムの精神ですが、この思想はこれから強い流れになっていくような気がします」



そして「おわりに」で、村上氏は「幸せ」の本質に迫り、次のように書いています。
「長い歴史のなかで、人間は常に幸福を考えてきましたが、現在のような世界的に不安定な時代に入ると、本質的な幸せとは何かを改めて考え始めます。
その時、幸せを考えるうえで大切な視点があります。それは魂の存在であり、魂は永遠であるという事実です。この現世以外に前世があり、そして来世というステージがあるという、魂と輪廻転生の仕組みを理解しないことには、本当の意味での幸せが何かを知ることはできないと思います。
魂、無意識(潜在意識)とは、科学的に表現すれば『情報』です。現世の情報だけではなく前世、来世の情報が入っている『情報媒体』だと想像しています。
この情報という切り口で、『身体の情報(遺伝子)』と『魂の情報』の両方がわからなければ、人間は理解できないし、『命(=いのち)』も理解できないでしょう。現世の幸せだけを考えても、本当の幸せは得られません」



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「2100年の科学ライフ ミチオ・カク/著(NHK出版)」を読む
3 医療の未来
医療の三段階
第一段階 迷信や魔術風説に牛耳られてきた
と本書にかかれているが針灸、東洋医学は迷信ではなく、長年の文化や経験が蓄積されていたと考えるべきだろう。だが赤ん坊は生まれると直ぐ死亡し平均寿命は20歳前後であった。
第二段階 19世紀細菌論の登場と衛生環境の改善
1900年米国の平均寿命は49歳 抗生物質やワクチンが発達し20世紀末には70歳以上に伸びる。
第三段階は分子治療
量子論の創始者のひとり物理学者のエルビン・シュレディンガーの著書「生命とは何か」によって生物学と物理学との関係を論じられた。

シュレーディンガーはここで生物にとって重要であり、多数の原子から構成されている遺伝子に注目する。遺伝子は1000個程度の原子から成り立っており、基本的に安定した構造を持っている。シュレーディンガーは物理的に見れば安定するには少なすぎる遺伝子が安定性を保っている問題について「遺伝子は非周期性固体である」と論じた。一般に結合体を構築するためには同型の構造を三方向に繰り返し繋ぐ方法と、徐々に拡大する凝集体を形作る方法があるが、シュレーディンガーの見解によれば遺伝子は後者の構造を採用しているのである。この構造によって多種多様で異性体的な原子の配列が可能となり、しかもそれが少数の原子で実現できる。さらにシュレーディンガーは染色体が生物の発生過程の計画を指定する設計図に対応していると推論している。

近未来(現在から二〇三〇年まで)……ゲノム医療  

/医者にかかる/幹細胞/クローン作製/遺伝子治療/ガンとの共存

世紀の半ば(二〇三〇年から二〇七〇年まで)……‘遺伝子治療/デザイナー・チャイルド/マイティマウス遺伝子/バイオテクノロジー革命の副作用

p193-197
われわれは死なざるをえないのか?

バイオテクノロジー業界の先駆者、ウィリアム・ヘーゼルティンは、かつて私にこう語った。「生命の本質は死にはなく、不死にこそあります。DNAは不死の分子です。この分子が最初に現れたのは三五億年前かもしれません。それとまったく同じ分子が、複製を繰り返すことで、今も存在しています。……われわれが時とともに衰えるのは確かですが、遠い未来にその定めを変えられるという予想がすでに語られています。

まずはヒトの寿命を二倍加三倍に延ばします。さらに脳の理解が十分に進めば、身体と脳を永久に長持ちさせられるようになるかもしれません。私はこれが不自然なプロセスとは思いません」
進化生物学者は、進化圧がかかる対象は生殖能力のある年齢の個体だと指摘している。個体は生殖能力のある年齢を過ぎると集団にとってむしろ重荷になりかねないため、進化は生物が老齢になったら死ぬようにプログラムしたのかもしれない。だからわれわれも死をプログラムされているのではなかろうか。だが、もっと長く生きるようにプログラムしなおすこともできるように思える。

