
本書は私が朝鮮戦争に関して多くの誤解をしていた事を気がつかせた。
その多くは従来世間的に流布している「マッカーサーが原爆使用の認可を求め第三次世界大戦を起しかねないと解任したトルーマンという構図」であった、そしてマッカーサーとGHQが日本を骨の髄まで破壊していったと思い込んでいた。
本書には書かれていないがGHQによる日本の牙を抜く行為は行われたが、共産主義者をのさばらせたのはマッカーサーの思惑ではなく、GHQに入り込んだ米国の共産主義者のせいであったが、ウィロビーG2キャノン機関の努力で排除していった。
ワイントンのトルーマン政権、特にアチソン国務長官が、本来管轄外(韓国は国務省の管轄)である日本のGHQ傘下のG2が察知してワシントンに報告した北朝鮮の来襲の警告を受けたにもかかわらず、後に議会証言で不意打ち説を証言した。これはワシントンの責任転嫁である。
トルーマン政権は冷戦に突入する前に察知してか、後の国務長官ダレスが特使として開戦2週間前の6月14日に38度線を視察している。▼一九四九年九月一日付報告
一九四九年六月以来、中共部隊は戦争避難者(中国内乱の)を装って、ほとんど毎日のよう に平壌に入っている。一個師団が満州から安東を経て北朝鮮に入った。
▼一九四九年十二月八日付報告
北朝鮮政府およびその同盟者たる中共軍は、ソ連の完全なる支配下にある。ソ連は非共産主 義国家が朝鮮半島に存在するようになる・ことを決して許さないであろう。
北朝鮮政府はソビエト・ロシアのたんなるあやつリ人形でしかない。監視にあたっているのは
平壌にいる三百名のソ連派遣団である。
軍隊は四~八個師団および独立旅団で構成されており、通常の歩兵用武器、七六ミリと一二 二ミリロ径の曲射砲、三十から四十台のT34型戦車、三十六機から七十機の飛行機を保有し ている。すべての装備はソ連製である。最近の中共部隊の流入の結果、師団級部隊が編成さ れている。共産主義者にとって、韓国への武力侵攻は半島全域を支配するための最終手段と して考えられていよう。
▼一九五〇年一月五日付報告
北朝鮮は一九五〇年三月および四月を、韓国に侵攻する時期に定めている。『このような脅威 は、軍事行動との関連において解釈されるべきである。こうした基準によれば、北朝鮮第三師 団の西部三十八度線地域への移動、中共要人の到着、北朝鮮第二師団の南方への配置、国 境警備隊の拡大などは、春における軍事行動に備えるものとして意味があるように思える。
▼一九五〇年三月十日付報告
北朝鮮人民軍は、危機的な三十八度線地域における武装部隊の増設ど部隊の大規模移動に 関る現下の報告が示しているように、今秋もしくは、おそらく春の間に韓国へ侵攻する準備を整
えるであろう。最近の報告では、北朝鮮人民軍が六月に韓国を侵略するだろうと認めた 。
▼一九五〇年四月十五日付報告
三月中旬、共産政府は三十八度線から三マイル以内の地域に住んでいるすべての民間人の 退去を命令した。そして、この地域の空家となった建物は軍隊およびゲリラに充てられた。その 目的は「戦争準備のためと南朝鮮の情報活動を妨害するため」と報告された。
▼一九五〇年五月二十五日付報告
国家諜報部隊は北朝鮮における武装軍勢のすべての部隊の活動範囲(戦争準備処置)の調 査を完了した。陸軍七個師団がはっきリと識別され(中略)、三十八度線および三十九度線間 の半島横断ベルト地帯のあちこちに配置された数個師団の陸軍正規兵の存在に注目せられ たし。
北鮮では強制的初年兵徴募が引さ読者行われており、その数は北朝鮮の若者の十万から十 五万の多さに達するものと推定される。
UP通信社社長のヒュー・ペイリーは「一般的にいって、われわれは不意を打たれた。それは北朝鮮軍が攻撃計画を練っていたことを知らなかったためではなかった。なにを共産主義者が企んでいるかを情報部では察知していたのであり、韓国が六月に攻撃されるだろうことを知っていたのであるが、米政府は朝鮮を放棄し、他所で共産主義に立ち向うことに決定していたのである」とのコメントを残しているが、まさにわがG2は開戦を探知していたのだ。

後にこの写真が今でこそ一笑に付される朝鮮戦争韓国からの開戦説の証拠写真として使われた。まあ当時から今で言う陰謀論者という自分は頭がいいと思い込むバカ達が左翼には多いのだろう。
米国は朝鮮半島の防衛には関心がなかったのと好戦的な李承晩に兵力を持たせる事により、日本や北朝鮮に戦争を仕掛けるのではないかと危惧したようである。
当時の駐日大使ウィリアムシーボルトの回想録『日本占領外交の回想』
