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p98-101
日本陸軍のジレンマ

いったいどうしたことでしょう? 勇気と決断さえあれば物的・数的にはどんなに不利でも必ず勝てるという「タンネンベルク神話」が、大正末期から日本陸軍にどんどんはびこりはじめる。

おかしいではありませんか。前章まで通観してきたように、日本陸軍は青島戦での経験や第一次世界大戦の全体的な観察や分析から、今後の戦争は科学力と工業生産力、国家としての総合力、最も単純には物量の多寡で勝敗が決するのであり、勇気や決断や精神力や果敢な突撃精神は時代遅れで副次的なものになりつつあるとの認識を深める一方であったのではないでしょうか。

それはその通りなのです。たとえば、欧州出張中の阿南中佐がタンネンベルク詣をした一九二七年、日本では吉田豊彦陸軍中将が、宇垣一成陸軍大臣と鈴本員太郎海軍大将の序文付きで『軍需工業動員二関スル常識的説明』を水交社から出版しています。第一次世界大戦で得られた最新の戦争観を、軍令政府部内だけではなく広く国民に訴えて理解を求め、新しい常識として広めようという内容です。
(略)
かたくなな軍国主義にしたがって、精兵を養うために民間の物質的繁栄を犠牲にし、国民に平素から禁欲生活を強いるのは愚の骨頂である。今日の戦争は物量の戦争であり、しかも戦時の軍需品と平時の民需品に必要な原材料はほとんど重なっている。もしも大戦争がはしまったら必要な軍需物資はあまりに膨大だ。いつ戦争になるか分からないのに、日頃から天文学的な量の軍需品を蓄えておくのは非現実的である。しかも科学技術は日進月歩なのだ。

結局、平時に物質的繁栄を誇り、新製品を次々と作り出して、一見享楽の限りを尽くしているような国家が、これからの戦争の勝者になるだろう。物質的欲望を抑えて精神力や気力を培って勇猛果敢を誇っても何の意味もない。いざ戦争になったら、民間生活における飽くなき物質への欲望を満たすための技術力と生産力を即座に軍需に振り替える。そういう体制を準備しながら、平時は民需を最大限に満たしてゆく。大量消費社会を目指す。みんなが物欲を追求する。それが出来る国が勝ち残る。女形として淫蕩な美を極めた俳優こそが荒事で真の凄みも表現できるのではないか。平時の経済大国のみが戦時の勝者へのパスポートを有している。そんな理屈です。
(略)
民間の経済力が即ち国家の戦闘力であるというテーゼを押し出す吉田中将は、あとはひたすら数字を列挙してゆきます。日露戦争の奉大の大会戦でクロパトキンの率いるロシア軍相手に日本車の消費した弾数は三三万発であった。ところが第一次世界大戦の西部戦線におけるヴェルダン
の戦いでドイツ軍の使った弾数は二〇〇〇万発である。奉大の六〇倍だ。同じくソンムの戦いでフランス軍の放った弾数は三四〇〇万発に達する。何と楽天の一〇〇倍だ。この調子でいけば、今後日本が戦争をするためにはどれだけの鉄や非鉄金属や火薬原料やゴムや石炭や石油が必要なのか。日本はどれはどの産業国家に成長しなければならないのか。
p102-103
日本陸軍の軍人たちがタンネンベルクの包囲殲滅戦を信仰し、絶対化したくなる逆説的なきっかけもあったというべきでしょう。

阿南惟幾も他のタンネンベルクに詣でた軍人たちも、筑紫中将や吉田中将に言われるまでもなく第一次世界大戦の教訓をよくわきまえていたかと思われます。でも、教訓を真っ正面から活かすためには、今後の日本の仮想敵国となるだろうアメリカやイギリスやソ連等々に見合った科学力や工業力や経済力が、この国に備わっていなくてはいけません。

吉田中将は国家の存立のために是非ともそうしなくてはならないと言い切っていますが、いったい誰がいつどうやってそうできるのでしょうか。第一次世界大戦後、日本の重化学工業はようやく本格的な離陸をはじめました。けれども、米英ソ大局を並べるほどの国力が短期問でつくとは想像しにくい。それに日本が成長するあいだに仮想敵国の経済規模はもっと膨らんでいる可能性も大である。

