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フランク・ウィルチェック博士は2004年のノーベル物理学賞を受賞したMITの物理学の教授である。
ウィルチェック博士曰く、本書は一般読者向けの優しく書いた最先端物理学の解説書だとそうだが、私は約2週間本書と格闘し、365pをようやく・・・。確かに数式を極力使わず、理論の考え方をできるだけ俗物的に解りやすく解説いただいています。しかし、私の脳力では何度も読み返しながら内容についていこうと思ったが、結局内容の5%程度は理解し?・・・いやなんとか読みきっただけで、宇宙の構造と同じで結局残りの95%はダークマターでした。

本書の原題は[The Lightness of Being]「存在の軽さ」ですが。映画にもなったミラン・グランデの小説
[The Unbearable Lightness of Being] 「存在の耐えられない軽さ」をもじってつけられたそうです。

中学生のころからブルーバックスの「相対性理論」など自然科学の本もわからないなりに読んでおりますが、やはり量子論となってくるとチンプンカンプンになってきます。

日常生活を過ごす上で意識しているわけではないが、我々が感じる3次元的世界において観察できる現象については、頭の中で整理すれば理解することができるが、量子理論のように形而学的哲学や宗教的宇宙観のような話となると、蒟蒻問答となってしまいます。

現代物理学の考え方はそういった日常的常識とはかけはなれた形而学的な世界観を理解しないことにはどうにも難しい世界です。

「物質の質量はそれ自体は質量をまったく、もしくは、ほとんど持たない、より基本的な構成要素が持つエネルギーが形として現れたものだ。その空間もまた、見かけとは違うものである。」第一部の巻頭の言葉の一部分であるが、要は、光とは粒子なのか波なのか?というアインシュタインやマックスウェル以来の疑問について、「光は粒子でもあり波でもある。粒子と波の両方の性質を併せ持つ、量子というものである」というメタファーな考え方「量子」というものを発明(発見)したことにより決着がついたと考えられている。この量子の持つ特異な性質のことを指して、「光は〈粒子性〉と〈波動性〉を併せ持つ」と表現されているが、解ったような気もするが、いまひとつ理解できない。

ウィルチェック博士は2004年デイビッド・グロス 、H. デビッド・ポリツァー とともに「強い相互作用の理論における漸近的自由性の発見」の功績によりノーベル物理学賞を受賞した。

1951年生まれの博士は1973年22歳の時にプリンストン大学で, デイビッド・グロスとともに「漸近的自由性」を発見した。素粒子物理学における「漸近的自由性」とは、素粒子間の「強い相互作用」が、近距離ないし高エネルギー下では相互作用が弱くなるという性質で、陽子や中性子の構成要素とされるクォークが単独で観測できないことなどを説明する量子色力学の理論である。

自然界の四っの基本的な力(物体に働く強い力、弱い力、電磁気力、重力)のうち重力を除く三つを統合する大統一理論、そして、超対称性という数学的な外縁を導入して重力も含めた自然界の四つの力すべてを統合しようとする超対称大統一理論が独自の表現で説明されている。
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ウィルチェックによると、普通の物質の質量の95パーセントは、それ自体は質量をほとんど、あるいは、まつたく持たない、クォークとグルーオンの活動から生まれているそうだ。その活動を支持しているのが、時空を満たし、そこからほかのすべてが形成される物理的リアリティーの第一の構成要素、ウィルチェック言うところの、「エーテル」概念を一種洗練させた「グリッド」だという。
p57
その場しのぎ的に理論に導入され、単独では観察されたことのないクォークは、最初は便宜上必要ではあるが、現実には存在しないものと思われた。ところが、陽子の"超ストロボスコピック・ナノ顕微鏡スナップショット”によって捉えられてからというもの、クォークは厄介な実在物となった。クォークの奇妙な振舞いのせいで、量子カ学と相対性理論の基本原理が疑問に付されることになった。やがて新しい理論が登場し、そのなかでクォークは、数学的に完壁な、理想的な対象物として定義しなおされた。この新理論の一連の方程式は、色荷を持つグルーオンという新しい粒子の存在を予言した。その後2、3年のうちに、クォークやグルーオンを確認する目的で建造された、”創造的破壊を行なうパワーハウス”で、クォークとグルーオンの画像が収集できるようになった。
グルーオンとは概念が実体化したもの=具現化した対称性のことだそうだ。

グリッド(工ーテルは不滅だ)p115
空間とは何だろう?物質からなる物理的世界がドラマを演じる場所となっている、空っぽの舞台なのだろうか?背景を提供すると同時に、それ自体の命を持っている、対等の演者なのだろうか?それとも、空間のほうが主たる現実で、物質は、それが形を取って現れただけの副次的なものにすぎないのだろうか?この問いを巡る見解は、科学史のなかで進化を遂げ、激変したことも何度かある。今日では、今挙げた三つめの見解が優勢である。わたしたちの目には何も見えないところに、わたしたちの脳は、厳しく調整された実験が明らかにした事実を熟考することによって、物理的現実にカを与えるグリッドを発見する。
P170物理的現実の根底にある元-物質であるグリッドの主要性質
●グリッドは空間と時間を満たしている。
●グリッドの部分は、どれを取ってもーどの時空要素を取ってもL基本的な性質はほかの部分と同じである。
●グリッドでは量子活動が活発に行なわれている。量子活動には自発的でかつ予測不可能であるという特別な性質がある。そして、量子活動を観察するためには、それを乱さざるをえない。
●グリッドは、持続性のある物質的な成分も持っている。その側面から見れば、宇宙は多層構造を持った多色の超伝導体である。
●グリッドは、時空を堅固なものとし、重力を生み出す、計量場を持っている。
●グリッドには質量があり、普遍的密度を持っている。

