Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

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タグ:読書

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『流』(りゅう) 著者:東山 彰良(ひがしやま あきら) 出版:講談社 第153回直木賞(平成27年上半期)受賞作品!

東山氏は台湾出身の作家でこれまでにも推理小説作品で「大藪春彦賞」等を受賞。直木賞候補となった今作『流』は、推理小説の要素を含みながら、自身の祖父の国境を越えた闘いと家族・親族の紐帯、そして祖父の死の解明、自身のルーツを辿りつつ、1970年代の台湾を舞台にした「大河小説」「青春小説」の要素も含んだスケールの大きな作品だ。


妻や息子、娘、他人には厳しい祖父だが、孫である主人公、葉秋生(イエ チョウシェン)には優しかった祖父が、1975年の台湾、国民党の偉大なる総統、蒋介石が死んだ翌月に何者かによって殺された。

祖父、葉尊麟(イエ ヅゥンリン)は、大陸山東省出身で、匪賊、やくざ者として大戦中、国民党の遊撃隊に属し、共産党に属す多くの村人を惨殺した。

日本が敗戦により大陸から撤退すると、国共内戦は激しさを増し、徐々に追い詰められていく国民党に属していた、祖父は何度も死線をかいくぐり、最後は命からがら家族と仲間達は台湾へ渡る。

台湾に渡った葉一家と兄弟分は台北に住み、祖父は布屋を始め、一家と兄弟分の家族の面倒も見る親分肌で、両親を内戦で亡くした兄弟分の息子も自分の息子として育てる、義理人情には厚い人であった。


そんな祖父が、一体誰に、なぜ殺されたのか?

自身に流れる血のルーツは?

作者東山氏は、自身を投影したと思われる当時17歳の主人公、秋生の祖父殺しの犯人捜しを描きながらも、当時の台湾の世相・文化、家族・親族、祖父の兄弟分との紐帯、秋生の高校生活や仲間との友情、淡い恋物語、そして大陸を渡った自身のルーツを遡るという様々な要素をふんだんに取り込みつつ、見事に作品として完結させた。

まさに推理小説というジャンルの枠に収まりきらない、壮大な大河・青春群像小説とも言える。

蒋介石死去前後の台湾の世相は、日本人の読者には余り馴染みがないであろうし、当時の台湾の置かれた状況や、海峡を渡れば敵地であり、海を隔てた戒厳令状態の緊張感、国威発揚の愛国教育、統制政治の状態にあったことは、私は以前に金美麗女史の本を読んで初めて知った次第だ。

この作品は、その当時の台湾・台北の混沌とした状況や市民の生活も活き活きと描かれ、またいわゆる独特の中国文化や家族制度を知るうえでも貴重な資料とも成り得る。


直木賞「流」が20年に1度の傑作と称賛されるわけ
2015年9月2日重里徹也 / 文芸評論家、聖徳大教授

人間が生きていくよりどころとは何だろう。家族だろうか。仕事だろうか。民族や国を挙げる人も世界にはいるだろう。イデオロギーや宗教だという人もいることだろう。

人のアイデンティティーをどこに求めればいいのか。直木賞を受賞した東山彰良(ひがしやま・あきら)の長編小説「流(りゅう)」(講談社)を読みながら、何度もそんなことを考えた。時代の流れに翻弄(ほんろう)されながらも、矜持(きょうじ)を持ちながら、国境を越えて生きる人々の姿が生き生きと描かれていたからだ。

語りかけるような筆致、起伏の多いストーリー

直木賞選考委員の北方謙三が「20年に1度の傑作」と称賛しただけあって、読み応えのある小説だった。語りかけるような筆致と、起伏の多いストーリーに誘われて読み進むうちに、読者は思わぬところまで連れていかれる。


このミステリーの面白さは、舞台になっている台湾という場所にも起因している。輪郭のはっきりした登場人物たち。彼らが暮らす台湾の混沌(こんとん)とした社会。両者が相まって、豊かな作品世界が形づくられているのだ。

主人公が17歳だった1975年に、祖父が何者かに殺されたことから物語が動き出す。一体、誰が犯人なのか。全編を通して通奏低音のようにこの疑問が響き続け、最後に意外な犯人が明かされる。

主人公の祖父は殺された時には、台北市で布屋を営んでいた。波乱万丈の日々を送ってきた人だ。

もともとは中国山東省の出身。賊徒集団に属し、国民党の遊撃隊に身を投じた。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が激化する中で、彼は共産党側の多くの人々を殺した。

台湾を舞台に展開するミステリー

やがて、国民党が共産党に敗れて、台湾に逃げてきた。義理人情に厚い人間で、一族や仲間を大切にしてきた。孫である主人公も、彼にかわいがられただけに、彼の遺体を見つけた時はショックを受けたし、犯人がわからないことが、心のしこりになっている。

一方で、物語は主人公の青春をたどっていく。それがとても楽しい。率直でピュアで負けず嫌い。権威や権力になびかず、祖父譲りの義侠(ぎきょう)心も持ち合わせている。切ない恋愛も経験するし、暴力ざたも絶えない。

そして、多くの青春物語と同様に、主人公は自分が何者なのかに悩んでいる。この小説の場合、それが近代史と直接につながっている。

台湾という国の成り立ちは変化が激しい。日清戦争後、清から日本に割譲されたが、第二次世界大戦の結果、国民党政権である中華民国の統治下になった。49年に大陸で中華人民共和国が建国され、国民党は台湾に撤退した。この時に台湾に移った外省人と、それ以前から住んでいた本省人との対立が生まれることにもなった。主人公の一族は外省人であり、いつか大陸に帰りたいという夢を抱いている。

75年は国民党を率いた蒋介石が死んだ年でもある。共産党の中国とは「交戦状態」にあり、言論の自由も抑圧されていた。台湾海峡は東西対立の最前線の一つだったのだ。それは主人公の厳しい軍隊生活の背景にもなっている。国際情勢の緊張感が主人公の日々を左右している。

どこか危うい、「外」から見る日本

民間信仰が、謎めいた幻想的な場面を生んでいることも見逃せない。祖父を救った「狐火」や主人公の前に現れる「幽霊」、軍隊仲間たちと興じる「コックリさん」など、いずれも物語に補助線を引くように重要な意味を持っている。それらは、複雑な社会を生きる人々の生活実感を照らし出す。

読後、台湾で生きる人々の物語が私たちと地続きのように思えてならなかった。つまり、自らが生きる根っこをしきりに考える彼らの姿が、人ごととは思えなくなったのだ。

この本の中で日本はときどき言及される。高度経済成長、バブル経済、優れた工業製品。「外」から見る日本が、どこか危うい感じに思えるのはどうしてだろうか。

私たち日本人はどんな根っこを持っているのだろう。私たちを私たちたらしめているものとは何なのだろう。そんなことをついつい考えてしまった。
おくればせながら、一気読みをしてしまいました。
一気読みさせる作品は間違いなく傑作であります。20年に一度の傑作って?その20前の傑作って1995年のベストセラーは浅田次郎の鉄道員(ぽっぽや)だったが・・・
その前は・・・1986年沢木幸太郎 深夜特急かな?まあ、大げさなキャッチコピーだが面白いことは間違いない。

私事ですが、今年2月はじめて台湾へ旅行した。古い町並みの多くは懐かしく、町中いたるところにある日本のコンビニやチェーン店の看板は、どこか日本の一地方都市のようにも感じた。

一気読みした直後台湾好きの友人に簡単にメールしたのだがまとめた紹介文

昨年直木賞を受賞した本で東山彰良さんは福岡在住の台湾国籍。五歳から日本で育ったので日本人の感性と台湾人の感性が上手く融合して、面白かった。中身は日本台湾中国の戦時中の話と70年代~バブル時台を行き来するミステリー小説。主人公の祖父が殺害されたことをきっかけに、暴かれる家族の過去、後半は一気読みでした。

本書で保守派である私の視点は、中国人が日本鬼子に中国人が虐殺されたと言っているが、その多くは国民党と共産党の争いでの内戦の巻き添えであった。
皇軍の規律は国民党や共産党と比べ物にならず、戦争中であるからゲリラと一般人を誤って殺害した事件はあったかもしれないが、基本的に強姦や略奪をした将兵は厳しく罰せられていたのである。燼滅作戦で、ゲリラの拠点の村を焼き払ったりしたことはあったが、帝国陸軍は三光作戦などという作戦は存在しない。

それでも多くの中国人が受けたと言う戦争被害の多くは本書に出てくるような共産党と国民党による殺し合いに巻き込まれた話ではないかと思って読んだ。








執筆中



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■第二章:ガウディ計画

 福井から帰京した佃(つくだ)がまず着手したのは、社内にこの計画を進めるプロジェクトチームを作ることである。量産にこぎつけるまでには時間がかかるだろうが、その後は収益の柱に育つ可能性が高い。その意味で、営業部からは江原春樹と川田和茂の若手ふたりを選んだ。将来、佃製作所を背負って立つこのふたりが立ち上げ当初から関わることで、佃の「本気」を示す意味もある。


 問題は、技術開発部の担当エンジニアを誰にするかだ。

 経験豊富な技術者は皆、ロケットエンジンのバルブ担当に回して余力がない。

 悩んだ末、佃が白羽の矢を立てたのは、入社五年目の若手――立花洋介であった。

「立花、ですか……」

 相談していた山崎は右手の指を顎に押し付けて考えている。「ちょっと経験が足りない気がするんですが。入社年次からいって、江原や川田より下になりますが、やりにくくないですかね」

「かといって、技術開発部内もいま手一杯だろう。――例の件もあるしな」

 ――例の件。

 ロケットエンジンのバルブ開発の途上で出たアイデアを、佃は、次々と実現させようとしていた。“例の件”は、そのうちのひとつだが、山崎との間でならそれで通る。

「洋介にやらせてやろうや、ヤマ」

 もう一度佃がいった。「こういうのが実績になっていくんだからさ。まだ経験は少ないが、粘り強さではウチで一番じゃないか」

 それが立花のいいところだ。もちろん、優秀なことはいうまでもない。

「まあ、一途なところがありますからね。ただ、ちょっと真面目すぎるきらいもあるんで――」

 山崎が新しいアイデアを出した。「加納を下に付けたらどうですかね」

「なるほど、アキちゃんか」

 加納アキは、入社三年目の女性エンジニアだ。大学院の修士課程を修了した後、家庭の事情で研究を断念したのだが、その後指導教授の紹介で佃製作所に入社したいわゆるリケジョである。少々おっちょこちょいなところが玉にキズだが、こちらも粘り強さは負けていない。明るい性格で、真面目一辺倒の立花のパートナーとしてはバッチリである。

