金曜の午前中東京都美術館で開催中の「フェルメール展」へ出かけてまいりました。

http://www.tbs.co.jp/vermeer/jpn/delftstyle/index-j.html
イメージ 1

フェルメール全36作品中7点、ファブリティウス全作品12~15点中の5点もを堪能することができます。まだ、絵画に興味があってフェルメール展へ行かれてない方がいたら、是非行くべき奇跡の展覧会です。10年に一度休暇をとってでも平日に独りで観に行くべき展覧会があるとしたら、これかもしれません。

台風の余波の雨降る、平日の午前中なのでさぞやゆっくり観れるかと微かに期待したのでしたが・・・甘かった。上野公園に入るや東京都美術館を目指し人の流れ。後期高齢者を中心とした絵画ファンで、既に入場に10分待ちの看板。土日はいったいどのくらいの行列になるのだろう?

近年フェルメール巡礼なるフェルメール作品全鑑賞踏破の本なども出版され、日本でのフェルメール人気が盛り上がっていただけに、フェルメールに関する薀蓄はそれぞれ鑑賞される方は持っていそうでした。今回の展覧会には、フェルメールの絵画鑑賞絵画の鑑賞ポイントの解説ボードが併せて展示されていた。絵画の部分アップのパネル展示があり、そこに逸話がや解説の薀蓄が書いてあり、もう一度実物を見直すことができ、非常に贅沢な鑑賞方ができた。今まで簡単な解説はあっても、マニアックな視点を素人でも解りやすく解説してある展示方法は私が知る限り、初めてである。面白いことに絵画より解説ボードを見入る観客の方が多いようにも思えました。

特にディアナとニンフの現物を前に、修復前の絵画のパネルと見比べることが出来、ほんとに贅沢でした。
イメージ 2

<ディアナのニンフ達 >※ディアナはローマ神話の月の神でもあり樹の神でもある。
イメージ 3

<修正前のディアナのニンフ達> 私は、絵的にはこちらの方が好きです。月の女神だって、昼間は木陰でお休みしますよ。でも神話を描く絵画のお約束は、夜でなくてはいけないんでしょうね。

もう一つ、修正前の薄明かりの空と樹陰の絵は、なんとなくルネマグリットの夜の風景に雰囲気が似ていると思うのは私だけでしょうか?

話は逸れるが、TV東京系で放映している「なんでも鑑定団」は、もう10数年放映しているかと思いますが、恥ずかしながら私はあの番組以降、日本絵画の素晴らしさや、陶器骨董の面白さを感じるようになりました。

15.6年前フジTV系の「ワーズワースの庭で」と「ワーズワースの冒険」、近年はNHKの「道楽」を極める「美の壺」といった番組は、私に限らず日本人の文化的素養を高めることにだいぶ貢献したかもしれません。「日曜美術館」「美の巨人達」「だれでもピカソ」etc海外ではそういった番組が盛んに放送されているようには思えません。もしかすると、BBCあたりでは製作してそうですが、日本独特の番組のような気がします。そういった「道楽の極み」を楽しむTV番組が、フェルメール巡礼を生み出し、今日私が一挙7点もフェルメールを鑑賞することができた原動力なのかもしれません。

TV情報番組に底上げされた日本人の文化的素養の高さは、もしかしたら、世界的に日本が発信している「CoolJapan」文化の源かもしれません。

もう少しだけ、私のフェルメール展報告の雑談にお付き合いください。

今回のフェルメール展のポスターにもなった、「ワイングラスを持つ娘」ですが、解説ボードに、「酔って過剰にワインを勧める男性と、視線をそらし、作り笑いをして、我々に救いを求めている女性・・・」との解説だったと思うのですが、写真ではよく分かりにくいのですが、実物ではこの中年男の表情が、いやらしいほどわかった。彼の表情の下には、はち切れんばかりの欲望と魂胆、見え透いた行動が、自分が絵画の男と年恰好も同じことを棚にあげ、紳士ずらした人間の本性とその嫌悪感を見事に描いていると思った。若い女は女で、男を嫌悪する気持ち半分、欲望を軽く満たすことにより得られる代償を計算しているように私は見えました。

