落語家の円楽さんが、お亡くなりになった。
昨日のブログで、円楽さんのことを書こうと思ったのだが、書けなかった。
円楽さんといえば、麻雀の逸話は忘れられません。私は落語家としての円楽さんも好きだったが、雀士としての円楽さんを尊敬していた。
麻雀にぼろ負けし早朝ランニングとパンツ一丁で自宅まで走って家まで帰った話は、ウソかネタかはわからないが、ありえる話。麻雀にストイックに打ち込めば、あたり前のことだ。しかも、明るく早朝マラソンのふりをして帰ったというから天晴れだ。
雀士の心得として極当たり前、「負けたらケツの毛まで抜かれる」また、そのくらいの厳しさがなければ麻雀には勝てない!
師匠が落語にも己に厳しかったことは、麻雀を嗜むものとして、凄くよくわかります。
雀士は己に厳しいが、卓を囲み己をぶつけ合う真剣勝負はまた楽しいものである。私は麻雀そのものより卓を囲む行為自体が好きだ。
雀士は己に厳しいが、卓を囲み己をぶつけ合う真剣勝負はまた楽しいものである。私は麻雀そのものより卓を囲む行為自体が好きだ。
麻雀は何が楽しいかといえば、運の流れを掴めば、格上の者にも勝てることだ。もちろん、経験と能力が上の者の底知れぬ強さは神業と思える時もある。
雀鬼「桜井章一」は20年間無敗を豪語するが、それは大会とか、1晩トータルでの話し。手積み時代に積み込み等のいかさま芸が出来た時代ならまだしも、全自動卓であれば、いかに天才でも運がなけれが、和がることはできない。
囲碁や将棋は実力差があると格下の者が格上に勝つことは絶望的だが、麻雀はいかに実力差があっても半荘1回では格下の者がトップをとることもありえる136個の牌をめぐる格闘技である。一牌一牌相手の手の内、場の捨て牌を見ながら、一牌一牌奢らず真剣に考え、時にはひらめきも必要。無駄が多い方が負ける。また、麻雀はこれは勝てないと感じたときには大負けしない策を打たないといけない。
円楽さんはそんな麻雀に落語の奥義を感じていたのかもしれません。いかに名人天才といえども、油断は禁物である、生のお客さんを相手に高座に座れば、お客の反応は違ってくるのは必然。芸人は場の流れ雰囲気を読む能力に優れていないと大成できません。麻雀も芸人も場の流れ、運の流れを読むのが大切。円楽師匠はこの能力に長けていたと思います。
いち早くTVに自分の芸人としての活路をみいだした。笑点も一時降板した際には一切の番組から降り、落語の芸の道を極めるための精進もした。個人の利害と関係なく若手育成の必要性を説き、寄席若竹を作った。今日のミニ寄席ブームの走りといえよう。麻雀といっしょで、若竹も駄目だと思えば見切り、閉めるのも早かった。落語協会分裂騒動も今は懐かしい。
落語は何度か新宿末広亭と1度だけ国立演芸場へ足を運んだが、円楽師匠の生の高座は一度も拝んだ事はなかった。とても追悼文など書ける資格はないが、笑点全盛期を体験した一TVの前の子供であった私にとっては、また一つ今年大切なものを失った思いがする。
麻雀は相場師にとっても、修行すべき道であると私は思います。ただ、私の持論は[麻雀で運を使い果たすと相場に勝てない。]ですので、運を使い果たしたくなく、今は気が合う友人としか打ちません。

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