TPPの話題が消費税や首都圏直下地震の話題に隠れてしまっている。
私はこのブログにおいてTPP反対派に対して批判をしている。私はTPPは無条件賛成というわけではないがTPP反対派に対して違和感を感じ続けている。
中野剛志の話を聞いていると理由無く嫌悪感を感じるという、中野の人格がただ嫌いというのもその理由かもしれない。
私は自由貿易こそ経済の根幹だと考えている。
かの織田信長が楽市楽座の推進と関所の撤廃で経済の活性化を行い天下布武に動き出した故事を思い出してください。信長は日本に近代資本主義への種まきを行った。信長的自由貿易は関所の撤廃と楽市楽座は中世的停滞から戦国~南蛮貿易へと発展していった安土桃山時代の自由な雰囲気が日本を発展させ支邦や朝鮮と切り離し、江戸時代を経て明治維新の成功と近代日本の発展につづいて行ったのだ。自由貿易は善であると私は無条件に考えている。
そんな私の思想を幻想だと言い切るのが、帝国以後 で一躍名を馳せたエマニュエル・トッドの本書である。ここ1週間この本を何度も行ったりきたりしながら読み直した。
幾つかの点で反自由貿易主義者の言い分を納得した。確かに愚民と官僚が支配する衰退先進国日本はTPPに反対した方がいいかもしれない・・・
だが結論からすれば、日本がTPPに加入せずエゴイスティックな保護貿易を維持したいのであれば、核兵器や強力な軍事力を持ち、諜報機関を育成し国家として権益を守る意志を持った官僚や政治家が必要不可欠である。憲法も改正できない日本では反自由貿易・反TPPでは中途半端な世界の孤児にしかなれないと私は思う。
その前提で本書を読むといい。TPP反対派の言い分とその欠点両方が私には見えてきた。
本書の最後にエマニュエル・トッドのインタビュー記事が出ている。
短いので全文を載せる。
16 TPPは日本にふさわしい地域協定ではない〈インタビュー〉
エマニュエル・トッド 聞き手=毎日新聞・鈴木英生
今後は、中国の民主化よりも、西欧が中国の政治制度を採用するかどうかが問題になる時代かもしれません。私はこの文章を読み3.11直後に米国やフランスが自国民に出したトンチンカンな警告を思い出した。所詮外国人にとって日本を知らないし、大雑把な認識しかないと思った。
政治家の指導力低下と民主主義の危機は、日本のみならず先進国共通の現象です。西欧の民主主義は停滞し、世界の模範例ではなくなってきました。アメリカの地位も低下しつつある。
結果、中国の成長が世界のモデルとなったら……。私は、そんな未来を選びたくありません。
民主主義の危機の原因には、まず、教育水準の向上による社会の再階層化かあります。さらに、信仰やイデオロギーといった集団的な価値の衰退も原因です。日本では「成長神話」がこの集団的価値にあたります。
かつては、教育の普及による識字率向上が民主主義を後押ししてきました。ところが、さらに社会が進歩して高等教育を受ける人が増えると、学歴差による再階層化が進みます。この再階層化と、人々の政治参加に必須な集団的価値の喪失が、民主主義の衰退を招きます。フランスも米英も事態は同じです。
また、自由貿易と民主主義は長期的に両立しません。今の自由貿易は富の偏在をまねき、需要を縮小させ、格差を拡大させます。生活水準を低下させる経済の維持と、こうした経済を批判する可能性かある自由な政治的言言を許すこととは矛盾します。先般の経済危機も世界規模の需要不足こそが原因ですが、各国の指導者層はこれを認めたかっていませんね。
現状を変えるのに必要なのは、文化的、歴史的に近い地域単位の経済協定です。協定の参加国は互いに対して自由貿易的に、地域外には保護主義的に振る舞うようにする。地域協定によって給与の再上昇と需要の復活がもたらされ、民主主義が閉ざされる可能性も低くなると思います。
日本も、将来はフィリピンやベトナムなど中国周辺の半島国家や海洋国家と地域協定を結ぶべきです。これらの国とは家族構造も似ており、安定した関係ができるでしょう。ただし、同じ環太平洋地域でも米国やオーストラリアと一緒は難しい。文化も歴史も日本と違いすぎます。だから、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)については疑問です。
日中関係では、両大国がいねば「同時代の国」ではないことが、問題を難しくしています。日本は毎年首相が交代することが示す通り、世論のぶれ幅がポピュリスム的に激しく、民主主義の危機が進んでいます。とはいえ、穏健な先進国です。中国は、まだ、大衆の識字化か終わりつつある、欧州で言えば一九〇〇年代の段階です。経済の急成長で仕会に緊張が走り、政府はナショナリズムでガス抜きをしている。この両国間の「時差」が、東アジアの不安定さの背景でしょう。
今後に楽観はしていません。政治指導者は歴史上、誤りが想像しうるときに、必ずその誤りを犯してきました。だから私は、人類の真の力は、誤りを犯さない判断力ではなく、誤っても生き延びる生命力だと考えています。
(初出『毎日新開』二〇一一年一月一三日付)
>日本も、将来はフィリピンやベトナムなど中国周辺の半島国家や海洋国家と地域協定を結ぶべきです。これらの国とは家族構造も似ており、安定した関係ができるでしょう。ただし、同じ環太平洋地域でも米国やオーストラリアと一緒は難しい。文化も歴史も日本と違いすぎます。だから、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)については疑問です。
日本文明は中華文明と異なる。このトッド氏はその認識がない。日本と中国朝鮮は別の文明で考え方は天と地ほど異なる。日本は明治以後ずっと西洋に倣って民主化が進んだ。中国のような汚職・賄賂・地縁血縁が全ての西洋的ルール契約を守らない国より日本はよほど豪州や米国との価値観が近い。
