レスリング「中核競技」から除外 2020年夏季五輪 2013.2.12 20:31
レスリングが2020年夏季五輪の実施競技から除外されることが12日、分かった。AP通信が報じた。
国際オリンピック委員会(IOC)は同日、スイス・ローザンヌで開かれた理事会でロンドン五輪で実施した26競技から25の「中核競技」を選定したが、レスリングが除外された。同大会は東京都などが招致を目指している。当初は近代五種などが除外の対象と見られていた。
20年五輪でレスリングが実施競技として復活するには、野球・ソフトボールなどと1枠を争うことになる。
レスリングは男子が第1回のアテネ大会から採用されている伝統的な競技。女子は2004年アテネ大会から採用されており、日本勢は男女計28個の金メダルを獲得している。

1.オリンピックの誕生
1896年に始まった近代オリンピック。その前身となったのは古代ギリシアで行われていた「オリンピア祭典競技」、いわゆる古代オリンピックです。
古代オリンピックが始まったのは、考古学的な研究によって紀元前9世紀ごろとされています。現代のオリンピックは世界平和を究極の目的としたスポーツの祭典ですが、古代オリンピックはギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事でした。
全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だったのです。考古学的な研究によって、当時のギリシアにはオリンピア地方で行われていた「オリンピア祭典競技」のほかに、コリント地方の「イストミアン・ゲームズ」、ネメア地方の「ネメアン・ゲームズ」、デルフォイ地方の「ピシアン・ゲ ームズ」などが4大祭典競技として知られています。
(略)
ペンタスロン
紀元前708年の第18回大会から、ペンタスロンといわれる五種競技が始まりました 。短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングの5種目を一人の選手がこなす競技で、3種目以上を制した者が優勝者と認定されていたようです。
レスリング
ペンタスロンで行われたレスリングが、紀元前668年の第23回大会から単独の競技として実施されるようになりました。
立ったままの姿勢から(投げるために片膝をつくことは認められていた)相手を持ち上げて投げる競技で、正しく美しいフォームで投げなくてはなりませんでした。時間制限はなく、勝敗が決するまでに長い時間がかかる過酷な競技だったようです。
(略)
オリンピックの聖なる休戦
古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました。当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです 。これが「聖なる休戦」です。オリンピアからアテネまでの距離は約360km、スパルタまでは130km。武器を捨て、ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするために、当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は、最終的に3カ月ほどになったといわれています。

レスリングは古代オリンピックから近代五輪を通してずっと主要競技の一つです。 伝統のレスリングを除外しテコンドーを残す扱いはIOCが伝統と歴史を尊重しない単なる興業会社になってしまったとしか思えてなりません。
何よりもレスリングは古代オリンピックの花形スポーツであり、レスリングを外すということは、オリンピック精神の象徴である平和の祭典の精神に反します。
敵と闘うことは動物である人間の本能のひとつです。有史以前の人間も、当然、外敵と闘うことで自分自身と家族や一族を守ってきました。 その闘争を競技化したのがレスリングです。
レスリングは、人類最古のスポーツと考えられています。1938年に世界的な考古学者が紀元前3000年以前のものと推定されるメソポタミアで互いに相手の腰を押さえている2人の選手の石板と鋳銅を発見しました。
伝統を重視しないものなど薄っぺらで価値が半減してします。 IOCの投票結果は受け入れなければならないが、レスリングが外された理由を納得することはできません。
IOCの商業化重視の現代路線からすればレスリングを基本競技から外してもいいと考えたのであろう。だがとても納得がいくものではありません。
私の過去記事を読んでください。この欧米人たちの思考パターンを理解することができます。
欧米人にとってルールとはあくまでも”決めごと”であり、守ることは大切であっても、それが自分に不利となれぼ、有利になるように変更するか、そのために利害関係者と交渉をすれぼ良いものです。その2
つまり、ルールといえども、彼らにすれぼ"勝つための一手段"であり、ルールを自分に有利に変えたところで決して「ずるい」ということにはなりません。
相撲に例えると、どのような形や大きさの土俵で闘えぱ自分が有利かを考え、取り組みが始まる前に形や大きさに関して対戦相手と交渉をすることから闘いを始めるということです。すでにできあがった土俵の上で、ワザを競うことのみを闘いとする日本人とは、ルールに対する考えがかなり違います。
さらに、官と民、お上と下々という概念についても、欧米列強では官はお上ではなく、パブリックサーバント(「公」つまり杜会の人々につくす人たちということ。"公僕血と訳される一、つまり"民への奉仕者"という考え方があるくらいですから、欧米には民がルール作りに対してものを言う土壌が、もともと存在しているのです。
整理すると、一般の日本人にとってルールとは”エライ人”が決め、作成に参画できないもの。であり、守るべきものです。欧米人にすれば、守るべきものという点では私たちの認識と同じでも、”勝てないのならルールを自分たちで変えてしまえばよい。”ということになります。
これが、私たち日本人と欧米列強のルールに関する考え方の違いです。
◎ルールを守る行動美学は変える必要はない
p160
正々堂々とルールを守り、潔く闘うという従来の日本人の考え方は、国際的にも評価の高いプリンシプルです。
サムライという、このプリンシプルを純度高く備えた日本人が、欧米列強からかつては畏怖され、未だにある種の尊敬を勝ち得ているのは、その表れでしょう。この考え方を改める必要はないのです。
その考え方を堅持したうえで、ルール作りには積極的に参画していくことが大切です。
そのために、欧米列強相手のプレゼンテーションが必要なら、お弁当を作るように制約を設け、要点を絞ったうえで、自身のスタンスを思いきり主張してください。
自国、自社に有利なルールを作ろうとする相手は、土俵の上に引きずり出してしまえば良いのです。
レスリングは近代五輪でもの第1回アテネ大会からある種目で、除外になることはあり得ない。おなじ格闘技でも柔道でもなくテコンドーでもなく、レスリングが外れる危機にあるなんて全く理解できない。韓国に競技人口が集中しているテコンドーが外れるべきだ。
気がかりなのは、東京五輪招致への影響である。日本のIOC理事らに対し行っていると思われたロビー活動がまるで機能していないかロビー活動を行っていないかのどちらかのような気がします。2020年五輪招致を目指すイスタンブールを抱えるトルコはレスリングの本場なので、東京に有利に働く可能性もあるというが、9月のIOC総会では東京開催が非常に苦しくなったと判断します。
英語圏のこのレスリングがオリンピックゲームから外れる問題について検索し読んでみたが、非難する論調が目立つ。 日本レスリング協会と日本オリンピック委員会は、この競技の歴史と伝統の重みを強く訴え、欧米世論を焚き付けIOCに再考を促してもらいたい。
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