Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:祭りと伝統


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転勤で四国と九州の支店に在籍していた時、別府には何度か遊びに行ったことがある。山の上にある遊園地が普通の遊園地であると聞いて多少がっかりしたことがある。

「どうせなら、箱根小涌園のような温泉SPAリゾートだったら楽しいのにな」と思ったのは私だけではないだろう。

しかし、まさか4日で100万アクセスするとは思わず、公約してしまう市長さんは・・・
焦っているようだが、

良かったではないか!世界的温泉リゾートに進化できる、世紀の大チャンスではないか!

どうも大ぼらだったようだが、嘘から出た誠、ラクテンチ側も、腹をくくって別府市役所と心中すればいいではないか!一地方の寂れた遊園地でいれば20年30年後存続は難しいだろう。

本気でやるべきだ!実現すれば間違いなく世界中から観光客がやって来るだろう!
TDLやUSJと並ぶ観光施設になるかもしません。

ここで出来ませんとケッチャナヨの手抜き張りぼてをしてしまう民族と、ピンチをチャンスに変える民族の差が出るだろう。

予想外で慌ててしまっているようだが、資金はクラウドファンディングで世界に募れば良いんじゃないか❗私も出資したい❗

トランプホテルグループや孫正義にでも出資を打診してみても悪くはないだろう。乗ってくるだろう。

だが、完璧を求めるならオリエンタルランドや星野リゾート、USJと組んでみても良いだろう。
組む相手さえ間違えなければ、世界に誇れるリゾートが誕生するに違いない。

だけど、水着着用エリアとネイキッドエリアの区別はあった方が良いかもしれませんでした。


【追記】2017.4.12
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人が入れる温泉として世界一の湧出量を誇る大分県別府市では、2016年11月に“遊べる温泉都市構想”の取り組み第一弾として公開した『湯~園地』計画公約ムービーの実現に際して、実施概要・完成予想図を発表。

『湯~園地』計画は、温泉と遊園地を融合させ、温泉につかりながら楽しめるアミューズメント施設『湯~園地』を描きYouTubeでの再生回数が100万回を達成した場合、実際に別府市内で計画を実行するという、世界初の“再生数連動型公約ムービー”として、昨年11月21日に公開。 予想をはるかに超える大きな反響となり公開4日目で100万再生を達成。現在ではすでに300万再生を突破。

【動画】100万再生で本当にやります!別府市・湯~園地計画! “1 Million Views Make it a Reality!” Beppu City Spamusement Park Project!(YouTube)
https://youtu.be/UbMmhQYoAsM



100万再生達成以降、別府市では計画の実現にむけて特別チームを結成。クラウドファンディング等を通じての支援募集やアトラクション計画の策定等を行い、この度実現にむけて寄せられた支援金が3000万円を突破したことを受け正式に実施概要が決定! 

7月の開園にむけ、本日4月12日より『湯~園地』公式サイトが開設。“湯~園券”ならぬ入園チケットの発売を開始。『湯~園地』の決定したアトラクションをご紹介いたします。

決定済6アトラクションはこれだ!

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・TOWA TEI SelectBGM
人気DJであるTOWA TEIさんがセレクトしたBGMが園内に流れます。        
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・架け橋かけ湯
更衣室からアトラクションをつなぐ架け橋には、かけ湯を設置予定。衛生面も安全。長さ約150M!

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・温泉ミストアストロファイター
周囲をぐるりと囲んだバーから温泉が噴射し、なんと空中で温泉を楽しみながら遊べます。

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・温泉スライダー
別府市内でも開催したことのある人気アトラクション。全長100Mのコースを温泉につかりながらライド温!

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・特製ブレンド温泉
プールエリアに温泉を入れ、 大浴場に。 豊富な種類を生かした湯~園地特製ブレンド湯の温泉です。

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・温泉メリーゴーランド
アトラクションにもお湯を入れて温泉につかりながら楽しむことが出来ます。

新規決定2アトラクションはこれだ!

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・湯~列車
動画にも登場した射的場をスペシャル仕様にアップデート! キッズエリアにて温泉をふんだんに使用した温泉アトラクション列車、その名も “湯~列車” を準備。特性温泉鉄砲を持って乗車しキッズエリアをクルージング。様々なターゲットに温泉をぶっかけて楽しもう! 別府ならではの豪華景品も取り揃えています。

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・別府屈指の人工知能OUによる、 あひるの徒競走的中パフォーマンス
ラクテンチ内の名物あひるの競争エリアを解放。 足湯に浸かりながらご高齢の方にもゆっくり楽しんでいただけます。 さらに!人工知能AIならぬ ”OU(オーユー)” による予想サービスを導入。

