最近京都近辺で3つの事件が起きた。祗園暴走事故、亀岡無免許事故、大津いじめ殺人事件。このうち二つは千年の都京都の闇、いや穢れを嫌う日本人の本質にかかわる根深い問題にかかわる事件だった。

私は北関東に生まれ、東京で大学時代を過ごし、入社後、京都に5年ほど住んでいました。はじめは京都府下に約3年、その後、京都市の西京区に住んでいました。

府下の城下町から京都に引っ越す際、皆口をそろえ、五条より下に住んではいけない、六条七条は余所者の貴方はまだセーフかもしれないが、絶対京都駅より南には住んではいけないとすべての知り合いから言われた。

結局家賃が碁盤の目の内側より安く皆様の助言で桂離宮近くに住みました。
桂駅から阪急で四条烏丸駅まで電車で通い皆正解だと言われました。

京都市民にとって何処に住んでいるかでその人の人格を計る尺度であからです。
もし京都のOLに四条大宮に住む年収300万円大工さんと東九条に住む年収3000万円の自営業社長、どっちと結婚したい?と聞けば10人中9人が躊躇なく前者を選ぶであろう。これは京都人のコモンセンスだと思う。

北関東生まれの私にとってはじめは、なんて差別的なことを言うのか・・・だから京都では差別が無くならないのだ。京都市民は余所者に冷たいと言われるのもその為かと思っていた。京都を絶賛し京都人をたてた付き合い方をして娘をセレブ幼稚園に通わせた私一家は京都の人達に受け入れられ、京都人の本音が見えてきた。

娘が小学校に上がるとき、京都人の知恵をいたいほど理解できた。問題がある地区の小学校のカリキュラムを見て背筋が寒くなったのだ。

問題地区の小学校は朝から晩まで人権教育ばかり、まともな学校行事が潰されているのだ・・・・これでは問題のある地区の小学校へ子供を行かせたくなくなる。

京都人は問題がある地区の人とは、はじめから関わらないようにしているのだ。
お友達になるにもまず住む場所でその人を見るのだ・・・千年の知恵としか言いようがない。

今は亡き網野善彦教授が「日本とは何か」において、日本人は単一の農耕民族だけではなく、最近流行のノマドと言うべき流浪の民/自由民の存在を指摘した。

そのノマド(自由人)は道々の者・無縁と呼ばれる集団です。わが国には、古来から人別にも記載されない山窩(サンカ・サンガ)と呼ばれる山の民(非定住民・狩猟遊民)も居た。明治維新以後に戸籍(壬申戸籍 /じんしんこせき)をつくるまで、山窩(サンカ・サンガ)は、治世の外に存在したノマド(自由民)であった。

この山窩(サンカ・サンガ)は、九州から東北地方まで分布している所から、比較的後期の渡来系勢力に押されて、同化を拒み、山中に逃げ延びた「内地の原日本人系縄文人(原ポリネシア系)の一部、先住民族(鵺、土蜘蛛、鬼、の類)の同化から取り残された残存の一部ではないか」との説もあります。

戦国期~安土桃山期に伸し上がった土木工事や築城術、土木戦術、輜重(しちょう/後方支援)運輸術などノマド(自由民) と思われる異能の勢力が、豊臣秀吉、蜂須賀小六、加藤清正、藤堂高虎などである。ノマドがノマド(自由民)出身の大名を支え、平地に降りてきた、京都にはそういった人々が纏まって多数住み続けてきた場所である。

江戸時代はそういった人々を士農工商の下に位置づけ穢多(えた) 非人と呼んでいました。農耕民族の共同体に属さない異なる価値観は領主や農民から絶えず弾圧されてきた。これが今日の部落問題の根源である。

人間は個体であると同時に集団の部品であり、ノマドであると同時に定住民でなければならない。その矛盾した考えの歪みが部落問題の根幹に存在するのだと思う。

千年の都京都では共同体から孤立した自由で無縁人々に穢れを嫌う多数派日本人がしたがらない、処刑人や動物の解体、皮製品の製造を任せてきた。

圧倒的多数派の農民や都市住民であった京都人と価値観が異なっていたことは容易に想像がつく。都市であった京都は必然的に部落民の比率も高かった。
京都人は部落民と共存する知恵として部落民とはなるべく関わらないことを選んだ。

ところが、関わらないようにしてきた少数派を、維新後自由平等といった未成熟な民主主義をむりやり日本に移植した為、少数派を繋いでいた鎖を断ち切ってしまったのである。更に敗戦~高度経済成長~バブル崩壊により多数派が少数派を抑圧してきた力の根源である多数派の共同体自体がが崩壊してしまったのである。

多数派の共同体が崩壊すれば団結が強い少数集団が多数派から様々な権益を奪い取るのは必然ではないだろうか?

