2012年日本は滅亡の淵に立たされている。

民主党に限らず自民党公明党といった政治家。また政治家に限らず東京裁判史観・戦後教育の悪弊で洗脳され続けている多くの日本人、官僚、マスコミ・自由報道協会に代表される一部浅薄な知識市民・・・・その全てが日本を滅亡の危機に追いやっているのである。

長く続いた自民党政治は東京裁判史観に基づいた現日本国憲法そのものであった、そして現民主党政権は矛盾した日本国憲法を改正しようともせず問題を解決しようとしている。

そもそも憲法とは生命、自由、財産の保護という国民の基本的人権を守る事を使命とする。
 
憲法問題とは左翼の憲法学者が言う憲法第九条の解釈で井戸端会議に付き合うことではない。国民の基本的人権をいかに守りいかに日本人を幸福にする問題のことだ。

日本が21世紀国家として生き残る設計図を引くにあたり憲法を見直すことせずに議論をすること自体おかしなことだ。国家の基本である憲法を改正いや議論もせず制度を改革しようというのであるから、かつての自民党政権が行った橋本改革・小泉改革が失敗し、現民主党政権が行おうとする改革が失敗するであろうことは火を見るよりも明らかである。
 
私は今消費税を増税することにに反対である、今のタイミングで消費税を増税することは日本と言う国を崩壊しかねない最悪のタイミングである。

しかも消費税増税のプロセスが、民意を問うことなく官僚主導で無能な政権の派閥争いと言うまったく民主主義とは無縁なプロセスで決定されている。
国会議員定数は50%OFF!公務員給与も30%OFF~公務員の共済組合年金と国民年金を統合にしない限り消費税増税は反対だ!

日本は民主主義ではなく官僚独裁国家となってしまったのか?これは現憲法が機能していないことを証明している。現憲法は米国が二度と日本が米国に報復戦争を起こさせない為に作った憲法であり、日本人の魂を抜く為に作られたものである。その結果が官僚独裁による弊害である。

官僚は無能ではなく有能であり、一般の衆愚な民衆や無能な政治家では制御できるものではない。バブル崩壊後度重なる改革への試みがことごとく失敗し続けるのはその根本である現憲法を不磨の大典として改正しようとしない日本人の責任である。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。 

イメージ 2なぜか? ここにシュレーディンガーの予言が重なる。一九四四年、シェーンハイマーの死後三年して出版されたシュレーディンガーの『生命とは何か』で、彼は、先に記したように、すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特質を実現する生命固有のメカニズムを示すことはできなかった。
エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。
つまり、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
以上は福岡伸一/著「生物と無生物のあいだ」のp166~167の一節である。

不磨の大典として現憲法を改正しないのはエントロピーの増大に対して何も行動を起さないのと同じである。現憲法を改正し、日本に官僚独裁ではない国民一人ひとりに国民としての権利と義務の自覚を覚醒させるべく動かなくては日本という国は消滅してしまう恐れがあるとわたしは思う。

日本国憲法の問題点について2002年に集英社インターナショナルより出版された小室直樹先生の「日本国憲法の問題点」をテキストに考察していきたい。

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p18-20
今の日本では、民主主義も資本主義も機能していない!
憲法の精神は踏みにじられ、泥にまみれている!

 
もっとはっきり言えば、憲法がすでに死にかけているからである。この状態を放置したままでは、どんな努力をしても意味がない。癌の痛みに苦しむ患者に、シップを貼るようなものだ。
翻ってみれば、サッチャーのイギリスは衰えたりといえども、憲法は生きていた。民主主義も資本主義の精神も根太から腐ってはいなかったのである。つまり、イギリスにはまだ回復の余地があった。サッチャー女史も腕の振るいようがあった。
これに対して日本は?
憲法の柱たる民主主義がきちんと作動していないのだから、議会も行政府も裁判所もまともにその役目を果たしているはずがない。かりに、かの「鉄の女」サッチャー女史が日本国の総理大臣になったとしても、民主主義不在ではリーダーシップの振るいようもない。
 
また、日本は資本主義がまともに作動していないから、たとえケインズ大先生か蘇ったとしても、この不況を打開することは不可能である。ケインズ経済学も、もちろん古典派経済学も資本主義を前提にして作られているからである(拙著『資牛王義のための革新』日経BP社、同『日本人のための経済原論』『小室直樹の資本主義原論』ともに東洋経済新報社)。
 
かくのごとく、憲法が機能しなくなれば、すべてはうまく行かなくなる。どんなことをしようとも状況はどんどん悪化し、岫後には滅びの淵に至る。今まさに日本は滅びの淵へと一歩ずつ近づきつつあるのである。
 
 日本の病根は憲法にある。
 
憲法が機能していないことこそが元凶なのである。
読者はまず、そのことを肝に銘じるべきであろう。憲法で最も重要な条文はどれか デモクラシーは過程であって、完成された状態を言うのではない。
ここが憲法を理解するための急所である。
ところが、日本人にはどうしても、ここのところが腑に落ちていないらしい!
これでは憲法が死ぬのも当然の話ではないか。
 
かつて丸山眞男教授(政治学者)は、日本の「民主主義」を一瞥して、そこでは民主主義は日々に作られるものではなくて、既存の「状態」(丸山醍男『日本の思想』岩波新書 二八九ページ)とされていることに注目している。
 
