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高度成長の最中、多くの国民は経済成長著しく明るい未来が約束されていると信じて止まないなかった。大阪では「人類の進歩と調和」をテーマとした万国博覧会が成功裏に閉幕した直後、昭和45年11月25日市ヶ谷の自衛隊のバルコニーにて、やがて日本が今日の日本のようにかくも落ちぶれてしまうことを憂い、三島由紀夫は檄を飛ばした。
   
 
 
 
 
没後40年三島由紀夫の思想と行動の意義は、漸く日本人の心に静かに浸透し、理解されつつある。特に、北朝鮮による拉致事件の露見、ミサイル核開発行動を目の当たりにし、更に反日教育中国の台頭・尖閣島沖事件は、戦後惰眠を貪り続けた我々日本人は40年前に決起した三島の行動を見直すべき時が来たのではないだろうか?
 
「憂国」とは何か? 愛なきところには憂いはない。 自己を、家族肉親を、国を、世界を、人類を愛し、その危機を予感する時、憂いは生れる。

我々は日本を愛し、日本
の危機を憂うる。ただし、この危機に対処するためには、この国の伝統と精神を深く知り、その美しき精神を受け継がなくてはならないと思う。
 
日本人にとっては、日本という国は生きた伝統と皇統を持つ生きた統一体である。日本は近代から現代にかけ世界的な人類の進歩と歴史に貢献してきた。日本人が地球や人類に貢献してきたのは日本の伝統精神のおかげではないかと思うのであります。
 
日本の伝統・道徳・教育・思想・風俗は東京裁判史観・憲法9条を教条的に守ると叫ぶ護憲勢力など社会主義的リベラルな政治家・マスコミによってひたすら亡国への、路を辿ってしまったのである。
 
40年以上前にこの日本の嘆かわしい未来を見ぬいていて、日本を愛するが故に日本を憂うる.三島由紀夫の「憂国の思想と行動」が生れたのであろう。
三島の憂国の構神は、捨身と献身は日本の誇るべき伝統である。三島は生前、「自分の行動は2~300年後でなければ理解されないだろう」と書いていたが、平成23年三島の憂国の精神は既に眩しい。
 
本書は、三島由紀夫が何を憂い、三島没後 楯の会の母体となった日本学生同盟・民族派学生運動・重遠社の関係者の方々がいかに三島の精神を保ち40年間何を考えてきたかを知る貴重な資料である。
 
戦後知識人は何から逃げたのか 宮崎正弘
p249~254
戦後知識人が逃げたものとは大恋愛小説、古典、日本精神である。
その替わりに作家らが追ったのはサスペンス、セックス、殺人トリック、社会派、都市犯罪、マネーゲーム、猟奇、失われた世代である。文壇に『豊饒の海』の本格評論が少ないのも宜(むべ)なるかな。怖くて評論できないか、理解不能か?

そこには恋愛の成立しないロボット社会、情緒が乏しく、ゲーム感覚としての人生があり、文学のテーマたる『死』が遠景になり、日常生活の隣には長寿、医療福祉があった。日本はすでに三島が予言したように「日本ではない」、「ニュートラルな」「無機的な」国家に転落していた。

GHQによる日本精神の壊滅と去勢、洗脳。男は女になり、女は男になり、生存本能に乏しく、少子化現象をうんだ。

「死」から逃亡した現代の日本人には特攻の精神が分からず、したがって三島の『英霊の聲』はおそらく一番読まれない作品だろう。

日本人には明日、死ぬかもしれないという戦争状態がないために、ぎりぎりの瞬間という人生の燃焼がなく、大恋愛も遠くへ去り、日々の生活にも大事な緊張を失い、ハングリー精神を欠落させ、精神を萎えさせている。そんな若者はまっすぐな、純粋な、まっしぐらな考え方に惹かれない。いつも歪んで、斜に構えて社会を見ている。

