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ちょっと小難しい本でしたが進化論の最前線を理解したような気になりました。

生物とは、世代を経ることにより少しづつ環境に適用して変化をするとともに、世代を経なくとも環境に順応するものらしい。そしてある時一つの系統から一挙に多数の種が分岐するタイプの進化枝分かれし近親種が雑交配するなかで突然DNAの過去の組み換えパターンで新しい種が誕生するらしい・・・

話が少しだけ脱線しますが、わたくしは会社帰りに週に5日ほど近くのスポーツクラブの25mプールで泳いでおります。

熱心な方だとは思いますが私などは初心者もいいところです。元水泳部の方かは存じませんが同じプールでマスターズ選手権に出場する為熱心に泳いでいる方がいまず。彼らはけして若者ばかりではないのですが、イルカショーのイルカのように泳ぐのです。スタミナといい、いつ空気を吸っているのか不明な泳ぎをするのです。彼らの泳ぎ方はイルカか新種の水棲哺乳類のように見えます。私は1000mを30分前後
で泳いでいますが、あきらかに私とは別な生き物のようにも見えるのです。

水から上がったその生き物達は雄にもかかわらずバストがCカップくらいに筋肉が盛り上がっているのです。また雌は他の雌よりスリムで筋肉質で、カバ池(ウォーキング専用レーン)を歩く中年の太った雌とは別な種類の生き物としか思えません。

スポーツクラブでの経験から生物は世代を経なくてもカ環境に適用していくのではないかと常日頃感じていました。進化論のネオダーウィズニストが言うように世代を経なくても十分に適用していくはずだと思います・・・ 

とすれば・・・仮に地球上に放射能がばら撒かれたとしても間違いなく生物はそれに適応していくはずです。

進化論からすると人間が同じ地域に住んでいたと仮定して、放射能に不安なグループと、そうではないグループ分けをした場合、死ぬ確率が高くなるのは(不適応)放射能が心配でならないグループではないかと思います。あまり気にしないで生活するグループの方が比較的生きする確率が高くなるような気がします。放射能が心配で仕方がないグループは心理的ストレスに曝され長生きできないのではないかという仮説です。どなたか実験してみてはいかがでしょうか?いいテーマになると思います。

以上は本文に書いてありませんが、本書を読み終わった後、最近の原発騒ぎでふと思った感想です。

ではいつものように、本書のキーとなる部分を私の覚書としてコピペしておきます。

ネオダーウィズムの矛盾として、人の無毛の矛盾を島泰三氏の「裸の起源」を用い批判しています。毛皮を纏っていたとはいえ確かに1万5千年前まで続いた氷河期に人間が無毛でいるのは適者生存自然選択の適応のネオダーウィズムでは説明できない。

p46-49
ダーウイン自身は、はだかは自然選択では説明できないことをよく分かっており、代わりに性選択という理屈を持ち出している。単純に言えば、昔の男は体毛の薄い女を好み、女はひげの濃い男を好んだので、ヒトの体は男のひげを残して徐々にはだかになっていった、というわけだ。性選択という理屈は、自然選択による理由づけが破綻した時にネオダーウィニストが持ち出す奥の手だが、ヒトのはだかを性選択で説明するのはさすがに無理であろう。

性選択が、適応とは余り関係がない装飾的な形質にかかるというのであれば、話はわからぬわけでもないが、ヒトのはだかは決定的に非適応的な形質である。島は前掲の本のなかで、性選択によるはだかの進化、というダーウィンの説を徹底的に批判している。

それではヒトのはだかはいかにして進化したのか。何か良い代案はないのか。まず島の説を紹介しよう。島は現代人類にははだかと並ぶもう一つの不利な形質があることにまず言及する。それは言葉を発する機構である。ヒトは喉頭の位置が低く、楽に口から息を吐き出せる。チンパンジーは喉頭の位置が高いので吐いた息は鼻から抜ける。こののどの解剖学的な構造の違いが、ヒトは話せるがチンパンジーは話せない原因の一つである。しかし、発話に有利なこの構造は食物の摂取には不便である。ヒトは注意しないとのどに食物がつまって窒息死する危険があるのだ。言葉を発しない動物であれば、この構造上の変異は極めて不利であろう。

島ははだかとのどの構造変化という二つの不適な形質が、同時に突然変異によって重複して起こり、さらに言葉をあやつるための神経系の発達や、発話のための肺や口の周りの筋肉の発達がいっぺんに起こったと考えている。その結果、言語を獲得して、「重複する偶然」が「不適者の生存」を実現したというわけだ。

だから、この重複する偶然は極めて稀な出来事で人類史の中でホモ・サピエンスに一回のみ起きた特殊事情だと主張しており、その時期を二〇万~三〇万年前だと推定している。

なかなか魅力的な仮説ではあるが問題がないわけではない。いくつかの突然変異が重複して起きたとしても、もし、これらの突然変異がそれぞれの遺伝子たちの突然変異により引き起こされているのであれば、有性生殖の結果、これらの遺伝子たちはしばらくたつとバラバラに分かれてしまう。従って二つの突然変異を共に持つ個体が集団中に拡がるためには、極めて強い選択が働く必要がある。しかし、言語を獲得して、さらに毛皮を持っている個体の方が、重複個体より有利であることに変わりはないから、「重複する偶然」仮説が成立するためには、集団中のすべて、または相当数に、同時に重複突然変異が起こる必要がある。しかし、これは重複突然変異が極めて稀な出来事であったという話と矛盾する。

