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 日本は中国、北朝鮮、韓国と忌々しき国々に囲まれています。特に2月中国に石油を止められ追い詰められた北朝鮮の状況が戦前の日本に近いのではないか?
北朝鮮の金ファミリー/金正恩がヒトラーやスターリン、毛沢東型の独裁者というより、先軍政治の北朝鮮において金ファミリーは、明治~戦前の皇室のように君臨すれど統治せずの日本の皇室のように事実上象徴化しつつあると私は推測しています。そこで、北朝鮮の暴発の有無を考察するうえで、戦前の日本の政治/思想の状況の詳細を再度勉強しようと思いました。

※GWは新しいデスクトップPCとタブレットPC・無線LANを買い設定を悩みながら「戦争学言論 石津朋之/著 (筑摩選書)」他を読んでいる

さて本書も、とても勉強になった。昭和の軍人たちは何を考え、1945年の滅亡へと至ったのか。
日露戦争直後~第二次世界大戦突入までの日本において平和ボケであった大正デモクラシーから「天皇陛下万歳!」と特攻や玉砕の思想が生まれたのか・・・
本書は何度も読み返してしまうほど勉強になった!本書も前二冊同様目から鱗が落ちる良書です!推薦します。

日露戦争直後、帝国陸軍は旅順攻略の反省から近代的な遠距離から物量で勝負する新しい戦争を日露戦争型の塹壕戦をしていた第一次世界大戦のヨーロッパ諸国をしり目に青島攻略で行うことができた。ところが、大正~昭和の敗戦ヘ――時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、帝国陸軍はなぜ神がかっていったのか。皇道派VS.統制派での小畑敏四郎、石原莞爾の世界最終戦論、倫理学者和辻哲郎の総力戦思想、そして一倍玉砕を唱えた中柴末純……。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、時代背景や第一次世界大戦を経験しなかった「持たざる国」だからこそ、現実的に分析して戦争に勝つには精神力しかないという結論に至った皮肉・・・・

なぜ、昭和一六年真珠湾を攻撃し、予想通り日本は敗戦に至ったのか・・・本書を読むと、日本がなぜ開戦に踏み切っていったのか理解できる気がします。き

本書を読むと、未だに東京裁判史観に洗脳され日本が侵略戦争をしたくて起こしたという自虐史観を持っている人間が、無知な赤子に思えてきます。

  はじめに  3

第一章 日本人にとって第一次世界大戦とは何だったのか………………13
小川未明の懊悩  15
「高みの見物」と「成金気分」  24
徳富蘇峰、日本人を叱る  31

第二章 物量戦としての青島戦役-日本陸軍の一九一四年体験…………43
神尾光臣将軍の新しい戦争  45
伊勢喜之助中佐の弾丸効力調査  56

第三章 参謀本部の冷静な『観察』…………………………………………75

第四章 タンネンベルク信仰の誕生…………………………………………91

第五章「持たざる国」の身の丈に合った戦争-小畑敏四郎の殲滅戦思想…109
一九二八年の精神主義  111
殲滅戦思想の密教と顕教  126
「皇道派」とは何か  141

第六章「持たざる国」を「持てる国」にする計画-石原莞爾の世界最終戦論 157
「銀河鉄道の夜」と『法華経』  159
「統制派」とは何か  173
「八紘一宇」の構想と挫折  189

第七章 未完のフアシズムー明治憲法に阻まれる総力戦体制………………207

第八章「持たざる国」が「持てる国」に勝つ方法-中柴末純の日本的総力戦思想………229
『闘戦経』と『戦陣訓』  231
「天皇陛下万歳」でなぜ死ねるか  244
一九四一年の死生観  261
玉砕という必勝哲学  277

第九章 月経・創意・原爆-「持たざる国」の最期……………………………297

主要参考文献  335
あとがき  341
大正時代、凄惨な塹壕戦を繰り返す第一世界大戦が欧州において起きていたことは、CNNもソーシャルネットワークもない当時の日本人にとっては別世界の出来事であった。対岸の火事どころかフィクションの世界にしか思えなかった。それどころか戦争は日本の工業化を一気に加速し、空前の好景気に沸き、戦争は富をもたらす好事でしかなかった。童話作家小川未明の短編小説「戦争」にはそのような時代の雰囲気が書かれていると紹介されています。

