イメージ 1

7 リベラルな保護主義に向けて
――「市場」を規定する政治――

                                     中野剛志
関税からアーキテクチャヘ 

保護主義といえば、連想される代表的な政策手段は、関税である。       しかし、八〇年代以・降のグローバル化か進んだ世界では、自国の市場を防衛し、あるいは他国の市場を収奪するための主要な政策手段は、もはや関税ではなくなっている。

戦後のGATT(貿易と関税に関する一般協定交渉の進展により、関税は既に相当程度引き下げられている上に、国際的な資本移動の自由化により、資本や企業は国境と関税を越えて容易に移動できるようになっている。

このため、各国、特に欧米諸国は、自国経済の戦略的優位を高めるために、関税よりも強力な手段に訴えるようになった。すなわち、国家は、経済学が想定するような市場のルールを維持するだけの「夜警」であることをやめ、市場のルールそのものを自国に有利になるように積極的に改変することを企てるようになったのである。こうして、世界経済は、市場というルールの中での企業間の経済競争ではなく、市場のルールの設定を巡る国家間の政治抗争の場へと変貌することとなった。

国際市場のルールが一定であれば、国際競争力の強化に成功した企業が生き残ることができる。

努力した者が報われるという世界である。しかし、国際市場のルールが、企業の努力とは無関係に、政治の恣意的な裁量によって変更されてしまったら、これまで苦労して獲得してきた国際競争力が一瞬にして通用しなくなる。そのような国際市場のルールの典型が、通貨の交換比率である為替である。例えば貿易相手国が通貨を切り下げ、自国通貨が切り上がれば、相手国は瞬特に国際競争力を獲得し、これまでの企業努力の結果である競争優位はあっという間に水泡に帰するだろう。

企業努力とは無関係に操作され得る市場のルールは、為替相場だけではない。国際会計基準、銀行の自己資本比率、規格、各国の国内規制(独占禁止法、社会的規制、安全規制、環境現制など)も、市場の内部ではなく、市巾場の外部から企業の競争力を左右する要囚である。こうした要因は、市場の外部にあるものだから、市場によって決まるものではない。政治によって、第一義的には「国家」によって決まるのである。

八〇年代以降のグローバル化に伴い、アメリカの経済戦略の主眼は、市場の内部にいる企業の競争力を強化するアプローチから市場のルール自体を自国企業に有利に偏向するアプローチへと移行してきた。具体的には、一九八五年のプラザ合意によってドル安を誘導し、目米構造協議によって、日本国内の市場のルールを政治力によって変更しようとしてきたのである。その後ら、アメリカをはじめとする先進諸国は、国際会計基準や国際金融規制の改変によって、自国に優位な市場のルールを設定しようとしてきた。企業の国際競争力を決定する最大の要因は、企業の能力ではなく、国家の政治力となったのである。

アメリカが、 市場の内部にいる企業を強化する戦略から、市場のルールを改変する戦略へと移行した理由は、前者の戦略では、日本には勝てないことが判明したからであろう。既存の市場の内部で日本企業と競争しても、アメリカ企業は勝つことができない。しかし、市場の外にあるルールの改変は、企業の競争力ではなく、国家の政治力の勝負である。政治力の勝負ならば、アメリカは日本に対して圧倒的な優位に立てる。

そもそも「市場」とは、主流派経済学者が想定するように、諸個人の自由な経済活動の産物ではなく、政治や国家から独立した領域でもない。「市巾場」とは、財やサービスの交換のルールという「制度」であり、その制度を設計し、維持するのは政治であり・、国家である。貨幣、私有財産制度、取引法制など、市場に不可欠なものはすべて、政治がなくては成立しえない。また、交換してはいけない財やサービスのルールを設定するのも政治である。

自由な経済活動は、政治加役定した「市場」という制度の範囲内においてのみ認められるのであって、自由な経済活動の総体が市場を創るのではない。経済活動の自由とは、個人に与えられた生得の自然権ではなく、制度によって認められた権利に過ぎない。