「それはいい。頼む」

 佃が、選抜したメンバー全員を会議室に集めたのはその日の夕方のことであった。

     ◆

「北陸医科大学の一村先生の発案で、現地の株式会社サクラダという会社と一緒に、心臓手術に必要な人工弁の開発に乗り出すことにした。そこでお前らで、プロジェクトチームを組んで、この案件を進めてもらいたい」

 四人にしてみれば、突然の話である。まずは全員が驚いたように押し黙り、緊張した空気になったものの、「あのう、なにやればいいんですか」、というひょうきん者の川田の軽い質問で、ふっと現実が舞い戻ってきた。

「まあ、これを見てくれ」

 そういって佃は、サクラダから借りてきた人工弁の試作品を全員に見せた。「要はこれを作るわけだ」

「もうできてるじゃないですか」

 呆れたようにいった川田に、「いや、まだ完成品じゃない」、と佃はいった。「この人工弁は試作品だが、いわば失敗作だ」

「どこが失敗なんですか」

 そう聞いたのは立花であった。

「それがわからない」

 佃がいうと立花は驚いたように黙し、佃に続きを促す。

「実験で血栓ができやすいことだけはわかっている。克服しなければならないのは、技術的な正確性もともかく、血栓を防ぐ構造の解明と生体適合性だ。要するにトライアンドエラーの繰り返しになると思う」

「それって、時間とカネがかかりますよ」

 川田がすかさず指摘する。

「医療機器開発だから、ある程度のことは覚悟している」

 佃は、人工弁の医学的な意義を説明し、さらに開発に踏み切るまでの経緯について詳(つまび)らかに語った。

「いまのウチは小型エンジンが主力だが、将来的にこうした医療機器をもうひとつの収益の柱にできたらと思っている」

「そうなると、社長は本当に信じてるんですか」

 皮肉な口調でそう聞いたのは、江原である。この男には遠慮がない。そして噓もない。裏表なく、誰に対しても同じ態度で接する。

「ああ、信じてる。だから、お前らに頼んでるんだ」

 佃の言葉を咀嚼(そしゃく)するかのように四人が押し黙った。

「オレたちはともかく――」

 やがて、技術開発部の立花と加納のふたりを見て、川田がニヤリと笑った。「洋介にアキちゃんか。なんか、技術開発部の凸凹コンビって感じだなあ」

「あ、それは失言ですよ、川田さん。私たち、すごいの開発しますからね!」

 すかさず、加納が突っ込む。

「で、リーダーだが、やはり開発あってのことなんで、立花――お前に頼みたい」

 指名されると、立花は、「えっ」、というなり顔を振り向けてきた。

「ぼくが、ですか」

「ああ。何か問題あるか」

「いえ、問題というか、そういうんじゃないんですが。いいんですか、ぼくで」

 戸惑う立花に、

「オレがいいっていってんだから、いいんだ」

 佃は、きっぱりという。

「期待してるよ、洋介ちゃん!」

 すかさず川田が茶々を入れるのを聞き流して、佃は続ける。

「まずは試作品を完成させる。そこまでは、立花と加納の仕事だ。そこから先のマーケティング営業は、江原たちの得意とするところだ。将来、収益の柱になる重要なプロジェクトだ。相手に不足はないと思う」

「いいですねえ。おもしろそうだ」

 腕組みをして聞いていた江原が、にんまりとした。「社長の考えはわかりました。そうなったからには、頼むぞ、おふたりさん」

 立花と加納のふたりにいう。「売り物が無いことには、オレたちにはどうすることもできないからさ」

「よ、よろしくお願いします。なんとか――」

 どこか気圧(けお)された様子でいいかけた立花の声を、

「まかせてくださいよ」

 吹き飛ばさんばかりに、明るい加納がいった。「がんばりますからね」

 右手の拳をぐっと握りしめる。いつものことだが、加納はノリがいい。

 思わず苦笑した江原だが、ふいに真顔になると、

「ところで社長、このプロジェクトですけど、なんて名前にしますか」、ときいた。「何か名前が要ると思うんですが」

「それはもう決まってる」

 そのときを待っていたかのように、佃は四人を見据えていった。

「ガウディ計画だ」

 四人がそれぞれ、口の中でもぞもぞと反芻(はんすう)している。咀嚼するような沈黙が過ぎ去ると、江原が笑いを浮かべた。

「ということはオレたちはガウディチームってことか。気に入りましたよ」


ガウディ計画がいよいよ始動したのは、この冬一番の寒波が関東地方を覆った金曜日のことであった。


 身を切るような寒風の朝で、ニュースが伝える日本海側では大雪のところもあるという。

 この日は、福井から、一村と桜田、そして真野の三人が上京することになっていた。そもそも飛行機が飛ぶのかと、前途多難を象徴するような幕開けである。

 コートの前を締め、これは雪でも降り出すんじゃないかと恨みの目で冬空を見上げた佃だったが、天気ばかりはどうにもならない。

「社長、飛行機、無事に飛ぶようです」

 社長室でデスクワークをしていた佃に、真野から連絡が入ったと殿村が伝えてきたのは朝九時過ぎのことであった。

 最寄りの東急池上線の長原駅まで、佃自らが一村たちを迎えに行き、会社に案内したのは午後三時を少し回った頃。そしていま――。

 会議室に社員のほとんどが集まり、何か新しいことを始める前の高揚感と人いきれであふれかえっていた。

 一村たちとの初回の打ち合わせに、手が空いている者はできるだけ参加するよう、佃が呼びかけたからだ。

 ガウディ計画の概要と意義について、一村の講義が始まった。

 プロジェクターを使った実にわかりやすい内容だが、その話が最も胸に迫ったのは、外科手術の生々しい写真ではなく、最後に登場した子供たちの写真だった。

 全快して退院するときの笑顔。術後、数年して何かのついでに訪ねてきたという親子の写真。最後は、サッカー少年に成長した男の子のビデオレターだった。

 ――先生、ありがとう。先生のおかげで、ぼくは大好きなサッカーを続けることができました。

 なぜこの仕事をするのか。なぜこの開発を請け負うのか。

 一村の言葉、写真の一枚一枚、そしてビデオレターの子供のひと言ひと言が、社員全員の胸に染み渡り、やる気とエネルギーの糧になっていく。

 一村の話が終わったとき、自然と拍手が起こった。

 これは、単なるビジネスじゃない。

 綺麗ごとかも知れないけれど、人が人生の一部を削ってやる以上、そこに何かの意味が欲しいと、佃は思う。

 いま、このガウディ計画という新しい挑戦において、佃製作所の全員がその意味を共有したはずだ。

「このチームでの最初のチャレンジは、PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)との事前面談になります」

 一通りの説明を終えた一村がいった。医療機器審査の最初のステップとなる面談の予約が数週間後に入っているという。

「研究開発から実用化までのロードマップを作成していますが、それまでに御社のチームも含めて実現可能性を精査したいと思います」

 立花が生真面目に頷いた。先ほど自己紹介のときにも相当緊張していたようだが、いまもなお表情は強ばっている。

     ◆

「事前面談というのは、どういうものなんですか」

 そんな問いを加納が発したのは、自由が丘の和食の店に場所を移してからのことである。「PMDAに、我々の計画を聞いてもらう機会とでもいえばいいんですかね、先生」と桜田。

「そうですね。ただ、この面談で方向性が決まるといっても過言ではないと思います。最初が肝心といいますか」

 季節の鮟鱇(あんこう)鍋を前にしつつ、一村はいった。佃製作所の役職も含め、テーブルを囲んでいる十人ほどが箸を動かしながら、その話に耳を傾けている。

 事前面談は、医療機器の開発者と、それを審査する側であるPMDAが初めて顔を合わせる場である。

「我々の開発意図や内容が好意的に捉えられれば、その後の審査も上手くいきますし、ここでミソがつくと、後々に尾を引くようなことになりかねません」

「相手はどんな人たちなんですか」立花がきいた。

「PMDAの審査チームは、プロパーの審査役と、医療機器メーカーOBなどで構成された専門員たちです」

「審査役と専門員って、どっちが偉いんですか?」と加納。

「審査役は、いってみれば正社員みたいなもんだから、こっちのほうが地位的には上ですね」

 と一村。「ただし、審査役は若くて実務経験に乏しいこともあって、現場経験のある専門員の意見に引きずられることもあるでしょう。年配の専門員に遠慮する審査役もいるだろうし、実審査の力関係というのは微妙なところかな」

 その話を継いで、「厚労省の承認を目指して開発を続ける以上は付き合っていく相手になりますから、良好な関係を築いたほうがいいようなんです」、と桜田。

「だけど、そもそもその連中が保身の塊で、けんもほろろに難癖をつけて案件を通さないという話を以前、聞きましたけど」

 唐木田の話に、「ひどいじゃないですか、それ」、と加納が頰を膨らませる。

「結局、連中にとって最も大切なのは、患者の命じゃなくて自分自身なんじゃないですかね」

 と唐木田は容赦ない。「誰が死のうと、関係ない。下手に承認して後で問題になり、出世に響くぐらいなら、承認しないほうが遙かにいいというわけです」

「かつてそういわれていたことは否定しません」

 一村はいった。「その挙げ句、どんな状況が生まれたかというと、いわゆるドラッグラグやデバイスラグといった、世界との格差です。欧米で新薬が使われ、新しい医療機器が普及して患者の命が助かっているのに、日本では厚労省の壁が立ちはだかって、欧米なら普通に受けられる治療が受けられない。そんな状況が長く続いてきました」

「で、現状はどうなんですか」

 と殿村。元銀行員の殿村にしてみれば、役所や大企業の論理は馴染みでもあるし、興味のある世界だろう。

「いまは、かなり改善されたと思います」

 一村はいった。「厚労省の認可姿勢に対する相当の批判があり、それが重い扉を開かせた一面は否定できません。審査の実態は昔と比べたら遙かに協力的になっているといえるんじゃないでしょうか」