個々の遺伝子一遺伝子たち一が個々の形質の原因のすべてであるというパラダイムを棄却しない限り、実はこの問題は解けないと私は思う。別言すれば、ヒトの無毛化と言語の獲得が同時に起きたとしても、この二つの変化は偶然の重複ではなく、互いに他を拘束する変化と考えなければならないと思う。言語を獲得するような脳の発育プロセスと無毛化のプロセスは強い相関を持ち、独立に生じたわけではないと考えれば、ヒトのはだかが非適応的な形質であったとしても別に不思議ではない。

言語を持つことは極めて適応的なので、それに随伴して裸化が起きても、トータルなシステムとして生存可能であれば、自然選択は裸化のみを淘汰することはできないのだ。

最近、東アジアによくみられるシャベル型の切歯と緑の黒髪の遺伝子がリンクしているという研究が発表された。東アジア系の人の八割はシャベル型の切歯をもっている。それは第二染色体のEDARという遺伝子の発現と強く関係していて、この遺伝子は同時に緑の黒髪を作るプロセスにも強く相関しているという。一つの遺伝子が二つ以上の形質発現に関係しているとすると、ある形質が非適応的でも、別の形質が適応的ならば非適応的な形質も適応的な形質の副産物として存在し続けることが可能であろう。はだかもそういった形質のひとつなのではないだろうか。もっとも、はだかが何の副産物として生じたかは推論の域を出ないが、言語の獲得あるいは脳の巨大化と関係があるのではないかと私は思っている。

ヒトの裸化について長々と説明してきたが、進化一般を考えるためには、ネオダーウィニズムのスキームを超えるシステム自体の進化について考えなければならない。自然選択は常にシステムが具現化した結果としての全体的な形質パターンにかかるのである。現在、ネオダーウィニズム的プロセス以外の進化プロセスがあることは徐々に常識になりつつある。次章ではそれについて述べよう。

p108-110
ネオダーウイニストの教義によれば、自然選択による進化とは、同一繁殖集団中の対立遺伝子の頻度変化のことだ。ネオダーウィニズムの考えによれば、遺伝する変異の原因は遺伝子の突然変異だけであり、しかもその結果生じる形態の変化は、ほとんどが周りの個体と交配可能な微細なものなので(交配不可能なほどの突然変異は子孫を残せず消減するので)、もし変異が適応的であれば、変異(の原因となる遺伝子)は交配を通して徐々に集団中に拡がり、この繰り返しで、生物の形態は大きく変化するはずだ。だから生物の形を大きく変化させる原因のひとつは自然選択ということになるわけだ(もうひとつは突然変異)。

重要なポイントは二つあって、一つは一回の変異が微細であること。一つは有性生殖集団であること。この文脈では同一繁殖集団は進化的運命共同体なのだ。

時間と共に集団の形態はどんどん変化してゆくことはあっても、二っの種に分岐することはない。分岐するためには、何らかの原因で物理的に生殖隔離が生じ、二つ以上の繁殖集団に分かれる必要がある。

そこでネオダーウィニズムは、最も基本的な種分岐の様式として、異所的種分岐を擁護することになる。もっとも、変異を遺伝子に還元しなかった(というより、遺伝子の存在を知らなかった)ダーウィン自身は同所的種分岐もあり得ることだと述べている。二つ以上の異なった繁殖集団は、それぞれが異なる進化的運命共同体なので、長い時間の後に別種になると考えるのだ。

故に自然選択は種を作る力があるというわけなのであろう。自然選択が形態を変化させる力があると言い得るのは、微細な変異を自然選択が集積する限りにおいてなのである。
p116-118
ネオダーウィニズムの文脈では、生物は突然変異と自然選択により徐々に適応的になっていく。ここでは生物はもっぱら受身の役割しか与えられていない。しかし、変異した生物、特に動物は白分に最もふさわしい生息場所や食性を選択することもあるわけで、この場合は、生物は最も適した環境を探すことにより、速やかに環境に適応するようになると思われる。そうなると、同一繁殖集団の中での変異体の適応度が少し高いために、変異体の比率が徐々に増加して、生物は環境に適応的になるといった古典的なネオダーウィニズムのお話とは全く異なる事態が進行することになる。同所的種分岐により速やかに生息場所や食性の転換が起こる機作は、生物
の側の主体的な選択プロセスを抜きには説明できないように思われる。

さて、最後の問題は、同所的種分岐が普遍的なものであるとして、有性生殖種において、オリジナルタイプとは異なる亜集団(創設者集団)が速やかに立ち上がるメカニズムである。まず何であれ、複数の同タイプの変異体が現われる必要がある。

ひとつの可能性は今述べた交雑による新種の形成。次は同一集団内で変異体が性的コミュニケーションを変化させ、交尾前隔離がまず成立し、形態や行動がその後で変化するタイプの種分岐、さらには、DNA配列に逆位が起きた変異体が生じて、交配可能でありながら同所的種分岐が起きる可能性である。これらには実証例があさらなる可能性としては、遺伝的同化の所で述べたように、環境変動にゲノムが反応して、集団中にある確率で同じ表現型をもつ個体が複数出現することであろう。

この表現型がオリジナルタイプとは異なる生活要求を持てば、互いに集まって亜集団を形成すると考えられる。同じ表現型を有する個体同士の交配確率は高くなるであろうから、遺伝的同化の結果、亜集団は短期間に別タイプの生物に進化するであろう。これが同所的種分岐を帰結するであろうことは容易に予想できる。
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