『「オバマ大統領は黒人か 変見自在」高山正之著』を読む(新潮社、2009年)
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日本軍が圧勝した「特殊情報戦」
昭和17年秋、第48師団がポルトガル領東ティモールに進駐した。

理由は二つあった。一つはこの島がオーストラリアの最も近くに位置し、オーストラリア軍が反攻に出るとき、その最前線になるからだ。

もう一つの理由はおかしな話だが、ここを支配するポルトガル人総督らの保護にあった。

この国は戦前から日本には友好的だった。

日本がアジアに向けて航空路を開設しようとしたときアジア諸国を植民地支配する米英仏蘭はそろって日本機の乗り入れを拒絶した。

飛行機は白人の偉大さの象徴だった。それを日本人がやって見せたら白人神話が縫ぴるからだ。

そんな中でポルトガルだけがOKを出し、日本からパラオ経由でこの東ティモールまで日本製の大型飛行艇が飛んだのである。

やがて日米開戦。日本はフィリピンをもつ米国を叩きマレーの英軍を潰し、インドネシアに進駐してオランダ人を追っ払った。

ティモール島で云えば蘭領の西半分は支配者の白人が追い出され、島民は解放されたが、ただ東半分は日本の友好国ポルトガル領ということで白人の植民地支配は続いた。

島民にはその違いが解せなかった。日本軍がやってくれないなら自分たちでやる。島民はポルトガル人と見れば石を投げっけた。

ポルトガル人は現地の女に産ませた混血児を島民支配に使っていた。島民はこの白人顔を鼻にかける混血児を最も憎んで襲いかかった。

これを仲裁したのが日本軍で「植民地政府には島民を苦しめる人頭税を廃止させ、島民にも襲撃をやめるよう説得した」とここに駐屯した山下信一元昭和女子大教授は語る。

島民も税金が消え、塩も専売でなくなって大喜びして仲裁を受け入れた。

駐屯して一年が過ぎたとき南部の村からオーストラリア軍のスパイが侵入したという通報があった。

日本側は村人の協力で道案内のポルトガル混血児ピリスとオーストラリア軍のエルウッド軍曹、それに荷物運びの現地人の計五人を無傷で捕らえるのに成功した。

日本軍の兵員数、火器、飛行場の状況などを調べてそれを暗号で送信するというのが彼らの任務、て、暗号表も押取できた。

スパイは戦場ではすぐ処刑される。しかし日本側は彼らを殺さない代りに、協力を求めた。

契約は成立し、日本軍のインチキな部隊行動を織り込んだ電文が打電された。

オーストラリア側は何の疑いも持たず、スパイ活動に必要な食糧や医療品などを指定場所に投下すると返事して来た。

日本軍の一人がエルウッド軍曹に付き添い、指定の河口で待つとやがてB24爆撃機が飛来し落下傘が投下された。

日本側はこれに味をしめラッキーストライクなどタバコや医薬品、食料品等不足している物資を次々と無電で発注した。

オーストラリア側は律儀に応じてB24や双胴のP38が飛んできて注文品を投下していった。

翌19年、オーストラリア軍は反攻が間近に迫ったらしく新たに諜報員数人を送り込んできた。日本側はこれも島民の協力で拘束した。

反攻は秒読み段階にあるようだった。それで「日本側は兵力20万。陣地は堅牢」と実際の15倍に近い数字を打電し続けた。

おかげでオーストラリア軍はとうとう東ティモール侵攻計画を実施しないまま昭和20年夏を迎えた。

そして8月8日。「いい情報だ。日本は無条件降伏した」の電文が届く。

日本側は驚くが、事態を理解し返事を送った。

「長い間、貴重な情報を感謝する。日本軍司令官」

翌日、オーストラリア軍から「貴官の通報に接し驚惜に堪えず。よろしく当方の将兵を保護されたし」と電信が入った。

一週間後の8月15日に日本降伏が発表され捕虜は帰還した。

オーストラリア側はこの件についてはあまり自慢にならないからか無視を決め込み、丸二年間、オーストラリア軍を騙して物資を貢がせてきた我が東ティモール守備隊には一切の咎めはなかった。

この島について朝日新聞や北海道新聞は「島民を虐殺した」の「占領した」の好きに嘘を並べてきた。
意味のない自虐は止めてたまには老兵の話を聞いてみたらどうか。

このケースでも連合軍側は長崎原爆投下前に日本の降伏を知っていた。

日本は「十日に受諾」が公式の歴史だ。トルーマンは駆け込みでプルトニウム型原爆を投下させたのか。まともなジャーナリストだったら、これだけでも面白いと思うところだが。

(2008年1月3日・10日号)


実に痛快なエピソードである。

しかし、これまでにこの痛快なエピソードを戦後の日本は、映画や小説として取り上げてこなかった。

私は戦後昭和38年生まれで、映画やTVが描く戦争映画は、日本軍が敗れ去っていく中でのヒューマンドキュメントが主流であった。「兵隊やくざ」や「独立愚連隊」のような異色の戦争映画もあったが、大半は「戦場のメリークリスマス」や「人間の条件」のように、愉快痛快とはかけ離れたものが多い。

日本軍が痛快なことをしてきたことをあまり公にしたくない意思が働いていたのかもしれません。戦後GHQによる情報統制は今もマスコミなど言論出版社には多く残っています。

