
(4)「血も家も」
p173~174
p173~174
イデオロギーが成立する戦国時代が終了して江戸幕府が成立すると、時代の趨勢は、動乱から安定へと変化していきます。武士たちは貴族の世界を模倣するように儀礼の世界を作り上げ、毎年くり返される年中行事に明け暮れるようになります。伝統や先例が重んじられ、世襲を根本の原理とする社会が形成される。過去の時代と決定的に異なるのは、罪を犯したならば司直の手により罰せられるようになったこと。それゆえに犯罪は減少して、曲がりなりにも平和な毎日が到来したことです。
興味深い数字があります。一六〇〇年にはおよそ一千万人だった日本の人口は、江戸時代になると値は急激な仲びを示し、一七〇〇年には二千五百万人に膨れあがりました。十七世紀に人口爆発が起こっているのです。国力と人口は密接な連関を示す。それは現代の世界を見ても明らかでしょう。遠くない将来、多くの国民を抱える中国とインドが特別な発言力を行使し始めるだろう、とは衆目の一致する観測です。
そうとすれば、江戸時代は中世に倍する国力を有していた、と大まかに捉えることができるかもしれません。人々は江戸幕府が提示した理念を受け容れ、だから祉会生活は安定し、人口が急速に増える。その理念とは、武士・村落民・都市民(士・農・工・商という言い方は、以前のものになっているようです)の身分の固定と、世襲に他なりません。
農民に生まれたら農民になるほかない。大工などの子として都市部に生まれたら、職人になるか商家に奉公するか。支配社会層である武士にしても、出世は干難の業で、たいていは父親の人生をなぞるだけ。そうした毎日は確かにうっとうしいものだったでしょうが、そこには少なくとも平和があった。自由をあきらめる代わりに、今までにはない安全を獲得する。江戸時代の人々は、そうした選択をしたのだと思います。
(1)明治維新はやはり特異である
p186~190
これまで述べてきたように、日本の社会は平安時代から一干年の間、世襲に童きを置いて歩んできました。これだけ長時間にわたる強固な価値観なのですから、内発的な事件や指向性の変動では、それを改変することはおそらく難しかったでしょう。
ところが江戸時代末、突如として黒船がやってきた。帝国主義列強の脅威が眼前に迫ったのです。この外圧に晒されて、日本は初めて変わる決意をする。それも、独りよがりな改革ではなく、他者[諸外国の視点に立った変化を遂げていく。それが明治維新です。
明治維新の意義については、それこそ様々な研究があり、言及がなされています。中には、いや改革とはいうけれど、日本はちっとも変わっていない、との極論まであります。
ここでは、これまでに見てきた「世襲と才能」の観点から考えてみたい。すると、やはり明治維新は、日本史上で最大の変革であるといわざるを得ない。明治政府は、初めて官僚によって運営されました。高官たちは下級武士の出身者がほとんどで、才能を根拠として登用されています。そこには世襲の論理がないのです。全国の大名は身分を剥奪され、家格は否定され、士・農・工・商の別もなくなりました。才能を磨くことによって、立身出世が可能な世の中になったのです。明治の元勲たちの動向を見ていると、子どものために財産は残しても、政治的な依怙贔屓をしていないのに意外の感を受けます。大久保利通の子や伊藤博文の子ですら大臣になっていません。長州閥の領袖として悪名高いあの山県有朋も、跡取り(甥を養子に迎えています)の将来に便宜を図るような振る舞いはしていません。