4月12日より公式サイトオープン、 入園チケットの販売を開始

『湯~園地』公式サイト
http://www.gokuraku-jigoku-beppu.com/yuenchiplan                                                                                                            

■計画実現にむけたコメント 別府市長 長野 恭紘(ながの やすひろ)さん
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みなさま、 このたびは『湯~園地』計画に多くのご意見とご支援を頂き誠にありがとうございます。 予想をはるかに超える反響で、 瞬く間に100万再生を達成してしまった昨年11月。
達成直後は“やった”といううれしさと“やってしまった感”とが入り混じる想いでございましたが公約としてかかげたからにはやるしかないと、 昨年末より特別チームを編成させて頂き、 日々計画の実行にむけて色々な協議を重ねて参りました。 多くの方のご支援により、 本日完成予想図の発表にこぎつけたことを本当にうれしくおもっております。 実現するからには思いっきり楽しんでいただけるものにしたいと考えておりますので、 どうか宜しくお願いいたします。 」
■『湯~園地』実施概要

・開演日時 :2017年7月29日(土)~31日(月) の3日間
・開演場所 :別府市「ラクテンチ」内 ・住所:大分県別府市流川通り18丁目
・入園料 :8,000円~( 大人1名、 小学生以下1名)・入園券類総数:各日限定3000名
・アトラクション :全8アトラクション(決定済の下記6アトラクション+新規決定の2アトラクション)
『湯~園地』は2017年7月29日~7月31日の3日間、 公約ムービーの撮影場所でもある別府市内の遊園地『ラクテンチ』にて実行となります。 実現内容の策定にあたっては、クラウドファンディングサイトCAMPFIRE等を通じて入園チケット等を特典とした支援者募集を行い、 集まった支援金に基いてアトラクションの内容等を検討するという方式をとりました。
2017年2月10日~4月10日の2ヶ月間に同サイトを通じて集まった支援金は総額33,966,585円を達成。そのほか実現にむけて、 別府市に直接の寄付金等も寄せられました。 この結果、本プロジェクトにご賛同いただいた人気DJ TOWA TEIさんのセレクトBGMを含む全8アトラクションの実施が決定しました。


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 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。
天皇陛下のお言葉を拝聴し、日本国民であることに幸せだと思った。
>天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
このお言葉を聞くと神戸淡路大震災や、東日本大震災の発生した直後、被災した方々をひざを折って慰問されて回った陛下のお姿が目に浮かびます。
>これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々へのご配慮。これほど一人一人の国民に寄り添い思う君主が他の国に存在したのだろうか。わたしは本当に日本に生まれてよかったと思った。
参議院選挙直後、突如NHKが陛下の生前退位をリークした。
憲法改正反対を旗印に戦い大敗した野合連合は、陛下が憲法改正反対の意思表示だと騒いだが、この陛下のビデオを観ても依然そうおもうのであろうか?
陛下は、象徴天皇として極力政治に対し影響を及ぼさないよう細心の注意を払っていることが伝わる。天皇制反対と叫ぶ共産党、共産党と連携した民進党や、その他泡沫野党議員に対してすら国民に対する分け隔てのない慈愛を持たれている。
このビデオを見て陛下が、政治的意図を持っていると主張することがなんと愚かしいかと思ってしまった。
今上天皇陛下「生前退位」のご意向 2016/7/13(水) の記事で書いた、ことも、陛下のお心から比べ、なんと自分が小さいことか思い知ってしまう。
 常に国民を思い寄り添い、祈り、そして、全国の人々の姿を励まし続けた陛下。
我々日本国民は、天皇陛下のお気持ちに応えるべく、生前退位を、与野党関係なく、国民一体となって早急に取り組むべきだと強く感じます。
日本のご皇室を未来永劫千代に八千代に弥栄いやさかさせることが、日本国民の責務であると思います。
《徳間書店『世界が憧れる天皇のいる日本』より》                     
 「国の誇り」は世界のどの国にもあるものである。

 たとえば近代中国は、悠久な五千年の歴史や人口が多いこと、さらには地大物博(土地が広くて何でもあること)などを小学生の頃から教え、それを国自慢にしてきた。

 近年よく話題になっているのは、韓国ハングル世代のウリナラ(我が国)自慢である。漢字もサッカーも、人類の文化、文明、文物はたいてい韓国起源と主張し、朴槿恵大統領まで、「韓国人は優れた創造DNAをもつ」などと自慢している。

 もちろん西欧においても、大航海時代以後に文明的優位を確立してから、非西洋諸民族への植民地化は宗主国の使命であり、文明化や人道人権を伝えたとしている。現在でも自由、民主、人権などは普遍的価値として、欧米ではそれらを世界に広めたと誇りにしている。

 戦後日本は、国に誇りをもつよりも貶める自虐史観が流行った。戦前はすべて否定され、「愛国」は危険な思想とまで見られてきた。だから「日本の誇りを取り戻す」ということは国を思う人々にとっては、むしろ宿願だろう。