「ウチにとっては追い風ですね」

 山崎が期待を表情に出した。審査の迅速化は、チーム全体のコストダウンに繫がる。

「その事前面談には、先生も出席していただけるんですか」

 不安そうに聞いたのは加納だ。

「もちろんです」

 一村は力強く頷いた。「アイデアを出した医師が出るのと出ないのとでは、審査担当者の心証がまるで違いますからね。必ず、成功させましょう」

 一村はそういうと、ビールの入ったコップを掲げた。全員がそれに応じ、懇親会は次第に決起集会の様相を呈してくる。

 このまま順調に突っ走ってくれ。

 祈り、佃も、ビールを一気に呑み干した。


 PMDAとの事前面談が開かれたのは十二月半ばのことであった。


 場所は、地下鉄国会議事堂前駅から徒歩数分にある霞が関のビル内だ。一村と桜田、佃製作所側からは、佃と山崎の他、立花と加納の四人が出席している。

 事前面談の約束は午後一時半。いまその五分前だ。

 案内された部屋の窓からは、冬空の下、輝くばかりの霞が関のビル群が見えたが、いまの佃にはその景色を楽しむ余裕はなかった。医師として、いままで何度か面談の経験がある一村ですら緊張した面持ちで持ってきた資料に視線を落としている。

「お待たせしました」

 ドアがノックされ、約束の時間に入室してきたのは全部で八人。

 名刺交換が始まった。

 リーダーとなる審査役は山野辺敏という四十代前半の男だ。専門員という肩書きを持つ担当者は全員が年配の男性で、医療機器メーカーOBという一村の話を裏付けている。

「それじゃあ、早速、説明してもらいましょうか」

 司会進行役を務めているのは、おそらく年齢的に最古参と思われる滝川信二という男であった。協力的になったとは聞いているものの、気のせいか、滝川が佃たちに向けている目はそれとはほど遠い印象である。

 一村が、この人工弁開発の意義と現状について搔い摘まんだ説明を始めた。

 淀みのない、理路整然とした説明だ。臨床経験から開発計画を発案し、実験に至るまでの過程を話した一村の後に、桜田から、新しい素材開発についての簡単な補足をしたところで、「まあ、だいたいのことはわかりました」、というひと言が山野辺から発せられ、質疑応答が始まった。

 身構えた佃だが、出てきた質問はどれも基本的なものばかりで、危なっかしいと思えるようなものはない。

 これなら乗り切れるか――。

 そう思いかけたとき、

「まあ、基本的なことは別にいいですよ」

 それまで黙っていた滝川が、一段と大きな声で割って入った。かけていた老眼鏡を外した滝川は、配布された資料の上にペンを置くと、つまらなさそうに佃たちを眺めやる。「つかぬことをお伺いするんですけどね、この開発に携わるのは、本当に皆さんだけなんですか」

「とおっしゃいますと」

 発言の意図が読めずにきいた一村に、「大丈夫かなと思いましてねえ」、と滝川は疑問を口にする。

「ご存じだと思いますが、こうした医療機器にはリスクがつきものでしょう。万が一、何かあった場合、あなた方にその責任が取れるかどうか心配しているわけですよ、私は。北陸医科大学はともかく、サクラダさんはベンチャーでしょ。それに佃製作所は、大田区の中小企業だ。こういっちゃなんですが、吹けば飛ぶようなものじゃないですか。これで医療機器開発っていうのは、いくらなんでも荷が重いんじゃないの」

 口調も馴れ馴れしくなった滝川は、「どうなんですか」、と顎を突き出すようにしてテーブルの反対側にかけている佃たちに問うた。

「現時点で補償云々(うんぬん)の話は置いて考えるわけにはいきませんか」

 一村がいっても、「先生、それはないんじゃないですか」、と呆れたといわんばかりの態度だ。

「医療機器の開発者は、しかるべき社会的基盤がなければいけないと思います。特にクラスⅣとなればなおさらだ。そこらへんの中小企業が簡単に手出しできるような話じゃないんだから」

 PMDAの分類で、医療機器は、患者の命に関わる度合いによってⅠからⅣまで四つのカテゴリーに分けられている。人工弁は、もっとも審査が厳しいクラスⅣだ。

 小馬鹿にした発言に思わず口が出そうになって、佃は思い止まった。腹が立ったが、余計なことをいって場をぶち壊してもまずい。

「サクラダさんで開発する新しい素材はいま特許申請している最先端の技術です」

 失礼な滝川の物言いにも怒りを表すことなく、一村は誠意のある態度を貫いていた。「佃製作所さんも、帝国重工のロケットエンジンのバルブを製造している、技術力のある会社なんです。企業規模は小さくても、大企業にもない技術を持っています。こういう会社こそ、臨床で求められている新しく高度な医療機器を開発するに相応(ふさわ)しいと思います。どうぞ、ご理解いただけませんか」

「じゃあ、詳しい財務諸表でも出してよ」

 一村の説明など滝川は鼻で笑った。「医療機器の審査云々の前に、皆さんの会社の内容、教えてくれませんかね。株式公開してないでしょ、二社とも。良い会社だと言われたところで内容なんてわからないし、社名も聞いたことがないんだから。まずは、その辺りの“身体検査”をしてからだね」

 滝川は、提出した資料を片手で持ち上げた。「こんなペーパー、作ろうと思えば誰だって作れますよ。審査の本質っていうのはね、何を作るかという以前に、誰が作るかなんだ」

 会議室が重苦しく静まりかえった。

 どこでどう口を挟んでいいかわからず、佃をはじめ、佃製作所の四人は沈黙したままだ。

 リーダー格の山野辺は硬い表情でやりとりを聞いているが、特に意見をいうわけでもない。

 専門員という立場だが、どうやらメンバー内での発言権は、この滝川という男の方が強いらしい。

 取り付く島もない。かくして――。

 一旦ひび割れた関係を修復する間もなく、PMDAとの事前面談は、気まずいまま終了したのであった。

     ◆

「協力的なはずじゃないんですか」

 PMDAの入ったフロアから出て、同じビル内にあるカフェに入ってから、山崎がきいた。「なんですかね、あの滝川という専門員の態度は」

 まったく同感である。

「申し訳ない」

 一村が詫びた。

「いや、先生が詫びるスジじゃないですよ」

 佃はいった。「すばらしいプレゼンだったと思います。それがまったく無駄になったことにも、腹が立つ」

「同感です」

 桜田も、悔しそうにうなだれた。緊張して臨んだだけに、いま佃が感じているのはひたすら後味の悪い疲労感だ。佃の隣では山崎が難しい顔で押し黙り、青ざめた立花の表情には、ショックの色がありありと浮かんでいる。さすがの加納も意気消沈して表情も暗い。

「専門員の滝川という人のほうが、リーダーの山野辺審査役より威張っているんですからね。おかしいでしょう」

 呆れたように、山崎がいった。「そんなに滝川氏は経験豊富な専門員なんですか」

「絶対、そんなわけないですよ」

 加納がムキになって決めつけた。「経験豊富なら、私たちのこと、あんなふうにいうわけありません」

 その通りだと思う。

「どうします、先生。これ、うまく行くんでしょうか」

 桜田の顔には、手に取れるような焦燥がこびりついていた。

「まだ一回戦ですから」

 一村はみんなの気持ちを鼓舞したが、具体的な策があるわけではない。

 ニーズやコストといった判断基準ではなく、保身やメンツを優先する相手ほど、理不尽でやりにくいものはない、と佃は思う。

 あの男が、審査担当である以上、この話は進まないのではないか。

「もう一度、出直しましょう」

 桜田の言葉に頷きながらも、佃は、心の中に広がる暗雲を払拭することはできなかった。

 ※PMDA 日本国内で開発される医療機器などの品質や安全性の審査業務をおこなっている公的機関
この先は・・・本屋さんに積んであるうちにさあ買いに行きましょう・・・

池井戸潤さんの作品は常にハッピーエンドで終わるのですが・・・
その途中が予想通りの艱難辛苦の連続。

微かな希望が見えても潰され・・・もがいてもがいて、次に見えた光さえも次々に潰されていく。最後の望みも絶たれる前作と同じお決まりの展開、これで逆転できると思ったミラクルも帝国重機のコンペに勝っても結局商売で負け、おまけに残りのページも少なくなった二回目PMDAのプレゼンも暗雲が垂れこんで・・・もう絶体絶命・・・
これじゃジ・エンドではないか・おいおい本当にハッピーエンドで終わるのか?と不安を思ったところから、あれよあれよの大逆転!

水戸黄門と同じくお決まりの大逆転で痛快な勧善懲悪のストリー展開、でも、そうじゃなきゃ小説は読む価値がない。

次回作があれば是非読みたい!是非世界で戦う佃製作所を描いてみては・・・例えば原子力発電所用バルブで某国製原子炉の原発事故を防ぐ話などはどうでしょうかね?

人工心臓の話でしたが、人工心臓はかなり進歩しているようですが、この小説にも書いてありましたが、体格が70~80kg前後の人への装着を想定しているため、体の小さい人への応用には問題があるようです。

日本における人工心臓については国立循環器病研究センターのここまできた人工心臓の記事に詳しく書いてあります。






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本日拙ブログ【Ddogのプログレッシブな日々】は2012.10.20.8:19 4年8ヶ月で90万アクセスを達成しました。

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これは皆様が拙ブログにアクセスしていただいたおかげでございます。

最近は毎日700~1000人の方が私のブログを訪れてくださります。
でも今日は9:50現在で451・・今日は1000アクセス超えは固いかな?

