
靖國神社参拝問題とは、戦後日本の矛盾である。
国家のために命を捧げた人を慰霊する行為は極めて当たり前のことであり、国に命を投げ出した人たちを英雄として、丁重に祀らなければ、誰が国家のために命を懸けようと思うものか。
愛する家族と祖国の未来を守るために命を棒げた人、それが靖國神社の英霊である。日本人として英霊に感謝するのは当たり前のことである。
国難に際して、国家の命令で命を懸けて、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々に、時の首相が感謝をしない国は普通の国であろうか?
靖國神社参拝問題の結論は、明快だ。時の首相は靖國神社に内閣総理大臣として参拝すべきである。しかし、この問題の本質はけして単純ではない。
靖國神社参拝問題で解決すべき問題は4つだ。
①A級戦犯と合祀の是非/昭和天皇の靖國神社参拝中止問題を考える。
②中韓両国の執拗な内政干渉に対し国家として毅然とした態度を取れるか?
③政教分離と、習慣と宗教の違い。
④新たな国立追悼施設建設問題
②中韓両国の執拗な内政干渉に対し国家として毅然とした態度を取れるか?
③政教分離と、習慣と宗教の違い。
④新たな国立追悼施設建設問題
靖國神社問題を論じていくつもりだが、唐突だが、愛国行進曲を聴いた事がありますか?右翼の活動車(宣伝カー)以外で聴いた事がない方は意外に多いと思う。
愛国行進曲
1番
見よ東海の空明けて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の精気溌溂(せいきはつらつ)と
希望は踊る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ
2番
起て一系の大君(おおきみ)を
光と永久に頂きて
臣民我等皆共に
御稜威(みいつ)に副はむ大使命
往け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫(かお)る
3番
今幾度か我が上に
試練の嵐哮(あらしたけ)るとも
断乎と守れその正義
進まむ道は一つのみ
嗚呼悠遠(ああゆうえん)の神代より
轟く歩調受け継ぎて
大行進の行く彼方
皇国(こうこく)常に栄えあれ
もし、この歌詞に対して、違和感を覚えたのであれば、未だ東京裁判史観に呪縛されているかたではないでしょうか?

この曲が発表された昭和12年、日本は7月 盧溝橋事件・ 通州事件8月大山事件・第二次上海事変 日中戦争へ巻き込まれていったのである。この歌詞には当時の日本側の主張、正義の理由が盛り込まれています。当時の皇軍をはじめ一般市民の多くは、この日本の正義を自然なものと感じていたはずです。これを日本の侵略戦争であると未だに思われている方は、東京裁判史観を鵜呑みにして、事実を知ろうとしない不勉強な人間である。
上海事変当時、上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の三行政区域に分かれていた。自国民を守るため、米軍2800人、英国軍2600人、日本海軍陸戦隊2500人、仏軍2050人、伊軍770人がいた 。 盧溝橋事件にしても、・第二次上海事変のきっかけとなった大山事件にしても中国共産党や国民党軍が日本を中国内戦へ巻き込む為に起したものである。日本軍の軍事行動は侵略ではなく大義ある行動であったのだ。
東京裁判によって、自国民を保護する行為まで侵略戦争であると断定され、東京裁判史観から解脱できない愚かな日本人は、偏った歴史認識の呪縛に囚われている。
靖國神社参拝問題とは、戦後GHQが日本を二度と米国に刃向かうような気概を持たせない為に行った、東京裁判史観の呪縛から融けている人間と、未だにその呪縛から融けていない日本人の価値観の相違と私は思っています。
しかし、保守派を自認する私にとって靖國神社参拝問題を複雑にしている問題がある。昭和天皇陛下が1975年11月を最後に、靖國神社の参拝を中止してたまま崩御されたことだ。
1975年の三木武夫首相の参拝以来、政府要人の参拝が「公人としてか、私人としてか」をメデイアの側が問うために、参拝そのものを遠慮しているのであろうと推測しされてきた。
元侍従長の徳川義寛氏が1997年に著した、『侍従長の遺言――昭和天皇との50年』において、1978年秋に明らかになった「A級戦犯合祀」に対して陛下が不快の念をもっているためではないか、との推測が公になった。
靖国神社の合祀者名簿は、いつもは十月に(靖国)神社が出して来たものを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和五十三(一九七八)年は遅れて十一月に出して来た。「A級戦犯の十四人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、先方は「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう。
昭和六十二年八月十五日御製
この年のこの日にもまた靖国の
みやしろのことにうれひはふかし
合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものにしていただいた。
徳川氏によれぱ、昭和天皇のA級戦犯合祀への不満がそれとなく靖国神社側には伝えられていたということだし、それが1975年十一月以後に靖国神社に足をはこばない理由だったと明確に示したことにもなった。
昭和天皇はその存命中には決して参拝には行かなかったとの意味はあまりにも大きい。
2006年7月、『日本経済新聞』が富田朝彦元宮内庁長官のメモ(いわゆる富田メモ)の内容を報じた。

