【金大中氏死去】評価分かれる民主化功績 熱狂的支持と嫌悪と【MSN産経】2009.8.18 18:08
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090818/kor0908181812010-n1.htm
典型的な恩を仇で返すような典型的な朝鮮人である。
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金大中氏は韓国の政治家の中では対外的に最も知られた人物だった。とくに日本では、反政府運動の闘士だった野党時代、韓国の情報機関により滞在中の東京からソウルに連れ去られた「金大中事件」(1973年)で有名だった。大統領時代の2000年、初の南北首脳会談などでノーベル平和賞も受賞したが、その業績については評価が分かれる。 韓国民主化運動の象徴的存在だったにもかかわらず、晩年にかけて最大の民族的課題であるはずの「北朝鮮の民主化」には触れず対北融和策に終始した。ノーベル平和賞の「反独裁闘士」が「北の独裁」には目をつぶり続けた。これは民主化運動の功績にキズとなった。 金大中氏は生涯、3回も大統領選に敗北するなど長い野党生活の末、やっと念願の大統領の座についた。“忍冬草”の別名を持ち、挫折とあきらめを知らない「不死身の政治家」として定評があった。退任後も韓国政治に隠然と影響力を持ち続けた。 金大中政権(1998~2003年)は、歴史的にいえば7世紀に百済(くだら)王国が滅んで以来、権力から遠ざけられていた韓国南西部の全羅道地域の人びとの復権だった。 金大中氏は、権力から疎外され、地域的差別感情の被害者だった故郷の全羅道地域を支持基盤にしてきた。この地域的支持基盤は韓国社会の不満層の中心で、人口の30%近くを占める。これに左派・革新勢力や親北勢力が乗っかることで政権を獲得した。 金大中氏は韓国が高度経済成長を遂げた1970代以降、経済開発から取り残された全羅道地域の不満や民主化要求を背景に反政府運動を展開。 これを快く思わない当時の朴正煕政権と激しく対立した。朴政権下の「金大中拉致事件」もその流れで起きている。 ライバルの朴政権は経済開発に国力を集中させ、政治的自由や民主主義は制限する「開発独裁」だった。その結果、経済発展と近代化で北朝鮮との国力を逆転させ、現在の韓国の基礎を築いた。しかし金大中氏は朴政権を「独裁」と非難し最も激しく反対した。 ただ金大中氏も後年、朴政権の経済発展と近代化を評価している。世論調査によると韓国の歴代大統領の人気は朴正煕氏が圧倒的に1番で、次いで金大中氏がかなり離れて2番目だ。 金大中氏は1998年、当時の小渕恵三首相との間で「日韓共同宣言」を発表した。この「宣言」には過去の歴史について日本の「謝罪と反省」が明確に記されている。 当時、金大中氏は「これで日韓の過去は清算された」とし今後、対日外交で過去が蒸し返されることはないと明言した。 しかし後に歴史教科書問題が起きるや、教科書記述の訂正を外交問題として日本に要求するなど外交摩擦を招いた。「知日派」を誇っていたが、結果的には日韓関係の画期的変化には成功しなかった。 熱狂的な支持者と嫌悪感と-韓国社会での評価は今も二分している。 (ソウル 黒田勝弘) ■金大中事件 1973年8月8日、韓国の朴正煕政権を批判し、民主化運動を主導していた野党指導者、金大中氏が東京のホテルグランドパレスで拉致され、5日後にソウルで解放された。現場から韓国中央情報部(KCIA)要員で、在日韓国大使館1等書記官の指紋などが見つかった。警視庁は出頭を求めたが、韓国側は拒否。「主権侵害」との世論が日本で高まる中、韓国政府は1等書記官を免職、政治決着が図られた。韓国政府の「真相究明委員会」は2007年10月、KCIA要員や駐日公使ら27人による組織的犯行で、韓国政府が事件後に真相を隠蔽(いんぺい)しようとしたと認定した。盧武鉉・金泳三とともに、二分することはない私の中では評価は定まっている。
典型的な恩を仇で返すような典型的な朝鮮人である。
人間の多くは劣等感を抱き、また私を含め人間は皆劣等感の塊なのだと思っています。
人間は常に「自分は他人と違ったユニークな存在」という根拠の無い想いがそこにはある。生きる上に必要な心理の一つである一方、現実には自分の思い通りにならないのが社会である。
人間は常に「自分は他人と違ったユニークな存在」という根拠の無い想いがそこにはある。生きる上に必要な心理の一つである一方、現実には自分の思い通りにならないのが社会である。
自尊心自負心はたえず傷つきが蓄積して劣等感となる。この朝鮮半島の住人は2つの文明に鋏まれ、絶えず劣等感を感じいき続けてきた気の毒な民族である。朝鮮人の代表的情緒である「恨」の精神はまさに劣等感そのものです。
その劣等感「恨」をキーワードに韓国朝鮮人を理解すると、彼らの行動原理が理解できる。常に自分が上だという傲慢な行動にでてしまい、人間的に優れていると思う相手に対しては、なおさら構えて振る舞ってしまい、常に自分がどう見られているのか、気になり、見下されたくない、ばかにされたくない、という気持ちが強いのです。