私の拙い文章を読んでいただける方が沢山いらっしゃることは本当に有難いことです。また、ブログを通じて沢山の方とも親交を結ぶこともできました。

拙ブログは世界の本質を私の視点で見極めてきたと自負しております。
政治・経済・軍事・外交・歴史・地理など社会科学に限らず自然科学などあらゆるものが興味の対象です。皆様の知識欲を少しでも刺激することができ、目から鱗を落とすことができたら本望です。

私はご他聞に漏れず1995年Windows95搭載パソコンを買い、インターネットを閲覧し始めました。

当時会社を終わっても何処にも行くところがないド田舎の支店に勤務していたので些か時間がありました。当初はROM専でしたが2chは長文の投稿に向かないと思い2001年頃老舗の掲示板阿修羅BBSにてネットデビューいたしました。

ネットデビューするにあたり考えたハンドルネームが、Ddogでした。
ワンワンと吼えるだけで、役に立たない駄目犬という意味です。
そしてもう一つ別な意味があります・・・が、気が付いたり知っている方もいらっしゃるかもしれませんが一応内緒です。

9.11直後の阿修羅掲示板はちょっと危ない電波系人たちも多かったのですが、米国の意図を探ったり、陰謀の有無が議論されていました。私は主に経済問題を議論する国家破産板に投稿しました。当時の破産板はたいへん熱かった!アッシラさんという論客が官僚とおぼしき投稿者と激論したり、左右を問わず知的な投稿者が百家争鳴の議論を交わしていました。そこで交わす知的な議論はたいへん面白かった・・

私は日本の財政破綻は遠く、ここ数十年は国家破産はありえない、預金封鎖も無いと預金封鎖や国家破産・ユダヤ陰謀論・終末論を撒き散らす投稿者を叩きのめし、経済レポートを駆使し保守派のトリックスターとして掲示板を揺さぶりました。
素人相手に些か大人気なかったかもしれませんが、痛快な思いでした。残念ながら2004年仕事が忙しくなり投稿不能となってしまいました。

2006年本部に移動して本部にも慣れ時間的余裕ができた2008年2月本ブログを立ち上げました。ブログを立ち上げて直ぐ昔の阿修羅掲示板の読者がDdogを覚えていてくれたおかげで開設後直ぐ1日100名以上の来訪者の方があり大変感激したものです。

今の阿修羅掲示板は陰謀論者、小沢信者や反米主義者、ネット左翼に占領され単なるコピペ掲示板になってしまいました。一時小沢が勃興した際左翼に占領された阿修羅掲示板に切り込み、論破しまくり痛快な思いもいたしました。議論できる知的クオリティがある投稿者は皆無で残念ながら阿修羅BBSは終わっています。

このブログを立ち上げた理由の一つが図書館で借りた本の知識を保管する為でした。都内の図書館は30冊予約可能で最大20冊貸し出し可能でした。私は狂喜して本を読みまくりましたが、返したくなくなる本が続出してブログにて要点をコピペして保管しようと思いました。いまではこのブログが私の本箱です。

皆様もいろいろとGoogleにて検索することがあると思いますが、私も調べたいことをGoogle検索してみると自分の【Ddogのプログレッシブな日々】の記事が上位に表示されることが多々あり、苦笑してしまうことがあります。

今の勤務地は横浜市内となってしまったので東京都の図書館が利用できなくなりました。横浜市の図書館のレベルが東京都と比べあまりに酷い。予約6冊貸し出し6冊じゃ・・・読書量が激減しています。

私のブログの一日の最高アクセス数は確か1万8000アクセスです。これはYahooニュースにF-22問題でリンクを貼っていただいた日に達成しています。2日間で2万3000アクセスあったと思います。自衛隊開発の無人機についての話題でもYahooニュースでリンクを貼ってもらい1日1万アクセス超えをしたことがあります。最近はなかなかYahooニュースには取り上げてもらっていませんが、時々2chや有名人ツイッターにリンクされ2000~3000アクセスする日もあります。

来年春達成見込みの100万アクセスを目指し、これからもこのブログのクオリティを落とさないよう精進しますので、皆様宜しくお願いします。





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「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳

2011.7.28 15:59
「日本アパッチ族」「日本沈没」などの作品で知られ、文明評論家としても評価されたSF作家の小松左京(こまつ・さきょう、本名・実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため死去した。80歳だった。大阪市出身。告別式は親族で済ませた。
京都大学文学部イタリア文学科在学中から作家の高橋和巳らと交流し、文学活動に参加。卒業後は業界紙記者、土木工事の現場監督、漫才の台本作家などさまざまな職業を経験した。昭和36年に『地には平和を』で「SFマガジン」の第1回コンテストで努力賞。SF作家としてデビューした。
空襲で焼け野原となった大阪城周辺の廃虚を舞台に、鉄を食料にする一族を描いた「日本アパッチ族」(昭和39年)のほか、「復活の日」(同)「果しなき流れの果に」(41年)など、人類と現代文明の未来を探る構想豊かな作品を次々と発表。日本でのSF小説を開拓する草分け的存在となった。
地殻変動で日本列島が水没し、日本民族は国土を失うという設定の「日本沈没」(48年)は広範な知識に裏づけられた巧みな空想力が話題を呼び、400万部の大ベストセラーに。日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画、テレビ・ラジオドラマ、劇画にもなった。また60年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。
文明評論家としても知られ、45年には国際SFシンポジウムを主宰。平成2年、大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」の総合プロデューサーをつとめたほか、昭和59年公開の映画「さよならジュピター」では脚本・製作・総監督をこなすなど多彩な行動力が持ち味だった。
 
 
小松左京さんというと、私はなぜか、一世を風靡したイカ天バンド「たま」の「さよなら人類」 を思い浮かべます。この曲は小松さんの「さよならジュピター」と「2001年宇宙の旅」のオマージュだと私は思っています。
 
 
小松左京さんの作品は読んだというより観たという記憶の方が強い、「日本列島沈没」や、「復活の日」が特にそうだった。もっとも印象深かった映画は、角川映画「復活の日」である。主題歌のジャニス・イアン「ユー・アー・ラブ(Toujours gai mon cher)」の印象が強かったせいもあるかもしれない。

 復活の日はバイオテクノロジーによる破滅テーマであった。冷戦下、米ソの核の均衡の下で思春期を迎えていた私にとっては、1999年に恐怖の大王がやって来ようが、核戦争、生物化学兵器によるパンデミックであろうと人類はやがて滅びる運命にあるのだと感じながら成長した。

小松左京氏は1970年の大阪万博のプロジューサーの一人でもあった。大阪万博は、当時小学2年生だった私にとっては今のディズニーランド(先週金曜日夜18時からちょこっといってきました)以上の夢の国でした。高度成長期の日本にとって未来は光り輝き素晴らしいものだと、子供の私だけではなく誰もがと疑っていませんでした。


小松左京の「日本列島沈没」が大ベストセラーとなった1973年は第四次中東戦争で、石油の値段が3倍になったオイルショックによるインフレ、狂乱物価といった社会不安が広がった年でもあった。ユリゲラーによる超能力ブーム、ノストラダムスの大予言などの終末論が流行りだした年でもある。

小松左京は自らプロジュースした大阪万博ににおいて薔薇色の未来観を提示し、今度はそのアンチテーゼである暗澹たる未来観を「日本列島沈没」で提示してしまったのである。

小松左京自身には悪意はなかったとは思うが、終末思想の最初の洗礼として「日本列島沈没」は結果として多感な小学生であった我々世代にとっては大きな衝撃であった。

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追い討ちをかけるように小学校の学級文庫にはかならず学研の「もしもの世界」 が誰かが家から持ってきて置かれていた。「ノストラダムスの大予言」によって恐怖の未来をこれでもかと叩き込まれる結果となった。

小松左京には悪意はなく核戦争後人類滅亡を扱ったネビル・シュートの『渚にて』もそうであったが、人類は地球上に生き残る資格があるのか?といったことを自問していたのだと思う。
 
 
私は活字中毒ではあるが、小松氏の小説は映画で見たいと思っている。

 小松作品のなかで、最大の傑作と云われているのが『果てしなき流れの果にであるが、日本SF最大の傑作であると評価される光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』とともに、壮大すぎて映画化されていない。小松左京氏もさぞ映画化して欲しかったと思っているだろう。
 
日本SF界の巨星であった小松左京氏の冥福を心から願うものであります。
 
 さよなら、小松左京さん・・・・Adios!

 
 
 
 
 
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『Millennium-1ドラゴン・タトゥーの女 スティーグ・ラーソン/著』最高の推理小説だ! 
2011/6/7(火) 午前 2:34 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/35136390.html
より続き

「ドラゴン・タトゥーの女」を読み終えた時点で「火と戯れる女」と「眠れる女と狂卓の騎士」はどうせ続編で「ドラゴン・タトゥーの女」を越えることはないだろうと思いながらページをめくった。
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とんでもない!「ドラゴン・タトゥーの女」はイントロダクションにすぎなかった!「火と戯れる女」と「眠れる女と狂卓の騎士」の3部作はひとつの物語として最高のエンターテイメント作品である。

とにかく、すごいすごい。この4日間私は「火と戯れる女」と「眠れる女と狂卓の騎士」に没頭してしまった。これほど読ませる小説は年に1冊あるかないかだ。いやめったに出合わない!それもそのはず世界40カ国でシリーズ合計が6000万部が売れているという。(これは調べる度に増えている!公式サイト参照[http://www.stieglarsson.se])これはスウェーデンの国民文学となるだろう。日本で言えば・・・いや私の独断と偏見だが司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」に匹敵する国民小説ではなかろうか!とにかくこんなにも読みこた応えがあるとは思わなかった!
 
残念ながら日本での知名度はいまひとつ。まだお読みになってないかたは騙されたと思って是非是非読んで下さい!翻訳もなかなか悪くありません。想像を超える出来にあなたは感動すること間違いナシです。

詳しいストリーをこのブロブで書きたいのですが、ストリー展開の面白さは想像を越える展開で・・・・読んでいない方に申し訳なくて書けませんが・・・・ちょっとだけ。

第一部『ミレニアム-1 ドラゴン・タトゥーの女』はどちらかというと、ジャーナリストのミカエル・ブルムクヴィストの物語でしたが第二部『ミレニアム-2 火と戯れる女』からは天才ハッカーのリスベツト・サランデルの物語です。サランデルは「雑誌ミレニアム」が嗅ぎまわった人身売買事件に絡み、偶然殺人事件の容疑者として指名手配されてしまうのです。

殺人事件を振り出しにミレニアムの発行人ミカエルとリスベヅトの謎解きが始まる。
謎だったリスベツトの出自が少しづつ明らかになるにつれ、見え隠れする国家権力の影、それががいったい何であるのか、読者にはなかなか明かされない。

二人の謎解きとがもそうだが、リスベットが凄腕のハッカーであるうえに、アスペルガー症候群で画像記憶能力を有している超能力が痛快です。更にリスベットが敏捷な運動神経の持ち主の一種のスーパーヒロインに成長していくのである。

リスベットが「義務教育すら修了していない、無能力者」とか、「頭がかなりおかしく、すぐに暴力に走る傾向のある女」と言われていることが人為的な策謀であることが徐々に解明されて行く。

いかに物語といえこれほどまでの意志が強い女性を描いた作品があっただろうか?彼女は世界を敵に回しても戦い抜く強い意志に強く胸を打つ。華奢な身体の孤独な少女が戦ってきた過去にはとても胸を打たれる。ジブリ映画に登場するヒロインとは若干異質だが意志の強い女性といった点では共通するものがある。

そして衝撃的な展開・・・・ そして「火と戯れる女」は衝撃的展開はジェットコースターのようだ。


「眠れる女と狂卓の騎士」では墓穴に崩れ落ちたリスペットが・・・・

救急ヘリで運ばれ、一命をとりとめるものの、リズペットは囚われの身になり、ハッキングをするパソコンすらない。

イメージ 2


第三部では公安警察内部の秘密組織、通称"班"が表に動き出して、非合法的な駄燃活動を画策しはじめる…。

秘密組織が捜査活動をいかに分断させるのか、どのようにリスベツトの裁判を進めるのか、どのようにすれぱ優位に持ち込めるのかといったことを考えて、政治と国家権力と司法の各所にネットワークを作り、悪の公安別班を懲らしめる計画も平行して進められたのだが・・・・意外な方向へと向かうからだ。ちょっと水戸黄門的だが正義は勝つ、公安別班を公安当局も巻き込んだ狂卓の騎士達が痛快に追い詰めるのだ!