 だが、日本は「万邦無比」の誇りをもっている。それは「万世一系の天皇」をいただいているということである。そしてこれは世界唯一のものであり、世界の憧れでもあるのだ。

日本は平安時代や江戸時代に数百年にわたる平和社会が続いた。また、戦後日本も70年近くにわたり平和を維持している。しかも、江戸時代から現在まで、来日した外国人が一様に認めるように、治安が良く、親切で、世界一安全な国である。世界中それほど安定して安全な社会があるだろうか。これも「万邦無比」であろう。

 この平和な社会は、全人類にとって貴重な文化財産でもある。では、こうした「万邦無比」の平和と安定、そして安全な社会は、いったいどう生まれたのだろうか。それは「万世一系」が象徴するように、超越的な「天皇」の存在があってこそ、その社会を育んだのである。天皇を中心として国民がまとまり、平和が維持されてきたのである。そうでなければ、「万世一系」自体が不可能である。中華の王朝交替時に見られた反乱や虐殺の歴史を見れば、それは明らかであろう。

 日本人にとっても、人類史にとっても「万世一系」の超越的な天皇の存在が、いかに貴重で「万邦無比」あり、未来の人類にとっても福音であるかということを明らかにするのが、本書を世に問う動機の一つである。

本書は主に四つの論題にしぼり、四章に分けて天皇をとりあげている。その主な主眼は次の通りである。

(1)まず外国からの天皇観を紹介した。古代から近現代まで、そして東洋人、西洋人から天皇はどう見られ、どう語られてきたかを述べた。もちろんその中には誤解や曲解も含まれている。

(2)他国では不可能だった「万世一系」が、なぜ日本では可能だったのか。そして、それが日本にどのような作用を及ぼしたのか。ことに明治維新以後にアジアでもっとも早く近代化し、世界の大国にまでなれた理由を、天皇の存在から読み解いていく。

(3)天皇と他国の元首とはどこが異なっているのか。中華帝国の皇帝との違いを中心に、他国の国王や法王などのあり方の差異から、皇統が連綿と続いてきた理由を探る。

(4)天皇と日本人の関係について。歴史的に見ても、天皇は日本人にとって「無私」としての公的で超越的な存在である。その一方で、日本人と天皇のつながりは、他国の国家元首と国民の関係に比べて、極めて強い。なぜ天皇は日本人にとって特別な存在なのか、その秘密を探る。

 日本が海外から誤解されていることは多々ある。たとえば、戦後に民主主義が広まったというのも、その一つである。民主主義にとって必要不可欠な条件は、少なくとも二つある。一つは徳治(人治)社会ではなく法治社会であり、民衆に遵法精神があるということである。日本人の遵法精神については、すでに開国維新以前に確立されていた。そのことは、江戸時代に来日した西洋人の見聞録などにも書かれている(詳しくは拙著『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』〈徳間書店〉を参照されたい)。

 もう一つは多様性の是認である。日本は世界一「何でもある国」である。江戸時代は朱子学だけでなく陽明学、蘭学、国学、そして神道も仏教もダイナミックに競っていた。天皇という超越的存在の下で万人平等の社会であったため、それが可能だったのだ。

 フランスの民主主義は国王から奪ったものだが、日本の民主主義は四民平等、万民平等という社会のしくみから生まれたものである。

 神代の神議から今日に至るまで、日本の民主主義は日本文化の歴史の申し子そのものであることは、本書でも改めて指摘したい。

 本書は日本人が書いた天皇論とはやや趣を異とし、台湾で生まれ育ち、その後、日本で半世紀を暮らしてきた筆者が、第三者の目から天皇と日本人について分析したものである。日本の素晴らしさや底力について考えるための一助になれば幸いである。
アインシュタインが断言!「天皇」が世界の盟主になる日が来る 
(略)                                                                                                 1922年、日本を訪問したアルバート・アインシュタインは、早稲田大学の大隈講堂で行った講演で次のように語っている。
 「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。果たせるかな、この国の三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通じて一系の天皇をいただいていることが、今日の日本をあらしめたのである」

 さらにこう続けた。
 「世界の未来は進むだけ進み、その間、いくどか争いは繰り返され、最後は闘いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求め、世界的な盟主をあげなければならない。世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まり、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない」(『新世紀の宝庫・日本』名越二荒之助著。アインシュタインの発言については、田中智學の『日本とは如何なる國ぞ』〈1928年〉、雑誌『改造』〈1922年12月号〉などに多く出ている)

 アインシュタインよりも約6年早く、1916年に日本を訪れたフランスの哲学者、神学者で高名な詩人だったポール・リシャール博士は、日本に魅せられ、その後4年間日本に滞在した。そのとき詠んだ「日本の児等に」と題する詩に、日本の7つの栄誉と使命をあげている。その6番目と7番目を紹介しよう。