とすると、弾や兵器の多寡、あるいは科学技術の進展のための投資の大小で勝敗が決まるとの仮定の上に立つならば、今後の大戦争では日本に勝ち目はないという結論しか導けません。確かに日本車は第一次世界大戦の最初期に青島の戦いで物量戦の模範を示しました。けれど、極東の補給なきドイツ軍の小要塞相手だったからうまく行ったのです。日本の国力でも量で圧することができたのです。

一流国の補給が十分にある軍隊と正面からの物量戦をやるなんて想像するだけでも恐ろしい。日本の国力を一挙に飛躍的に高めれば問題は解決します。が、容易ではない。それでも軍人とすれば、仮に明日、世界列強と開戦しても大丈夫と思える計画を立てておかなくてはなりません。仮想敵国と戦争する見通しを持てないのでは軍隊の存在価値がありません。産業の中長期的発展に期待し、何十年後かにそうなってから改めて戦い方を立案するのでは済まないのです。

歴史の趨勢が物量戦であることは明々白々。しかし日本の生産力が仮想敵国の諸列強になかなか追いつきそうにない。このギャップから生じる忙みこそ、第一次世界大戦終結直後から日本陸軍を繰り返し悩ませてきたアポリア(「行き詰まり」「問題解決能力の欠如」)であり、現実主義をいつのまにか精神主義に反転させてしまう契機ともなったのです。

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なんと、皮肉・・・現実を見つめ理解したからこそ、精神主義に陥ってしまった・・・

タンネンベルグの結果を分析し帝国陸軍を変革した二人の軍人を著者片山准教授は、フォーカスした皇道派の小畑敏四郎中将と統制派の石原莞爾中将である。

まずは、「持たざる国」の身の丈に合った戦争を主張した小畑敏四郎中将の殲滅戦思想を紐解きたい。

一九二八年の精神主義
関ヶ原より桶狭間
p111
「持たざる国」日本の陸軍にとっての夢の福音。装備最優秀とは呼べない味方の寡兵によっても、敵の圧倒的な大軍をあっという間に包囲殲滅できてしまう魔法の戦争。国力戦、総力戦、長期戦、国家総動員、新兵器開発戦、機械化戦といった言葉を噛み締める前に、電光石火でかたのつくいくさのかたち。第一次世界大戦最初期の東部戦線でドイツ軍の寡兵がロシアの大軍を粉砕したタンネンベルクの戦いは、決して唐突に現出したわけではありません。長い歴史的な経緯の末、持たざる国の陸軍が、もしもそれでうまく行くのならと願い続けた戦争のひとつの理想型が、周到な作戦と訓練の当然の結果か、あるいは思わぬ僥倖が重なっての偶然の賜物か、とにかく本当に実現した。それがタンネンベルクの戦いであったのです。
 『統帥綱領』とは一九一四年に制定された日本陸軍の機密戦争指導マニュアルであるが、1928年(昭和3)年に『統帥綱領』が大幅に改訂されている。そのとき「短期決戦+包囲殲滅戦」論は、日本陸軍の基本戦略となった。

『統帥綱領』改訂の中心人物は参謀本部の第一部長だった荒木貞夫中将(のち大将)、同作戦課(一部二課)長だった小畑敏四郎大佐(のち中将)、同作戦課員だった鈴木率道少佐(のち中将)の三人です。荒木と小畑は第一次世界大戦時に観戦武官としてロシア軍に付いて、包囲殲滅された側から詳しく聞いて、戦闘経過を熟知していた「タンネンベルク信者」でした。

この殲滅思想は政治からの独立不羈(どくりつふき:他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。)、速戦即決、会戦を攻撃のみに限定しているなど、大東亜戦争で国を誤らせた原因のひとつとなった。

包囲殲滅による速戦即決に失敗した時の方策はない。兵站に焦点の移る長期戦は持たざる国にとっては敗北を意味するのである。

もともとこの戦略要綱は弱小軍隊に対してのみ有効としていたのである。敵がまっとうであれば「短期決戦+包囲殲滅戦」は不可能であることをこの要綱を作った皇道派の3将軍は熟知していたのである。

