日本のサービス産業、労働生産性は米国の5割
【マイナビニュース】2016/12/13
公益財団法人 日本生産性本部は12月12日、「日米産業別労働生産性水準比較」を発表した。滝澤美帆・東洋大学准教授を座長とする「日米産業別労働生産性水準比較研究ワーキンググループ」を立ち上げ、類似データを利用しながら経済産業省「通商白書2013年版」と同様の手法で最新年次による比較を行ったもの。
「日米の産業別生産性(1時間あたり付加価値)」と付加価値シェア(2010年~2012年)
産業別にみた日本の労働生産性水準(2010~2012年平均)は、化学(143.2%)や機械(109.6%)で米国を上回り、輸送機械(92.7%)でも遜色ない。一方、サービス産業をみると、運輸(44.3%)や卸売・小売業(38.4%)、飲食宿泊(34.0%)などの主要分野で格差が依然として大きい。
90年代後半(1998~2000年平均)と比較すると、製造業では日米格差が3.2%ポイント縮小しており、特に化学(+36.7%p)や建設業(+18.2%p)、食品製造業(+10.1%p)などで大幅に改善。一方、サービス産業では大きな変化はなかった(0.9%p格差が拡大)。飲食・宿泊(+2.5%p)で若干差が縮小したものの、卸売・小売(-6.3%p)や運輸業(-3.6%p)などで格差が拡大している。
リーマン・ショック前(2005~2007年平均)と比較しても、日米格差は製造業(+6.0%p)で縮小する一方、サービス産業(-1.8%p)で拡大している。飲食・宿泊(+3.2%p)で改善したものの、運輸(-0.2%p)や卸売・小売(-3.3%p)、物品賃貸・事業サービス(-4.5%p)などで日米格差が拡大したことが影響した。
産業別にみた日本の労働生産性水準(2010~2012年平均)は、製造業で米国の7割、サービス産業で5割だった。日米格差は、1990年代後半と比較すると製造業で3.2%ポイント縮小したものの、サービス産業では0.9%p拡大している。リーマン・ショック前と比較しても、製造業では日米格差が6.0%p縮小しているのに対し、サービス産業では1.8%p拡大。サービス産業の労働生産性水準は、1990年代後半から米国の5割程度にとどまる状況が続いている。
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。
日本人は勤勉で真面目に努力に努力を重ねている。世界的に見ても、日本の労働者の教育レベル、勤勉さ、そして忍耐強さのレベルは世界一といっても過言ではないだろう。日本の優秀な労働力は日本の経済を大きく支えてきた。
だが、バブル崩壊後、次々に日本は改革を受け入れ贅肉を削ぎ、制度を変え、痛みを伴う改革が続いた。対策として、女性の社会進出の為男女雇用機会均等法、そのために保育園の整備だ、待機児童のゼロを目指しましょう。その結果今年のユーキャン流行語大賞の一つが「日本死ね」に・・・、正規雇用が減って、非正規雇用が増え、ホワイトカラーエグゼンプションによる残業カット。
にもかかわらず、労働生産性が低い。そこで、また日本の労働生産性えお改善すべく賃金も下げ「もっと頑張る」、そして改革を試みる。でもずっと低迷したままだ。これはミステリーとしか言いようがなく、理由に困り、「そもそも日本は民族として劣っているのだ!」。という日本人を侮辱する暴言がまかり通っている。これは絶対に違う!
最近ネットを覗くと世界一優秀な労働者だと世界中がからされていると思うのだが、日本のパラドックスとでもいうべき不思議な現象である。人的資源のポテンシャルが高い以上、問題は人的質ではなくて、へたをすれば労働生産性の概念が間違っているのではないか?それとも何が悪いのだろうか?
はっきり言って、いつまで頑張ればいいのかわからない。日本人はもうこれ以上どうがんばれと?もう限界である。頑張っているのに労働生産性の低い日本のパラドックスの原因がどこにあるかをちょっと考えてみる。
労働生産性のことで英国人で日本企業の社長であるデービッド・アトキンソン氏が、
まだ日本人は頑張り足りないと言うのである・・・・え~???日本病ですか???
