2011.8.25 18:29 (1/2ページ)
芸歴30年余り、民放各局に数多くのレギュラー番組を持つ大物タレント、島田紳助さん(55)が突如芸能界を引退した。23日深夜の緊急会見で辞める理由を「暴力団関係者との親密な関係」と話したが、納得した人がどれだけいるだろうか。「お客への最大限のサービス」は、芸人として最後まで全うするのが礼儀。長年人気を支えてきた視聴者に対し、説明を十分に尽くすべきだ。(SANKEI EXPRESS)

紳助さんは、明石家さんまと並ぶこの世代の突出したエースだった。

漫才ブームをけん引した「紳助・竜介」のツッパリ漫才の斬新さ、後輩の「ダウンタウン」の漫才を見て「こいつらにはかなわん」とコンビをあっさり解消した潔さ、報道番組の司会、映画監督、音楽ユニットのプロデュースなど新分野に飛びこむフットワークの良さ。好き嫌いは別にして、同年代として常に気になるタレントだった。

近年、テレビのお笑い番組は、私生活の過剰な暴露、瞬間芸、変な顔など、本来の意味で「芸」とは言い難いネタが幅を利かせている。

それらも芸、と言う向きもあるかもしれないが、要は程度の問題だ。結果として芸人たちはどんどん小粒化し、消費され、飽きられてあっという間に消えてゆく。芸人の多くは「笑わせる」のではなく、専ら「笑われる」存在になりつつある。

紳助さんは、反射神経と言葉感覚の鋭さを武器に、「笑わせる」ことができる数少ない芸人だった。その上、対抗できる若手が育ってこないため、彼への番組依存度は高まる一方だった。

2004年、吉本興業の女性社員を殴ってけがをさせる事件を起こしたが、約2カ月間の活動自粛を経て復帰し、以前にも増して活躍した。テレビ各局は「紳助さん引退」のニュースを、民主党代表選などを差し置いてトップで報じた。

苦しいとき、笑うことで少し救われたという経験は多くの人が持っているだろう。「笑い」は私たちの日常生活で一定の効能を果たしている。

次々と苦難が襲いかかり先行きが見通せないこの時代に、笑うことの重要性は一層増しているのではないか。そのための身近な手段であるテレビ番組の、優れた担い手の一人が消えるのは残念だ。

唐突な引退宣言は、いや応なく余計な臆測を生む。ネット上では、既に引退理由の無責任な詮索があふれている。

「十数年前のトラブル」とは何か、解決してもらった暴力団関係者へのお礼はどうしたのか、そして何より、なぜ今「引退」なのか。一視聴者として疑問は尽きない。彼の卓越したキャリアを汚さないためにも、「一瞬てっぺんに立ったから悔いはない」などときれい事で終わらせず、きちんと説明してもらいたい。
私は、暴力団を擁護するわけではないが、今回の引退騒動は日本社会を蝕む異常なニューマ(空気)の表れと思えてならない。
私は紳助のトークが大好きである。何故彼の話が面白いか?彼の話には優しさと厳しさ、人生の奥深さを感じる。
社会は裏も有れば表もある。それが社会なのだ。
今の日本は徹底して暴力団追放のファシズムが吹き荒れている。
まるで病原菌を恐れ何度も何度も病的に手を洗い、歯を磨きすぎて出血する潔癖症患者のような気がしてならない。
どんなに手を洗おうと、手には病原菌は必ず残る。潔癖症患者は菌の存在を認めようとしないのだ。
この世には菌は存在する。けして無くならないのだ。菌と共存する社会であるべきだと私は思えてならない。
島田紳助は社会の裏表を知っているからこそトークが面白いのだ。ところが少しでも裏社会と付き合うと全て排除する。その風潮が異常としか思えない。
日本が活力を失っている原因の一つは暴対法を導入してしまったことも一つの一因なのだ。
裏社会は社会の底辺を支える存在でもあるのだ。社会の底辺を支えていた任侠・テキヤ・博徒を排除するが故に社会が壊れるのである。
そのことに何故気がつかないのだろう?
社会の底辺を支える任侠達の存在を認めない日本社会は異常なのだ。認めないからこそ今の日本社会が崩壊しているのである。
どんなに手を洗おうと空気中には病原菌は存在する。菌は上手く使えば人間の役に立つのだ。細菌が無ければお酒やパン・醤油味噌は発酵しない。
暴力団とはいえ人間としてこの世の中に存在するのだ。
任侠の人達を100%排除してはいけない。社会の底辺の秩序をなくせば、中国人マフィアや朝鮮人達が日本の底辺を支配する事になってしまうのだ。
島田紳助は引退すべきではない。
紳助と暴力団の交際を追求するマスコミや評論家の言説の方が異常なのだ!
日本人の潔癖症はプラスにはたらくこともあるが、原発の放射能に対するあの過剰な反応は異常だ。放射能は排出されたとはいえ人体に即影響を与える以上に福島県に風評被害を与えているのだ。
日本人の過剰な反応は稀代の芸人を闇に葬ってしまったのだ。社会的損失である。
芸人や相撲取りに潔癖を求める方が異常だ。芸能界や相撲取りは、暴力団とも繋がりがある卑しい人間であると認めればいいだけではないか。
戦前の芸人は博徒同様社会の底辺で市民のあぶれ者として卑しい生き物として扱われてきた。芸能人などTVに出て偉そうにしていたりチヤホヤされている人間は偉いのではなく、社会の底辺で生きている職業を持つ人間であると皆で再認識すればいいだけではないのか?
日本の文明文化論的に言えば、他人を嫉み足を引っ張ろうとする悪癖によって日本は過去多くの間違いを冒してきたのである。今回の暴力団との付き合いがどの程度であったかは私は知らない。だが、興業に関するビジネスは江戸時代より任侠博徒達が利害調整を図ってきたのだ。そういった歴史認識があるならば、たかが相撲取りや漫才師ごときに聖人君主気取りを求める側がおかしいのだ!
TVに出ている芸人は卑しい生き物であると皆で再認識すれば紳助は芸能界を引退する必要などまるでない。
島田紳助の引退騒動は日本文明の衰退と共振するのではないかと、私は強い懸念を抱くものであります。