言い換えれば、市場という制度の中で行使される経済的自由は、制度によって許され、場合によっては、制度によって誘導された活動なのである。このように各主体の活動を誘導し、実質的に強制するような制度の体系としての「市場」を、経済社会学者ニール・フリダシュタインに従って「アーキテクチャ」と呼ぶなら、今日のアメリカの国際経済戦略は、市場という「アーキテクチャ」を自国に有利に改変しようとするものであると言える。TPPも、アメリカのアーキテクチャ戦略の一環であることは言うまでもない。
昨年の大統領一般教書演説で明らかになったように、アメリカは、二〇一四年までに輸出を二倍にし、もって自国の雇用を増やすという戦略を基本としている。輸出によって自国の雇用を増やすというのは、言いかえれば、他国の雇用を奪って自国の雇用を増やすという「ゼローサム」ゲームであり、典型的な近隣窮乏化政策にほかならない。TPPは、このフゼローサム」ゲームの輸出倍増戦略の一端である。TPPを、互恵的な自由貿易を実現する多国間の枠組みなどと考えるのは根本的な誤解である。TPPを推進する当のアメリカ大統領自身が、「ゼローサム」ゲームに乗り出すことを宣言しているのである。

TPPは、日本の雇用を奪って、アメリカの雇用を増やす「ゼローサム」ゲームのアーキテクチャである。そのための戦術は、第一に為替の誘導であり、第二に非関税障壁の破壊である。いずれも、八〇年代のプラザ合意や日米構造出議以来の、アメリカの伝統的な経済戦術である。

第一の為替誘導については、アメリカは、まず日本をTPPに誘い込み、両国の関税を引き下げてから、ドル安誘導によって自国の市場をガードするのである。日本の輸出拡大は円高によって阻止される。他方、アメリカの農産品は、ドル安で競争力を強化して、関税が撤廃された日本の農業市場を侵食し、雇用を収奪する。

為替は政治力の影響を受けやすいものであるから、アメリカは円高を誘導できるが、政治力で劣る日本は、それを阻止できないであろう。

第二の非関税障壁の撤廃にっいては、既に昨年十一月のAPEC横浜会合において仕掛けが用意されていた。まず、菅首相がAPECで「開国」を宣言したが、我が国の関税は既に世界でも最低レベルにまで引き下げられている。

関税の低い国による「開国」の宣言は、非関税障壁の撤廃の公約に等しい。この時点で、既に日本は、アメリカの戦略に乗せられている。

「開国」宣言に並行して、案の定、APEC横浜会合の日米首脳会談において、「日米経済調和対話」が合意された。「調和(ハーモナイゼーション)と言えば聞こえはよいが、これこそ、八〇年代後半以降、他国の非関税障壁をアメリカに有利なように改変することを意味するものとして、しばしば用いられてきたワードである。

それは、日本の社会規制、制度、文化をアメリカの要求に沿うように「調和」することに他ならない。「日米経済調和対話」であるから、アメリカが日本の要求に沿った調和を行う可能性もあると考えるのは愚かであろう。

二国間の制度の調和は政治的な営為であり、政治力が決する。経済力の勝負は避けて、政治力の勝負に持ち込むことこそ、アメリカの狙いである。

非関税障壁に関し、アメリカの狙いがどこにあるかは、二〇一一年のアメリカ通商代表部(USTR)の「外国貿易障壁報告言」の日本に関する記述を見れば一目瞭然である。

例年は、株主の利益をより重視した商法への改正、外国人弁護~の参入規制の緩和、簡易保険市場の対外開放、対日直接投資の円滑化のための規制緩和などが要求されている。

さらにTPPの枠組みにおいては、財の貿易のみならず、金融、投資、衛生・検疫、労働規制や環境規制など様々な作業部会が設けられており、非関税障壁の包括的な引き下げや撤廃が予定されている。

TPPの作業部会では、自由の戦略的優位を確に」すべく、国際市場のアーキテクチャを巡るパワー・ポリティクスが、アメリカ主導で展開されるだろう。日本は、この中に引き込まれようとしているのである。いや、不用意にも自ら飛び込もうとしていると言った方加よいだろう。

国内のTPP賛成論者は、TPPへの参加によって関税という国家介入を排除すれば、自由で公正な市場が成立するとでも夢想しているのかもしれない。しかし、TPPへの参加は、実際には、アメリカによる包括的な国家介入を招くのである。経済学者をはじめとするTPP賛成論者には、アーキテクチャ戦略に関する認識と警戒が驚くほど欠けている。
一見まともに見えるこの中野先生の説だが私にとっては???だ。

中野先生はルールとプリンシパルの区別がついていない。
競争はルール作りから始まるのだ!そのルール作りにも負けるから参加するなと言う中野先生のロジックには承服しかねる。

第一米国は日本のTPP参加にかなり消極的だ!中野先生の観察とは逆だろう!

では、TPPに参加しなかったらどうなるのだろうか?中野先生の意見はTPPが対中国包囲網の一環であることに一言も触れていない。

執筆中