今日、新横浜の昔からの大地主の方から 新横浜にまつわる幾つかの面白いお話しを聴いた。折角なので当たり障りがない程度に書き残しておきます。
新横浜駅は現在東海道新幹線、横浜線、横浜市営地下鉄の3線が乗り入れています。皆さん知っていましたか?JR東日本新横浜駅には駅長がいない!JR横浜線の隣小机駅の駅長が兼務しているのだそうです。もちろん新幹線の新横浜駅はJR東海管轄で駅長は別にいます。駅事務所も立派な駅ビル内にあるのですが、JR東日本の駅事務所は、新横浜駅の裏側の篠原口にあり、事務室と書かれたプレハブ建屋です!そう、どうもJR東日本は新横浜駅に対して冷淡な対応なのだそうだ。驚くことに横浜線が快速運転を始めた当初新横浜駅は通過していたとのこと。(現在は停車します)
1965年 新横浜駅


新横浜駅は現在東海道新幹線、横浜線、横浜市営地下鉄の3線が乗り入れています。皆さん知っていましたか?JR東日本新横浜駅には駅長がいない!JR横浜線の隣小机駅の駅長が兼務しているのだそうです。もちろん新幹線の新横浜駅はJR東海管轄で駅長は別にいます。駅事務所も立派な駅ビル内にあるのですが、JR東日本の駅事務所は、新横浜駅の裏側の篠原口にあり、事務室と書かれたプレハブ建屋です!そう、どうもJR東日本は新横浜駅に対して冷淡な対応なのだそうだ。驚くことに横浜線が快速運転を始めた当初新横浜駅は通過していたとのこと。(現在は停車します)

新横浜駅篠原口

JR東日本新横浜駅事務所
1964年(昭和39年)東海道新幹線の開業と同時に東海道新幹線と国鉄横浜線が交差する現在の場所に新横浜駅が開業しました。元々当駅周辺は鶴見川と鳥山川の合流する河川敷で、鶴見川が蛇行しながら流れていたため大雨になると洪水になることが多かった。そのため横浜市内ながら水田以外の利用が難しく、当時新横浜駅前は、見渡す限りの広々とした田圃が広がるド田舎でした。

開業後暫く水田しかなかったのですが、徐々にあるものが建ちはじめました。

有名なラブホテル街です。なぜラブホ街になってしまったかというと、社長曰く、飛鳥田 一雄と某大物女優の親父のせいだというのです。???

飛鳥田 一雄は衆議院議員(当選6回)・横浜市長・日本社会党委員長を歴任した人物です。横浜市長だったのは1963~1978年 革新首長の首魁として戦後日本の左翼地方行政の典型であった。長期政権下側近たちが利権を牛耳り、表面化したスキャンダル(日照権汚職)では逮捕者を出した。
飛鳥田は新横浜駅前の区画整理を行ったが、水道等のインフラ整備せず放置したのだという。住宅は建ててはいけない商業地としたため新幹線の駅前にもかかわらず、田園風景に倉庫と空地だけの寂しい駅前となった。

そこに目を付けたのが某大物女優の父親だという。某大物女優の父親は才覚があり区画整理で地権を持つ農家も商業地の高い税金の支払いに困りどんどんラブホに借地させたという。某大物女優の父親は7:3という地主にとって不利な条件でラブホにしていったのでだいぶ不興を買ったとのこと。ちなみに某大物女優の弟は新横浜を活性化させる有名博物館を新横浜に作り、町の活性化に貢献しているとのことです。