素粒子物理学では、力を媒介する粒子は荷と呼ばれる量子力学的な性質を持っており、強い力に関与するクォークやグルーオンが持つ荷(チャージ)を色荷、弱い力に関与する類似の粒子が持つ荷を弱荷と呼んだりするが、ウィルチェックはそれぞれを、強い色荷、弱い色荷と呼んでいる。両方を「色荷」と呼ぶことで、クォークとレプトンを包括的に説明しようとしている。

般若心経の「色即是空 空即是色」とは2世紀頃インド仏教の僧「龍樹」(ナーガールジュナ)が哲学的に到達した「空」の理論と同じのようにも思える。般若心経の空理論の「色即是空 空即是色」は形而学上の概念であったが、本書を読む限り、アインシュタインやマックスウェルに否定されたエーテル理論(真空に満ちている光を伝えるものがあるという理論)がグリッドとして復活することにより科学的説明が可能とのことだ。

真空は従来何も無い空間という概念であったが、「物理学者たちは、これらの物質エーテルを普通、「凝縮体」と呼んでいる。物質エーテルは、朝露のように、あるいは、すべてを包む霧が、目には見えないが湿気を含んだ空気から凝結するように、空虚な空間から自発的に凝縮する、という言い方をしてもいいだろう。」(p140)マルチカラーのグリッドのなかで、絶え間ない量子活動で生成消滅を繰り返す粒子反粒子対、そこから生まれる普通の物質の質量、という考えは「色即是空 空即是色」だ。

第11章グリッドの音楽p202
二つの方程式のなかの音楽
粒子の質量は、もしも演奏されたなら、空間振動の振動数に相当する音を立てる。このグリッドの音楽は、「天球の音楽」という古代神秘主義の重要な要素であった概念を、幻想と現実主義の両面において一段と洗練させたものだ。
なにやら物理学の世界観ではマルチカラーの極楽浄土があり、天球の音楽がかなでられている世界が存在するのだという。宗教家や似非教祖達が説く天国や極楽浄土とは似て非なる世界であるが、私には新鮮な驚きである。

幾つかチェックしておきたい付箋を貼った箇所があります。コピペだけ残します。
p185
ヤンキース往年の名選手で、意味深い数々の発言でも有名なヨギ・ベラが、二ールス・ボーアから学んだのではないかと思わせる、「予測するのは難しい。特に、未来については」という発言をしたことがあるが、まさにそのとおりだ。

必要な方程式がすべてわかっているとしてもなお、未来を予測するのが極めて困難になる根本的な理由が二つある。ひとつはカオス理論だ。おおざつぱに言うと、カオス理論とは、時間t0における世界の状態についての知識にごく小さな不確定性があると、それは、そこからかなりあとの別の時間t1における世界の状態について導き出せる事柄に対して、非常に大きな不確定性をもたらす、というものだ。

そしてもうひとつの理由は、量子論である。これまでにも見てきたように、量子論は一般的に、確率を予測するのであって、確実なことを予測するのではない。実際、量子論は、ある系の波動関数が時間とともにどのように変化するかを表す完全に明確な方程式を提供する。しかし、何が観察されるかを予測するために波動関数を使うとき、方程式を解いて得られるのは、さまざまに異なる結果がどのような確率で起こるか、その確率の組でしかない。
p197
わたしの頭のなかに、大学院生と教授の違い、ということがふと思い浮かんだ。大学院生は、実用的な模型や経験則をすべて頭に詰め込んでしゃにむに計算して、すべてを知っていると思い込んでいるけれども、その大元の方程式が表している深い真実についてはまだ何も知らない。
一方、教授のほうは、あらゆる事柄について、自分はまだ何も知らないことを自覚している。方程式
を解くのが大学院生の仕事なら、方程式を理解するのが教授の仕事である。
p206
わたしは完全性とはどういう意味かを、凡庸なことで名高い作曲家、アントニオ・サリエリから学んだ。

わたしの好きな映画のひとつ、『アマデウス』のなかの、わたしが好きなシーンのひとつで、サリエリは、驚きに目を見張りながらモーツアルトの手書き楽譜を見て、「音符をひとつ動かせば損なわれる。フレーズをひとついじれば構造全体が崩壊する」と言う。

この言葉のなかに、サリエリは完全性の本質を捉えている。彼の二つの文章は、理論物理学を含むさまざまな分野で、完全性というときわたしたちが何を意味しているかを厳密に定義している。完全な定義と呼んでもいいかもしれない。

理論は、それにどんな変更を加えても元より悪くなって初めて、完全なものと言えるようになる。

これはすなわち、先ほどのサリエリの最初の文章を音楽から物理学に翻訳したものである。そして、これは核心を突いている。だが、サリエリの天才がほんとうに現れているのは二つめの文章だ。理論は、その全体を損なうことなく、大きな変更を加えることができなくなったとき、つまり、理論を大きく変更すれば意味をなさなくなったとき隅々まで完全になる。