今日も、ブログを更新せずWBC関連番組を見続けていました。

原監督のシャンパンファイトの掛け声「本当にお前さん達はね、強い”サムライ”になった!!」なんという名言でしょう。監督が選手を祝福する言葉として愛がこもり、尊敬があり、感謝の念すべて詰っていました。このような労いの言葉をかけらられる、監督(上司)としての原の力量人間性を見直してしまった。

WBC優勝インタビュー&シャンパンファイト

イチローの記者会見は心に打たれました。イチローも神ではなく、天才でもなく、一人の人間であったのだ。生身の人間として苦しみもがき、神経をすり減らしすべてを集中することにより、あの場面で決勝打が打てるのだ。そして私の目にはイチローがツァルトスツラの如き超人、いや神にも見える。「神ロー」の誕生である。


「苦しいところに始まって、苦しさから辛さになって、辛さを越えたら痛みになって、心がね・・・」
記者会見の席でも「痛覚に感じない痛み」「ずっと谷で・・でも最後に山がきて」と本当にイチローは辛かったのだろう。



ナショナリズムとかそんな陳腐な言葉でWBCの日本優勝を表現したくはないが、素直に皆子供もサラリーマンもおじいちゃんおばあちゃん、皆歓喜の声をあげ、感動し、喜び、素晴らしいじゃないか!これをナショナリズムと言わずしてなんと言う!ナショナリズムバンザイ!日本バンザイ!

古代ギリシャが戦争をする代わりにオリンピック競技会を始めた理由が今日は特にわかるような気がします。

国という集団のくくりは、このようなスポーツの祭典でも戦争でも結束する集団的高揚感を味わう脳内麻薬であると思う。そういった脳内麻薬が無くして集団の結束を維持することは容易ではないはずだ。また人間は無意識のに脳内麻薬を欲しているのだとも思う。

戦争に反対し忌避する理性の陰で、無意識のうちに人間には争い戦争を欲し、そして戦争を引き起こす無意識の作用が眠っていると思う。ナショナリズムの高揚感=自己の自我の拡大という脳内麻薬を欲する本能的な行動原理でもあるのだろう。今はスポーツ大会がその代用を担っているのかもしれない。野球、サッカー、オリンピック、まさに国を代表する選手は戦士でありサムライであったのだ。

もし、国という概念が無く、人間の集団が自分達の集団に誇りを持つという行為はありえるのだろうか?
例えば宗教は国としてのナショナリズムの高揚以上の高揚感を広く与える事が可能なのであろうか?
具体的には、米国のユダヤ人は「USA!USA!」のナショナリズムを感じるのであろうか?それともイスラエルに感じるのであろうか?国を亡くし流浪の民であるユダヤ人は強力な宗教をナショナリズムの代用としてきたというが、戦争もせずにナショナリズム民族としての結束を維持し続けることが本当に可能か私には理解できない。ロスチャイルドが、宗教的崇高な目的の為に世界政府を樹立させる民族的ナショナリズムを持続して持ち続けることなど幻想に過ぎないのではなかろうか?(また脱線修正します)

私はかねてより日本の経済の回復、そして日本の未来はどうすべきか?と考えた時。一つの手段としてナショナリズムの高揚による力を使うべきであると考えています。日本および我々日本人が地球を救うという崇高な理想をぶち上げるべきと考えています。日本の技術、文明、環境観、宗教的寛容さと日本が島国で培った高度な閉じた社会としての文明を、広く人類に啓蒙すべきではないかとも考えるのです。

クールジャパンとして世界中から耳目を集めている今、環境問題、技術、文化、宗教、ライフスタイル、サブカルチャーそして日本そのものが21世紀の地球の未来を救い、世界に貢献するんだ!と小泉のようにリップサービスでもいいから大言壮語するトップが欲しい。人間に誇りと使命感を与えれば、誰でも活躍できるものです。ビジネス用語で言えばモチベーションです。今の日本、特に今の青年達には絶望のみで、希望がない。夢でもいいから希望の欠片を振り撒くトップが欲しいところです。そして若者・・若者に限らず日本人に対して愛を持ち、労を労い、リスペクトしてくれるような原監督のような首相はいないものか?

政府は有形の経済対策の他にナショナリズムの高揚ができる政策を立てるべきだと考えていました。ひょっとしたら・・・麻生太郎にその期待をしたのだが、彼は単なる漫画好きでしかなかったのだ。

神は日本に傑出した政治家を与えず我々日本人に試練を与えているのかもしれません。

イチローのあの一打を野球界に授ける為に、野球の神様はイチローに試練を与えたのだ、そして降臨したのだろう。決勝戦延長1.3塁のあの場面でイチローですよ!そして打った!原監督もよくぞ辛抱してイチローを使い続けてくれた。今回のMVPはイチローでもあり何よりもイチローを使い続けた原監督かもしれない。

もし、WBCの決勝戦が仕組まれていたとでも言い出す奴がいたら一言「つまらない人生だね」と言いたい。あたかも野球の神様がいてあのような場面を演出したのは、神の見えざる手とも思える。また、経済や相場歴史においても、あたかも神の見えざる手に導かれるようなことが数多あります。陰謀論者は神を信じず、ロスチャイルドやイルテミナ、フリーメーソンの陰謀が働いていると錯覚するのと同じです。