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①『「甦る零戦」副題:国産戦闘機VS.F22の攻防 春原剛 著(新潮社)』を読むその1において日本の戦後ジェット戦闘機屈辱の歴史と、FSXをめぐる米国の理不尽な介入についてご理解していただいたと思う。

米国の理不尽なFSX介入に対し当然、日本の航空関係者はその雪辱に燃えていた。

心神が誕生するには、皆さんもご存知の二人のキーパーソンがいる。
一人は当時航空幕僚長であった田母神俊雄氏。田母神氏は制服組のトップである。
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公式協議を終え、一行が米側の用意した昼食会場へと移動した時、「事件」は起こった。この時点で田母神は日本側が意中の候補としていた最新鋭の策五世代戦闘機、F22ラプターの導入について、輸出を禁じる米国内法との関係から「実現困難」との感触を得ていた。

案内された座席に腰掛けると田母神は向かい側に座った米空軍参謀総長、ノートン・シュワルツを真正面から見据え、こう切り出した。

「日本固有の領土である尖閣諸島での問題を巡り、お尋ねしたい」

日米双方の空軍トップが顔を揃えたテーブルはその瞬間、凍りついた。だが、雄弁なことでは他の追随を許さない田母神はその場の空気など構いもせずに言葉を続けた。

「尖閣諸島をめぐり、日本と中国が武力で衝突した結果、中国が核戦力を日本に使用した場合、米国は本当に日本に提供している『核の傘』に基づいて、中国に核攻撃を仕掛ける覚悟がありますか?」

唐突な質問にシュワルツは一瞬の間を憧いて、こう返答した。

「そういうこと(日中武力衝突一が起こらないように努力していきたい…」

F22を最右翼と位置付けていたFX選定問題を協議する場で敢えて「核の傘」問題を提起した田母神。その言葉の裏には頭抜けた戦闘力を誇る第五世代のF22を単なる次世代型の戦闘機ではなく、見方によっては核兵器にも匹敵する「ある種の戦略兵器」(自衛隊幹部)と位置づける自衛隊ならではの問題意識があった。

いわゆる「核の傘」とは、圧倒的な核戦力を持つ米国が日本への核攻撃を自らへの核攻撃と同等に見なし、即座にその核戦力をもって報復措置を取るという態度を見せることを意味する。

それによって、日本は通常兵器だけでなく、米国の核戦力を背景に総合的な抑止力を高めることができる。

通常の空対空によるドッグファイトはもちろんのこと、空対地ミッシヨン、さらには長距離ステルス爆撃機としての役割を兼ねることもできるF22は、実際に戦争状態に突入する以前から「潜在的敵性国家」には核戦力同様、大きな抑止力としての効果を発揮できる。そう判断したからこそ、田母神ら自衛隊幹部はこの前年からF22について「のどかち手が出ている」とまで語り、導入への強い意欲を米国にも間接的に伝えていたのである。

少ない防衛予算の中で、専守防衛を守り続けなければいけない自衛隊にとって、国防政策の基本は「いかに戦うか」や「いかに守りぬくか」だけではなく、「いかに戦争を防ぐか」に移りつつある。その「予防防衛戦略」とでも呼べる考え方に抑止の力は欠かせない。二十一世紀の今日、核戦力の有効性に疑問がもたれる中で新たに効果的な抑止力となるものは何か。そんな命題に頭を悩ませ続ける制服組にとって、いわゆる「敵地攻撃能力」にも通じるF22は明確な選択肢の一つと映った。

だが、日米同盟重視を掲げているにもかかわらず、ブッシュ政権は米議会が成立させた新たな国内法を理由にF22に関する情報開示を拒み続けた。米空軍トップとの膝詰交渉でもラチが明かないと読み切った田母神は本来、日米双方で親近感を増すための懇談の場としてセットされた昼食会を利用して、F22問題の背後に潜む米側の「本音」を確かめようとしたのである。

(やはり日本固有の領土である尖閣諾島の帰属について、中国による核攻撃を受ける覚悟で米
国が守ることはないのだろう……)

シュワルツの歯切れの悪い返答を受け、田母神はそう確信した。そして、F22の情報開示を拒む姿勢の根底にも同じ意識が流れているに違いないと感じた。
わずか一週間にも満たないワシントン訪問で田母神が得たもの。それは長らく腹の中でくすぶっていた日米安保体制の虚像と実像のギャップに対する確かな感触だった。

F22導入希望の田母神氏ではあるが、ブラックボックスだらけのF22より技術をすべて公開してくれるユーロファイター”タイフーン”導入に積極的であり、ATD-Xを切り札にしたかった。

そして、もう一人が背広組のトップ守屋武昌防衛省前事務次官である。
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数多くの技術分野で最先端のものを要求する航空機産業は付加価値が大きい。一方で初動経費が巨額になる航空機産業は維持・育成にも国家的な支援が欠かせない。FSX紛争当時、米国内には航空機産業に携わる企業が数社存在していたが、すでに将来を見越して米政府主導による合従連衡のシナリオが描かれつつあった。最終的に米国は航空機と軍艦製造については三社体制に統合、エンジンについてもゼネラル・エレクトリック(GE)とプラット&ホイットーの2社体制を作り上げ現在に至っている。

当時、守屋が調べ上げたデータによれば、この頃、米国の航空機産業は十兆円規模とされていた。一方の欧州は英、仏、独の各国がそれぞれ二兆円。これにイタリアとスペインの一兆四を加え、合計で八兆円という規模。これに対して、日本はその数分の一の一兆円程度に過ぎかかった。