p151
小畑将軍は若い頃、大尉から少佐時代にかけてロシアからヨーロッパ、そして米国を巡ってその国土の広さ、人口の大きさ、資源の豊かさをはじめ、列強の工業力、技術水準の各般にわたって、軍事的な立場からつぶさに研究された。
その結果、資源のない後進国の日本はどんなにもがいても、欧米の列強には及ぶべくもないことを痛感された。そのため日本の独立、国民の安全を護る最後のギリギリの線として、日本の防衛は唯一つソ連の侵略防止のみに力を注ぐ。しかし、ソ連の膨大な国力にはとても敵わない。軍事力もソ連の大約六割か七割が限度である。したがって対ソ戦略は(中略)内線作戦、つまり侵入してきた敵を一部隊毎に徹底的に叩く。即ち各個に包囲殲滅して行く作戦だ。一部隊の全滅は敵の戦意を喪失させる。しかし、勝ちに乗じて敵を深追いしない、絶対に国境を越えない、つまりシベリアに進出しない作戦であった。(中略)
日本陸軍の戦車、飛行機、銃砲火力はソ連の六割か七割が限度である。つまり絶対的劣勢である。その劣勢を補うために無形戦力、つまり精神戦力を強調された。兵士一人一人に必ず勝つという信念をもたせる。その上に卓越せる統帥、巧妙な戦略、作戦などあらゆる精神的無形戦力を結集するというのが、小畑将軍の信念であった。(中略)
ましてや統一途上の国民政府に戦いをいどんだり、勝てる筈のない米国に宣戦布告をするなど、小畑将軍の眼から見れば、まさに「狂気の沙汰」であった。
ロジスティックを考えない日本陸軍が近代戦に勝利することは最初からできないことは誰しもわかっていた、日本は装備もよく補給力も十分な敵(米英)と戦うことは当分諦め精神力と奇手奇策で勝てる相手としか戦わないというのが「短期決戦+包囲殲滅戦」論の裏の戦略でした。それゆえ密教的な取り扱いでしたが、ですが日本陸軍は強い相手と戦争はしないと公言できない。想定外の相手(米英)に用いられてしまったことが悲劇である。

自分たち皇道派が、陸軍内の覇権を握り続けている限り戦争相手も自分達で選べると皇道派は考えていたようだ。そんな目算があったからこそ「短期決戦+包囲殲滅戦」論でしか陸軍は戦争準備をしなかった。ところが226事件が勃発し皇道派が粛清され、殲滅戦が一人歩きしてしまました。不敗神話と殲滅戦の思想が日本を大東亜戦争へと引きずり込んでいったように思えてなりません。
p151
アメリカ軍等を「必勝の信念」で包囲殲滅しようとする、いかにも無理筋の悲痛きわまるドラマが幾つも生み出されることになりました。
しかも、土壇場になるほどに、追い詰められるほどに、ついに殲滅できずにくじけるような「必勝の信念」は本当の「必勝の信念」ではない、信念が足りていない、信念を上積みすれば必ず殲滅できるはずだ、という論理がエスカレートします。そこから、敵を殲滅できずとも味方が殲滅されるまで戦い続けるという、とんでもない哲学が自動的に生起してしまいます。
これを玉砕と言います。玉砕は殲滅のウラ概念、すなわち被殲滅なのです。殲滅戦に失敗して不利劣勢の立場に追い込まれても「必勝の信念」を捨てぬなら、退却や降伏という選択肢はありえないのですから、もはや玉砕しか残りません。たとえばバンザイ突撃です。「天皇陛下万歳」を叫びながら装備劣悪な寡兵が敵の大軍に突っ込む。敵を殲滅させられるはずはなくとも、なお相手の側面に回り込もうとする。たとえ自殺的に思えても突撃を続ける。戦争はなまものですからどこで何か起きるかは最後の最後まで分からないとも言える。諦めずに全滅する気で敢闘精神を発揮しつづければどこかで局面はひっくり返せるかもしれない。そう信じてついに玉砕してしまう。相手の強さ弱さの次第によって殲滅精神は容易に玉砕精神へと転倒してしまうのです。

荒木貞夫や小畑敏四郎の想定外の用いられ方をすることで『統帥綱領』と『戦闘綱要』は「狂気の沙汰一の教典と化してしまいました。
本音と建て前、建て前が教条化してしまった先の大戦は日本の悲劇であった。
東京裁判史観の洗脳から未だ覚めない大多数の日本人には、日本が犯した失敗を学習することなく、ただ単に日本が侵略戦争をしたとしか理解していない。もしそうであるならば、日本を再び悲劇を襲うかもしれないと私は危惧します。


続く