
4連休2日目、富士山から流れる気のエネルギー(龍脈)が噴き出て溜るスポット(龍穴)の一つ、江の島へ行ってまいりました。
※交通機関の駅名などで一般的には江ノ島と表記されますが、住居表示・公文書等で使われる公称地名は「江の島」だそうです。古くは江島神社のように「江島」、歌川広重六十余州名所図会のように 「江之嶋」と多様に表記される場合もあります。
風水では、大きな山や山脈から地球内部からのエネルギー(気)が放出すると考え、その強大なエネルギーの流れを龍に例えて「龍脈」と呼びます。その龍脈上でエネルギーが留まる地形になっている場所を「龍穴」と呼び、パワースポット=大地の気がみなぎる場所のことです。地球内部からのエネルギーが噴き出るハワイ島は昔から神々の島とされ、現在でも世界的なパワースポットであるとされていることと無関係ではないと思います。
風水は非科学的な迷信ではないと私は考えています。東洋医学の針灸は未だ科学的に解明されていない体のなかの気の流れである経絡があって、そのツボとされる場所を刺激することにより病気を治療してきた。その東洋医学の考え方を大地に当てはめたのが風水であると思うのです。
古来人類は、一神教が普及する前の地域では、大自然の恵みや脅威と一蓮托生の暮らしをしていたので、太陽・月・海・山や木火土金水など大自然とそれから派生するあらゆるものを神様が宿ると信じ、信仰してきました。

日本でも八百万の神々として、元々が古代の大自然信仰から来ています。日本の神社は、古くから自然信仰として崇められた場所に鎮座しています。有名な神社仏閣のほとんどは龍穴(パワースポット)である訳です。 パワースポットではなくとも、地域で一番「気」のよい風水地形の土地には、神社を建てて大自然神や土着の神様をお祀りしています。
江の島も富士山からの龍脈の一つとされ、古来より江の島は、島にある2つの洞窟、御窟(おんいわや)を信仰の聖地として祀られ、 欽明天皇十三年(552年)に、神社として創建された。 その後、文武天皇4年(700年)に、役小角という修験者がこの御窟に参籠して神感を受け、 泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が、次々に行を練り、高い御神徳を仰いだと伝えられています。江島神社HP
四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形、海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。奈良時代には役小角が、平安時代には空海、円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。1182年(寿永元年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。


参道の商店街はとても狭いので、たいへ混雑して通り抜けるのに苦労いたしました。
江島神社は、 御窟(おんいわや)を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいます。
江島神社は、 御窟(おんいわや)を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいます。


※・近江の竹生島、宝厳寺/竹生島神社 ・安芸の宮島、大願寺/厳島神社で、関西では江島神社ではなく・大和の天川、天河大弁財天社





左 江の島大師
本堂
右
本堂入口
左端は江ノ島から鎌倉方面の眺望

江の島大師のHPより
堂内の6mの巨大な赤不動像は護摩による祈祷で浅黒く燻されており、物凄いパワーを感じました。私と家内、娘の3人は本堂で小一時間ほど座禅しパワーを補充しました。ところが、病気を患う家内は突如涙を流し始め、しかも長時間本堂に親子連れが座っていたので、傍から見ると、これから身投げでもするようにでも見えたかもしれません。(笑)


左は奥津の宮で、ここを過ぎると急こう配の階段になり、稚児ヶ渕海岸と、御窟に至ります。
御窟に行ってみると・・・・
なんと、4月1日より防護ネットの張替等工事のため江の島岩屋は閉洞されており、再開時期は未定だそうです。(藤沢市HP)
稚児ヶ渕海岸で暫し遊んだあと我が家は帰りに御窟で補充できなかった分、江の島大師に再び戻り気のエネルギーを補充して帰りました。




在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物について、 宗教法人「最福寺」への売却を許可する決定を東京地裁が出したことを受け、 最福寺の池口恵観(えかん)法主(ほっす)(76)は29日、別院の「江の島大師」(神奈川県藤沢市)で会見し、 今後の方針について報道陣に語った。
オレンジ色の法衣に身を包んだ池口法主は午後5時過ぎ、 本堂に集まった50人ほどの信者の前で「炎の行者」の異名の通り護摩行を終えた後、 疲労感をにじませ取材に応じた。
[写真]記者会見をする朝鮮総連中央本部を落札した池口恵観・最福寺法主(中央)
=29日午後、神奈川県藤沢市江の島の江ノ島大師(宮川浩和撮影)
https://livedoor.blogimg.jp/hikaru2013/imgs/a/f/af189c93.jpg
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「(東京地裁には)私たちの出した資料をよく見て、通していただいた。非常にうれしく思います」
池口氏は冒頭、こう感謝の言葉を述べ、笑顔を見せた。
落札直後に行った26日の会見で 「朝鮮総連側から借りたいという意向があれば検討する」と述べたことの真意について質問されると、 「国が北朝鮮に制裁を行っている。
国の許しがあれば、(朝鮮総連が新たに本部とする)次の場所が見つかるまで、いてもらってもいいということです。 基本的には、私は出ていってもらおうと思っている」と説明。
今後、朝鮮総連側にも伝え、一時的にせよ貸借の要請があれば、国へ判断を仰ぐ方針を示した。
落札額の約45億円の調達については、 朝鮮総連中央本部と、最福寺別院の江の島大師の土地と建物を担保にして、 大半を金融機関からの借り入れで賄うという。
「すでに融資オーケーの判定をもらっている」と話し、 担保としての価値を確保するため「総連側が出ていくことが融資の条件に入っている」と明かした上で、 「北朝鮮関係の金でないことは明言しておきます」と強調した。 また、購入後の朝鮮総連中央本部跡地の運用については、 「民族の融和の拠点として、英霊の供養の場にしたい」との意向を示した。
msn産経ニュース 2013年3月29日 19:33
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130329/trl13032919350005-n1.htm