「子孫の為に美田を買わず」は西郷隆盛のことばですが、元勲たちはそれに倣っているのです。富国強兵、文明開化。それを成し遂げなければ日本は植民地になってしまうかもしれない。国を挙げての取り組みが為されます。その手段として、世襲は否定され、才能の重視が実現するのです。けれども、やはり日本社会は長いあいだ世襲で動いてきている。支配者層=官僚組織は才能を拠り所にするけれども、そのありようはすぐには民衆の理解を得られない。ここに、「官と民」の対立の萌芽が生まれてしまいます。また、この対立は「都市部と農村部」の対立にすぐにも転化する可能性を秘めている。
そこで明治政府は天皇を前而に押し出したのではないでしょうか。伝統、古き良き日本、そして世襲を一身に体現する
天皇を、です。天皇を中心とする国家作りを掲げることにより、「天皇(原理は世襲)-官(原理は才能)一民(原理は世襲)」とすることにより、一才能の官と世襲の民」の対立の図式は避けられるのです。
加えて明治政府は、刻苦勉励して才能を磨けぱ、民はいつでも官の仲間人りができる、というモデルを作って見せました。学校を建て、教育の実践に努力を傾注したのです。天皇の擁立、官と氏とを結ぶルートの形成。これにより、社会の安定が図られました。ただ、ここで「天皇-官」にも微妙な問題が生まれました。
というのは、君主とそれを支える官僚組織、という構図はそれこそ世界の至る所にあったわけで、日本のアイデンティテイを確立するのに寄与してくれません。そこで注目されたのが、『古事記』などの日本の古典を重視し、研究していた国学です。江戸時代後期に盛んになった国学の主張を取り入れ、天照大神から血縁で連綿とつながる比類のない天皇家。その「万世一系」の天皇家を戴く、他国に例のない日本が強調されることになったのです。国学の考え方は、日本のすがたを見つめる知識人に広く浸透していました。島崎藤村は「夜明け前」の主人公、青山半蔵を、古代以来の天皇を敬慕する人として活写しています。ここでは、時に極端な主張をする人なので例として不適切かもしれませんが、吉田松陰の論を紹介します。安政の大獄で刑死した思想家(もともとは兵学者)・教育者で、明治の元勲に多大な影響を与えました。「日本では天下は天皇一人の天下である(後述する『呂氏春秋』に対応することば)・もし暴虐の天皇が出現しても、その方を討つようなことは、中国にはあっても、日本にあってはならない。全国の民は皇居の前にひれ伏して天皇の改心を祈るだけで、怒った天皇が民を片端から殺し始めたら、最後の一人までただ祈りっづけるのだ」(『丙辰幽室文稿』)徳のない天皇は討伐して良し、とする中国流の「易姑革命」はまちがっている。ですから天皇はおのずと「万世一系」となります。われわれ臣民は無条件に、「万世一系」の天皇に命をさしださねばならない!うーん、すごい理屈もあったものです。
(4)世襲と才能の現在
p202~206
戦後日本は、宗主国米国によって内政を統制され国家としての矜持を忘れ去られてきました。
しかしながら、今後100年中国に対処するには米国との強調は必要だと私は思っています。ネットには擬似保守主義者からである反米左翼まで雑多な意見が出回っています。そのなかに、皇室を中心とした日本を批判したり、天皇は万世一系ではないから皇室をなくせとの意見を書いているブロガーがいる。
私は、日本のネット世論に中共の影を見てしまう。中共の国益は日米離反であり、皇室を無くす事はもっとも効果的な日本の破壊である。
安易な反米と皇室批判は中共の工作員によるネット世論誘導を疑うべきではないだろうか?