小川未明の短編小説「戦争」冒頭部分
p16
海のかなたで、大戦争があるといふが、私はそのことを時々口に出して話すが、実は心の底でそれを疑ってゐるのだ。「戦争があるなんて、それは作り話ぢやないのかしらん。私及び私のやうな人間をだまかさうと思って、誰かがうまくたくらんだ作り話ぢやないのか知らん。」と思ってゐるのだ。

大正時代の平和ボケした日本の空気を時代を代表するジャーナリストであり、思想家、歴史家、評論家、政治家としても活躍して、戦前・戦中・戦後の日本に大きな影響をあたえた徳富蘇峰は厳しく見つめていた。緩みきった時代の空気に警笛を鳴らしていた。

徳富蘇峰、日本人を叱る
p31-33
日本国民は世界列強の競争場裡に独り取り残されたり

第一次世界大戦は、日露戦争で背負った債務で沈没しかけていた日本経済を蘇らせました。それどころか爆発的に発展し膨脹する契機となりました。この時代には高度経済成長という言葉こそありませんでしたが、まぎれもなく同様の事態が起きたのです。
けっこうずくめと言えば言えます。近代国家が商売繁昌して何も悪いことはありません。しかし徳富蘇峰の話に戻りますと、彼はそれを喜びません。あまりに濡れ手で粟だったからです。くじに当たりつづけるかのように大金が転がり込んで笑いが止まらなくなった。蘇峰は著書『大戦後の世界と日本』で、そんな日本人を強く叱ります。

  乞食芝居さへも、尚ほ若干の木戸銭を徴す。然るに振古未曾有の大活劇を見物して、資に木戸御免のみならず、役者より種々の馳走は愚か、見物料まで提供せらるゝに至りては、冥加余りて、恐ろしき程ならずや。我が国民は倫敦、巴里の市民が、父は子を失ひ、妻は夫を失ひ、姉妹は兄弟を失ひ、而して残留する彼等さへも、日夜敵の長距離砲弾や、飛行機、飛行船の襲撃に威脅せられて、殆ど神経患者たらしめつゝある際に、悠々黄金の雨に潤ひ、泰平を楽めり。
其の一苦一楽、恰も現世に、地獄と極楽とを、活現したるの看なしとせず。是れ乃ち表面の得失と為す。


世の中は苦あれば楽ありでなくてはいけません。しかし日本はあまりに苦を味わわなかった。
楽あれば楽ありだけだった。ヨーロッパでは一般市民まで命懸けだったのに、日本人は安逸をかさばった。おもてなしつきの高みの見物という贅沢を決め込んだ。成金が札びらを焼いて明かりにしたとか、普通の職工が時間外手当てをたっぷり貰って大店の若旦那同然の暮らしをし、廓から工場に通ったとか、みんなこの時期の話です。つくづくおめでたすぎて、楽してあたりまえという時間が続きすぎたと、蘇峰は言うのです。
p34
彼は『大戦後の世界と日本』で、こう言います。

  古人は衣食足りて礼節を知ると云へり。されど我が社会は、財嚢充実して、否な財嚢の充実を夢みて、昏睡状態に入れり。改革何物ぞ、進歩何物ぞ、向上精進何物ぞ。此の如くして日本国民は、世界列強の競争場裡に、独り取り残されたり。然も我が国民は尚ほ、世界列強に一頭地を抜きつゝ、前進しつゝありと夢想し居るものに似たり。
蘇峰は欧州やロシアや米国も、第一次世界大戦で高い代価を支払ったて戦争と平和について心底学べたことがあったが、日本は戦争の舞台に立たず見物席で呑
気にしているばかりであったがゆえに、学び損ねてしまった。その学習の差がじきに国難を招き、日本を滅ぼすことにつながりかねないと蘇峰は警笛を発したのでした。

