ほーら不思議でしょう、貴方が見ている世界がシュールレアリズムのダリが画いた絵画のようにぐにゃぐにゃに見えませんか?このビデオを観て、脳って単純に騙されやすい構造になっていることに驚きあきれかえりませんか?
私のオフィスに、周囲に愛する人がいないのか、よほど人に騙されたのか、自分の猜疑心を人格の表層に出してしまう方がいます。社会生活を営むには信頼関係の構築が必要不可欠で、信頼関係が構築できなければ、快適な社会生活は営めません。「世の中を疑う作業を通じて真実を求める作業と結果」=「哲学」とは己の内面においてのみすべき作業です。実社会で常にすべてのことを疑い続けている事を公言しては社会生活が営みません。
私も80年代、大学生時代ニューアカデミズムの洗礼を受け、哲学にかぶれで、人生を悩み心の内面の迷いを人格の表層に出していた時期も有りました。内面の悩みを表層に出す行為は、パンツをはかずに人前に出るようなもので、今思えば人としての修行が足らない青二才もいいとこでした。
人生不惑の年を越えると、確かに大概の事に迷いはありません。しかし、このビデオを観ると改めて『コギト・エルゴ・スム 「我思う、ゆえに我あり」の哲学の第一原理』の大切さをを実感します。
私は世の中を疑う、そして考え続ける。考えて考える。マスコミ報道はまず出所をチェックする。情報の出たタイミングを疑い考える。新聞は行間を読む。その情報で誰が得をして誰が損をするのかも配慮する。過去や歴史において類似の事象を検証する。雑誌や本は出版社、著者の来歴からチェックする。考えて考えて我に近いものを我は真実に近いものとして我の世界の一部として加えています。
ネット・ブログの書き込みの80%~90%はゴミ(私のブログも愚者にとってはゴミ)。でも稀にこの私のブログのように玉はある(少なくとも私にとっては珠玉の情報の蓄積です)。玉を探し出す目は日々修練しなくてはなりません、「我思わなければ、我無し」迷い疑い続けることをしなくなってしまっては、進歩も無いどころか我の存在価値すらも無いのだ、プログレッシブな日々、毎日一歩づつ前進しつづけるのだ、日々勉強、人生は楽しい!

コメント