この欧米間のギャップを埋めるため、欧州各国は国境を越えて航空機産業を統合することを決断。これが民間航空機分野でエアバス・インダストリーを誕生させていくことになる。だが日本にそうした動きは見られなかった。

守屋の探究心は第二次世界大戦前の日米欧の航空機産業の実情にまで及んだ。当時、日本け航空機エンジンを米国とフランスの二国に依存していた。しかし、新たなアジアの大国・日本の台頭を「脅威」と認定した米仏両国はエンジンの対日供与を停止。これによって日本の戦闘機開発に楔を打ったつもりの米国がやがて目にしたのは、一千馬力にも満たないエンジンしか搭載していないにも拘わらず、当時としては驚くべき運動性能を発揮する「零戦(レイセン)」の登場だった。
こうした経験を踏まえ、戦後、日本を占領した米国が最初に実施したのが「日本の航空機産業を潰すことだった」と守屋は結論付けた。高度なハイテク技術の集約産業である航空機の分野でも発揮された日本独自の発想力。それが再び開花することを「米国は恐れた」と守屋は解釈したのである。

守屋から見て航空機産業、とりわけ軍用機開発は産業政策上の「戦略的意味」も持ち始めていた。最先端技術を多用する戦闘機は後に多くの民生用ハイテク技術を生み出す源流ともなりうるからである。

FSX紛争当時、日米両国では日本のカメラ・メーカーであるミノルタ(当時)が開発した自動焦点方式の一眼レフカメラ「α7000」が爆発的なヒット商品となっていた。この自動焦点技術の源流は米国から日本に技術移転された地対空ミサイル「ホーク」に使われていた照準技術と基本的に同じものだった。
(日本に供与したホーク・ミサイルの技術が民生用のこんなところに使われている、と米国は感じたに違いない……
)
日米経済紛争が激しさを増す中で、守屋は米側の深層心理をそう読み取った。こうした経験を踏まえ、守屋は「経済大国として日本が将来もしっかりと世界で生き抜いていくためには航空機・宇宙産業を育成しなければならない」と考えるようになっていった。

学生時代、「軍事力は拡大生産につながらない」という議論を教わってきた守屋だが、二十世紀から二十一世紀にかけて急速に進歩する軍事技術を目の当たりにして、やがて独自の軍事技術戦略観を自らの中で育てていく。

「いかに弾(ミサイル)を正確に当てるか」という技術が「α7000」にも通じる。この点をどこまで理解するかが勝負の分かれ目となる。もちろん、欧米は十二分に理解している。だが、果たして日本はどうか。

クリントン政権時代に米国が調歌した「ニュー・エコノミー」による繁栄も元をただせば八○年代にレーガン政権が始めた戦略防衛構想(SDI)、いわゆる「スター・ウォーズ」構想に向けた技術開発があったからではないか。

軍事用ハイテク技術と産業イノベーションを表裏一体と考える守屋は、「軍事」という存在を産業育成論から切り離してきた戦後日本のあり方に疑問を感じ続けていた。

(コアとなる技術を政府が勉強して、やがては民間に流していく。そうしなければいずれ労働集約型の産業分野では日本は負けていく。そのモデルを自分は諦めたくはない……)

こうした考えに基づき、守屋は自衛隊の正面装備について、国産・自主開発に独白の拘りを見せるようになっていった。やがてF22の導入問題が注目され始めると守屋は省内で「日本が(F22導入問題で)主導するぐらいの仕掛けをしていかないと駄目だ」と発破をかけた。守屋の言う「仕掛け」とはFSXで一度は夢破れた「日の丸戦闘機」をもう一度、自らの手で作り上げることにほかならなかった。

「同盟国同士とはいえ、そういうことはやるべきだ」省内でそう説いていた守屋にとって、FSXに代わる新たな「日の丸戦闘機」はF22の情報開示を渋る米国に対する「バーゲニング・チップ(交渉を有利に運ぶための切り札)」以上の存在だった。

かつて米仏をも驚嘆させた「ゼロ・ファイター(零戦)」を生み出した航空機分野での日本の潜在能力。その「遺伝子」を次世代へと引き継ぎ、いずれは大輸の花として咲かせたい。

それは自らの意に反して防衛省・自衛隊を追われるように去っていった守屋、田母神の二人だけではなく、この国の防衛・安保政策に携わる多くの日本人が共有する「見果てぬ夢」でもあった。

この二人は偶然か罠か真相は闇の中だが、2008年10月31日政府見解と異なる見解を書いた所謂「田母神論文」で更迭され、その5日後守屋武昌氏が贈収賄事件で有罪判決を受けた。

守屋前事務次官・田母神前航空幕僚長は、ともに米国製戦闘機運用の強い問題意識、日の丸戦闘機へのこだわりも人一倍つよかった。そしてATD-X心神計画に尽力した二人である。

戦後日本の政治の闇の部分は米国の意図に反することは非常に困難だ。田中角栄が独自のエネルギー戦略・外交戦略を画策し、米国の寅の尾を踏んでしまい、ロッキード事件が発覚のはあまりに有名である。

直近ではイラクで殺害された奥参事官(称号は大使)は、米軍によってとの噂があり、オックスフォード留学中であったときに雅子妃の元恋人であったとの噂あり。風説だが、殺害を依頼したのは*********で、米軍が実行、それを知った雅子妃殿下が適応障害となったというデマあり。

このお二人は嵌められた可能性はあります。

米国の日本国内での動きに関しては私が阿修羅に投稿した日本秘史インテリジェンスのコピペをお読み下い。下記URLの後半部分です。

【「戦後秘史インテリジェンス」佐藤優・黒井文太郎著(だいわ文庫)CIAは日本で何をやっているのか】
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/457.html