「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実
日本の生産性は、先進国でいちばん低い
【東洋経済】2016年12月9日デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長
日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。
著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。
彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済を蝕む「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』が刊行された。そのポイントを解説してもらう。
さまざまなジャンルの世界ランキングで高位置にいるが
「日本人は『○○の分野で世界第○位』という話が大好きだ」
これは初めて日本に来てから31年、私が日本の皆さんに対して抱いてきた率直な感想です。
私はバブル直前の1985年、日本にやってきました。そのころ日本はすでに「世界第2位の経済大国」で、国中に自信がみなぎっているのを感じました。いまは中国に抜かれて第3位になっていますが、それでも世界には190以上の国がある中での第3位ですから、たいへんすばらしいことだと思います。それ以外にも、輸出額、製造業生産額、ノーベル賞受賞数など、さまざまなジャンルの世界ランキングで、日本は高い地位を占めています。
これらは、まさに「一流国家」というにふさわしい実績でしょう。そんなすばらしい実績を達成した日本人が、「自分の国は第○位だ」という話を喜ぶのは、ある意味で当然だと思います。
ですが、不思議なこともあります。日本ではなぜか、欧州では当たり前の「1人あたりで見て、世界第○位」という話はほとんど聞かれません。「全体で見て第○位」という話ばかりなのです。
「全体で」「1人あたりで」、どちらで見るべきかはケースによって違いますが、国民1人ひとりの「豊かさ」や、個々人がどれだけ「潜在能力」を発揮しているかを見るには、「1人あたりで」のほうが適切なのは明らかです。同じ100億円の利益を上げている会社でも、従業員100人の会社と1000人の会社では、それぞれの社員の「豊かさ」や「潜在能力の発揮度合い」は10倍も違うという、きわめて当たり前の話です。
「1人あたり」で見ると、違った景色が見えてくる
では、日本の実績を「1人あたり」の数値で見直すと、どんな風景が見えてくるでしょうか。きっと、驚かれることと思います。
・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である
→ 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である
→ 1人あたり輸出額は世界第44位
・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である
→ 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である
→ 1人あたり研究開発費は世界第10位
・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である
→ 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位
・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である
→ 1人あたりメダル獲得数は世界第50位
注:生産性は世界銀行(2015年)、輸出額・製造業生産額はCIA(2015年)、研究開発費は国連(2015年)、ノーベル賞はWorld Atlas(2016年)、夏季五輪メダルはIOC(リオオリンピックまで)のデータをもとに筆者算出
まだまだありますが、これくらいにしておきましょう。これだけでも、日本の「全体で見ると高いランキングにいるが、1人あたりで見るとその順位が大きく下がる国」という特徴が浮き彫りになるはずです。これは、単純に日本の人口が多いからです。先進国で1億人以上の人口を抱えている国は、米国と日本しかないのです。
誤解しないでください。私は、「日本人は大したことのない人たちだ」などと言いたくて、これらの事実をご紹介したわけではありません。むしろ長年、日本人の皆さんと働いてきて、日本人の能力の高さに心からの敬意を抱いています。これは私の単なる感覚ではなく、国連の調査でも、日本は「労働者の質」が世界一高い国であることが明らかになっています。
能力が高いのに結果が良くない。これは、「潜在能力」が活かされていないことを示しています。逆に言えば、日本にはまだまだ「伸びしろ」があるということです。
なぜ、イギリス人がこんなことを書くのか
1979年、私がまだ中学生だった頃、サッチャー首相がテレビのインタビューでこのような内容のことを語りました。
「みんながなにも反発せずに、しかたがないと言いながら、この国が衰退していくのを見るのは悔しい! 産業革命、民主主義、帝国時代などで輝いたこの国が世界からバカにされるのは悔しい!」
当時、戦争が終わってから、イギリスは経済のさまざまな分野でイタリア、フランス、ドイツや日本に大きく抜かれました。イギリスには過去の栄光以外になにもない、あとは沈んでいくだけだ、などと厳しい意見も聞かれ、世界からは「イギリス病」などと呼ばれ、衰退していく国家の見本のように語られていました。
あの時代、まさか今のイギリスのように「欧州第2位」の経済に復活できるとは、ほとんどのイギリス人をはじめ、世界の誰も思っていませんでした。それほどサッチャー首相が断行した改革はすごかったのです。
これは、別にイギリス人のお国自慢ではありません。かつて「イギリス病」と言われ、世界から「衰退していく先進国」の代表だと思われたイギリスでも、「やらなくてはいけないことをやる」という改革を断行したことで、よみがえることができたという歴史的事実を知っていただきたいのです。
サッチャー首相の言葉と同様に、みなさんにぜひ問いかけたいことがあります。