実はたとえば哺乳類を見ると、大型の動物のほうが代謝率が低く、長生きする。マウスはその体重のわりに大量の食物を消費するので、四年ほどしか生きられない。ゾウははるかに代謝率が低いので、七〇歳まで生きる。代謝がエラーの蓄積と対応しているのなら、代謝率が低いほうが長生きするという考えとも一致しそうだ(体を酷使して多忙な生活をすることを英語で「burning the candle at  both endos(両端からろうそくを燃やす)」と言うのも、これで説明できるかもしれない。以前、精言にまつわるこんな短い話を読んだことがある。精霊はある男にどんな願いもかなえてあげると言った。すると男は1000年の命が欲しいと即答する。精霊はその願いをかなえ、男を  本の本に変えた)。

進化生物学者は寿命の長さを、種が野生で生き残るのにどう役立つかという観点で説明しようとする。彼らの見たところ、種の寿命が遺伝的に決まっているのは、それが種の存続と繁栄に役立つからだ。進化生物学の考えでは、マウスがとても短命なのは、絶えずいろいろな捕食費に狩られ、冬によく凍え死ぬからとなる。遺伝子を次の世代に伝えるマウスは多くの子をもつマウスであり、長生きするマウスではない(この説が正しければ、どうにかして捕食者から飛んで逃げられるようになったマウスは、もっと長生きするはずだ。じつさい、マウスヒ同じ大きさのコウモリは三・五倍も長生きする)。

しかし、爬虫類に一つの例外がある。どうやら一部の爬虫類は寿命がわかっていないらしい。もしかしたら永久に生きられる可能性もあるだろうか。アリゲーダーやクロコダイルといったワニはひたすら大きくなるが、変わらず元気旺盛のままでいる。 (多くの教科書には、アリゲーダーが七〇歳まで生きると書かれている。しかしこれは、動物園の飼育員が七○歳で死んだからなのかもしれない。もっと正直な教科書には、単にアリゲーターやクロコダイルの寿命は七〇歳より長いが、飼育下できちんと調べられたことはないと書かれている)。現実には、事故や飢えや病気などで死ぬため、不死ではない。だが動物園にいると、寿命は非常に長くなり、ほとんど永遠に生きられるのではないかと思える。

 生体時計

さらなる興味深い手がかりは、細胞内で「生体時計」の役割を果たすテロメアにある。靴ひもの端にあるプラスチックのチューブのように、テロメアは染色体の端にある。テロメアは、複製を繰り返すたびに短くなっていく。やがて(皮膚細胞の場合)複製が六〇回ほど繰り返されると、テロメアはほどけてなくなる。
すると細胞は老齢期に入り、きちんと働かなくなる。だからテロメアはダイナマイトの導火線に似ている。複製を繰り返すたびに導火線が短くなり、やがて燃え尽きると、細胞の複製が終わるのだ。

これがヘイフリック限界というものであり、一部の細胞のライフサイクル(生活環)に上限を設けているらしい。ところがガン細胞はヘイフリック限界をもたず、テロメラーゼという酵素を生成してテロメアが短くなるのを防いでいる。

この酵素テロメラーゼは人為的に合成できる。これを与えると、皮膚細胞は際限なく増殖するように見える。不死になるのだ。

だがそこには危険もある。ガン細胞も不死で、腫瘍のなかで際限なく分裂する。いや、むしろガン細胞が致死的な理由はここにある。際限なく増殖を続け、ついには身体の機能が失われるのだ。だからテロメラーゼをよく調べなければならない。テロメラー・ゼで「生体時計」を巻き戻す治療は、ガンを引き起こさないか調べて確認する必要がある。

不死プラス若さ

ヒトの寿命が延びるかもしれないと知って喜ぶ人もいれば、人口爆発や、よぼよぼの老人ばかりで国家が破綻する社会を想像して怖くなる人もいる。
生物学的な治療と、機械的な治療と、ナノテクノロジーによる治療を組み合わせれば、寿命を延ばすだけでなく、その際に若さまで保てるかもしれない。ナノテクノロジーを医療へ応用しようとしているロバート・A・フレイタスージュニアはこう語る。「そうした処置が数十年後には当たり前になっているでしょう。

毎年の健康診断と体内の大掃除、そしてときどき大がかりな修復をおこなうことで、生物学的年齢を年に一度回復でき、本人が望むところでほぼ一定に保つことができます。それでもゆくゆくは不慮の原因で死んでしまうでしょうが、少なくとも現在の一〇倍は長生きできるようになります」

