第4章MS-09Rリックドム
<あるセグメントで成功した技術が、別のセグメントで成功するとは限らない>
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「転用」が生み出した失敗である。この時期の公国軍は、素早く大量に戦線に投入できる次世代モビルスーツを渇望していた。しかし、公国軍では応急処置としてのザクⅡの性能向上派生機や、エネルギーCAPシステム搭載機としてのMS-14ゲルググなど、多くのプロジェクトが走っており、新設計の機体を早期に実戦投入することには無理があった。ザクⅡにない能力を持つ次世代機のうち、現実的に宇宙戦に転用可能な機体はドムだけだったが、基礎設計の段階から地上戦のみを考慮した機体属性を宇宙環境へ適合させることは困難だった。
工業製品は一種の生き物である。ある生き物を違う環境に移植しても必ずしも繁殖しないように、別のセグメントに移した工業製品も成功するとは限らない

本書は[~の謎]本や、空想科学読本シリーズとして読めば非常に面白い本であるが、現実のエンジニアに向けてのサジェスションをするには、説得力がまるでない。

あくまでも、架空の物語の架空の武器と架空の戦争の話であって、もともとリアリティが無いにもかかわらず、現実との無理な整合は強弁せざるをえない箇所を生んでしまっている。

例えば著者岡嶋裕史が現実の軍事オタクであるならば、この第4章の前提が些か怪しく感じるはずである。

二式水上戦闘機の活躍を、ご存じないようだ、二式水上戦闘機はゼロ戦にフロートをつけた水上戦闘機で、米英戦闘機と互角に戦うことが出来た。地上用モビルスーツドムを宇宙用に転用したリックドムも同じ話である。また、反対にゼロ戦後継機種「烈風」の開発に失敗した、海軍は、二式水上戦闘機の後継機種「強風」のフローとを外し、紫電一一型を採用した。また更に低翼に再設計した紫電二一型を「紫電改」と呼称し大戦後半大活躍した。

そういった歴史的成功例からすれば、著者岡嶋裕史の説得性は著しく欠けるのである。

第5章MS-14ゲルググ
<投入するタイミングを失した技術は、どんなに優秀でも成功しない>
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技術は常に進歩している鉋すなわち、投入時期か遅れることはそのまま失敗につながる。ゲルググは連邦軍に対して技術開発で遅れていたエネルギーCAPシステムをはじめて搭載したモビルスーツである。公国軍はこれを開発できなかったために、モビルアーマーやニュータイプ部隊などの「モビルスーツの亜種や傍流」を開発する粁余曲折を経てきたと言っても過言ではない。一年戦争中期に大量のゲルググを前線に投入できていれば、怪しげな技術に手を出す必要もなく、カ押しで戦局を勝ち切れたはずである。しかし、現実にゲルググが大量投入されたのは一年戦争最終盤の○〇七九年二一月であり、戦局を覆す好機も、高性能機を駆るに相応しいバイロットも払底していた。
工業製品のスペックは、広義にその投入するタイミング、周辺環境を含めた概念に拡張できる。単体で優秀な数値を誇っても、時期や場所を失った製品は、けして成功しない
あたりまえといえば、あたりまえのの話。WWⅡ世界初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262が1942年実用化段階に近付いた時、戦闘機ではなく、ヒトラーは爆撃機として使えとの命令を出し、結果的に戦闘機としての実戦投入を遅らせるだけの結果となった。もし、Me262がもう少し早く実戦投入され、300機生産できれば、ドイツ防空は制空権は鉄壁であったはずだった。ゲルググの例はその例と比較すべきであったろう。

また、日本帝国海軍が、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦に戦艦大和・武蔵を投入していれば、戦局はかなり違っていたかもしれません。帝国海軍は最後まで艦艇の温存作戦を取り、結局大和を有効な実戦投入をしないまま沖縄特攻に出撃させてしまった事例など、投入するタイミングとは非常に難しいのである。

第6章MSN-03ゴック
<突出したスペックを持つ製品は、極めて運用しにくいものになる>

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用途を正しく把握しなければ、いかに突出した性能といえどもそれを発揮できない。
水中という環境を活用して、従来のモビルスーツという概念の枠に現行技術で無理なくビーム兵器搭載と重装甲を実現したゴッグは、一面では優秀な機体であった。しかし、「水中でできること」に目を奪われすぎた技術者たちは、ゴッグが水陸両用機であることを失念していたかのようである。連邦軍との主会戦戦域には純粋な水中戦を展開する場面はなく、実際に運用されたゴッグはほとんど陸上において会敵一戦闘を行っている。陸上に上がったゴツグはまさに陸に上がった河童であり鈍重な機体は各個撃破の的になった。
ある時代に生産できる工業製品のトータルスペックは、おおむね一定である。何らかのスペックを突出させたい場合、他のスベックが犠牲になることは自明であり、それは一般的に運用性の低下を招く。

第7章MSN-04アッガイ
<「使う人のいない」製品はなぜできあがるのか>

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廉価版にこそ、深い設計思想が必要である。そこを疎かにすると、「使う人がいない製品」ができあがってしまう。
アッガイは、ジリ貧に陥った公国軍の地球派遣軍が現地で開発したモビルスーツである。多くは破壊されたMS-06ザクnのパーツなどを流用して作製されている。そのため、MSM-04という正規ナンバーを持つ機体でありながら、火力、運動性、防御のすべての点で一線機と比して見劣りがする。乙の機体を運用するのであれぱ、S-06Vザクタンクに見られるように、兵姑、工兵等の後方支援機とするべきだつたと考えられる。リサイクル思想、廉価版思想は時に後方にいる開発担当者にインスピレーションを与えるが、現場レベルで有用となることは稀である。
工業製品にとって低コストは魅力的な訴求要因だが第一選択する要素にはありえない