皆さんが学校でこんなに熱心に勉強して、塾にも通って、就職してからも毎日長い時間を会社で過ごし、有給休暇もほとんど消化せず、一所懸命働いているのに、「生産性は世界第27位」と言われて、悔しくないですか。労働者1人、1時間あたりで計算すると、イタリアやスペインすら下回ります。「先進国最下位」の生産性と言われて、悔しくないですか。
「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。
こんなにも教育水準が高い国で、世界の科学技術を牽引するだけの潜在能力がありながら、1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。
私は、悔しいです。
「失われた20年」を経て、日本は経済成長をしないのが当たり前になりつつあります。かつてイギリスがそう呼ばれたように、「日本病」などと言われ、衰退していく先進国の代表のようにとらえられてしまうおそれもあります。実際、海外では、日本のことを研究する際には、経済政策の失敗例として扱われることが多いと聞きます。私がオックスフォードで日本について学んだときは、戦後の日本経済がいかに成功したかということが主たるテーマでしたので、非常に残念な変化です。
だからこそ余計に、今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません。日本人の「潜在能力」が活かされていないことが悔しくてたまりません。
GDP770兆円、平均年収1000万円も十分可能
初めて日本にやってきてから、もう31年の月日が流れています。人生の半分以上を過ごしてきたこの国について今、私が思っていることはこの一言に尽きます。
日本はこの程度の国ではない。
私は、日本を「この程度」にとどめているのは、「世界ランキングが高い」という意識に問題があるのではないかと思っています。世界ランキングでの評価が高いから日本はすごい。世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されているからだと思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。
これは、恐ろしい勘違いです。
1億人を超える人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです。「1人あたり」で測れば、日本の潜在能力が発揮できていないことは明白です。まだ日本は成長の伸びしろがあるにもかかわらず、この「勘違い」によって、成長が阻まれているのです。
日本の実績を「この程度」に押しとどめている原因を特定し、改革を実行すれば、日本は必ずや、劇的な復活を果たせるはずです。この「劇的な復活」とは、GDP770兆円(今の約1.5倍)、平均年収1000万円(今の約2倍)というレベルです。日本の「潜在能力」を考えれば、そのくらいはまったく不可能ではありません。
まずは、日本が潜在能力を発揮できていない「日本病」とも言うべき病に陥っていることを、しっかりと認識してください。すべてはそこから始まります。
英国の人口は約6000万人日本の人口の半分だ。人口が多いから日本は一人あたりに直すと大したことがないと言うが・・・
イメージから言わせてもらうが、英国貴族がどれだけ優秀でも、ほんの一握りであり大半の国民のレベルは日本より低そうに思えるのだが・・・
・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である
→ 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
⇒反論

「一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2014年)(アメリカ, 日本, ドイツ, フランス, イギリス, イタリア)」 『世界経済のネタ帳』
欠点は為替レートの変動に影響されすぎること。その国の潜在的な経済力(生産力)はゆっくりとした変化で、為替レートほど急激には変化しない。
為替を調整して購買力平価による比較。ビッグマック指数と同じ

「人当たりの購買力平価GDP(USドル)の推移(1980~2014年)(アメリカ, 日本, ドイツ, フランス, イギリス, イタリア)」 『世界経済のネタ帳』
購買力平価による比較すると依然としてアメリカには大差を付けられているけれど、ドイツとの差は縮まってる。日本はアメリカほどではないにせよドイツやフランスなどと同程度には持続的に成長している。
・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である
→ 1人あたり輸出額は世界第44位
反論⇒日本企業は世界各国に工場を建設して現地生産に構造変換した
・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である
→ 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
反論⇒日本は製造業からサービス業に構造変換したが、匠や名工は依然国内に残っている。ものつくり大国だ。
・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である
→ 1人あたり研究開発費は世界第10位
・反論⇒一人あたりに直してもいいが、以下の事実から卑下する必要がない。
トムソン・ロイターの「Top100 グローバル・イノベーター2015」に40社の日本企業が選出されたことを紹介。この数は米国企業の35社を抜いて世界トップである。
世界経済フォーラムが15年に発表した2015年版「世界競争力報告」の日本の順位は6位である、また同じく世界経済フォーラムによる科学技術イノベーションランキングでも14年時点で日本が4位である。
・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である
→ 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位
1949年から2015年までに24人の日本人がノーベル賞を受賞しているがバブル崩壊後1994年から2015年においては17人の日本人が物理、化学、生物、医療などの基礎科学の領域でノーベル賞を獲得している。 一人当たりの受賞者に何の意味がある?