未来の世界では、寿命を延ばすために、伝説にあるような「若さの泉」の水を飲んだりはしない。それよりは、次に挙げるいくっかの手法の組み合わせとなるだろう。

1 臓器が古びたり病気になったりしたら、組織工学や幹細胞テクノロジーで    新しい臓器を培養する。
2 細胞の修復メカ号スムの働きを高め、代謝を調節し、生体時計をリセット   し、酸化を抑えるように作られた、タンパク質や酵素のカクテルを摂取する。
3 遺伝子治療で、老化のプロセスを遅らせるように遺伝子を改変する。
4 健康的なライフスタイルを維持する(運動と良質な食事)
5 ナノセンサーを使って発症する何年も前にガンのような病飢を見りけ出す    。
p197-199

人口、食料、環境汚染

しかし厄介な疑問がひとつある。寿命を延ばせたら、人類は人口過剰に悩まされるのではないか? その答えはだれにもわかっていない。

老化のプロセスを遅らせると、さまざまな社会的影響が生じる。われわれが今より長生きするようになったら、地球は人目過剰にならないだろうか? ところが、ヒトの寿命がわずか一世紀で四五歳から七〇~八〇歳へと急激に延びたことから、寿命の延長はおおかた済んでしまっているとする指摘もある。それに寿命の延長は、人口爆発どころか、ほぼ間違いなく逆の現象をもたらしている。人は長生きになるにつれ、キャリアを追い求めて出産を遅らせている。

じっさい、生粋のヨーロッパ人の人口は激減しつつある。人は長生きし生活も豊かになると、それとともに子どものできる間隔が延び、子どもの数が減るのかもしれない。今より何十年も多く生きられるようになれば、人々はそれに応じて人生設計をリセットし、子どもをつくる間隔をあけたりタイミングを遅らせたりするようになるだろう。

人々はこのテクノロジーを拒絶するだろうと主張する人もいる。自然に反し、宗教上の信条にも背くかもしれないからと。事実、」般市民を対象にした非公式な世論訓査によれば、ほとんどの人が、死はきわめて自然なものであり、生に意味を与えるものだと考えている(ただし、こうした世論調査でインタビューを受けたのは、おおかた若年から中年の人だ。老人介護施設に行って、衰弱し、慢性的な痛みを抱えて暮らし、死を待つような人を見たら、同じ質問をされてもまったく違う答えを出すのではなかろうか)。

カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)のグレゴリー・ストックはこう語る。「われわれは神の真似をすることの是非に頭を悩ませ、寿命が長くなることに不安を感じているが、次第に声をそろえてこう言うようになる。『薬はいつ手に人るの?』」

二〇〇二年、科学者は最も正確な人口統計データを元に、これまで地上に存在してきた全人類の六パーセントにあたる数の人が、現在生きていると推計した。これは、人類史の大半にわたり、世界人口が一〇〇万人前後で推移してきたためだ。乏しい食料を探しまわっていたうちは、人口は抑えられていた。ローマ帝国の絶頂期でさえ、世界人口は五五〇〇万人にすぎなかったと見積もられている。

ところが過去三〇〇年のうちに、世界人口は一気に急増した。それは、近代医学が登場し、産業革命により豊富な食料や物資が生産されるようになった時期と市なる。二〇世紀になると、世界人口はまた一段と増え、一九五〇年から一九九二年のあいだに二倍以上になった。二五億人から五五億人になったのだ。そして今では六七億人(二〇一一年には七〇億人を突破した)である。毎年七九〇〇万人が人類に加わつており、この数はフランスの総人口を上回る。

そのためこれまでに世界の終末を示す予言が数多くなされているが、今のところ人類はその事態を回避できている。 一七九八年、トマスーマルサスは、世界人口が食料供給で賄える数を上回ったときに起こる事態を警告した。食糧難、暴勤、政府の倒壊、そして大飢饉が、人口と資源が新たな均衡に達するまで続くとしたのだ。食料供給は線形的にしか増えないのに、人口は指数関数的に増えるので、いつか世界が限界点に達するのは避けられそうになかった。マルサスは、大飢饉が一八〇〇年代の半ばまでに起こると予言していた。