 (6)建国以来一系の天皇を永遠に奉戴(ほうたい)する唯一の民よ。貴国は万国に対し、人がなお天の子であり、天を永遠の君主とする一つの帝国を建設すべきことを教えるために生まれてきた。

 (7)万国に優って統一性のある民よ。貴国は未来の統一に貢献するために生まれ来た戦士として人類の平和を促すために生まれてきた。アインシュタインの思いと似ている。

 1919年、第一次大戦後のパリ講和会議で日本は人種の平等を国際連盟の規約に入れるように提案した。これは国際会議における世界で初めての人種差別撤廃の提言であった。それはアメリカのウィルソン大統領の反対で潰えたが、その後、日本は有色人種にとって希望の星となった。そしてそれは、アメリカの黒人たちも同様だった。

 アメリカの黒人史の専門家で、ハンプトン大学や神田外語大学の助教授も務めたレジナルド・カーニー氏は、著書『20世紀の日本人』(五月書房)で、当時のアメリカの黒人たちの親日感情について記述している。

 当時、黒人差別を撤廃するために汎アフリカン運動を組織していたアメリカのW・E・B・デュボイス博士もその一人で、1937(昭和12)年に満洲と日本を訪れ、「日本人ほど知的で礼儀正しく、清潔好きで、時間を守り、善悪の判断をする国民はいない」と知り、「神道とは善悪を見きわめて行動する教義であり、それを人格化したのが天皇である」と述べたという(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。

 カーニー氏は、著書の中で、「日米戦争を喜んだのは中国人やインド人、フィリピン人などだけではなく、アメリカ黒人も同じように喜んだのである。黒人の中には、この戦争は『人種戦争』だと公言し、日本はアジアを白人から解放する英雄であるというものすら出てきた。白人優位の神話を根底から覆した日本人。そんな日本人と戦うくらいなら、監獄に行った方がましだ。こんな考えが黒人の間を駆けめぐっていた」とも記している。

天皇という超越的存在の下の同胞意識


 明治維新だけがなぜ成功したのかについては、維新から100年以上が経った今もなお、魅力と興味を誘う政治改革の研究テーマの1つである。

 近現代、ことに西力東来後の列強の時代になって、「維新」(あるいは変法ともいわれる)をめざしたのは、決して日本だけではなかった。たとえば日本の隣国を見ても清末の戊戌(ぼじゅつ)維新、朝鮮にも同時代に甲申(こうしん)政変があったが、すべて失敗した。戦後、イランのパーレビ国王の維新(白色革命)も失敗に終わった。

 なぜ日本だけが成功したのかについて、渡部昇一(わたなべしょういち)氏は、「それは神話の時代以来連綿と続いている天皇という超伝統的な要素が、まず先端をきって近代化したためである」と指摘している。

 易姓革命の国、中国で改革維新が唯一成功したのは中華帝国よりはるか昔、戦国時代の秦の商鞅(しょうおう)変法のみだった。これ以外には、歴代王朝の変法は戊戌維新だけでなく、宋(そう)の王安石(おうあんせき)変法をはじめ成功したものはない。血を流す「革命」しかなかった。フランス革命もロシア革命も血の粛清を避けられなかったのである。功臣や同志に対する血の粛清がなければ、革命政権は安定しない。

 隣邦の韓国(朝鮮)の易姓革命を見ても、前王朝、あるいは前大統領に対する血の粛清は凄(すさ)まじいものである。たとえば、現在の朴槿恵(パククネ)大統領は、政敵を暗殺した安重根(あんじゅうこん)を民族の英雄として、大々的に造神運動を進めているが、韓国人によるジェノサイドはほぼ民族の特徴ともなっている。明末の明人大虐殺をはじめ朴正熙(パクチョンヒ)時代の南ベトナム解放民族戦線大虐殺、近代でも金玉均(きんぎょくきん)や独立運動指導者の金九(キムグ)や呂運亨(ヨウニョン)などもことごとく政敵に暗殺しつくされ、朴槿恵大統領の両親朴正熙大統領夫妻も暗殺された。

 なぜ日本だけが自国民に対するジェノサイドを避けられたのだろうか。そこにも超越的な存在としての天皇の存在と日本人が持つ同胞意識に理由がある。

 たいていの社会はないもの、欲しいものを「そうである」「そうすべきである」と強調する。それがごく一般的な常識といえる。しかしあることとあるべきことを区別できる人はそれほど多くはない。

