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図書館で順番を待ちに待って約1年ようやくその全文を読んだ。正直書評を書くには荷が重過ぎる。立ち読みでかなりの部分を読んでいるが、図書館で借りた2週間でこの本を理解するには少し時間が足らない。だが、思っていた通り、新刊を買うほど価値が有る本でもなかった。いずれBOOK・OFFで後2.3年後にニーチェの言葉(まだ半額にもなっていない)といっしょに100円セールスの時にでも入手すれば良い位の価値だろう。

「正義」(正しい行為)とはなにか!本書は、この難問を道徳、「道徳的ジレンマ」という状況を提示させながら、その答えを導くことを促す。

「正義」とは、道徳的真理にもとづくものであるが、そのような真理は内省によって発見することのできるものであろうか。

正直なことを言えば、哲学的思考を邪魔しようとは思わないが、トロッコのジレンマは、第三の道を選択するべきだと私は思った。レバーを真ん中にした脱線させる道を選択する道を選ぶ。二者択一しかないと思い込むことが間違いじゃないか?

TPPの問題はサンデル教授のいない白熱教室のようなものである。       【Ddogのプログレッシブな日々】2011/11/5(土) 午前 7:49

もちろん、人を突き落とす事は殺人罪だ。日本人ならば自らがトロッコに飛び込む可能性が高いだろう。

だが、本書は正義について深く考えさせられる。本書のケースワークで2番目に取り上げられているのは、アフガニスタンでのヤギ飼いの実話

2005年ネービーシールズの特殊部隊4人が、敵陣深くに潜入中、年老いたヤギ飼いと14歳の少年に遭遇、非武装の民間人だ。彼らは、二人を縛るロープを持っていない、解放するか、殺すかの二者択一しかなかった。結果彼らはキリスト教徒としての良心が咎め殺さずに解放した。結果は1時間後AK48カラシニコフを持った集団に囲まれ救援に来たヘリも撃墜され友軍16名の命が奪われた。唯一生き残り殺害に反対したラトレル二等兵曹は自分を責め後悔した。戦場での常識と平時の常識は異なる。戦場を我々の日常で裁いてはいけないのだ。

正義の意味や善良な生活の本質を把握するには先入観や決まりきった日常を生活を越えなくてはならない。特に道徳が政治と関わる時は守旧派の市民による反発は避けられないものがある。原発問題も、TPPの議論も何が正義なのかを見極めることは難しい。特に日本人は多角的に思考することやディベートに慣れていない。

本書は、「正義」について深く考える方法を提示している。

私はベンサムの「最大多数の最大幸福」の功利主義について、多数者のより大きな幸福のために少数者の幸福の一部を犠牲にすることが不可避であり、彼ら全員に等しい幸福を分け与えることが物理的に不可能な場合は、彼らのうちの最大多数の最大幸福であることっをやむを得ない、社会全体の幸福を最大化させることが正義の意味すると信じていた。

本書では、これに加え、功利主義が人間の尊厳と個人の権利を疎外することを、功利主義を正義の原理とすることに対する反論を取り上げられる。

たとえば、CIAがアルカイダのテロリストをグアンタナモに集め拷問を加えることはベンサムの「最大多数の最大幸福」に照らし合わせれば正義ではあるのだが、道徳的には正しくない。

ベンサムに加え本書ではジョン・スチュアート・ミルの『自由論』におけるアプローチが取り上げられる。このアプローチでは、効用をあらゆる「倫理問題の拠り所」とする点では功利主義的であるが、同時にそれは「進歩する存在としての人間の恒久的利益に基づく、最も広い意味での効用」でなければならないとする。そしてミルは、人間の究極の目的について、「人間としての能力を完全かつ自由に発展させること」であるという答えを用意する。しかしこの「答え」を用意したことによって、ミルは功利主義的道徳の限界をも超えてしまったことをサンデルは指摘している。慣行、因習、有力な意見に従って暮らすよう人に強制することは誤りだと、ミルは説明する。それは、人生の究極の目的―人間としての能力を完全かつ自由に発展させることの達成を妨げるからだ。ミルによれば、服従は最善の生き方の敵なのだ。

人間の能力は、知覚、判断力、識別感覚、知的活動、古らには道徳的な評価言えも、何かを選ぶことによってのみ発揮される。何事もそれが習慣だからという理由で行なう人は、何も選はない。最善のものを識別することにも、希求することにも習熟しない。知性や特性は、筋力と同じで、使うことによってしか鍛えられない……世間や身近な人びとに自分の人生の計画を選んでもらう者は、猿のような物真似の能力があれば、それ以上の能力は必要ない。自分の計画をみずから選ぶ者は、あらゆる能力をくしする。

米国ではビルゲイツにしてもビリオネア達億万長者が率先してボランティアや多額の寄付を当たり前のようにする。ビリオネア達が多額の寄付をする習慣は日本にはない。これはキリスト教的美徳だと思っている。課税を免れる免罪符と揶揄するのは自由だが、中国人や日本人の富豪が積極的に寄付した話はあまり聞いたことが無い事から比べれば尊敬すべきであろう。