5000字をはみ出したので画像です。
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本日はJ-waveで男と女の脳科学者 感性アナリスト黒川伊保子さんが出演してお話をしています。毎度とても面白いので気になったところを書き取らせていただきました。

ヒトの脳は、0歳~15歳までは情報をアナログとして体に吸収していくのだそうです。

15歳から28歳までの脳はデジタルな入力に変って情報を情報として我武者羅に吸収する時期だそうです。単純記憶力の最盛期だ。さらに、動物的な直観力の最盛期でもある。

手にする知識は抽象的な知識でいい・・・なんでも我武者羅にすればそれがいずれ役に立つのだそうです。自分の最終目的でなくても何でもいいから吸収しまくればいいのだそうです!

28歳~50歳はよく使う脳の回路はどんどん太くなっていく。

そして、30代から不必要な回路を捨てはじめるのだそうです。30代は不必要なものを捨てる最初の10年だそうです。ものごとの裏も表も見通せる、物事を見る視点がとりそろった30代の脳。しかし、その「見え方」には優先順位がついていない。つまり、選択に迷うし、いったん選択しても「他に、もっといい手があったかも」とまだ迷う。この決定打が腹に落ちてこない感じは、神経系を疲弊させる。・・・だから30代は辛く迷う10年だそうです。

40代になると経験が蓄積して優先順位がつき本質の回路が自信が持てるようになるそしてすべてが見通せてくる。

やがて55歳に脳のピークが来る。50になると10あるうちの必要な2か3しか見えない。56歳から本質の答えを瞬時に出せるようになる。知力の大団円である、連想記憶力が最大限に使えるようになるからだ。連想記憶力は、本質を見抜く力、人の資質を見抜いたり、トラブルを未然に防いだり、戦略に強く関わる能力最大にして最強の脳となる。

人に依存して生きてきた人、無難に生きてきた人はそういった達人になってしまう。
自分の足で歩いてきた人はその達人になっている。

実は、50代の脳というのは、世の中の事象のうち、自分の脳に適合する事象にしか反応しない、いわば「手抜き脳」なのである。ただし、手抜きこそが本質にいきなりたどり着くために欠かせないことなのだ。
50代の脳は、長いプロ人生を過ごすうちに、「とっさに良く使う回路が厳選され、より洗練された状態」になっているのである。全ての人はその人が歩いてきた人の完成形になる。50代はもう治せない・・・

50代は自分の本質を知る回路が発達するが、60代は自分では歩いてきた道とは別の回路の本質が降りてくる。旅と学びが楽しい・・・60代はいきなり降りてくる・・・

年をとると必要でないデーターを折りたたんでいく・・・なるほど

生まれた時から必要なことを吸収して不必要なものをそぎ落としていくのだそうです。人生の最後は・・・生まれた時から自分の寿命を知っているのかもしれないという仮設がある。人は最後の時ドーパミンを分泌するので痛みや恐怖を感じなくなる。

人は人の死に抵抗すると苦しむ可能性があるそうです・・・・

途中で33歳の女性からの質問に答えて女性特有の話もされていました。

女性は好き嫌いが同じ触れ幅だそうです。触れ幅が小さい人は恋愛感度が低いのだそうです・・。なるほどなるほど・・・

20代の女性は凄い好きな人が1人いれば99人の嫌いな男がいる。
それは良い遺伝子を取捨選択する能力に長けているからだだそうです

30代の女性は全てを自分の為に使うだそうです。

38歳から42歳の女性は手を握って気持ち悪くなかったら誰でも受け入れなさいって! 女性も42歳をすぎると突然恋をする・・・遂に誰でもよくなるのか?(笑)

利発で素直な少女が、親から男の子並みに将来を期待されて育つと、いつの間にか好き嫌いを言えないようになるとのこと。感じたことをすぐに言葉にできるのは女性脳の得意技なのに、男性脳型の競争社会ではそうした発言は抑圧される。そして女性脳ならではのメリットをどんどん失っていくのだそうです。

「自分は男性脳に近いのかも」と疑問を抱いた40近辺の女の方は、もしかしてそういう抑圧下に陥っているのかも知れません。

人間の脳は、50歳代半ば以降が最盛期という、間もなく50歳になろうとする私にはとても励みになる考えです。




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