先ほど読み終わりました。
BOOK1とBOOK2によって空けられた心の隙間が、ようやく補完されたような思いをしました。
初めの数ページをめくっったところで、朝目を醒ました時、そこが何処なのか数秒間わからないような感覚にとらわれた。私はあわてて記憶を取り戻すべくBOOK1とBOOK2を書棚から取り出し、いそいで読み返した。、そしてBOOK3を再び読み出し始めた。
これはまだ読んでいない方に対し、裏切りにはならないと思うので書きますが、予想通り、青豆は死んではいなかった。(そうでなければBOOK3は成り立ちません) そして物語は意外な人物が、第三の主役として話が展開していった。これには正直に驚いた。そしてラストは、ある意味で善良な読者を裏切らない期待通りの展開で一応完結した?ように思えます。
これ以上ストーリーについてはこの書くのはやめようと思います。
おそらく1Q84が完結したことで、今後多くの村上春樹ファンが私と同じく自分の1Q84の世界を探るでしょう。そしての奥深さを再度沢山の方が語ると思います。
運命とは?、男女の縁とは?、人生の意味とは?孤独と家庭、新たに授かる生命の意味、家族とは?神の存在?1Q84を読みながら考えることが次々に沸いてくる。
少なくとも1Q84BOOK3の602ページ目を読み終わる少なくともおよそ6時間の間、私は哲学者であり、心理学者あった・・・そして、普段あまり覗く事がない自分の無意識の扉の向こう側を少しだけ見つめることができた。
本書を読みながら、ことさらに登場人物や人間の深層心理についても考えが浮かんだ。天吾の父親は結局母親の愛人だったのか・・・つまり母親の乳房を吸う男 それは結局エディプスコンプレックス(Oedipuskomplex)の顕れだったのであろうか? 家族のなかでただ一人醜い風体を持って生まれた牛河だが、生まれ持った天性の才能で得た、美しい妻と可愛い子供達、僅かな期間体験した平凡な家庭的の幸せとそしてそれを失った消失感の心の葛藤はどのようなものであったのだろう?そこには複雑なコンプレックスが存在していたことを象徴としている。
などと考えながら読み進み、物語がエンディングに向かいだしたあたりで、唐突にユングの話が出てくるのである。そして、薄々感じていた1Q84の物語のベースが何かやっと理解できた。
p503~506
牛河は目隠しの下で思わず眉をひそめた。カール・ユング?・この男はいったい何の話をしようとしているのだ。「心理学者のユング?」「そのとおり」「いちおうのことは」と牛河は用心深く言った。「十九世紀末、スイス生まれ。フロイトの弟子だったがあとになって挟を分かった。集合的無意識。知っているのはそれくらいだ」「けっこう」とタマルは言った。牛河は話の続きを待った。タマルは言った。「カール・ユングはスイスのチューリッヒ湖畔の静かな高級住宅地に溝酒な家を持って、家族とともにそこで裕福な生活を送っていた。しかし彼は深い思索に耽るための、一人きりになれる場所を必要としていた。それで湖の端っこの方にあるボーリンゲンという辺鄙な場所に、湖に面したささやかな土地を見つけ、そこに小さな家屋を建てた。別荘というほど立派なものじゃない。自分で石をひとつひとつ積んで、丸くて天井が高い住居を築いた。すぐ近くにある石切場から切り出された石だ。当時スイスでは石を積むためには石切工の資格が必要だったので、ユングはわざわざその資格を取った。組合(ギルド)にも入った。その家屋を建てることは、それも自分の手で築くことは、彼にとってそれくらい重要な意味を持っていたんだ。母親が亡くなったことも、彼がその家屋を造るひとつの大きな要因になった」タマルは少し間をおいた。「その建物は『塔』と呼ばれた。彼はアフリカを旅行したときに目にした部落の小屋に似せて、それをデザインしたんだ。ひとつも仕切りのない空問に生活のすべてが収まるようにした。とても簡素な住居だ。それだけで生きていくには十分だと彼は考えた。電気もガスも水道もなし。水は近くの山から引いた。しかしあとになって判明したことだが、それはあくまでひとつの元型に過ぎなかった。やがて『塔』は必要に応じて仕切られ、分割され、二階がつくられ、その後いくつかの棟が付け足された。壁に彼は自らの手で絵を描いた。それはそのまま個人の意識の分割と、展開を示唆していた。その家屋はいわば立体的な曼荼羅として機能したわけだ。その家屋がいちおうの完成を見るまでに約十二年を要した。ユング研究者にとってはきわめて興味深い建物だ。
その話は聞いたことがあるか?」牛河は首を振った。「その家はまだ今でもチューリッヒ湖畔に建っている。ユングの子孫によって管理されているが、残念ながら一般には公開されていないから、内部を目にすることはできない。話によればそのオリジナルの『塔』の入り口には、ユング自身の手によって文字を刻まれた石が、今でもはめ込まれているということだ。『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』、それがその石にユングが自ら刻んだ言葉だ」タマルはもう一度間をおいた。「『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』」と彼はもう一度静かな声で繰り返した。「意味はわかるか?」牛河は首を振った。「いや、わからない」「そうだよな。どういう意味だか俺にもよくわからん。あまりにも深い暗示がそこにはある。解釈がむずかしすぎる。でもカール・ユングは自分がデザインして、自分の手で石をひとつひとつ積んで建てた家の入り口に、何はともあれその文句を、自分の手で鑿(ノミ)を振るって刻まないではいられなかったんだ。そして俺はなぜかしら昔から、その言葉に強く惹かれるんだ。意味はよく理解できないが、理解できないなりに、その言葉はずいぶん深く俺の心に響く。神のことを俺はよく知らん。というか、カトリックの経営する孤児院でずいぶんひどい目にあわされたから、神についてあまり良い印象は持っちゃいない。