だが、米国にはジョンロック・フリードマン・ハイエクといったレッセフェール(自由放任)を唱え、経済社会に対する国家政府の介入を否定もしくは最小限にすることを主張するリバタリアン(自由至上主義者)が存在するが、多くの日本人(特に反米主義者)には理解し難いらしく彼らを誤解している。日本人は自由を享受した事がないばかりか、自由の意味すら理解していないのだからやむを得ないだろう。

最小国家

権利についてのリバタリアンの理論が正しければ、近代国家の活動の多くは不法であり、自由を侵害するものだ。最小国家-契約を履行させ、私有財産を盗みから守り、平和を維持する国家―だけが、リバタリアンの権利の理論と両立する。これを超える行為を行なう国家は道徳的に正当化されないのだ。
リバタリアンは近代国家が一般に制定している三つのタイプの政策や法律を拒否する。

1. パターナリズム(父親的温情主義)の拒否:

リバタリアンは自傷的行為を行なう者を保護する法律に反対する。シートベルト着用義務法は良い例だ。オートバイに乗る際のヘルメット谷用義務法も同しである。ヘルメットをかぶらずにオートバイに乗ることが無鉄砲であり、ヘルメット着用義務法が命を救い大ケガを防ぐとしても、そうした法律はどんなリスクを自分で取るかを決める権利を侵害すると、リバタリアンは言う。第三者に危害が及ばないかぎり、そしてオートバイの乗り手が自分の医療費を払えるかぎり、国家には、オートバイの乗り手が自分の命と体でどんなリスクを取るかを指図する権限はない。

2. 道徳的法律の拒否

リバタリアンは、法的強制力を用いて、多数派の持つ美徳の概念を奨励したり道徳的信条を表明したりすることに反対する。売春にはおそらく多くの人が道徳的
に反対するだろう。しかし、だからといって、成人が同意のうえで売春を行なうことを阻む法律は正当なものではない。いくつかの社会では同性愛を認めない者が多数派だが、ゲイやレズビアンから自分の性的パートナーを選ぶ権利を取り上げる法律は正当化されない。

3. 所得や富の再分配の拒否

リバタリアンの権利理論は、富の再分配のための課税を含め、いかなるものであろうと、他人を助けることをある人びとに要求する法律を拒否する。富める者が貧しい者を支える医療、住宅、教育~を補助金を出して支えることは望ましいだろうが、そうした援助は政府が命じるのではなく、個人の意向に任せられるべきだ。リバタリアンによれば、再分配のための課税は一つの形の強要であり、さらに言えば盗みである。国家には富裕な納税者に貧者のための社会プログラムを支えるよう強制する権限はない。それは義賊が富める者から金を盗み、ホームレスに与える権利を持だないのと同じである。
TPP反対論者や反米保守層はこのリバタリアン的正義に強く拒絶反応をする。
これは、日本において富裕層や教会が自主的に貧者を救うという習慣がない為にリバタリアン的正義を米国的悪い精神だと誤解するのだ。

日本におけるリバタリアンに対する無知や不勉強が先の大戦を引き起こした遠因でもあり、今日TPP論争において自由主義が弱肉強食だと叫ぶ人間達の無知な誤解である。





日本の東京大学での出張講義 正義とは


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ハーバード大に学ぶ日本人が少なくなった、中国人の方が多くなったと同大の女性学長がこの春、日本にやってきて言った。
 
そこの留学生数で国のレベルが決まるみたいな口ぶりだが、さてそんな立派な大学なのか。
早い話、そこの先生だ。その一人、ヘンリー・ゲーツ教授か「米国は黒人奴隷問題を恥じる必要はない」とニユーヨークータイムズに書いていた。
 
読んでびっくりだ。だって黒人奴隷はアフリカ人が売っていた、米国人はただそれを買っただけだと。
 
覚醒剤は持っているけど悪いのは上野で売っていたイラン人だというのと似てないか。 誰が奴隷を売ったかではなく、奴隷制度が悪いことをこの教授は知らない。 こんな外れもたまにはいると善意に解釈したら、もっと変なのが出てきた。 「正義」について語るマイケル・サンデル教授だ。
 
彼は「ハリケーンに遭ったニューオーリンズで屋根の修繕屋が五十倍の料金を吹っ掛けた」ケースを紹介し、これは人の弱みにつけ込んだ悪徳商人か、需要が大きくなれば高くなる当然の商行為の結果かと問う。
 
日本人は戸惑う。日本では例えば中越地震のとき。追加崩落し救援物資も届かない山村のスーパーが、とりあえず必要な食品や野菜二千円分を詰め合わせた袋を四百円で売った。
「こういう時はお互い様ですから」と店の主は答えていた。
阪神大震災のときは山口組が炊き出しをやった。
 
「アウトローは略奪するものだろう」とロサンゼルス・タイムズのサムージェムスンが驚いていた。
日本では儲けどきに安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。
だから日本人はサンデルの問いが発生すること自体、理解できない。
彼はまた南北戦争のときの徴兵制を取り上げている。

みんな兵士となって戦場に出るが、ただカネを出せば身代りが認められた。後には三百ドル出せば召集は免除された。

法の前の平等を説く米国もこの辺は堂々と貧しい者を差別してきた。
サンデルはそれを非難はしない。米国人に限らず人は生きたいのだからと。   (略)
続きは

これを読んだら、一気に「これからの「正義」の話をしよう」の記事の続きを書く気が失せてしまった。申し訳ない・・・