戦後の過保護的なまでの生命保険とか、福祉、失業保険、生活保護は明らかに制度的に日本人を堕落させた。四川省大地震で肉親を失っても翌日からもりもり食べる中国人と比較して、どちらに生命力があるか一目瞭然だろう。
こうして「立ちすくむ日本」「劣化する日本人」が形成されてきた。
独立国家の原則とは自主憲法、自主防衛、領土保全、そして独自の教育である。国家の自立要素である。

主権とは国家の決定を自分で行う権利である。

GHQと左翼が呼応した結果、精神、歴史教育、国語が乱れ、武士道、道徳、歴史観(地誌を含み)などがアメリカ化し、「戦後レジューム」礼賛体制となる。その典型は朝日新聞、これにさからった安倍晋三政権は戦後レジューム翼賛勢力によって横倒しにされた。

フェミニズムヘの誤解は男女共同参画法を成立させ、かの勢力はつぎに外国人参政権、移民一千万人受け入れ計画という、とんでもないたくらみを抱く。国技は外国人が担い、非伝統的なサッカーや音楽も無国籍化し、浄瑠璃、長唄、清元は顧みられず、歌舞伎は一部のマニアックなファンのみとなって国家予算でかろうじて生き延びる。

三島がスポーツ新聞の腕章を借りて毎日のように見学に通ったという東京五輸までは、ナショナリズムの高揚があった。

旧軍の精神訓謡も、特攻の遺産も戦後しばらくは日本に残っていた。それゆえGHQが去ると、乃木希典大将、明治天皇、日清日露戦争の映画がどっと出た。教育も戦前の教育を受けた人が教壇に立って、立ち居振る舞いで道徳を教えた一時期があった。しかし、経済発展は一方において地域から伝統的な農業儀式を消滅させ、伝統は顧みられず人間関係はドライになった。

工業化、都市化は伝統的な日本の農耕文明的コミュニティを損壊し、ムラの祭りを嬢小化し、都会の殺風景な人間関係、ぎすぎすした隣人関係を生んだ。
そして日本全体が本質の議論を避けた。戦後知識人は三島由紀夫から逃げたのだ。

いまの日本の安保論議に欠けるのは、基本的に外国の軍隊がなぜ主権国家のなかにいるのか?徴兵制が復活せず、北朝鮮の国家的犯罪である拉致に無力なのは何故かという根本の議論がないことだ。
 
改憲論議に欠けるものは、そもそも二千六百年の長い歴史を誇る我が国に成文憲法が必要か、聖徳太子の十七条憲法に復帰すれば良いのではないかという歴史の視野をもった議論である。現行憲法は国際法違反、無効宣言で済む。領土論議にしても軍事力を行使して奪回しない限り領土は戻らない。
そうした軍事の視点がない。
 
歴史教育も、国語の乱れもしかり。三鳥は戦後日本人が逃げたものを逆に追った。それが『文化防衡論』、『反革命宣言』、『葉隠入門』、『撤』、そして『革命哲学としての陽明学』という一連の作品群であり、文学的には輪廻転生と仏教哲学、無の境地を描く『豊饒の海』である。
三島は文学論として古今集へ還れ生言い残した。
 
武士の名誉
 
三島由紀夫は生前に幾つかの予言的を言辞を残したが、ここでは三つの「予言」を取り上げる。

第一は「軍人の栄誉」である。
最近も田母神俊雄元空幕長が「日本が侵略国家といわれるのは言いがかりだ」と懸賞論文を書いて特賞を獲得したら、たちまち退官を余儀なくされた。

三島は「栄誉の絆でつなげ菊と刀」と書き残した。名誉を認められなければ軍人は本分を発揮できず、国のために死地に赴くことは出来ない。いまの日本の白衛隊はサラリーマン化しており、とても国際基準でいうところの軍隊とは言えない。