高山正之氏は元産経新聞記者で、1998年より3年間、産経新聞夕刊1面にて時事コラム「高山正之の異見自在」を執筆し多くの反響を得、現在、『週刊新潮』誌上で「変見自在」、『テーミス』誌上で「日本警世」、『VOICE』誌上で「日本の事件簿」を連載中。

変幻自在は本書が通算4冊目≪『サダム・フセインは偉かった 変見自在』(新潮社、2007年)
『スーチー女史は善人か 変見自在』(新潮社、2008年)『ジョージ・ブッシュが日本を救った 変見自在』(新潮社、2008年) ≫腐りきった日本の大手マスコミの報道姿勢を大上段に切り捨てる、どれもこれも痛快なコラムです。全49話 どれこもれも珠玉のコラムです。

どなたか、このエピソード小説か映画にでもしたら受けるかもしれませんね。

このあと、『「大計無き国家・日本の末路」副題:日本とドイツそれぞれの戦後を分けたもの クライン孝子著』の書評を書きながら、高山氏の白人感を書いてみたい。
では、もう一本コラムを紹介したい

白人は「嘘八百」でも足りない

英国とフランスはその昔、百年も戦争を続けた。

仏側は英軍の弓部隊に蹄易し、捕まえると二度と弓弦を引けないように人差し指と中指を切り落とした。
祖国に帰還した兵士は出迎えの家族に右手の人差し指と中指を立てて、敵の捕虜にはならなかった、ほれ指も健在だよと伝えた。今に言うVサインの発祥である。

幕末、ロシア人が勝手に択捉島に上がり込み、松前藩士を捕らえた。彼が砲術士と知ると、ロシア人は彼の目を挟って送り返してきた。

捕虜は二度と使い物にならないようにする、というのが残忍な白人たちの共通したやり口だった。

ちなみに松前藩は指揮官のゴローブニンを拘束したが、五体満足のまま釈放してやっている。

第一次大戦の折、ベルギーに侵攻したドイツ軍は子供たちを見つけては両手首を切断している、と英米の新聞は報じた。

今は鉄砲の時代だ。指二本を切ったところで残りの指があれば撃鉄を起こし引き金を引ける。

だからドイツ軍はベルギーの子供の両手を切っておけば将来にわたって有効な戦力にならないと考えたと百年戦争の歴史を持つ彼らは理解した。

それにしても子供までやるとは、と飛び抜けたドイツ人の残忍性に怒りを覚えた。

しかしドイツ兵は子供どころか赤ん坊も殺していると新聞は伝えた。

彼らは産院を襲い、看護婦を暴行したうえ生後間もない赤ん坊を放り上げて銃剣で刺したという。

ブリュッセル郊外ではドイツ兵が家族を皆殺しにし、最後に「死んだ母親に抱かれた赤ん坊を刺し殺す寸前に味方軍が助けた」と英デイリー・メールのウィルソン記者が伝えた。

かくてドイツ軍の蛮行をこれ以上許さないと米国が参戦して大戦は終わる。

戦後一ドイツがいかに残虐だったかの検証が行われた。しかし、手首を切り落とされた子供は一人もみつからなかった。

ウィルソン記者の記事もでっち上げだった。彼はニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに「本社からドイツ軍の残忍さを語る記事を送れと電報が来た。それでドイツ兵の手にかかる寸前に助けられた赤ん坊の話を創作した」(アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダーの法則』)と嘘を認めた。

それから二十年。いわゆる南京大虐殺が起きる。そこで展開されたという惨劇は日本人の知らない「子供を放り上げて刺す」「手足を切る」「女を犯して局所に棒を突っ込んで殺す」方法だった。

そのほとんどは白人が長年馴染んだ手法に加え中国流もかなり入っている。
しかし戦後になってもその真偽を確かめる検証はなぜか行われなかった。

残虐話の多くはマンチェスター・ガーディアン紙のティンパーリ記者が執筆したものだ。

彼は皇室を中傷する『プリンセス・マサコ』を書いたベン・ヒルズや「日本軍は東ティモールの島民数万人を殺した」という嘘を広めた外交官ジム・ダンと同じオーストラリア人。

彼は蒋介石政府の「国際宣伝処長の曾虚白と接触して」(阿羅健一『南京で本当は何が起こったのか』)カネをもらって南京事件を創作した一人ということまでは日本側で明らかにした。

かなり怪し気なのに米国も中国もオーストラリアもそれ以上は検証しようともしないで日本を苛立たせてきた。

そんな中、朝日新聞が英エコノミスト誌の元編集長ビル・エモットを起用してコラムを書かせ始めた。
その中身が酷い。彼は何の疑問もなしに南京大虐殺を史実と決め付ける。

自国の新聞の記者が係わり、日本に不名誉をもたらしている問題を論ずるなら、まして本人がジャーナリストのつもりなら、まず事実を検証するだろう。

しかし彼はそれを省いて「福田首相は南京大虐殺記念館に行って謝罪したら」と提言する。

検証もなしで南京事件を歴史に定着させちまえというのだ。

エモットの無知と傲慢にはあきれるが、こんなコラムを載せて有り難がる朝日にはもっとあきれる。

そしたら読売も日銀総裁空席問題で「こうなったら総選挙だ」というエモットのご託宣を恭しく載せていた。

今の日本は首相も空席みたいなもんだ。それでちゃんと機能している。それが日本人の叡智だ。今どき白人なら馬鹿でも崇めるというのは流行らない。

(二〇〇八年四月三日号)