毎回日経新聞経済教室に寄稿される猪木武徳青山学院大学特任教授の記事歴史と思想に学ぶはわかりやすく月に一度楽しみにしている。
今回の中央銀行がなぜ独立性が必要なのかについては基本的なことなのだが、私自身曖昧に解釈していた。中央銀行の独立性が何故必要なのか是非皆様にも読んで欲しと思う記事でした。
【経済教室】
歴史と思想に学ぶ
金融政策は財政政策と比べ、現代のデモクラシー(民主制)国家において特別な位置を占める。物価安定のかじ取りをする中央銀行にはなぜ独立性が求められているのか、政策目標にどう優先順位を付けるのか、そもそもなぜ中央銀行が必要となったのか---。今回は中央銀行成立の歴史にふれつつ、民主制社会におけるその使命について考える。
中銀の行動に黄金律なし
「政治からの独立」は要
金融政策に過大な期待禁物
税制も予算案も、民主的に選ばれた議員によって立法府で審議され法律となる。他方、金融政策は日銀の政策委員会で審議されて決定・実施される。この政策委員会のメンバーは選挙で選ばれるわけではない。財務省と日銀が金融の専門的知織とすぐれた識見を持つ専門家を事実上選び、国会の承認を受けるのだ。
税や補助金は所得分配を直接変えるため、政治の動きに国民は強い関心を向ける。しかし、同じく所得分配に影響を与える金融政策は議会を経ずして決定・実施できるため、機動性は高いが、政策効果を見据えた分析は一般国民には近づき難い。
その効果がいつ、どの ような形で現れるかは専門家でも意見が分かれるときがある。
金利を下げても設備投資が十分増えるかどうかは他の要因にも依存するから正確に推測するのは難しい。金融緩和を進めて効果がないと思っていたら、突如インフレが勃発することもありうる。金融政策に「黄金律」があったとしても、それは健全な経済を実現する前提条件とはなっても、それだけで健全な経済が実現されるというわけではない。
従って政策担当者には「石橋をたたいて渡る」以上の慎重さと忍耐が要求される。目前の自己利益にのみ関心を持つ者は、慎重な当局を「勇気がない」とそしることがある。
しかし、軽々に判断しない勇気を求められるのが中央銀行の政策委員会なのだ。その中央銀行はそもそもなぜ存在するようになったのだろうか。
中央銀行にも、長い歴史の中から生まれ出たイングランド銀行、第1次世界大戦直前に創設された米国の連邦準備制度(FRS)、日本の日銀のように外国をモデルとして法制度を整えたケースなど、いくつかの類型がある。
イギリスの場合、1694年、当時最強を誇ったフランスの海軍に対抗するための軍事費調達を主目的としてイングランド銀行は設立されている。当初から政府に長期資金を貸し付ける公的な存在であったが、資本は民間から集めており、形の上では私営銀行だった。やがて銀行券を発行するようになるが、他にも民間の発券銀行は存在した。
ナポレオン戦争後に金融恐慌が頻発したことを受け、銀行券の発行量を、銀行が保有する金の量に比例させるべきか(通貨主義)、裁量に任せるべきか(銀行主義)という論争(この論争は現代でも衣を変えた形で続いている)に一応の決着をつけ、イングランド銀行の銀行券発行ルールを規定したのが「ビール銀行法(1844年)」であった。通貨主義の原則を具体化し、金本位制を定着させた法律である。ただその後もイングランド銀行が金融政策に責任を持つ特別な機関なのか、民間銀行の1つにすぎないのかについては、当のイングランド銀行内部でも定まった位置づけはなされなかった。
そのイングランド銀行に、最も包括的で歴史的な解釈を初めて与えたのは、英エコノミスト誌編集長、ウォルター・バジョット(1826~77)の「ロンバード街」 (73年)だった。バジョツトは若いころは自由経済論者であり、J・S・ミルの「経済学原理」 (48年)が公刊された時、22歳の若さで40ページを超す長文の賛辞と批判の交じった書評をものしている。ミルの「銀行主義」の影響もあったのか、彼は市場の調整機能をやみくもに信仰する空論家にはならなかった。特に通貨に関しては、レッセーフェール(自由放任)の原理を無条件に適用せず、金融システムは政府によって慎重に制御されるべきだと考えた。
「ロンバード街」で体系的に展開されたバジョットの中央銀行論は、2つの柱から成る。1つは、徐々に進化して生まれ出る制度という柱である。英国では多くの銀行が、預金の中から払い戻しに備えて積む準備金をより大きな銀行へ預けることによって、現金準備の「ピラミッド」のような形で信用制度が形成された歴史があった。その歴史が「制度」としてのイングランド銀行を作り上げたのである。イングランド銀行がこのピラミッド構造の中枢に位置するという制度的事実をバジョットは具体的に記述した。
いま1つの柱は、必要な流動性(現金)が十分供給されうると人々が知って初めて銀行恐慌は回避できるという人間心理である。そのためには「最後の貸し手」が存在しなければならない。J・M・ケインズはこの指摘こそが、心理学者バジョットの偉人な貢献であったとエコノミック・ジャーナル誌(1915年)でレビューしている。
「制度」と「心理」をベースに、バジョットは、自由主義経済が主流であった当時としてはいささか時代逆行的に、イングランド銀行は銀行業界の競争を勝ち抜いてきた単なる「同輩の中の第一位」ではなく、公的責任を位う「特別の銀行」だと主張した。実際、金融危機において、イングランド銀行は普通の民間銀行のようには行動しなかっただけでなく、危機的状況にある他行を、積極的ではないにしろ支援してきたのだ。
