聖地熊野がマイブームです。
先月に続き、弾丸熊野詣の第二弾をやってしまいました。
【第一弾】
聖地熊野巡礼【実録】弾丸熊野三山詣from横浜 2017/6/18(日) 午後 6:49
今回は、玉置神社と天河神社メインで詣でました。
行程約1,200km 約30時間 ガソリン約120ℓ 高速代14000円
コスモ石油隣にある、「大斎原」参拝用の駐車場に車を停め、前回はくぐらなかった「大斎原」の鳥居より参拝。
前回は判り難かったが、正真正銘新宮川の中州である。
沈下橋であることから、大斎原は洪水に度々見舞われることがうなづける。
大斎原の下社中社は撮影不可とのことですので、手前の旧社地です。
画面奥に点にしか見えませんが、日傘を差し、白いローブ・デコルテを着た妙齢のご婦人が座っておられました。何かの撮影かとも思ったのですが、周囲にスタッフも居る気配がなく、皇族のご婦人が着るようなローブ・デコルテを午前8時とは言え、26度を超えるの真夏日の中着られていて、とても不思議でした。・・・もしかしたら、熊野信仰の本地垂迹説における・・・・
聖観音様が、現れたのではないかと、勝手に解釈しました・・・・そう考えた方が得ですね(笑)。・・・・でも何のために?炎天下、おそらく趣味なのでしょう、一種のコスプレファンなのかもしれません。それにしてもとても清楚で美人なご婦人でした。
産田社
今回は、本地垂迹説を改めて学習して、娘に講釈しながら参拝をした。勿論うるさがられた。
約25km 1時間ほどとカーナビに表示されたのですが、25kmで1時間・・・・相当な山道なのかと覚悟したのですが、168号はお金をかけて整備されていました。
本来ならば一時間程度で到着するはずであったが、カーナビを信頼しきっていたせいで、右折の案内の音声が鳴らず、ダム湖を渡る橋を見落とし、だいぶ行き過ぎて、折立の集落を過ぎてしまいました。更にUターンしきれず、十津川道路のトンネルを進んでしまいました。山間で電波が途切れたのかカーナビが止まっていたからです。地図で見直しUターン。昔ながらの地図を併用した方が良いかもしれません。
異次元のパワースポット玉置神社!中途半端な気持ちで行ってはいけない?

午前10時過ぎ、駐車場へ到着です。
さて、駐車場から本殿は、およそ1kmほど山道を歩きます。往きは20分帰りは15分といったところでしょう。
駐車場の傍にある鳥居です。
標高1,000m気温26度でしたが、湿度が有ったため、それほど爽快な高原の空気ではありませんでした。しかしならら、神域独特の空気が漂ってきます。
この日はぴーかんの快晴、霧に覆われている日はさぞかし神秘的になるのでしょう。
10分ほど歩くと参道は2つに分かれます。体の不自由な方は左へとなっていますが、左側は帰路歩きますので、右側の階段を降りて行くことをお勧めします。
理由は、杉の巨木群と、その根元に生す苔が、見事だからです。
このご神域には「もののけ姫」に出てくる「こだま」が居てもおかしくはなさそうです。

なんと神々しい、なんだか参拝を祝福されているかのように感じました。
社殿です。
塗っていない(塗装が落ちた?)社殿が渋く感じました。
ご神体 玉石社 玉置山山頂近くに露頭する玉石
問題は、阪本から始まる赤色に塗った県道53号線の20kmです。
新車、運転の下手な方、バックを3~400mを厭わず出来ない方は通ってはいけません。車が2台すれ違うことができません。また、すれ違い用のスペースに平然と駐車をして渓流釣りをしている釣り人、渓流で遊ぶ家族連れ!が多数いました。いい加減にしろ!大迷惑です。
13時すぎ、ようやく天河弁財天駐車場に到着。翌日17日はお祭りで、この駐車場が使えなかったとのこと、運が良かった。
社務所
社務所で御朱印をお願いして正面鳥居に回ります。
お祭りで、幟旗が出ていて幸運でした。
ちょうど日本がバブル景気だった1988年内田康夫による小説 天河伝説殺人事件で天河神社は一躍有名になった。
ご神馬が2頭飼われていました。
人形を流す酒船石のような神事用の巨石が置いてありました。穢れを流すのでしょう。
ご神水はたいへんおいしいお水でした。
境内に何やら立札が・・・
どうやら葉書の葉はこのモチノキ科の多羅葉のようです。
神社前の渓流
橿原神宮
石上神宮