私は保守思想を自認していますが、消極的親米保守主義者です。太平洋戦争に敗れた後、天皇は元首から象徴になりました。私はこの変貌により、日本社会における天皇の位置はより確固たるものになったのではないかと思っています。というのは、これまで述べてきたように、天皇や将軍、組織のトップが実権力を振るわないのが、日本の伝統的なあり方だったからです。
世襲を体現しながら、現実的な権力とは別次元にいる。そうした象徴天皇制は、驚くほど高い国民の支持を受けています。問題はやはり「万世一系」でしょう。男女平等がこれだけ根付いた状況で一夫多妻を認めよ、というのは乱暴な話ですから、皇室は常に後継者問題に頭を悩ませることになります。男性天皇とか男系天皇に固執すればより一層、解決は困難になっていくでしょう。
これはあくまでも私の考えにすぎませんが、本書で書いてきたことと関連して、
①万世一系は明治維新において強調された概念であること。
②日本は世界の中で、すでにきちんと座を占めている。つまり、もう無理やりにアイデンティティを強調する必要がないこと。
それに加えて、
③さすがに天照大神や神武天皇の物語は歴史事実ではなく、神話であると多くの人が認識していること。
も考慮した時に、もはや「万世一系」にこだわる必要はないように思いますが、どうでしょうか。むろん、そうした論議は専門の方々にお任せしますけれども。
我が身により切実に関わりのある、深刻な課題は、世襲と才能の連関です。明治維新のときはのように「天皇と官と民」でしたが、戦後は天皇がここから後退し、政治家が登場してくる。「政治家と官と民」です。日本の歴史ではあまり明瞭に区分されなかった政治家と官僚とが、やっと並び立つのです。ところが日本人はあくまでも世襲に弱いらしく、この政治家がどんどん世襲されていく。二代つづく国会議員は当たり前、三世や四世までいる。しかも中には地方自治体の市会議員・県会議員も世襲で、その上に国会議員が乗る、というように、がちがちの権力構造ができているところまである。これではほとんど、江戸時代の藩の権力と変わるところがありません。
でもそれでも世襲批判はそれほど熱を帯びない。ジャーナリズムが記事にしてもそれが盛り上がりをみせない。日本人はよほど、世襲に寛容とみえます。世襲の原理がDNAに組み込まれているのでしょうか。
たしかに「はじめに」で記したように、才能だけに依拠していては、一人の勝者を生みだすために、九人の敗者が犠牲になることになりかねません。あるいは、競争が激化すれば、九人が九十九人になる事態もあり得るのかもしれない。歴史を参照すると、そうした厳しい競争は、日本人には向いていないといえるでしょう。日本の歴史では、こんなにはっきりと才能の結集を呼びかけた人物はいませんでした。
せいぜい織田信長が、それに近いことをやっているくらいです。日本社会は古くから、才能の用い方に習熟していない。だから第一章で見たように年功序列があったり、世襲があつたり。絶えず争いつづけるぎすぎすした人問関係ではなく、まったりとしたコミュニティを指向するのでしょう。ただし、前近代ならばそれでも構わないのかもしれませんが、いまは何しろ「グローバリゼーシヨン」の時代です。絶えず世界の動向に気を配り、世界と競争していかねばならない。そのときに世襲だけでは、とても太刀打ちできないのではないか。これも「はじめに」で記したように、世襲で発言力を得た政治家が、しきりに公務員を叩いて票を獲得しようとしていますが、せっかく明治維新が作りだした官僚機構をつぶしてしまって良いのでしょうか。とてももったいない気が、私にはするのですが。
世襲議員と中央官庁の上級公務員=官僚と。その限りで話をすれば、世襲議員には私たちはなれません。天運です。でも努力して勉強すれば、官僚にはなれるのです。ならなかったのは、もつぱら私たちの側に理由があるのです。父祖譲りの地盤を受け継いで選挙を勝つて、「民主的」だと称する世襲議員と、子どもの頃から一生懸命勉強して・何度もの試験をくぐり抜け、職場でも鍛えられてきた官僚と。世界とやり合う戦力としてどちらを信用するか、と問われれば、ぼくは文句なしに官僚の能力の方を支持しますけれども。でもそれは少数派ですね。
戦後日本は、宗主国米国によって内政を統制され国家としての矜持を忘れ去られてきました。
しかしながら、今後100年中国に対処するには米国との強調は必要だと私は思っています。ネットには擬似保守主義者からである反米左翼まで雑多な意見が出回っています。そのなかに、皇室を中心とした日本を批判したり、天皇は万世一系ではないから皇室をなくせとの意見を書いているブロガーがいる。
私は、日本のネット世論に中共の影を見てしまう。中共の国益は日米離反であり、皇室を無くす事はもっとも効果的な日本の破壊である。
安易な反米と皇室批判は中共の工作員によるネット世論誘導を疑うべきではないだろうか?

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