そればかりか戦争が勃発する危険性を想定しておらず、海外派兵となると尻込みする隊員がでる始末だ。予備役に登録する退役白衡官が驚くほど少なくなっている。

シビリアン.コントロールについても政府が人事にまで容唆することを意味しておらず、率直に言って日本の軍隊は国際的基準の「軍隊」ではない。これらの根本問題を等閑視しているからだ。
 
第二は「日本が日本でなくなる日」の到来である。
サンケイ新聞の昭和四十五年七月七日付け夕刊に、さりげなく三島は遺書代わりのエッセイを書きのこした。
 
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」
(「私の中の二十五年――果たし得ていない約束」)。
 
その日はついにやってきた。
まるで日本精神を理解しない政治家、ジャーナリスト、文化人。彼らの移しい劣化を見よ。日本はアジアの優等生どころかマレーシアやインドネシアの指導者から「もっとしっかりしろ、いっまで反省ばかりしているのか」と叱唯される体たらくだ。日米同盟はいつしか形骸化して、ワシントンは東京の頭越しに北京との関係を重視するようになった。つまり、「日米関係は米中関係の従属関数」(田久保忠衛氏一に陥落しているのだ。

第三は「東大を動物園にしろ」と昭和四十四年新春に三島は『文嚢春秋』に書いたが、それをしなかったツケが回っている。

すなわち三島が比瞼したのは日本の最高のエリートとされる東大法学部卒業生-周恩来が批判的に表現した「法匪」-が、日本の官界をリードし、支配し、法律が日本を非日本化したのである。

法律さえつくれば改革は完成という面妖な発想は、エリート意識が突き出て、すべてを法律の制定でコト足れりとする考え方だ。

経済政策にしてもアメリカ流のヴィジョンとデザイン重視、現場の声はすこしも反映されていない。

改憲は横に置かれ、核武装論はその是非を問う論争さえが封じ込められ、軍は名誉を回復されず、モラルは地に落ち、倫理は希薄となり、倫理無き資本主義、市場原理優先主義が暴走し、M&A、ヘッジファンド、デリバティブが日本の資本市場をついに根底的に壊した。2008年のリーマンブラザーズ、AIGなどの決壊はウォール街の自由市場原則主義が倒壊した事を意味し、明日の日本が立
ち直れるか、どうかの象徴的出来事となった。まさに三島の予言通りではないか。
 
三島由紀夫の『英霊の聲』にある有名な一節
 
 
掛けまくもあやに畏(かしこ)き すめらみ ことに伏して奏(まお)さく
今、四海必ずしも波穏やかならねど、日の本のやまとの国は 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の世をば現じ 
御仁徳の下、平和は世にみちみち 
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交わし 
利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ 
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、邪まなる戦のみ陰にはびこり 
夫婦朋友も信ずる能わず 
いつわりの人間主義をたつきの糧となし偽善の団欒は世をおおい力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、若人らは咽喉元をしめつけられつつ 
怠惰と麻薬と闘争に 
かつまた望みなき小志の道へ 
羊のごとく歩みを揃え、快楽もその実を失い、信義もその力を喪い、魂は悉く腐蝕せられ 
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をぱ、道徳の名の下に天下にひろげ 
真実はおおいかくされ、真情は病み、道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく なべてに痴呆の笑いは浸潤し 
魂の死は行人の額に透かし見られ、よろこびも悲しみも須臾(しゅゆ)にして去 
清純は商われ、淫蕩は衰え、ただ金よ金よと思いめぐらせば 
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、世に背く者は背く者の流派に、生かしこげの安住の宿りを営み、世に時めく者は自己満足の いぎたなき鼻孔をふくらませ、ふたたび衰えたる美は天下を風靡し 
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、大ビルは建てども大義は崩壊し 
その窓々は欲求不満の螢光燈に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモッグに曇り感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、烈しきもの、雄々しき魂は地を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み 
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。
かかる日に、などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし・・・・
 
三島の嘆きの根本には天皇陛下による人間宣言が強く影響している。
三島を語るときに遺作となった「豊穣の海」4部作とこの「英霊の聲」は参考になると思う。