イメージ 1

私もハルキストの一人として発売初日の会社帰りに購入しました。あいにく昨晩は中目黒のイタリアレストランで元同僚の送別会でした。12時まで騒いでいましたが、終電間際でなんとか家に帰りつき早速3年ぶりの新作を読みだしました。どんどん入ってくる奥深い文章、隠喩等を考え文章を読み返したせいか、379ページ足らずの本でしたが一晩で読みきれず・・結局朝を迎えてしまいました。寝不足です・・・

とりあえず一首

新しき 春きたりて 樹々に咲く 色彩巡り 心みちたり

ゆっくり時間をかけながら先ほど読み終わりました。1Q84を読了した時にはその先がどうしても読みたいという強いフラストレーションを感じましたが、本作を読み終わった今、前作で感じたフラストレーションを感じることはありません。愛情と喪失、心の葛藤と成長を描いた本作は哲学的な内容でした。多崎つくると自分の心の軌跡が自然と重なり、読了した今、主人公多崎つくるが背負った16年の心の傷が癒されたとともに、自分自身もなにか深い満足感を得ました。とても内省的な本でした。

発売まで本書の内容は一切リークされていませんでした。タイトルやカタルーニャでの春樹氏のスピーチから反原発的でポリティカルな内容と噂されていましたが、予想は外れ私は一安心しました。村上春樹は全共闘世代でありましたが元来ノンポリであり、カタルーニャでの春樹氏のメッセージには少々違和感を感じていた。もし本書がポリティカルな内容であったのならば、私は酷く失望していたかもしれません。

これから読まれる方にも支障が無い程度にあらすじを紹介します。

主人公は大学2年の夏から3年にかけて自殺寸前になるほどに追い詰められ深い絶望感に襲われていた。大学2年の夏、高校時代の親友達に理由も告げられないままに一切の交流を拒絶されたのだ。

名古屋の公立進学校に通う主人公を含め3人の男子と2人の女子の計5人がボランティア活動をきっかけに仲間となり、高校時代の3年間お互いの関係を完璧な共同体であると信じるまでの深い絆で結ばれていった。

主人公を除いた4人は苗字に色を表す漢字が含まれていた。二人の男子の名は赤松慶と青海(おうみ)悦男、二人の女子は白根柚木と黒埜(くろの)恵理、それぞれアカ・アオ・シロ・クロと呼ばれた。「こ、これじゃ、安っぽい戦隊シリーズじゃないか!親友戦隊トモダチージャーか?」と読みながら春樹氏に突っ込んでしまいました(笑)。

その後、二つ年下の友人灰田(Mrグレイ)と知り合い、彼は死の淵から生還することができた。灰田との会話の中で、灰田の父親が若い頃ジャズピアニストの緑川から人にはそれぞれ違った色の光を発することを教えられたことが紹介された。

多崎つくるは”鉄ちゃん”であった。それも駅が専門の”駅鉄(そんな言葉はあるのかな?)”就職先は新宿に本社がある私鉄(小田急?)の駅の設計に携わる部署だった。その後数人の女性と付き合うが長続きしなかった。そして36歳のとき旅行代理店に勤める年上の木元沙羅と知り合い結婚を意識するようになった。

ちなみに、沙羅とは何も色がついていない”サラの状態”のサラを意味するのではないか?・・・これから”つくる”と結婚し多彩な色に染まるという意味まで春樹氏は考えてのネーミングだろうか?

沙羅はアラフォー、おそらく不倫も経験している精神的には"つくる"よりはるかにタフな大人の女性である。つくるとの結婚を意識したが、つくるに過去の女の陰を感じた。そこで、つくるの過去を清算させようと過去を聞きだし つくるを誘導した。

余計なお世話と私は思ったが、沙羅は自分の安定的な結婚生活を計算し、つくるに過去を清算させておきたかったのである。かなり計算高い頭の良い女性である。
言葉巧みに情報を聞き出しその後の4人のその後を調べ、つくるに良いニュースと悪いニュースを伝えた。つくるはなぜ自分が仲間はずれとなったのか?過去を清算する必然性を感じ、過去を清算する旅を決意する。その過程が高校時代シロが奏でたリストの名曲「巡礼の年」に重ねられてこの作品で描かれている。

青海と赤松に会った後、フィンランドに住む黒埜に逢いに行く、そこで事件の真相とさらに衝撃的な過去を知る・・・・・もしかしたら違う人生が用意されていたかもしれない・・・しかし、結局時はながれ結果的に多かれ少なかれ現在と同じ結果になっていたかもしれないとつくる思った。そして全てを知った時、つくるは救われ、全てを許すことができた。

この物語では色によってその人物の人格が設定されている。冗談で書いたが、ゴレンジャーに始まるスーパー戦隊シリーズもキャラクターを色で表現しその人格を設定している。

タサキを田崎ではなく多崎で「色彩を持たない」というのは、多崎の名字の比喩もある。つくるという名前からして、多彩な色をつくるというパレットのようなグループでの役割であったことに彼自身気が付かなかった。グループのなかで個性という色合いを持たない凡庸な自分と思っていたのである。

5人と言う数字は陰陽五行説に何か関係があると考えるのは誰しも思うところです。
特に、女子は白根と黒埜で陰と陽だ。物語の最後でクロとシロとの関係を考える時にベースに陰陽説の痕跡が見える。