また法廷劇も用意されている。ミカエルの妹の弁護士アニカ・ジャンニー二が法廷に立ち、胸がすく展開も用意されている。少女時代からの宿敵ともいっていい邪悪な精神科医との対決も用意されている。ハードボイルド小説も風味もある。DV人身売買・・・本格ミステリ、ハードポイルド、サイコ・スリラー、スパイ小説、政治、心理学が絡まり、迫力に富んでいる。国家に尽す意味を考えたり、資本主義の矛盾、ジャーナリズムの抱える問題点、人身売買、強制売春といった杜会的なテーマを正面も巧みにちりばめられている。

最後は復讐劇だが、リスベットが単たる被害者にとどまらず、巨大な敵と戦うヒロインに成長し、彼女の味方が次々と増え、最後は勝利する痛快な物語である。


残念ながら著者スティーグ・ラーソンはこの3部作を残し急逝してしまったので今のところこれ以上この物語の先は読めない。

だが、行方不明のリスベツトの妹、リスベツトのジブラルタルの資産運用会社・・・次の物語の伏線は沢山張ってあり、次の物語に期待するエンディングだった・・・

なんと、スティーグ・ラーソンのパソコンには第四部が残っているという!

そして第五部はスティーグ・ラーソンパートナーだったエヴァ・ガブリエルソンが書くことを表明している・・・

第四部は第五部と第六部のイントロダクションだという。そして最終的には十部構成だという・・・・

 
スティーグ・ラーソンの永年のパートナー エヴァ・ガブリエルソンは正式に結婚しなかったそのため、ラーソンの兄と父と骨肉の争いをしていて一時期は第四部以降お蔵入りして永遠に我々の眼にふれない可能性もあったらしい。

ところが、来年公開でハリウッドで映画化される(スウェーデンでは映画化され日本で公開済み)ハリウッド映画となると金のなる木だ!第四部はほぼ完成していて、第五部六部は あらすじと構成は残っているらしい・・・一部情報だと パソコンに残っているのが第五部であるとの情報もあるが・・・読みたい!
ちなみのに第四部はカナダの北極圏での話しらしい。おそらくリスベツトのジブラルタルの資産運用会社がからんでくるのではないでしょうか?

新しい悪党の登場とスウェーデンを離れ国際的な物語になるらしい。リスペットサランデルは、世界を旅していることが記されているので2部3部では沢山の伏線が張られている。おそらくカリブの島の年下の学生も、ジブラルタルで寝たドイツのビジネスマンもリスペットサランデルと寝た男達はいずれ意外なところで再登場する予感が満載である・・・・(Ddog私見)

でも、この世の中にはまだ日本語による第四部は存在しない。もし出版されたらのなら訳者のヘレンハメル美穂さん岩澤雅利さん頑張ってください!期待しています!
 





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『SUGIHARA DOLLAR スギハラ・ダラー 手嶋龍一 著(新潮社)』を読む
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フィクションとノンフィクションが混ざっているが、どうしても切り抜いておきたい箇所がある。
①②③に加えて、おそらく手嶋氏のこの物語の背骨の部分にあたる大切な箇所だと思います。
p275~278
 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bb/Bundesarchiv_Bild_183-1983-0825-303%2C_Gedenkst%C3%A4tte_Buchenwald%2C_Wachturm%2C_Stacheldrahtzaun.jpg/406px-Bundesarchiv_Bild_183-1983-0825-303%2C_Gedenkst%C3%A4tte_Buchenwald%2C_Wachturm%2C_Stacheldrahtzaun.jpgブーヘンヴァルト強制収容所の解放に立ち会おうと、従軍議員団がほどなくこの地を訪れた。
その一団にワシントン州選出の下院議員スクープ・ジャクソンの姿があった。彼はスノホミッシュ郡の検事として、密造酒と違法なギャンブルを次々に摘発して名をあげ、二十代の若さで連邦議会に議席を得たばかりだった。そして真珠湾攻撃を機に陸軍に投じ、ヨーロッバ戦線を転戦してナチス・ドイツの敗戦を目撃した。
中央広場に一本の枯木がすっくと立っていた。

ジャクソン議員が正門から望み見たこの枯木こそが、彼の人生を変え、後に世界の針路をも捻家たちに引き継がれていった。それはやがて超大国アメリカをイラク戦争へと駆り立てていく思想の源流 となった。
スクープ.ジャクソンは一九五二年には連邦の上院議員となり、一貫して軍事委員会に所属すふるる。そして、西側同盟の盟主アメリカの安全保障政策の舵取りに絶大な影響力を揮う有力議員となっていった。
最新鋭の長距離核ミサイルの配備は、アメリカの安全保障政策にいかなる影響を与えるのか。

そんな難解なテーマにとり懸かれていたスクープ・ジャクソンのもとに、ふたりの大学院生がアシスタントとしてやってきた。ポール・ウォルフォウィッツとリチャード・パールだった。

ふたりは後にネオコンを代表する戦略家となる。ポールとリチャードは、ともにユダヤ系の血を引く天才肌の青年だった。両親はナチスの圧政を逃れて、自由の国アメリカにからくも逃れたのだが、叔父や叔母、そして従兄弟たちはみな、アウシュビッツをはじめとする強制収容所で命を落としている。
崇高な民主主義の理念を圧政で虐げられている人々に押し広げて行く-ポールとリチャードは、アメリカ民主主義が内に秘める圧倒的な力によって明白なる使命を成し遂げるというジャクソン流の理念に強く惹かれていった。

ポール・ウォルフォウイッツは、シカゴ大学で核戦略論を専攻する学究の道を選んだが、一方のリチャード・パールは請われてジャクソン上院議員の補佐官となった。やがてパールはジャクソン上院議員を支えて、対ソ強硬路線の演出者となる。

超大国が持つあらゆる力を存分に駆使して、全体主義体制に風穴をこじ開けていく。そんな思想が法案として結晶したのが「ジャクソン・ヴァニック修正条項」だった。
ブレジネフのソ連は、農業政策の失敗から、小麦の不足に苦しんでいた。その一方でアメリカの穀倉地帯は供給過剰に陥っていた。

ジャクソンとパールは、こうした米ソのギャップに目をつけ、アメリカがソ連への穀物の輸出に道を拓く法案を提案した。その見返りとして、ソ連国内に閉じ込められているユダヤ人の国外移住を認めさせる付帯条項をさりげなく法案に押しこんだのだった。

アメリカの法案審議史上で永く「真に天才的な」と称賛された立法だった。条文の筆を執ったのは、ジャクソンの補佐官、リチャード・パールだった。後にレーガン政権の国防次官補として米ソ軍縮交渉に臨み、対ソ強硬派として「闇のプリンス」と呼ばれた逸材だ。

だが「ジャクソン.ヴァニック修正条項」が成立しても、現実にソ連国内に幽閉されているユダヤ人が出国するには巨額のドルが必要だった。ユダヤ系の人々の出国には多大な費用をソ連側に支払うことが暗黙の取り決めとなっていたからだ。それゆえ、ユダヤ人の出国を促す救援組織は、膨大な額のドルを調達しなければならなかった。アメリカと欧州に張り巡らされたユダヤ・コネクションは、ユーロドルや金融先物商品の売買でその資金を調達していった。

そのオペレーションの背後にあって、司令塔の役割を果たす陰の存在があった。
p296~297
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3b/Ohshima%26Ribbentrop.jpg/250px-Ohshima%26Ribbentrop.jpg「ポーランド秘密情報都の有カメンバーの大半は、ポーランド国籍をもつユダヤ系の軍人だったと承知しています」「そう、亡命ポーランド政府が、大戦中にヨーロッパ大陸に配していた最高の情報士官といっていい。このリビコフスキー情報は、ベルリンの大島情報の対極に位置していた。大島は『ヒトラーの弁護人』と呼ぱれたように、終始、ナチス・ドイツ側の情報に操られていた。イギリス上陸か、対ソ侵攻か、を巡る情報戦がその典型だった」「ナチス・ドイツ軍は、ドーバー海峡を渡って、イギリスに上陸作戦を敢行する――。
 
ベルリン の大島電は、一貫してそう大本営に打電し続けていましたからね」「マイケル、その通り。一方のストックホルム発の小野寺信武官の公電は、ナチス・ドイツは、ロンドンではなく、モスクワを目指すと大本営に報告していた。ドイツの対ソ侵攻を見通して誤らなかった」

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7c/Falkenhorst_onodera_morath_fjell_festning_1943_triple_28_cm_triple_naval_gun_gneisenau.jpg/200px-Falkenhorst_onodera_morath_fjell_festning_1943_triple_28_cm_triple_naval_gun_gneisenau.jpg「ジョン、その小野寺電報の情報源が、ミハイル・リビコフスキーだったというわけですか」「そうだ、ポーランド、バルト三国、ドイツ、そしてウクライナに張り巡らしていたポーランドの情報網から入ってくるナチス・ドイツの情報を精綴に分析し、ヒトラーは対ソ戦、そうバルバロッサ作戦の準備に入ったと看破した。その見事な分析は、ストックホルム発の小野寺電にそのまま投影されている」

果たしてリビコフスキー情報の通りにヒトラーはソ連攻略に踏み切った。さすがにナチス・ドイツ側も対ソ侵攻の直前には大島駐在武官に開戦を内報している。その後も、リビコフスキーは、ナチス・ドイツ軍のモスクワ攻略の失敗を冷静に見通している。

