サンデルよ、「正義」を教えよう
ハーバード大に学ぶ日本人が少なくなった、中国人の方が多くなったと同大の女性学長がこの春、日本にやってきて言った。髙山先生のご意見 ごもっともです。
そこの留学生数で国のレベルが決まるみたいな口ぶりだが、さてそんな立派な大学なのか。
早い話、そこの先生だ。その一人、ヘンリー・ゲーツ教授か「米国は黒人奴隷問題を恥じる必要はない」とニユーヨークータイムズに書いていた。
読んでびっくりだ。だって黒人奴隷はアフリカ人が売っていた、米国人はただそれを買っただけだと。
覚醒剤は持っているけど悪いのは上野で売っていたイラン人だというのと似てないか。 誰が奴隷を売ったかではなく、奴隷制度が悪いことをこの教授は知らない。 こんな外れもたまにはいると善意に解釈したら、もっと変なのが出てきた。 「正義」について語るマイケル・サンデル教授だ。
彼は「ハリケーンに遭ったニューオーリンズで屋根の修繕屋が五十倍の料金を吹っ掛けた」ケースを紹介し、これは人の弱みにつけ込んだ悪徳商人か、需要が大きくなれば高くなる当然の商行為の結果かと問う。
日本人は戸惑う。日本では例えば中越地震のとき。追加崩落し救援物資も届かない山村のスーパーが、とりあえず必要な食品や野菜二千円分を詰め合わせた袋を四百円で売った。
「こういう時はお互い様ですから」と店の主は答えていた。
阪神大震災のときは山口組が炊き出しをやった。
「アウトローは略奪するものだろう」とロサンゼルス・タイムズのサムージェムスンが驚いていた。
日本では儲けどきに安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。
だから日本人はサンデルの問いが発生すること自体、理解できない。
彼はまた南北戦争のときの徴兵制を取り上げている。
みんな兵士となって戦場に出るが、ただカネを出せば身代りが認められた。後には三百ドル出せば召集は免除された。
法の前の平等を説く米国もこの辺は堂々と貧しい者を差別してきた。
サンデルはそれを非難はしない。米国人に限らず人は生きたいのだからと。
第一次大戦はキール軍港の水兵の叛乱で終るが、これも根は同じだ。
ドイツは最後に残存艦隊の出撃を計画した。意気の高さを見せて停戦条件を有利にする気だった。
それに「もう少しで生きて帰れる水兵が反発した」(川口マーン恵美『ベルリン物語』)。「最後の捨て駒にされてたまるか」というわけだ。ドイツ帝国はこのキール軍港の叛乱によって崩壊した。
この「自分だけは死にたくない」行動について問われても日本人は戸惑う。
先の戦争で日本が降伏したあと、ソ連軍が千島列島に武力侵攻してきた。
ポツダム宣言に沿った進駐でなく、武力で占領する意図たった。
米国が沖縄を占領したように我々も北海道まで武カで占領した。だからその領有権は我々にあると言うための侵攻だった。
ソ連軍はまず北の占守島を攻めた。もうお国が降伏したあとだ。そこの日本人将兵はどうしたか。
これが徴兵も金で済ます米国人なら金を積んででも命乞いをしただろう。
キール軍港の水兵も降伏が決まっているから、喜んで手を上げただろう。
ただ日本人は違った。降伏後だから捕虜になっても形はつく。生きて故郷にも帰れるが、それで火事場ドロ以下のソ連軍に祖国を好きに蹂躙させるなど日本人として許せなかった。
だから一旦置いた銃を再び取って戦いに臨んだ。
日本側は七百人が戦後に戦死したが、ソ連側は数千人の死傷者を出し、半月近く足止めされ北海道侵攻は不能となった。
モスクワは日本政府に文句を言って占守島の将兵に銃を置かせた。
サンデルの頭にこうした日本的な正義はない。商売は阿漕…に、金持ちは命を惜しむ。それを何とか正義で包みたい。 あの大学に中国人が増えるわけだ。
(二〇一〇年十二月二日号)
サンデルの「これから正義の話をしよう」へアイロニーたっぷりのコラムである。
これから正義の話をしようの記事を書く為に高山先生のこの変見自在を目を通したのだが、これから正義の話をしようの記事の続きを書く気がなくなってしまった。
私は、何度も書いて申し訳ないが、消極的親米保守と称しております。
中国と対峙しなくてはいけない東アジアにおいて、米国との同盟無しの国際秩序はありえない。日米同盟は日本が21世紀の荒波をくぐりぬける為の最重要国策である。
TPP問題においても、沖縄問題においても私と意見を異なる頭が不自由な人達は、単細胞的に反米に走ってしまう。米国と日本には文化的相違が存在する事を理解していない。
ではなぜ反米保守の髙山正之先生のコラムを取り上げるか?反米保守とはいえ尊敬している。なぜ尊敬しているかといえば、産経新聞ロサンゼルス支局長でもあった髙山氏は米国をよく知ったうえで米国の悪辣な手口を堂々と公開している。こんなに悪い奴だよと言いつつも嫌味がなく、リアリストである。何より読んでいて痛快・愉快な気持ちになる。単細胞的反米主義とは異なる。
米国とは何かを知った上で米国と対等に付き合うべきと私は思っている。