だからトッドの言うTPPが疑問だという論法がよっぽど疑問だと思う。
起こるべくして起こったユーロの崩壊現象は各国間の富の水準が違いすぎたのだ。
協定の参加国は互いに対して自由貿易的に、地域外には保護主義的に振る舞うようにするのだから、その地域内の所得水準は均質化していく。
日本と米国の一人当たりのGDPにTPP参加国が収斂していくと思う。
そのそもトッドは自由貿易に反対している。
トッドはリカードの自由貿易反対論をケインズと並べ説明している。
p44-46
リストとケインズ
『経済学の国民的体系』の中には、自由貿易体制における世界総需要の問題についての完備した省察は見出されない。国民的枠組の放棄は、実際は、生産と消費の間のつながりを断ち切ってしまう。競争が全世界的なものとなる状況にあっては、賃金経費の圧縮が、生産に対する消費の傾向的遅れと、需要不足とを引き起こす。
しかし、イングランドがまだ穀特法を廃止していない」一八四一年の段階では、財の流通に国境を開くことの最終的帰結について熟考するには早すぎたのである。
それでもリストは、国民の生産と消費の相互補完性を浮き彫りにして、国内市場の保護の必要性という結論を導き出すモデルを提唱するわけであるから、需要の問題には鋭い感受性をあらかにしている。
彼の立論の主要部分は、国内販路の優位に立脚する。フランスとアメリカ合衆国の例を探り上げて、彼は、自由貿易の結果として起こる産業部門の崩壊がいかにして農業生産物の国内需要の収縮に至ることがあり得るかを示している。ところがこれについては歴史は悪戯好きであって、この思想家の推論の力強さと同時に、彼にしてなおすべてを予見することが不可能であったということを証明するのだ。
何しろ一八六五年から一八九〇年までの、ヨーロッパ史上最初の自由貿易局面
において起こったのは、まさしくこれとは反対のことだったからである。新世界の農産物が大量に到来し、農村部の危機を引き起こし、農村部はもはや産業に十分な需要を差し向けることができなくなる。
しかし仮説としての場合でも、歴史としての場合でも、彼のモデルは、自由貿易による需要の圧縮によって成長の鈍化か生産の低落が起ることを示唆している。リストは常に、大衆消費の拡大に好意的であり、これが産業の発展の明らかな前提条件であると考えている。
経済史のもっと後の時代に生きていたら、彼は本能的にケインズ主義者となっていただろうと断定しても、大胆すぎるということはないだろう。
世紀の違いをあまり顧慮せずに、このような類縁性を喚起するのは、当然のことである。リストとケインズは、異なるカテゴリーに回収しようとするいかなる企ても越えて、資本主義の調節、方向性づけ、飼い馴らしの二大理論家として立ち現れるからである。
すでに見た通り、二人とも個人と市場の存在、競争の効用を認めるが、行為者の合理性によって全面的に説明できる経済生活という短絡的な見方は受け入れない。全く異なる二つのアプローチによって、二人は自分の経済表象の中に、個人的もしくは集団的な非合理な次元を導入する。
リストは国民の集団的次元を感じ取り、株式市場の模倣的メカニズムに魅下されたケインズは、むしろ非合理なものの個人的次元に敏感である。
しかし彼ら二人の自由への愛着は、神話的な人間像、もしくは神学的な経済像の中に根ざすものではない。だから、国家の行動を構想しても、自由を裏切るという感情を抱くことはない。そしてこの二人の資本主義の制御の理論家は、国家による調節の三大手段、すなわち関税、通貨、予算のうちのあるものから別のものへと、いつの間にか移動することができる、ということが確認される。私は、潜在的にケインズ主義者となるリストに言及した。
しかし、歴史の現実の中では、ケインズが最後には穏健な保護主義を受け入れ、一九三一年に、イギリスに輸入される製造業製品に一五%の関税を、農産物に五%の関税を主張するさまを観察しなくてはならない。思えば、実際、一九三一年に行われた、イングランドの保護主義への復帰は、部分的にはポンドの切り下げによって為替による保護を確立することによって実現したが、これによってイギリスは三〇年代において特権的な国民となったのである。
一九三二年に行われた、国民的自足体制についての講演で、ケインズは、「私の心の方向は変わった」という、誠実さと確信に満ちた驚くべき言葉で、青年期の自由貿易主義を放棄している。
ケインズはこの講演の中で、社会的凝集力と経済効率の繋がりについてリストと同じような直観をいくっか表明し、自由貿易によって産み出される過度の専門化の不条理を知覚しているのである。また国際競争の結果として戦争が引き起こされる潜在性も感じ取っている。
国際競争の主張者たちは、それが永続的な平和をもたらすと絶えずわれわれに請
け合うのであるけれども。
現在の経済学教科書が、諦念とともにか歓喜とともにか断言しているところだが、実は需要のケインズ的制御政策は、国民経済のある程度の自律性を要求するのであり、国家の行動によって産み出された需要が、他の諸国から到来する輸入となって蒸発してしまうことにならぬよう、国境の開放はある程度のハードルを越えてはならないのである。したがってケインズの思想とリストの思想は、論理的に相互補完的である。ケインズ・モデルは、国民というものにっいてのある見方を前提とし、リスト・モデルは、需要にっいてのある考え方を前提とするのであるから。
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