リビコフスキーがロンドンに去った一九四四年以降も、ポーランド秘密情報部は、律儀にも極秘情報を小野寺信駐在武官のもとに届け続けた。ストックホルムにあったポーランド亡命政府のブジェスクフィンスキー駐在武官が、リビコフスキーに代わって小野寺信に第一級の情報を手渡していたのだ。その質の高さはアメリカ側の傍受記録から明らかだった。

http://blog.trend-review.net/blog/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87.jpg小野寺の武官室兼住居にしていたアパートの郵便受けに極秘の書簡がそっと届けられた。英米の情報機関がこのアパートを監視して、ワシントンとロンドンに報告している。このため、ブジェスクフィンスキーは息子をクーリエに仕立てていたのである。

そうした極秘情報のなかにきらめくようなダイヤモンドが含まれていた。一九四五年二月に黒海沿岸の保養地ヤルタで開かれたルーズベルト、チャーチル、スターリンの首脳会談で合意されたヤルタ協定。その公式発表文には含まれていなかった密約部分が、小野寺信駐在武官にもたらされたのだった。ジョンは一枚の傍受記録を示した。

ソ連邦はドイツが降伏して後三ヶ月を準備期間として対日参戦する
p324
イメージ 1スターリンの後継者のひとり、ニキータ・フルシチョフは、第二十回ソ連共産党大会で、昨日まで神のように崇めていたスターリンを、各国代表を締め出した上で徹底して批判した。 
スタシェフスキは、モスクワに燃えるような憤りを抱き、祖国ポーランドを彼らの手で支配させてなるものかと決意する。そしてポーランド生まれのユダヤ人ジャーナリスト、フリップ・ベンに「フルシチョフ秘密報告」をひそかに流したのだった。やがてそれはイスラエルのカウンター・インテリジェンス機関「シン・ベト」の手に渡っていった。

「シン.ベト」は、「モサド」が対外諜報機関であるのに対して、イスラエル国内へ敵対者が侵入するのを防ぐ防諜機関だった。第二次世界大戦が終了すると、新しく建国されつつあった新生イスラエルに東側陣営から大量のユダヤ人が流れ込んできた。イスラエル政府首脳は、共産主義の浸透を防ぐ狙いもあって、この「シン・ベト」に、東ヨーロッパに根を張るポーランド情報網との連携を強めさせた。これに超弩級のインテリジェンスが引っかかってきたのだった。

この秘密報告はやがてアメリカのCIAに渡り、有力紙「ニューヨーク・タイムズ」にリークされた。このスクープは世界の共産主義運動を激しく揺さぶらずにはおかなかった。「スターリン批判」は、冷たい戦争の行方にも、中ソ関係の行方にも、甚大なインパクトを与えたのだった。

「モスクワからワルシャワを経てエルサレムヘ。鉄のカ-テンを貫く情報の流れは、あなたがたポーランド系ユダヤ人の情報ネットワークを抜きには語れません。あなたがたはナイーブなマルキストなどではなかった。全てをお見通しだったのでしょう」
p279~281 下記老婆は確かモデルがいたと思ったが日本語のネットでは確認できなかった
この老婆こそ「ブナの森の女モーゼ」と人々から呼ばれて畏れられた収容所の北極星だった。

彼女の名はエステル・シェニラー。囚われ人の尊敬を一身に集めたクラコフ出身のユダヤ人だった。
エステルは幾多の同胞の命を救っただけではない。時には若い収容者を説き伏せて裏切り者のカポーに仕立て、ゲシュタポの手下として送り込んだ。バイオリン、チェロ、ピアノ、フルートのプロの演奏家だった者たちを見つけ出しては「ブーヘンヴァルト楽団」を編成し、強制収容所長の妻の誕生日にはモーツァルトのコンチェルトで祝い彼らを手玉にとった。

エステルの収容棟の軒下には夜毎に鳩がやってきた。エステルは、大豆を鷲掴みにしては惜しげもなく投げ与えた。この幾粒の豆さえあれば、薄いスープで何人かの囚われ人が数日は命を繋くことができるものを。収容者たちは恨めしそうに、その光景を見ていたのだが、彼女にそう言える者などいなかった。エステルの風貌には近寄りがたい威厳が漉っていたからだ。

http://www.geocities.jp/torikai0029/bundes9063/Getto/Bild_101I-134-0766-22.jpgブーヘンヴァルトのエステルと地下のポーランド秘密情報部。鳩は両者を行き交う伝書使だった。

エステルは刻々と変化する全ヨーロッパの情勢を適確に掴んで誤らなかった。
二十世紀のバビロンの囚われ人をひとりでも多く生き永らえさせる-エステルが自らに課した使命だった。

クラコフのユダヤ人街「オクラングラックの家」の仲間たちによると、エステルはイスラエルが建国された一九四八年まで生きていたという。彼女の働きで強制収容所から辛くも助かった一団が乗り込んだ貨物船が、アントワープ港からアカバ湾に向けて出港するのを見届けて、パリの裏町に帰りつき、屋根裏部屋で息絶えたと伝えられている。

「わがバビロンの虜囚は、ロシアの白い大地にいまなお幽閉されている。あの連中を救いだしてやらねば。いいね、ソフィーにそう伝えておくれ」
ブーヘンヴァルト強制収容所で、神のような働きをみせ、ユダヤ同胞の伝説となったエステ ル・シェニラーは、枕もとで看取った仲問のひとりにこう言い遺して逝ったという。
p355 物語の最後にフリスクが松山雷児の生前葬で語った言葉で手嶋龍一氏の語りたかった事が終る
「僕は一九七〇年代初め、仲間から気が触れていると言われながら、ドルが金の呪縛から逃れて、変動相場制に移行すると信じて疑わなかった。そうなる以外に、ドルの先物商品をマiカンタイル取引所に登場させることが叶わなかったからでもある。固定相場制のもとでの為替の先物商品など自家撞着でしかないのだから――」
そして、次なる地平を熱っぽく旧友に語って倦むことを知らなかった。

「向こう四年のうちに、人民元はかならず変動相場制に移行する。だが、自由な為替の取引のためには、為替の損失を避けるヘッジの機能がどうしても欠かせない。このアメリカの市場で、僕が身をもって示したのはまさにそのことだった。中国も日を経ずして、金融の先物市場にかならずや門戸を開くことになる。来年の末までには株価指数の先物取引が始まると僕は見ている」
【参考】
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私は口が悪い。先日も阿修羅掲示板政治板で、ひさびさにアジってきたら、小沢狂信者達が大勢発狂して大笑いしてしまった。http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/533.html彼らは元々真面目な性格で正義感が強い善良な市民であったはずだが、日教組やこの本に紹介されているリベラル(社会主義的)教徒の人々の誘導で、無意識のうちにああなってしまったのであろう。

潮匡人元三等空佐が選定した下記リベラル教徒たちの言説は、潮氏に改めて解説いただいたおかげで非常にわかりやすかった。その多くの論理は矛盾しダブルスタンダードでかつ利己主義的である。本書はそのリベラル教徒の本性をあぶりだしている。

潮匡人氏の批判は論理的ではある。あえて私生活に踏み込む点については、多少そこまでと思う箇所もあるにしても、本を出版し、世間的な影響力を与え、不特定多数の人物より印税を頂いている以上、下記人物たちのパーソナルな面での批判は当然受けてしかるべきであると私は考えます。

私が潮氏の人格攻撃を肯定したら、阿修羅板で、Ddogの意見に論理的批判もできないで、人格攻撃しか反論できない連中から、後でダブルスタンダードだと批判する奴も出ると思うが、素人のネットカキコのお遊びと、真剣を振りかざす潮氏の批判は根本的に違うと思う。

潮匡人氏は自分の言論行為に嫌がらせを受ける可能性、名誉毀損で裁判を受けるリスクを覚悟で、実名で、下記ベストセラー著者でもあるリベラル教徒=空想的平和主義の仮面を被った利己主義者を次々にズバズバなで斬りしている。己の信念を貫き、実に男らしい、尊敬に値する武士である。

姜尚中―自分しか信じないリベラル教徒 

森永卓郎―破廉恥で利己的な強欲タレント 

井上ひさし―反戦作家を自任するオカルト教祖

高橋哲哉―哲学を捨てた親北の反日活動家 東大教授

半藤一利―軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家

保阪正康―通俗的な歴史観を披瀝する杜撰な進歩派

井筒和幸―病んだ精神で憎悪と対決を煽る映画監督

中沢新一―恥知らずな悪徳を擁護する宗教学者 

渡邉恒雄―「第四の権力」を私物化するドン

上野千鶴子―私怨が蠢く不潔で卑猥なフェミニスト 

宮台真司―悪徳を煽動する卑猥で不潔なブルセラ科学者  首都大学教授

立花隆―「知の巨人」と称される天下無双の俗物

姜尚中ー自分しか信じないリベラル教徒
p21
良識は通常、本能的(instinctive)ないし生得の(unlearned)健全かつ健康な(sound)分別である。直感的である以上、知性を駆使しても得られない。先験的ゆえ、経験を積んでも効果がない。「小数者になることを愉しみに思うような経験」というが、教授は「少数者」どころかマスコミの寵児である。

哲学者ヒュームも「道徳的区別は理知の産物でない」「道徳性は、判定されるというより、一層適切には感じられるのである」と論じた(『人性論』岩波文庫)。

良識は、姜教授が排斥する慣習や伝統、固有の文化や国柄から生まれる。だから「置かれている立場によ。って異なってこざるをえない」のだ。さらに言えば、良識は神秘から生まれる。「心に神秘を持っているかぎり、人間は健康であることができる。神秘を破壊する時、すなわち狂気が創られる」(チェスタトン『正統とは何か』春秋社)。
p22
コモンセンスの理解も共有できそうにない。教授は、「論座」(2006年5月号)で雑誌「正論」と「諸君」を名指して、こう中傷した。
『コモンセンス(思慮分別)を持っていれば、こういう場では書けないだろう。今後、これらの雑誌はさらにデマゴギー的な性格を強めていくのではないか』『これら論壇誌の水準は劣化していくだろう』『保守・右派言論は、テレビで活躍しているかどうかという知名度だけでつくられていくかもしれない』