前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
この富田メモについて、憲法学者の百地章日本大学教授は、「公の発言ではなく非公式のメモをA級戦犯分祀論に結びつけるのは、天皇の政治利用になりかねない」と、この報道以降取り沙汰されたA級戦犯分祀論に対し懸念を示した。
ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、「メモの内容には天皇の真意が反映されているかどうか不明」とメモの解釈に懐疑的な意見を述べた。
いわゆる富田メモ該当部分だけ紙が貼り付けてあることに不自然さを感じてならない。周囲の紙と比べ比較的新しく、本当に昭和天皇が言ったかどうか分からないのではないかと私は思う『私あれ以来参拝していないそれが私の心だ』も、本当に陛下が言ったのか、証明するものではない。
昭和天皇はいわゆる「戦犯」をどうお思いになっていらしたのだろうか。
『木戸幸一日記』
八月二十九日:『戦争責任者を聯合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか』
十二月十日:『侍従長より戦争犯罪容疑者となりたる今日或は御遠慮申上ぐるにはあらずやと言上せしに、聖上は米国より見れ泄閉堺人ならんも我国にとりては功労者なり、若し遠慮する様なれば料理を届け遣せとの御誰ありしとの話を承り、感激。』
『昭和天皇独白録』
『元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る、それが圧制家の様に評判が立つたのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝らなかつたこと・又憲兵を余りに使ひ過ぎた。(中略)東条は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも思慮周密で中々良い処があつた。(中略)私は東条に同情してゐるが、強いて弁護しようと云ふのではない。只真相を明かにして置き度いから、之丈云つて置く』
『日本の息吹』二〇〇五年九月号岡崎久彦
敗戦の年の9月11日の閣議は、「戦犯」の裁判は日本の手ですることをGHQに要求することを決定したが、これに対して天皇ご自身から異議が出された。
天皇は「昨日まで朕の信頼した臣僚を朕の名において処刑することはできない」と仰せられた。このときは重光外相が「米側と交渉して成功する見込みはないが、日本が主権国家であることを主張するためです」と奏上してご了承を得ている。その後の公職追放の決定に際しても天皇は、今まで国のために忠実に働いた人々のその後の生活がどうなるかを憂慮されている。
昭和天皇の言動、歴史的経緯を考えると、東条英機元首相に対し昭和天皇は信頼していたことは間違いない。ただ、富田メモにあるように日独伊三国同盟を推進した、松岡洋右元外相・白鳥敏夫元駐伊大使、メモにはなく靖國神社に合祀されていない大島浩駐ドイツ陸軍武官に対しては、彼らが現役時代より不快感を抱いていた。
昭和天皇にとって「A級戦犯」を含めて全ての日本国民は戦時中、共に国のために尽くした人々であり、その御霊を靖国神社に祀るに際し、「A級戦犯」のみ反対されることなど想像もできないし、遂に公式には発言されなかったのである。
昭和天皇が靖國神社へ参拝しなくなった理由は、陛下ご自身の行動が政治的な判断に影響を及さないよう戦後配慮しつづけた陛下の意思と思われる。
私は陛下が参拝をお止めになった理由は合祀よりも1975年11月21日陛下の靖国参拝後に、三木首相が昭和天皇の靖國神社参拝に対して「あれは純粋に私人としていかれたんだ」と発言した方がその政治的理由は大きい。
国会で社会党の追求で自らの8月15日参拝は「私的参拝」であったと発言し、自らが私的参拝なら、陛下も私的参拝であると不遜にも発言したことが大きいのではないか?
もし、陛下が、1978年10月に行われた「A級戦犯」合祀に反対の立場で参拝をしなかったのなら、合祀直前に最後の参拝をして、その他260万余柱の英霊に最後の敬意を払うであろう。最後の参拝から合祀まで時間的余裕があったことを考えると、三木首相の「私的参拝」発言により、陛下が参拝できなくなってしまったと考えるべきです。

その後、今上天皇が参拝されていない理由は、明確に三木首相の「私的参拝」
発言と、1975年の11月20日の内閣委員会で、社会党が翌日に予定されていた昭和天皇の靖國神社御親拝を事前に問題とする質問を行ったことに対する政府答弁である。
発言と、1975年の11月20日の内閣委員会で、社会党が翌日に予定されていた昭和天皇の靖國神社御親拝を事前に問題とする質問を行ったことに対する政府答弁である。
社会党の質問に対し吉国法制局長官は
、「天皇の公式参拝は、直ちに憲法二十条第三項違反とまで言えなくとも重大な問題となる」と答弁した。昭和天皇は予定通り11月21日に御親拝になったが、天皇陛下の場合、いささかでも物議を醸す行動は許されないので、その年以降今日まで参拝されていないというのが実情である。
つづく
<余談>
白鳥敏夫元駐伊大使を調べていたら、興亜思想というHPに白鳥敏夫と外務省皇道派 と云う記事の中に面白い発見をした。
日米開戦を経て、彼はその主張を次のようにエスカレートさせた。
「今度の戦争は本質に於ては日本の八紘一宇の御皇謨とユダヤの金権世界制覇の野望との正面衝突であり、それは邪神エホバの天照大神に対する叛逆であると共に、エホバを戴くユダヤ及びフリーメーソン一味のすめらみことの地上修理固成の天業に対する叛逆行為である」(「東西戦局の大観」『盟邦評論』1944年7月号)
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC現代の日本でも、副島隆彦やベンジャミンフルフォードなどの売文家の馬鹿共が盛んに宣伝しているユダヤ陰謀説と同じ事を言っているのである。
副島と白鳥の共通点は、ヨーロッパにおける反ユダヤ思想を中途半端に理解して、日本に応用し自らの野望の道具として利用している点である。両方とも頭は悪くはないのだろうが、日本を誤った方向に導く愚か者である。




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