第8章MSN-07ズコック
<仕様はどこかで決断しなくてはいけない>

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技術者には、時に決断も必要である。
MSN-03アッガイを受けて開発されたズゴックは、戦訓のフィードバックに真撃に対応した設計がなされた。戦場を、つまり現場を見て開発が行われることは、一般的にものづくりの現場に正に作用するものである。しかし、それも程度問題であり、現場の声を聞きすぎた開発は、プロジエクト全体の進捗遅延と、近視眼的な要件定義のリスクを内包する。ズゴックもまた戦機を逃し、量産機でありながら少数生産に終わる道を歩んだ。高性能機も常に数的劣勢におかれ、不利な戦いを余儀なくされた。スゴックの戦いぶりは、連邦高官のこの発言に要約されよう。「とはいっても、ジャブロー全体を攻撃するのには少なすぎる」
ベストプラクティスとして語られる事例にも、実は失敗の要素をはらんでいたり、失敗そのものであることがある。どの視野、どのスパンでものを見るかで、成功と失敗はだまし絵のように容易に逆転する。
ゴック・アッガイ・ズコックの関係は、帝国海軍の特2式大艇・特3式大艇・特4式大艇の水陸両用戦車を髣髴させる。水陸両用の用兵思想はよかったのだが、結果としてその性能を発揮することなく、少数の生産でさしたる戦果を上げられなかった事例に相当するであろう。著者岡嶋氏は、ガンダムと過去の実際の戦争記録を比較考察して、本書を書くべきではなかったろうか?そうすれば、私も、面白いが批判するといった斯様な記事も書かなかったとおもう、残念でならない。

第9章MAN-05グアブロ
<モビルアーマーの存在意義を問う>

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確かに長大な航続距離を持つグラブロをもってすれぱ、モビルスーツのアウトレンジからホワイトベース隊を捕捉することが可能であった。しかし、モビルアーマー全般に言えることであるが、グアブロは突出した性能を持つ反面、突出した欠点を持つ機体でもあった。9章ではいくつかの欠点を議論するが、この戦闘で敗者となったのは水中でしか稼働できない機体属性であった。グラブロは、この点をしばしぱ指摘されるMSM-03ゴッグよりも極端な性格付けの機体で、ブーンの乗機はピーム兵器の非搭載と相まって、強力な潜水艦といって差し支えないほどだった。RX.78,2ガンダムのパイロツト、アムロ・レイは即座にこの弱点を知覚し対応した。
制約がないことは善であると捉えられかちである。しかし、多くのケースにおいて縛りのない設計は、むしろ目的と用途を曖昧にする。
まあ、これは岡嶋氏の問題ではなく原作:矢立肇氏・富野由悠季氏のセンスの問題で、斯様な水中兵器は元々不要、岡嶋氏の指摘も的を得ていないと言えなくもないが、そもそもアニメなのだから、これが現実の世界では作るはずもない兵器を批判してもはじまらない。

第10章MA-08ビグザム
<ビグザム量産の暁には本当にジオンは勝てたのか>

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転用に際し妥協した点が、決定的な弱点となった。
ソロモン会戦におけるビグ.ザムは不幸な実戦機だったと言える。もともと拠点制圧兵器としての属性を与えられ、しかもその拠点とは地上に存在するジャブローであったのだ。宇宙空間での運用に転じた機体には、多くの改修とそれに倍する妥協が詰め込まれたであろう直その中でも最も大きな妥協点が連続稼働時間であったことが、ビグ.ザムの不幸を決定的にした。一五分程度しか戦えない機体は、搭乗者に死の覚悟を要求した。
製品は使いたいときに使えてこそ、その能力を発揮する。贅を尽くしたデコレーション・マシンも動かなければただのゴミである。あえて言おう屑である。
だから、これはアニメ上の世界の話なのだから、大真面目で議論すべき問題ではない。しゃれで書いている本としてのアプローチがほしかった。

私が思うにこれは、ドイツ第三帝国のキングタイガー戦車の比喩ではないだろうか?M4シャーマン戦車を蹴散らし、圧倒的な火力であったが結局は実戦は兵器固体の性能ではなく、トータルな統合したパワーを有するものが勝利を収めるといった歴史の流れの中でビクザムを語ればよかったと思う。

第11章MSN-02ジオング
<フラッグシップモデルは作るべきか>

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製品に「政治」を持ち込むと、失敗につながることがある。フラッグシップ機として生産されたジオングは、その戦闘要件とは別に政治要件も満たさなければならない機体であった。サイコミュ搭載、オールレンジ攻撃機という仕様からは、モビルアーマーとしての開発が最適であったと考えられるが、政治的な
判断からモビルスーツの形状が選択され、通常の二倍の大きさを持つ機体となった。かせまた、技術的には可能であった無線サイコミュの搭載も見送られ、い<つかの棚をはめられた状態で連邦のRX-78-2ガンダムと対時しなければならなかった。
政治がなければ、そもそも工業製品は存在し難い。しかし、開発のプロセスに政治を在させることは排除しなければならない。政治は失敗作を育むグレートマザーである。