私はコモンセンスを大切にしている。身贔屓だろうが、別に両誌とも「劣化」したとは思わない。「テレビで活躍しているか」云々の指摘は「保守・右涯言論」ではなく、姜教授自身とリベラル陣営にこそ相応しい。さらに一点だけ敷桁する。

『A級戦犯は陸軍刑法や戦時刑事特別法、陸軍懲罰令などの国内法において敗戦の責任を取らなければいけない、戦犯を靖国神社に祀ることは不当だ、という意見が保守派からも出ていたのである。その最も洗練された議論は山本七平氏によるものだった。そこには比較的「健全な」保守のスピリットがまだ生きていたし、それを共有する論壇的な状況もあったわけだ』(同前)

山本七平が関連書籍で批判したのは、ひとり「A級戦犯」ではなく「言葉を奪った」日本軍であり(=下級将校の見た帝国陸軍』)、「『空気支配』の体制」(『「空気」の研究」)である。「戦争責任」に関し、山本はこう書いた。

『私は軍が全く一方的に積極的に政治に関与したという戦後の見方に非常に疑念をもつ。(中略)本多氏などの戦争責任の追及は、まるで名目的責任者を追及することによって責任を他に転嫁して自らを守る一種の「企業防衛」としか私には見えない』(『私の中の日本軍』)

右の「本多氏」は朝日新聞記者。「戦犯」処刑された軍人を紙面で断罪した。その冤罪を晴らしたのは山本である。朝日の雑誌でライバル誌を罵倒し「名目的責任者を追及する」。山本七平を持ち出すのは、お門違いではないだろうか。山本は「八紘一宇とか大東亜共栄圏とかいった、『吠え声』に等しい意味不明のスローガン」(『一下級将校の見た帝国陸軍』))も批判したが、教授の説く「東北アジア共同の家」は右から逃れているだろうか。私も山本を評価するが、最後は教授と結論を違える。それはなぜか。教授か私のどちらかが、山本を誤読したからであろう。

傲岸不遜 (ごうがんふそん)《意味:人を見下すような態度を取ること》この言葉が最もふさわしい男である。私(Ddog)が初めて私が姜尚中の存在を認識したのは、十数年前の朝まで生テレビであったとと思う、熱く議論している中で落ち着きはらって、低い声で相手を貶すかのごとくの暴論の数々を淡々と言ってのける、傲岸不遜な男、姜尚中その人であった。

森永卓郎―破廉恥で利己的な強欲タレント

私(Ddog)もこのオタクの偽善性を理解しない人間達の馬鹿さ加減に呆れている。
アキバ系のオタク趣味に何億円も投じている人間が書く「年収120万円時代」とかいう本に金を払う馬鹿の気が知れない。「ビンボー」を語り、「勝ち組」を批判する、超リッチな成功者!

潮氏は、あえて森永卓郎の私生活を暴露してその人格を批判している。森永卓郎の偽善性を暴露することは、努力して成功者した者を憎悪する歪んだ風潮を世間に増殖させない為にも、この男の偽善と招待を暴露すべきである。

事実、近著でこう明かす。『いちばん多い時期には講演が年間200回、連載が36本、取材が一日に10社以上ということもあった』『「年収300万円」シリーズは、全部で100万部近く売れたと思う。/その結果、私のところに莫大な印税が入ってきた』(『モテなくても人生は愉しい』PHP研究所)

その莫大な印税をどうしたか。

『私はこの「あぶく銭」で、前からの夢だった「おもちゃの館」をつくることにした』

なんと、すべてオタク趣味に費やした。

『いま私の収入は普通のサラリーマンよりずっと多いのだが、生活自体は貧乏だったときとほとんど変わつていない。収入が増えた分は、皆コレクションとその置き場の費用に変わってしまうからだ』(同前)

コレクション収集に興じる前に、果たすべき責務があるだろう。

『いまはまた、B級グッズの博物館を建設しようとしているので、なかなか自分からは減らせません』(前出対談)

▼恥知らずなワガママ亭主

氏が建設すべきは博物館でなく、介護施設であろう。なぜ「収入が増えた分」をオタク趣味に浪費するのか。まるで白分の利益しか考えていない。氏こそ家族に対し「冷酷非情」であろう。「週刊文春」(2008年7月3日号)誌上で阿川佐和子氏に「今度は貯金したんですよね?」と聞かれ、こう答えている。

『いやいや、その金を全部つぎ込んで、僕のコレクションを展示保存する「おもちゃの館」を建てちゃった。次の目標は、一般公開用のおもちゃ博物館。予算は三億円ぐらいだな。だからまだまだ稼がなきゃならない』

介護費用を捻出するため休みも取れない、家にも帰れないという事情なら理解しよう。だが目的は「おもちゃ博物館」。開いた口が塞がらない。臆面もなく「コレクションは私の最大の生き甲斐であり、いま必死で人の何倍も働いているのも、コレクションのためだと言っても過言ではない」(前出『モテなくても人生は愉しい』)と書く。

私も頑張って働いているが、それは家族のためである。森永氏以外みな、そうであろう。阿川氏との対談では話題が森永夫人に及んだ。

『阿川「奥様はなにがお好きなの?」
・森永「唯一の楽しみはファミレスでのランチとドリンクバー」
 阿川「えー?信じられない、”このワガママ男!”って怒ったりしないんですか?」
 森永「最近は私の父の介護まで抱え込んでいるので、”あなたはちっとも理解してくれない”って怒り ますけど。
 阿川「当たり前です1とにかく森永さんにはもったいない」
 森永「思想に共鳴して私を好きになってくれる人は男女を問わずいるけど、男性としての私を好きにな ってくれる女性はほとんどいませんから、大事にしなきゃとは思ってるんですよ。そうそう、私の夢は ね、一度でいいから女性にモテることなんです。大竹まことさん、女性にモテるでしょ。いいなあ」』

阿川氏に百票を投じたい。これが、家にも帰らず、妻に介護を押し付ける夫の態度か。私が彼の立場なら、妻を温泉などに旅行させる。「あぶく銭」をそう使う。氏は言うに事欠いて「一度でいいから女性にモテること」が「夢」と言う。ワガママにも程があろう。どんな良妻でも、不愉快に感じるはずだ。何たる恥知らず。

しかも、前出新刊は題して『モテなくても人生は愉しい』。一度でいいから女性にモテたいと会言する男が、この題で何を書こうと無価値である。

『「もう一度生まれ変わっても、僕と結婚してくれますか?・」/妻は迷うことなく、すぐに答えた。/「絶対にしない」』『「夫婦の幸せ」というのは、いったい何なのだろうか。私は結婚して幸せだったが、妻がどうかはわからない』(同書)

どこまでも救い難い。同書は最後を「どうしたら、これから妻に幸せになってもらえるのか」「その答えを見つけることが、残された人生の最大の課題だと思う」と珍しく神妙に締めた。

氏がリベラル陣営から転向しない限り、答えは見つかるまい。

井上ひさし

井上氏には離婚歴があるが、最初の妻が自著で夫(井上氏)の凄まじい家庭内暴力の実態を克明に綴っている。

「本気で殺す気だったと思えるほどの暴力だった」「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、打撲は全身に及んでいた」「しばしば好子を死ぬほど打ちのめした」「部屋に入るなり引きずり回される日もあった」「机の下で首をしめられる」(西舘好子著『修羅の棲む家』はまの出版)

こんな男が、反戦平和とかキリスト教とかのご高説をたれるのはちゃんちゃらおかしい。
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絶望の大国、中国の真実 副題:日本人は中国人のことを何もわかっていない!宮崎正弘+石平 著

この本は面白かった。日本人で一番中国通であろう宮崎正弘氏と元中国人の中国系日本人にして中国評論家 石平氏の対談本です。

日本人の場合、大多数の人が来世を信じている。私なんか特にそうなのですが、この世は仮の世であっていまは不仕合せであっても、あの世で幸福になれるという信仰のような思想を持っている。だから現世という言葉があるんですね。キリスト教もイスラム教もみんなそうなんですよね。ところが来世信仰が薄いのが中国人とユダヤ人です。その点で中国人とユダヤ人は似ているところがある。

もともと中国人は今生のことだけ語るんです。だから死後のことは考えない。たとえば孔子様ですが、孔子様は死後のことを語らないでしょ。中国には死後のことを考える哲学はなかったんですね。そこへ仏教が伝わってきていちおうは来世という概念が中国でできたんです。道教もあまり来世を語らない。むしろ死なないという方策を考えるのが道教の基本的な考えなんです。修行していかに死なない身になるか、死なないでいかに永遠に幸福を享受するか、というのが道教の思想なんですね。死なない、不死ということ?
不死です。道教と儒教の両方が死後の世界を避けていたんです。そこへ仏教が入って来て、中国にはじめて来世とか因縁とかいう概念ができたんですね。ですが仏教も日本ほど根を下ろすことはできなかった。そして1949年、共産党が権力をにぎって徹底的に唯物主義の教育を六十年間やった。唯物主義というのは死後の世界つまり来世はないんです。人問は物質としてできているので、人問の肉体が死んだら精神も消える。精神はあくまでも肉体を土台にするという考えです。
なるほど、中国人を理解するには、この考え方は特筆すべき考え方だ。中国人は前世皆人間ではない者たちだったのだろう。初めて人間になったのだから、あのような禽獣と変わらぬ行動様式をとるのだろう。そして来世は人間ではない・・納得する。
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先日も、1度借りた本をもう一度借りようかと思ったが書名、著者名を忘れ難儀した。
とりあえず、読んだ本を記録しておこう思い簡単な書評。抜粋をしておこうかと思います。

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7月末からアレクサンダー・ハミルトン伝 上巻を読み始めた。

読み始める前、本書を手に取った瞬間、ああなんてことだい、借りるのを止めようかと思った。米国のライターは唯ただ記録を本に羅列すればいいといった姿勢で伝記を書く傾向にあり、纏めればもっと良い本になるのに、大概ぶ厚い本になる。500ページを越える本を上巻中巻下巻、これはだらだらとしたエピソードが続くのかと思った。

