森・プーチン会談 四島の主権確認目指し 鍵握る対中関係の行方
【モスクワ=遠藤良介】ロシアのプーチン大統領は北方領土問題について、「平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡す」とした日ソ共同宣言(昭和31年)を軸に決着させる考えを変えていない。プーチン政権の超長期化も予想される中、安倍政権には同共同宣言に立脚しつつもそれを克服し、「北方四島の主権確認」につなげていく具体的方策が求められている。2島先行返還論と4島一括返還論をめぐり日本は50年以上意見を纏められないまま無為に時を費やしてしまった。
日露の外交当局は「イルクーツク声明」(平成13年)にいったん立ち返ることが交渉再活性化の前提になるとみている。同声明は、(1)日ソ共同宣言が「交渉の出発点を記した基本的文書」(2)国後、択捉を含む四島の帰属問題を解決する-と明記し、日露の思惑を両立させているからだ。
ただ、同声明の署名に伴って浮上した「2島先行返還論」(同時並行協議)には日本国内の反対論も強く、この線の交渉はいったん頓挫した。平成10年の「川奈提案」のように、四島に対する日本の「潜在的主権」の確認を求める論法も「ロシア人の領土観とは相いれない」(露識者)という難しさがある。
今後の日露交渉で鍵を握るのは中露関係の行方だ。ロシアは急速に国力を増す中国への警戒心を強めており、極東・東シベリアの開発を急がねば、この地域が中国の人とモノ、カネに席巻されるとの危機感を抱く。プーチン政権が対中牽制(けんせい)や極東開発を視野に、日本との良好な関係を望んでいるのは間違いない。
しかし、ロシアにとって中国との関係は「死活的に重要」(外交筋)であり、現時点の「日本」は安定的な中露関係があっての存在だ。ロシアは当面、石油・天然ガス輸出などを通じた実利的な面で日本との関係拡大を図り、その中で領土問題の落としどころを慎重に探っていくとみられる。
四島一括返還の旗は降ろしてはならないが、日本も何かしらの譲歩も必要だろう。
プーチン大統領は昨年3月首相としての会見で、柔道用語で「ヒキワケ」を使って、日本に「ヒキワケ」になる平和条約交渉再開を呼びかけた。
安倍首相は「北方四島の返還要求」を崩さず、ロシアからの提案を待つ姿勢を貫くだけでよいとしているが、森喜朗元首相は、プーチンと「ヒキワケ」について相談すると言う。自らの考えとして、歯舞、色丹、国後の3島返還という解決案だそうだが・・・森言い分は軽々しく聞こえる。
北方四島を交渉で取り戻すのは容易ではない。だからといって、3島や3・5島で妥協しようとする考えは、「法と正義」の原則に反する。不法に占領されている領土の回復を、「びた一文譲れない国家の尊厳」の問題として今後も続けることは容易だ。
ただし、永遠に北方領土は帰ってこない・・・永遠に日本とロシアは友好条約を結ばないことになる。
プーチンロシアの事情で日本と友好条約を結びたがっている。日本も中国を牽制する為にロシアとの友好条約締結は必要だが、3島とか3.5島返還で妥協すべきではない。竹島や尖閣問題に波及する為「北方四島の帰属は日本であるという確認」は絶対に必要だと思う。
「北方四島の帰属は日本」としたうえで、北方領土交渉をめぐりロシアが平成4(1992)年、平和条約締結前の歯舞群島、色丹島の返還と、その後の国後、択捉両島の返還に含みを持たせた秘密提案を踏襲したうえで妥協すべきだろう。(1)歯舞、色丹を引き渡す手続きについて協議する(2)歯舞・色丹を引き渡す(3)歯舞・色丹問題の解決に倣う形で国後、択捉両島の扱いを協議する(4)合意に達すれば平和条約を締結する。以上で妥協すべきだろう。そして北方領土に住むロシア人には日本国籍を与え引き続き島内に住む権利を与える。
ロシアは日本と友好条約を結んだ上で日本の資金でシベリアを開拓し中国の膨張を防ぎたがっている。かつてスターリンは巨大な人口を有する中国の膨張を読んでいた。1944年ヤルタ協定前段階でスターリンは国民党の宋子分との中ソ交渉が行われた。国民党はソ連の満州へ進攻を要請し、進攻後直ちに引き上げる代わりに、中ソ国境の外モンゴルにモンゴル共和国の設立を認めさせたのである。
ロシアの立場からすれば、北方領土よりシベリアの利権の方が遙かに大きい。偉大なるツァーを目指すプーチン大王の判断を期待したい。