大津や亀岡は京都の衛星都市であり、そういった少数派であった人々が人口比率において高い比率で居住する地区でもあるのだ。さらに戦後朝鮮に帰国を拒んだ朝鮮人が加わった。彼らは人権という刀を振り回し京都に住む多数派日本人にとって厄介な存在となってしまったのである。

京都市役所では不祥事が多発していることも無関係ではない。
京都・同和「裏」行政 村山祥栄/著
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 どこの犯罪記録か、暴力団か?
平成一八年八月に入り、議会も慌ただしく、不祥事の徹底究明と撲滅に向けて動き出した。議会招集に時間を要することから、この問題の緊急性をも鑑み、八月二一目、二八日に京都市議会初の常任委員会連合審査会を開催。三一目には、議会招集請求による臨時議会が開かれ、同日、地方自治法一一〇条に基づいて職員不祥事に関する調査特別委員会を設置するにいたった。
六月以来、この間に噴出し、処分された職員の主な不祥事は次のとおりであった。


 ・消費者金融のATMをゴルフクラブで破壊。窃盗未遂などの容疑で逮捕された環境局職員(二八歳)→処分:免職
・女子中学生壱叩いて傷害容疑で逮捕された下京区役所女性職員(過去にも暴力事件あリ。四四歳) →処分: 停職六ヵ月
・三ヵ月間にわたって、交際を拒んでいる同僚女性の自宅を何度も訪ねたつきまとい(ストーカー)行為の保健福祉局事業所職員(五二歳) →処分: 停職一ヵ月
・勤務ダイヤに不満を持ち、建設局の作業用ワゴン車の窓ガラスをゴルフクラブで破壊した運転手(五六歳) →処分: 停職七日
・環境局のゴミ収集業務の際、半年間で人身事故を含む四件の交通事故を起こした運転手→処分:減給
・私用で三回無断早退した職員 →処分: 減給
・女子中学生二人に対し、一八歳未満であることを知リながら現金を渡しわいせつ行為をしたとして逮捕された環境局職員(三〇歳) →処分: 免職
・覚醒剤を使用したとして覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された京都市職員の姉妹(二六歳、二五歳) →処分: 免職
・その姉妹に覚醒剤を譲渡。自宅からも注射器一〇〇本が見つかリ覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された環境局職員(三三歳) →処分: 免職
・犬猫の死骸収集業務で、市民から受け取った処理手数料を着服した環境局職員四名(五三歳、五〇歳、四八歳、四五歳)  →処分: 免職。業務上横領で告発(後にさらに二名の関与が発覚して免職処分)
・生活保護ケースワーカーで、生活保護者に貸し付ける応急援護金一〇〇万円を職場から持ち出し、窃盗の容疑で逮捕された福祉事務所職員(三四歳)  →処分: 免職
・無断欠勤を一三日間続けた区役所職員(三九歳)  →処分: 停職一ヵ月
・三年以上無免許で自動車通勤をしていた環境局職員二名(五四歳、四九歳) →処分:
・運転免許停止処分中に公務で運転していた環境局職員(五七歳)→処分: 免職


その後も懲戒処分が続くわけだが、とにかく内容が酷い。ある議員が、さすがに呆れ果ててフ」れはどこの犯罪記録か、暴力団か回」と郵楡していたが、まったく同感だ。
中でもとくに、覚醒剤が市役所内部に蔓延している実態は深刻だった。じつは京都市では、この10年間だけ見ても、覚醒剤取締法違反容疑など違法薬物関連で逮捕された職員が20人にものぼる。逮捕された覚醒剤の使用者、販売者とも市役所職員という異常な事態に、議会内でも「職員に尿検査を実施するべきだ」「市役所内に覚醒剤の密売ルートがあるのではないか」といった発言も飛び出すほどであった。もはや、行政がどうのといった次元の話ではなかった。
交通局労働組合の闇専従 のアリバイに使われた京都市幽霊バス問題また、新聞報道により、一度不祥事で懲戒免職になった職員が再採用されている実態も明らかになった。例えば、1988年に交通事故の保険金詐欺事件で懲戒免職になった職員は5年後に、タクシーの運転手への恐喝事件で1984年に分限免職となった職員は9年後にそれぞれ再雇用された。また1983年に覚せい剤取締法違反と銃刀法違反事件に関与した職員は分限免職となったが、17年後に再雇用された。


平成14年度まで京都市では同和行政の柱として同和地区の人々に対し職業の機会均等を保障するため、現業職への優先雇用を行ってきた」と説明。そのうえで「バブル期に現業職に応募する人がいないなかで、とにかく採用しないとごみの収集ができないということで、甘い採用をしてきたのは事実。その採用が一連の不祥事の大きな要因の一つ」と説明し、同和枠採用が不祥事続発の大きな原因であることを認めた。2002年平成14年に京都における同和対策事業は終了している。
しかしながら、その後も京都では同和関連の不祥事が依然続いているのである。

京都の事件は日本中に蔓延る人権を振り回す団体と在日外国人団体を抑圧しなけならないことを多数派日本人に警告する事件であったと思う。

同和関係者の皆さんもこの青年に謝罪するよう言ってみてはどうですか?被害者に一言も謝罪しない亀岡の犯人は人間ですか?少なくとも謝罪するのが人間のすべき最低限の礼儀だと思いませんか?人間としての最低限のマナーがないから部落の人間は差別されてしまうのです。差別を無くすのはそういった努力が大切なのではないでしょうか?