ところが、読み始めると、アレクサンダー・ハミルトンの波乱の人生はこの分厚い本3冊でも収まりきれないことを理解してしまった。

アレクサンダー・ハミルトンとは、Wikiでその片鱗を読んでいただければお分かりになるだろう。
Wikiより引用
アレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton, 1755年1月11日 - 1804年7月12日)は、アメリカ合衆国建国の父の1人。日本語ではアレキサンダー・ハミルトン、アレグザンダー・ハミルトンとも表記される。政治家、憲法思想家、哲学者であり、アメリカ合衆国初期外交のリーダーであった。独立戦争の際には総司令官ジョージ・ワシントンの副官(砲兵将校、陸軍中佐)を務めた。
1787年のフィラデルフィア憲法起草会議の発案者で、アメリカ合衆国憲法の実際の起草者。アメリカ合衆国憲法コメンタリーの古典『ザ・フェデラリスト』の主執筆者。古き英国の法思想「法の支配」に基づくコモン・ロー化した憲法を生み出した、立憲主義および保守主義の偉大な思想家である。司法による違憲立法審査権の制度の理論は、ハミルトンによる。英国のアクトン卿は、ハミルトンをバークを超える世界随一の天才と評している。アメリカ合衆国の初代財務長官(在任:1789年9月11日 - 1795年1月31日)。陸軍少将。連邦党の党首。1801年、米国最古の日刊紙ニューヨーク・ポスト紙やBank of New Yorkを創業した。1804年、決闘で死去、49歳だった。
上巻は波乱の人生の生い立ち前から波乱の人生であった。
イギリス貴族の末裔の父。不幸の連続だったが気高く生きた実母。父母共に波乱の人生を送り転落していく最中、カリブ海のネーヴィス島でアレキサンダー・ハミルトンは生まれた。身内に次々起きる不幸の連続。父が逃亡母も死亡、保護者の従兄弟も自殺、捨て子同然でこれ以上惨めな少年時代を持つ偉人はいるのだろうかと思わせるほど惨めな境遇であった。
そして、何とか生き残り、チャンスを掴み、島の住民から寄付を募ってもらいNYへ留学。
おりしも、独立運動に遭遇し、努力に努力を重ね、ワシントンの参謀となり独立運動に多大な貢献を行った。結婚し、弁護士となり、米国の国体を基本設計していくところで上巻は終わった。

普通これだけで、並みの偉人の人生は十分に波乱であるはずなのに、さらに中巻下巻もあるよいう。これは司馬遼太郎先生が取り上げていたら、アメリカ版の坂本龍馬の「アレキサンダーがゆく」を書き上げる事ができたであろう。そして坂本龍馬がもし生きたいたとしたら、新政府において間違いなくこの「アレクサンダー・ハミルトン」が新生アメリカ合衆国で果した役割を日本でしていたかもしれません。

そう思って本書を読むと、とても感慨深いものがあります。中巻は図書館で予約を入れましたが、待ち遠しくてなりません。

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世界がドルを捨てた日、副題:歴史的大転換が始まった 田中宇 著

相変わらずの、田中宇の脳ミソで分析した米国。田中宇の話をまともに聞いていれば、2003年頃既に、米ドルは1ドル50円程度まで下落し、NYダウは3000ドルになっているはずだ。初版の発行日1月30日の時点で、依然ドルは基軸通貨として機能し、NYダウも回復ししているこの現実の前では、田中宇の視点のお粗末さが目立つ。

G7体制からG20体制へ移行していくことは自然界のエントロピーの法則からすれば至極自然な流れに過ぎず。米国の一国支配体制を終わらせ、多極化したほうが世界的な
隠れ多極主義者たちが目指す究極のシナリオだというのだ。
P152~160
2008年7月、米国の最有力の投資銀行だったゴールドマンサツクス(GS)が「中国やイ
ンドが豊かになり、2030年には世界の中産階級は20億人になる。世界の貧富格差は縮小する」と予測する報告書を発表した。
報告書によると、世界では今後、年収6000~3万ドルの階層が毎年7000万~9000万人ずつ増え、特に中国、インド、ロシア、ブラジルというBRICs諸国で増える。韓国、フィリピン、ベトナム、インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、イラン、トルコ、エジプト、ナイジェリア、メキシコという、GS社が「N11(ネクスト11)」と名づけた高度成長しそうな11カ国でも、中産階級が顕著に増える。現在、世界の3大経済大国は米国・日本・ドイツだが、2025年と2050年には中国.米国、インドになる。2050年には、米国以外の7大国はすべてBRICsとNext11となる。
これまで20年の世界経済は、中国など発展途上国が作った製品を、米国を筆頭とする先進国が消費して成長してきたが、GS社の予測に基づくなら、今後の20年は、消費国がBRICsやNext11へ多極化する。先進国と発展途上国という二分法の見直しが必要となる。
BRICsという言葉自体、2001年にGS社によって提唱され、同社は数次にわたりBRICsの政治経済的な台頭を予測する報告書を発表している。GS社は20世紀初頭から米国内で企業上場(IPO)を多く手がけ、この20年は中国などBRICsを中心とする新興市場でIPOや債券発行に関与している。上海市場でのIPOの総額は07年、ニューヨークを抜いて世界一となった。2007年に上場が最も増えたのがBRICs4カ国だった半面、米国は不振で、GS社は先見の明があった。同社の予測が正しいなら、この傾向は今後も長く続く。
GS社が「BRICsなどの台頭(つまり覇権の多極化)によって、2030年に世界の中産階級が20億人にまで増える」という報告書を出したと知ったとき、私がまず感じたのは「これこそ、隠れ多揮王義者のニューヨーク資本家たちが、米英覇権の白滅と覇権の多極化によって実現したい究極のシナリオではないか」ということだった。
すでに書いたとおり、ニューヨーク資本家の100年の構想は、英国の覇権一第二次大戦後は英国に乗っ取られた米国の覇権)を壊し、産業革命・高度成長を世界に拡大することで、世界経済の成長率を長期的に上げることである。冷戦後、彼らの「資本の論理」が優勢になったが、9.11後のテロ戦争開始によって米英覇権維持の「軍産英イスラエル複合体」が巻き返し、それをまたブッシュ政権の未必の故意的な「やりすぎ戦略」が破壊し、2007年以降、経済・軍事.政治の全分野で米英の覇権体制が崩壊し、再び多極化への方向性が見えてきている。
2007年からの金融危機で、ニューヨーク資本家は大打撃を受けている。GS社白体、投資銀行を廃業し、商業銀行に転換せねばならなくなっている。2008年9月に倒産した投資銀行リーマン.ブラザーズのように、GS社もそのうち潰れてしまう可能性もある。今回の金融危機をニューヨーク資本家白身が起こしたのだとすれば、あまりに自滅的である。しかし現実を見ると、リーマン.ブラザーズに対して政府による救済を行わず、倒産に至らせる決定を下し、金融危機を決定的にひどくしたのは、GS社出身のポールソン財務長官である。その後、ポールソンは7000億ドルの不良債権買い取りの金融救済策を開始したが、この救済策は効果が疑問視されており、専門家の中でこの政策を支持する人の方が少ないぐらいである、効果の薄い利下げや財政赤字の急増と合わせ、米政府の金融対策は、米国の財政とドルの破綻、つまり米国の経済覇権の崩壊を招きかねない。1971年のニクソン・ショックに似た状況が出現しつつある。私から見ると、ポールソンが米国の経済覇権に対してやっていることは、チェイニー副大統領やネオコンが、イラクとアフガンの戦争の失敗を招いて米国の軍事覇権に対してやったことと同様、米国の覇権を自滅させる行為である。

歴史を見ると、1893年の金融恐慌はJPモルガンが意図的に悪化させて米政府を乗っ取り、1929年の大恐慌も必要以上に悪化し、おそらく親英的な勢力が米国を乗っ取るために使われた。このように金融恐慌が覇権体制転換のために悪化させられている歴史から考えて、今回の金融危機も、覇権体制の転換のために悪化させられていると推測できる。

今回の金融危機は米国だけでなく、英国をも崩壊させている。英国はレーガン・サッチャーのコンビによる1985年の「金融ビッグバン」以来、20年間、米国の金融システムをコピーして使い、金融の儲けによって国家と経済の発展を実現してきた。今回の金融危機によって米国が経済破綻したら、ほぼ間違いなく英国も一緒に破綻する。金融危機は、米国だけでなく、米国の覇権を黒幕として牛耳ってきた英国をも破綻させ、米英中心の世界体制を崩す。GS社出身のポールソン財務長官の未必の故意的な失策が、その崩壊を助長している。米英中心の世界体制が壊れた後の多極的な世界体制の中で台頭しそうなBRICsなどの経済発展によって、GS社の予測どおり、2030年に世界の中産階級が20億人に増えるとしたら、GS杜がポールソンらが米英覇権を崩壊させ、その後の世界の多極化と、中産階級の大増加を誘発し、ニューヨーク資本家たちが100年前から希求していた世界経済の長期的な発展を実現する計画を実行していると考えることができる。

ブッシユ政権におけるGS杜出身の高官は、ポールソンのほかに、国務副長官や世界銀行総裁を歴任したロバート.ゼーリックがいる。ゼーリックも、国務副長官の時に中国を「責任ある大国Lにする役割を果たし、世銀総裁になってからは「もはやG7(米欧日など先進国)だけでは世界の問題を解決できない。BRICsなど7つの主要な途上国を加えたG14に拡大するしかない」という新戦略を打ち出すなど、明らかに多揮王義者の傾向を持っている。

GS社が多極化主義の方針を隠し持っている可能性は大きい。
多極化を推進するニューヨーク資本家の中心は、第一次大戦の前後にはJPモルガンだったが、ニクソンから冷戦終結まではロックフェラーに主導役がバトンタッチされた。今回の多極化の流れの中で、GS社の名前がよく出てくるということは、主導役はGS社に移ったのかもしれない。(9.11直後にデビッド・ロックフェラーが緊急訪中したことや、ロックフェラーの番頭であるキッシンジャー元国務長官がいまだに米政界で強い影響力を保持していることなどからは、まだロックフェラーも強いことがうかがえる)
英国はしぶといので、まだ勝敗が決したわけではない。GS杜の予測どおり、2030年に世
界の中産階級が20億人に達したら、それは隠れ多極主義が100年の暗闘に勝った証しとなる。
まあ、田中が力説する「米国の意図的自滅シナリオ」をここもとの米国に無理やり当てはめたとしか思えない軽薄な内容ある。田中は経済を分ったふりをしている単なる物書きの著者にすぎない。田中宇はその情報源を、英文のネット世論の言説を選び抽出しているにすぎない。彼を経済専門のアナリストであると勘違し自滅したい人は是非どうぞ。本書は空想家が現実社会をロマンチックに組み立てたパズルである。
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