就任前には、前任の金永三と異なり、日本語を話し、金大中事件の際の裏側では日本と米国に命を助けられ親日的な大統領かと期待したが、所詮劣等感の塊の「恨」民族の大統領にすぎませんでした。
金大中の最大の功績は地球上に数少ない独裁国家北朝鮮の延命した太陽政策の政策立案実行者である。
北朝鮮に対して莫大(ばくだい)な資金と物資を支援したにもかかわらず、結果的に北朝鮮は2回も核実験を行い、長距離ミサイルの発射を今も続けている。これを見ると、金元大統領による北朝鮮への融和政策は、核開発を後押しし、北朝鮮に利用されたという側面も確かにあるだろう。
北朝鮮に対して莫大(ばくだい)な資金と物資を支援したにもかかわらず、結果的に北朝鮮は2回も核実験を行い、長距離ミサイルの発射を今も続けている。これを見ると、金元大統領による北朝鮮への融和政策は、核開発を後押しし、北朝鮮に利用されたという側面も確かにあるだろう。
金大中は更にノーベル賞がカネで買えるということを世界中に知らしめ、世間には裏と表があることを、世界の市民に啓蒙した功績は大きい!ノーベル平和賞を獲得した契機となった南北和解は、韓国から北朝鮮への数百億円とも一千億円との言われる一方的な資金援助や譲歩の結果にすぎない茶番劇だったのである。
ノーベル平和賞の正体を暴き、佐藤栄作の非核三原則も偽善以外の何者でもないことを証明して見せた功績は大きい。昨年はポールクルーグマンがノーベル経済学賞を受賞しノーベル賞の権威は更に低下した。
金大中が大統領の時、韓国的な偽善の正義感は、犯罪者を英雄へと祭り上げてしまった。これは、テロリスト安重根を称える半島の伝統のようだ。韓国で政治犯として服役していたそして横田めぐみさんの拉致の実行犯シンガンス(辛光洙)らを恩赦で釈放した。 原敕晁(ただあき)さんや地村保志さん夫妻、そして横田めぐみさんの拉致の実行犯をである。暴挙というより金大中は、北朝鮮のエージェントであったとしか思えない行為である。
辛光洙は、母国に凱旋し英雄扱いを受けている。
金大中が韓国の民主化の旗手であったのは事実ですが、彼の「民主化」=「親北朝鮮」に過ぎなかった事を証明するようなものです。
金大中の太陽政策は、韓国国民の精神を北朝鮮に売り払った。金大中は売国奴であることに多くの韓国国民が気がついていないことが韓国の悲劇といえよう。金大中はつい先日自殺した・愚者=盧武鉉を大統領の後継者としてしまった。金大中と盧武鉉は朝鮮半島を誤った方向へ押しやり東アジアはおろか世界中にその悪影響を与えてしまったのである。
2002年の日韓ワールドカップの共催ほど日本における庶民レベルで嫌韓派を増殖させたイベントは無かったであろう。日本の知識階級においては、左翼右翼ともに韓国に対して戦後韓国対しては、李承晩政権成立以降、不快感を持ちつづけていた。戦後社会においては在日・三国人に対し庶民レベルで嫌悪感は持ちつつも、公然とした嫌悪を口にする者はすくなかった。在日朝鮮人は日本社会において公然と無視する対象・某特殊住民団体と等しく「触らぬ神に祟りなし」扱いであった。ところが、ワールドカップにおける韓国の立ち振る舞いが庶民階級レベルで嫌韓感情を公然と叫ぶ契機となった。嫌韓感情はタブー視された日本のナショナリズムに火をつける契機となったのは事実である。
ワールドカップは日本で単独開催に無理やり割り込んできた経緯といい、開催前から韓国に対して日本国民は快く思っていなかったが、日韓ワールドカップの開会式の時、来賓の天皇陛下の前を通って自分の席に着いた時には唖然とした。天皇陛下のVIP度はローマ法王より上の英国王室などと並び世界最高ランクである。
ワールドカップ開会式で用いられた日の丸もおよそ共催国とは思えない意図的にふざけた日の丸であった。金大中は日本の国民を甘く考えての侮辱であったと思う。
さらに、ホスト国として破廉恥なワールドカップの受け入れ態勢。ノーベル賞同様、ベスト4は審判を買収したとしか思えないサッカー史をを汚辱する疑惑の判定のオンパレード。
同じ開催国として日本人は公然と韓国を非難するようになった。またネットでの嫌韓の盛り上がりと相反する巨大メディアの韓国を賛美する呆れた偽善報道に多くの国民が疑問を抱いた。
同じ開催国として日本人は公然と韓国を非難するようになった。またネットでの嫌韓の盛り上がりと相反する巨大メディアの韓国を賛美する呆れた偽善報道に多くの国民が疑問を抱いた。
国民の多くが巨大メディアの偽善性に激しく憤り、巨大メディアの崩落のきっかけとなった記念すべき出来事であったと私は思う。
日本の世論においてナショナリズムを語ることがタブー視されてきたが、2002年の日韓ワールドカップは大きな転換点となりえた。
以上のように金大中の功績を考えると、日本において消えかけたナショナリズムに火をつけ、多くの日本人を覚醒させることに多大な貢献をしたといっていいだろう。
逆説的な意味で金大中は戦後日本のナショナリズムの勃興にはキーマンであったと言えるのではないか?

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