このブログでは常に上から目線で世の中を視て文章を書いていると思う。ブログでの私は冷たい横柄な人間と思われているかもしれない。教育論についてはどうしても上から目線でなはないと書けそうもない。言い訳をしておくが、リアルな私は日々温厚な笑顔で人に接し、一般的なサラリーマンとして我慢に我慢を重ねている普通の中年男性です。ブログでの横柄な態度はその反動と思って欲しい。もちろん家庭では妻の尻にひかれています。
しかし、西暦における紀元前を意味するB.C.=before Christ・・・キリストが生まれる前 キリストが生まれた年を紀元とするのだが、本当に西暦1年にキリストが生まれいるのかは正確ではないのだ。キリストが生まれてから30歳くらいまでのキリストの生涯は、事実上神話なのだ。その西暦は6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによって算出された暦であって、キリストの誕生日とされる12月25日も冬至の日にも近く太陽神を祭るミトラ教の祝日を利用したものだった。
そう、西暦AD1年から算出されたAD525年までの西暦は歴史的に存在していないのである。※ちなみに西暦の紀元後A.D=Anno Domini・・・キリストの年代と言う意味
国家の紀元を神武天皇の即位に求めることは、古代の『日本書紀』編纂以来、一般的な認識であった。これを暦法に応用した皇紀の使用は、江戸時代後期の1840年代から1860年代にかけて、藤田東湖など国学者が用いた事が始まりである。当時の国学者は、アヘン戦争が勃発した西暦1840年を「紀元2500年」というように呼んでいた。どの暦を用いるかは習慣の問題である。ゆえに、神武天皇即位紀元が非科学的だと主張する人達には非難する意味がない。
皇紀2672年と書くとネットウヨだとか右翼と非難する無知な人間が沢山存在する。これは日本では国民を育成する教育が行われていないのであるからである。そういった無知無学な人間が存在してしまうのは、東京裁判史観、現憲法下ではやむをえないのかもしれない。
今日、日本国家が衰亡し国家滅亡の危機にあるのは、国民を育成する教育を行っていない、特に国家のエリート達に愛国教育・国家に奉仕する精神を行われていない。日本の国家としての衰亡はいわば必然である。(※筑波大駒場高校など旧制高校の末裔高校ではその精神が残っているらしい)
断っておくが私の意見はエリートに対して皇国史観を押し付けるのではない、ましてや皇紀元年がBC600年と覚えさせるものではない。歴史教育と歴史研究は違うのである。
江戸時代の武士は論語と英雄伝によって教育され、それがやがて国難に臨んだ際明治維新に結実したのではないかと思う。この国難に際しはたして今日のエリート層はどれだけ立向えるかはなはだ疑問である。ちなみに官僚主導で高度を果した時期の官僚達は皆戦前の教育を受けて育った世代だ。
今日の近代国家は民族国家(ネーションステート)である。近代以前においては王国(レノム)は存在したがネーションステートは存在していなかった。王国においては領主・貴族・農民・市民商工業者・農奴といった様々な階層は存在していたが、貴族と農民はお互いに相手のことは仲間であるという意識はなく、ネーションステーツと違い国家としてバラバラであった。
欧州においては繰り返された戦争という競争でバラバラな国家は負け、ナポレオンのようにフランス革命にてフランスという民族国家が誕生した国、国民が結束した国が覇権を握り、ドイツ、イタリアのような小国が乱立していた国は取り残されたのである。
アメリカ合衆国においては建国の精神=民主主義を守る為に教育に重点がおかれた。最初の入植者達1000人がメイフラワー号に乗って1630年にアメリカ大陸に到着して僅か6年後の1636年にハーバード大学が建学されたのである。1000人のピューリタントの入植者のうち40~50人がケンブリッジやオックスフォードの出身でその他に宣教師や印刷工など当時のインテリが非常に多く含まれていたと言う。
最初のアメリカ入植者達がいかに教育の重要性を認識していたか窺うことができる。その後も欧州で没落していった高い教養を身に着けた下級貴族(ヨーマン/ジェントリー)達がアメリカ大陸へ次々と移住していったのである。
アメリカが独立戦争を世界最強の大英帝国軍と戦って勝利を収めたのは奇跡であった。大英帝国軍を、農民や市民の寄せ集め部隊が粗末な武器で戦い破ったことは天佑もあったかもしれないが、類稀なるワシントンの指導力によるところが大きかったのだ。英雄ワシントンを初代国王になるよう推戴した人達もいた。
もしワシントンが望めば国王とか独裁官になることは可能であったろう。だが、英雄ワシントンは辞退した。そして大統領も自ら2期を勤めたあと大統領も辞した。ワシントンが無欲の偉人であったせいもあるが、既に米国の教育水準が高かったことが独裁者を輩出することなく民主主義が守られた大きな要因であった。
独立当時の米国は私の尊敬する初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンはじめトーマス・ジェファーソンなど多士済々の人物を輩出している。教育大国であったからこそデモクラシーが守られた。民主主義が守られたがゆえ米国は発展していった。その後の南米大陸と北米大陸の運命をみれば、教育は重要なのである。