 中華の国は仁義道徳を強調し、ことに孝は万徳の本だと強調する。それはそうすべきである(当為(ダンウェイ))という願望にすぎない。中国や韓国は家族を大事にする国だとよくいわれているが、実際には親子兄弟姉妹の殺し合い、いがみ合いはほかのどの国よりも激しい。李(り)朝の例を見ても、李成桂(りせいけい)が高麗朝から政権を奪ってから、諸子たちは殺し合い、第一次王子の乱から第二次王子の乱へと王位をめぐる殺し合いが繰り広げられた。それは近現代には朋党(ほうとう)の争いへと引き継がれ、朝鮮半島の社会のしくみ、歴史の掟(おきて)として今日に至り、南北対峙(たいじ)が続いている。同胞意識が欠如しているだけでなく、祖国から離れても、アメリカの大学で韓国人学生による銃乱射事件が続出し、不特定多数の人間に対する恨(ハン)は消えない。

 なぜ韓国人は政敵に対してだけでなく、無差別に、誰に対しても恨をもつのだろうか。日中韓の文化比較はきわめて示唆的(しさてき)である。

以下略




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靖國神社参拝問題とは、戦後日本の矛盾である。
 
国家のために命を捧げた人を慰霊する行為は極めて当たり前のことであり、国に命を投げ出した人たちを英雄として、丁重に祀らなければ、誰が国家のために命を懸けようと思うものか。
 
愛する家族と祖国の未来を守るために命を棒げた人、それが靖國神社の英霊である。日本人として英霊に感謝するのは当たり前のことである。
 
国難に際して、国家の命令で命を懸けて、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々に、時の首相が感謝をしない国は普通の国であろうか?
 
靖國神社参拝問題の結論は、明快だ。時の首相は靖國神社に内閣総理大臣として参拝すべきである。しかし、この問題の本質はけして単純ではない。
 
靖國神社参拝問題で解決すべき問題は4つだ。
①A級戦犯と合祀の是非/昭和天皇の靖國神社参拝中止問題を考える。
②中韓両国の執拗な内政干渉に対し国家として毅然とした態度を取れるか?
③政教分離と、習慣と宗教の違い。
④新たな国立追悼施設建設問題
 
靖國神社問題を論じていくつもりだが、唐突だが、愛国行進曲を聴いた事がありますか?右翼の活動車(宣伝カー)以外で聴いた事がない方は意外に多いと思う。
 
愛国行進曲
 
 

1番
見よ東海の空明けて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の精気溌溂(せいきはつらつ)と
希望は踊る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

2番
起て一系の大君(おおきみ)を
光と永久に頂きて
臣民我等皆共に
御稜威(みいつ)に副はむ大使命
往け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫(かお)る

3番
今幾度か我が上に
試練の嵐哮(あらしたけ)るとも
断乎と守れその正義
進まむ道は一つのみ
嗚呼悠遠(ああゆうえん)の神代より
轟く歩調受け継ぎて
大行進の行く彼方
皇国(こうこく)常に栄えあれ
 
もし、この歌詞に対して、違和感を覚えたのであれば、未だ東京裁判史観に呪縛されているかたではないでしょうか?
 
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この曲が発表された昭和12年、日本は7月 盧溝橋事件通州事件8月大山事件第二次上海事変 日中戦争へ巻き込まれていったのである。この歌詞には当時の日本側の主張、正義の理由が盛り込まれています。当時の皇軍をはじめ一般市民の多くは、この日本の正義を自然なものと感じていたはずです。これを日本の侵略戦争であると未だに思われている方は、東京裁判史観を鵜呑みにして、事実を知ろうとしない不勉強な人間である。
 
 
上海事変当時、上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の三行政区域に分かれていた。自国民を守るため、米軍2800人、英国軍2600人、日本海軍陸戦隊2500人、仏軍2050人、伊軍770人がいた 盧溝橋事件にしても、・第二次上海事変のきっかけとなった大山事件にしても中国共産党や国民党軍が日本を中国内戦へ巻き込む為に起したものである。日本軍の軍事行動は侵略ではなく大義ある行動であったのだ。
 
東京裁判によって、自国民を保護する行為まで侵略戦争であると断定され、東京裁判史観から解脱できない愚かな日本人は、偏った歴史認識の呪縛に囚われている。
 
靖國神社参拝問題とは、戦後GHQが日本を二度と米国に刃向かうような気概を持たせない為に行った、東京裁判史観の呪縛から融けている人間と、未だにその呪縛から融けていない日本人の価値観の相違と私は思っています。
 
しかし、保守派を自認する私にとって靖國神社参拝問題を複雑にしている問題がある。昭和天皇陛下が1975年11月を最後に、靖國神社の参拝を中止してたまま崩御されたことだ。
 
1975年の三木武夫首相の参拝以来、政府要人の参拝が「公人としてか、私人としてか」をメデイアの側が問うために、参拝そのものを遠慮しているのであろうと推測しされてきた。
 