・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である
→ 1人あたりメダル獲得数は世界第50位
へー!だから?
と、反論を書いていたら、デービッド・アトキンソン氏を強力にサポートする記事発見
だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」
【ITmedia】窪田順生 2016年12月13日 08時00分 更新
日本の1人の当たりのGDPが低い。「生産性が低い。もっと高めよう」といった話をすると、「日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」といった反論も。なぜ科学的根拠のない意見が飛んでくるのか。その背景には、戦前からある「戦争学」が影響していて……。
先日、M-1グランプリを見ていたら審査員のオール巨人さんがこんなことをおっしゃっていた。
「海外のテレビや映画を見ても、日本のお笑いは世界でもトップレベル。今日は世界一の漫才を決めるといっても過言ではない」
確かに、海外のコメディアンのギャグとかを見ても、「なにがおもしろいの?」と感じるのは珍しくない。ただ、「笑い」というものはその国の文化、歴史、社会背景にも深く関わる。もしこの発言を、さまざまな国の「笑い」に関わる人々がご覧になったら、かなり異論が飛び出すのではないだろうか。
断っておくが、お笑い界のレジェンドの発言にイチャモンをつけたいわけではない。個人的には日本のお笑いは大好きだし、日本人として自国の「笑い」は他国にひけをとらないほどレベルが高いと信じたい。
ただ、海外から「日本のお笑いは世界一」という客観的な評価を受けたわけでもなく、ましてや世界各国にどれだけ日本の笑いが浸透しているのかというような指標があるわけでもないにもかかわらず、その産業を長く牽引されてきたような方の口からいともたやすく「世界一」という言葉がでてしまう現象が、ある人物が指摘している「日本病」の特徴とあまりにもピタッとハマり過ぎていて非常に興味深いということを申し上げたいのだ。
その人物とは、このコラムで何度か紹介してきた小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏である(関連記事)。
日本経済の成長を阻害している「日本病」
新著『新・所得倍増論』(東洋経済新報社)で、アトキンソン氏は30年におよぶアナリスト人生の集大成として、豊富なデータをもとに日本経済が長く停滞している原因を分析し、「GDP1.5倍」「平均年収2倍」を実現できる道を示している。
そこで注目すべきは、日本経済の成長を阻害している、「日本病」について考察をされている点だ。
それは一言で言ってしまうと、客観的な事実に目を向けることなく、自分たちに都合のいい「願望」のような評価に引きずられてしまうという「病」である。
例えば、近ごろよく「生産性」の話になるのでご存じの方も多いが、日本の1人当たりGDPは世界で27位と、先進国の中で最も低い生産性となっている。しかも、アトキンソン氏によると、労働者ベースでみるとスペインやイタリアよりも低く、米国50州で最も生産性の低いミシシッピ州にわずかに勝る程度だという。
だが、このように客観的なデータを提示されても日本人の多くはこの現実を受け入れようとしない。受け入れないどころか、「そもそも日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」とか「日本人には生産性などという指標でははかれない力がある」という科学的根拠のない反論をしてくることの方が圧倒的に多い。
なぜか。アトキンソン氏は我々日本人の頭の中に刷り込まれている「世界第2位の経済大国」が深く関係しているのではないかと考察している。