イメージ 3
この表に従うと 木はアオ(青海)、火はアカ(赤松) 金はシロ(白根)水はクロ(黒埜)となると多崎作は土の性格を現していると考えながら読み直すと面白い。

五行の相関関係
イメージ 4
この相性関係を当てはめると、シロがクロを、クロがアオを、アオがアカを、アカがつくるを、つくるがシロを生成し強める関係でした。相剋関係でいくと、シロがアオを弱め、クロがアカを弱め、アオがつくるを弱め、アカがシロを弱め、つくるがクロを弱めた。実際アオがつくるにグループからの除名を言い渡した。そしてつくるが東京の大学へ進学したことによりパワーを失ったシロの精神が壊れたのかもしれない。

自分(Ddog)も故郷を捨て駿河台のM大学に進学した。小学校~高校時代の友人と現在付き合いはないし関係を修復するつもりもない。同窓会なども出たことがない。

地元に残り地元の小さなコミュニティで死んでいく人生は選択したくなかった。地元の世界しか知らない人種と現在の私とは住んでいる世界が違うと思う。考え方や価値観が異国人のごとく異なっていると思う。旧友と再会しても私は気を使い話しをあわせることはできるが、間違いなく話はかみ合わないと思う。故郷には過去しかなく、今の私には今と未来の方が重要である。でも70歳も過ぎれば過去だけが大切になるのかもしれない。

私のような人間は少数派ではなく東京に上京してきた人間は多かれ少なかれ過去をデリートしてきていると思う。過去は全て過ぎ去ってしまったもので二度と戻らないというのが真理だ。村上春樹がこの5人の出身地を名古屋と設定したのも絶妙だと思う。私は愛知県豊橋市に2年住んだことがある、名古屋人は名古屋は都会であると思っているようだが、地縁に縛られた巨大な田舎町に過ぎない。都会と地方の違いは都会に住む人達の多くが過去をある程度デリートしていることだと思う。

だが、異性との過去となると・・・私を含め多くの男性は過去の異性関係をすべて引きずっているのではないか?そう信じていた。ちなみに今の自分は必ずしもそうは思っていない。

3.11後少しして、昔同棲していた女性から連絡があった。別れた後、ある時どうしようもなくまた逢いたいと願ったこともあった女性だ。彼女は結婚して実子はいないとのことだったが、裕福な夫と幸せに暮らしているとのことだった。幸せだと聞いて私はとても嬉しかった。逢おうと思えば逢えるだろう、でも彼女と逢っていない。電話で昔話に花が咲いたが過去は過去であって現在ではない、過去にどれだけ愛し合っていても、大概お互いに大人の事情がある。相手が現在幸せであればそれだけで満足である。

だが、多崎つくるは巡礼が必要であった。つくるの性の意識の深い問題に触れ、同性愛、沙羅との不能状況、シロとクロの性夢、この情愛とそれが必然的にもたらす愛憎が5人の人生を歪めていった。本作品は現代の人間の根源的な課題を、哲学的に描き出している。村上春樹は日本の文壇から阻害されているらしいが、世界中の読者はおそらく本作品を支持すると思う。

村上春樹は深い人間の闇の意識を呼び覚まさせる作品を書き上げた。村上春樹は、現代の文学のそのものの最前線にあるのは疑いようがない。もし、村上春樹がノーベル文学賞を取るならば1Q84より”色彩を持たない 多崎つくると、彼の巡礼の年”の方がふさわしいような気がします。





ベールマンは主人公多崎つくるの二つ年下の友人灰田がつくるの部屋に残していったLPである。
p63
「ラフザール・べルマン。ロシアのピアニストで、繊細な心象風景を描くみたいにリストを弾きます。リストのピアノ曲は一般的に技巧的な、表層的なものだと考えられています。もちろん中にはそういうトリッキーな作品もあるけど、全体を注意深く聴けば、その内側には独特の深みがこめられていることがわかります。しかしそれらは多くの場合、装飾の奥に巧妙に隠されている。とくにこの『巡礼の年』という曲集はそうです。現存のピアニストでリストを正しく美しく弾ける人はそれほど多くいません。僕の個人的な意見では、比較的新しいところではこのベルマン、古いところではクラウディオーアラウくらいかな」

巡礼の年 第一年「スイス」 ル・マルデュ・ペイ
一方アルフレッドブレンデルは物語の最後のほうでクロがフィンランドでつくるに聴かせたCDである。
p306
「僕がいつもうちで聴いている演奏とは、印象が少し違う」とつくるは言った。
「誰の演奏で聴いているの?」
「ラザール・ベルマン」
エリは首を振った。「その人の演奏はまだ聴いたことがない」
「彼の演奏の方がもう少し耽美的かもしれない。この演奏はとても見事だけど、リストの音楽というよりはどことなく、ベートーヴェンのピアノーソナタみたいな格調があるな」
エリは微笑んだ。「アルフレート・ブレンデルだからね、あまり耽美的とは言えないかもしれない。でも私は気に入っている。昔からずっとこの演奏を聴いているから、耳が慣れてしまったのかもしれないけど」
確かに対比して聴くと違いは歴然である。
同じリストのピアノ曲でも、表現する人のカラーによって違う印象になる。人はそのカラー(性格)によってそれぞれのカラーの人生を歩むのかもしれません。