元侍従長の徳川義寛氏が1997年に著した、『侍従長の遺言――昭和天皇との50年』において、1978年秋に明らかになった「A級戦犯合祀」に対して陛下が不快の念をもっているためではないか、との推測が公になった
靖国神社の合祀者名簿は、いつもは十月に(靖国)神社が出して来たものを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和五十三(一九七八)年は遅れて十一月に出して来た。「A級戦犯の十四人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、先方は「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう。

昭和六十二年八月十五日御製

この年のこの日にもまた靖国の
みやしろのことにうれひはふかし


合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものにしていただいた。
徳川氏によれぱ、昭和天皇のA級戦犯合祀への不満がそれとなく靖国神社側には伝えられていたということだし、それが1975年十一月以後に靖国神社に足をはこばない理由だったと明確に示したことにもなった。

昭和天皇はその存命中には決して参拝には行かなかったとの意味はあまりにも大きい。
 
2006年7月、『日本経済新聞』が富田朝彦元宮内庁長官のメモ(いわゆる富田メモ)の内容を報じた。
 
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前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
この富田メモについて、憲法学者の百地章日本大学教授は、「公の発言ではなく非公式のメモをA級戦犯分祀論に結びつけるのは、天皇の政治利用になりかねない」と、この報道以降取り沙汰されたA級戦犯分祀論に対し懸念を示した。
ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、「メモの内容には天皇の真意が反映されているかどうか不明」とメモの解釈に懐疑的な意見を述べた。
 
いわゆる富田メモ該当部分だけ紙が貼り付けてあることに不自然さを感じてならない。周囲の紙と比べ比較的新しく、本当に昭和天皇が言ったかどうか分からないのではないかと私は思う『私あれ以来参拝していないそれが私の心だ』も、本当に陛下が言ったのか、証明するものではない。
 
昭和天皇はいわゆる「戦犯」をどうお思いになっていらしたのだろうか。
 
『木戸幸一日記』
八月二十九日:『戦争責任者を聯合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか』

十二月十日:『侍従長より戦争犯罪容疑者となりたる今日或は御遠慮申上ぐるにはあらずやと言上せしに、聖上は米国より見れ泄閉堺人ならんも我国にとりては功労者なり、若し遠慮する様なれば料理を届け遣せとの御誰ありしとの話を承り、感激。』
『昭和天皇独白録』
『元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る、それが圧制家の様に評判が立つたのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝らなかつたこと・又憲兵を余りに使ひ過ぎた。(中略)東条は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも思慮周密で中々良い処があつた。(中略)私は東条に同情してゐるが、強いて弁護しようと云ふのではない。只真相を明かにして置き度いから、之丈云つて置く』
 
『日本の息吹』二〇〇五年九月号岡崎久彦
敗戦の年の9月11日の閣議は、「戦犯」の裁判は日本の手ですることをGHQに要求することを決定したが、これに対して天皇ご自身から異議が出された。

天皇は「昨日まで朕の信頼した臣僚を朕の名において処刑することはできない」と仰せられた。このときは重光外相が「米側と交渉して成功する見込みはないが、日本が主権国家であることを主張するためです」と奏上してご了承を得ている。その後の公職追放の決定に際しても天皇は、今まで国のために忠実に働いた人々のその後の生活がどうなるかを憂慮されている。
 
昭和天皇の言動、歴史的経緯を考えると、東条英機元首相に対し昭和天皇は信頼していたことは間違いない。ただ、富田メモにあるように日独伊三国同盟を推進した、松岡洋右元外相・白鳥敏夫元駐伊大使、メモにはなく靖國神社に合祀されていない大島浩ドイツ陸軍武官に対しては、彼らが現役時代より不快感を抱いていた。
 
昭和天皇にとって「A級戦犯」を含めて全ての日本国民は戦時中、共に国のために尽くした人々であり、その御霊を靖国神社に祀るに際し、「A級戦犯」のみ反対されることなど想像もできないし、遂に公式には発言されなかったのである。
 
昭和天皇が靖國神社へ参拝しなくなった理由は、陛下ご自身の行動が政治的な判断に影響を及さないよう戦後配慮しつづけた陛下の意思と思われる。
 
私は陛下が参拝をお止めになった理由は合祀よりも1975年11月21日陛下の靖国参拝後に、三木首相が昭和天皇の靖國神社参拝に対して「あれは純粋に私人としていかれたんだ」と発言した方がその政治的理由は大きい。
 
国会で社会党の追求で自らの8月15日参拝は「私的参拝」であったと発言し、自らが私的参拝なら、陛下も私的参拝であると不遜にも発言したことが大きいのではないか?
 