『世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されていると思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。これは、恐ろしい勘違いです。1億人の人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです』(P64 第1章 日本はほとんど潜在能力を発揮できていない)
要するに、日本の生産性がここまで低いのは、「焼け野原から世界第2位の経済大国まで成長した日本をその辺の国と一緒にするんじゃないよ」という「勘違い」が社会全体にまん延しているからだというのだ。
これは非常にハラオチした。
日本人は「全体」と「個」の話をゴチャマゼにしてしまうことが多い。例えば、日本代表選手が金メダルをとると、実況は「見たか、日本の底力」みたいなことを平気で言う。その選手個人が成し遂げた偉業であるにもかかわらず、なぜか日本人全員がスゴいみたいな「勘違い」をするのだ。最近よくテレビ番組で見かける「日本の××は世界一」というのにも同じ問題が散見される。
支離滅裂な論理展開が当たり前に
「世界第2位の経済大国」というのはGDPという「経済の大きさ」の指標である。GDPは人口×生産性なので、中国経済が台頭してくる以前、先進国の中で米国の次に人口の多い日本が、2位というポジションについたのは当然といえば当然の結果である。しかし、「日本のGDPが世界第2位にまでなったのはなぜ?」という問いかけをされても、「人口が爆発的に増えたからでしょ」と答える人は少ない。「世界一の技術力があったから」とか「日本人は世界一の勤勉だから」とか答える方が圧倒的に多いのではないだろうか。
確かに、日本には技術力の高い企業がある。しかし、そうではない企業もそれ以上に多く存在している。日本人労働者は真面目だというが、怠け者だって少なくない。そういう「個」の事情が、「全体」に対する評価に引きずられる形ですべて帳消しにされる。つまり、ひと握りの日本人・日本企業が優れているという話が、「世界第2位の経済大国」というフィルターを通すと、いつの間にやら「日本全体が優れている」という話にすり替わってしまっているのだ。
では、いったいなぜ日本ではこういう支離滅裂な論理展開が当たり前になってしまったのか。
アトキンソン氏は、戦前の「戦争学」の影響ではないかと考えている。
『経済の大きさ、GDPランキングを重視するのは、完全に軍事や国防の視点です。(中略)近代の日本もそうでした。とにかく欧米の軍事力に追いつき、それを追い抜かすことが最大の目的でした。このような戦争学における「追いつき追い越せ」という思考が、戦後もそのまま「経済」という血の流れない戦争に適応され、現在にいたるまで思想の主流となっている可能性は否めません』(P79、第2章「追いつき追い越せ幻想」にとらわれてしまった日本経済)
これはまったく同感である。
電通の女性社員が自殺した事件を受けて、この連載でもパワハラ・加重労働というものが、実は日本の大企業の多くが、戦前のシステムや思想をそのまま引き継いでいることに端を発している問題だと指摘をしたが、実は経済だけではなく、日本社会全体が「戦後レジーム」どころではなく、「戦時レジーム」から脱却できていないのだ(関連記事)。
そのようなことを書くと、「そうだ! だから安保法制で自由に戦争ができる国にしたんだ!」といきり立つ方もおられるが、残念ながら今回はそういう軍靴の音が聞こえる的なお話ではない。
日本が戦争に敗れて、マッカーサー率いるGHQがやって来たのを境にガラッと日本社会が変わったと思っている人も多いかもしれないが、実はそうではない。
『戦時体制は、実は半分しか解体されなかった。軍隊は即、武装解除されたが、行政機構は一部の組織改変、幹部の公職追放はあったものの、ほぼ戦前のまま残った。(中略)官僚機構は戦前の「富国強兵」から「強兵」を外して「富国」の経済戦争に国民を動員し続けたといえる』(毎日新聞 1997年4月26日)