対等な日米同盟は、東京裁判史観の洗脳を解脱なしにはありえない。
盲目的な親米は論外である。だが、米国は中国と異なり卑屈にならず対等に付き合えば真の友人となれる可能性がある国だと思っている。
喧嘩が強くて聖人君主的友人がいるならばそれにこしたことはないが、そのような友人はいない。米国はドラえもんののび太君のジャイアンといえば解りやすいであろうか。ジャイアンと思って付き合えば友人となれる。
米国とは何かを理解したうえでTPP交渉に臨むべきである。また今回のFX選択は、F-35にすべきではないと思っている。未だにユーロファイタータイフーンが最適だと思っているが、戦闘機を運用する制服組がF-22でなければF-35を希望したというのだからやむをえない選択であったのかもしれない。
しかし、盲目的にFXをF-35としなかったが故に一部ライセンス生産が可能となったのだ。対等な日米関係を築く為にも高山先生のコラム変見自在は必読である。
また幾つかの珠玉のコラムを本書から紹介したい。
この程度で大学教授とは恐れ入る
その昔、ベトナム史について学界の泰斗という明治学院大学教授を取材した。
泰斗は「日本軍の長い占領時代に」とか「日本軍の支配下で」とか、句読点代わりに言う。
日本嫌いなのはしょうがないとして、気になるのがさかんに使うベトナムの「長い占領時代」という表現だ。
長いと言ってもフランスに比べればほんのちょっとでしょうとたしなめる。 「確かに短い。しかしその四年間が問題なのだ」 四年間? 「そう。北部仏印進駐からだから」 いや日本軍の支配は昭和二十年三月に仏軍を追っ払ってからの五か月間だけど。 「えっ、ウソ」
日本はずっと居候。フランス統治が続き、フランス人たちは昭和十八年にサイゴンに四階建てのチーホワ刑務所を完成させている。 「戦場にかける橋」を書いたピエール・ブールは脱走罪でここに収容された。彼が描いた「残忍な日本軍捕虜収容所」のモデルはこの刑務所だった。残忍な拷問をやったのはフランス人で、やられたのは抗仏のベトナム人だった。明学の泰斗はそれも知らなかった。
後藤乾一早大大学院教授はインドネシア学の権威だそうだが、これも同じ。「日本車はスマトラの底なしの穴に原住民三千人を突き落として殺した」とやった。 調べたら穴には底があったうえ骨一つ出てこなかった。大嘘だった。
一橋大教授の藤原形は空に立ち上る真っ黒な煙幕を「日本車の毒ガスだ」と朝日新聞で断言した。毒ガスは無色で空気よりやや重いことはオウムのサリン部隊だって知っている。 そんな程度でも自虐史観に立っていれば朝日新聞が使ってくれる。
ではまともな学者はというと産経新聞に載るのが相場だったが、最近は少し変わったらしい。
先日は法政大の田中優子が産経新聞に書いていた。この人は授業に貧農史観漫画『カムイ伝』を使っていますと前に書いていた。 そのときはちょっと驚いたが、今回はちょっと呆れた。
民主党政権のやった「仕分け」に引っ掛かる無駄が江戸時代にもあった。それは「武士階級、今で言う官僚機構だ」というのだ。 「村や町の治安や自治は村人や町人がやった」からその上に立つ武士は少しでいいのに大勢いた、ぞれが無駄なのよと。 この人は漫画は読んでも文字ばかりの中村彰彦の著作は読まないらしい。
あの時代、武士の数は少なく仕事はやたら多かった。東京湾に流れ込んでいた利根川を今の銚子に流し、あの辺に良田を作ったのは関東郡代だ。 千曲川も多摩川も最上川もそう。治水や新田開発は武士がやった。百姓はそれでできた田んぼを貰った。
百姓はこっそり田を広げ、藍や煙草などを作って儲けた。十分金持ちだった。代官が検地をし直すというと、一揆を起こすと百姓が逆に脅した。江戸時代、だから検地はほとんどなかった。百姓につく形容詞は「貧しい」ではなく、「こすい」だった。
町人も例えば江戸は原則無税、大店は多少の運上金で済んだ。他所の街では間口で税金が決められ、だから間口に比べ奥行きの深い鰻の寝床みたいな街並みができた。それでもよかった。いい時代だった。
田中教授は知らないらしいが、治安は武士がやった。百万都市の江戸はたった二百五十人の与力同心が警察から裁判までやった。
それで働き頭の同心は三十俵二人扶持、年収二百万円にもならなかった。
日本は清貧を旨とする武士が官僚を兼務した。だから世界で稀有の汚職のない施政が実現した。
今の官僚と違って汚職をしないから武士は貧しかった。それでアルバイトをした。大館の曲げわっぱも豊橋の筆も秋田の樺細工も二本松の萬古焼もみな貧乏武士の副業だった。
町人や百姓は金に飽かして遊び、それが浮世絵やら根付けやらの結構な文化を生んだ。それもまた日本のよさだった。
日本を貶めるのが学者の役割だと思っているような者は朝日新聞に書いていればいい。
産経新聞も余計なバランス感覚などいらない。もう後もないのだから日和ることなく、まともな新聞の形を見せてほしい。
(二〇〇九年十二月十日号)
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