こうした事実を重視し、バジョットは、イングランド銀行は発券銀行であると同時に信用秩序の番人であり、「最後の貸し手」となる位置を公的に認めるべきだと主張した。そうした地位を確立するには、中央銀行として十分な準備金を保有し、金利を公的に操作することによって通貨の海外流出を防ぎ、常に貸し出しができる体制にあることが必要だ。危機に際してもルール通りの融資条件で、リスクに見合った(時には高い)金利で、自由な貸し付けを行うべきだと論じたのである。
現代の金融システムも、バジョツトの議論から学ぶことは依然として多い。短期金融市場が取引不全に陥らないように、中央銀行が民間金融機関に十分資金を供給することの重要性は、4年前のリーマン・ショック時の先進国の対応にも示されている。
バジョットは、恐慌時に中央銀行は積極的に融資すべきだと主張した。だが、これは不安の連鎖を断ち切るためであり、金融緩和の成長促進効果を期待したからではない。
「ゼロ金利」で投資意欲を剌激しようにも、デフレ気分が強く、インフレ期待(予測された物価上昇)がマイナスなら実質金利は低くならない。劣悪な投資への資金需要を膨らませる懸念もある。現代ではデフレ時の金融政策の成長促進効果が過大評価されてはいないだろうか。しかし金融政策が成長に対して強い威力を常に発揮すると信じ込んでいる人は、経済政策が行き詰まると、王子を叱れない教師が「王子の学友」を代わりにムチ打つように中央銀行の不作為を責めるのである。
金融政策の選択は必ず誰かの利害と衝突する。従って専門性と民主的手続きのジレンマ(矛盾)をどう調和させるべきかという問題は避けられない。ここから日銀の「独立性しの議論が生まれる。
だが独立性を高めるという場合、経済家、政治家、財務省からの独立だけではない。証券市場や為替市場の短期的な動きを盾にした各界からの圧力もあり、独立性の最大の根拠である長期的視野に立った運営という公的目標を見失う恐れもある。中央銀行の独立性が、リベラルーデモクラシーの国家の中で画餅に帰すリスクは常に存在する。
中央銀行は金融現象と政策意図のすべてを事前に明らかにすることはできない。デモクラシーにおける情報公開・透明性といっても、おのずと限界がある。イングランド銀行も、かつてその「秘密主義」を厳しく批判された。私営銀行としての長い歴史が秘密主義を払拭できなかったこともあろう。だが中央銀行としての「公的責任」ゆえの守秘義務もあったと考えられる。
こう考えていくと、中央銀行が批判にさらされやすい理由の一端が明らかになる。金融政策には物価安定だけでなく、経済成長や証券市場など複数の目標かおり、その政策手段も複数ある。目標価値の相克、分配をめぐる争いの対象となりやすいのだ。
名著「バジョット以後の中央銀行論」を書いたR・S・セイヤーズの言うように「中央銀行の行動に黄金律はない」。だからこそ、選んだ手段や目標により政策担当者の地位が左右されないような環境が必要なのである。この環境こそが、中央銀行が政治的な圧力から自由であるという意味の「独立性」であろう。 (青山学院大学特任教授)
日銀の「民主化」
日銀の最高意思決定機関である政策委員会は、1949年にGHQ(連合国軍総司令部)による「戦後民主化」の一環として、日本銀行法一部改正によって誕生した。政治とは利害が対立する人間や地域グループ間の利害を調整する仕組みであると思う。特定の団体や階層からの圧力で成り立つ政治から中央銀行を独立させるということは、デモクラシー国家においては健全な経済を維持する上で必要不可欠であると思う。
1882年に株式会社として設立された日銀は、第2次世界大戦中の1942年、日銀法制定で特殊法人となり、蔵相が銀行券の発行限度を決め、政府への無制限の無担保融資や国債の引き受けを規定、軍需融資の資金統制の金融機関として機能した。
この政治と金融の一体化への反省から、戦後、政策委員会の設置〔銀内部に設けられてはいるか〕によって、政めからの独立性と政府の指示権を最小限にとどめるために一定の独立性が与えられた。日銀のガバナンス(統治)上の一大改革であった。
バジョットは、恐慌時に中央銀行は積極的に融資すべきだと主張した。だが、これは不安の連鎖を断ち切るためであり、金融緩和の成長促進効果を期待したからではない。
必要な流動性(現金)が十分供給されうると人々が知って初めて銀行恐慌は回避できるという人間心理である。そのためには「最後の貸し手」が存在しなければならない。
ギリシャ危機に端を発した今回の危機は財政が国ごとに独立していて利害が対立しているにもかかわらず、極めて曖昧なまま無理やり通貨を統一してしまったことが危機の本質だと思う。これは構造的欠陥であって不安の連鎖を断ち切るには、ECBがギリシャやスペインに対し無制限に通貨を供給する姿勢を示さないことには危機が終息しないのではないかと思う。
ユーロは米国やアジアに対抗する欧州の答えであったが、ユーロが誕生するには時期尚早だったのかもしれない。
外国為替市場での為替相場にへの介入は、日銀の政策ではなく、財務省が管轄する政策である。日銀は外貨の売買を行うことはできるが、為替介入は国の事務の取り扱いをする者として行うことが日銀法第40条2項で定められている。
現行の法律下で行われる円売り介入の方法は、まず財務省が短期国債を発行して円資金を調達し、その調達した円を日銀を通じて外為市場で売却するかたちで行う。

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