戦時中に発明された「下に責任とリスクを押し付けるシステム」
これは役所だけの話ではなく、政治も経済も同様だ。吉田茂や鳩山一郎など戦中の指導者層がそのまま戦後もリーダーになれたように、基本的な「プレイヤー」はほぼ変わっていない。メンツが変わらないのだから、システムや思想が変わっていくわけがない。
なぜIT全盛のこの時代に、人間が朝から晩まで馬車馬のように働からされ、組織に絶対服従の姿勢を見せなくてはいけないのかというと、日本企業文化に骨の髄まで「戦争」が染み付いているからだ。「戦争」と同様に「経済の大きさ」がなにをおいても優先されるので、「1人あたり」の働き方や生産性は軽んじられる。むしろ、それらの犠牲の上に「経済の大きさ」が成り立つという思考に、企業や業界全体に毒されてしまっているのだ。
アトキンソン氏は『新・所得倍増論』の中で、日本が成長を取り戻すには、政府が経営者に「時価総額向上」のためにあらゆるプレッシャーをかけていくべきだと提言しているが、これも戦時体制を引きずっている日本社会にとっては、非常に有効な手段だと思う。
電通の女性社員自殺問題、ユニクロの「ブラック職場」問題、そして近年多い不正会計など日本企業の不祥事をご覧になっていただくと、ある共通点が浮かび上がる。
それは、いわゆる「日本型資本主義」というものが、「下」に責任とリスクを押し付け、「上」が延命をはかっていくシステムになっていることだ。
例えば、マンションの杭打ち問題など分かりやすい。杭打ち不正は「下」である旭化成子会社が責任をとらされ、「上」である発注元の三井不動産はまるで被害者のような顔をしていた。下請け業者の人たちはクビになったりしたが、三井不動産の経営者が責任をとって辞めました、なんて話は一切聞かない。
なぜこういうことになってしまうのかというと、実はこれも戦時体制の影響だ。
「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別できる
ご存じのように、先の大戦ではすさまじい数の日本兵が亡くなっており、その数は100万人をゆうに超える。しかし、その無謀とも言える作戦を立案し、指揮していた指導者層は、一定期間の公職追放や、「戦犯」のそしりを受けた以外、先ほども述べたように戦後の日本社会でしれっと新しい人生を謳歌している。
こういう戦時中の指導者層がつくりだした「日本型資本主義」はバブル崩壊を経て、「失われた20年」で完全に敗北をした。しかし、1億人以上という人口と、過去の遺産でなんとなくまだそれが露呈しない状態が続いているだけなのだ。
日本が先進国の中で唯一、経済成長をしていないのがその証左である。
アトキンソン氏の提言どおり、「上」にプレッシャーをかけて、時価総額向上を達成できない経営者をどんどんクビを刎(は)ねていけば、日本型資本主義という病におかされた経営者がどんどん駆逐される。社員や下請けという「下」に責任を押し付けて延命をはかるようなブラック経営者も当然あぶりだされていく。つまり、戦時中の「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別することになるので、「1人当たり」の生産性もあがっていくのだ。
日本の生産性が先進国で最下位ということを前向きに考えれば、日本は先進国というポジションでありながらまだまだ成長ができる余地があるということだ。
マスコミには「日本はスゴい」「日本は世界一」という自画自賛的な論調が溢れているが、実は最も必要なのは、「日本はまだ先進国になりきれていない」という「謙虚さ」を説くことではないのか。
いまだに、世界第二位の経済大国だった日本を引きづり謙虚さが無くなっている?
>戦時中に発明された「下に責任とリスクを押し付けるシステム」
これは・・・・あるかもしれないな・・・・だが、根本原因ではないような気がする。
日本の労働生産性が低い理由がどうも納得出来ない。米国の5割だと?