もし、陛下が、1978年10月に行われた「A級戦犯」合祀に反対の立場で参拝をしなかったのなら、合祀直前に最後の参拝をして、その他260万余柱の英霊に最後の敬意を払うであろう。最後の参拝から合祀まで時間的余裕があったことを考えると、三木首相の「私的参拝」発言により、陛下が参拝できなくなってしまったと考えるべきです。
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その後、今上天皇が参拝されていない理由は、明確に三木首相の「私的参拝」
発言と、1975年の11月20日の内閣委員会で、社会党が翌日に予定されていた昭和天皇の靖國神社御親拝を事前に問題とする質問を行ったことに対する政府答弁である。
 
社会党の質問に対し吉国法制局長官は、「天皇の公式参拝は、直ちに憲法二十条第三項違反とまで言えなくとも重大な問題となる」と答弁した。昭和天皇は予定通り11月21日に御親拝になったが、天皇陛下の場合、いささかでも物議を醸す行動は許されないので、その年以降今日まで参拝されていないというのが実情である。
 
つづく
 

 
<余談>
白鳥敏夫元駐伊大使を調べていたら、興亜思想というHPに白鳥敏夫と外務省皇道派 と云う記事の中に面白い発見をした。
日米開戦を経て、彼はその主張を次のようにエスカレートさせた。
 「今度の戦争は本質に於ては日本の八紘一宇の御皇謨とユダヤの金権世界制覇の野望との正面衝突であり、それは邪神エホバの天照大神に対する叛逆であると共に、エホバを戴くユダヤ及びフリーメーソン一味のすめらみことの地上修理固成の天業に対する叛逆行為である」
(「東西戦局の大観」『盟邦評論』1944年7月号)
 
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC現代の日本でも、副島隆彦やベンジャミンフルフォードなどの売文家の馬鹿共が盛んに宣伝しているユダヤ陰謀説と同じ事を言っているのである。
副島と白鳥の共通点は、ヨーロッパにおける反ユダヤ思想を中途半端に理解して、日本に応用し自らの野望の道具として利用している点である。両方とも頭は悪くはないのだろうが、日本を誤った方向に導く愚か者である。
 
 
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本日8月17日Ddogは日本国民として、また、天皇陛下の一臣民として、靖國神社へ参拝してまいりました。
 
売国党が与党として初めて迎える15日の終戦記念日であったが、菅内閣の全閣僚が靖國神社に参拝はなかった。10日の閣議後会見で、参拝しない理由に「近隣諸国の感情」などを挙げた閣僚もいるが、総理大臣が英霊に対し経緯を払わず、日本国民・及び英霊に対しては配慮しないのか!もっとも千葉景子や菅直人に拝まれても英霊達は嬉しくはないであろう。まともな歴史教育をうけていない周辺諸国民に対して配慮したとのことだ。日本の総理なら周辺諸国民のことより、まず、自国民のことを配慮すべきだろう。
 
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菅首相や仙谷が靖國の参拝しないのは勝手だが、他の閣僚の行動まで縛ってしまうのは、行き過ぎである。 昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯とBC級戦犯を釈放した。これをもって日本には戦犯はいなくなったのである。それを無かった事のように振舞う売国奴達に私は憎悪を感じる。
 
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戊辰戦争以降日清・日露と先の大戦で、我々の為に命を捧(ささ)げた人たちに対し哀悼の意を表すことは当たり前なのである。そして、死者に対する敬意を表す為に、神社を祀るのは日本人として宗教というより太古よりの伝統、慣習に近い性格であると思うのであります。
 
釈徹宗 著 「不干斎ハビアン」p220~221
 
http://www.shinchosha.co.jp/images/book_l/603628.jpg柳田國男は、「死者を祖霊になるまで祀る」ところにこ日本教宗教民族の基盤があるとしてこれを「先祖教」と呼んでいる。確かに日本宗教文化において「先祖教」は看過できない構成要素である。

柳田による「先祖教」の特徴は以下のようなものである(先祖の話1990年)
 

1.先祖は祭るべきものであり、自分たちが祭らねば、だれも祭る者がいない霊を指す。

2.死者は身近に留まっており、決まった時節には還ってくる。これは仏教でさえなかなか崩せ「い日本の死後観念であり、今日もなお根強い。

3.死者はある年限を過ぎると「御先祖さま」「祖霊」となる。通例三十三年・稀には四十九年や五十年に最後の法事蕎むことで祖霊となる。この形態は古信仰と仏教と・双方からの譲歩によって出来上がったのではないか。

4.近年は、死者の「個人性」が強くなり、祖霊というすばらしい装置が粗略になっている(柳田は、仏教が霊の個人化に大きく寄与し、祖霊との融合を阻んだことを批判している。
 