日本人の民主主義誤解は、まさにここに濫觴(らんしょう:みなもと)を発する(拙著『痛快!憲法学』二七一ぺージ)。
 
民主主義も憲法も、それを日々育てる努力をしなければ、たちまちに息絶えてしまう。そこのところが分からないから、日本では憲法も死にかけ、民主主義も死にかけているのである。
シュレティンガーの猫で知られる量子力学の巨人であるシュレティンガー博士が生命とは何かを考察した秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。」とこの憲法問題が重なってならない。

民主主義も憲法も、それを日々育てる努力をしなければ、たちまちに息絶えてしまうのであるから、憲法の見直しもしない日本人の怠慢自業自得であることを我々は自覚しなければならないのである。
p20-23
戦後日本で行なわれてきた憲法論議の、まったく以て奇妙なところは、護憲派、改憲派を問わず「日本国憲法といえば第九条」というスタンスをとり続けてきたことにある。憲法問題といえば、明けても暮れても戦争放棄を定めた第九条の話ばかり。

したがって多くの国民も「なんとなく」、日本国憲法の急所は第九条であると思いこむようになった。第九条のことさえ知っていれば、憲法のことが分かっているような気がしてきた。
 
だが、憲法本来の役割からすれば、第九条の規定など枝葉末節もいいところ。
そもそも憲法とは生命、自由、財産の保護という、国民の基本的人権を守ることを最大の使命とする。

しかるに、第九条の規定はいかに。
国家が戦争を放棄しようとしまいと、軍備を持とうと持つまいと、そんなことは基本的人権とは直接、何の関係もない。戦争を放棄すれば民主主義の世の中になるわけではないし、その逆もありえない。
 
そのことは今なお戦争を放棄せず、巨大な軍隊を抱えているアメリカの例を待ち出すまでもないであろう。
したがって憲法第九条は、憲法の急所でも何でもないわけだ。
ちなみに、読者のために付け加えておけば、日本の「憲法屋」、「デモクラ屋」たちが誇る第九条の戦争放棄規定は日本独自のものでもなければ、日本国憲法が世界に先駆けて作ったものでもない。

憲法学者西修博士の調査によれば「国際遂行の手段としての戦争放棄」という規定は、一九二八年に締結された不戦条約で述べられた思想であり、一九三一年にはスペイン憲法に戦争放棄条項が加えられている。また世界の現行憲法の中で、何らかの平和条項を持っているものは一二四ヶ国にも上ると言う(西修「日本国憲法を考える」文春新書)。
つまり、「日本国憲法が世界で唯一の平和憲法である」というのは、まったくのデマゴーグであって、何の実体もない。このことは憲法を考える上での”常識”として知っておくべきことであろう。

十三条こそ、憲法の急所

では、第九条でないとしたら、「憲法の急所」は第何条か。
はてさて、日本国憲法で他に重要な条文があっただろうか……おそらく多くの読者は首をひねるであろう。

憲法と聞いて、第九条くらいしか思い浮かばない!
悲しむべきかな、これが日本の民主主義教育の実態である。
戦後日本の教育界は、「民主主義を守れ」とか何とか立派なことを言いながら、自分たち自身の「労働者としての権利」を守るのに汲々として、子どもたちに憲法の急所さえ教えるのを怠ってきた。だからこそ、読者もピンと来ない。教えられていないのだから、当然のことである。

日本の憲法が病膏肓に入ってしまった(やまいこうこうに入る:不治の病になる)原因の一つは、まさに教育にある。国民に正しい民主主義教育を行なってこなければ、憲法が瀕死状態になるのは当然すぎるほど当然のことである。
では、日本国憲法で、何か何でもこれだけは守らなければならない、これが有効でなくなったら憲法の存在意義なんて雲散霧消してしまうという条文はどれか。これぞ民主主義の精華と言うべき条文は?
 
それは憲法第十三条である。
 
おそらく憲法第十三条と聞いて「ああ、あれか」とすぐに思い出せる人は皆無だろう。今の日本では憲法第十三条の存在感はあまりに薄い。いや、それどころか、この条文はすでに死んでしまっていると言ってもよい。
憲法の急所がすでに死んでいる!これでは日本が滅びの淵に立だされているのも、当然のことではないか。さて、その憲法第十三条とは何か。

日本国憲法第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法第十三条はアメリカ独立宣言の思想=民主主義思想の原理そのものである。

すべての人間は平等に造られている!
そして、すべての人間は生命、自由、幸福追求の権利を持っている!
その権利は何人たりとも奪われることがあってはならない!

これこそ、まさしくデモクラシーのエッセンスであり、近代民主主義憲法の生命線である。
勘違いしないで欲しい憲法第十三条 を改正するのではなく、第十三条 の精神でもう一度日本国憲法を見直さなくてはいけないのである。

反米主義者達はこの第十三条 ですら米国の日本支配の象徴という妄想と考えている。東京裁判史観から抜け出していない反米保守も親米保守も左翼も戦後教育の申し子である。自分自身は消極的親米保守と自分の思想を定義している。
私の思想は東京裁判史観から覚醒した保守思想であるが、日米同盟抜きに日本の独立は保てないと考える真の保守思想である。私のこの思想を広く啓蒙していきたい。

私の思想は小室直樹先生の存在なくしてたどり着かなかった。小室先生はけっして単純な反米思想や陰謀論思想など持ってはいない。

小室先生の弟子を名乗り類稀なる小室学に泥を塗り続ける国賊・副島隆彦は小室学の継承者と勘違いされては困る。