そしてそこは常に寒いところだった。夏のさなかでさえもだ。かなり寒いか、とんでもなく寒いか、そのどちらかだった。神様はもしいたとしても、俺に対して親切だったとはとても一言えない。しかし、にもかかわらず、その言葉は俺の魂の細かい襞(ひだ)のあいだに静かに浸みこんでいくんだよ。俺はときどき目を閉じて、その言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。すると気持ちが不思議に落ち着くんだ。『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』。悪いけど、ちょっと声に出して言ってみてくれないか?」「『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』」と牛河はよくわからないまま小さな声で言った。
登場人物は牛河に限らず謎を残しながらも様々な特殊な心理状況(コンプレックス)を村上春樹は詰め込んだ。
川奈天吾 :エディプスコンプレックス マザーコンプレックス だと思う。天吾の生物学的父親は最後まで明らかにされなかった。
青豆雅美 :白雪姫コンプレックス (被虐待児症候群)オレステスコンプレックス (父親の掟と母親の呪縛の中で心が引き裂かれる心理 )だと思う
安達クミ:殺害された前世の記憶を持つ千倉の看護婦 天吾の母親の転生?・・・天吾の戸籍上の父親を好意的に世話をした
緒方静恵(老婦人):DVによる娘の自殺の心の空白が、DVに対する激しい憎悪となり、私刑は復讐ではなく正義と考える。メサイアコンプレックス (強迫的に人を援助する心理)だと思う
田丸健一(タマル):自衛隊出身のプロのフリーエージェントでありながら、親に捨てられた心の傷を持つゲイである。(※BOOK3において、深田恵里子の実の父親ではないかとの可能性をにおわせた・・・が明らかにされなかった)
深田絵里子:生まれながらの巫女であり霊媒師は・・・コンプレックスではないが一種の虐待を受けたことには違いない。
大塚環 :DVで自死した青豆の親友 弟とともにネグレクト(育児放棄)を受ける
中野あゆみ:殺された婦人警官スペクタキュラコンプレックス (性嗜好が行動を規律する心理)とユディットコンプレックス (強い男に身を任せたい感情と相手に対する憎しみが重なった女性の二重心理)だと思う。子供の頃、叔父と兄に性的虐待 を受ける。
天吾の戸籍上の父親:中でも私は、死んだ自分の妻が残した子供を育てるのこの男の心の傷が痛々しい。心から愛した妻が、もしかしたら不倫相手の子供を男手一人で育てていくのだ。このコンプレックス・憎悪が、彼の生霊と思われる謎のNHK集金人が発するする言葉として生々しかった。激しい怒りが、仕事に専念させ、無防備で暮す平凡な人々の日常を破壊して回ることにより救われるという痛々しい心理・・・・養育する天吾に対し、亡き妻への愛情とアブラハムコンプレックス (父親の息子に対する憎悪)が恐いほど伝わってきた。
このお話の中身は単にコンプレックス概念のレイヤー(層:layer)だけではない。ユングが散りばめられている。コンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。
元型の作用と、その結果として個人の夢や空想に現れるある種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。
1Q84の隠れテーマは「集合的無意識」=「神話」=「リトルピープル」であることを村上春樹はそっと教えてくれたのである。
天吾と青豆は20年間無意識の扉の奥で繋がっていたのである。その無意識が物語に登場する人間の行動や思考・判断を、自我と外的世界との相互作用され世界を動かしていたのである。そこには『「集合的無意識」=「神話」=「リトルピープル」』に存在するとされる諸元型の力動作用が影響したのだ。そう、この物語はユングの心理学がベースなのだ!
そして、この物語の神話とは、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)日本の国産み神話ではなかろうか?男神(天吾)と女神(青豆)が交わった時、二つの月は一つの元の月に戻り、新しい世界が生まれるのである。
深い・・・実に深い1Q84とは神話と精神の物語だ・・・だがまだ多くの謎は残したままだ・・・この後彼らはどうなるんだ・・1984でも青豆の中には新たなドウタが存在しているのだ・・・この物語はBOOK3<10月-12月>で99%の確率でここで終るだろう。だが・・・BOOK1は<4月ー6月>1Q84年度であればまだBOOK4<1月ー3月>・・・でもはさすがにそれはないだろう。だって二人がいる世界は1Q84ではないから・・・
残念なことに月曜日には私が買ったBOOK3を待ち焦がれるご婦人達に貸し出さねばならぬ・・・2.3ヵ月後改めてBOOK1~BOOK3をノンストップで読み通してみたい

「その建物は『塔』と呼ばれた。彼はアフリカを旅行したときに目にした部落の小屋に似せて、それをデザインしたんだ。ひとつも仕切りのない空問に生活のすべてが収まるようにした。とても簡素な住居だ。それだけで生きていくには十分だと彼は考えた。電気もガスも水道もなし。水は近くの山から引いた。しかしあとになって判明したことだが、それはあくまでひとつの元型に過ぎなかった。やがて『塔』は必要に応じて仕切られ、分割され、二階がつくられ、その後いくつかの棟が付け足された。壁に彼は自らの手で絵を描いた。それはそのまま個人の意識の分割と、展開を示唆していた。その家屋はいわば立体的な曼荼羅として機能したわけだ。その家屋がいちおうの完成を見るまでに約十二年を要した。ユング研究者にとってはきわめて興味深い建物だ。
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