さて、話を新横浜に戻します。横浜市は新横浜周辺をを横浜駅周辺や「みなとみらい地区」を中心とした臨海都心とツインコアを成す横浜のもうひとつの都心として、「新横浜都心」にしています。確かに、駅東側の横浜アリーナ・プリンスホテル周辺には力を注いでいますが、これに比べて駅西側・南側は駅の構造的に不便で、放置されたままです。大地主の社長さんは、地元の代表として、新横浜駅の構造が地元住民にとってとっても不便なので、もう数十年何度JRや横浜市に西側への出口を設けるよう掛け合ってもなしのつぶてだと言うのです。市もJRもお互いのせいにしてまったくに動こうとしないのだそうです。
ひょっとして、京都駅南側がまったく北側と比べて開発されない理由と同じかと・・・・聞きづらいので聞いてはいませんが、少なくとも特殊な人権団体が存在する話は聞いたことが無いのでそのような理由ではなさそうです。
どうも、横浜市とJRは国鉄時代から関係がぎくしゃくしていたと言います。また東急とJRの関係も極めて悪いとのこと。社長曰く東急と横浜市の関係も悪いのでそのとばっちりを新横浜住民が受けるはめになったのだと・・・。
話はまた、飛鳥田左翼横浜市制時代に戻りますが、飛鳥田横浜市長は、革新系にもかかわらず、6大開発事業を行った。
1.みなとみらい21をはじめとした都心部強化事業
2.これと連動した金沢地区埋め立て事業
3.港北ニュータウン事業
4.幹線道路事業
5.地下鉄事業
6.ベイブリッジ事業
真実はどうかはわからないが、長期政権だった飛鳥田市長側近らが利権を貪らないわけはなかった。当初みなとみらい21地区に横浜線を横浜駅から伸長して乗り入れ横浜高速鉄道と連絡する予定だったが、利権がらみで頓挫。国鉄側は予算的な問題だと言われているが、横浜市は連結相手を突如東急東横線に変更してしまった。



須崎御用邸

踊 り子
号
五島昇氏の狙いは、皇族の方々が下田の御用邸へお召列車を東京駅から走らせる大義名分で、国鉄へ伊豆急を乗り入れ「踊り子号」を走らせる目的だったとのこと。国鉄は抗することができず国鉄一家としてはだいぶ屈辱だったとのこと。それ以来JRと東急の関係はさらに悪くなったとのこと。

横浜市と東急もけして良好な関係ではない。不可解な横浜市営地下鉄のあざみ野乗り入れだ。東急田園都市線の急行は鷺沼、たまぷらーざ、あざみ野と3駅連続で停車します。鷺沼は車両基地があり、たまプラーザは青葉台、二子玉川、溝ノ口、三軒茶屋といった東急田園都市線沿線の中でも東急が理想とした田園都市の中核駅であり、東急はどうしても市営地下鉄ブルーラインの終着駅はあざみ野ではなくたまプラーザにしてほしかった。
ところが、横浜市は当時山林であったあざみ野にブルーラインの終着駅を決めてしまった。なんの情報や証拠がないが、この不可解な決定の裏には何らかの利権が働いたのではないかと容易に想像がつきます。
ついでに、利権がらみと思われるのがこどもの国線に見ることができます。こどもの国線は田園都市線長津田駅からこどもの国まで延びた支線だが、当初東急は田園都市線の終着駅を小田急線と横浜線が乗り入れる町田駅を計画したなごりである。けっしてわざわざ「こどもの国」の為に引いたものではない。計画が頓挫したのは、国鉄時代数少ない黒字路線である横浜線の乗客を東急にとられかねないと国鉄が反対したのだという。でもどうも怪しい。昭和30~50年代飛鳥田左翼市長時代の横浜市北部は市のマフィア、東急、国鉄、開発業者が要り組んだ利権祭だったのだろう。現在の横浜市は知能指数が低い中田スケコマシ前市長のせいで、Y150みたいな無駄使いをしてくれたおかげで横浜市民である私たちは大変不利益を受けている。社長の昔話を聞いてなるほどと納得したのでした。
ところが、横浜市は当時山林であったあざみ野にブルーラインの終着駅を決めてしまった。なんの情報や証拠がないが、この不可解な決定の裏には何らかの利権が働いたのではないかと容易に想像がつきます。
ついでに、利権がらみと思われるのがこどもの国線に見ることができます。こどもの国線は田園都市線長津田駅からこどもの国まで延びた支線だが、当初東急は田園都市線の終着駅を小田急線と横浜線が乗り入れる町田駅を計画したなごりである。けっしてわざわざ「こどもの国」の為に引いたものではない。計画が頓挫したのは、国鉄時代数少ない黒字路線である横浜線の乗客を東急にとられかねないと国鉄が反対したのだという。でもどうも怪しい。昭和30~50年代飛鳥田左翼市長時代の横浜市北部は市のマフィア、東急、国鉄、開発業者が要り組んだ利権祭だったのだろう。現在の横浜市は知能指数が低い中田スケコマシ前市長のせいで、Y150みたいな無駄使いをしてくれたおかげで横浜市民である私たちは大変不利益を受けている。社長の昔話を聞いてなるほどと納得したのでした。
この話に興味を持たれた方は是非日経新聞記事
を読んでみてください。たいへん面白い記事でした。