柳田も言及しているが、「あらみたま(荒御魂、新御魂)」が祀られることにより「にぎみたま(和御魂)」になり、そして(祖霊)となるというプロセス。これは、北方モンゴロイドと南方モンゴイドとの混成した、日本宗教文化の死生観だと思われる。(荒御魂はフィリピンやミクロネシアあたりの信仰、和御魂はモンゴルやシベリアやバイカル湖あたり、祖霊は華南地方あたりの信仰ではないかという説がある)。人が死ねば身体は要素ごとに分解されてしまうが、魂は残る。死んだ当初は荒御魂(新御魂、魂がまだエネルギッシュな状態)、その後これを祀ることで和御魂(穏やかで柔和な魂)となる。和御魂を三十三年から五十年かけて祀り続けることで、ついに は「祖霊」となる。祖霊になれば、大きな生命体と一体であるから、もはや個は解体される。まさに日本特有の「生命のストーリ」である。この物語が根強いために、仏教の輪廻観もそれほど土着化していない。この生命観は、日本宗教文化を考察する際には欠かせないものである。
 
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今の政府に、靖國神社参拝問題で、中国と韓国に対し意見を述べるなど期待もしていないし、余計な談話は残してほしくはない。
 
現政府は、未だに東京裁判史観の呪縛から開放されておらず、『「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表明する』などという村山談話は東京裁判史観による歴史観であって歴史を歪曲するものであり。
英霊たちを冒涜するにもほどがる談話だと思います。
 
私が仮に総理大臣となったなら、真っ先に中国・韓国に謝罪します。村山談話・河野談話・菅談話は日本人の総意でないにもかかわらず発表してしまい申し訳ございませんでした。国際社会のルールに反して誠に申し訳ないが、取り消しさせていただきす。過去の政権の談話を取り消すことを謝罪します。
 
そもそも大東亜戦争は侵略戦争であったのか?すくなくとも自衛の為に起こした、大義ある戦いであったと私は思う。石油が輸入できなくなったとしたら、現代から比べれば比較にならないほど石油を消費していなかった当時ですら国家の存亡にかかわる事態であり、米英蘭に対し宣戦布告をおこなったのは、侵略戦争ではなく自衛戦争である。
 
私が知る限りでは当時の大新聞や世論が開戦を叫ぶなか軍幹部政府・天皇陛下は開戦に皆反対で、開戦を回避するべく努力が行われたが、なんとしても日本に開戦の火蓋を切らせたい米国・英国・中国国民党・ソ連の思惑によって、開戦へと押し流されていったのである。
 
一度東京裁判史観で教育を受けた日本人にとって、東京裁判史観の呪縛から開放されるには、現代史論理的に理解し、論理的に東京裁判史鑑を否定できるだけの知識を持たない限り、その呪縛から容易に解脱することは難しい。
 
無知であったり、意図的に東京裁判史観を擁護する人間が多数いるようでは、国益を擁護し、国民生活の向上につながるような自主憲法改正が不可能である。自主憲法を制定しない限り、半永久的に米国の属国の地位に甘え、自民党三木武夫政権以降~現民主党政権の菅総理のように、周辺諸国の要求と国民の要望を比べた場合、周辺諸を優先してしまう情けない状態になる。
 
自主憲法を制定し、日本人の権益を擁護するよう改め国家の百年の大計を計画しない限り、このまま日本は衰亡してしまうのではないかと、深く危惧しております。
 
護憲派の人間から投稿をうけたが、かれらはおそらく善意の人間であろうが、2010年の世界情勢分析が中学受験小学生以下の認識である。彼らが有名私立中学を受験したならば、社会科は不合格である。2010年:世界第二位の経済大国となる可能性がある中国は、日本の権益を侵犯し、その急激かつ過剰な軍事力増強は東アジアのパワーバランスを破壊しようとしている。日本は、防衛費の削減が続き、とても軍事大国化する余地が無い。日本が軍国大国化すると真剣に憂慮している彼らの認識は、洗脳を受けたオウム真理教の信者に似ている。日本軍事大国化阻止宗教のカルトである。
 
彼らは現状を正しく把握できず、その呪縛は死ぬまで解けない可能性が高い。偏った知識や認識を克服することは限りなく難しい。彼らの現状把握能力や、現状分析力能力は廃人とかわらず、誠に気の毒である。
 
この靖國神社参拝問題の解決なくしては、東京裁判史観の克服と、自主憲法制定は難しい。
 
私も早速昨晩18日から日靖國神社問題関係書籍を5~6冊読書中でございます。
改めて今晩か明日靖國神社論を書かせていただく予定です。
 
そのなかで、まずは皆さんにどうしてもご紹介したい逸話があります。
 
日中国交回復後社会党の佐々木更三が毛沢東主席に「中国国民に多大な損害をもたらして申し訳ない」と言ったところ、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。皇軍の力なくして我々が権力を権力を奪うことは不可能だったでしょう」と感謝の意を表したそうです。
 
歴史とはそのときと場所、解釈する人間によって、様々に解釈されます。
毛沢東のこの発言は、意外ではなく、当然の発言とは重いますが、改めて書籍でそういった事実を発見すると、新鮮な驚きを覚えます。
 
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