【ソ連はなぜ八月九日に参戦したか 米濱泰英/著】
p102-104
4 「領土問題としての千島諸島」
ところで、第二回会談のなかで、宋子文は二度も「千島諸島に関しては我々は闇下の意見に同意する」と警言している。彼は中国人であるから、千島が本来日本の領上がソ連の領上がといったことに関心はなかったであろうし、また仮に日本固有の領土をソ連が分捕ったとしても、宋には痛くも痒くもなかったであろう。しかし、この問題は日本人としては宋のように見過ごすわけにはいかない。
ヤルタ会談でスターリンがこの要求を提起した際、ルーズヴェルトは何らの異議も差し挟んでいない。しかし、アメリカでは一九四四年七月から翌年一月にかけてヤルタ会談に向けた予備資料作りが行われており、その中には「領土問題としての千島諸島」が取上げられていたのである。
この資料はヤルタ会談に関するアメリカ外交文書のなかに収められており、作成者はショージ・H・ブラッケルスという歴史学者である。彼は冒頭で「問題の基本的要因」として次のように述べている。
「千島諸島は、日本、ソ連、アメリカにとって戦略上重要である。また、これらの島々は日本にとってはかなりの経済的価値を有している。」
ブラッケルスは千島諸島を南部、中部、北部と三つに分けて論じている。南部は北海道から択捉島まで北方へ二三五マイルの範囲で、ここに千島諸島の全人口の九〇%が居住しており、一八〇〇年ごろから日本領土として一般に認められているものであるという。
「日本は一八〇〇年頃から南部千島を領有してきた。カムチャッカから北部の島々に進出したロシアは、一八五五年、これらの南部の島々に対する日本の領有を承認した。一八七五年、日本が南樺太から退去したのに応じて、ロシアは全千島から撤退した。千島は日本固有の領土とみなされており、行政的には北海道庁の管轄化に入っている。」
彼はこのように歴史的経緯を述べたあと、現在の情勢下でのソ連の要求を推察している。
「ソ連は北部千島に対しては本来強い要求をもっている。それは自国に近いということと、敵国の所有となって軍事的脅威にさらされるようなことをなくすために支配しておきたいという願望から来ている。
ところで、ソヴェト政府は北部千島に島に対してばかりでなく、中部千島も、そして可能ならば南部千島をも要求するかもしれない。……
しかしながら、南部千島に対するソ連の要求を正当化するような要素はほとんどないといっていい。南部千島をソ連に渡すことは、将来の日本が恒久的解決として到底受け入れられない情況を生み出すであろうぃそれは歴史的にも人種的にも日本のものである島々と、漁業にとって重要な海洋を日本から奪ってしまうことになるのである。これらの島々に要塞が築かれたりすれば、それは日本にとっては絶え間ない脅威となるであろう。」
ブラッケルスはこのように述べたあと、最後に[勧告]として、三点を指摘している。
「一、南部千島は非武装の原則を守る日本によって保有されるべきである。
二、北部と中部千島は、計画されている国際機構の管轄化に置かれるべきで ある。 その管轄当事国にはソ連が指名されるであろう。
三、いかなる場合でも、北部千島の海洋において日本が漁業権を保有すること が考慮されねばならない。」
以上、ブラッケルスがヤルタ会談のために作成した「領土としての千島諸島」の概要であるもし、このレポートをルーズヴェルトあるいは同行したステチニアス国務長官が目を通していたならば、スターリンの要求を丸呑みするようなことはありえかったであろう。しかし、外交文書に付されている注には、「この覚え書はヤルタのブリーフィング・ブックに入れられておらず、ルーズヴェルトとステチニアスが注意を払った形跡が見当たらない」と記されている。(FRUS,1945,Conferences at Malta and Yalta,p379-383.)
戦争中の敵国アメリカで、日本と千島諸島の関係についてこのような公平な見解が示されていたということは、銘記しておいていいことであろう。ブラッケルスはクラーク大学教授で、かつて来日して日本の大学で講義したこともあるという。 (遠膝晴久『北方領土問題の真相――千島列島とヤルタ会談』参照。)

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