3D映画 ティムバートン監督の「アリス・イン・ワンダーランド」を観てまいりました。
「続・不思議の国のアリス」の物語だが、ティムバートン監督とルイス・キャロルの世界が融合し、大人のファンタジーとして実に愉快、たいへん面白い時間を過ごせた。アバターは見損なっていたので、3Dの映画はディズニーランド以外では初体験だったが、キャプテンEOやミクロアドベンチャーのようにことさら3Dを強調するのではなく、当たり前のように3Dで物語が進み、「これから映画はすべて3Dとなるのだなぁ」と強く感じさせる映画であった。
ちなみに、2011年東京ディズニーランドに、総投資額約60億円のシアター型アトラクション「ミッキーのフィルハーマジック」を導入する。ディズニーの3D技術を用いてミッキーマウス、ドナルドダックといったキャラクターを、観客が手を伸ばせば触れられそうな近さに登場させるというが、3D映画が普及すると、折角60億円投資しても、陳腐なアトラクションに成り果てるかもしれませんね。
どことなく、同じディズニーのファンタジー映画の、ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女に何処となく雰囲気が似ているような・・・・気もしないではない。
ただ、一つだけ気になったことがあった。物語の佳境が過ぎ、美しいし妹の白の女王が、醜い独裁者で姉の赤の女王に勝利した後、敗者である姉に対する仕打ちに強い違和感を感じてしまった。
虫も殺さない妹の白の女王が、カインコンプレックス (兄弟姉妹間の親の愛をめぐる葛藤 )からだろうか、赤の女王に対し、死より厳しい罰をあたえることだ。永遠に誰にも愛されず、口もきいてももらえない刑を処すというのだ・・・
独裁者で、多くの命を奪ってきた当然の罰であると何の疑問も持たずに処罰を下し、誰も同情しないのである。
かつて女王エリザベスが従兄妹のスコットランド女王メアリーを処刑した伝統であろうか?醜い容姿を持った姉に同情どころか死より恐ろしい罰を与えハッピーエンドなのだ・・・日本の物語では、敗者にも某かの救済があってしかるべきことなのに、トランプの騎士団にも「もうお前の言うことなんか聴いてやらないよ」とか、恋人面をしていた騎士にも最後に裏切られ・・・悪役のままで実に気の毒なのだ。
頭の大きな女王、いや魔女といえば、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の、湯婆婆 (ゆばーば) と銭婆 (ぜにーば)を連想した。双子の仲の悪いフリークスの魔女の姉妹は、激しく 対立していても愛情はどこか通っていた。
ワンダーランドでは、醜女と美女の姉妹、醜女の姉は、両親にも疎んじられてきたと告白している。フリークスの姉が、「人々に愛されないのなら、恐怖を!」と叫びあのような狂気に走ったのは白の女王の美貌ゆえである事を少しは感てあげないと・・・・ちょっと救われない気分になった。
それとも、美しい容姿を持って心優しいように見える人達の裏側は実は残酷なのだと逆説的に告発しているのだろうか?
プロジューサーからの圧力なのか?それとも弱肉強食、ウィーナー・テイクス・オールの西洋社会いやアングロサクソンを逆説的に批判しているのだろうか?などと考えたが、私はある仮説にたどり着いた。
仮説というよりは嫌中保守主義者の偏執的妄想かもしれないが笑わず読んでください。
赤の女王=中国の隠喩
白の女王=白人社会(欧米)の隠喩
と、考えるとティムバートン監督の演出の疑問が氷解するのである。
本物語のエンディングは、赤の女王を破ったアリスは、退屈な男の求婚は蹴って、野望を胸に抱き、中国市場へ進出しようと香港に船出するところで終わりになるのである。
赤の女王(中国)の取り巻き達は、皆おべっか使いで、偽のフリークスであった。ジョニーディップのマッドハッターが、処刑から逃れアジった内容も意味深長だ。側近達が赤の女王(中国)に近づいているのは、利益を求めて仲良く振舞っているだけで、我侭な赤の女王(中国)なんか誰も信頼していないこと。皆で我侭な赤の女王を懲らしめようとメッセージを叫ぶのである。
皆立ち上がろうというメッセージを送っているのではないだろうか?
赤の女王(中国)はフリークスでずっと虐げられてきた。(=近世は日本や欧米の植民地として搾取されていた)頭が大きい(=人口過剰)だが、今は傍若無人に振舞っている。ドラゴン=龍=中国が敗れ去る時、誰も同情しないであろう。そして永遠に誰にも相手にされないというメッセージなのではないだろうか?
無敵だった赤の女王は最後は惨めに敗れ去る・・・・だからこの映画では誰も赤の女王に同情しようとしないのだ。
そして、正義のふりをしている白の女王(欧米)も実は偽善者にすぎないというメッセージならもすごく納得する。考えすぎだろうか?
蛇足ながら、そう考えると、アリスに求婚するつまらない男は鳩山に思えてくる(笑)
コメント