今回は大学一年の娘も行きたいと言うので、連れて行きました。
出発は7月16日午前0時、横浜青葉インターに乗り、Go!West!
深夜の東名~第二東名は渋滞無縁の超快適!5速3000回転台で120~130Km/hのつもりが、第二東名にはいると、気がつくと150~160kmが自然にでてしまっています。「あぶない、減速、減速」・・・捕まったら大変です。それにしても第二東名は超快適です。
しかし、左側車線を120~130kmで走行していると、沖縄基地外のキチガイみたいに、煌々とライトを灯し推定180km以上で抜き去っていく独逸車は・・・「サーキットで走りやがれ!」まあ、ついスピードが出てしまうのが夜の第二東名高速です。
ノンストップで走り続け、EXPASA御在所SAに午前3時前トイレ休憩で、最初の休憩、前回、ガソリンが空になって紀勢道で焦ったのを思いだしGSで給油しようと思ったのでしたが、まだタンクはおよそ半分ガソリンが残っているので、40km先の安濃SAで入れようと安濃SAへ。安濃SAに到着、すると安濃SAのエネオスはなんと24時間営業ではない!うそ~、ふざけるな!NEXCO中日本!
しかたがないので、三重県県庁所在地の津インターで降り24時間のGSを捜しました。・・・・ところが、Google情報の24時間営業はほとんど嘘!今回はタンクが空ではなかったが、尾鷲まで行くにはリスクが高く、1時間近く探して唯一大倉町の出光石油さんが営業しており、やっと給油できました。
そうこうしているうちに夜が明け、朝7時前、日本最古の花窟神社を娘に話したところ、興味を持ち参拝したいとのこと。まだ日が登りかけの神々しい花の窟を参拝。
午前8時前に熊野神社本宮へ到着。
今回は、最初に旧社地の中州「大斎原」から参拝することにしました。



沈下橋であることから、大斎原は洪水に度々見舞われることがうなづける。

大斎原の下社中社は撮影不可とのことですので、手前の旧社地です。


第八殿 | 子守宮 | 鸕鶿草葺不合命 | 聖観音 |


写真を撮りたかったがあまりにも失礼なので、遠くからショットでご勘弁を・・・

前回、ネットで調べれば「日本第一大鳥居建立の意義」がわかるかと思ったのですが、検索できなかったので、掲載します。
日本第一大鳥居建立の意義
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・魂)の復活を祈念することであります。
神代の時代、須佐之男命尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事この節目の始めに当たり「日本人の精神(心)の蘇り、日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は、平成十二年五月十一同です。


今回は、本地垂迹説を改めて学習して、娘に講釈しながら参拝をした。勿論うるさがられた。
因みに私は5冊目の御朱印帳を熊野神社本宮で求めました。
本宮は、小一時間ほど滞在して、奥ノ院 玉置神社へむかいました。



玉置神社は不思議な謂れがあり、神様に呼ばれないとたどり着けないと言われています。
呼ばれるとは「最近なんとなく気になっている」「行きたくなった」など今まで知らなかったり、知っていても興味がなかったのに急に気になりだす時です。
実際行こうとすればスルスルと引き寄せられるように何のトラブルもなくたどり着けるようです。
反対に、ただの観光気分だったり、個人の欲望を祈願するために行こうとすると、たどり着けないと言います。
途中で事故に遭ったり、急な体調不良、仕事の都合がつかなくなったなど。
一番多く聞くのは「カーナビが壊れる」「落石で通行止め」というものです。
玉置神社の神様は厳しい神様で、邪心があると受け付けないと言われています。
私は、先月の熊野詣で、次回は玉置神社に是非行きたいと思い、行きたい思いが膨らんだので、一応呼ばれたのだと思います。邪心は・・・いっぱいかなぁ(笑)

たどり着ける人にはどうやら2種類あるようなのです。
それは、
縁のある人は身を清め、心を正しくして生活しないと参拝を計画してもトラブルに見舞われ参拝できなくなるので、日頃から身を清め、精進しなければならない
縁のない人は山の獣と同等扱いにされ、問題なく参拝できる
という言い伝えです。
出来ればご縁があって神様に呼ばれたいですね。
そのほかにも
個人祈願は受け付けない
玉置山の悪口は御法度(恐ろしい罰があたる)
無用の立ち入りは御法度(敬虔な態度、心構えが要求される)
などがあり、玉置神社の神様の清廉潔癖さや、並々ならぬパワーを感じます。
わたしは・・・ 禽獣扱いで辿りついたのかぁ・・・・
まあ、Ddog(ダメ犬)ですから・・・・