では米国ではどのような教育をしているかというとアメリカ式の教育は国民の育成である。米国のTVや映画で小学生や中学生が国旗に忠誠を尽すシーンをよく見ると思うが、米国教育でもっとも優先されるのが、国家への忠誠である。読み書きそろばんより国を愛する教育である。そうしないと様々な民族の寄せ集めである米国はバラバラになってしまうのである。
アメリカの小学校では読み書きそろばんを教えるのではなく、愛国心とコミュニケーション能力を教え、その後社会に適合する人間を育てる教育を行うのである。
歴史教育には力点が置かれている。アメリカ人としての誇りを教え、アメリカに対する忠誠心を涵養するのだ。ピルグリムーファーザーズの入植から始まって、独立宣言、独立戦争、南北戦争……アメリカ民主主義の生い立ちを「これでもか、これでもか」というほどに教える。 現在の体制は、先人たちの血と汗によって築かれたものであることを教え、「アメリカ民主主義は命を賭けてでも守るべきものだ」ということを児童・生徒の脳髄に焼き付けるのである。 言うまでもないことだが、この場合、教えるのはもちろんアメリカ史の「光」の部分が中心である。
だがご承知のとおり、アメリカ史は輝かしい側面を持つ一方で、汚辱にまみれた一面も持つ。 西部開拓におけるアメリカ先住民への迫害、殺戮や奴隷制度の存在であるが、小学生のうちはあえて教えないのである。
自虐史観の詰め込み教育をする日本とは根本的に180度異なるのである。
第二次世界大戦後、日本はGHQの指導により教育改革が行われ、教育基本法が制定された。この旧教育基本法はアメリカ式の教育とはまったく対極にある酷い法律であった。リンクでよく読んでほしい。そこには子供達を「人間にする」「日本人にする」という概念がまるで書かれていない。日本の教育には「社会化」の機能がまるでない。戦後教育ほど非アメリカ的で民主主義に程遠い教育はなかったのである。
戦後日本で行なわれてきた教育とは、アメリカが押しつけた非アメリカ式教育である。民主主義的ではない。近代国家における教育ではない。ましてやアメリカ式教育でも何でもない。
本当にGHQが日本に民主主義国家を建設する為の法律であれば愛国心や道徳を否定するような教育はおこなわないはずだ。明治以来の日本が、短期間で極東の一小国から世界の「列強」の一員になることができたのは、ひとえにアメリカ式教育=愛国教育=日本人であることの誇りを教える近代的教育の力であった。 まこと、教育こそ国の基礎である。 アメリカが恐れたのは、まさにその戦前の教育が復活することだった。
もし、戦後も戦前の日本のようにアメリカ式教育が行なわれ続けたら、どうなる?
日本人に愛国心を与えたりしたら、かならずや敗戦国日本はアメリカに対して復讐戦をしかけてくるに違いない。そう恐れていたのである。
教育基本法とは日本を二度と米国に報復戦争をさせない為に仕掛けられた幾つか罠のひとつである。日本に生息する自称リベラル派というバカ達や日教組などはこの旧教育基本法を民主主義教育の鑑として金科玉条としてきた。
その歪な教育においてもっとも優秀な者が入学するのが東京大学である。そして官僚の大多数がこの東京大学出身である。
昭和20年12月から現東大の総長に居座った南原繁、こいつは教育基本法制定の委員会の委員長であり、その趣旨について南原は「(教育勅語は)なによりも、国家のためという考え方、国家のための教育、学問ということ、そういう見地から国民教育も国民の錬成ということが主要なる表面に出ておったわけですが、したがって戦後の新しいその時の委員会の着想は何よりも人間性の開発、人間自身、個人の人間性を開発すること、これは一番大きなねらいであって、つまり真理と正義を希求する人間と同時にそれによって作られた普遍的で国際的な文化を作り出すという、それを基礎にしてそういう人間が新しい日本の国家の、また社会を支える形成者になることが一番大きな眼目でありました。」と語っている。
尚且つ南原は、当時の吉田首相の単独講和論に対し全面講和論を掲げた、要するに対米講和だけでなく、支那やソ連、果ては朝鮮にまで講和条約を結べと、吉田首相に迫った肝入りの共産主義者であり、この全面講和論の論拠はコミンテルンとしてのスパイ活動そのものなのです。南原自体、長く欧州の留学経験もあり、戦前からコミンテェルンのスパイであるのは周知の事実であった。
南原の次の東大総長の矢内原忠雄は共産主義者でないものの、歪んだ信仰の持ち主だったようです。戦前、満州で列車に乗ってる時に匪賊に襲われ、矢内原が乗ってる車両だけ襲われなかった経緯で、神の臨済を信じるようになり、そして、神の恩恵を伝えるために「通信」なるオカルト的な読み物を発行したが、当然、戦前の国家では発禁処分となったのですが、その腹いせに最後の発刊で自分の理想を活かすために、先ず日本と言う国を葬って下さい、と言い切った。
そして戦後、南原の跡を継いで総長になってからは「皇室」の廃止にその精力を注ぎこんできた人物である。
官僚は自己紹介する際東大出身と言わず何期であると自己紹介するのである。
愛国心がない東大出の官僚に国を任せることなどできない理由は国家とは何か(愛国教育)を教育していないことであろう。

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