
本日8月17日Ddogは日本国民として、また、天皇陛下の一臣民として、靖國神社へ参拝してまいりました。
売国党が与党として初めて迎える15日の終戦記念日であったが、菅内閣の全閣僚が靖國神社に参拝はなかった。10日の閣議後会見で、参拝しない理由に「近隣諸国の感情」などを挙げた閣僚もいるが、総理大臣が英霊に対し経緯を払わず、日本国民・及び英霊に対しては配慮しないのか!もっとも千葉景子や菅直人に拝まれても英霊達は嬉しくはないであろう。まともな歴史教育をうけていない周辺諸国民に対して配慮したとのことだ。日本の総理なら周辺諸国民のことより、まず、自国民のことを配慮すべきだろう。

菅首相や仙谷が靖國の参拝しないのは勝手だが、他の閣僚の行動まで縛ってしまうのは、行き過ぎである。 昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯とBC級戦犯を釈放した。これをもって日本には戦犯はいなくなったのである。それを無かった事のように振舞う売国奴達に私は憎悪を感じる。

戊辰戦争以降日清・日露と先の大戦で、我々の為に命を捧(ささ)げた人たちに対し哀悼の意を表すことは当たり前なのである。そして、死者に対する敬意を表す為に、神社を祀るのは日本人として宗教というより太古よりの伝統、慣習に近い性格であると思うのであります。
釈徹宗 著 「不干斎ハビアン」p220~221
http://www.shinchosha.co.jp/images/book_l/603628.jpg柳田國男は、「死者を祖霊になるまで祀る」ところにこ日本教宗教民族の基盤があるとしてこれを「先祖教」と呼んでいる。確かに日本宗教文化において「先祖教」は看過できない構成要素である。
柳田による「先祖教」の特徴は以下のようなものである(先祖の話1990年)
1.先祖は祭るべきものであり、自分たちが祭らねば、だれも祭る者がいない霊を指す。
2.死者は身近に留まっており、決まった時節には還ってくる。これは仏教でさえなかなか崩せ「い日本の死後観念であり、今日もなお根強い。
3.死者はある年限を過ぎると「御先祖さま」「祖霊」となる。通例三十三年・稀には四十九年や五十年に最後の法事蕎むことで祖霊となる。この形態は古信仰と仏教と・双方からの譲歩によって出来上がったのではないか。
4.近年は、死者の「個人性」が強くなり、祖霊というすばらしい装置が粗略になっている(柳田は、仏教が霊の個人化に大きく寄与し、祖霊との融合を阻んだことを批判している。柳田も言及しているが、「あらみたま(荒御魂、新御魂)」が祀られることにより「にぎみたま(和御魂)」になり、そして(祖霊)となるというプロセス。これは、北方モンゴロイドと南方モンゴイドとの混成した、日本宗教文化の死生観だと思われる。(荒御魂はフィリピンやミクロネシアあたりの信仰、和御魂はモンゴルやシベリアやバイカル湖あたり、祖霊は華南地方あたりの信仰ではないかという説がある)。人が死ねば身体は要素ごとに分解されてしまうが、魂は残る。死んだ当初は荒御魂(新御魂、魂がまだエネルギッシュな状態)、その後これを祀ることで和御魂(穏やかで柔和な魂)となる。和御魂を三十三年から五十年かけて祀り続けることで、ついに は「祖霊」となる。祖霊になれば、大きな生命体と一体であるから、もはや個は解体される。まさに日本特有の「生命のストーリ」である。この物語が根強いために、仏教の輪廻観もそれほど土着化していない。この生命観は、日本宗教文化を考察する際には欠かせないものである。

今の政府に、靖國神社参拝問題で、中国と韓国に対し意見を述べるなど期待もしていないし、余計な談話は残してほしくはない。
現政府は、未だに東京裁判史観の呪縛から開放されておらず、
『「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表明する』などという村山談話は東京裁判史観による歴史観であって歴史を歪曲するものであり。
英霊たちを冒涜するにもほどがる談話だと思います。
私が仮に総理大臣となったなら、真っ先に中国・韓国に謝罪します。村山談話・河野談話・菅談話は日本人の総意でないにもかかわらず発表してしまい申し訳ございませんでした。国際社会のルールに反して誠に申し訳ないが、取り消しさせていただきす。過去の政権の談話を取り消すことを謝罪します。
そもそも大東亜戦争は侵略戦争であったのか?すくなくとも自衛の為に起こした、大義ある戦いであったと私は思う。石油が輸入できなくなったとしたら、現代から比べれば比較にならないほど石油を消費していなかった当時ですら国家の存亡にかかわる事態であり、米英蘭に対し宣戦布告をおこなったのは、侵略戦争ではなく自衛戦争である。
私が知る限りでは当時の大新聞や世論が開戦を叫ぶなか軍幹部政府・天皇陛下は開戦に皆反対で、開戦を回避するべく努力が行われたが、なんとしても日本に開戦の火蓋を切らせたい米国・英国・中国国民党・ソ連の思惑によって、開戦へと押し流されていったのである。
一度東京裁判史観で教育を受けた日本人にとって、東京裁判史観の呪縛から開放されるには、現代史論理的に理解し、論理的に東京裁判史鑑を否定できるだけの知識を持たない限り、その呪縛から容易に解脱することは難しい。
無知であったり、意図的に東京裁判史観を擁護する人間が多数いるようでは、国益を擁護し、国民生活の向上につながるような自主憲法改正が不可能である。自主憲法を制定しない限り、半永久的に米国の属国の地位に甘え、自民党三木武夫政権以降~現民主党政権の菅総理のように、周辺諸国の要求と国民の要望を比べた場合、周辺諸を優先してしまう情けない状態になる。
自主憲法を制定し、日本人の権益を擁護するよう改め国家の百年の大計を計画しない限り、このまま日本は衰亡してしまうのではないかと、深く危惧しております。
護憲派の人間から投稿をうけたが、かれらはおそらく善意の人間であろうが、2010年の世界情勢分析が中学受験小学生以下の認識である。彼らが有名私立中学を受験したならば、社会科は不合格である。2010年:世界第二位の経済大国となる可能性がある中国は、日本の権益を侵犯し、その急激かつ過剰な軍事力増強は東アジアのパワーバランスを破壊しようとしている。日本は、防衛費の削減が続き、とても軍事大国化する余地が無い。日本が軍国大国化すると真剣に憂慮している彼らの認識は、洗脳を受けたオウム真理教の信者に似ている。日本軍事大国化阻止宗教のカルトである。
彼らは現状を正しく把握できず、その呪縛は死ぬまで解けない可能性が高い。偏った知識や認識を克服することは限りなく難しい。彼らの現状把握能力や、現状分析力能力は廃人とかわらず、誠に気の毒である。
この靖國神社参拝問題の解決なくしては、東京裁判史観の克服と、自主憲法制定は難しい。
私も早速昨晩18日から日靖國神社問題関係書籍を5~6冊読書中でございます。
改めて今晩か明日靖國神社論を書かせていただく予定です。
そのなかで、まずは皆さんにどうしてもご紹介したい逸話があります。
日中国交回復後社会党の佐々木更三が毛沢東主席に「中国国民に多大な損害をもたらして申し訳ない」と言ったところ、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。皇軍の力なくして我々が権力を権力を奪うことは不可能だったでしょう」と感謝の意を表したそうです。
歴史とはそのときと場所、解釈する人間によって、様々に解釈されます。
毛沢東のこの発言は、意外ではなく、当然の発言とは重いますが、改めて書籍でそういった事実を発見すると、新鮮な驚きを覚えます。

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