「モスクワは、すでに一九四八年までに、三個師団の北朝鮮人民軍を訓練していた。これは一九五〇年の春までに、十個師団に増強され、そのほかに歩兵数個連隊、機甲旅団および空軍・海軍の小部隊があった。一九五〇年までに、韓国陸軍は総計八個師団、十万人を数えるだけだった。李(李承晩韓国大統領)は、常に好戦的な態度を見せていたので、米国顧問団は、この軍隊に戦車、重砲、軍用機などを与えるのを拒否していた。正規の攻撃兵器を与えれば、李はただちに三十八度線を突破して北進する恐れが十分にあったのだ。
韓国の軍隊は、大部隊作戦の訓練がしてなかったし、また対戦車防衛訓練もやっていなかった。しかし、訓練を監督した米国在韓軍事顧問団(KMAG)は、韓国軍は北朝鮮からの脅威に対して、十分対抗できるという自信を表明していた。米国の戦闘部隊が撤退したとき、約五万人分の兵器を残してきた。戦闘突発のときには、まだ米国在韓軍事顧問団の小部隊が残留していた」
李承晩の好戦性はたしかに危険だったかもしれない。しかし、韓国の防衛状態を劣悪なままに放置しておくことのほうがどれだけ危険であるかは、わからなかったのだろうか。この理解しがたい決定は、マッカーサー司令部と相談することなく、ワシントンが下したものだ。マッカーサー司令部はもちろん絶対反対で、ワシントンは重大な過ちを犯したのだ。
マッカーサーはこう言っている。
「ワシントンの過ちは、北朝鮮がたちどころに利用するところとなった。三十八度線沿いには、北側はなるほど韓国軍と同程度の軽装備の兵力しか配備していなかった。だが、この第一線部隊の背後には強力な攻撃部隊が集結し、待機していた。共産軍攻撃の日時を正確に指摘することができなかったということに非難を向けるべきではない。非難はむしろ、攻撃が実際に行われたときに、有効に対処し得るだけの韓国軍を準備しておかなかったという、軍事的失敗にこそ浴びせられるべきである」
北朝鮮が攻撃してきたばかりの時点におけるマッカーサーの任務は、単に在韓アメリカ人を救出することであった。駐韓米大使ジョンームチオが、ソウルのアメリカ大使館の救出を要請してきたのである。ちなみに記せば、そのころトルーマン大統領は、まだ弟の農場を訪ねだりしてミズーリにいたのだ。マッカーサーはムチオの要請に応え、即座に行動を起こした。救出は用意周到に練られ、二千名以上の人々が一人の犠牲もなく、無事救出された。
韓国からの米人家族引き揚げに全力を挙げていたときのGHQは、のちに全面的に朝鮮での戦争の主役を演じようなどとは夢にも考えていなかった。だが、それはトルーマン大統領からの「介入せよ」との命令がマッカーサーに伝えられたことによって、意外に早く自覚させられた。
朝鮮戦争における米軍の輝かしい戦果、仁川上陸作戦はマッカーサーが計画を立て実行しようとした。その際ワシントン・トルーマン政権は大反対だった。
マッカーサーは仁川逆上陸作戦の計画を立てると、七月二十三日、ワシントンに次のような電報を打った。
「九月中旬に計画している作戦は、敵戦線の背後での二個師団による水陸両用上陸作戦で、その目的は南方からの第八軍の攻撃と呼応して、敵部隊を包囲殲滅することである。敵戦線の背後で、早目に強力な行動を取れば、敵の主要補給線を断ち切り、決定的な打撃を与えることができると私は確信する。これに代わる方法は正面攻撃だが、これは戦闘が長びいて大きな犠牲を出す結果にしかならない」
ところが、ワシントンの軍首脳たちはこの計画に反対だった。統合参謀本部議長オマー・N・ブラッドリー陸軍大将は、ワシントンの軍首脳会議の席上でこう言明したものだ。
「そんな作戦はすでに時代遅れで、もう二度と成功するわけがない」 そして、打電後四週間以上も経って、陸軍参謀総長コリンズ大将と海軍作戦部長シャーマン大将が、マッカーサーにこの作戦を断念させる目的で東京に特派された。かくして八月二十日、東京の第一生命ビルのGHQで、仁川上陸作戦に関する第一回の戦略会議が聞かれた。
The Korean War: Landing at Inchon - Part 1
ご存知の通り、仁川上陸は延びきった兵站線を断ち切り、北朝鮮軍を中国国境に追いやった。
中共軍の集結も事前に察知していたにもかかわらずワシントン・トルーマン政権が無視したこと。マッカーサーの原爆使用計画の真実。
ワシントンとマッカーサーの対立がいかに酷かったかを知った。
そして、マッカーサーに対して私が誤解していたのはワシントンのプロパガンダの影響であったこと知った。
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