午前10時過ぎ、駐車場へ到着です。
標高1000m昔の人達は歩いて登られたかと思うと、感慨深い、それにしても、私達は、なんと安易に着てしまったのでしょう。










なんと神々しい、なんだか参拝を祝福されているかのように感じました。








神代杉 古木の朽ちた幹から若木が育っています。

※今回は参拝しませんでした。
11時過ぎ、玉置神社を後に、天川神社に向かいます。73km約2時間の道程です。


わたしは、四国・九州・京都の山奥を走り慣れていました。常に退避区間を意識して、車間距離を開け、いつでも前方車両の微妙な動きで、退避区間に車を寄せたり、即バックをするのですが、山道走行でのコツです。私の前を走っていた家族連れのバンが下手くそすぎて・・・少々ストレスでした。
「そこを突っ込んでどうする此方が譲る方がいいのでは?」・・・・初めての道でも、不思議と大凡のことは予測がつきます。
前の車両の分も考え、後方車両と併せた退避用の場所を開けておけば、前の車両がバックしても、すれ違うことができます。

オートキャンプ場が多数あるのですが、オートキャンプ場に大型バスが2台・・・・
どうやって着たのだろうか?考えるだけで恐ろしい。絶対にすれ違えない場所は多数あって何回もバックを繰り返して走ったんだろうなぁ。





この奉納舞台で聴くヒーリングミュージックは最高だろうなぁ・・・
橿原神宮へ向かうことにしましたが、あまり有名ではありませんが、旧社格官幣大社現神社本庁別表神社 と、由緒ある丹生川上神社下社は外すことはできません。



ちなみに、天河神社だけ参拝するのであれば、橿原からの国道169号線~309号線をお勧めします。道はほぼ整備され、快適です。

309号線のトンネルに入らず、左側にうどんの看板丹生コミュニティ会館が見えたら左折すると日本最古の水の神様丹生川上神社下社が鎮座されていました。





どうやら葉書の葉はこのモチノキ科の多羅葉のようです。


神社前の渓流

橿原神宮
建国の聖地・橿原、ここから日本という国が始まりました。
日本最古の正史ともされる7日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神の血を引く神倭伊波礼毘古命(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2、600余年前のことです。日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。



御鎮座
橿原神宮は、神武天皇の御聖徳を永く後世に伝えたいという国民の願いから創建されました。
天照大神が天孫・瓊瓊杵尊に仰せになった「豊葦原の瑞穂国はわが子孫の君たるべき国なり」のお言葉通り、神武天皇が国内を統一なさり、畝傍山の東南・橿原の地に皇居を造られ、即位の礼を行われました。
明治時代に入り、天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという思いから、この地に神宮創建をという請願が、民間有志より出されました。明治天皇がこれを深くほめたたえ、元京都御所の賢所と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮として御鎮座になりました。








石上神宮

石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。










17時になってしまいました。夕方以降神社は参拝しないのが通例・・・
奈良の日帰り温泉ゆららの湯押熊店で一風呂浴び、電気湯で疲れをとり、一寝入りして、夜11時すぎ、奈良を発ち、帰路につきました。疲れたら休息し、サービスエリアで休み休み、朝6時自宅に到着。昼12時まで爆睡しました。
なお蛇足ですが、三重県石油協会下記クレームを送っておきました。
インターネットにガソリンスタンドで24時間営業していると記載していても営業していません。あまりにも沢山のガソリンスタンドが間違った情報を出しています。
あまりのいい加減さに、クレームを申し上げたい。
6月に熊野詣で、紀州長島付近~尾鷲で早朝タンクが空でネットで24時間営業の情報を信じ、ことごとく閉っている嫌な思いをした。
昨日も早朝熊野詣に向かい、早めにガソリン給油と思い、安濃SAへ。
高速のSAは24時間と思い込んでいたが、安濃は閉っていた・・・※ネットには確かに22時に閉ると書いてあります。
しかたがないので、津インターで降り24h営業GSを探したら、ネット上24時間営業と書いてあってもやはりことごとく閉っておりました。ほとんどのネット情報は虚偽!わざわざ捜して行くと閉っている。1件や2件ではないので、怒りすら感じました。
JARO 公益社団法人 日本広告審査機構に告発しようとかと思うほどの酷さでした。
昨日はやっとのことで電話で親切に対応いただいた大倉町の出光さんで給油することができました。
親切にご対応いただいた出光さんに免じてJAROに文句は言いませんが、ネット記載情報についての実態を組合で調べ改善を要望します。
安農SAが24時間ではないのも問題です。何とかしてください!
津のGSで24時間営業が皆無というのも問題です。
地方創生、インバウンドが騒がれて久しい昨今、この実態は由々しき状態です。
厳しい経営実態と思いますので、24時間と書いてあって24時間ではないGSの24時間営業の復活は、難しいかもしれませんが、せめて正確な情報を載せるようご指導お願いします。
執筆中