イメージ 4

<ワイングラスを持つ娘:中年男と娘の微妙な表情アップ>

それにしても、冷静に考えると、テーブルの男の無関心さ、ふてくされ加減、全くの他人か?そしてそのテーブルに離れ窓に向かって置いてある椅子に座る若い女性、昼間からワインで宴会?それともランチでワイン?よくよく見ると不思議な絵だ。

また、ワインの勧め方が毒薬か媚薬でも入っているように思えてしかたありません。
どうもこのオヤジ2時間ドラマの船越英二に見えてきた、「チャチャチャーン♪、チャチャチャーン♪」。

「リュートを調弦する女」この女性の発する雰囲気は「ひょっとするとこの女性はこの世のものではないのではないか?」などと思ってしまった。「昼間から幽霊がリュートを調弦する絵」そんなことを思うのは私だけかもしれない。この女性が窓辺の淡い光に溶けていく微妙なタッチが醸し出す雰囲気は、とても幽玄な感じがした。航海中の恋人を想い、誰かを待っているというよりは、彼女は生霊(生霊は見た事はない)のようにも思える。
ひょっとすると、この絵の女性の想いだけは彼の元へ行き、抜け殻が座っているのかも知れません。繊細なタッチに感心したのだが、ネットで調べたら単に大変コンディションの悪い作品とのことでした。でもそのコンディションが、神業のような繊細な絵に仕上げているのかもしれない。
イメージ 5

<リュートを調弦する女>

今回、フェルメールが残した2枚の風景画の一つ「小路」が観たかった。10分ほど列の後ろから見入ってしまいました。マウリッツハウス王立美術館展で見た、傑作「デルフトの眺望」にも劣らぬ世界を持っていました。小路の奥の女性が絵奥行きと、日常の物語りが感じ取れ、素晴らしかった。ああ、何故フェルメールはたった2枚しか風景画を描かなかったのか、残念でなりません。日本ではまだ浮世絵が浮世絵として確立する直前の時代、17世紀の庶民の街中の風景をリアルに残した西洋文明に心から敬意を示したい。
イメージ 6

<小路>

イメージ 7

<デルフトの眺望>※今回は出品されていません。

もう一枚、フェルメールとともに是非見たかった、レンブラントの弟子、カレル・ファブリティウスも現存作品が12~15点ほどしかないのに、5点(以前はファブリティウスに帰属も含め)も東京に来ている。その「歩哨」という作品。永年歩哨は寝ているとされてきましたが、最近銃の保守をしているという新説が出たとのこと。絵の実物をよく観察すると、私も銃保守作業説を押したい。
イメージ 8

<歩哨:カレル・ファブリティウス>

私が怠惰な歩哨なら、寝ているなら、後ろの壁にもたれるか、横に傾くだろう。
当時の銃はまだ火縄銃で、マスケット銃(撃針で強打することにより火薬を発火させる銃)が登場したのは18世紀初頭。火縄銃はとにかく手入れが大変とのこと、Googlで火縄銃・手入れで検索しますと、皆座って手入れをしています。しかも、歩哨の絵には、掃除するためのさく杖(カルカ)と火薬袋も書き込まれています。この歩哨は怠惰なのではなく、業務をこなしていると私は考えます。
イメージ 9

<楽器商のいるデルフトの眺望:カレル・ファブリティウス>

イメージ 10

<手紙を書く女と召使>日本初上陸

イメージ 11

<ヴァージナルの前に座る若い女>最近真作と判定された作品。思ったより小さかった。

イメージ 12

<マリアとマルタの家のキリスト>

相場のことは暫し忘れ、芸術の秋を堪能されたし!