本書が次に取り上げたのが白樺派作家「有島武郎」の舅にあたる陸軍大将神尾光臣である。

第一次世界大戦青島攻略戦において日本陸軍の神尾光臣将軍は、近代的な新しい戦争で、旅順攻略における乃木将軍の失敗を繰り返さなかった。

神尾将軍は西南戦争に出征し、日清戦争では大山巌の情報参謀、日露戦争では乃木将軍傘下の旅順攻囲軍の歩兵第二二旅団長であった。

戦史的には青島攻略は、戦意のないドイツ軍相手に楽勝の戦いで済まされていますが、本書を読み、青島攻略が楽勝で終わったのは旅順攻撃の戦訓を十分に生かした神尾将軍の功績が非常に大きいといえます。旅順よりは小さいとはいえドイツが心血注いだ要塞である青島を大きな犠牲を払わず陥落させたのは神尾将軍が近代戦はいかに戦うか熟知していたからこそ大勝できたのであって、神尾将軍の功績が非常に大きいことに気が付きました。目から鱗が落ちました。

神尾将軍が行った近代戦とは、歩兵が突撃して砲兵が支援する戦争ではなく、砲兵の火力で片づけてしまい、歩兵は後始末に行くだけといった戦争です。火力の強い方、弾数の多いほうが勝つ、白兵戦や突撃戦ではない、遠距離から物量で圧倒しようという戦争です。

青島攻略戦で近代戦を行った帝国陸軍が第二次世界大戦におい近代戦との対極にある精神主義に陥り、なぜ玉砕や特攻をする軍隊になってしまったのか・・・

本書は鋭く分析しています。

日本は日露戦争の教訓から青島攻略を近代戦で戦うことができた。
ところが、第一次世界大戦緒戦において列強各国は精神主義的な肉弾戦が繰り返されました。これは日本がロシアの旅順要塞を陥落させた衝撃がいかに大きかったか・・・・ロシアですら第一次世界大戦の緒戦で日本軍のごとく肉弾戦を繰り返した。

日露戦争を観戦した欧州の武官達が203高地において日本が壮絶な肉弾戦を繰り返した鬼神のごとく戦った日本軍の印象が強烈で、近代戦で勝利した結果旅順を陥落させたことを忘れさせたからのようだった。特にフランス陸軍・ドイツ陸軍が日露戦争における日本軍歩兵の鬼神のごとくの突撃主義を評価していた。奉天開戦で圧倒的多数のロシア軍を劣勢の日本が打倒したことを評価していた。皮肉なことに第一次世界大戦では日本発の精神主義的な超肉弾主義が支配していた。

これが精神主義的なタンネンベルグ信仰となり、第二次世界大戦での日本陸軍の精神主義に繋がってしまう皮肉な結果となってしまうのであった。

タンネンベルグの戦いとは(wiki)。
第一次世界大戦におけるドイツ帝国とロシア帝国間の最初の戦いである。1914年8月17日から9月2日にかけて、ロシア軍の第1軍(6個師団半と騎兵5個師団)・第2軍(10個師団と騎兵3個師団)と、ドイツ軍の第8軍(7個師団と騎兵1個師団)によってドイツ領内の東プロイセンのタンネンベルク周辺で戦われた。ロシア軍の兵力はドイツ軍の2倍以上であったが、この戦いの結果、ロシア第2軍は東プロイセンで包囲殲滅され、ロシア第1軍はロシア領内への撤退を余儀なくされた。この戦いで注目すべきは、ドイツ軍が鉄道を利用して、素早く大量の兵力を移動させ、ドイツの1個軍が、ロシアの2個軍を各個撃破することに成功したことである。

昭和初期からの陸軍大学校において、物量戦、国力によって勝敗が決まるものだとタンネンベルグの戦いにおいても実証されたにもかかわらず、タンネンベルグの戦いの果敢な決断や精神主義がいつしか注目され、桶狭間の戦いのように勇気や決断や精神力=突撃精神信仰がはびこってしまった。日本陸軍の最高エリートは、指揮官や参謀としてタンネンベルクをいかなる戦場でも再現できるようにと、刷り込み教育を徹底され続けたのです。