バブル崩壊から四半世紀、リストラやありとあらゆる無駄を削ぎ落としたら日本社会が、未だに非効率社会だと思えない。我々が、日本は世界一の国だと思い込んでいるから本当に生産性が低いのかどうにもこうにも全く納得出来ない。
労働生産性の計算方法
労働生産性は、以下の計算式で求めることができます。
労働生産性(千円/人)=付加価値(≒限界利益(粗利益))/社員の平均人数
※ここで取り上げている「社員の平均人数」とは、期首と期末の社員の平均人数とします。
国別で労働生産性を比較するのははどうかと言えば・・・
「日本生産性本部」によると、
「労働生産性を国際的に比較するにあたっては、付加価値をベースとする 方式が一般的であり、労働生産性を
労働生産性 = GDP / 就業者数
(※GDPは購買力平価(PPP)により換算されたもの)
として計測を行っている。」
日本生産性本部 労働生産性の国際比較PDFより http://www.jpc-net.jp/annual_trend/annual_trend2015_3.pdf
ということで「 労働生産性 = GDP(購買力平価換算) / 就業者数」です。
なぜ労働生産性が重視されるか?
ではなぜ労働生産性、そしてそれが低いことが問題になるのでしょうか?
それは、生活水準に直結するからではないでしょうか。「労働生産性が低い」と言われると、私なんかはつい、よく考えずに暗黙の前提で、生産性が低いのは悪いことだ!と思い込んでしまうのですが、結局、労働生産性が低いと、GDPが低くなる。なので、労働生産性が低いことがしばしば問題視されるのでしょう。
つまり、
労働生産性 = GDP / 就業者数
(※GDPは購買力平価(PPP)により換算されたもの)
なので、
↓
GDP = 労働生産性 * 就業者数
(※GDPは購買力平価(PPP)により換算されたもの)
まあ一応こうなります。労働生産性が低いとGDPが低くなりますよね。生産性が高く、同じ生産量を短時間で実現できれば、より多くの消費ができます。生産性の上昇は我々の生活を裕福にします。ではGDPが低いことは問題なのでしょうか?当然生活水準に直結しますから、それは大きな問題だと思います。
GDPとは国内総生産の略です。マンキュー先生の経済学のテキストによると、
国内総生産(GDP)は、一定期間において、一国内で生産されるすべての最終的な財やサービスの市場価値である。
N・グレゴリー・マンキュー「マンキュー経済学Ⅱ マクロ編 (第3版)」p.139
と定義されています。ものすごく簡単にいうと、GDP=その国の経済の大きさ、になるかと思います。GDPの大きさは、その国の豊かさや生活水準をダイレクトに反映するということですね。
ちなみに、2014年の各国の購買力平価GDPは、
日本 4631
アメリカ 17419
中国 18030
イギリス 2524
ドイツ 3689
(10億米ドル)
(総務省統計局 世界の統計 2016 第3章 国民経済計算より http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/0116.pdf#page=59)
と言う感じになっています。アメリカはダントツですね。中国もとても成長しています(数値の信ぴょう性の問題も指摘されていますが)。とはいえ、単純にこのGDPの大きさだけで、一国の経済の良し悪しが全てわかるわけでもありません。様々なデータを参考にしながら経済学者は経済を見ています。例えば、GDPをその国の人口で割った、「一人当たりGDP」などの指標もよく使われます。
OECDが出している労働生産性は、購買力平価換算のGDPを就業者数で割っているから。
「 労働生産性 = GDP(購買力平価換算) / 就業者数」
となる。
だが、一人当たりのGDPランキングは、購買力平価換算していないGDPを、全人口で割っているから、一人当たりのGDPと労働生産性は結構違う。
1年間に生み出された付加価値である「GDP(国内総生産)」を購買力平価でならして、単純に「就業者」と自己申告している人の数でと割っているに過ぎない。
「就業者」として国が把握している数字だが、失業率が低い国と高い国では失業率に低い国の労働生産性は落ちるに決まっている。対して割られる側のGDPは家計支出は勿論、政府支出、輸入、利子だって含まれてるわけだからなんというか、割と「適当な指標値」なわけです。
政府が財政政策をして支出を増やしてGDPを押し上げれば、労働生産性があがるわけですから、労働生産性の低いと言うことは、国の政府支出が低すぎるからとも言える。
執筆中
土日に書き足します。